禅者の一語NO16・・啐啄(そったく)の機・・

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO16

啐啄の機・・親鳥が卵のヒナと内外で同時に突つき合って誕生する・・大悟の瞬間の例え

    碧巌録 第十六則 鏡清啐啄機(きょうせい そったくのき)

【垂示】圓悟が座下の求道者に云った。

「禅ニヨル生活」を行う禅者は、独り、寂寥の大道を歩む。

これを誰が、どのように解釈、評価しようと、窺い知れない境地の自由闊達な働きがあるのが禅者である。

毎日ピチピチした若鮎の如き生活態度で、事に当たって自在に啐啄(そったく)の機(タイミング)を操り、楽しみ、行い、しかもチャント捉えたり放したり、TPOに応じた行動をとるのである。

ただし、独りよがりに、こうした無作為、無功徳なことを良しとするのではない。薫風自南来・・清々しい風流が禅者にはある。

*この話に登場する鏡清道怤(きょうせいどうふ868~937)は、雲門文偃、長慶慧稜、保福従展と同期の、雪峰義存の弟子にあたる。

(禅語録・・景徳伝燈録に鏡清道怤の高論(禅境)は人の窺がい知れないことだと書かれている)

会い逢うて会わず・・見ても看ず、聞いても聴かず・・ここに効能書きをクダクダしく仕掛ける求道者の問答があるので、よく看るがよい。

   【垂示】垂示に云く、道に横徑(おうけい)なく、立つ者は孤危(こき)なり。

       法は見聞にあらず、言思も迥絶(けいぜつ)す。

       もし、よく荊棘林(けいきょくりん)を透過(とうか)し、

       佛祖の縛(ばく)を解開(げかい)して、

       この隠密(おんみつ)の田地を得(う)れば、

       諸天 花を挿さぐるに道なく

       外道 潜(ひそか)に窺(うか)がうに門なし。

       終日 行じても未だかって行せず。

       終日説(と)いても未だかって説かず。

       すなわち自由自在をもって 啐啄(そったく)の機を展(の)べ、

       活殺(かっさつ)の釼(けん)をもちうべし。

       直饒(たとえ)恁麼(いんも)なるも、

       さらに須(すべか)らく権化門中(ごんげもんちゅう)

       一手は擡(もた)げ、一手は榒(おさ)えて、

       なお些子(しゃし)にあたることあるを知るべし。

       もし是れ本分事上ならば、

       すべからく得たり、没交渉もっこうしょう)。

       作麼生(そもさん)が是れ本分の事なるか。

       試みに挙す看よ。

【本則】求道者が鏡清老師に云った。

「私は、今・・大悟の機を迎えて、まさに卵の殻を破らんとするヒナであります。どうぞ・・ご老師が親鳥ヨロシク、くちばしで外からコンコン、つついてくだされば、すぐに中から飛び出せます」

鏡清「ホンマかいナ・・死にもしないで、生まれてこれるかなぁ・・」

求道者「もし私が生まれそこなったら、ご老師が師家としての能力なしとみなされて、笑いものになりますよ」

鏡清「アァ・・やっぱし孵化し損なったナ」

    【本則】挙す。僧 鏡清(きょうせい)に問う。

       「学人啐(そっ)す、師の啄(たく)を請(こ)う」

        清云く「また活をうるや、また無しとて」

        ・・(生死 見定めがたしの意)

        僧云く「もし活っせざれば 人の怪笑(けそう)にあわん」

        ・・(ご老師が世の笑い者になるの意)

        清云く「また是れ艸裏(そうり)の漢」・・愚ろか者め・・の意

【頌】鏡清道怤は、卓越した禅者だ。卵の外側から「死なずに生きて出て来れるか・・」と叩いてやっているのに、ヤッパシ内側から出て来ないヤクザ者だ。コンナ口先だけの奴は、いっそのこと 棒でブッ叩いてやるに限る。

(現代は・・孵卵器(ふらんき)で人工的にヒナを養成しているが、ソンナ輩たちに「禅」を語ってもらいたくないね)

   【頌】古佛には家風あり。

      對揚(たいよう)して 貶剥(へんばく)せらる。

      母、あい知らず。是れ、誰か啐啄を同じくせんや。

 

      啄・覚なお殻にあり。重く撲(うた)れたらんには・・。

      天下の衲僧(のうそう)は、いたずらに名邈(めいばく)するなり。

      *邈→摸が正しい・・小知小見で、大義を見る様子。

       衆盲、象をなでる様子。

【附記】この話、禅機・禅境の公案ではありません。

雪賓の頌に、啐啄を問われた瞬間、ガツンと棒で一打して眼から火花を飛び散らせたら面白かったろうに・・とあります。

◆独り おのれに問いかけよ・・

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO17

菩提達磨「祖師西来意」・・何故、独り中国に来たのか? 己れに問いかけてみよう

    碧巌録 第十七則 香林 坐久成労(きょうりん ざきゅうじょうろう)

【垂示】圓悟が周囲に坐す求道者に垂示した。

達道の禅者は、曲げも伸ばしもできない鉄棒のような禅の「問い」に対し、スッパリと二つに断ち切るような手腕がなければならない。

イザ・・戦いに当り、号令をかける将軍が掛け声ばかりで、敵の矢玉を逃げ隠れするようなら、どうして戦争に勝てるものか。

一言半句、議論のスキを与えぬ透徹の禅者のことは、さておいて、大津波が押し寄せるようなド迫力の返事が返ってきたら、どうするか。看るがよい。

    【垂示】垂示に云く 

        釘を斬り 鉄を截(た)ち はじめて本分の宗師(そうし)となるべし。

        箭(せん・や)をさけ 刀にかくれて いずくんぞ よく通方の作者とならん。

        針箚(しんさつ)不入のところは、すなわち しばらく置く。

        白浪滔天(はくろう とうてん)の時、いかん。

        試みに挙す 看よ。

【本則】ある日、求道者が香林寺の澄遠老師に問いかけた。

「禅の始祖、菩提達磨はインドから、ワザワザ支那までやってきて、九年間も少林寺の洞穴で面壁坐禅をしたそうですが、その間、説教ひとつする訳でなし、イッタイ何しにやって来たのでしょうか」

香林「坐り過ぎで足が痺れてしまったノサ」

    【本則】挙す。僧、香林(きょうりん)に問う。

        「如何なるか 是れ 祖師西来(そしせいらい)の意」

        林云く「坐久成労(ざきゅうじょうろう)」

【頌】達磨さんが禅を持ち込んだお蔭で、アライザライの寺僧たちが、まるで馬の轡(くつわ)を嵌められ、荷を背負わされたように・・右往左往の有り様だ。

話に聞く、男勝りで石臼の大尻をした劉(りゅう)オバァサンが、解かったような問答を仕掛けて、子胡利蹤にどやされた様に・・一発、叩かれたらビックリして眼が覚めよう。

何時も禅者の答えに振り回されている寺僧の演義・・救い難いです。

独り坐禅で、納得の答えを発見してください。

   【頌】一箇両箇(りょうこ)千萬箇。

      籠頭(ろうとう)を脱却して角駄(かくだ)をおろす。

      左転右転(さてんうてん)後(しりえ)にしたがい来れば

      紫胡(しこ・子湖利蹤 しこりしょうの意)は

      劉鐵磨(りゅうてつま)を打つを要したり。

【附記】坐久成労・・長く坐っていた時・・「アア疲れた。足が痺れたワイ」などの日常用語。祖師西来の意は「達磨が中国に来て、お経ヒトツ翻訳もせず、説教ヒトツしないでヒタスラ九年間、面壁坐禅をしていたのは、どんな理由があったのか・・禅とは何ですか」・・との究極の問い。香林は首と胴体二つに切って捨てた

あっけにとられた求道者・・二の句が継げない有り様。

まず・・独り己(おのれ)に問いかけること。

正解は百点満点か・・零点のいずれか。

ホドホドの60点などありません。

他人の答えは、口から出まかせ・・嘘ばかりです。

   前回(18則で)坐久成労の言葉を【附記】冒頭に使いました。

   今回は、その表題「香林の坐久成労」が公案です。

  (この碧巌録意訳は、都合によりラストの百則から、逆に紹介しています)

香林澄遠(きょうりん ちょうおん908~987四川省出身)巴陵顥鑒・洞山守初とともに、雲門文偃(雲門宗初祖)に参禅した弟子。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO18「カサ・・と鳴る 落ち葉と風のフラダンス」 

 【禅者の一語】  

               碧巌録 第十八則 国師無縫塔(ちゅうこくし むほうとう

【垂示】ありません。

【本則】唐、玄宗皇帝のあと、粛宗・代宗の二皇帝に乞われて下山された・・忠国師南陽慧忠680頃?~775 六祖恵能門下)。河南省南陽の白崖山に40数年 隠棲していたのですが、皇帝に請われて、長安の都 千福寺に住まいした禅者です。

かねてから年老い、療養している慧忠国師を、ある日ある時・・見舞われた代宗皇帝・・

(問答はココから始まります)

