碧巌の歩記 NO24 貴方なら、この牡牛VS牝牛問答・・どんな値打ちをつけますか?9/16附記改訂

【禅者の一語】  巌録 第二十四則 鐵磨老牸牛(てつま ろうじぎゅう)

                       鐵磨到潙山(てつま いさんにいたる)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

高い山から眼下を見たり、深い海底に端坐して、世界を支配している者には悪魔や外道、仏様だって、その境涯は窺がえない。例え流星のような素早い眼識があろうと、雷電の如き手腕の輩であろうと・・こんな唯我独尊の境涯に安住している達道の禅者の前に出たら、チャント砂中に卵を産み隠した大亀が、足跡を尻尾で佩いて消し去ったにしても、尻尾の跡で卵を見つけるように、ヤスヤスと正体を見抜けるのである。

当時、坊さんながら、年老いた牡牛のごとく畑に出て働いていた潙山の霊裕老師78才頃(771~853)と、その山麓に住した、お尻が臼のように大きくてガンコで世話焼きの、年寄り牝牛の如き劉鐵磨(りゅうてつま)の山小屋芝居を看よ。

  【垂示】垂示に云く 高々たる峰頂に立てば 魔外(まげ)も知ること能わず、

   深々たる海底に行けば、佛眼もうかがえども見えず、

   たとえ眼(まなこ)は流星に似、機は掣電(せいでん)の如くなるも、

   未だ霊亀(れいき)の尾を曳くことを免(まぬが)れず、

   這裡(しゃり)に到って まさにいかんがすべき。

   試みに挙す看よ。

【本則】ある日の夕方。畑に出て帰って一休みしていた潙山霊裕のもとに、世話焼きの劉鐵磨がやって来た・

潙山「おゝ・・老いぼれ牝牛か・・よく来たなぁ」

鐵磨「近日、五台山で宣宗皇帝ご即位、仏教復興の大法会があるそうですが 行かれますか(行かれるなら)同行したいものです」

すると潙山和尚、今日は畑仕事でひどく疲れた・・様子で、ゴロリとよこになり寝てしまった。

劉鐵磨は、サヨウデ ゴザイマスカ・・の風で、すぐさま帰ってしまった。

        【本則】挙す。劉鐵磨(りゅうてつま)潙山にいたる。

         山云く「老牸牛 汝、来たれりや」

         磨云く「来日(らいじつ)臺山に大會斎(だいえさい)あり。

         和尚 また去るや」

         潙山 放身して臥(ふ)す。

         磨 すなわち出で去れり。

【頌】まるで女将軍が鉄馬に乗って、敵陣に乗り込んだような場面だが、潙山に老いぼれ牝牛の扱いを受けて体制を整えなおした。

「仏教復活の大法會があるとか。心境如何」問答の開始である。

ところが潙山・・ホントに戦争が終わったのかと、疑心暗鬼の女将軍を相手にするどころか、ホッタラカシで大いびき。

妙好人なら、さしずめ「わが親様の膝枕・・何で遠慮がイリョウカ」だろう。

老いぼれ牝牛も寝倉に帰る・・幕の内弁当もでないお粗末芝居(幕切れ)です。

だが、ソラ・・そこの方・・貴方なら、この問答に、いかほどの値をつけますか?

ご納得次第・・木戸銭はチャント払って帰りなさいョ。

    【頌】かって鐵磨にのって重城に入りたるも、勅(ちょく)下って 

     六国(りっこく)の清きことを 伝え聞きたり。

     なお金鞭(きんべん)をにぎって帰客に問う。

     夜は深し、誰と共に御街(ぎょがい)をゆかん。

【附記】百丈懐海(ひゃくじょう えかい 洪州 百丈山)に参禅したのち、司馬頭陀(しばずだ)の推薦を受けて、潭州、潙山に同慶寺を建てた霊裕老師と、まるで女相撲の容姿をした、麓の小庵に住む世話焼き婆さんの一幕ものの話である。当時、心ある禅者は、自ら田畑を耕し、庵を普請し、水を汲み薪を集めて 独り坐禅をしつつ自活した。彼は、弟子、仰山慧寂(ぎょうざん えじゃく)との名を採って「潙仰宗」の始祖となったが・・老僧百年後、山下の水牯牛となって働いているであろう・・と予言したごとく、自らを牡牛と自認していた。また劉鐵磨は、彼女が、浙江省衢州(くしゅう)の子湖利蹤(しこ りしょう・南泉普願の弟子)に、男勝りの問答を仕掛けて「お前は右回りの臼か、左回りの臼か」と問われて痛棒を喫したり、遠く山西省五台山の復興の大法会の出かけたいと、潙山に同行を強要したり・・とかく、デシャバリ牝牛と評判の女禅客であったようだ。頃は、仏教迫害の直後であり、聖地五台山詣でで浮足立っていた時代であるが、まだまだ、真の禅者は「唯我独尊」・・独りポッチの禅境に生きていたことを証明する話である。

有(会)難とうございました。