◆お門違いもハナハダシイ話!

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO9

       碧巌録 第九則 趙州四門(じょうしゅう しもん)

【垂示】圓悟が座下の求道者に云った。

明鏡の前に立つと、自分ソノモノがアリノママに映し出されるから誤魔化しようがない。まるで東男に京女の例えの通り、江戸の男はイナセな男前として、また、しなやかな京ことばを喋らずとも、その姿を見ただけで京女として映し出される。古典に・・莫邪(ばくや)という女の作った宝剣を手にした者は、迷いに迷った者を一瞬に引導して活かすこともできるし、大死一番させて活殺自在と言う。

さあて・・このような明鏡台の前で、宝剣を振りかざす禅者に対し、どのように転身の活手腕を看護できようか・・

試みに挙す。看よ。

   【垂示】垂示に云く。

       明鏡台にあたれば、妍醜(けんしゅう)おのづから鞭(べん)じ

       鏌鋣(ばくや)手にあれば、殺活は時にのぞむ。

       漢去れば胡きたり、胡来れば漢さり、死中に活を得、活中に死を得。

       しばらく道え、這裏(しゃり)に到ってまた作麼生(そもさん)。

       もし透關底(とうかんてい)の眼(まなこ)、転身の處なくんば、

       這裏にいたって 灼然(しゃくぜん)として

       奈何(いかん)ともせざらん。

       しばらく道え、如何なるか是れ、透關底の眼、転身の處なるぞ。

       試みに挙す看よ。

【本則】ある日、趙州城(市域内にある)観音院の従諗(じゅうしん)老師に、生座鳥(ナマザトリ/未悟)の求道者が訪ねて問うた。

「趙州とは・・何でしょうか?」

州云く「趙州は東西南北、四つの大門があり、夜はピシャリと往来遮断だ」

        【本則】挙す。僧、趙州に問う。

           「如何なるか 是れ 趙州」

            州云く「東門(もあり)西門、南門、北門(もあり)」

【頌】訳あり顔で趙州城に引っ掛けて「あんたはどなた?」と師匠をテストしたが「何処からでも入ってこい」と言われて、金剛・チタンの槌で叩き壊そうとしたが、ビクとも開く門じゃない。

お門違いもはなはだしいぞ

        【頌】句裏に機を呈して劈面(へきめん)に来れり。

           爍迦羅(しゃから)の眼 繊埃(せんあい)を絶す。

           東西南北 門相対せり。

           限りなき輪鎚(りんつい)をもって撃てども開けず。

【附記】欧米で禅を紹介された鈴木大拙翁は、「ZEN」の入門を問われた時・・コツンとテーブルをノックされて「ここから入りなさい」と言われたそうだ。

また安谷白雲老師は、その著作の中で・・坐禅というと大変難しいものとばかり思う人が多いけれども、たやすいと言えば、坐禅ほどたやすいものはない。日に三分間でも五分間でもよろしい。姿勢を正して、精神統一をやれば、それでよいのである。

なにも正式に足を組まなければだめだというものでもない。

日本式に坐ったままでもよし、極端に言えば椅子に腰かけたままでもできる。

それから公案をやらねば坐禅にならないというものでもない。

数息観と呼ばれる息の勘定をするだけも、立派な坐禅になるものだ。それで健康も増進し、精神も磨かれて、霊肉ともに健全な人になることができる。筆者の同友で「三分禅」と称して、これを熱心にすすめている人もある・・と書かれておられる。

      安谷白雲著 禅の神髄 無門関「達磨安心」・・ヨリ抜粋。1965年春秋社刊 

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碧巌の歩きNO10・・どうとでも理屈は立つ。しかし・・「禅ニヨル生活」は、独り接心(坐禅)でしか成立しない!

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO10

   碧巌録 第十則 睦州 掠虚頭漢(ぼくしゅう りゃくきょとうのかん)

【垂示】圓悟が求道者に云った。

高い低いとか、白い黒いとか、物事を肯定しようと、また、高くないとか、白くないとか、物事を否定しようと・・どうとでも理屈は立っ。

しかし、どうにかなるものではない。

絶対的平等の立場で見れば、達磨さんの「廓然無聖」・・口出し無用の・・カラリとした青空の一語につきる。

また否定・・絶対の価値として見れば、砂一粒、水の原子一個に到るまで、それぞれ唯我独尊。固有の価値に輝いている。

 

だが、思案のしようがない・・絶対的でも相対的でもない・・そのいずれでもない事については、どのように扱えるのだろう。

この問答の・・規定があるなら、商量に要する規定の通りに・・規定がないのなら、従来の慣例に従がい 肩の力を抜いて、看て見なさい。

 

【垂示】垂示に云く

    恁麼(いんも)恁麼、不恁麼(ふいんも)不恁麼。

              もし論戦せば、また箇々転處に立材す。

              ゆえに道う、もし向上に転去せば、直に得たり。

              釈迦、彌勒、文殊、普賢、千聖万聖。

              天下の宗師、あまねく皆 気を飲み 声を呑み、

             もし向下に転去せば 醯鶏(けいけい)蠛蠓(べつもう)

              蠢動(しゅんどう)含霊(がんれい)一々 大光明を放ち

              壁立萬仞(へきりゅうばんじん)ならんと。

             もし あるいは不上不下(ふじょうふげ)ならば、

             また作麼生(そもさん)か 商量せん。

             條(じょう)あれば條を攀(よ)じ、

             條なければ例(れい)を攀(よ)じよ。

             試みに挙す看よ。

 【本則】ある求道者が睦州の處にきた。

睦州「お前さんは、何処からいらっしゃった」

求道者スカサズ一喝「カーツ!」

睦州「オヤオヤなんとお前さんに一喝されたよ」

求道者さらに一喝「カーッ!」

睦州「どれだけ莫迦ガラスのように(カァカァと)啼き続ける気か」と叱りつけた。

求道者はタネが尽きて黙り込んだ。

睦州は「この独りよがりの奴め」とピシりと打ち据えた。

    【本則】挙す。睦州、僧に問う。「近頃いづれの處を離れたるぞ」

    僧 すなわち喝す。

    州云く「老僧、汝に一喝せらる」

    僧 また喝す。

    州云く「三喝四喝の後、作麼生(そもさん)」

    僧 語なし。

    州すなわち打って云く「この掠虚頭(らくきょとう)の漢(かん)」

【頌】世評では 睦州という大虎の頭を叩いた 危険この上ない求道者だと批判する者がいる。しかし、虎に喰われることを承知で、一喝二喝したのなら、見どころアリである。

(サア・・雪賓重顯のいう・・)この求道者の何が大虎の頭を叩いた 見どころなのか・・

禅者の一語を持ち来れ。

天下の公衆面前で笑ってやろうではないか。

   【頌】両喝と三喝と、作者は機変を知れり。

      もし虎頭(ことう)に騎(の)れりといわば、

      ふたりともに瞎漢(かつかん)とならん。

      誰か瞎漢。

      拈(ねん)じ来れ。天下、人とともに看ん。

 【附記】睦州(陳尊宿)道明(780~877)黄檗希運の弟子。非凡・奇人の禅者といわれた。同時代に、徳山宣鑑・趙州従諗・・少し遅れて、雲門文偃(852~949)その弟子 洞山守初がいる。純禅=達磨禅が隆盛をきわめた時代である。

●意訳中、圓悟の垂示、冒頭の・・「恁麼、不恁麼」の語を略してしまい、指摘を受けました。6/27 加筆修正いたします。

圓悟老師・・ならぬ堪忍するが堪忍。お許しあれ。三拝。

 

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碧巌の歩き NO11 禅なしとは云わず・・

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO11

碧巌録 第十一則 黄檗 噇酒糟の漢(おうばく とうしゅそうのかん)

【垂示】圓悟が座下の求道者に云った。祖師の教導、手腕は全くの自由自在。総ての出来事は、彼の禅者の指揮の元、タッタの一語で群衆を驚かすことも 動かすことも出来る。また、チョットした動作(揚眉、瞬目)で鎖に縛りつけたり、一挙手一投足(アクビや片足立ち)で、くびかせを取り払ったりして、向上一途に修行するものであろうと、教外別伝・不立文字・・「禅ソノモノ」の提唱ができる・・ソンナ上出来の輩がいるぞ。さて、かって如何なる人物が、それをなし得たのか・・

ソコの上を向いてポカンと聞いている・・お前さん・・どうだ?。

マア、この公案について、拈弄してみるがよい。

       【垂示】垂示に云く、仏祖の大機は 全く掌握に帰し、

           人天の命脈は ことごとく指呼(しこ)をうけ、      

           なおざりの一句一言も、群をおどろかし衆をうごかし

           一機一境にても 鎖を打し枷をすて、

           向上の機を接し 向上のことを提(ひっ)さぐ。

           しばらく道え、なんびとか曾って恁麼(いんも)なりしぞや。

           また落處をしることありや。

           試みに挙す看よ。

 