「病気見舞いに来て、訊ねるのもなんだが、万が一、亡くなるようなことがあったら、師の何を記念としたらよいのだろう」と仰せられた。

国師「望むことは別にありません。土饅頭(土墓)で充分です」

代宗皇帝は慧忠国師の真(心)意が解らなかったものとみえ・・

「それでは土墓の形状はどんなものか・・図案でもあるか」と問われた。慧忠は しばらく黙して・・「おわかりかな」というと、帝は「(ナンノコトヤラ)解らない」と答えられたので・・やおら重たい口調で「後日(禅を怤託した)弟子、耽源山(たんげんさん)の應真(おうしん)におたずねください。彼なら「ドマンジュウ」の設計図を、よく承知しておりますので・・」と申し上げた。

やがて忠国師が遷化された後、帝は耽源に詔(みことのり)して、その「沈黙・・土饅頭」の意を問われた。

應真は「湘江(しょうこう)の水は南に流れ、潭江(たんこう)の水は北に流れております」・・川の流れや自然の景観そのものが 師の面影ソノママであります・・と素直に答えた。

これに編集者・雪賓(せっちょう)マムシのように喰らいついた。

(雪賓著語云 じゃくごしていわく)

壮大な自然を「禅境」に例えて観光案内するのは、子供に隻手音声(セキシュオンジョウ・白隠公案)の解を求めるようなものだ。

両手で叩いた音しか解らぬ者に解るように説明してやれよ。

應真「この大宇宙は、無縫塔(ドマンジュウ)そのものですが、それは目いっぱい黄金で満たされております」

(雪賓著語云)コリャ・・天まで届く大木で創る拄杖だね。誰でも使えるシロモノじゃない。 

應真「この荘厳な世界にいる私達は、影のない樹(絶対)で覆われた川を下る乗り合い船のようなものです。影がないため見えない人が大半ですが」

(雪賓著語云)海は波おだやか、川は清く、凡聖同乗(うたかたに生きて逝く人々)の賑やかな乗合い船だ。

應真「琉璃殿上(王宮に鎮座まします帝王様)には、慧忠国師に共鳴した千の風が見え難いことでしょう」

(雪賓著語云)さもありなん。白川夜船の川下り(眠れぬ帝王、ただ独り、波をかぶって、ずぶ濡れのご愛嬌)・・ナカナカに うまく幕引き出来ましたネ。 

 【本則】挙す。粛宗(しゅくそう)皇帝、忠国師に問う。

    「百年の後、もとむる所は何ものなりや」

     国師曰く「老僧がために一箇の無縫塔(むほうとう)を作れ」

     帝曰く「師に塔様を請う」

  国師 良久(りょうきゅう)して云く「會(え)すや」

  帝曰く「不會(ふえ)」

  国師云く「吾に付法の弟子 耽源(たんげん)なるものあり。

       却(かえ)ってこのことをそらんず。

       請う 詔(みことのり)して これに問え」

  国師 遷化(せんげ)の後、帝、耽源に詔して この意 如何と問う。

       源云く「湘(しょう)の南、潭(たん)の北・・」

       (雪賓 著語(じゃくご)して云く、独掌(どくしょう)みだりに鳴らず)

       「中に黄金あって一国に充(み)てり・・」

       (雪賓 著語して云く、山形(さんぎょう)の拄杖子(しゅじょうす)

       「無影(むよう)樹下(じゅげ)の合同船・・」

       (雪賓 著語して云く、海晏河清(かいあんかせい

       「瑠璃殿上(るりでんじょう)に知識なし」

       (雪賓 著語して云く、拈(ねん)じ了(おわ)れり)

【頌】ただの土饅頭は、土がコンモリ盛り上がっているだけで、誰も墓であることを気づかない。

澄み切った淵には、龍と言えど棲めない。

南陽慧忠は ひどく欲のない禅者だった。

まるで月影が波紋ごと、だんだんと重なり広がるように・・満天波濤の松風を子守唄にして、どうやら背中をあやされて眠りについた・・。

   【頌】無縫塔 見ること また かたし。

      澄潭(ちょうたん)には、蒼龍(そうりゅう)のわだかまることを許さず。

      層落々(そうらくらく)。影團々(かげだんだん)。

      千古萬古(せんこまんこ)人とともに看ん。

【附記】この則は・・昨年 師走に取り組んで、年越しの今になりました。難解な公案であるというわけではないし、無縫塔の垂示がないこと(これは無い方がよい公案です)や頌の意訳に迷った訳でもありません。

では、いったい何に戸惑ったというのか・・唐の玄宗皇帝(楊貴妃)、粛宗・代宗の三皇帝の独裁者としての振る舞い。堕落した為政者の要請に、どうして40年も隠遁した達道の禅者が、ワザワザ・ノコノコ都に出戻りする意図がわかりませんでした。

「ジッと無言の後・・お墓など要らない」そんなことは一悟の禅者なら当然です。

世は・・玄宗皇帝が楊貴妃をめとって浮かれている社会です。(安禄山の反乱755年、白楽天長恨歌に歌われる如く)いずれもの皇帝が、優れた禅者を師として師事参禅に努めた人物とは、とうてい思えない独裁の帝王です。

民をないがしろにした酒池肉林の放蕩ザンマイ・・ドコカノ国の将軍様のような・・ソンナ皇帝に、よくもまあ取り入って、国師の称号を得る・・利権にすり寄る「禅者」を語録に採用したこと・・もっと他に掲載してもよい問答は山ほどあるのに、圓悟克勤や雪賓重顯は何を思ったのか・・見識を疑いました。また(雪賓が)耽源の詩に、イチイチ著語するのも珍しいことです。

時の権力者や為政者に媚びへつらうことは、1200年後の現代でも、一向に変わらない利権社会です・・ということは当時も今も、為政者に忖度する高級官僚(や格式のある寺僧)がいかに多いか・・を証明することでもあります。

年始の売上げや観光客の拝観料で、のうのうと高級自動車を乗り回して料亭に出入りする有名神社仏閣の寺僧たち・・京都のタクシー運転手なら、その拝観料が1日何百万円もある・・そうだ・・と税務署以上に収入を把握しているありさまです。

こうした官・民もろともの腐敗した社会・・それをその昔・・慧忠は、自分の死(示寂)をもって、純金の大墓を望まず土墓を所望した・・行為となったに違いないと思います。碧巌録を編集した雪賓は、この則を採用するのを機に、純禅への思いを込めて・・天下に「無功徳(無価値)の達磨禅」を標榜・宣伝したのであろう・・と思い至って この則の幕を引きます。

この則は、まったく忠国師ともども坐久成労(ざきゅうじょうろう・・あゝシンド!足腰がしびれたワイ・・それは・・それは・・の公案です。

無縫塔・・土饅頭の墓の意。この則(別題 国師塔様)は、垂示のない二十二則中の一つ。

独掌不浪鳴(どくしょう ミダリニ鳴らず・・と読む)今から千年前の、現代に通じる禅者の一語。雪賓重顯(せっちょう じゅうけん980-1052)禅・雲門宗中興の人。

隻手音声(せきしゅ おんじょう)・・白隠慧鶴(はくいん えかく1686~1769)公案の一語。江戸期 臨済禅 中興の祖。

白河夜船・・歌舞伎十八番 外郎売(ういろううり)2代目市川団十郎の早口の一節。江戸から上方、京見物の帰り・・白川は見たかいと問われて、船中、夜だったので寝てしまって見ていない・・と答えた遊び惚けた男のバレ噺・・白川は比叡山から流れる、くるぶし程度の浅い清流。夢中にソンナ白川夜船の波濤を浴びた皇帝に例えました・・「花 イランカイナア・・」花売りの白川女で有名。

       *2020-1-16/1-26【附記】その他・・改稿しました。

 

犀(さい)の角(つの)のように ただ独り歩め・・

 はてなブログ・・禅者の一語(碧巌録意訳)/禅のパスポート(素玄居士提唱「無門関」復刻意訳/禪・羅漢と真珠(禅の心、禅の話)・・この奉魯愚(ぶろぐ)は、2020年1月5日までの間、一休さんの「門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」にあやかって、菜根譚(さいこんたん)花看噺できり出します。

              花看半開(花は五分咲きを看るべし)菜根譚 洪王明(自誠)

花看半開    花は半開、清楚を看るべし・・

酒飲微酔。  酒はホロリと酔うほどにすべし・・。

此中大佳趣 此の中にこそバランスのとれた風流がある。

若至爛漫モウトウ もしも酒乱泥酔の輩と一緒の花吹雪なら、

便成悪境矣。 花と酒 ともどもに最悪・・お断りだ。

履盈満者 宜思之 えいまんの(みちたりた)者は、

                                   今が看脚下だぞ

              モウトウ・・酉に毛。酉に匋と書く・・酒に憑りつく、アル中の意。

昨年は・・はてなブログ計23160回の閲覧(アクセス)と☆86をいただきました(2020年1月1日現在)

☆を沢山いただきながら、私がPCの使い方が未熟なため、お礼やご返事もままならない点、お許しください。また、禅や坐禅のご質問には、ナニブン、禪は宇宙の中で役に立たない価値なき出来事ゆえに、貴方ご自身で見性(自覚)されること・・のみが解決法です。

ご参考に、碧巌録や、終戦前、真っ当な無門関を提唱された素玄居士の復刻・・各則の見解(けんげ)頌(禅機・禅境)など、禅者の風流な生活(行為)を紹介している次第です。

ご覧になった禅語から【!・・?】と感じられた一語を 孤独な独りイス坐禅で思い返し考え返してください。

(これを拈弄/ネンローと言います)

