碧巌の歩記(あるき)NO18「カサ・・と鳴る 落ち葉と風のフラダンス」 

 【禅者の一語】  

               碧巌録 第十八則 国師無縫塔(ちゅうこくし むほうとう

【垂示】ありません。

【本則】唐、玄宗皇帝のあと、粛宗・代宗の二皇帝に乞われて下山された・・忠国師南陽慧忠680頃?~775 六祖恵能門下)。河南省南陽の白崖山に40数年 隠棲していたのですが、皇帝に請われて、長安の都 千福寺に住まいした禅者です。

かねてから年老い、療養している慧忠国師を、ある日ある時・・見舞われた代宗皇帝・・

(問答はココから始まります)

「病気見舞いに来て、訊ねるのもなんだが、万が一、亡くなるようなことがあったら、師の何を記念としたらよいのだろう」と仰せられた。

国師「望むことは別にありません。土饅頭(土墓)で充分です」

代宗皇帝は慧忠国師の真(心)意が解らなかったものとみえ・・

「それでは土墓の形状はどんなものか・・図案でもあるか」と問われた。慧忠は しばらく黙して・・「おわかりかな」というと、帝は「(ナンノコトヤラ)解らない」と答えられたので・・やおら重たい口調で「後日(禅を怤託した)弟子、耽源山(たんげんさん)の應真(おうしん)におたずねください。彼なら「ドマンジュウ」の設計図を、よく承知しておりますので・・」と申し上げた。

やがて忠国師が遷化された後、帝は耽源に詔(みことのり)して、その「沈黙・・土饅頭」の意を問われた。

應真は「湘江(しょうこう)の水は南に流れ、潭江(たんこう)の水は北に流れております」・・川の流れや自然の景観そのものが 師の面影ソノママであります・・と素直に答えた。

これに編集者・雪賓(せっちょう)マムシのように喰らいついた。

(雪賓著語云 じゃくごしていわく)

壮大な自然を「禅境」に例えて観光案内するのは、子供に隻手音声(セキシュオンジョウ・白隠公案)の解を求めるようなものだ。

両手で叩いた音しか解らぬ者に解るように説明してやれよ。

應真「この大宇宙は、無縫塔(ドマンジュウ)そのものですが、それは目いっぱい黄金で満たされております」

(雪賓著語云)コリャ・・天まで届く大木で創る拄杖だね。誰でも使えるシロモノじゃない。 

應真「この荘厳な世界にいる私達は、影のない樹(絶対)で覆われた川を下る乗り合い船のようなものです。影がないため見えない人が大半ですが」

(雪賓著語云)海は波おだやか、川は清く、凡聖同乗(うたかたに生きて逝く人々)の賑やかな乗合い船だ。

應真「琉璃殿上(王宮に鎮座まします帝王様)には、慧忠国師に共鳴した千の風が見え難いことでしょう」

(雪賓著語云)さもありなん。白川夜船の川下り(眠れぬ帝王、ただ独り、波をかぶって、ずぶ濡れのご愛嬌)・・ナカナカに うまく幕引き出来ましたネ。 

 【本則】挙す。粛宗(しゅくそう)皇帝、忠国師に問う。

    「百年の後、もとむる所は何ものなりや」

     国師曰く「老僧がために一箇の無縫塔(むほうとう)を作れ」

     帝曰く「師に塔様を請う」

  国師 良久(りょうきゅう)して云く「會(え)すや」

  帝曰く「不會(ふえ)」

  国師云く「吾に付法の弟子 耽源(たんげん)なるものあり。

       却(かえ)ってこのことをそらんず。

       請う 詔(みことのり)して これに問え」

  国師 遷化(せんげ)の後、帝、耽源に詔して この意 如何と問う。

       源云く「湘(しょう)の南、潭(たん)の北・・」

       (雪賓 著語(じゃくご)して云く、独掌(どくしょう)みだりに鳴らず)

       「中に黄金あって一国に充(み)てり・・」

       (雪賓 著語して云く、山形(さんぎょう)の拄杖子(しゅじょうす)

       「無影(むよう)樹下(じゅげ)の合同船・・」

       (雪賓 著語して云く、海晏河清(かいあんかせい

       「瑠璃殿上(るりでんじょう)に知識なし」

       (雪賓 著語して云く、拈(ねん)じ了(おわ)れり)

