禅・坐禅は・・独りポッチの仲間なし・・寂寥の旅路ができる方のみ・・!

元服の書 NO23-4-3         2023(令和5)年4月3日

禅・坐禅について(瞑想=美容/健康のため以外の方・・真剣な求道の問いに)応える奉魯愚です
約2年前から奉魯愚(ブログ)を休みました。今日、再開いたします。                 
無価値・無功徳の3分間 独りイス坐禅 無事 続けられた方・・禅境・・いかがですか?一寸(チョット)休めば、元の黙阿弥。なんでもそうなります。
【あると思うな・・悟りと煩悩。無いと思うな運と災難】

私など、言い続けて30年=親離れ・・子離れ・・金離れ・・なかなか執着のきずなは切れません。

 

この奉魯愚は、純粋な禅 追究の方法として 独りイス坐禅を推奨しています。美容・健康とか、心の安定とか、お悟りを得たいとか・・寺僧・サークルや書物、お仲間の教導(ブログでのご利益)を求める人には、まったくお役にたてない内容です。

独りポッチ、イスに座って数息・15分(線香1本位)できるようになりましたとか。 寝禅/ベッドに入って、18呼吸(1呼吸10秒×18回=3分間)経たぬ間に、寝られるようになりました・・とか。

反対に、3分間どころか、30秒(3呼吸も)しないうちに、妄想が湧き出てきて、かえって寝られなくなった・・とか。意訳の「無門関」や「碧巌録」を見れば見るほど、訳が分からなくなってしまった。禅語録などいらない。禅を理解するには、寺僧の教導があればよい・・とか。思いや反論、山ほどある・・とか。中には、禅の解説本を読んで、すべての悩みは、解決した。悟ったとか。随分と誤解の上に誤解を重ねた人もおりましょう。でも、上記の効用効果のあった「肯定」であれ、無駄だと判定された「否定」であれ、すべて大間違いの「答え」です。                     

禅は、誰からも教えたり、教えられたり、AI=PCや本や文字で伝えられる理屈。分析の比較の出来事ではアリマセン。(教外別伝・不立文字)しかし、誰もが、実践、体得(自覚/見性)すれば、自分の中に存在する「イノチ」となります。

●以前、2万回ほどアクセスのあつた はてなブログ(奉魯愚)⇒【禅者の一語】は、碧巌録 意訳の出版用 第2稿 準備下書きです。10数年を費やして、まだ出版に至りません。                 

●同じく 奉魯愚⇒【禅のパスポート】無門関 絶版は、素玄居士(高北 四郎/著者の復刻版の)紹介です。禅者の見偈(解)が 磁石の北を指すように示されています。                             

●奉魯愚⇒【羅漢と真珠】は般若心経の意訳と禅心・禅話・雑記です。20年以上 雪上雪を積みかさねるように、第3稿(出版用原稿)まで、どうにか、あと少しでたどり着きます。生まれるも、生きるも、死するも「天地に、ただ独り、ただ一つの尊い遺伝子をモツ」と覚悟する、禅者を対象に、電波を利用しています。                             

何のことはない・・電子本や、紙本は、これから後に生まれる、「禅」と「役立たずの坐禅」に関心を持つ人たちのために 私にやれる・・私にしか出来ない・・余生の【作務】なのです。独りポッチの坐禅(一人接心)でなければ・・誰にも言わず、知られず、費用や手間(時間や労力)をかけず、日頃の【禅による】生活・・行いがある・・ことを・・誰もが それぞれに自覚してほしいと願う・・孤独に生きる作業です。

「禅・坐禅」は、釈尊(ゴーダマ・シッダルダ)以来・・21世紀、デジタル社会になるまで、宗教(寺僧)の揺籃、保護がなければ生き延びることはできなかったことです。しかしAI・PCの科学文明は、相対性理論のもと、禅を孤立化させ、機能・効用を無力無心にして、アナログ世界に埋没してきました。禅を瞑想として、美容、健康法に仕立てあげて、価値を限定しようとしています。しかし、禅は、般若心経にいう「空」「無」に立脚している絶対の教えです。これからのデジタル社会のサバイバルに、何としても伝えたいそれぞれ一人一人の「人間宣言」です。

人として生まれた以上・・生死事大、無常迅速(禅)の想いや坐禅は、キリスト教や仏教の以前から(インドの欣求の修行や祈り=バラモン教として)誰彼の区別なく存在していましたし 今も 日本に「ZEN」を求める 外国の人が尋ねてきます。禅は・・人間の一人ひとりにあり、これを坐禅により、自覚(気付い)てほしいと願います。       

誰もが「禅」を持ちながら、それに気づかない証拠に、時間は、1日24時間、平等に存在しながら、幼児・老人・若者・母親・病人それぞれに、それぞれの生活環境で、1時間の長さが短かったり、長かったり、バラバラであることです。3分間独りポッチ、イス坐禅で体験できる時間(感覚)は・・ある方は、一瞬。ある方は15分位。ある方は、はかりようのない永遠・・。

どうぞ、初めてのご縁の方は、以前の奉魯愚・・古いと言わず、ご覧ください。中学や高校生を対象に書きましたが、禅の内容が新鮮であることに変わりはアリマセン。

                         有(会)難とうございました。

はてなブログ 禅者の一語・・禅 必携「碧巌録」意訳・編纂/出版準備中

はてなブログ 禅のパスポート・・禅機禅境「無門関」素玄居士復刻/出版準備中

はてなブログ 羅漢と真珠・・独り3分間イス坐禅/禅心/附記・編纂 作文中