禅の公案(問答)は、いずれも異次元から答えられたように矛盾に満ちており、論理的心理的哲学的科学的な正解はありません。

これが正解だと言えば言うだけ、書けば書くだけ間違いや誤解が増えるだけなのです。

釈尊ですら・・生後7日に生母を失い、ヤソーダラー(妻)との間に、結婚13年目に生まれた男児に「ラーフラ」(サンスクリット語で 障(さわ)り。悪魔の意、漢字で羅睺羅(らごら)と名付け、子捨て(家出)しました・・その後、独り山に入って、6年に渉る苦行の後、菩提樹下、明星の輝きを見て悟りにいたる・・ソンナ苦悩、行脚の生活が背景にあります。

当時(2500年前)の平均寿命は30才前後。縁なくば、死んでも不思議ではない年齢でした。

後に羅睺羅は、仏弟子となったと伝えられています。

その因縁、由来はつまびらかではありません。

(山折哲夫著「ブッダはなぜ子をすてたか」集英社新書

更に1500年前、仏教伝来の最後を飾って、はるばるインドから中国に渡航して禪をつたえた菩提達磨(ぼだいだるま)・・にせよ、その後、禅語録に登場する中国の禅者たちは、現実的な今を尊重する中国の風土に育まれて・・

釈尊「犀(さい)の角(つの)のように。ただ独り歩め」

中村 元訳 ブッダのことば スッタニバータ・・と道(い)われた「禅ニヨル生活」を歩んできたのです。

「禅」は独り一人にチャントあります。宗教ではアリマセン。

寺僧や教本、教導に頼ることなく、独りでチョットの時間でも無価値で役立たずの「坐禅」をなさってください。

 

◆肥後の守 鉛筆けずりの手がそれて、アイタタ・タタと口は云うなり!

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO19  

肥後守(ひごのかみ)鉛筆削りの手が逸(そ)れて「アイタタ・・タタ!」と口は云うなり。

素玄居士曰く・・無門関の提唱をする以上、この一語は正札の一頌だぞ!(はてなブログ 禅のパスポート 第3則復刻意訳 参照)肥後守・・昔、鉛筆けずりの小刀のことをヒゴノカミといった。

     碧巌録 第十九則 俱胝只堅一指(ぐてい ただいっしをたつ)

【垂示】圓悟の垂示である。現代の量子論風にいえば、一量子の中に宇宙の原理があり、一花開けば世界が動く。ただし、一塵いまだ上がらず、一花いまだ開かざる場合は、どこに着眼すれば透徹できるのか。もし一束の絹糸の巻き締糸を断ち切れば、一斬一切斬。染めれば一染一切染となる。とは言え、悩みや苦しみをスッパリ断ち切って、無一物即無尽蔵の禅境(地)を現成する者がいるかどうか・・。

どうにもならぬ輩は、この公案を看取せよ。

    【垂示】垂示に云く、一塵(じん)をあぐれば大地おさまり

        一花ひらけば世界起る。

        ただ塵(ちり)いまだ挙(あ)がらず、花いまだ開かざる時の如きは

        いかんが着眼せん。

        ゆえに道(い)う、

        もし一綟絲(いちれいし)を斬れば、一斬一切斬(いつさいざん)。

        もし一綟絲を染(そ)むれば、一染(いちぜん)一切染と。

        ただ如今(にょこん)すなわち葛藤(かっとう)をもって裁断(さいだん)し、

        自己の家珍(かちん)を運出すれば 高低あまねく応じ、

        前後たがうことなく おのおの現成せん。

        もし或いは、いまだ 然らずんば 下文を看取せよ。

【本則】馬祖道一、大梅法常の法系、杭州天龍の「一指頭」の禅は、唐、武宗皇帝の仏教迫害(845年頃)福建省俱胝寺に預託された。

俱胝(伝記不詳)は、生涯、誰が問答を仕掛けようが、ただ指を一本立てるだけで押し通した禅者である。どんな因果、葛藤を持ち込まれようと、その一切をスパリと裁断する「一指頭」・・

一生使い続けても、使いつくせぬと遺偈している。

   【本則】挙す。

       俱胝和尚、およそ問(わ)るることあらば、ただ一指を竪(た)つ。

 【頌】雪賓重顯は語る。

求道者への「一指頭」は、さすが俱胝ならではだ。まるで大海の盲亀(腹に一つ眼のある亀)と、節穴のある浮板のたとえ話のようだ。

(昔、腹部に一つ眼をもった亀がいた。上(空)を見ようとスレバ、逆さまにならないと見えない亀だった。ある時、波間に節穴のある浮木を見つけて、それにしがみついて逆さまになったら、お腹の一つ眼が板の節穴にピッタリ当てはまり、青空を見ることが出来たと云う。・・千歳一隅の機縁のこと)

俱胝さんの一指は、盲亀に対するチョウド節し穴の開いた浮き板のよう・・。

求道者(盲亀)相手に俱胝さんの苦労が続くわい。

    【頌】対楊(たいよう)深く愛す老俱胝。

       宇宙 空(くう)じ来たるに、さらに誰かあらん。

       かって滄溟(そうめい)に向かって、浮木(ふぼく)をくだしたるに、

       夜濤(やとう)相(あい)ともに盲亀(もうき)は接したり。

附記】俱胝さんには、自分の教導の真似をした弟子(小僧)の指を斬って見性させたという逸話が残っている。

ただし私は、この逸話を肯定しません。

唐の武宗皇帝が4万に及ぶ寺院を焼壊し、僧尼26万人を還俗せしめたという仏教大迫害のご時世に、わざわざ指を斬り落とさねば、小僧ひとりの出来具合(禅機・禅境)を見届けられない、情けないテイタラクの俱胝なら、天龍一指頭の禅など、とっくの昔に廃(すた)れている・・と看ます。

道端から、鴨が飛び立って、師の馬祖(道一)から「何処へ行った」と問われ「イチイチ行く先を告げて飛び去る鳥がおりましょうか」と反論した修行中の百丈(慧海)・・思い切り鼻先をひねられて省悟した逸話が、碧巌録53則「百丈野鴨子」(ひゃくじょう やおうす)にある。

自分の真似をする小僧相手に、ワザワザ包丁を隠し持っていて指先をチョン斬るとは・・ナントまあ・・師家にあるまじき無能な行いでしょう。正伝では、キット小僧の立てた指をひねりあげて悲鳴一声、省悟ありが正答だと思います。

この他、「南泉斬猫」とか「達磨安心」=(慧可断臂)とか・・

中国特有の白髪三千丈といった誇大な表現があるにしても、切った張ったのヤクザ話じゃあるまいし、殺伐とした公案の刃傷沙汰は無かったものとしておきます。

過去、こうした故事来歴を、さすが南泉とか、達磨ならでは・・と提唱してきた師家がたの勇猛な無神経ぶりに失望しています。

この件は各則の解説附記でお話しすることにします。

◆如何なるか 禅? 石頭「石コロ」

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO20  

◆求道者 問う「如何なるか是れ禅」

・・石頭云く「碌磚(ろくせん・石コロ、瓦)」

      碧巌録 第二十則 翠黴禪板(すいび ぜんぱん) 

                   龍牙再来無意(りゅうが さいらい いなし)

【垂示】圓悟が、座下の求道者に語る前置き話。

「禅ニヨル生活」は、釈尊坐禅から、中国へ渡海した達磨に、そして、日本の一休さん良寛さんにだけ伝燈された訳ではない。何も人間に限らず、河原に転がっているタクワン石や風にそよぐ稲穂の1本にも・・いや、全宇宙の満ち満ちた有り様に露堂々(隠さず)に独露身(ありのまま)を見せているのだ。

このことに気づかない求道者は、アチコチ行脚して、先達の師を求め、語録を読み漁りして、迷いに迷うことになる。

(最近、欧米人がZENを求めて、日本に来ることが多くなったが、純禅は名所旧跡の寺僧の元から、とっくの昔、消え失せてしまった。今は鈴木大拙(禅者・佛教学者)の英訳の著作を読むか・・千年前の無門関や碧巌録など禅語録を師として・・)

問答に生けるが如く、活手腕の禅者たちの振る舞いを挙げるから、試みに看るがよい。

    【垂示】垂示に云く、

     堆山積嶽(たいざんせきがく)撞墻磕壁(とうしょかいへき)なるに

     佇思停機(ちょしていき)するは、一場の苦屈(くくつ)なり。

     あるいは この漢あり。出で来って大海を掀翻(きんぽん)し、

     須弥を踢倒(てきとう)し、白雲を喝破(かっぱ)し、虚空を打破し、

     直下(じきげ)に一機一境に向かって、天下の人の舌頭を坐断せば、

     汝が近傍(きんぼう)する處ならん。

     しばらく道え、従上来(じゅうじょうらい)

     これ什麼人(なんびと)か曾って恁麼(いんも)になせしぞ。

     試みに挙す看よ。

【本則】若い竜牙居遁(りゅうげ いとん)は行脚に出た。

最初、翠黴無学(すいび むがく)に問いかけた。

「如何なるか 祖師西来の意」(達磨さんがインドから中国に来た目的は?・・ZENとは何か?の意味)

その時、翠黴は坐禅していたが、龍牙の問いに答えたのか、別のことか・・「チョット、そこの禅板(疲れた時の脇息)を取ってくれんか」と頼んだ。龍牙が取って渡すと、いきなりピシャッと頬を打った。