【本則】ある日、黄檗希運が求道者に云った。

「お前さんたちは、全員、お粥腹の穀(ごく)つぶしだな。まるで安物の酒カスで酔っぱらう・・本物の酒を知らないコピペばかりだ。もしワシ(黄檗の若い時)が、あちらの寺、こちらの寺と、お前たちの如く、ほっつき廻って乞食行脚をしていたら、今日のワシの(禅)境地は得るべくもない。この大唐国に純禅の師家など、ひとりもいやしない」

求道者が言い返す。

「お言葉ですが、方々に僧堂を開設して、求道者の修行を教導する師家は沢山おられますのに、どうだと云われるのですか」

黄檗「禅なしとは云わない。ただ禅の師がいない」

        【本則】挙す。黄檗(おうばく)示衆して云く

           「汝ら諸人は、ことごとく これ噇酒糟(とうしゅそう)の漢なり。

            恁麼に行脚したらんにも、いずれの處にか今日あらん。

            また大唐国裏に禅師なきを知るや」

            時に僧あり。出でて云く

           「ただ諸方の徒を匡(ただ)し、衆を領するがごとき、また作麼生」

            檗云く「禅なしとは道わず、ただ是れ師なし」

【頌】黄檗希運は凛々として、その禅風は孤峰であり、気安く寄り付きようはない。ただし禅者の龍蛇を見抜く眼識は大変に優れている。

佛教の外護者として有名な宣宗皇帝が・・(810~21歳/黄檗60歳の頃)よせばよいのに、癇癪持ちの黄檗をからかって3回も大目玉をくらい、アタマをピシャリと叩かれたことがある。

禅はあれども、正師はいない・・という黄檗の短気、自ら誇らずの涼味が爽やかである。

       【頌】凛々(りんりん)たる孤風(こふう) みずから誇らず、

          寰海(かんかい)に端居(たんきょ)して龍蛇をさだむ。

          大中の天子も かって軽觸(けそく)し、三度(みたび)親しく

          爪牙(そうが)を弄するに遭(あい)たり。

 

【附記】中国、福建省 黄檗山に住した黄檗希運(おうばくきうん ~850年頃没)百丈懐海の弟子。黄檗宗 開祖。法嗣に臨済宗開祖、臨済義玄がいる。

百丈の弟子に、潙山霊祐(その弟子 仰山慧寂・・潙仰宗)がおり、同年代に趙州従諗、徳山宣鑑、柳宗元、韓退之、白楽天など時代を同じくしている。時代はまさに禅の勃興期だった。

京都宇治の黄檗山万福寺は、1663年中国僧 隠元隆琦(いんげん りゅうき)開創の黄檗宗 日本の本山である。インゲン豆を伝来した僧である。

 

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◆踊る阿呆に・・見る阿呆!碧巌の歩記(あるき)NO12

【禅者の一語】碧巌の歩記

私は釣れなくとも釣りが大好きだ。誰か寄ってきて「釣れますか?」と聞く阿呆より・・自分は「釣れずとも釣りする阿呆」である!

      碧巌録 第十二則 洞山麻三斤(どうざん まさんぎん)

【垂示】禅者の行ないを、殺人刀とか活人剣とかいうのは昔からだが、求道者の(死生の)首根っこを押さえつけて自在に操(あやつ)る達道の師がいる。殺を論ずる時でも、まるで相手に殺気を悟られないし、また、活きる・・禅行そのもので、止めを刺されていることを気づかせない腕前である。

だから禅者の・・ギリギリの一語は、釈迦・達磨と云えども不傳である。昔(中国の故事に)井戸に写った月を本物と見誤って、飛び込んで溺れた猿がいたそうだ。求道者や教導の輩は、よくよく注意するがよい。すでに「不伝」と云っているではないか。

それなのに、どうして膨大な禅語録や公案、理屈がついて回るのか。祭り見物は・・阿呆のスルコト・・それならば「観る」より踊れだ。

サア・・具眼の者ナラバ・・この本則を看るがよい。

      【垂示】垂示に云く、

          殺人刀、活人剣は、すなわち上古(じょうこ)の風規にして

          また今時の枢要(すうよう)なり。

          もし殺を論ずるも また一毫も傷つけず、

          もし活を論ずるも また喪心失命せん。

          ゆえに道う 向上の一路は 千聖も不傳なりと。

          学者の形を労することは 猿の影を捉(とら)うるがごとし。

          しばらく道え、

          すでに是れ不伝なるに なんとしてか 

          かって許多(そこばく)の葛藤、公案かある。

          具眼の者に 試みに説く 看よ。

【本則】求道者が洞山に尋ねた。

「禅(佛)」とは、どのようなものでしょうか。

洞山、手許の麻布を見ながら「是は重さ三斤だネ」

             【本則】挙す。僧 洞山に問う

                「いかなるか これ佛(禅)」

                 山云く「麻三斤」

【頌】太陽と月は、日々 働く人と共にある。

洞山の返事は、どうして どうしてナカナカのもんだ。

求道者は麻布を手にした洞山に「禅とは何ですか」と語りかけた。まるで泥中のスッポンか・・泳げない陸亀が、浮かぶ瀬のない所を、あてどなく流離(さすら)うばかりの問いかけである。

銅山は不立文字の處を、端的に答えたが・・求道者は立ちすくんで声も出ない。

花いっぱい・・山は錦イッパイ・・南の温かい地方には竹林が・・北方には木々の林が碧なす天に連なっているではないか。

これについて、言語を絶して行いで禅境を示した者で思い出すのは・・かって・・南泉(普願)の示寂(834年)に際し、弟子の陸亘太夫(りくこうだゆう)が棺桶の前で大笑いしたことである。葬儀の場で、大笑いしたことを非難された陸太夫は、今度は「悲しや」と涙して慟哭。周囲の者をあきれさせた。のちにこのことを聞いた百丈の弟子・・長慶大安が「よくわかるぞ。死というなら笑うべし。哭(な)くべからず」と評したという。

これほど率直、単的に「麻三斤」だと計量されたら、地獄の閻魔様でも舌は抜けない。大笑いの天地イッパイだ。

【頌】金烏(きんう)は急にして 玉兎(ぎょくと)はすみやかなり。

   善應(ぜんおう)なんぞ かって軽觸(けいしょく)あらん。

   事(じ)を述べ 機に投じて洞山を見たるも、

   跛鱉(はべつ)盲亀(もうき)の空谷(くうや)に入りしなり。

   花 簇々(ぞくぞく)錦(にしき)簇々。

   南地には竹、北地には木。

   よって思う。長慶(ちょうけい)と陸太夫(りくだゆう)

   道うことを解せば笑うべし。哭(こく)すべからず。

   咦(い・・笑うこと)

 附記】無門関第18則「洞山三斤」同義の公案あり。

長慶大安(百丈懐海の弟子。陸亘と同年の知人/㊟長慶慧稜ではない)

陸亘太夫(南泉普願の弟子)

洞山守初(910~990)雲門文偃の高弟。

 

雲門は、同じ問いに乾屎橛(カンシケツ・・糞かきヘラ)と答えている。臨済義玄臨済録)無位の眞人とは・・との問いに「何の、乾屎橛ぞ」と言い捨てている。

麻三斤・・麻糸約1・5㎏・・麻について回る(コダワル)と、永久に理解できない話です。

 

佛=禅のこと・・(buddha仏陀ブッダの略)賢者、覚者、智者の意。インドでは釈迦出世以前から、普通名詞として使用されていた。大乗(欣求)仏教的に釈迦を「佛」と表現した誤りは、現代の寺僧の生業、観光禅の元にもなっている。釈尊や仏教(宗教)と混同、誤解する人多くいて、これは「禅」と表現するのが一番シックリとする。

碧巌の歩記(あるき)NO13 

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO13

 碧巌録 第十三則 巴陵銀椀盛雪(はりょう ぎんわんにゆきをもる)

                   巴陵銀椀裏雪(はりょう ぎんなんりのゆき)

【垂示】求道者に圓悟が垂示した。

宇宙の実相が、あまねく世界に満ち満ちていること・・これを詩的に表現すれば、低く雲と山河が区別なく一体となって見えたり、川べりに繁茂した葦の花に、降り続く雪が一面に覆いつくして、花か雪か判別できないようなものだ。

また宇宙を冷厳なものとみたら、絶対零度(マイナス273度)まで冷やしつくす無常であるし、大小の細部を見ると、原子・電子・量子・・エネルギーにいたっても、まだまだ、宇宙解明に到らぬ謎だらけだ。この深遠、神秘な宇宙は仏陀であれ、悪魔であれ、人智を集めた科学であれ、これを測ることが出来ない。

