◆踊る阿呆に・・見る阿呆!碧巌の歩記(あるき)NO12

【禅者の一語】碧巌の歩記

私は釣れなくとも釣りが大好きだ。誰か寄ってきて「釣れますか?」と聞く阿呆より・・自分は「釣れずとも釣りする阿呆」である!

      碧巌録 第十二則 洞山麻三斤(どうざん まさんぎん)

【垂示】禅者の行ないを、殺人刀とか活人剣とかいうのは昔からだが、求道者の(死生の)首根っこを押さえつけて自在に操(あやつ)る達道の師がいる。殺を論ずる時でも、まるで相手に殺気を悟られないし、また、活きる・・禅行そのもので、止めを刺されていることを気づかせない腕前である。

だから禅者の・・ギリギリの一語は、釈迦・達磨と云えども不傳である。昔(中国の故事に)井戸に写った月を本物と見誤って、飛び込んで溺れた猿がいたそうだ。求道者や教導の輩は、よくよく注意するがよい。すでに「不伝」と云っているではないか。

それなのに、どうして膨大な禅語録や公案、理屈がついて回るのか。祭り見物は・・阿呆のスルコト・・それならば「観る」より踊れだ。

サア・・具眼の者ナラバ・・この本則を看るがよい。

      【垂示】垂示に云く、

          殺人刀、活人剣は、すなわち上古(じょうこ)の風規にして

          また今時の枢要(すうよう)なり。

          もし殺を論ずるも また一毫も傷つけず、

          もし活を論ずるも また喪心失命せん。

          ゆえに道う 向上の一路は 千聖も不傳なりと。

          学者の形を労することは 猿の影を捉(とら)うるがごとし。

          しばらく道え、

          すでに是れ不伝なるに なんとしてか 

          かって許多(そこばく)の葛藤、公案かある。

          具眼の者に 試みに説く 看よ。

【本則】求道者が洞山に尋ねた。

「禅(佛)」とは、どのようなものでしょうか。

洞山、手許の麻布を見ながら「是は重さ三斤だネ」

             【本則】挙す。僧 洞山に問う

                「いかなるか これ佛(禅)」

                 山云く「麻三斤」

【頌】太陽と月は、日々 働く人と共にある。

洞山の返事は、どうして どうしてナカナカのもんだ。

求道者は麻布を手にした洞山に「禅とは何ですか」と語りかけた。まるで泥中のスッポンか・・泳げない陸亀が、浮かぶ瀬のない所を、あてどなく流離(さすら)うばかりの問いかけである。

銅山は不立文字の處を、端的に答えたが・・求道者は立ちすくんで声も出ない。

花いっぱい・・山は錦イッパイ・・南の温かい地方には竹林が・・北方には木々の林が碧なす天に連なっているではないか。

これについて、言語を絶して行いで禅境を示した者で思い出すのは・・かって・・南泉(普願)の示寂(834年)に際し、弟子の陸亘太夫(りくこうだゆう)が棺桶の前で大笑いしたことである。葬儀の場で、大笑いしたことを非難された陸太夫は、今度は「悲しや」と涙して慟哭。周囲の者をあきれさせた。のちにこのことを聞いた百丈の弟子・・長慶大安が「よくわかるぞ。死というなら笑うべし。哭(な)くべからず」と評したという。

これほど率直、単的に「麻三斤」だと計量されたら、地獄の閻魔様でも舌は抜けない。大笑いの天地イッパイだ。

【頌】金烏(きんう)は急にして 玉兎(ぎょくと)はすみやかなり。

   善應(ぜんおう)なんぞ かって軽觸(けいしょく)あらん。

   事(じ)を述べ 機に投じて洞山を見たるも、

   跛鱉(はべつ)盲亀(もうき)の空谷(くうや)に入りしなり。

   花 簇々(ぞくぞく)錦(にしき)簇々。

   南地には竹、北地には木。

   よって思う。長慶(ちょうけい)と陸太夫(りくだゆう)

   道うことを解せば笑うべし。哭(こく)すべからず。

   咦(い・・笑うこと)

 附記】無門関第18則「洞山三斤」同義の公案あり。

長慶大安(百丈懐海の弟子。陸亘と同年の知人/㊟長慶慧稜ではない)

陸亘太夫(南泉普願の弟子)

洞山守初(910~990)雲門文偃の高弟。

 

雲門は、同じ問いに乾屎橛(カンシケツ・・糞かきヘラ)と答えている。臨済義玄臨済録)無位の眞人とは・・との問いに「何の、乾屎橛ぞ」と言い捨てている。

麻三斤・・麻糸約1・5㎏・・麻について回る(コダワル)と、永久に理解できない話です。

 

佛=禅のこと・・(buddha仏陀ブッダの略)賢者、覚者、智者の意。インドでは釈迦出世以前から、普通名詞として使用されていた。大乗(欣求)仏教的に釈迦を「佛」と表現した誤りは、現代の寺僧の生業、観光禅の元にもなっている。釈尊や仏教(宗教)と混同、誤解する人多くいて、これは「禅」と表現するのが一番シックリとする。