龍牙「私を打つのは構いませんが、要するに祖師西来の意は無いのです」と言い放って立ち去る龍牙を翠黴は無言で見送った。

續いて彼は、臨済を尋ねて再び、問う。

「祖師西来の意 如何」

臨済の一喝は、三日間は耳が聞こえなかったと云われる大喝だが、この時は、ミミズ(土竜)を見た虎の如く、彼の問いを意にも介さず「そこにある円座(坐禅用)を取ってくれんか」と云った。

龍牙が円座を取って渡すやいなや、臨済は、間髪を入れず、ピシりと彼の頬を打った。

龍牙「打つなら打つに任せます。ただ祖師西来意は無いのです」

    【本則】挙す。龍牙(りゅうげ)翠黴(すいび)に問う。

       「如何なるか 是れ祖師 西来(せいらい)の意」

        微云く「我がために禅板(ぜんぱん)をすごし来れ」  

        牙、禅板を過(すご)して翠黴に與(あた)う。

        微 接得(せっとく)して すなわち打つ。

        牙云く「打つことは即ち打つに任すも、要するに且(か)つ祖師西来の意はなし」

        牙また臨済に問う「如何なるか是れ祖師西来の意」

        済云く「我がために蒲団(ふとん)をすごし来れ」

        牙 蒲団をとり臨済に過與(かよ)す。

        済 接得して便(すなわち)打つ。

        牙云く「打つことは即ち打つに任すも、

        要するに且つ、祖師西来の意はなし」

【頌】龍牙山の龍には牙も爪もないようだ。せっかく翠黴が禅板を要求し、また臨済が座布団を求めて・・「坐久成労(ざきゅうじょうろう)」の禅・禅ニヨル生活(行い)そのものを実行しているのに、これを奪い取らず、馬鹿正直に、そっくりソノママ渡ししてしまった。そのお礼が頬への一打である。

エエイ!龍牙のボンボンぶりが口惜しいから、もうヒトコト添えてやろう。ワシ(雪賓重顯)なら禅板だろうが、円座だろうが、寄こせと言われたら、決して渡してなるものか。有難く(会難く)もらって帰るだけだ。

これは六祖(大鑑)慧能・・たしか あ奴は、焚き木拾いの米つき道者。禅者らしく振舞いたくて、それらしい道具立てを欲しがっていたようだからな。

「ダールマさんがコーロンだ!」・・

「だるまさんがころんだ」

「あゝ夕焼け空が真っ赤っか・・ミンナミンナ帰えろカナー」

  【頌】龍牙山裏(りゅうげさんり)の龍には眼(まなこ)なし。

     死水何ぞ曾って古風を振るわん。禅板 蒲団用(も)ちうること能わず。 

     ただ まさに分付(ぶんぷ)して盧公(ろこう)に與たうべし。

     (この老漢、また未だ勦絶(そうぜつ)することを得ず。また一頌をなす)

     盧公に付し了(おわ)るも また何ぞよらん。

     坐椅(ざい)して まさに祖燈(そとう)を継がんとすることを休したるなり。

     暮雲(ぼうん)の帰って未だ合せざるに対するに堪えたり。

     遠山には限りなき碧層層(みどり そうそう)

【附記】登場人物・・

翠黴無学(詳細不明・六祖慧能から五代目。唐 玄宗皇帝〈739~〉の頃 生まれ、憲宗皇帝(819~)の頃、亡くなった丹霞天然の弟子。

臨済義玄(?~867)臨済宗開祖。6祖に継ぐ6代目。

龍牙居遁(835~923)6祖から7代目。これは彼の20才頃の北方地方、行脚放浪の時の話。達磨西来の意図は無い・・との覚真にコダワリ続ける一途さをどう滅却させられるか・・後、南方の師、洞山良价(806~869)に「如何なるか 是 祖師西来意」と問うて、洞山「洞水の逆流せんを待って即ち汝に向かって道(い)わむ」。龍牙はこの一語によって忽然と省悟した。以降8年随侍。嗣法した。

 

青原門下 湖南の石頭希遷(699~790)本分の事をもって終始し、禅機作略をもちうることがなかった。当時の南嶽門下 江西の馬祖道一(709~788)の言葉に「石頭の路 滑らかなり」とある。この二門より後の曹洞・臨済二宗が展開する。禅の伝授、先達の禅定精進を論じない石頭の、求道者の舌頭を坐断する問答がある。

求道者問う「如何なるか是 解脱」・・石頭「誰か汝を縛(ばく)する」

求道者問う「如何なるか是 浄土」・・石頭「誰か汝を垢(けが)す」

求道者問う「如何なるか是 涅槃(ねはん)」・・石頭「誰か生死をもって汝に與(あた)うる」

 

坐久成労・・碧巌録17則「香林坐久成労」に詳しく記述済。祖師西来の理由は・・ダルマさん、暑い天竺から逃げ出して、涼しい嵩山(少林寺)で足腰しびれが切れるほど坐禅したくて、やって来た訳サ・・の意。

 

 

◆カラシ蓮根は実にうまいよ!それに熱燗!

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO21

◆12月9日 補足追記 

12月1日から8日までの1週間は、釈尊が悟りを開かれた日として、これを1日間とみなし、臨済僧堂では「雲水の命取り」といわれる、ぶっ続け坐禅と師家独参の修行「蠟八大接心」がある。

釈尊が6年苦行の後、菩提樹下で端坐、夜明けの明星を看て、正覚を成じた由来を機しての接心会だが、食事と用便を除いて坐禅三昧。眠るのは午前3時までの、僅か3時間の坐睡のみ。雲水が、これほど激しく公案と向き合い自分と戦う姿は、まず修行中、無いといえよう。されば、本日の鶏鳴を迎え、熱い梅干し茶をいただく心持ちは、年老いても忘れ難いと云う。

禅は宗教の元という意味で禅宗といいます。宗派のことではありません。例え僧堂で何十人の雲水が、悪戦苦闘して正覚を求めても、坐禅、独参しての結果、得られるものではありません。

坐禅釈尊、達磨、先達の禅者のとおり、たった独りで行うことが大事です。

無理なく自然体で(現代人は)イス坐禅たったの3分間ぐらいの・・悟りなどの功徳や見返りを求めることなく・・役立たずの坐禅を、おりおりに繰り返すだけです。

時に、この・・はてなブログ 禅者の一語(碧巌録・意訳)や、禅のパスポート(無門関・素玄居士提唱、復刻意訳)、あるいは 羅漢と真珠(禅の心、禅の話)から、ご自分の禅境(地)を確かめられる道標になさって、あせらず、たゆまず、独り坐禅を・・のんびり・・お続けになってください。

ただ、注意は、決して、仲間づくりはなさらないこと。

独りポッチ、寂寥の坐禅であることです。

座禅と書かず「坐禅」と書いてください。

 碧巌録 第二十一則 智門 蓮華荷葉(ちもん れんげかよう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

昔は、門前に旗や幟(のぼり)をたて鐘や太鼓を叩いて、人集めして仰々しく説法をしたというが、今時は流行らない。

肩の荷をおろして、ヤレヤレ大往生もわるくないけれど、ソリャ独善修行だ。

ここに挙げる智門の公案を、素直にわかる者なら、一を聞いて三を識る位の駆出し禅者といえよう。

だが、達者な人とはとうてい言えぬ。古人の逸話に耳を傾けよ。

  【垂示】垂示に云く、法幢(ほうとう)を建て宗旨を立(りっ)するは

   (これ)錦上に花をしくなり。

   籠頭(ろうとう)を脱し、角駄(かくだ)を卸(おろ)すは

   (これ)太平の時節なり。

   あるいは もし格外の句を辨得(べんとく)せば

   挙一明三(こいつみょうさん)ならん。

   それ或いは未だ然(しか)らざれば、

   舊(ふる)きによって、伏して処分を聴け。

【本則】蓮の葉と花の話である。

求道者が智門に尋ねた。

「蓮の花が、まだ水上に花を咲かせていない時ナントいいますか」

智門「蓮の花」

求道者「では水上に出て、見事な花を咲かせた時は・・?」

智門「葉っぱとでも呼んでおけ」 

     【本則】挙す。僧 智門に問う。

      「蓮華(れんげ)いまだ水より出でざる時は如何(いかん)」

       智門云く「蓮華」

       僧云く「水より出(い)し後(のち)は如何」

       門云く「荷葉(かよう)」

【頌】ハスの花が、水中にあれば何と呼ぶか・・伝灯録に、この種の問答が沢山、記録されている。

難しくいえば「宇宙の本質と現象」「無明と佛性」について、智門(禅者)に問われた幕間芝居だが、食えたシロモノではない。

千年前も、現代も、こうした求道者ぶった狐疑の連中がウロツイテいたようだ。

蓮根を泥池の中から掘り出して、辛子蓮根に仕立ててから問うて来たまえ。

   【頌】蓮華と荷葉を君に報じて知らしむ。水を出でればいかん。

      (水を出)でざる時は、江北,江南、王老に問え。

      一狐うたがい了(おわ)って 一狐疑(うたが)う。

附記】籠頭(ろうとう)を脱し、角駄(かくだ)を卸(おろ)す・・馬の口嵌(草を食べさせない道具)を外し、馬の背に分けて載せる四角の荷駄を下ろすこと。

智門光祚(ちもん こうそ 960頃~1030年代)雪賓重顯(980~1052百則頌古)の師。

 

