碧巌の歩記(あるき)NO98

まことに「シャク」にさわる話です!

禅者の一語は、限りなく「癪(シャク)」にさわる話です。    

でも、千年前の先達が、命がけで体得した「1語⇔1悟」です。

意訳を試みて解かったのは、「禅」は宗教(欣求)ではない。   

そして、その自覚(体験)は誰にも教導できない・・自知するのみであること・・そして「禅による生活」であることです。

過年來「3分間ひとりイス禅」を推奨してきました。

それを「ポッチ禅」と名付けました。

ただ自分一人で行うこと。

だだし、これをやったからと言って、効果(ご利益りやく)を期待しないでください。

まったく役立たずの「独りポッチ禅」を覚悟ください。

坐禅の時間も、タッタノ三分間ポッチを一回とすること。

姿勢を正して、リラックスして、たがが三分・・されど三分・・独り・・役立たずの禅を・・無料体験してください。

坐禅=結跏趺坐とか、両手はどうするのか・・正座しようが、胡坐(あぐら)をかこうが、椅子に坐ろうが、寝たままだろうが、印を結ぼうが、膝の上に置こうが、こだわらず、ご自由にどうぞ。(熟睡の時、両手の位置などこだわっていますか?)

呼吸を数える(数息すうそく)に飽きたら、ここに意訳した、千年前の禅者の語録「碧巌録」他・・「はてなブログ 禅のパスポート=無門関」・・どの【本則】、どの【垂示】【頌】でも、読み散らした中で「?」と思った一つ・・その内容を「何故・・どうして?」と、くりかえし、ポッチ禅の公案(問題)として納得できるかどうか・・反芻(思い返)してください。どの話も求道者が命がけで追究した、限りなく矛盾あふれる実話です。

自分なりに、ハッと正解が閃くことも出てきましょうが、その内容は聞くまでもなく、すべて・もれなく、百%・「錯(しゃく)」=間違いです。

変な言い方ですが、禅の公案は、頭の中で「考えることを考えさせる」・・矛盾に満ちた方法なのです。どんなに工夫坐禅しても、正解が見つけられないからこそ、考えさせる・・究極の「頭脳の休息=放下」方法なのです。仏教用語では「煩悩を断ち切る金剛の宝剣」略して「禅」と云います。どうかして自分の利権になるものを得たい・・これを本能・煩悩と呼びます。その煩悩を断ち切る宝剣・・それは何の利害損得もない・役に立たない・禅を、深く行ずることなのです。         

千年前の達道の禅者は、独りポッチ、役立たずの生活・坐禅の中で自覚しました。

宗教にいたる以前に釈尊であれ、達磨であれ、この則 天平従漪(てんぴょうじゅうい)であれ、自分が自分で、独り見性大覚しました。さてホントに・・シャクな話はここからです。 

碧巌録 天平行脚 

(てんぴょうあんぎゃ/天平の両錯りょうしゃく) 第九十八則

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

禅寺で一夏(いちげ)、九十日間の法会(修行)が大事とばかり、全国、アチコチの僧堂で師家達が、語録を基に悟り体験を吹聴して、坊さんの素をこねくり回して寺の跡継ぎを作っている。

人生、老病死苦の悩み・・一切を金剛の宝剣で斬りつけて見れば、寺僧のやっていることは、実は嘘も方便・・赤信号、皆で渡れば怖くない・・方式のことだと理解できるだろう。

サテサテ、一切の閑葛藤(かんかっとう・悩みの藤づる)を裁断する金剛の宝剣とは何か。

眼を見開いて、その切れ味を見せてもらいたいものだ。

 *垂示に云く、一夏、澇々(ろうろう)として葛藤(かっとう)を打(だ)し、

  ほとんど五瑚(ごこ)の僧を絆倒(ばんとう)す。

  金剛(こんごう)の宝剣もて當頭(とうとう)に截(き)らば、

  始めて覚(さと)らん従来の百(もも)不能(ふのう)なりしことを。

  且らく道え、作麼生(そもさん)か是れ金剛の宝剣なるぞ。

  眉毛を眨上(そうじょう)して、試みに請(こ)う、鋒鋩(ほうぼう)をあらわせよ。看ん。

【本則】相州天平山(てんぴょうざん)の従漪(じゅうい)和尚が、まだ雲水の頃、河南省汝州(じょしゅう)の西院思明(さいいんしみょう)の所にやってきた。尋ねて来たものの、彼は、日頃、思明和尚の提唱ぶりが不満とみえ「大きな看板を立てて、師家ぶるのはやめなさい。禅の何たるかも知らないで・・」と、思明和尚に聞こえよがしに文句をいっていた。