一を聞いて十を知る達道の禅者なら、マア、どうにかこうにか、造作を忘れて、凌(しの)いでいる・・としておく。

けれども、論理、哲理を振りかざす口先達者な輩を、ウンともスンとも云わせないヒトコト・・言える者がいるか・・どうか。

ここに、「洞山麻三斤」と並び称される難透(公案)巴陵の「禅者の一語」をあげるから、看よ。

       【垂示】垂示に云く、

           雲は大野のあつまって徧界(へんかい)にかくれず、

           雪は蘆花をおおうて朕迹(ちんせき)を分かち難し。

           冷處は冷ややかにして氷雪のごとく、

           細處は細やかにして米末のごとし。 

           深々(しんしん)たる處は佛眼(ぶつげん)も窺(うかが)いがたく

           密々たる處は魔外(まげ)も測ることなし。

           挙一明三(こいつみょうさん)は即ちしばらくたる。

           天下の舌頭を坐断せんには、作麼生(そもさん)か道(い)わん。

           しばらく道え、これなんびとの分上(ぶんじょう)の事(じ)ぞ。

           試みに挙す看よ。

【本則】求道者が巴陵に問う。

   「提婆宗(禅)とは何でしょうか」

    巴陵云く

   「銀椀裏(ぎんわん)に雪を盛る」

             【本則】挙す。

                 僧、巴陵に問う。

                 「如何なるか 是れ提婆宗(だいばしゅう)」

                 巴陵云く「銀椀裏(ぎんなんり)に雪を盛る」

 【頌】老いた新開寺の巴陵顥鑒は雲門文偃の弟子だが別格の見識がある禅者だった。彼は「禅」を「シロガネの器に白雪を盛る」と頗(すこぶ)る詩的に答えた。これが納得できないのなら、山辺にかかる月に問え。

ああ、提婆宗(禅)十五代 迦那提婆尊者よ。

教宗・外道の多くいた時代に、よく龍樹の法を得て広められましたネ・・相対の問答のコトゴトクを説破して、凱旋の赤旗を立て、清風を興したと伝えられますが、今一度、理屈ばかりの輩を、キレイさっぱり掃除してもらえないでしょうか

     【頌】老新開(ろうしんかい)は 端的(たんてき)別なり。

        いうことを解(げ)したり。銀椀裏に雪を盛ると。

        九十六箇 まさに自知すべし。

        知らざれば かえって天辺の月に問え。

        提婆宗提婆宗、赤旙(しゃくばん)のもとに清風を起(おこ)せよ。

【附記】岳州(湖南省)・・風光明媚な洞庭湖の東岸、巴陵(はりょう)の新開院の禅者、顥鑒(こうかん)生死年月不明。雲門文偃の弟子兄弟に洞山守初(とうざんしゅしょ910~990)がいる。

彼は美しい韻文で詩的に禅境(地)を表現した。

巴陵の三句 その⑴「銀椀裏に雪を盛る」当則

      その⑵「珊瑚は枝々に月を撐着(とうじゃく)せり」碧巌録第百則 巴陵吹毛釼参照。

      その⑶「鶏 寒むうして樹に上り、鴨 寒うして水に下る」

      又は「如何なるか是れ道」・・巴陵「明眼の人 井に落ちる」

提婆宗・・禅の第15祖迦那提婆(かなだいば)は片目の禅者だ。龍樹(⒕祖)の弟子にあたり三論哲学、空宗の祖師。昔、インドで排佛の外道(哲学者)と問答して勝利し門外に赤旗を立てて凱歌したと史実にある(提婆達多(だいばだった)とは別人)

新開院の老禅者(巴陵顥鑒)は・・諸法皆空、一切の否定を、詩的な「空即是色」に表現して見せた。

九十六箇・・釈尊出世の頃の九十六人の外道(哲学者)のこと。

◆佛=禅なり・・(buddha仏陀ブッダの略)

賢者、覚者、智者の意。インドでは釈迦出世以前から、普通名詞として使用されています。

大乗(欣求)仏教的に釈迦を「佛」と云った求道者は、釈尊や仏教(宗教)と混同、誤解しています。これは素直に「禅」と表現しておきます。

◆信じる・・とは「人の言葉」と書きます。

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO⒕

この14則・15則は「拈評三百則」上巻第95則と「五燈會元」第15巻雲門山文偃禅師の章でも連続の問答になっており、この碧巌の歩記では、2則を1則とみて紹介します。

碧巌録 第十四則 雲門對一説(うんもん たいいっせつ)

                                                                雲門一代時教(いちだいじきょう)

【垂示】ありません。

【本則】雲門文偃に求道者が問うた。

釈尊が一代に説かれた教えは数々あります。

しかし真理はひとつのはずでしょう?」

雲門「對機一説」(問者に応じての・・応病与薬だから、どれもこれも適切ならざるものはない)

                                                         【本則】挙す。僧 雲門に問う。

                                                             「如何なるか これ一代時教」

                                                             雲門云く「對一説」

【頌】雲門老師の一語は、どの問答でも、ヒトコトで求道者を金縛りにする杭と縄で出来ている。

對一説は「對機一説」と同義・・釈尊臨機応変に対応されたことに、ガンジガラメで身動きできない求道者の様子を現わしている。

この広大な宇宙の片隅の、チッポケな地球の片隅で、大口をたたいた求道者は、臍(ホゾ)を噛んだにちがいない。

それを木陰で笑って看ている者がいる。用心せよ。

韶陽(雲門文偃)老人は、まだまだクイをイッパイ持っているぞ。

                【頌】對一説は はなはだ孤絶。

                          無孔(むこう)の鉄鎚(てつつい)もて重く楔(せつ)を下したり。

                          閻浮(えんぶ)樹下(じゅげ)にて笑い呵々(かか)。

                          昨夜 驪龍(りりゅう)は角を拗(よ)じて折(はば)む。別々。

                          韶陽(しょうよう)老人は一撅(いっけつ)を得たり。

 

【附記】雲門文偃(うんもん ぶんえん852?~949 雲門宗開祖。雪峰義存の弟子。碧巌録第6則、雲門日々好日の公案が有名である。

韶陽老人とは、雲門が広東省の韶陽に住庵している由来による。

頌で、雪賓重顯は「揳(せつ)と撅(けつ)」クイを同意語としている。

釈尊の生涯(一代)は、説法を五時(華厳/阿含/方等/般若/法華・涅槃時)の時代別に小区分したもの。八教(蔵・通・別・円の化法四教と頓・漸・秘密・不定の化儀の四教)を法理分類して言ったものである。天台智者大師の創唱にかかる。この五時八教を一代時教と言う・・と井上秀天著(碧巌録講話)に記述されている。こうした解説は、仏教学者にまかせて、出版の折には、省略、割愛する予定。

いずれにせよ禅者は、独り、不言実行の(禅ニヨル)生活が大事です。

 

◆このことだけは・・何も言えねェ!

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO15

  碧巌録 第十五則 雲門倒一説(うんもん とういっせつ)

【垂示】第十四則に続く・・圓悟の垂示である。

すぐれた禅者は、求道者の問いに、瞬時に総てを奪い去り(把住・殺人刀)・・あるいは総てを与える(放行・活人刀)自在な禅機がある。

さあて今、どれがナンデ、何がコレなのか看よ。

        【垂示】垂示に云く、殺人刀と活人刀とは

            乃(すなわ)ち上古の風規にして

            これ今時の樞要(しゅよう)なり。

            しばらく道(い)え、如今(にょこん)

            那箇(なこ)か これ殺人刀、活人刀なるぞ

            試みに挙す看よ。

【本則】求道者が雲門に問う。

釈尊の説法・・一代時教が「応病与薬」であることは承知しました。

それじゃ・・釈尊は、迷える大衆がいない(TPOの)場合、どうなさったのでありましょうか」

雲門は「何も説かない・・」と答えた。

   【本則】挙す。僧 雲門に問う、「これ目前の機にもあらず。

       また目前の事にもあらざる時、如何(いかん)」

       門云く「倒一説」

【頌】雲門、今度は「對一説」の片割れ「倒一説」と答えた。

どうも この求道者が、お気に入りのご様子だ。

昔 釈尊は、沢山の信者を集めて説法されたけれど、その中で唯のヒトリだけ、拈華に微笑した迦葉に「禅」正法眼蔵・涅槃妙心を附嘱(ふしょく・預け托さ)れたこと。迦葉から達磨まで二十八代。中国二祖の慧可から六祖の恵能まで・・計三十三代。どうにか息を繋いできたが、もともと禅は、ゴリヤクなしの水辺に写るお月様なのである。

        【頌】倒一説は分一説なり。

           同死同生きみが為に訣(けっ)す。

           八萬四千は鳳毛(ほうもう)にあらず。

           三十三人は虎穴に入り。別々。

           擾々忽々(じょうじょうそうそう)たり水裏(すいり)の月

【附記】倒一説・・一説を逆にする/何も説かないとか、何も道(い)えないとかの意。

鳳毛・・釈尊の弟子、八万四千人、すべて禅を託される俊才の者ではない。ただ、わずか三十三人だけが、虎穴に入った禅者と呼ぶにふさわしい、素敵な者達である・・の意。

禅者・雲門の一語「對一説」「倒一説」こそ・・「役立たずの独り坐禅」の公案だと思います。

 