 

◆コブラに噛まれた【毒消し】は要らんかねぇ・・

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO22  

 碧巌録 第二十二則 雪峰鼈鼻蛇(せつぽう べつびじゃ)

【垂示】例によって圓悟の前おき話・・

宇宙の「宇」は無限(∞)の空間を表わし、「宙」は無限(∞)の時間を表わす。だから、宇宙の境界は無いのだが、それは理論・哲学から言うことで、夜空の星々の輝きを見ると、人が不思議に生かされてあるのを感ぜずにはおれない。

あえて言えば、人は宇宙の為に存在している訳でもないし、人の為に宇宙がある訳でもない。だから、文字通り個個・此処(ココ)に唯我独尊(遺伝子はみな違う)金石麗生(純金も路傍の石コロもそれぞれに麗しく生じている)を自覚して「禅による生活」を行いたいものであるが・・

サテサテ・・このような禅境(地)にいたる禅者は、イッタイ何処の誰であろうか。南山の毒蛇(コブラ)話を看るがよい。

  【垂示】垂示に云く、大方は外(ほか)なく、細きこと隣虚(りんこ)のごとし。

      擒縦(きんじゅう)は他にあらず、巻舒(かんじょ)は我にあり。

      かならず粘(ねん)をとき、縛(ばく)をさらん去らんと欲せば、

      直にすべからく迹(あと)をけずり、聲をのみ、

      人々要津(ようじん)を坐断して、

      箇々 壁立(へきりゅう)千仞(せんじん)なるべし。

      しばらく道え、これ什麼人(なんびと)の境涯ぞ。

      試みに挙す看よ。

【本則】雪峰義存が求道者に言った。

「この(雪峰)山に恐ろしくも珍しい毒蛇が現れた。お前たち行って看てきなさい」

弟子の長慶「実は、そのコブラ話で皆、戦々恐々です」と答えた。

別の求道者が玄沙に「どうです・・あなたもコブラ見物に行かれては・・」と話をもちかけると、玄沙は「剛毅(ごうき)な長慶さんなら、危険きわまりない冒険をしましょうが、私はご免です」

求道者「どうしてですか」玄沙「毒蛇の毒気に当てられて死にたくはありません」と答えた。

師が、さらに求道者達にケシカケタ時、傍らに控えていた雲門が太曲がりな杖を、ガラリと投げ出して「ホラ・・此処に毒蛇がいるぞ」とやってみせた。

  【本則】雪峰 示衆して云く「南山に一條の鼈鼻蛇あり、

   汝ら諸人 せつに すべからく好看(こうかん)すべし」

   長慶云く「今日 堂中には大に人の喪心失命(そうしんしつみょう)するあり」

   僧 玄沙に挙示す。

   沙云く「すべからく これ稜兄(りょうけい)にして はじめて得(う)べし。

   しかも かくの如くなりといえども、我は即ち不什麼(ふいんも)」

   僧云く「和尚 作麼生(そもさん)」

   玄沙云く「南山を用いて なにかせん」

   雲門 拄杖をもって 雪峰の面前に攙向(ざんこう)怕勢(はせい)をなしたり。

【頌】雪峰山は観光客の寄り付けない、とても高峻な山である。

それでも求道心の篤い参禅の輩は、コブラの一匹でも退治する気迫をもって山に登る。

 このコブラ出現の事件は、弟子の長慶にせよ、玄沙にせよ、怖気づいてしまって話にならない。

そこへゆくと雲門はどうであろう。

見上げた真の禅者といえよう。

雲門は、コブラが天竺(インド)でなら いざ知らず、いかに南方とはいえ中国に出現するのは、極めてまれな出来事と承知して・・「ホラ出た!」とばかりに、太く曲がった腕程の杖を、法宴の場に放擲(ほうてき・投げ出)して見せたのである。

いきなり「ガッッ」と牙をむきだしたコブラの出現・・その非凡な行動は、禅機ハツラツとしている。そして、誰も手だし出来なかったコブラは悠々と退散。姿をくらました。

後に、雪賓いわく「サア、このコブラ、イマ、この雪賓山に隠れているが、見たければ見せてやる。ただしヒトカミされたら、即、お陀仏だぞ・・ソレ危ないぞ!」とばかりに・・雪賓重顯は声高に云った・・看 脚下!

  【頌】象骨巌(ぞうこつがん・雪峰山の意)高くして人はいたらず。

   到るものは すべからく是れ蛇を弄する手なるべし。

   稜師も備師も いかんともせず。喪心失命 多少あり。

   韶陽(じょうよう)かさねて草を撥(はら)うも

   南北東西たずねるに處なきを知る。

   忽然(こつねん)として突出す拄杖頭。

   雪峰に抛対(ほうたい)して大(おおい)に口をはる。

   大に口をはる閃電(せんでん)に同じく、

   眉毛を剔起(てっき)すれば 又見えず。

   如今(にょこん)かくれて乳峰の前にあり。

   来たる者は、一々 方便を看よ。

    (師 高聲(こわだか)に喝して云く 看脚下)

 附記】この話は 雪峰(山)義存五十七才。弟子の玄沙師備四十五才。長慶慧稜二十五才。雲門文偃二十七才頃・・中国 唐代(878年頃)の、純禅に生きる「禅ニヨル生活」のひととき・・禅者たちが、暇を持て余し、互いの禅機・禅境を見合う遊びの一刻、寓話である・・ともいえよう。

当時、雪峰山には求道僧千五百人とあるが、禅機ハツラツとした者は、雲門ただ一人。禅を信仰欣求したり、分別、理屈で解読できると思い込んでいる学僧ばかりだった。

この猛毒コブラ・・蛇と云うのは例え話で、実態は、般若{空}のことである。

現代の寺僧や学人も同様に・・坐禅集中して、公案「隻手音声」を見性するといっても、このコブラ公案を透過するといっても、せいぜい師から両手でひっぱ叩かれたり、コブラのヒトカミで毒殺されてしまうだけの・・徹しがたい「空=無」の一字である。禅の正体を、たかだか数年の雲水・僧堂生活で、印可取得できると大誤解して思っているのである。でなければ、禅を卒業証書のように取得できるものと勘違いしているに相違ない。

あわてるな・・焦るな・・といいたい。

もっと肩の力を抜いて、独り3分ポッチの坐禅を、2~30年、寝起きの合間に続ければ・・独り一人に備わったZENが、自然に目覚めて自覚してくれるハズであるのに・・。

 この禅者の一語(碧巌録意訳)の他に、はてなブログ 禅のパスポート(無門関素玄居士提唱の復刻、意訳)を、参考に読まれて、コブラ(禅毒)の毒消しを身につけられるよう・・よく脚下照顧してください。

 

碧巌の歩記(あるき)NO23 鳥飛ぶに倦んで還えるを知る・・

【禅者の一語】

◆雲 無心ニシテ而 岫(しゅう)ヲ出ズ・・雲無心而出岫

 鳥 飛ブニ倦(う)ンデ而 還ルヲ知ル・・鳥倦飛而知還

                                                  陶淵明 帰去来の辞) 

碧巌録 第二十三則 保福長慶遊山次(ほふく ちょうけい ゆさんじ)

【垂示】物体の真贋(分析)は、金ナラバ試金石で・・剣は刃に吹毛すれば切れ具合でスグにわかる。水の深さは棒を立てれば測ることができる・・それでは禅者の禅機禅境・その深浅ぶりは、ピチピチ跳ね回るアユを捕まえるようで、ナカナカ難しい。

さあ、この遊山問答、どのように天秤にかけるか、道うてみよ。

   【垂示】垂示に云く、玉は火をもって試み、金は石をもって試み、

       剣は毛をもって試み、水は杖をもって試ろむ。

       衲僧(のうそう)門下に至っては、一言一句、一機一境、

       一出一入、一挨(あい)一拶(さつ)において

       深浅(しんせん)を見んことを要し、

       向背(こうはい)を見んことを要す。

       しばらく道え、なにをもってか試みん。請う挙す看よ。

【本則】雪峰義存(せっぽう ぎそん822~908が70歳の)891年頃・・その弟子達三名・・長慶慧稜(ちょうけい けいりょう38才頃)鏡清道怤(きょうせい どうふ24才頃)保福従展(ほふく じゅうてん22才頃)の、雪峰山、禅院での遊山問答である。

後の代になって雪賓重顯(せっちょう じゅうけん)が著語(ちゃくご 意見)している。

 

ある秋の日、保福と長慶が連れ立って、雪峰山頂を散策した。

保福がフト足を止めて「どうですか・・此処こそ(比較すべきもない真理無二の)妙峰山頂でしょう・・」と、善財童子を気取って云った。

「ナルホド、それはそうだが・・」長慶は肯定した・・が、

「まだまだダ。惜しいことだナ」とつぶやいた。

(これに雪賓が意見した・・散歩しただけで何が解ろうか。妙峰山頂は百万年たっても発見登頂は難しい。出来ないとは言わないがホンの少数だネ)

