碧巌の歩記(あるき)NO23 鳥飛ぶに倦んで還えるを知る・・

【禅者の一語】

◆雲 無心ニシテ而 岫(しゅう)ヲ出ズ・・雲無心而出岫

 鳥 飛ブニ倦(う)ンデ而 還ルヲ知ル・・鳥倦飛而知還

                                                  陶淵明 帰去来の辞) 

碧巌録 第二十三則 保福長慶遊山次(ほふく ちょうけい ゆさんじ)

【垂示】物体の真贋(分析)は、金ナラバ試金石で・・剣は刃に吹毛すれば切れ具合でスグにわかる。水の深さは棒を立てれば測ることができる・・それでは禅者の禅機禅境・その深浅ぶりは、ピチピチ跳ね回るアユを捕まえるようで、ナカナカ難しい。

さあ、この遊山問答、どのように天秤にかけるか、道うてみよ。

   【垂示】垂示に云く、玉は火をもって試み、金は石をもって試み、

       剣は毛をもって試み、水は杖をもって試ろむ。

       衲僧(のうそう)門下に至っては、一言一句、一機一境、

       一出一入、一挨(あい)一拶(さつ)において

       深浅(しんせん)を見んことを要し、

       向背(こうはい)を見んことを要す。

       しばらく道え、なにをもってか試みん。請う挙す看よ。

【本則】雪峰義存(せっぽう ぎそん822~908が70歳の)891年頃・・その弟子達三名・・長慶慧稜(ちょうけい けいりょう38才頃)鏡清道怤(きょうせい どうふ24才頃)保福従展(ほふく じゅうてん22才頃)の、雪峰山、禅院での遊山問答である。

後の代になって雪賓重顯(せっちょう じゅうけん)が著語(ちゃくご 意見)している。

 

ある秋の日、保福と長慶が連れ立って、雪峰山頂を散策した。

保福がフト足を止めて「どうですか・・此処こそ(比較すべきもない真理無二の)妙峰山頂でしょう・・」と、善財童子を気取って云った。

「ナルホド、それはそうだが・・」長慶は肯定した・・が、

「まだまだダ。惜しいことだナ」とつぶやいた。

(これに雪賓が意見した・・散歩しただけで何が解ろうか。妙峰山頂は百万年たっても発見登頂は難しい。出来ないとは言わないがホンの少数だネ)

長慶に一本取られた保福、名誉挽回をはかるべく、兄弟子の鏡清に 自分の境地、どんなものだ・・と尋ねた。

すると鏡清、ほめるどころか「さすが長慶先輩、見識が高い。

よくぞ叱ってくれた。ただコレカラ、ここも観光寺になってしまって拝観者が押し寄せるぞ。困ったモンだ」とつぶやいた。

 【本則】挙す。保福と長慶と遊山せし時、福、手をもって指さして云く

     「ただ這裏(しゃり)すなわち これ妙峰頂(みょうほうちょう)」

     慶云く「是はすなわち是なり。可惜許(かしゃくこ)」

     (雪賓せっちょう 著語ちゃくご して云く

      「今日この漢と共に遊山して この何をかはかる」また云く

      「千百年 後(ご)なしとはいわず、ただこれすくなからん」)

     後に鏡清(きょうせい)に挙示(こじ)す。

     清云く「もしこれ孫公(そんこう)にあらざりしならば、

         すなわち髑髏(どくろ)の野に あまねきを見しならん」

【頌】ナント妙峰山頂は草ボウボウ。

誰にもココが天竺(インド)勝楽国、妙峰山とはわかるまい。

たとえ保福が雪峰山を妙峰山にダブらせたところで、ソンナ安っぽい禅(境地)に振り向く者はいない。

サテサテ・・後世・・解かったフリで受け売りコピペする「禅者モドキ」が、ウジ虫の如く湧き出てくるだろう。

たまったもんじゃない。

    【頌】妙峰孤頂(みょうほうこちょう)は草離離(くさりり)。

       拈得分明(ねんとくぶんみょう)にして誰にか付與(ふよ)せん。

       これ孫公の端的(たんてき)を辨(べん)ずるにあらざれば、

       髑髏(どくろ)著地(ちゃくち)幾人(いくにん)か知らん。

 附記】趙州従諗は、雪峰の先輩に当るが・・同時期の120才まで生きた禅者である。あるいは雪峰門下の公案(逸話)に見解(けんげ)を求められたことがあったであろう・・と推測される。

求道者から「如何なるか 是れ妙峰頂」と問われた事がある。

趙州は「汝に(この話)応えず」と・・答えて、堅く口を噤(つぐ)んだそうだ。