禅者の一語NO16・・啐啄(そったく)の機・・

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO16

啐啄の機・・親鳥が卵のヒナと内外で同時に突つき合って誕生する・・大悟の瞬間の例え

    碧巌録 第十六則 鏡清啐啄機(きょうせい そったくのき)

【垂示】圓悟が座下の求道者に云った。

「禅ニヨル生活」を行う禅者は、独り、寂寥の大道を歩む。

これを誰が、どのように解釈、評価しようと、窺い知れない境地の自由闊達な働きがあるのが禅者である。

毎日ピチピチした若鮎の如き生活態度で、事に当たって自在に啐啄(そったく)の機(タイミング)を操り、楽しみ、行い、しかもチャント捉えたり放したり、TPOに応じた行動をとるのである。

ただし、独りよがりに、こうした無作為、無功徳なことを良しとするのではない。薫風自南来・・清々しい風流が禅者にはある。

*この話に登場する鏡清道怤(きょうせいどうふ868~937)は、雲門文偃、長慶慧稜、保福従展と同期の、雪峰義存の弟子にあたる。

(禅語録・・景徳伝燈録に鏡清道怤の高論(禅境)は人の窺がい知れないことだと書かれている)

会い逢うて会わず・・見ても看ず、聞いても聴かず・・ここに効能書きをクダクダしく仕掛ける求道者の問答があるので、よく看るがよい。

   【垂示】垂示に云く、道に横徑(おうけい)なく、立つ者は孤危(こき)なり。

       法は見聞にあらず、言思も迥絶(けいぜつ)す。

       もし、よく荊棘林(けいきょくりん)を透過(とうか)し、

       佛祖の縛(ばく)を解開(げかい)して、

       この隠密(おんみつ)の田地を得(う)れば、

       諸天 花を挿さぐるに道なく

       外道 潜(ひそか)に窺(うか)がうに門なし。

       終日 行じても未だかって行せず。

       終日説(と)いても未だかって説かず。

       すなわち自由自在をもって 啐啄(そったく)の機を展(の)べ、

       活殺(かっさつ)の釼(けん)をもちうべし。

       直饒(たとえ)恁麼(いんも)なるも、

       さらに須(すべか)らく権化門中(ごんげもんちゅう)

       一手は擡(もた)げ、一手は榒(おさ)えて、

       なお些子(しゃし)にあたることあるを知るべし。

       もし是れ本分事上ならば、

       すべからく得たり、没交渉もっこうしょう)。

       作麼生(そもさん)が是れ本分の事なるか。

       試みに挙す看よ。

【本則】求道者が鏡清老師に云った。

「私は、今・・大悟の機を迎えて、まさに卵の殻を破らんとするヒナであります。どうぞ・・ご老師が親鳥ヨロシク、くちばしで外からコンコン、つついてくだされば、すぐに中から飛び出せます」

鏡清「ホンマかいナ・・死にもしないで、生まれてこれるかなぁ・・」

求道者「もし私が生まれそこなったら、ご老師が師家としての能力なしとみなされて、笑いものになりますよ」

鏡清「アァ・・やっぱし孵化し損なったナ」

    【本則】挙す。僧 鏡清(きょうせい)に問う。

       「学人啐(そっ)す、師の啄(たく)を請(こ)う」

        清云く「また活をうるや、また無しとて」

        ・・(生死 見定めがたしの意)

        僧云く「もし活っせざれば 人の怪笑(けそう)にあわん」

        ・・(ご老師が世の笑い者になるの意)

        清云く「また是れ艸裏(そうり)の漢」・・愚ろか者め・・の意

【頌】鏡清道怤は、卓越した禅者だ。卵の外側から「死なずに生きて出て来れるか・・」と叩いてやっているのに、ヤッパシ内側から出て来ないヤクザ者だ。コンナ口先だけの奴は、いっそのこと 棒でブッ叩いてやるに限る。

(現代は・・孵卵器(ふらんき)で人工的にヒナを養成しているが、ソンナ輩たちに「禅」を語ってもらいたくないね)

   【頌】古佛には家風あり。

      對揚(たいよう)して 貶剥(へんばく)せらる。

      母、あい知らず。是れ、誰か啐啄を同じくせんや。

 

      啄・覚なお殻にあり。重く撲(うた)れたらんには・・。

      天下の衲僧(のうそう)は、いたずらに名邈(めいばく)するなり。

      *邈→摸が正しい・・小知小見で、大義を見る様子。

       衆盲、象をなでる様子。

【附記】この話、禅機・禅境の公案ではありません。

雪賓の頌に、啐啄を問われた瞬間、ガツンと棒で一打して眼から火花を飛び散らせたら面白かったろうに・・とあります。

◆独り おのれに問いかけよ・・

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO17

菩提達磨「祖師西来意」・・何故、独り中国に来たのか? 己れに問いかけてみよう

    碧巌録 第十七則 香林 坐久成労(きょうりん ざきゅうじょうろう)

【垂示】圓悟が周囲に坐す求道者に垂示した。

達道の禅者は、曲げも伸ばしもできない鉄棒のような禅の「問い」に対し、スッパリと二つに断ち切るような手腕がなければならない。

イザ・・戦いに当り、号令をかける将軍が掛け声ばかりで、敵の矢玉を逃げ隠れするようなら、どうして戦争に勝てるものか。

一言半句、議論のスキを与えぬ透徹の禅者のことは、さておいて、大津波が押し寄せるようなド迫力の返事が返ってきたら、どうするか。看るがよい。

    【垂示】垂示に云く 

        釘を斬り 鉄を截(た)ち はじめて本分の宗師(そうし)となるべし。

        箭(せん・や)をさけ 刀にかくれて いずくんぞ よく通方の作者とならん。

        針箚(しんさつ)不入のところは、すなわち しばらく置く。

        白浪滔天(はくろう とうてん)の時、いかん。

        試みに挙す 看よ。

【本則】ある日、求道者が香林寺の澄遠老師に問いかけた。

「禅の始祖、菩提達磨はインドから、ワザワザ支那までやってきて、九年間も少林寺の洞穴で面壁坐禅をしたそうですが、その間、説教ひとつする訳でなし、イッタイ何しにやって来たのでしょうか」

香林「坐り過ぎで足が痺れてしまったノサ」

    【本則】挙す。僧、香林(きょうりん)に問う。

        「如何なるか 是れ 祖師西来(そしせいらい)の意」

        林云く「坐久成労(ざきゅうじょうろう)」

【頌】達磨さんが禅を持ち込んだお蔭で、アライザライの寺僧たちが、まるで馬の轡(くつわ)を嵌められ、荷を背負わされたように・・右往左往の有り様だ。

話に聞く、男勝りで石臼の大尻をした劉(りゅう)オバァサンが、解かったような問答を仕掛けて、子胡利蹤にどやされた様に・・一発、叩かれたらビックリして眼が覚めよう。

何時も禅者の答えに振り回されている寺僧の演義・・救い難いです。

独り坐禅で、納得の答えを発見してください。

   【頌】一箇両箇(りょうこ)千萬箇。

      籠頭(ろうとう)を脱却して角駄(かくだ)をおろす。

      左転右転(さてんうてん)後(しりえ)にしたがい来れば

      紫胡(しこ・子湖利蹤 しこりしょうの意)は

      劉鐵磨(りゅうてつま)を打つを要したり。

【附記】坐久成労・・長く坐っていた時・・「アア疲れた。足が痺れたワイ」などの日常用語。祖師西来の意は「達磨が中国に来て、お経ヒトツ翻訳もせず、説教ヒトツしないでヒタスラ九年間、面壁坐禅をしていたのは、どんな理由があったのか・・禅とは何ですか」・・との究極の問い。香林は首と胴体二つに切って捨てた

あっけにとられた求道者・・二の句が継げない有り様。

まず・・独り己(おのれ)に問いかけること。

正解は百点満点か・・零点のいずれか。

ホドホドの60点などありません。

他人の答えは、口から出まかせ・・嘘ばかりです。

   前回(18則で)坐久成労の言葉を【附記】冒頭に使いました。

   今回は、その表題「香林の坐久成労」が公案です。

  (この碧巌録意訳は、都合によりラストの百則から、逆に紹介しています)

香林澄遠(きょうりん ちょうおん908~987四川省出身)巴陵顥鑒・洞山守初とともに、雲門文偃(雲門宗初祖)に参禅した弟子。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO18「カサ・・と鳴る 落ち葉と風のフラダンス」 