長慶に一本取られた保福、名誉挽回をはかるべく、兄弟子の鏡清に 自分の境地、どんなものだ・・と尋ねた。

すると鏡清、ほめるどころか「さすが長慶先輩、見識が高い。

よくぞ叱ってくれた。ただコレカラ、ここも観光寺になってしまって拝観者が押し寄せるぞ。困ったモンだ」とつぶやいた。

 【本則】挙す。保福と長慶と遊山せし時、福、手をもって指さして云く

     「ただ這裏(しゃり)すなわち これ妙峰頂(みょうほうちょう)」

     慶云く「是はすなわち是なり。可惜許(かしゃくこ)」

     (雪賓せっちょう 著語ちゃくご して云く

      「今日この漢と共に遊山して この何をかはかる」また云く

      「千百年 後(ご)なしとはいわず、ただこれすくなからん」)

     後に鏡清(きょうせい)に挙示(こじ)す。

     清云く「もしこれ孫公(そんこう)にあらざりしならば、

         すなわち髑髏(どくろ)の野に あまねきを見しならん」

【頌】ナント妙峰山頂は草ボウボウ。

誰にもココが天竺(インド)勝楽国、妙峰山とはわかるまい。

たとえ保福が雪峰山を妙峰山にダブらせたところで、ソンナ安っぽい禅(境地)に振り向く者はいない。

サテサテ・・後世・・解かったフリで受け売りコピペする「禅者モドキ」が、ウジ虫の如く湧き出てくるだろう。

たまったもんじゃない。

    【頌】妙峰孤頂(みょうほうこちょう)は草離離(くさりり)。

       拈得分明(ねんとくぶんみょう)にして誰にか付與(ふよ)せん。

       これ孫公の端的(たんてき)を辨(べん)ずるにあらざれば、

       髑髏(どくろ)著地(ちゃくち)幾人(いくにん)か知らん。

 附記】趙州従諗は、雪峰の先輩に当るが・・同時期の120才まで生きた禅者である。あるいは雪峰門下の公案(逸話)に見解(けんげ)を求められたことがあったであろう・・と推測される。

求道者から「如何なるか 是れ妙峰頂」と問われた事がある。

趙州は「汝に(この話)応えず」と・・答えて、堅く口を噤(つぐ)んだそうだ。

 

碧巌の歩記 NO24 貴方なら、この牡牛VS牝牛問答・・どんな値打ちをつけますか?9/16附記改訂

【禅者の一語】  巌録 第二十四則 鐵磨老牸牛(てつま ろうじぎゅう)

                       鐵磨到潙山(てつま いさんにいたる)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

高い山から眼下を見たり、深い海底に端坐して、世界を支配している者には悪魔や外道、仏様だって、その境涯は窺がえない。例え流星のような素早い眼識があろうと、雷電の如き手腕の輩であろうと・・こんな唯我独尊の境涯に安住している達道の禅者の前に出たら、チャント砂中に卵を産み隠した大亀が、足跡を尻尾で佩いて消し去ったにしても、尻尾の跡で卵を見つけるように、ヤスヤスと正体を見抜けるのである。

当時、坊さんながら、年老いた牡牛のごとく畑に出て働いていた潙山の霊裕老師78才頃(771~853)と、その山麓に住した、お尻が臼のように大きくてガンコで世話焼きの、年寄り牝牛の如き劉鐵磨(りゅうてつま)の山小屋芝居を看よ。

  【垂示】垂示に云く 高々たる峰頂に立てば 魔外(まげ)も知ること能わず、

   深々たる海底に行けば、佛眼もうかがえども見えず、

   たとえ眼(まなこ)は流星に似、機は掣電(せいでん)の如くなるも、

   未だ霊亀(れいき)の尾を曳くことを免(まぬが)れず、

   這裡(しゃり)に到って まさにいかんがすべき。

   試みに挙す看よ。

【本則】ある日の夕方。畑に出て帰って一休みしていた潙山霊裕のもとに、世話焼きの劉鐵磨がやって来た・

潙山「おゝ・・老いぼれ牝牛か・・よく来たなぁ」

鐵磨「近日、五台山で宣宗皇帝ご即位、仏教復興の大法会があるそうですが 行かれますか(行かれるなら)同行したいものです」

すると潙山和尚、今日は畑仕事でひどく疲れた・・様子で、ゴロリとよこになり寝てしまった。

劉鐵磨は、サヨウデ ゴザイマスカ・・の風で、すぐさま帰ってしまった。

        【本則】挙す。劉鐵磨(りゅうてつま)潙山にいたる。

         山云く「老牸牛 汝、来たれりや」

         磨云く「来日(らいじつ)臺山に大會斎(だいえさい)あり。

         和尚 また去るや」

         潙山 放身して臥(ふ)す。

         磨 すなわち出で去れり。

【頌】まるで女将軍が鉄馬に乗って、敵陣に乗り込んだような場面だが、潙山に老いぼれ牝牛の扱いを受けて体制を整えなおした。

「仏教復活の大法會があるとか。心境如何」問答の開始である。

ところが潙山・・ホントに戦争が終わったのかと、疑心暗鬼の女将軍を相手にするどころか、ホッタラカシで大いびき。

妙好人なら、さしずめ「わが親様の膝枕・・何で遠慮がイリョウカ」だろう。

老いぼれ牝牛も寝倉に帰る・・幕の内弁当もでないお粗末芝居(幕切れ)です。

だが、ソラ・・そこの方・・貴方なら、この問答に、いかほどの値をつけますか?

ご納得次第・・木戸銭はチャント払って帰りなさいョ。

    【頌】かって鐵磨にのって重城に入りたるも、勅(ちょく)下って 

     六国(りっこく)の清きことを 伝え聞きたり。

     なお金鞭(きんべん)をにぎって帰客に問う。

     夜は深し、誰と共に御街(ぎょがい)をゆかん。

【附記】百丈懐海(ひゃくじょう えかい 洪州 百丈山)に参禅したのち、司馬頭陀(しばずだ)の推薦を受けて、潭州、潙山に同慶寺を建てた霊裕老師と、まるで女相撲の容姿をした、麓の小庵に住む世話焼き婆さんの一幕ものの話である。当時、心ある禅者は、自ら田畑を耕し、庵を普請し、水を汲み薪を集めて 独り坐禅をしつつ自活した。彼は、弟子、仰山慧寂(ぎょうざん えじゃく)との名を採って「潙仰宗」の始祖となったが・・老僧百年後、山下の水牯牛となって働いているであろう・・と予言したごとく、自らを牡牛と自認していた。また劉鐵磨は、彼女が、浙江省衢州(くしゅう)の子湖利蹤(しこ りしょう・南泉普願の弟子)に、男勝りの問答を仕掛けて「お前は右回りの臼か、左回りの臼か」と問われて痛棒を喫したり、遠く山西省五台山の復興の大法会の出かけたいと、潙山に同行を強要したり・・とかく、デシャバリ牝牛と評判の女禅客であったようだ。頃は、仏教迫害の直後であり、聖地五台山詣でで浮足立っていた時代であるが、まだまだ、真の禅者は「唯我独尊」・・独りポッチの禅境に生きていたことを証明する話である。

有(会)難とうございました。

 

碧巌の歩記(あるき)NO25 月白風清

【禅者の一語】

禅は、常に「孤高性」を身にまとう「坐禅」が大事です。

碧巌録 第二十五則 蓮華峯拈拄杖(れんげほう しゅじょうをねんず)

              蓮華庵主不住(れんげあんしゅ ふじゅう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

心の働きが止まって活動しないなら、有毒の大海におぼれ死ぬようなものである。素晴らしい、非凡な表現がなければ月並みな俗人になり染まる。

情報過多の現代人は、ご飯を食べるにも、カロリーがどうだとか、ダイエットがドウダとか、ドコ何処の店がおいしいとか、効能書きのスマホ・TVに振り回されている。

禅は「無功徳・役立たずの独り坐禅・・行い」が大事である。

では、禅者は、日頃、どのように生活しているのか・・どうすればよいのか・・3行目からの垂示を意訳すると・・(禅者たるもの)雷光一閃の内に黒白を見極め、大悟一番、あらゆる関(かかわ)りを坐断して、誰も寄り付けぬ千尋の碧巌に立つことだ。

サア・・お前さんたち・・コンナ「禅による生活」が日頃、何処で行われているか知っているか?

