◆如何なるか 禅? 石頭「石コロ」

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO20  

◆求道者 問う「如何なるか是れ禅」

・・石頭云く「碌磚(ろくせん・石コロ、瓦)」

      碧巌録 第二十則 翠黴禪板(すいび ぜんぱん) 

                   龍牙再来無意(りゅうが さいらい いなし)

【垂示】圓悟が、座下の求道者に語る前置き話。

「禅ニヨル生活」は、釈尊坐禅から、中国へ渡海した達磨に、そして、日本の一休さん良寛さんにだけ伝燈された訳ではない。何も人間に限らず、河原に転がっているタクワン石や風にそよぐ稲穂の1本にも・・いや、全宇宙の満ち満ちた有り様に露堂々(隠さず)に独露身(ありのまま)を見せているのだ。

このことに気づかない求道者は、アチコチ行脚して、先達の師を求め、語録を読み漁りして、迷いに迷うことになる。

(最近、欧米人がZENを求めて、日本に来ることが多くなったが、純禅は名所旧跡の寺僧の元から、とっくの昔、消え失せてしまった。今は鈴木大拙(禅者・佛教学者)の英訳の著作を読むか・・千年前の無門関や碧巌録など禅語録を師として・・)

問答に生けるが如く、活手腕の禅者たちの振る舞いを挙げるから、試みに看るがよい。

    【垂示】垂示に云く、

     堆山積嶽(たいざんせきがく)撞墻磕壁(とうしょかいへき)なるに

     佇思停機(ちょしていき)するは、一場の苦屈(くくつ)なり。

     あるいは この漢あり。出で来って大海を掀翻(きんぽん)し、

     須弥を踢倒(てきとう)し、白雲を喝破(かっぱ)し、虚空を打破し、

     直下(じきげ)に一機一境に向かって、天下の人の舌頭を坐断せば、

     汝が近傍(きんぼう)する處ならん。

     しばらく道え、従上来(じゅうじょうらい)

     これ什麼人(なんびと)か曾って恁麼(いんも)になせしぞ。

     試みに挙す看よ。

【本則】若い竜牙居遁(りゅうげ いとん)は行脚に出た。

最初、翠黴無学(すいび むがく)に問いかけた。

「如何なるか 祖師西来の意」(達磨さんがインドから中国に来た目的は?・・ZENとは何か?の意味)

その時、翠黴は坐禅していたが、龍牙の問いに答えたのか、別のことか・・「チョット、そこの禅板(疲れた時の脇息)を取ってくれんか」と頼んだ。龍牙が取って渡すと、いきなりピシャッと頬を打った。

龍牙「私を打つのは構いませんが、要するに祖師西来の意は無いのです」と言い放って立ち去る龍牙を翠黴は無言で見送った。

續いて彼は、臨済を尋ねて再び、問う。

「祖師西来の意 如何」

臨済の一喝は、三日間は耳が聞こえなかったと云われる大喝だが、この時は、ミミズ(土竜)を見た虎の如く、彼の問いを意にも介さず「そこにある円座(坐禅用)を取ってくれんか」と云った。

龍牙が円座を取って渡すやいなや、臨済は、間髪を入れず、ピシりと彼の頬を打った。

龍牙「打つなら打つに任せます。ただ祖師西来意は無いのです」

    【本則】挙す。龍牙(りゅうげ)翠黴(すいび)に問う。

       「如何なるか 是れ祖師 西来(せいらい)の意」

        微云く「我がために禅板(ぜんぱん)をすごし来れ」  

        牙、禅板を過(すご)して翠黴に與(あた)う。

        微 接得(せっとく)して すなわち打つ。

        牙云く「打つことは即ち打つに任すも、要するに且(か)つ祖師西来の意はなし」

        牙また臨済に問う「如何なるか是れ祖師西来の意」

        済云く「我がために蒲団(ふとん)をすごし来れ」

        牙 蒲団をとり臨済に過與(かよ)す。

        済 接得して便(すなわち)打つ。

        牙云く「打つことは即ち打つに任すも、

        要するに且つ、祖師西来の意はなし」

【頌】龍牙山の龍には牙も爪もないようだ。せっかく翠黴が禅板を要求し、また臨済が座布団を求めて・・「坐久成労(ざきゅうじょうろう)」の禅・禅ニヨル生活(行い)そのものを実行しているのに、これを奪い取らず、馬鹿正直に、そっくりソノママ渡ししてしまった。そのお礼が頬への一打である。

エエイ!龍牙のボンボンぶりが口惜しいから、もうヒトコト添えてやろう。ワシ(雪賓重顯)なら禅板だろうが、円座だろうが、寄こせと言われたら、決して渡してなるものか。有難く(会難く)もらって帰るだけだ。

これは六祖(大鑑)慧能・・たしか あ奴は、焚き木拾いの米つき道者。禅者らしく振舞いたくて、それらしい道具立てを欲しがっていたようだからな。

「ダールマさんがコーロンだ!」・・

「だるまさんがころんだ」

「あゝ夕焼け空が真っ赤っか・・ミンナミンナ帰えろカナー」

  【頌】龍牙山裏(りゅうげさんり)の龍には眼(まなこ)なし。

     死水何ぞ曾って古風を振るわん。禅板 蒲団用(も)ちうること能わず。 

     ただ まさに分付(ぶんぷ)して盧公(ろこう)に與たうべし。

     (この老漢、また未だ勦絶(そうぜつ)することを得ず。また一頌をなす)

     盧公に付し了(おわ)るも また何ぞよらん。

     坐椅(ざい)して まさに祖燈(そとう)を継がんとすることを休したるなり。

     暮雲(ぼうん)の帰って未だ合せざるに対するに堪えたり。

     遠山には限りなき碧層層(みどり そうそう)

【附記】登場人物・・

翠黴無学(詳細不明・六祖慧能から五代目。唐 玄宗皇帝〈739~〉の頃 生まれ、憲宗皇帝(819~)の頃、亡くなった丹霞天然の弟子。

臨済義玄(?~867)臨済宗開祖。6祖に継ぐ6代目。

龍牙居遁(835~923)6祖から7代目。これは彼の20才頃の北方地方、行脚放浪の時の話。達磨西来の意図は無い・・との覚真にコダワリ続ける一途さをどう滅却させられるか・・後、南方の師、洞山良价(806~869)に「如何なるか 是 祖師西来意」と問うて、洞山「洞水の逆流せんを待って即ち汝に向かって道(い)わむ」。龍牙はこの一語によって忽然と省悟した。以降8年随侍。嗣法した。

 

青原門下 湖南の石頭希遷(699~790)本分の事をもって終始し、禅機作略をもちうることがなかった。当時の南嶽門下 江西の馬祖道一(709~788)の言葉に「石頭の路 滑らかなり」とある。この二門より後の曹洞・臨済二宗が展開する。禅の伝授、先達の禅定精進を論じない石頭の、求道者の舌頭を坐断する問答がある。

求道者問う「如何なるか是 解脱」・・石頭「誰か汝を縛(ばく)する」

求道者問う「如何なるか是 浄土」・・石頭「誰か汝を垢(けが)す」

求道者問う「如何なるか是 涅槃(ねはん)」・・石頭「誰か生死をもって汝に與(あた)うる」

 

坐久成労・・碧巌録17則「香林坐久成労」に詳しく記述済。祖師西来の理由は・・ダルマさん、暑い天竺から逃げ出して、涼しい嵩山(少林寺)で足腰しびれが切れるほど坐禅したくて、やって来た訳サ・・の意。