 【禅者の一語】  

               碧巌録 第十八則 国師無縫塔(ちゅうこくし むほうとう

【垂示】ありません。

【本則】唐、玄宗皇帝のあと、粛宗・代宗の二皇帝に乞われて下山された・・忠国師南陽慧忠680頃?~775 六祖恵能門下)。河南省南陽の白崖山に40数年 隠棲していたのですが、皇帝に請われて、長安の都 千福寺に住まいした禅者です。

かねてから年老い、療養している慧忠国師を、ある日ある時・・見舞われた代宗皇帝・・

(問答はココから始まります)

「病気見舞いに来て、訊ねるのもなんだが、万が一、亡くなるようなことがあったら、師の何を記念としたらよいのだろう」と仰せられた。

国師「望むことは別にありません。土饅頭(土墓)で充分です」

代宗皇帝は慧忠国師の真(心)意が解らなかったものとみえ・・

「それでは土墓の形状はどんなものか・・図案でもあるか」と問われた。慧忠は しばらく黙して・・「おわかりかな」というと、帝は「(ナンノコトヤラ)解らない」と答えられたので・・やおら重たい口調で「後日(禅を怤託した)弟子、耽源山(たんげんさん)の應真(おうしん)におたずねください。彼なら「ドマンジュウ」の設計図を、よく承知しておりますので・・」と申し上げた。

やがて忠国師が遷化された後、帝は耽源に詔(みことのり)して、その「沈黙・・土饅頭」の意を問われた。

應真は「湘江(しょうこう)の水は南に流れ、潭江(たんこう)の水は北に流れております」・・川の流れや自然の景観そのものが 師の面影ソノママであります・・と素直に答えた。

これに編集者・雪賓(せっちょう)マムシのように喰らいついた。

(雪賓著語云 じゃくごしていわく)

壮大な自然を「禅境」に例えて観光案内するのは、子供に隻手音声(セキシュオンジョウ・白隠公案)の解を求めるようなものだ。

両手で叩いた音しか解らぬ者に解るように説明してやれよ。

應真「この大宇宙は、無縫塔(ドマンジュウ)そのものですが、それは目いっぱい黄金で満たされております」

(雪賓著語云)コリャ・・天まで届く大木で創る拄杖だね。誰でも使えるシロモノじゃない。 

應真「この荘厳な世界にいる私達は、影のない樹(絶対)で覆われた川を下る乗り合い船のようなものです。影がないため見えない人が大半ですが」

(雪賓著語云)海は波おだやか、川は清く、凡聖同乗(うたかたに生きて逝く人々)の賑やかな乗合い船だ。

應真「琉璃殿上(王宮に鎮座まします帝王様)には、慧忠国師に共鳴した千の風が見え難いことでしょう」

(雪賓著語云)さもありなん。白川夜船の川下り(眠れぬ帝王、ただ独り、波をかぶって、ずぶ濡れのご愛嬌)・・ナカナカに うまく幕引き出来ましたネ。 

 【本則】挙す。粛宗(しゅくそう)皇帝、忠国師に問う。

    「百年の後、もとむる所は何ものなりや」

     国師曰く「老僧がために一箇の無縫塔(むほうとう)を作れ」

     帝曰く「師に塔様を請う」

  国師 良久(りょうきゅう)して云く「會(え)すや」

  帝曰く「不會(ふえ)」

  国師云く「吾に付法の弟子 耽源(たんげん)なるものあり。

       却(かえ)ってこのことをそらんず。

       請う 詔(みことのり)して これに問え」

  国師 遷化(せんげ)の後、帝、耽源に詔して この意 如何と問う。

       源云く「湘(しょう)の南、潭(たん)の北・・」

       (雪賓 著語(じゃくご)して云く、独掌(どくしょう)みだりに鳴らず)

       「中に黄金あって一国に充(み)てり・・」

       (雪賓 著語して云く、山形(さんぎょう)の拄杖子(しゅじょうす)

       「無影(むよう)樹下(じゅげ)の合同船・・」

       (雪賓 著語して云く、海晏河清(かいあんかせい

       「瑠璃殿上(るりでんじょう)に知識なし」

       (雪賓 著語して云く、拈(ねん)じ了(おわ)れり)

【頌】ただの土饅頭は、土がコンモリ盛り上がっているだけで、誰も墓であることを気づかない。

澄み切った淵には、龍と言えど棲めない。

南陽慧忠は ひどく欲のない禅者だった。

まるで月影が波紋ごと、だんだんと重なり広がるように・・満天波濤の松風を子守唄にして、どうやら背中をあやされて眠りについた・・。

   【頌】無縫塔 見ること また かたし。

      澄潭(ちょうたん)には、蒼龍(そうりゅう)のわだかまることを許さず。

      層落々(そうらくらく)。影團々(かげだんだん)。

      千古萬古(せんこまんこ)人とともに看ん。

【附記】この則は・・昨年 師走に取り組んで、年越しの今になりました。難解な公案であるというわけではないし、無縫塔の垂示がないこと(これは無い方がよい公案です)や頌の意訳に迷った訳でもありません。

では、いったい何に戸惑ったというのか・・唐の玄宗皇帝(楊貴妃)、粛宗・代宗の三皇帝の独裁者としての振る舞い。堕落した為政者の要請に、どうして40年も隠遁した達道の禅者が、ワザワザ・ノコノコ都に出戻りする意図がわかりませんでした。

「ジッと無言の後・・お墓など要らない」そんなことは一悟の禅者なら当然です。

世は・・玄宗皇帝が楊貴妃をめとって浮かれている社会です。(安禄山の反乱755年、白楽天長恨歌に歌われる如く)いずれもの皇帝が、優れた禅者を師として師事参禅に努めた人物とは、とうてい思えない独裁の帝王です。

民をないがしろにした酒池肉林の放蕩ザンマイ・・ドコカノ国の将軍様のような・・ソンナ皇帝に、よくもまあ取り入って、国師の称号を得る・・利権にすり寄る「禅者」を語録に採用したこと・・もっと他に掲載してもよい問答は山ほどあるのに、圓悟克勤や雪賓重顯は何を思ったのか・・見識を疑いました。また(雪賓が)耽源の詩に、イチイチ著語するのも珍しいことです。

時の権力者や為政者に媚びへつらうことは、1200年後の現代でも、一向に変わらない利権社会です・・ということは当時も今も、為政者に忖度する高級官僚(や格式のある寺僧)がいかに多いか・・を証明することでもあります。

年始の売上げや観光客の拝観料で、のうのうと高級自動車を乗り回して料亭に出入りする有名神社仏閣の寺僧たち・・京都のタクシー運転手なら、その拝観料が1日何百万円もある・・そうだ・・と税務署以上に収入を把握しているありさまです。

こうした官・民もろともの腐敗した社会・・それをその昔・・慧忠は、自分の死(示寂)をもって、純金の大墓を望まず土墓を所望した・・行為となったに違いないと思います。碧巌録を編集した雪賓は、この則を採用するのを機に、純禅への思いを込めて・・天下に「無功徳(無価値)の達磨禅」を標榜・宣伝したのであろう・・と思い至って この則の幕を引きます。

この則は、まったく忠国師ともども坐久成労(ざきゅうじょうろう・・あゝシンド!足腰がしびれたワイ・・それは・・それは・・の公案です。

無縫塔・・土饅頭の墓の意。この則(別題 国師塔様)は、垂示のない二十二則中の一つ。

独掌不浪鳴(どくしょう ミダリニ鳴らず・・と読む)今から千年前の、現代に通じる禅者の一語。雪賓重顯(せっちょう じゅうけん980-1052)禅・雲門宗中興の人。

隻手音声(せきしゅ おんじょう)・・白隠慧鶴(はくいん えかく1686~1769)公案の一語。江戸期 臨済禅 中興の祖。

白河夜船・・歌舞伎十八番 外郎売(ういろううり)2代目市川団十郎の早口の一節。江戸から上方、京見物の帰り・・白川は見たかいと問われて、船中、夜だったので寝てしまって見ていない・・と答えた遊び惚けた男のバレ噺・・白川は比叡山から流れる、くるぶし程度の浅い清流。夢中にソンナ白川夜船の波濤を浴びた皇帝に例えました・・「花 イランカイナア・・」花売りの白川女で有名。

       *2020-1-16/1-26【附記】その他・・改稿しました。

 

犀(さい)の角(つの)のように ただ独り歩め・・

 はてなブログ・・禅者の一語(碧巌録意訳)/禅のパスポート(素玄居士提唱「無門関」復刻意訳/禪・羅漢と真珠(禅の心、禅の話)・・この奉魯愚(ぶろぐ)は、2020年1月5日までの間、一休さんの「門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」にあやかって、菜根譚(さいこんたん)花看噺できり出します。

              花看半開(花は五分咲きを看るべし)菜根譚 洪王明(自誠)

