碧巌の歩記(あるき)NO38 駿馬はヒトムチで充分!

碧巌の歩記(あるき)NO38   

禅を語るに・・名馬には、たったの「一鞭/ムチ」で十分だ!  

 どんな難解な禅語録であれ、哲学書であれ、文字(言語)さえ理解できれば、その意味が理解できるのが人間同士というものだ。

ところが紀元千年頃、公案(問答)が、劇場型というか、芝居じみた形式のTPOを記録したものが散見しはじめた。

実際の人に面談せずの、書面を信じて人を看(見)ない・・西洋契約社会・情報過剰時代の先駆けである。

語録や行録は、当時の社会で仏教の弾圧による情報不足を打破しようと「保存・記録」された。しかし、行脚して達道の禅者を訪ね直接、その禅者の立ち居、振る舞い、とりわけ、その瞳の奥の、いわずもがなの・・ダルマ心印を看る・・求道の実際を(観念論的な行録に集約してしまい)次第に喪失してしまったようである。文字・活字に、徳山の「痛棒で頓悟」できる禅機はない。

中国(日本)で、権力(施政)者に受け入れられた「禅」ではあるが、かえって対面重視の庶民の生活から遠のいてしまった・・その宗教的儀礼の禅の演劇版・・事例がこの則でしょう。

碧巌録 第三十八則 風穴 祖師心印(ふけつ そししんいん)

                  風穴鉄牛(ふけつ てつぎゅう)

【垂示】圓悟が、座下の求道者に垂示した。

禅の提唱には、漸教的(小乗的教理)と頓教的(華厳的直観)を重視するやり方がある。どちらも道理にかなっているが、その中の頓教は、達磨の無功徳・・本来無一物・・どんな聖人君子であろうと智求不了(ちぐふりょう・知的財産権の及ばない、求めても得られない智慧)である。

さて、この頓・漸の教えによらず、禅の道理を提唱しようとすれば、禅(による生活)者には、ただの「一語(一悟)」で充分。

名馬には「一鞭」で沢山だ。

そんな駿馬の如き、優れた振る舞いに及ぶ禅者とは・・

どんな人だろうか?試みに挙す看よ。

 【垂示】垂示に云く。もし漸(ぜん)を論ずるも、

  また常に返って道に合し、閙市裏(にょうしり)に七縦八横ならん。

  もし頓(とん)を論ずるも、また朕迹(ちんせき)をとどめずして、

  千聖(せんせい)もまた模索不着(もさくふじゃく)ならん。

  もし、あるいは頓漸(とんざん)を立(りっ)せざれば、又 作麼生(そもさん)

  快人(かいじん)には1言、快馬には一鞭(べん)、正恁麼(しょういんも)の時、

  誰か是れ作者なるぞ。試みに挙す看よ。

【本則】禅、風穴寺一座の「ジョウドウ式」・・晴れやかな舞台、演劇様式の公演があった。紹介しよう。

時・949年 

場所・中国 湖北省(郢州えいしゅう)

   長官・吏史君(牧主)屋敷内(衙門がもん)にて・・

風穴老師に参禅師事した李史君長官の着任・祝賀の記念公演 

演題「上堂式・鉄牛の心印」 

観客 主賓 李史君(居士)長官以下 

      官僚・役人たち、寺僧たち多数 

主演 風穴延沼(河南省=汝州 ふけつえんしょう)

   869~973年 (57才時)

*略歴 進士(文官)に落第して禅法系・・黄檗臨済→寶應慧顒(ほうおうけいぎょう)に師事。

*飛び入りした助演者 盧陂長老(ろは ちょうろう)

 盧陂(ロヒと読む書もある)長老。風穴の参禅門下・・

 長老=立職完了、罷参(はさん・悟徹)の僧。

*佛心印・・釈尊~達磨以来の(言葉、文字で表せない)悟りの境地そのもの。

*鉄牛・・黄河の氾濫を防ぐ守護神。河南河北にまたがって安置された不動の大鉄牛。佛心印の例え。

晴れの長官屋敷の名誉な劇場で、風穴老師の独演会がはじまった。

居並ぶ長官や上級官僚たちの前で、風穴老師はイキナリ、釈尊の心印=禅ソノモノについて大見得をきった。

「インドから達磨のもってきた「禅のしるし」は、黄河にある大鉄牛の如しものですなぁ・・つまり、不動の鉄牛は、動かずして大河の氾濫を抑える大道の妙用じゃな。

これは釈尊ジキジキのハンコ(心の印)と同じじゃぞ」

居並ぶ観客は・・シン(心・愼・諗・眞・森・寝?)とした。

   (そこで机をコツンと叩くなりして、サッサと退場すればよいのに・・)

「印と云うのはな、印肉に押して紙の上に印紋を残す訳だが、印形を紙に押し付けたままでは、印紋がつぶれて見えないことなる。ソンなら印を押さずに、白紙のまま、スッキリさせておくのが良いではないか。それとも印紋が見えずでも、印を押し付けた方がいいか・・ドウジャロウかな?」

