3分間の澄心の後 弓道は究道に通ず!円覚寺 故・耕雲弓和尚

元服の書 NO61-1  私は 毎日夕刻 本堂の真ん中で ゆっくり水平足踏み一分間と三分間の澄心(じょうしん)のあと・・         

                                                  *求道の問い(禅語碌の至言)に答えて書いています

円覚寺續燈庵 故・須原耕雲=弓和尚・・鞭撻の想いを偲ぶ。

巻き藁  四十七 「梅に題す」                                                  (文章/平成11年3月3日)

円覚寺 境内の真っ白に香り見事だ。

弓道場矢道の梅は花がつかぬ、心配だ。

私は梅が好きで、續燈庵本堂の床の間には、五岳(ごがく)上人の梅に題す詩を 朝比奈(宗源)老師に御願いした軸が一年中掛けられている。

風波或イハ恐(おそ)ル 袈裟ニ及ブコトヲ     風波或怖及袈裟

懺愧(ざんき)ス 此ノ身イマダ家ヲ出デズ      懺愧此身未出家

天地百年 総ベテ是レ 夢                  天地百年総是夢

笑ウテ看ル 寒月ノ梅花ニ上ルコトヲ           

          笑看寒月上梅花

朝比奈老師は「結句は訳さぬほうがよい。これは あくまで白梅でなくてはならぬ」と言われた。

二・三輪の白梅のもと 仰ぐと上弦の月が冴えている。

丁度、引き絞った弓が 胸の中筋から分かれた「瞬間・矢ヲ看ヨ」の心境だ。                  

「肯心 自(ミズカラ/オノズカラ)許ス」心だ。

ゆっくり水平足踏一分と 三分の澄心(じょうしん)のあと・・この梅を吟じ、反省と勇気に結びつけております。「ありがとうございました。おかげさまです」と。

たまたま、手紙類を整理中、平成11(1999)年、会社の仕事(57才時)の帰りか、お伺いした際のご老師からの手紙があり、その中に同封されていた「巻き藁(まきわら)」という弓道場生宛ての会報(原稿用紙に手書きしてコピーされた)が 二篇見つかりましたので、ご紹介いたします。  

「禅者の一語」元服の書NO61-1/ 「禅のパスポート」元服の書NO61-2/「羅漢と真珠」のNO61-3/・・12/3付け奉魯愚で紹介いたします。

現在、私は、上記 碧巌録と無門関(素玄居士 復刻意訳)、禅の話の雑感を3部作1巻1冊にまとめた、出版の準備(第3稿)を編集しており、追加したり削除したり、徹しきれぬ一面をさらけ出している有様ですが、明夏まで位はかかりそうです。この奉魯愚で 古武士の如く弓道場におられた老師の佇(たたずま)いを 読み取っていただければ・・と念願いたします。

3分間イス坐禅の極意は「弓和尚の澄心」であり、調心(ととのえる)であり、欧米の方にも、弓道は「究道」だと「禅ニヨル生活=行い」を教え、諭されたのです。その呼吸法を、噛んで含めるように語られておられるのです。                           

                         有(会)難とうございました。

はてなブログ 禅者の一語・・禅ニヨル生活/碧巌録 意訳

はてなブログ 禅のパスポート・・禅機禅境/無門関 素玄居士 復刻意訳

はてなブログ 羅漢と真珠・・独り3分間イス禅/禅の心 禅の話/雑記