花看半開    花は半開、清楚を看るべし・・

酒飲微酔。  酒はホロリと酔うほどにすべし・・。

此中大佳趣 此の中にこそバランスのとれた風流がある。

若至爛漫モウトウ もしも酒乱泥酔の輩と一緒の花吹雪なら、

便成悪境矣。 花と酒 ともどもに最悪・・お断りだ。

履盈満者 宜思之 えいまんの(みちたりた)者は、

                                   今が看脚下だぞ

              モウトウ・・酉に毛。酉に匋と書く・・酒に憑りつく、アル中の意。

昨年は・・はてなブログ計23160回の閲覧(アクセス)と☆86をいただきました(2020年1月1日現在)

☆を沢山いただきながら、私がPCの使い方が未熟なため、お礼やご返事もままならない点、お許しください。また、禅や坐禅のご質問には、ナニブン、禪は宇宙の中で役に立たない価値なき出来事ゆえに、貴方ご自身で見性(自覚)されること・・のみが解決法です。

ご参考に、碧巌録や、終戦前、真っ当な無門関を提唱された素玄居士の復刻・・各則の見解(けんげ)頌(禅機・禅境)など、禅者の風流な生活(行為)を紹介している次第です。

ご覧になった禅語から【!・・?】と感じられた一語を 孤独な独りイス坐禅で思い返し考え返してください。

(これを拈弄/ネンローと言います)

禅の公案(問答)は、いずれも異次元から答えられたように矛盾に満ちており、論理的心理的哲学的科学的な正解はありません。

これが正解だと言えば言うだけ、書けば書くだけ間違いや誤解が増えるだけなのです。

釈尊ですら・・生後7日に生母を失い、ヤソーダラー(妻)との間に、結婚13年目に生まれた男児に「ラーフラ」(サンスクリット語で 障(さわ)り。悪魔の意、漢字で羅睺羅(らごら)と名付け、子捨て(家出)しました・・その後、独り山に入って、6年に渉る苦行の後、菩提樹下、明星の輝きを見て悟りにいたる・・ソンナ苦悩、行脚の生活が背景にあります。

当時(2500年前)の平均寿命は30才前後。縁なくば、死んでも不思議ではない年齢でした。

後に羅睺羅は、仏弟子となったと伝えられています。

その因縁、由来はつまびらかではありません。

(山折哲夫著「ブッダはなぜ子をすてたか」集英社新書

更に1500年前、仏教伝来の最後を飾って、はるばるインドから中国に渡航して禪をつたえた菩提達磨(ぼだいだるま)・・にせよ、その後、禅語録に登場する中国の禅者たちは、現実的な今を尊重する中国の風土に育まれて・・

釈尊「犀(さい)の角(つの)のように。ただ独り歩め」

中村 元訳 ブッダのことば スッタニバータ・・と道(い)われた「禅ニヨル生活」を歩んできたのです。

「禅」は独り一人にチャントあります。宗教ではアリマセン。

寺僧や教本、教導に頼ることなく、独りでチョットの時間でも無価値で役立たずの「坐禅」をなさってください。

 

◆肥後の守 鉛筆けずりの手がそれて、アイタタ・タタと口は云うなり!

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO19  

肥後守(ひごのかみ)鉛筆削りの手が逸(そ)れて「アイタタ・・タタ!」と口は云うなり。

素玄居士曰く・・無門関の提唱をする以上、この一語は正札の一頌だぞ!(はてなブログ 禅のパスポート 第3則復刻意訳 参照)肥後守・・昔、鉛筆けずりの小刀のことをヒゴノカミといった。

     碧巌録 第十九則 俱胝只堅一指(ぐてい ただいっしをたつ)

【垂示】圓悟の垂示である。現代の量子論風にいえば、一量子の中に宇宙の原理があり、一花開けば世界が動く。ただし、一塵いまだ上がらず、一花いまだ開かざる場合は、どこに着眼すれば透徹できるのか。もし一束の絹糸の巻き締糸を断ち切れば、一斬一切斬。染めれば一染一切染となる。とは言え、悩みや苦しみをスッパリ断ち切って、無一物即無尽蔵の禅境(地)を現成する者がいるかどうか・・。

どうにもならぬ輩は、この公案を看取せよ。

    【垂示】垂示に云く、一塵(じん)をあぐれば大地おさまり

        一花ひらけば世界起る。

        ただ塵(ちり)いまだ挙(あ)がらず、花いまだ開かざる時の如きは

        いかんが着眼せん。

        ゆえに道(い)う、

        もし一綟絲(いちれいし)を斬れば、一斬一切斬(いつさいざん)。

        もし一綟絲を染(そ)むれば、一染(いちぜん)一切染と。

        ただ如今(にょこん)すなわち葛藤(かっとう)をもって裁断(さいだん)し、

        自己の家珍(かちん)を運出すれば 高低あまねく応じ、

        前後たがうことなく おのおの現成せん。

        もし或いは、いまだ 然らずんば 下文を看取せよ。

【本則】馬祖道一、大梅法常の法系、杭州天龍の「一指頭」の禅は、唐、武宗皇帝の仏教迫害(845年頃)福建省俱胝寺に預託された。

俱胝(伝記不詳)は、生涯、誰が問答を仕掛けようが、ただ指を一本立てるだけで押し通した禅者である。どんな因果、葛藤を持ち込まれようと、その一切をスパリと裁断する「一指頭」・・

一生使い続けても、使いつくせぬと遺偈している。

   【本則】挙す。

       俱胝和尚、およそ問(わ)るることあらば、ただ一指を竪(た)つ。

 【頌】雪賓重顯は語る。

求道者への「一指頭」は、さすが俱胝ならではだ。まるで大海の盲亀(腹に一つ眼のある亀)と、節穴のある浮板のたとえ話のようだ。

(昔、腹部に一つ眼をもった亀がいた。上(空)を見ようとスレバ、逆さまにならないと見えない亀だった。ある時、波間に節穴のある浮木を見つけて、それにしがみついて逆さまになったら、お腹の一つ眼が板の節穴にピッタリ当てはまり、青空を見ることが出来たと云う。・・千歳一隅の機縁のこと)

俱胝さんの一指は、盲亀に対するチョウド節し穴の開いた浮き板のよう・・。

求道者(盲亀)相手に俱胝さんの苦労が続くわい。

    【頌】対楊(たいよう)深く愛す老俱胝。

       宇宙 空(くう)じ来たるに、さらに誰かあらん。

       かって滄溟(そうめい)に向かって、浮木(ふぼく)をくだしたるに、

       夜濤(やとう)相(あい)ともに盲亀(もうき)は接したり。

附記】俱胝さんには、自分の教導の真似をした弟子(小僧)の指を斬って見性させたという逸話が残っている。

ただし私は、この逸話を肯定しません。

唐の武宗皇帝が4万に及ぶ寺院を焼壊し、僧尼26万人を還俗せしめたという仏教大迫害のご時世に、わざわざ指を斬り落とさねば、小僧ひとりの出来具合(禅機・禅境)を見届けられない、情けないテイタラクの俱胝なら、天龍一指頭の禅など、とっくの昔に廃(すた)れている・・と看ます。

道端から、鴨が飛び立って、師の馬祖(道一)から「何処へ行った」と問われ「イチイチ行く先を告げて飛び去る鳥がおりましょうか」と反論した修行中の百丈(慧海)・・思い切り鼻先をひねられて省悟した逸話が、碧巌録53則「百丈野鴨子」(ひゃくじょう やおうす)にある。

自分の真似をする小僧相手に、ワザワザ包丁を隠し持っていて指先をチョン斬るとは・・ナントまあ・・師家にあるまじき無能な行いでしょう。正伝では、キット小僧の立てた指をひねりあげて悲鳴一声、省悟ありが正答だと思います。

この他、「南泉斬猫」とか「達磨安心」=(慧可断臂)とか・・

中国特有の白髪三千丈といった誇大な表現があるにしても、切った張ったのヤクザ話じゃあるまいし、殺伐とした公案の刃傷沙汰は無かったものとしておきます。

過去、こうした故事来歴を、さすが南泉とか、達磨ならでは・・と提唱してきた師家がたの勇猛な無神経ぶりに失望しています。

この件は各則の解説附記でお話しすることにします。

◆如何なるか 禅? 石頭「石コロ」

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO20  

◆求道者 問う「如何なるか是れ禅」

・・石頭云く「碌磚(ろくせん・石コロ、瓦)」

      碧巌録 第二十則 翠黴禪板(すいび ぜんぱん) 

                   龍牙再来無意(りゅうが さいらい いなし)

【垂示】圓悟が、座下の求道者に語る前置き話。

「禅ニヨル生活」は、釈尊坐禅から、中国へ渡海した達磨に、そして、日本の一休さん良寛さんにだけ伝燈された訳ではない。何も人間に限らず、河原に転がっているタクワン石や風にそよぐ稲穂の1本にも・・いや、全宇宙の満ち満ちた有り様に露堂々(隠さず)に独露身(ありのまま)を見せているのだ。