【頌】ただの土饅頭は、土がコンモリ盛り上がっているだけで、誰も墓であることを気づかない。

澄み切った淵には、龍と言えど棲めない。

南陽慧忠は ひどく欲のない禅者だった。

まるで月影が波紋ごと、だんだんと重なり広がるように・・満天波濤の松風を子守唄にして、どうやら背中をあやされて眠りについた・・。

   【頌】無縫塔 見ること また かたし。

      澄潭(ちょうたん)には、蒼龍(そうりゅう)のわだかまることを許さず。

      層落々(そうらくらく)。影團々(かげだんだん)。

      千古萬古(せんこまんこ)人とともに看ん。

【附記】この則は・・昨年 師走に取り組んで、年越しの今になりました。難解な公案であるというわけではないし、無縫塔の垂示がないこと(これは無い方がよい公案です)や頌の意訳に迷った訳でもありません。

では、いったい何に戸惑ったというのか・・唐の玄宗皇帝(楊貴妃)、粛宗・代宗の三皇帝の独裁者としての振る舞い。堕落した為政者の要請に、どうして40年も隠遁した達道の禅者が、ワザワザ・ノコノコ都に出戻りする意図がわかりませんでした。

「ジッと無言の後・・お墓など要らない」そんなことは一悟の禅者なら当然です。

世は・・玄宗皇帝が楊貴妃をめとって浮かれている社会です。(安禄山の反乱755年、白楽天長恨歌に歌われる如く)いずれもの皇帝が、優れた禅者を師として師事参禅に努めた人物とは、とうてい思えない独裁の帝王です。

民をないがしろにした酒池肉林の放蕩ザンマイ・・ドコカノ国の将軍様のような・・ソンナ皇帝に、よくもまあ取り入って、国師の称号を得る・・利権にすり寄る「禅者」を語録に採用したこと・・もっと他に掲載してもよい問答は山ほどあるのに、圓悟克勤や雪賓重顯は何を思ったのか・・見識を疑いました。また(雪賓が)耽源の詩に、イチイチ著語するのも珍しいことです。

時の権力者や為政者に媚びへつらうことは、1200年後の現代でも、一向に変わらない利権社会です・・ということは当時も今も、為政者に忖度する高級官僚(や格式のある寺僧)がいかに多いか・・を証明することでもあります。

年始の売上げや観光客の拝観料で、のうのうと高級自動車を乗り回して料亭に出入りする有名神社仏閣の寺僧たち・・京都のタクシー運転手なら、その拝観料が1日何百万円もある・・そうだ・・と税務署以上に収入を把握しているありさまです。

こうした官・民もろともの腐敗した社会・・それをその昔・・慧忠は、自分の死(示寂)をもって、純金の大墓を望まず土墓を所望した・・行為となったに違いないと思います。碧巌録を編集した雪賓は、この則を採用するのを機に、純禅への思いを込めて・・天下に「無功徳(無価値)の達磨禅」を標榜・宣伝したのであろう・・と思い至って この則の幕を引きます。

この則は、まったく忠国師ともども坐久成労(ざきゅうじょうろう・・あゝシンド!足腰がしびれたワイ・・それは・・それは・・の公案です。

無縫塔・・土饅頭の墓の意。この則(別題 国師塔様)は、垂示のない二十二則中の一つ。

独掌不浪鳴(どくしょう ミダリニ鳴らず・・と読む)今から千年前の、現代に通じる禅者の一語。雪賓重顯(せっちょう じゅうけん980-1052)禅・雲門宗中興の人。

隻手音声(せきしゅ おんじょう)・・白隠慧鶴(はくいん えかく1686~1769)公案の一語。江戸期 臨済禅 中興の祖。

白河夜船・・歌舞伎十八番 外郎売(ういろううり)2代目市川団十郎の早口の一節。江戸から上方、京見物の帰り・・白川は見たかいと問われて、船中、夜だったので寝てしまって見ていない・・と答えた遊び惚けた男のバレ噺・・白川は比叡山から流れる、くるぶし程度の浅い清流。夢中にソンナ白川夜船の波濤を浴びた皇帝に例えました・・「花 イランカイナア・・」花売りの白川女で有名。

       *2020-1-16/1-26【附記】その他・・改稿しました。