般若心経は心(安心anjin)の・・世界無二・無味無臭の料理メニュー!

般若心経は仏教の信者さんで暗記している人が多くいる。ZENに関心を持つ外国の、漢文の意味も分からぬ方でスラスラ読み上げて、得意げに参禅(坐禅)なさる方がいる。

しかし、正直に言おう。

冒頭の「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 ギョウジン ハンニャ ハラミタジ」の真意は~ハンニャハラミタを深く行ずる時~との状況でなければ解りません・・との注釈の経文なのだ。しかも以下「色即是空」の文言は・・味気ないことおびただしいもので どうしてありがたいお経なのか・・偉い坊さんの本を読んで、少し坐禅をしたからと言って、理解できる内容ではないのです。

深く行ずる(意味を体得して、生涯・・日々の生活の中で行動で証明、見性(検証)していく禅者のためにある経文なのです。

 

ですから心経(の料理メニュー)は・・

「うまい」も「まずい」もアリマセン。

「正直=誠実=愛=善=自由・・」主張もない。

「嘘つき/愚図つき/憎悪/束縛・・」禁じ手もない。

生死・時間・名誉褒貶・金銭多寡・対比計測のすべて・・一切合切・・ナイナイ尽くしの平等界の詩文です。

私は無味無臭(無眼耳鼻舌身意/無色声香味触法)の世界が私の鼻とか舌の先にあること・・また別に、味覚や臭覚障害の病気としてもあることを知りました。

よく「砂をかむ」というが、そんなザラザラ感では収まりきらない・・また清風明月の境地(平等界)は、雷嚇一声の瞬間で十分であることも感じました。

この社会(現世・娑婆)の差別界・・生死事大・無常迅速の苦楽ある(味わい深い)世界こそ大事です。

口中と胃腸の葛藤・お腹のすいた本能と食欲なしの葛藤・矛盾感は、悟りではあろうがなかろうが、もう卒業したい心境です。 

「色即是空」とか「無眼耳鼻舌心意」とか、「無無明亦無無明尽」とか・・無(む)とか空(くう)とか・・無味無臭の黒豆(文字のこと)料理を、食べないと「ZEN」の理解(自覚)は永久にできないのは真実ではあります・・。

この3分間独りイス坐禅を提唱している私が、今回の奉魯愚の中で、心経の解説をしたり、漢字にㇽビを振るのを止めたのには理由があります。禅による生活=日常の行い=平常心は、無味無臭の料理を一回、瞬間でも 味わった人だけが・・体得できることであるからです。

一般に・・まず女性は、感性が強く、生活、家庭。欲望に執着しすぎの傾向にあり、自己顕示にこだわるので、悟り(見性)するのは、まず99,99%は無理。坐禅など美容体操、精神統一の方法ぐらいにしか考えない人が多いのです・・昔から。

同じく外国人(仏教が中国から伝来したことを含んで欧米人に関心があるZEN ではあるが)まず99,99%は、文字・言語の漢文との違いで理解するには厳しいハンデキャップがあります。外国言語は対比。比較する言葉=文字」で考えられており、考えることは科学的言語学に、常に対比していることだからです。ラテン語(英語他)は、比較検証の科学的言葉なのです。禅の概念を、スマホやIC回路では、漢字のようにまとめる方法がありません。

漢字には「如=如去如来」「即=有即無」「慈悲」など とりわけ漢訳の禅語録には、英文他 外国語に訳しづらい語彙が多くあります。

それに現代の若者に、ZEN を自覚(悟る)ことができる・・という訳ではアリマセン。

ソレでも日本語でわかる「有難う」「会い難う」「愛が問う」でも・・どこかに複雑な心理がオーバーラップしている会話や挨拶が禅ニヨル生活に存在しています。

例えば、私がお別れの文章‥この奉魯愚(ブログ)で使う「有(会)難うございました」・・あいさつ文もそのたぐいです。

以上・・誤解なきよう添語しておきます。

 

質問します。禅はお釈迦様が、菩提樹下 坐禅を組まれ、暁の明星をみて大覚されたといわれます。この仏陀が、王子の位と妻と悪魔と名付けた子を捨て、家出されて行脚、教えを広めされたことをご承知ですか?。仏陀の宗教と禅に対する生活行動をどれだけご存じか・・お尋ねいたします? 貴方自身で自身にお答えください。

参考文献 山折哲夫著「ブッダは、なぜ子を捨てたか」(株)集英社2006年7月19日発行

ZENは(欣求)宗教ではないと思います。私は千年以上昔の禅語録の「佛」の字は、ことごとく「禅」の字に置き換えて読んでいます。かえってすっきりと読み解けると思います。

所業無常・会者常離=科学の言葉でいうと・・酸素と水素を結合させると水になるそうで、水を分解すれば酸素と水になるそうです。これを般若心経(知恵こころの教え)でいえば「ぎょうじん はんにゃはらみったじ」行深般若波羅蜜多時・・般若波羅密多を深く行ずる時・・であればこそと感じます。

私のZENについての「たわごと」はこれにて。

有(会い)難うございました。 【2024・4-24 加筆・編集しました】

私の奉魯愚(ブログ)は、、最近はイキナリ(行き成り)PCに打ち込んで、あとでpcを読み返し修正編集しています。現在、最も参考本として読み返しているのが、仏教学者で世界に禅を紹介した 禅者・故 鈴木大拙の著書‥「禅の見方と行ひ方」大東出版社発行 昭和16年4月20日発行‥です。三つの奉魯愚は「碧巌録」の意訳を中心に書いてきた禅者の一語‥と、素玄居士「無門関」復刻を目指した紹介中心にした禅のパスポート‥と「羅漢と真珠」と題して、禅について雑感を記したものに分かれていますが、今は、何のこだわりもなく、その日暮らしの興(境)にまかせて書いたり、修正したりしています。はてなブログ「禅者の一語/禅のパスポート/羅漢と真珠」10年前ぐらいのブログもPCの中にはいっていますから、折あれば見返してください。禅の見方と行い方は、百年たとうが500年たとうが、約2千年前~1千年前、インドから中国へ・・そして日本へと伝えられました。弧(個)の禅境(地)は、何の変りもアリマセン。

ただ自分に正直に、禅ニヨル生活ができているか・・その自覚があるかどうかです。

2024・4・28 加筆追記