このことに気づかない求道者は、アチコチ行脚して、先達の師を求め、語録を読み漁りして、迷いに迷うことになる。

(最近、欧米人がZENを求めて、日本に来ることが多くなったが、純禅は名所旧跡の寺僧の元から、とっくの昔、消え失せてしまった。今は鈴木大拙(禅者・佛教学者)の英訳の著作を読むか・・千年前の無門関や碧巌録など禅語録を師として・・)

問答に生けるが如く、活手腕の禅者たちの振る舞いを挙げるから、試みに看るがよい。

    【垂示】垂示に云く、

     堆山積嶽(たいざんせきがく)撞墻磕壁(とうしょかいへき)なるに

     佇思停機(ちょしていき)するは、一場の苦屈(くくつ)なり。

     あるいは この漢あり。出で来って大海を掀翻(きんぽん)し、

     須弥を踢倒(てきとう)し、白雲を喝破(かっぱ)し、虚空を打破し、

     直下(じきげ)に一機一境に向かって、天下の人の舌頭を坐断せば、

     汝が近傍(きんぼう)する處ならん。

     しばらく道え、従上来(じゅうじょうらい)

     これ什麼人(なんびと)か曾って恁麼(いんも)になせしぞ。

     試みに挙す看よ。

【本則】若い竜牙居遁(りゅうげ いとん)は行脚に出た。

最初、翠黴無学(すいび むがく)に問いかけた。

「如何なるか 祖師西来の意」(達磨さんがインドから中国に来た目的は?・・ZENとは何か?の意味)

その時、翠黴は坐禅していたが、龍牙の問いに答えたのか、別のことか・・「チョット、そこの禅板(疲れた時の脇息)を取ってくれんか」と頼んだ。龍牙が取って渡すと、いきなりピシャッと頬を打った。

龍牙「私を打つのは構いませんが、要するに祖師西来の意は無いのです」と言い放って立ち去る龍牙を翠黴は無言で見送った。

續いて彼は、臨済を尋ねて再び、問う。

「祖師西来の意 如何」

臨済の一喝は、三日間は耳が聞こえなかったと云われる大喝だが、この時は、ミミズ(土竜)を見た虎の如く、彼の問いを意にも介さず「そこにある円座(坐禅用)を取ってくれんか」と云った。

龍牙が円座を取って渡すやいなや、臨済は、間髪を入れず、ピシりと彼の頬を打った。

龍牙「打つなら打つに任せます。ただ祖師西来意は無いのです」

    【本則】挙す。龍牙(りゅうげ)翠黴(すいび)に問う。

       「如何なるか 是れ祖師 西来(せいらい)の意」

        微云く「我がために禅板(ぜんぱん)をすごし来れ」  

        牙、禅板を過(すご)して翠黴に與(あた)う。

        微 接得(せっとく)して すなわち打つ。

        牙云く「打つことは即ち打つに任すも、要するに且(か)つ祖師西来の意はなし」

        牙また臨済に問う「如何なるか是れ祖師西来の意」

        済云く「我がために蒲団(ふとん)をすごし来れ」

        牙 蒲団をとり臨済に過與(かよ)す。

        済 接得して便(すなわち)打つ。

        牙云く「打つことは即ち打つに任すも、

        要するに且つ、祖師西来の意はなし」

【頌】龍牙山の龍には牙も爪もないようだ。せっかく翠黴が禅板を要求し、また臨済が座布団を求めて・・「坐久成労(ざきゅうじょうろう)」の禅・禅ニヨル生活(行い)そのものを実行しているのに、これを奪い取らず、馬鹿正直に、そっくりソノママ渡ししてしまった。そのお礼が頬への一打である。

エエイ!龍牙のボンボンぶりが口惜しいから、もうヒトコト添えてやろう。ワシ(雪賓重顯)なら禅板だろうが、円座だろうが、寄こせと言われたら、決して渡してなるものか。有難く(会難く)もらって帰るだけだ。

これは六祖(大鑑)慧能・・たしか あ奴は、焚き木拾いの米つき道者。禅者らしく振舞いたくて、それらしい道具立てを欲しがっていたようだからな。

「ダールマさんがコーロンだ!」・・

「だるまさんがころんだ」

「あゝ夕焼け空が真っ赤っか・・ミンナミンナ帰えろカナー」

  【頌】龍牙山裏(りゅうげさんり)の龍には眼(まなこ)なし。

     死水何ぞ曾って古風を振るわん。禅板 蒲団用(も)ちうること能わず。 

     ただ まさに分付(ぶんぷ)して盧公(ろこう)に與たうべし。

     (この老漢、また未だ勦絶(そうぜつ)することを得ず。また一頌をなす)

     盧公に付し了(おわ)るも また何ぞよらん。

     坐椅(ざい)して まさに祖燈(そとう)を継がんとすることを休したるなり。

     暮雲(ぼうん)の帰って未だ合せざるに対するに堪えたり。

     遠山には限りなき碧層層(みどり そうそう)

【附記】登場人物・・

翠黴無学(詳細不明・六祖慧能から五代目。唐 玄宗皇帝〈739~〉の頃 生まれ、憲宗皇帝(819~)の頃、亡くなった丹霞天然の弟子。

臨済義玄(?~867)臨済宗開祖。6祖に継ぐ6代目。

龍牙居遁(835~923)6祖から7代目。これは彼の20才頃の北方地方、行脚放浪の時の話。達磨西来の意図は無い・・との覚真にコダワリ続ける一途さをどう滅却させられるか・・後、南方の師、洞山良价(806~869)に「如何なるか 是 祖師西来意」と問うて、洞山「洞水の逆流せんを待って即ち汝に向かって道(い)わむ」。龍牙はこの一語によって忽然と省悟した。以降8年随侍。嗣法した。

 

青原門下 湖南の石頭希遷(699~790)本分の事をもって終始し、禅機作略をもちうることがなかった。当時の南嶽門下 江西の馬祖道一(709~788)の言葉に「石頭の路 滑らかなり」とある。この二門より後の曹洞・臨済二宗が展開する。禅の伝授、先達の禅定精進を論じない石頭の、求道者の舌頭を坐断する問答がある。

求道者問う「如何なるか是 解脱」・・石頭「誰か汝を縛(ばく)する」

求道者問う「如何なるか是 浄土」・・石頭「誰か汝を垢(けが)す」

求道者問う「如何なるか是 涅槃(ねはん)」・・石頭「誰か生死をもって汝に與(あた)うる」

 

坐久成労・・碧巌録17則「香林坐久成労」に詳しく記述済。祖師西来の理由は・・ダルマさん、暑い天竺から逃げ出して、涼しい嵩山(少林寺)で足腰しびれが切れるほど坐禅したくて、やって来た訳サ・・の意。

 

 

◆カラシ蓮根は実にうまいよ!それに熱燗!

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO21

◆12月9日 補足追記 

12月1日から8日までの1週間は、釈尊が悟りを開かれた日として、これを1日間とみなし、臨済僧堂では「雲水の命取り」といわれる、ぶっ続け坐禅と師家独参の修行「蠟八大接心」がある。

釈尊が6年苦行の後、菩提樹下で端坐、夜明けの明星を看て、正覚を成じた由来を機しての接心会だが、食事と用便を除いて坐禅三昧。眠るのは午前3時までの、僅か3時間の坐睡のみ。雲水が、これほど激しく公案と向き合い自分と戦う姿は、まず修行中、無いといえよう。されば、本日の鶏鳴を迎え、熱い梅干し茶をいただく心持ちは、年老いても忘れ難いと云う。

禅は宗教の元という意味で禅宗といいます。宗派のことではありません。例え僧堂で何十人の雲水が、悪戦苦闘して正覚を求めても、坐禅、独参しての結果、得られるものではありません。

坐禅釈尊、達磨、先達の禅者のとおり、たった独りで行うことが大事です。

無理なく自然体で(現代人は)イス坐禅たったの3分間ぐらいの・・悟りなどの功徳や見返りを求めることなく・・役立たずの坐禅を、おりおりに繰り返すだけです。

時に、この・・はてなブログ 禅者の一語(碧巌録・意訳)や、禅のパスポート(無門関・素玄居士提唱、復刻意訳)、あるいは 羅漢と真珠(禅の心、禅の話)から、ご自分の禅境(地)を確かめられる道標になさって、あせらず、たゆまず、独り坐禅を・・のんびり・・お続けになってください。

ただ、注意は、決して、仲間づくりはなさらないこと。

独りポッチ、寂寥の坐禅であることです。

座禅と書かず「坐禅」と書いてください。

 碧巌録 第二十一則 智門 蓮華荷葉(ちもん れんげかよう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