ある日、思明和尚これを聞きつけて「おい、従漪」と呼んだ。

従漪和尚、ビックリして彼の方を見ると、思明和尚は「錯(しゃく)」(うぬぼれるな、その考えは間違いだぞ)と叱った。

考えることを考える・・

「間違い話⇔シャク」にさわる問答の開幕である。

従漪和尚が自分の部屋に、二,三歩行きかけると、思明和尚は、再び呼び止めて「錯」といった。

従漪和尚、何か言いかけようとして思明和尚に近づくと、思明和尚が言うのに「さっきからお前さんに二度ばかり『錯』といったが、元来、わしが錯であるのか、お前さんが錯であるのか」と問うた。

従漪「私の錯です。私が悪(わる)うございました」

思明「錯」(誰も禅の神髄を理解していない。お前さんは悪くない)と答えた。

これを聞いた従漪は、ひとまず安心した。

思明「この一夏(いちげ)、寺に居て、わしが錯か、お前さんが錯か、話をしようではないか・・」

しかし従漪和尚は何故か、その誘いが気に入らず、寺を出てしまった。

それから、随分あとのこと・・

従漪は、のちに天平山の大禅師となった。

ある時その天平従漪が、座下の求道者にいった。

「わしが青年時代、行脚のおりだったが、何の因果か思明和尚に、二度も「錯」を浴びせかけられた上、一夏安居(あんご修行)せよ。お互いの錯問題を話したいから・・と言われた。

けれど、わしは、思明和尚の、ただ今の言葉は『錯』です・・とは言わなかった。

私が北方支那を去り、南方支那の禅を識ると、大変に相違していて、北方禅の理屈はテンで通用しなかった。

それで、わしは、思明和尚の寺を去る時「錯」の捨て台詞(ぜりふ)は云わなかったが、あの寺を去った事実そのものが、実は思明和尚に向って「錯」と云ったのと同じであることがわかった」と語った。

 *擧す、天平和尚 行脚(あんぎゃ)の時、西院に参じたり。

  常に云く、「道(い)うことなかれ仏法を得(え)すと。

  この挙話(こわ)の人を覓(もと)むるに、またなからん」

  一日 西院、遙かに見て召して云く「従漪(じゅうい)」

  平頭(ぴょう あたま)を挙(あ)ぐ。西院云く「錯(しゃく)」

  平、行くこと両三歩。西院また云く「錯」。平、近前す。

  西院云く「適来(てきらい)のこの両鐯(りょうしゃく)、

  これ西院が錯か、これ上座(じょうざ)が錯か」

  平云く「従漪が錯なり」平、休(きゅう)しさる。

  西院云く「且(しば)らく這裏(しゃり)にあって夏(げ)を過ごせ。

  上座とともに、この両鐯を商量(しょうりょう)せんことを待たん」

  平、當(その)時(かみ)便(すなわ)ち行く。

  後に住院(じゅういん)して衆に謂(い)って云く

「我 當初(そのかみ)、行脚の時、業風(ごうふう)に吹かれて思明長老の處に到(いた)りし(時)両鐯を連下(れんげ)せられ、更に我を留(とど)めて夏(げ)を過ごして、我と共に商量せんこと待たしむ。我、恁麼(いんも)の時には錯とは道(い)わざりしも、われ発足(ほっそく)して南方に向って去りし時、はやく錯と言いおわりたるを知れり」 

【頌】西院の思明和尚は、修行中の従漪を相手に、ひと夏、お互い議論しょうと持ちかけた。これは拙劣な模倣禅だった。

そんな軽薄な文句商量(しょうりょう・かけひき)で問答しても禅は自分の宝とはならない。

おかしくも哀れな北方の禅者もどきである。

あの従漪の老いぼれも、西院に参じたのは間違いだった。

南方禅を知って(北方禅を去ったことは)賢明なことだったと、若い時の自慢話をしているが、そんな認知力ではとても駄目だ。(錯々=シャクシャク・・天平和尚、間違いだらけでモノになっていないよ)

西院がもてあました天平を、わし(雪竇)は、両錯(りょうしゃく)で吹き飛ばしてしまったぞ。

(また座下の者に云く)わしの申し分に「錯」と水を差す奴がいたら、わしの「錯」と天平の「錯」を見比べて見よ。

錯は錯でも大違いだ。どうだ・・解かるかナ?

  *禅家流(ぜんけりゅう)にして軽薄(けいはく)を愛す。

   満肚参(まんとさん)じ来(き)たって用(もち)うることをえず。

   悲しむに堪(た)えたり、笑うに堪えたり、天平老(てんぴょうろう)。

   却(かえ)って謂う當初(そのかみ) 悔(くゆ)らくは行脚せしことを、と。

   錯、錯。西院の清風、頓(とん)に銷鑠(しょうしゃく)す。

  (また云く)忽(たちま)ちこの衲僧(のうそう)あって出でて錯と云わんに、

   雪竇(せっちょう)の錯は天平の錯といずれぞや。