以下、先達の話を窺(うかが)い看よ。

【垂示】垂示に云く 

 機(き)位(くらい)を離れざれば、毒海に堕在(だざい)し、

 語、群を驚かさざれば流俗(りゅうぞく)に陥(おち)いる。

 たちまち撃石(げきせき)火裡(かり)に緇素(しそ)を別かち、

 閃電(せんでん)光中に殺活(せっかつ)を辨(べん)ずるが如きは、

 もって十方を坐断して、壁立千仞(へきりゅうせんじん)なるべし。

 また恁麼(いんも)の時、節あるを知るや。試みに挙す看よ。

【本則】雲門文偃の弟子➡金陵道深の弟子➡この則の主人公 盧山蓮華峯の祥(しょう)庵主は天台山の山奥に、隠者の生涯をおくっていた。

時に、求道者が尋ねてきて、問答を仕掛けると、いつも手にしている杖をあげて「昔の人は、どうして仙人の如き洒脱の生き方が出来なかったのか」と問いかけた。

(これにマトモニ答える者がいないので自らが答えて・・)

「無我無欲で安心立命できないで、名利の奴隷になっているのだろう」(と、云われても、さらに応える人がいないので・・)

庵主は自ら云う「やめた、やめた。話し相手がいないのなら、これからは杖を担いで白雲青山を友に暮らすことにする」

(この真意を知りたければ、雪賓(せっちょう)の頌を看取せよ)

【本則】挙す。蓮華峯 庵主、拄杖を拈じて示衆(じしゅう)して云く

    「古人 這裏(しゃり)に到って、なんとしてか住するこを肯(がえん)ぜざりしや」

    (衆 語なし。自(みず)ら代わって云く)

    「他の途路(とろ)に力をえざりしがためなり」

    (また云く)「畢竟(ひっきょう)いかん」(また自ら代わって云く)

    「櫛傈(しつりつ・拄杖の意)を横に擔(にな)って 人を顧(かえ)りみず、

     直に千峰萬峰に入り去らん」

【頌】ガリ(我利)ガリ亡者に、スマホ幽霊・・現代はまるでバーチャル世界。月白風清の深山も住みづらいことになってしまった。

しかし、見渡せば・・花いっぱい香いっぱい。溪聲いっぱい。

名聞利養の輩には、祥庵主が杖をつきつき、いったい何処へ行ったのか・・何をしてることやら・・キット見えないことだろう。

   【頌】眼裏(がんり)は塵沙(じんしゃ)、耳裏(じり)は土。

      千峰萬峰にも住することを肯(がえん)ぜざらん。

      落花流水は はなはだ茫々(ぼうぼう)。

      眉毛を剔起(てっき)すれば、何処(いずこ)にか去りしぞ。

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO26 世界一の美人・・楊貴妃の一つ年下に生まれた禅者・・百丈山の懐海!

碧巌録 第二十六則 百丈独坐大雄峰(ひゃくじょう どくざ だいゆうほう)

【垂示】この則には【垂示】が欠落しているので、百丈を取り巻く環境を書いておきます。

ここに登場する百丈(ひゃくじょう)懐海(えかい720~814)が生まれたのは、中国史で誰でも知っている楊貴妃が719年に生まれた1年後(玄宗皇帝35才)である。

蜀のげんえんの娘が楊貴妃となったのは745年。玄宗皇帝61歳。楊貴妃27歳・・百丈懐海26歳・・当時・・安禄山の謀反があり、ひどく風紀が乱れ頽廃の時代にあって、寺院や僧たちも相当に堕落していたようだ。

彼が禅林(百丈)清規(しんぎ=禅の宗団生活の規則)を定めたのもうなずける。

五燈會元に、老齢の百丈が、率先して働く(作務する)ので、弟子たちが密かに作具を隠したところ、自分の不徳の所為だ・・と食を絶った・・との逸話がある。その時の有名な言葉が「一日作(な)さざれば、一日食せず」・・である。

彼の法系は、大鑑慧能→南嶽懐譲→馬祖道一から→百丈懐海となる。弟子に黄檗希運黄檗宗)→臨済義玄臨済宗)と、別に・・百丈→潙山霊祐→仰山慧寂(潙仰宗)の禅宗派の始祖となる・・すぐれた禅者達を打出した。

もし、玄宗皇帝の世に、百丈がいなければ、はたして日本に伝播した禅はどうなっていたことか・・解からない程の影響力がある。

百丈山(別名 大雄山)は中国江西省洪州にあり、そう高くもない、のんびりした山だ・・そうだが、大雄と云う(山)峰に独り坐す・・と決めつけたおかげで、日本の富士山のような雄大な山になってしまった。

 

【本則】奇抜で面白い「山」の話を紹介する。

百丈(大雄)山の萎(しな)びた禅庵に、少しは問答のできる求道者が尋ねてきた。

「何かめずらしいこと・・特別に賞賛に値することはありませんか?」

百丈懐海「奇特なこと?・・なにもない。ただ、独り山奥(大雄峰)に坐っているだけさ」

それを聞いた求道者、何故か、恭(うやうや)しく一礼した。

百丈、すかさず手にした竹箆(しっぺい)で、ピシリと求道者を打った。

        【本則】挙す。

            僧 百丈に問う「如何なるか これ奇特のこと」

            丈云く「独り大雄峰に坐す」

            僧 礼拝(らいはい)す。

            丈 すなわち打つ。

【頌】馬祖道一の弟子である、百丈懐海は まるで天馬の如き稀代の名馬である。禅の積極的な働き(向上・放行)と消極的な働き(把住・向下)を自由自在に楽しんでいる。

ちょうど、雷光一閃の瞬間、天地が逆さまになるような、すぐれた働きをする・・こんな非凡な禅者の前に来て「如何なるか是れ奇特事」とは。あたかも猛虎の髭をなでるような出来事だぞ。

ピシャリと打たれて済んだのも果報の内だよ。

(打たれるには意味がある)

      【頌】祖域(そいき)に交馳(こうち)す天馬駒(てんまく)

       化門(けもん)の舒巻(じょけん)は途(と)を同じゆうせず。

       電光石火に機変を存(そん)す。

       笑うに堪えたり人の来って虎髭(こしゅ)を捋(ひ)くことを。

【附記】「一日 作さざれば、一日 食せず」と、萎(しな)びた山間に独り、坐っている爺さん・・どうも一致しずらいのは、世の中に出回る勇壮な書一行「独坐大雄峰」のせいだ。

大雄峰は、日本の富士山のイメージで、一行の禅書にモッテコイの素材です。

ですが、百丈の生きていた現実は、僅か千メートルに満たない、竹林と滝があり、虎の出る山奥の・・素貧なひとり住まいの禅者の一語です。

この百丈懐海・・原の白隠一休宗純より、越後の(国上山)五合庵に住んだ良寛さんのような方だったのか・・興味はつきない。

現代社会は情報社会と言う・・けれど、頭脳の何千万人分、図書館の何千館分の知識がパソコンで利用できるのだが、広大な宇宙の果て銀河世界や、逆に最小単位のミクロ、量子物理学を究めつつあるとは言え・・親殺しや子殺しが頻発する(病める現代の世情を見極めきれない)宿業に振り回されている存在が人間です。そうした社会の為になる研究や開発、頭脳そのものの研究、自然科学の研究に情報の活用は大事です。・・だからこそ、釈尊以前からインドの地にあった「空・無」を拠りどころにする浄慮・静寂の「禅」が、現代社会の(心の)免疫不全に役立つのです(役立たずの禅が、無功徳という解毒剤の役割をもっているのです)

そして、先達が歩いた足跡・・禅語録(公案)が禅境(地)を語ってくれています。千年・二千年前であろうと、ひたすら内面に「自己とは何か」を問いかけることに、何の科学的情報や社会・寺僧の名利、教導とやらが必要でしょうか。

むしろ知的思考に頼り、スマホやパソコンの情報を解析のツールにする以上、バランスを失った理性は、般若(智慧)の真実から遠ざかります。思考は、分別分析の作業そのもの・・対比、検索の作業だから、まるでパソコンに、永久運動の機械設計を依頼するようなもの。円周率を計算させるような働きになってしまうのです。百丈に、竹箆で打たれた求道者は、自分の一大事は、自分でしか解決できないことを知ったでしょう(釈尊も、独り菩提樹下、スジャータの牛乳をもらって坐禅された。そして、釈尊の悟りが禅は宗教以前にある・・ことを証明しています)

釈尊以来「禅による生活」をなしてきた禅者たちは、万象の獨露身そのものの禅境(地)を体現しています。「自分とは何か・・」「幸福・安心とは何か」の問いに、答えを発見しようと行脚する・・いわゆる・・求道(好奇)心がある限り、どこかで誰かが「独り坐禅」を介して(キット禅の)発芽があることでしょう。

世の中で、最も奇特で大事な事・・とは、萎びた山中で、むさくるしい爺さんではあるが・・まるで「富士山のように聳え立つ般若の真ん中で、どっしりと坐っている自分(自我)・・これである」・・と自賛する百丈。まるで天上天下 唯我独尊を凌ぐ禅者の一語である。

 

 どうやら地球を尻に敷いて「ドン」と坐りこむ大虎の傍らで、仔猫のように、跳ね回るのは止めて、静かに大雄山から退散するとしましよう。

有(会)難うございました。この奉魯愚を看ていただいて☆マークをつけてもらいました。ただ、お返しの☆マークの操作も解らぬ(モチロン ツイッターなどしたことのない・・写真は旧、ミノルタフィルムカメラで撮影する)・・AI不適性のPC未熟者(アナログ老翁)です。どうぞ、それに懲りず、役立たず(無功徳)だからこそ、役に立つ・・3分間独りポッチのイス禅・・おりおりになさってください。お大事に。

  

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO27 

 

   碧巌録 第二十七則 雲門體露金風(うんもん たいろきんぷう)