昔は、門前に旗や幟(のぼり)をたて鐘や太鼓を叩いて、人集めして仰々しく説法をしたというが、今時は流行らない。

肩の荷をおろして、ヤレヤレ大往生もわるくないけれど、ソリャ独善修行だ。

ここに挙げる智門の公案を、素直にわかる者なら、一を聞いて三を識る位の駆出し禅者といえよう。

だが、達者な人とはとうてい言えぬ。古人の逸話に耳を傾けよ。

  【垂示】垂示に云く、法幢(ほうとう)を建て宗旨を立(りっ)するは

   (これ)錦上に花をしくなり。

   籠頭(ろうとう)を脱し、角駄(かくだ)を卸(おろ)すは

   (これ)太平の時節なり。

   あるいは もし格外の句を辨得(べんとく)せば

   挙一明三(こいつみょうさん)ならん。

   それ或いは未だ然(しか)らざれば、

   舊(ふる)きによって、伏して処分を聴け。

【本則】蓮の葉と花の話である。

求道者が智門に尋ねた。

「蓮の花が、まだ水上に花を咲かせていない時ナントいいますか」

智門「蓮の花」

求道者「では水上に出て、見事な花を咲かせた時は・・?」

智門「葉っぱとでも呼んでおけ」 

     【本則】挙す。僧 智門に問う。

      「蓮華(れんげ)いまだ水より出でざる時は如何(いかん)」

       智門云く「蓮華」

       僧云く「水より出(い)し後(のち)は如何」

       門云く「荷葉(かよう)」

【頌】ハスの花が、水中にあれば何と呼ぶか・・伝灯録に、この種の問答が沢山、記録されている。

難しくいえば「宇宙の本質と現象」「無明と佛性」について、智門(禅者)に問われた幕間芝居だが、食えたシロモノではない。

千年前も、現代も、こうした求道者ぶった狐疑の連中がウロツイテいたようだ。

蓮根を泥池の中から掘り出して、辛子蓮根に仕立ててから問うて来たまえ。

   【頌】蓮華と荷葉を君に報じて知らしむ。水を出でればいかん。

      (水を出)でざる時は、江北,江南、王老に問え。

      一狐うたがい了(おわ)って 一狐疑(うたが)う。

附記】籠頭(ろうとう)を脱し、角駄(かくだ)を卸(おろ)す・・馬の口嵌(草を食べさせない道具)を外し、馬の背に分けて載せる四角の荷駄を下ろすこと。

智門光祚(ちもん こうそ 960頃~1030年代)雪賓重顯(980~1052百則頌古)の師。

 

 

◆コブラに噛まれた【毒消し】は要らんかねぇ・・

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO22  

 碧巌録 第二十二則 雪峰鼈鼻蛇(せつぽう べつびじゃ)

【垂示】例によって圓悟の前おき話・・

宇宙の「宇」は無限(∞)の空間を表わし、「宙」は無限(∞)の時間を表わす。だから、宇宙の境界は無いのだが、それは理論・哲学から言うことで、夜空の星々の輝きを見ると、人が不思議に生かされてあるのを感ぜずにはおれない。

あえて言えば、人は宇宙の為に存在している訳でもないし、人の為に宇宙がある訳でもない。だから、文字通り個個・此処(ココ)に唯我独尊(遺伝子はみな違う)金石麗生(純金も路傍の石コロもそれぞれに麗しく生じている)を自覚して「禅による生活」を行いたいものであるが・・

サテサテ・・このような禅境(地)にいたる禅者は、イッタイ何処の誰であろうか。南山の毒蛇(コブラ)話を看るがよい。

  【垂示】垂示に云く、大方は外(ほか)なく、細きこと隣虚(りんこ)のごとし。

      擒縦(きんじゅう)は他にあらず、巻舒(かんじょ)は我にあり。

      かならず粘(ねん)をとき、縛(ばく)をさらん去らんと欲せば、

      直にすべからく迹(あと)をけずり、聲をのみ、

      人々要津(ようじん)を坐断して、

      箇々 壁立(へきりゅう)千仞(せんじん)なるべし。

      しばらく道え、これ什麼人(なんびと)の境涯ぞ。

      試みに挙す看よ。

【本則】雪峰義存が求道者に言った。

「この(雪峰)山に恐ろしくも珍しい毒蛇が現れた。お前たち行って看てきなさい」

弟子の長慶「実は、そのコブラ話で皆、戦々恐々です」と答えた。

別の求道者が玄沙に「どうです・・あなたもコブラ見物に行かれては・・」と話をもちかけると、玄沙は「剛毅(ごうき)な長慶さんなら、危険きわまりない冒険をしましょうが、私はご免です」

求道者「どうしてですか」玄沙「毒蛇の毒気に当てられて死にたくはありません」と答えた。

師が、さらに求道者達にケシカケタ時、傍らに控えていた雲門が太曲がりな杖を、ガラリと投げ出して「ホラ・・此処に毒蛇がいるぞ」とやってみせた。

  【本則】雪峰 示衆して云く「南山に一條の鼈鼻蛇あり、

   汝ら諸人 せつに すべからく好看(こうかん)すべし」

   長慶云く「今日 堂中には大に人の喪心失命(そうしんしつみょう)するあり」

   僧 玄沙に挙示す。

   沙云く「すべからく これ稜兄(りょうけい)にして はじめて得(う)べし。

   しかも かくの如くなりといえども、我は即ち不什麼(ふいんも)」

   僧云く「和尚 作麼生(そもさん)」

   玄沙云く「南山を用いて なにかせん」

   雲門 拄杖をもって 雪峰の面前に攙向(ざんこう)怕勢(はせい)をなしたり。

【頌】雪峰山は観光客の寄り付けない、とても高峻な山である。

それでも求道心の篤い参禅の輩は、コブラの一匹でも退治する気迫をもって山に登る。

 このコブラ出現の事件は、弟子の長慶にせよ、玄沙にせよ、怖気づいてしまって話にならない。

そこへゆくと雲門はどうであろう。

見上げた真の禅者といえよう。

雲門は、コブラが天竺(インド)でなら いざ知らず、いかに南方とはいえ中国に出現するのは、極めてまれな出来事と承知して・・「ホラ出た!」とばかりに、太く曲がった腕程の杖を、法宴の場に放擲(ほうてき・投げ出)して見せたのである。

いきなり「ガッッ」と牙をむきだしたコブラの出現・・その非凡な行動は、禅機ハツラツとしている。そして、誰も手だし出来なかったコブラは悠々と退散。姿をくらました。

後に、雪賓いわく「サア、このコブラ、イマ、この雪賓山に隠れているが、見たければ見せてやる。ただしヒトカミされたら、即、お陀仏だぞ・・ソレ危ないぞ!」とばかりに・・雪賓重顯は声高に云った・・看 脚下!

  【頌】象骨巌(ぞうこつがん・雪峰山の意)高くして人はいたらず。

   到るものは すべからく是れ蛇を弄する手なるべし。

   稜師も備師も いかんともせず。喪心失命 多少あり。

   韶陽(じょうよう)かさねて草を撥(はら)うも

   南北東西たずねるに處なきを知る。

   忽然(こつねん)として突出す拄杖頭。

   雪峰に抛対(ほうたい)して大(おおい)に口をはる。

   大に口をはる閃電(せんでん)に同じく、

   眉毛を剔起(てっき)すれば 又見えず。

   如今(にょこん)かくれて乳峰の前にあり。

   来たる者は、一々 方便を看よ。

    (師 高聲(こわだか)に喝して云く 看脚下)

 附記】この話は 雪峰(山)義存五十七才。弟子の玄沙師備四十五才。長慶慧稜二十五才。雲門文偃二十七才頃・・中国 唐代(878年頃)の、純禅に生きる「禅ニヨル生活」のひととき・・禅者たちが、暇を持て余し、互いの禅機・禅境を見合う遊びの一刻、寓話である・・ともいえよう。

当時、雪峰山には求道僧千五百人とあるが、禅機ハツラツとした者は、雲門ただ一人。禅を信仰欣求したり、分別、理屈で解読できると思い込んでいる学僧ばかりだった。

この猛毒コブラ・・蛇と云うのは例え話で、実態は、般若{空}のことである。

現代の寺僧や学人も同様に・・坐禅集中して、公案「隻手音声」を見性するといっても、このコブラ公案を透過するといっても、せいぜい師から両手でひっぱ叩かれたり、コブラのヒトカミで毒殺されてしまうだけの・・徹しがたい「空=無」の一字である。禅の正体を、たかだか数年の雲水・僧堂生活で、印可取得できると大誤解して思っているのである。でなければ、禅を卒業証書のように取得できるものと勘違いしているに相違ない。

あわてるな・・焦るな・・といいたい。

もっと肩の力を抜いて、独り3分ポッチの坐禅を、2~30年、寝起きの合間に続ければ・・独り一人に備わったZENが、自然に目覚めて自覚してくれるハズであるのに・・。

 この禅者の一語(碧巌録意訳)の他に、はてなブログ 禅のパスポート(無門関素玄居士提唱の復刻、意訳)を、参考に読まれて、コブラ(禅毒)の毒消しを身につけられるよう・・よく脚下照顧してください。