モトモト達磨の心印は「廓然無聖」・・カラリと晴れた青空を、ハンコ判にして押すのが是か、押さぬのが是かとアドリブで言い出したものだから、観客そっちのけで弟子の僧たちがザワついた。

そこで、その場を取り繕うとばかり、禅院の指導者である盧陂(ろは長者)が、かぶりつきから立ち上がって・・「ご老師よ・・私はチャント鉄牛の機を会得しておりますぞ。心印(禅)の捺印は要りません。ご無用に願います」と云った。

トコロが、壇上の風穴老師、どうゆう訳か、盧陂の応答を斬って捨てた・・「クジラを釣り上げて大海の大掃除をするワシじゃが、ナント、しょぼくれた泥ガエルが一匹つりあがったわ」

取り付く島もない言い草に、盧陂は茫然と立ちすくんだ。

風穴、手にした払子をフリフリ・・「我が寺の長老ともあろう者が、何か一句云うてみい」とせかしたものの、盧陂は口をモゴモゴさせるばかり・・

白けた無言劇(パントマイム)になってしまったのである。

禅劇もこれまでか・・と判断した主賓の李史君(長官)・・せっかくの記念式典を取り繕うとばかりに・・「仏法も王法も、その根本では一緒ですね」と観客席から合いの手を入れた。

(歌舞伎で言えば、とんでもないタイミングで「イヨ~ッ・・ナリタヤ~ッ」というところ)

すると舞台の主役、風穴老師が観客(主賓)の李史君長官に「今のヒトコトどんな道理で云われたのか?」と詰問した。

長官は・・「わずらわしい世事は、グズグズしないで、すぐに決断しないと禍根を残しますからね」と返答した。

これを聴くなり風穴老師サッサと舞台から降り姿をくらました。

これでどうにか・・舞台暗転。

THE ENDとなった。

  【本則】挙す。風穴(ふけつ)、郢州(えいしゅう)の衙内(がない)にあって、

   上堂(じょうどう)して云く「祖師の心印は、かたち鉄牛の機に似たり。

   去れば すなわち印住(いんじゅう)し、住すれば すなわち印破(いんぱ)す。

   ただ去らざれば、住せざるが如きは 印するが即ち是(ぜ)なるか。印せざるが即ち是なるか」

   時に蘆陂(ろひ)長老あり、出でて問う

  「それがしに鉄牛の機あり。請う師、印を塔(とう)せざれ」

   穴云く「鯨鯢(けいげい)を釣り、巨浸(きょしん)をすましむるになれたれば、

   かえって蛙歩(あほ)の泥沙(でいしゃ)にまろぶことを嗟(なげ)く」

   陂(は)佇思(ちょし)す。

   穴 喝して云く「長老 なんぞ語をすすめざるや」

   陂 擬議(ぎぎ)す。

   穴、一払子(ほっす)を打(だ)し云く

  「また話頭(わとう)を記得(きとく)するや。試みに挙せ、看ん」

   陂 口を開かんと擬す。穴、また一払子を打す。

   牧主(ぼくしゅ)云く「仏法と王法とは一般なり」

   穴云く「この何の道理をかみたるや」

   牧主云く「断ずべきにあたって断ぜざれば、かえってその乱を招くものなり」

   穴 すなわち下座(げざ)したり。

【頌】私(雪賓重顯)が、この芝居を批評するとしたら・・楚王城畔に集まる百川の流れが、鉄牛にまたがった風穴の一喝で、逆さまに(上流めがけて)流れを変えた・・ソンナ有り様だった。

  【頌】蘆陂を擒得(きんとく)して鉄牛にまたがり、

     三玄の戈甲(かかつ)には いまだ軽酬(けいしゅう)せず、

     楚王城畔(そおうじょうはん)朝宗(ちょうそう)の水。

     喝下(かっか)して かって かえって倒流(とうりゅう)せしめたり。

【附記】唐朝から宋朝にいたり、いわゆる看話禅(かんなぜん)の問答・商量が、儀式化した・・悪く言えば「問答するために問答する」芝居風の傾向が出てきたのです。

この人こそ、わが師にふさわしい・・と見込んだ弟子が、師に就いて坐禅や生活の中で・・独り一人の「禅」=心印を発見・発明するのではなく、問答の技巧(作為・造作)、てらい・オモネリ・・いわゆるコピペ作成の、集団的儀式にはまり込んでいく話です。

(文字・活字は、禅知識の普及に役立ちましたが、その一方、寺僧と大衆の欣求的組織化・・寺院の発展に貢献したようです。現代・・電磁的スマホ社会は、強烈な映像化、地球規模の伝播(電波)力で、活字文化を駆逐し、アリやハチの生活に似てきました)

例え、絶滅の危機にあろうと・・昔も今も、禅(坐禅)は独り一人にあり、マネ(コピー)できない「独り」の行いです。