◆それならば、一度、生きながら葬式してみませんか・・(元服の書NO55)

◆悩み苦しみは「断捨離」できません。

誰の教導を得ても解決できません。

独り寂寥の天地に坐す「禅」のみが「安心」を覚悟させてくれます。それならば・・

一度、生きながらに、死んでみませんか!

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて書いています

私は親鸞さんを信じていますので、死ぬ時には・・禅者の一語ならぬ「南無阿弥陀仏」で、100%そっくり委ねる覚悟でおります。悩みごと(煩悩無尽)は、途絶えることなく、次々に襲いかかってくるものです。

そうであるなら・・一度、生きながらに「死んでみませんか・・生前葬」で自己を見直すことをお奨めします!

私は、煩悩の「断捨離」は、人として無理なことだ・・と思います。

禅では「煩悩即菩提」簡潔に例えて云えば「悩みは悟り」の意・・紙の表裏の関係です。

白隠さんの言葉だったか、今・・調べなおす面倒を省きますが「どうせ死ぬなら今 死にゃれ(禅によって生きながら死になさい)。一度死んだら二度死なぬ」の至言を読んだことがあります。

人生の一大事「生死」への不安や、嫉妬や恨みに絡む事柄の総てや、部屋の後かたずけですら、そう簡単に断ずることも捨てることも離れることもできません。

禅に、大悟一遍・省(小)悟その数を知らず・・でしたか、一度、見性解脱したからと言っても、縁(エニシ)業(ゴウ)によって妄想(執着想い)は次々と発生してきます。

達道の禅者は、まるで雲の如く湧いてくる想いや悩みを放任して、なおかつ「平常心」を失ないません。

その例をあげます。佛教に四弘誓願という寺僧の誓いがあります。修行・勤行唱題の前にとなえる誓願です。宗派によって、多少の文言が違い四弘誓願になったり五弘誓願だったりします。

ここで取り上げるのは、禅(宗)としての4つうち「衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願上」2番目の「煩悩は尽きることなく、断ずることを願い誓います」の口上です。

佛(正覚を得た禅者たち、または釈尊)の教えは、いずれにしても【煩悩は断ち切れるものではなく、雲の如く湧き出てくるが、取りあうことなく放任すれば、いずことなく消失してしまう・・煩悩は、そのままにして菩提(正覚、悟り)なのである】と般若心経にあります。

さて・・悩み尽きない・・断捨離できない貴方に提案します。

いっそ生きている内に一度死んで、蘇(よみがえ)って、新しい人生を歩まれたらどうでしょう。これを「生前葬」とか「逆葬」といいます。

第2次世界大戦の頃、召集の事前に、寺僧に計って本当に経帷子で棺桶に入り、読経や焼香などして、お位牌まで作って、本当の葬儀と何ら変わらぬ式順序で「生前葬」をなさって出兵された方がおられました。

戦争でいつ死ぬかもわからない・・遺髪や爪のヒトカケラも家に戻れないことを覚悟した「逆葬」のことです。

幸いにも戦火の中を無事、生き延びて帰還された方は、きっと仏壇の自分のお位牌!?に(ロウソク・線香を点すとき)生かされてある自分の不思議に感謝したことでしょう。

ですが・・今回のアナタの生前葬は・・基本・・寺僧・読経抜きの、アナタ主催の真剣な企画、制作、実行による・・葬儀社(会場)協賛のIVENT企画です。

これをいくらでしてもらえるか・・どうか・・葬儀社に計って見積りをとり、自分の大好きな服装で、家族や真の友人に弔辞を読んでもらい・・生身で目を閉じて・・棺桶に入られたら・・どうでしょうか。

略式なら段ボール製棺桶にして、家族葬位の費用以下(10万円位まで)で出来るでしょう。読経は必要ならテープで流せば十分。友の弔辞をよく聞いて、お別れの花を棺桶に入れてもらって・・静かに「生きてあるオカゲサマ」に想いを致してください。

