◆カラシ蓮根は実にうまいよ!それに熱燗!

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO21

◆12月9日 補足追記 

12月1日から8日までの1週間は、釈尊が悟りを開かれた日として、これを1日間とみなし、臨済僧堂では「雲水の命取り」といわれる、ぶっ続け坐禅と師家独参の修行「蠟八大接心」がある。

釈尊が6年苦行の後、菩提樹下で端坐、夜明けの明星を看て、正覚を成じた由来を機しての接心会だが、食事と用便を除いて坐禅三昧。眠るのは午前3時までの、僅か3時間の坐睡のみ。雲水が、これほど激しく公案と向き合い自分と戦う姿は、まず修行中、無いといえよう。されば、本日の鶏鳴を迎え、熱い梅干し茶をいただく心持ちは、年老いても忘れ難いと云う。

禅は宗教の元という意味で禅宗といいます。宗派のことではありません。例え僧堂で何十人の雲水が、悪戦苦闘して正覚を求めても、坐禅、独参しての結果、得られるものではありません。

坐禅釈尊、達磨、先達の禅者のとおり、たった独りで行うことが大事です。

無理なく自然体で(現代人は)イス坐禅たったの3分間ぐらいの・・悟りなどの功徳や見返りを求めることなく・・役立たずの坐禅を、おりおりに繰り返すだけです。

時に、この・・はてなブログ 禅者の一語(碧巌録・意訳)や、禅のパスポート(無門関・素玄居士提唱、復刻意訳)、あるいは 羅漢と真珠(禅の心、禅の話)から、ご自分の禅境(地)を確かめられる道標になさって、あせらず、たゆまず、独り坐禅を・・のんびり・・お続けになってください。

ただ、注意は、決して、仲間づくりはなさらないこと。

独りポッチ、寂寥の坐禅であることです。

座禅と書かず「坐禅」と書いてください。

 碧巌録 第二十一則 智門 蓮華荷葉(ちもん れんげかよう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

昔は、門前に旗や幟(のぼり)をたて鐘や太鼓を叩いて、人集めして仰々しく説法をしたというが、今時は流行らない。

肩の荷をおろして、ヤレヤレ大往生もわるくないけれど、ソリャ独善修行だ。

ここに挙げる智門の公案を、素直にわかる者なら、一を聞いて三を識る位の駆出し禅者といえよう。

だが、達者な人とはとうてい言えぬ。古人の逸話に耳を傾けよ。

  【垂示】垂示に云く、法幢(ほうとう)を建て宗旨を立(りっ)するは

   (これ)錦上に花をしくなり。

   籠頭(ろうとう)を脱し、角駄(かくだ)を卸(おろ)すは

   (これ)太平の時節なり。

   あるいは もし格外の句を辨得(べんとく)せば

   挙一明三(こいつみょうさん)ならん。

   それ或いは未だ然(しか)らざれば、

   舊(ふる)きによって、伏して処分を聴け。

【本則】蓮の葉と花の話である。

求道者が智門に尋ねた。

「蓮の花が、まだ水上に花を咲かせていない時ナントいいますか」

智門「蓮の花」

求道者「では水上に出て、見事な花を咲かせた時は・・?」

智門「葉っぱとでも呼んでおけ」 

     【本則】挙す。僧 智門に問う。

      「蓮華(れんげ)いまだ水より出でざる時は如何(いかん)」

       智門云く「蓮華」

       僧云く「水より出(い)し後(のち)は如何」

       門云く「荷葉(かよう)」

【頌】ハスの花が、水中にあれば何と呼ぶか・・伝灯録に、この種の問答が沢山、記録されている。

難しくいえば「宇宙の本質と現象」「無明と佛性」について、智門(禅者)に問われた幕間芝居だが、食えたシロモノではない。

千年前も、現代も、こうした求道者ぶった狐疑の連中がウロツイテいたようだ。

蓮根を泥池の中から掘り出して、辛子蓮根に仕立ててから問うて来たまえ。

   【頌】蓮華と荷葉を君に報じて知らしむ。水を出でればいかん。

      (水を出)でざる時は、江北,江南、王老に問え。

      一狐うたがい了(おわ)って 一狐疑(うたが)う。

附記】籠頭(ろうとう)を脱し、角駄(かくだ)を卸(おろ)す・・馬の口嵌(草を食べさせない道具)を外し、馬の背に分けて載せる四角の荷駄を下ろすこと。

智門光祚(ちもん こうそ 960頃~1030年代)雪賓重顯(980~1052百則頌古)の師。