【垂示】圓悟克勤が座下の求道者に垂示した。

一を聞いて十を知り、一を挙げると三を明らかにする。

兎を見れば、直ちに鷹を放って捕獲したり、よく風の向きを読んで焼き畑の火をつけたり、

人の為に、説法で眉毛が落ちるような労をいとわない・・

そんなことは、マア それはそれでよいとして・・

イザ、虎穴に入って虎児を得ようとする時はどうするか・・

試しの事例を看よ。

     【垂示】垂示に云く、一を問うては十を答え、

         一を挙げては三を明らめ、

         兎を見ては鷹を放ち、風によっては火を吹き、

         眉毛を惜しまざることは、則わち しばらく置く。

         ただ、虎穴(こけつ)に入(い)る時の如きは如何。   

         試みに挙す 看よ。

【本則】ここに秋風を「金風」という詩的な言い回しで問答した、雲門文偃(うんもん ぶんえん)の話がある。ある求道者が尋ねた。

「世の中(季節)は秋。栄枯盛衰、生者必滅・・いかがですか」

雲門「花々も萎(いお)れ、鮭は遡上して卵を産んで死す・・寂寥の秋風が身に染むナア」

  【本則】挙す。

      僧 雲門に問う。

       「樹(き)しぼみ、葉(は)おつる時 如何(いかん)」

         雲門云く「體露金風(たいろ きんぷう)」

【頌】求道者の問いは 人生を自然の移ろいにかけて、雲門老師の禅機をスキマ見ようとしている。

しかし、さすが雲門の答えは「日々是好日」・・全くの秋一杯の自然流。

雲門の三句(函蓋乾坤の句、隋波逐浪の句、截断衆流の句)に見立てれば・・

雲門の放つた一箭は、すでに遠く遼の国まで飛び去ってしまった。

野原を吹き渡って、サラサラ風韻が奏でられ・・

雨はシトシトと大地を潤おして、実に天地同根の風情である。

ホラ、熊耳(ゆうじ)山の庵には、九年も面壁坐禅をした達磨さんが、まだ天竺(インド)に帰れずに、何を想ってかグズグズしておられるぞ。

(私は雲門の三句・・自然に即した意の函蓋乾坤(かんがいけんこん)の句。肯定、否定に関与しない如意の隋波逐浪(ずいはちくろう)の句。完全否定の無意の截断衆流(せつだんしゅうる)の句・・よりも、越後の山里、五合庵、良寛の句の数々を思い出します)

  【頌】問い すでに宗あれば、答えも また同じところ。

     三句 辨(べん)ずべし。

     一鏃(いっそく)遼空(りょうくう)。

     大野(だいや)には凉飈(りょうひょう)颯々(さつさつ)。

     長天には疎雨(そう)濛々(もうもう)。

     君見ずや、少林久坐(しょうりん きゅうざ)

          未帰(みき)の客(かく)

     静かに熊耳(ゆうじ)の一叢々(いちそうそう)による。

 

 

碧巌の歩き NO28 年を経た狐は 夜な夜な北斗の☆を観て白狐となる・・ソウナ! 

碧巌録 第二十八則 南泉不説底法(なんせん ふせつていのほう)

【垂示】欠如。 

・・につき、南泉普願(なんせん ふがん 748~834)の略歴を記しておきます。

唐、玄宗皇帝が楊貴妃を迎えた頃、黄河の南、河南省に生まれた。出家した少年期、修行の青年期、宋・高僧伝によれば、名を遺すにふさわしい徹底したものだったという。

師は馬祖道一。同期に百丈懐海(えかい)がおり、彼の弟子には、クチビルから光を発したと伝えられる、120歳まで生きた長寿の禅者、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)がいる。

池州 南泉山に禅庵を構えたのは795年(48才)。87才示寂。ちょうど日本では弘法大師(空海)死去の前年にあたる。

本則の百丈涅槃(ねはん)は百丈懐海の弟子。紛らわしいので百丈(山)涅槃・・2代目とした。何でも、涅槃経の研究で有名だったようだが、詳細は不明です。

 

【本則】南泉普願(なんせん ふがん)が 百丈山二世、涅槃和尚を尋ねたおり、ここぞとばかりに問いかけた。

涅槃「禅は、釈迦や達磨、先達が極めつくして、新しい発見はなさそうですが、これまで、古賢先聖が人の為にまだ説いていない玄妙の真理があるものでしょうか」

南泉「ありますとも」とキッパリ断言した。

涅槃「それは、どんなことでしょうか。お示しください」

南泉「師(馬祖道一)の・・心ならず、禅ならず、出来事ならず・・総てを超越したものです」

涅槃「それで説明は終わりですか」

南泉「これ以上はありません。貴方はどうですか」

涅槃「私は学者じゃないので、賢人の未だ説かないことを云うことはできません」

南泉、これを聞いて、少し恥じたのか「実はその辺のことは詳しく説明できません」といった。

涅槃「そうですね。ワカラナイことを解かったなら、この問答、やりがいがありました」と締めくくった。

  【本則】挙す。百丈山の涅槃(ねはん)和尚に参ず。

   丈問う「従上の諸聖、また人のために説かざる底(てい)の法あるや」

   泉云く「あり」

   丈云く「作麼生(そもさん)か、これ人のために説かざる底の法なるや」

   泉云く「不是心(ふぜしん)不是佛(ふぜぶつ)不是物(ふぜぶつ)」

   丈云く「説き了(おわ)れりや」

   泉云く「某(それがし)は、ただ恁麼(いんも)、和尚は作麼生」

   丈云く「われ はなはだしく爾(なんじ)がために説きおわれり」

【頌】百丈(山)涅槃和尚は南泉に釈尊や達磨が、まだ説かない禅の深奥を尋ねたが「禅」は文字言句に縛られないものだから、絵にかいたモチは食べられない。

求道者は明鏡に写る「本来の自分の姿」を誤解する。それは、まるで南半球の夜空に、北斗七星を探すようなことだ。柄杓の柄すら見つからない・・闇路に鼻をつままれて口あんぐりの状態だ。

   【頌】祖佛 従来、人のためにせず。

      衲僧今古(のうそうこんこ)頭を競って走る。 

      明鏡は臺(だい)にあたって列像はことなるも

      一々南に面して北斗をみる。

      斗柄(とへい)たる、たずねるに所なし。

      鼻孔(びくう)を拈得(ねんとく)して口を失却(しっきゃく)。

【附記】日本の昔話によると、年振りの狡猾な狐は、馬の頭蓋骨(シャレコウベ)を被って、北斗の☆を眺めることが出来れば、白狐(びやっこ)となって人を誑(たぶ)らかすことができるといわれる。

この白狐伝説の由来は、戯曲「狐火」(きつねび 故・長田 純/早稲田演劇博物館 蔵)に出てくる村の古老の逸話にもとづきます。

元、麦の會=現・演劇塾長田学舎(京都 相国寺般若林)の主宰者でしたが、俳優や舞台条件や上演に厳しく、65年を経て、未だ上演されたことの無い幻の戯曲です。

(私は、この劇団で、村の子役、満次役で芝居の稽古をしていました)

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO29

 

   碧巌録 第二十九則 大隋劫火洞然(だいずい ごっかとうねん)

                    大隋随他去也(たいずい ずいたこや)

【垂示】圓悟が座下の者達に話す。

水中で魚が泳げば、水が濁るだろう。

空に鳥が飛べば、羽毛が落ちるだろう。

いまどきは主賓が転倒してしまい、経文やスマホの言いなりで、祈願したり折伏したりする者が現れる始末だ。

何が本物で・・何がバーチャル(虚飾)か・・シッカリ判別できれば、そいつは明珠を手に、真贋判定ができる禅者と云おう。

サアテ・・どうすりゃ コンナ活眼の師となれるのか・・

試しに次の話を看よ。

   【垂示】垂示に云く 魚行けば水濁(にご)り、鳥飛べば毛落つ。

       明らかに主賓(しゅひん)を辨(べん)じ

       洞(ほがら)かに緇素(しそ)を分かたば、

       直に当台の明鏡、掌内(しょうない)の明珠(めいじゅ)に似て

       漢あらわれ胡(こ)きたり、聲(こえ)あらわれ色あらわれん。

       しばらく道(い)え、なんとしてか かくの如くなる。

       試みに挙す看よ。

 【本則】経文戒律に凝り固まった義学の僧が、四川省の山奥に隠居する大隋法真(だいずい ほうしん878~963)を訪ねて・・

「四十億年後、太陽が赤色矮星に膨張したら、地球も火星も劫火に包まれて滅亡するそうですが、この時、自我=私の意識はどうなりましょうか」・・と大上段に論戦を仕掛けた。

大隋はニベモなく「消滅するね」と答えた。

僧はナオも足掻く「それなら梵天、自我もろともに一切が滅亡するというのですか」

大隋「そうだ。スッカラカランだな」

    【本則】挙す。僧 大隋に問う。

     「劫火洞然(ごっかとうぜん)として大千(だいせん)ともに壊(え)する時

      いぶかし、這箇(しゃこ)は壊するものなるや。壊せざるものなるや」

      隋云く「壊す」

      僧云く「恁麼(いんも)ならば則(すなわち)他にしたがい去るものなりや」

      隋云く「他にしたがい去るものなり」

【頌】この義学の僧、未熟。滅と不滅、モノとココロをきれいに2分割している。大隋が一切合切、燃え尽きると答えたのはウマい。

話を繋ぐ取柄(とりえ)がなく、突き放す最上の一語だね。

大隋は、深山の樹穴で寝起きした禅者だが、彼の(禅)境地は、誰も窺うことができない山奥パンダの生活だった。

どうも昼夜・明暗は、掌の皺(しわ)が見えるか、どうかで決めていたようだ。

  【頌】劫火光中(ごっかこうちゅう)に問端(もんたん)を立て、

     衲僧(のうそう)なお両重の關(かん)にとどこうれり。

     憐れむべし、一句、他にしたがうの語、

     萬里区々(ばんりくく)として独り往還(おうかん)す。