坊さんのお経、お布施は基本、不要とします。企画も・・会場(場所)も、段取りも、全部、死者となる貴方の・・思うままの仕切りの生前葬です(出来る限り清楚で、誠実な生前葬の集いであってください)

香典は、あとで出席者の茶話会用に利用して、ご当人は(亡霊として)出席すればよいでしょう。

後日・後年、本当に逝去されたら、もう葬式はしない、要らない覚悟で遺言書を準備しておくことです。その時はお通夜して火葬場に直行。お骨は海なり山なり、風と共に去りぬです。もちろんお墓があるなら、そこに入るのもご自由です。

生前葬をなされた・・それからのアナタの生活態度は・・煩悩無尽誓願葬。

さぞかし清々しい毎日になることでしょう!

*もし四国八十八か所、お遍路さんに参画なされた方は、巡礼の服装で、同行二人の杖を持たれて納棺されたら良いでしょう。この方が先に実行されるべきかも・・と思います。手持ちの資金やコースなど、迷惑が掛からぬよう よく検討してやってください。もちろん歩き・・野宿覚悟の西国、巡礼の旅・・行脚です。

【附記】生前葬(逆葬)のイベントは、今後、寺僧や葬儀社のサバイバル営業企画として普及すると考えられます。

ただし、これからの人生・・独りポッチで「生まれ、幸せをつかむべく努力し生きて、独りポッチで死んで往く」・・アナタが断捨離をやれない悩みの分・・それならば、と発案・提案したことです。

寺僧・葬儀社のセットもの、ユニット企画に利益(ゴリヤクを)乗じられないよう、アレコレ、シッカリ考えて費用も出来るだけ安く、真に泣いてくれる人だけで生前葬を行ってください。

このイベントは、宗教やNPOや組織・団体には一切関係なく、アナタ(独り一人)による企画実施である旨、心してください。

この雑記は「元服の書」というサブタイトルをつけています。中学から高校生を対象(ご父兄など、私から見れば、孫とひ孫にあたる方がたを対象)に、奉魯愚しています。

元服」とは、江戸時代の成人式です。当時の平均寿命は40才~長くて50才未満。元服は大人の仲間入りの儀式です。武士や商人の子は、親せきや町方の人々が大人の仲間入りの証人として、切腹の模擬儀式をして祝いました。そして、このことは同時に動物の親子の別れ(親元を離れる)を意味していました。

男は奉公や仕事見習いに出、女性は15才前後で結婚、子育てをした時代です(女性は20才で大年増・・オバサンの意)

当時は、すべての人が貧しくて、抗生物質がなく、チョットのケガや病気でバタバタ死にました。それだけに生きることの大事さと難しさを両天秤にして「あると思うな・・親と金。ないと思うな・・運と災難」と生き抜いていました。

現代の電磁的社会と200年位しか遡らない昔ですが、アナタ方たち・・よくぞ次々に出生して代が繋がりました。

現代・・コロナウイルスの世界的な蔓延で大変ですが、何事も、昔の日本人にできて、今の日本人にデキナイことは無いと思いたいのですが・・どうでしょうか。

提案の生前葬は、独り寂寥の天地に立って、合掌瞑目して納棺なさってください。どうせやるなら父母兄弟を招待して実行してもらいたいと願っています。

余談ですが・・私の父、加納白鷗・大魯居士(禅境書画作家)は、2007年1月3日92才で亡くなりました。仏教学者(禅者)鈴木大拙に師事して白鷗号を・・また臨済宗国泰寺派管長の江南軒 勝平大喜(かつひら たいき1887~1944)老師に参禅、大魯の居士号をもち、戦地に赴く前、位牌を作って生前葬を行っております。

なんの因果か・・逝去の1月当日は私の65才誕生日でした。私の名・・泰次は、大喜老師から、国泰寺にチナンデ名付けてもらいました。また、父が滋賀、比叡山麓で拾った紀州犬と柴犬の雑種「梵子・ボンコ」が早朝、哀しく啼いて殉死しました。父のベッドの下で、丸く微笑を浮かべたように寝入った姿でした。奇特なこともあるかな・・と思います。有(会)難とうございました。

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