年明け 最初の奉魯愚です・・碧巌の歩きNO4

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO4

     碧巌録 第四則 徳山到潙山(とくさん いさんにいたる)

              徳山挟複問答(とくさん きょうそくもんどう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

禅ニヨル生活には、大きく把住・放行の二つの道がある。

把住・・至道は青天白日、天地・東西南北なく、平等一如の空ソノモノ。

あるいは、放行・・TPOに応じて、臨機応変、応病与薬の活作用。衆生済度の行を為すのを由(よし)とするか・・この話(事例)を看よ。

 【垂示】垂示に云く                          

  青天白日には さらに東を指し、西を劃(かく)すべからず       

  時節因縁には、また すべからく病に応じて薬を興(あと)うべし。      

  しばらく道(い)え、放行するが好(よ)きか。         

  把定(はじょう)するが好きか。試みに挙す看よ。

【本則】サア、ここに徳山宣鑑(とくさんせんかん780~865 禅機の人 30才頃)と、大潙山に禅居する霊裕(いさんれいゆう771~853 面壁達磨の如き人 40才頃)の、まるで大虎が潙山の大岩に攀じ登って吠えたような・・話がある。

かねて周金剛(経の解説)で名をはせた蜀(四川省)の徳山は、南方に直指人心(じきしにんしん)不立文字(ふりゅうもじ)という「禅」が盛んと聞いて、禅魔(子・ぜんます)を懲らしめてやろうと、遠く行脚して潙山を尋ねた。

長旅で背負う風呂敷包みを小脇にかかえ、まだ新しい禅院の廊下を東から西へ、西から東へ「何にもない。何事もないぞ」と嘯(うそぶ)いて見回った。

【これに雪賓(重顯)が・・取り調べは終わったぞ・・と横やりの一語】

徳山、そのまま門まで引き返した。

が・・「イヤ・・アンナ慌てぶりでは、そそっかしい手落ちがある。もっと丁寧にすべきだった」と、再度、山に取って返した。そしてチャント挨拶の作法どうり、礼儀を整え、霊裕老師に相見した。老師は席に構えている。徳山は、坐具を手にしてヒトコト「和尚」と呼んだ。

霊裕老師は傍らの払子(ほっす・馬の毛で出来た蚊を払う道具)を取ろうとした瞬間、徳山は「カァーツ」雷喝一声・・して・・トットと後をも見ずに出て行った。

【これに雪賓、また、見抜いたぞ・・と着語した】

徳山は草履をはき旅姿にもどって山を去った。

その晩のこと。霊裕老師が首座に向かって「あの新参者は何処にいるのか」と問うと首座「あいつは草履をはいて出て行ってしまいました」と答えた。

すると霊裕老師「彼は実に乱暴者だ。将来、えらくなるにしても、孤峯山頂(高く深い山奥)で釈迦や達磨を罵(ののし)るような波乱の禅風を興(おこ)すであろう」と述べた。

【これに雪賓・・雪の上に霜を加える・・と、さらに着語した】

  【本則】挙す。徳山、潙山に到って、複子(ふくす)を挟(さしはさ)んで   

    法堂上(はっとうじょう)において東より西にすぎ、西より東にすぎ、   

    顧視(こし)して「無・無」といって すなわち出(い)ず。

【雪賓著語(せっちょう じゃくご)して云く 勘破(かんぱ)し了(おわれ)り】

    徳山 門首にかえって云く「また草草(そうそう)なることを得ず」と。  

    すなわち威儀(いぎ)を具(そな)え、再び入って相見(そうけん)す。

    潙山 坐るについで、徳山 坐具を提起して云く「和尚」・・       

    潙山 拂子(ほっす)をとらんと擬(ぎ)せしに           

    徳山 すなわち喝して拂袖(ほっしゅう)して出(い)でたり。      

 【雪賓、著語して云く 勘破 了】                    

    徳山 法堂を背卻(はいきゃく)して草鞋(そうあい)をつけ すなわち行く。

    潙山 晩に至って首座(しゅそ)に問う。             

     「適来(てきらい)の新到(しんとう)いずれの處にかある」      

    首座云く「當時(そのかみ)法堂を背卻して草鞋をつけて出で去れり」

    潙山云く「此の子 以後 孤峯頂上(こほう ちょうじょう)に向かって  

         草庵を盤結(はんけつ)して、

         佛を呵(か)し、祖を罵(ののし)りさることあらん。

  【雪賓 著語して云く 雪上に霜を加えたり】

【頌】一度 検査したうえに二度目の調査・・さらに雪に霜を加えて、よくぞ潙山の罠を脱して、命を長らえたぞ。危なかったナア。

昔、漢の飛騎将軍(李康)が、匈奴に捉えられ捕虜になって、危うく逃れられたが、まったく九死に一生を得た出来事だった。

こうしたことは、余程の覚悟がなければ切り抜けられるものではない。だが今や、すでに孤峯山頂に潜み隠れているから、探し出そうにも見つけるのは難しい。山から逃げおおせた大虎。これからメッタなことでは吠えないだろうテ。咄(吹き飛ばす意)

(吠える一喝の禅は気短な臨済に譲って・・徳山は黙って棒でぶん殴る禅に切り替えたそう・・ナ)

    【頌】ひとたび勘破(かんぱ)し 再び勘破したるは雪上に霜を加え、   

      かって顯堕(けんだ)したるなり。                 

      飛騎(ひき)将軍 虜庭(りょてい)に入るも

      再び完全を得る よく幾個なるぞ

      急に走過(そうか)して放過(ほうか)せず、            

      孤峯山頂 草裏(そうり)に坐せり。 咄(とっ)。

【附記】潙山霊祐は百条懐海の弟子。司馬頭陀(しばずだ)に見込まれて大潙山の禅院開創の任をはたした禅者です。穏健で行事綿密な禅ニヨル生活の実践者でした。私のイメージは、山奥 潙山の大岩に、太虎(徳山)がよじ登つて咆哮する姿です。

雪賓の着語・・いったい何を看破(見抜いた)のか・・?

また徳山は、この旅の途中、禮州路の茶店で点心(昼飯)を取ろうとして、茶店の婆さんに金剛経の一節(過去・現在・未来心 得るべからず)で トッチメラレて、近くの龍の潜む淵・・龍潭崇信(りゅうたんすうしん・禅の師)の暗闇説示・・突然、手燭(あかり)を吹き消され、真っ暗闇になって省悟。経文は薬の効能書きに過ぎない・・太陽直下のロウソクだ・・と、金剛経を焼却する話が無門関第二十八則にある。

昔の禅者は独り行脚で、求道していた様子が偲ばれる一則です。