【禅者の一語】 巌録 第二十四則 鐵磨老牸牛(てつま ろうじぎゅう)
鐵磨到潙山(てつま いさんにいたる)
【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。
高い山から眼下を見たり、深い海底に端坐して、世界を支配している者には悪魔や外道、仏様だって、その境涯は窺がえない。例え流星のような素早い眼識があろうと、雷電の如き手腕の輩であろうと・・こんな唯我独尊の境涯に安住している達道の禅者の前に出たら、チャント砂中に卵を産み隠した大亀が、足跡を尻尾で佩いて消し去ったにしても、尻尾の跡で卵を見つけるように、ヤスヤスと正体を見抜けるのである。
当時、坊さんながら、年老いた牡牛のごとく畑に出て働いていた潙山の霊裕老師78才頃(771~853)と、その山麓に住した、お尻が臼のように大きくてガンコで世話焼きの、年寄り牝牛の如き劉鐵磨(りゅうてつま)の山小屋芝居を看よ。
【垂示】垂示に云く 高々たる峰頂に立てば 魔外(まげ)も知ること能わず、
深々たる海底に行けば、佛眼もうかがえども見えず、
たとえ眼(まなこ)は流星に似、機は掣電(せいでん)の如くなるも、
未だ霊亀(れいき)の尾を曳くことを免(まぬが)れず、
這裡(しゃり)に到って まさにいかんがすべき。
試みに挙す看よ。
【本則】ある日の夕方。畑に出て帰って一休みしていた潙山霊裕のもとに、世話焼きの劉鐵磨がやって来た・
潙山「おゝ・・老いぼれ牝牛か・・よく来たなぁ」
鐵磨「近日、五台山で宣宗皇帝ご即位、仏教復興の大法会があるそうですが 行かれますか(行かれるなら)同行したいものです」
すると潙山和尚、今日は畑仕事でひどく疲れた・・様子で、ゴロリとよこになり寝てしまった。
劉鐵磨は、サヨウデ ゴザイマスカ・・の風で、すぐさま帰ってしまった。
【本則】挙す。劉鐵磨(りゅうてつま)潙山にいたる。
山云く「老牸牛 汝、来たれりや」
磨云く「来日(らいじつ)臺山に大會斎(だいえさい)あり。
和尚 また去るや」
潙山 放身して臥(ふ)す。
磨 すなわち出で去れり。
【頌】まるで女将軍が鉄馬に乗って、敵陣に乗り込んだような場面だが、潙山に老いぼれ牝牛の扱いを受けて体制を整えなおした。
「仏教復活の大法會があるとか。心境如何」問答の開始である。
ところが潙山・・ホントに戦争が終わったのかと、疑心暗鬼の女将軍を相手にするどころか、ホッタラカシで大いびき。
妙好人なら、さしずめ「わが親様の膝枕・・何で遠慮がイリョウカ」だろう。
老いぼれ牝牛も寝倉に帰る・・幕の内弁当もでないお粗末芝居(幕切れ)です。
だが、ソラ・・そこの方・・貴方なら、この問答に、いかほどの値をつけますか?
ご納得次第・・木戸銭はチャント払って帰りなさいョ。
【頌】かって鐵磨にのって重城に入りたるも、勅(ちょく)下って
六国(りっこく)の清きことを 伝え聞きたり。
なお金鞭(きんべん)をにぎって帰客に問う。
夜は深し、誰と共に御街(ぎょがい)をゆかん。
【附記】百丈懐海(ひゃくじょう えかい 洪州 百丈山)に参禅したのち、司馬頭陀(しばずだ)の推薦を受けて、潭州、潙山に同慶寺を建てた霊裕老師と、まるで女相撲の容姿をした、麓の小庵に住む世話焼き婆さんの一幕ものの話である。当時、心ある禅者は、自ら田畑を耕し、庵を普請し、水を汲み薪を集めて 独り坐禅をしつつ自活した。彼は、弟子、仰山慧寂(ぎょうざん えじゃく)との名を採って「潙仰宗」の始祖となったが・・老僧百年後、山下の水牯牛となって働いているであろう・・と予言したごとく、自らを牡牛と自認していた。また劉鐵磨は、彼女が、浙江省衢州(くしゅう)の子湖利蹤(しこ りしょう・南泉普願の弟子)に、男勝りの問答を仕掛けて「お前は右回りの臼か、左回りの臼か」と問われて痛棒を喫したり、遠く山西省五台山の復興の大法会の出かけたいと、潙山に同行を強要したり・・とかく、デシャバリ牝牛と評判の女禅客であったようだ。頃は、仏教迫害の直後であり、聖地五台山詣でで浮足立っていた時代であるが、まだまだ、真の禅者は「唯我独尊」・・独りポッチの禅境に生きていたことを証明する話である。
有(会)難とうございました。