碧巌の歩き NO40 人は しばしば寂寥の天地に立つ!

   碧巌録 第四十則 南泉一株花(なんせん いっしゅか)

              陸亘天地同根(りくこう てんちどうこん)          

【垂示】圓悟が垂示した。宇宙の森羅万象を萬法一如の見地から見れば、鉄の木に花が咲く・・そんな不思議もあり得よう。

実際に鉄樹開花の時には、狡猾な猿でもビックリして木から落ちることがあるという。禅機を自由自在に発現して活躍する者でも、達道の禅者に機先を制せられて、鼻を明かされることもある。

さて、そんな手抜かりをして失敗するのは、どうしたことであろうか。試みに、この話をよく吟味してみよ。

      【垂示】垂示に云く、休し去り、歇(けつ)し去れば、

       鉄樹(てつじゅ)も花を開く。

       有りや 有りや。黠児(かつじ)も落節す。

       たとえ七縦八横(ななじゅうはちおう)なるも、

       他の鼻孔(びこう)をうがつことをまぬがれざらん。

       しばらく道(い)え、訤訛(こうか)いずれの處にある。

       試みに挙す看よ。

【本則】唐代に蘇州で重要な官職についていた陸亘(りくこう)が南泉(普願748~834)と歓談していた時・・「かの肇法師(ちょうほうし・後秦410年頃、仏教学者、羅什・らじゅうの弟子・・)が、天地と我とは同根。萬物と一体なり・・と言われたことは、求道未悟の者には、解かったようで解からぬ出来事となりませんかねぇ」と問いかけた。

すると南泉は陸亘に、庭に咲く花を指さして「ご覧なさい。あの花は露堂々な天地同根でありましょう。理屈抜きに、風に舞い蝶に歌う花と香りを聞かれてはいかがか・・」と云った。

   【本則】挙す。

    陸亘大夫(りくこうたいふ)南泉(なんせん)と語話する次(とき)、

    陸云く「肇法師(ちょうほうし)は、天地と我とは同根にして、

    萬物と我とは一体なりと道えり。また、はなはだ奇怪なり」

    南泉、庭前の花を指(さ)して、大夫(たいふ)を召して云く、

    「時人(じじん)は、この一株の花を見ること、夢の如きに相似(に)たり」

【頌】一元論者を気取っている者に、天地同根は味わい得る境地ではない。自然の風景(山河)は、どんな文字言葉にも尽くしがたい禅境(地)そのものだ。冷たい冬の気配が身に迫り、月は山の端に落ちる・・そんな澄み切った寂寥の境地を、いったい誰と共に味わい得ようか。

  【頌】聞見覚知(もんけんかくち)は一、一(いちいち)にあらず。

   山河は鏡中(きょうちゅう)の観にはあらず。

   霜天(そうてん)月落ちて夜まさに半(なかば)ならんとす。

   たれと共にせんや、澄潭(ちょうたん)照影(しょうえい)の寒きを。

 

【附記】真の禅者は「寂寥」(せきりょう)を知る・・とは、富山県高岡の臨済宗国泰寺派本山・国泰寺、故・江南軒 勝平大喜(かつひらたいき1887~1944)老師の言葉である(著書「歓喜の心」昭和48年松江市万寿寺静座会発行より抽出)

この禅語録の意訳や、はてなブログ、随想「禅・羅漢と真珠」に仏教でいう「無常観」を「独り・寂寥心」として、随所に使わせていただいている。

師は、言葉を次いで・・「人は、しばしば寂寥の天地に立つ。この境地に立てぬ者に、立派な人はいない」

 

もう一つ・・この江南軒に師事、参禅して、大魯(たいろ)の居士号を印可された京都/滋賀坂本・美術家(書/画/陶芸)故・加納白鷗(1914~2007)の禅境画に「天地同根 萬物一体」の花猫図がある。これは1988年9月10日から10月30日まで、アメリカ、カリフォルニア パサデナ「パシフィック アジア ミュージアム」で開催された【 One with ZEN 】案内ハガキに紹介されたものだが、いずれ、出版時には掲載を予定します。

 

絵画や映像物(書、漫画)は、作者の禅境(地)を視覚的に決めつけてしまい、「禅」を先入観で見てしまう傾向がある・・ので注意を要する。

仙厓や白隠良寛、一休などの禅境書画は、本来、彼らの飢えを満たす・・コメみそに変える唯一の代金代わり・・揮毫だった。

美術品としての価値観を持って見る現代人には、禅者の真の禅境は窺い知れないものとなってしまった。

たとえば・・龍安寺の石庭を・・「畑にすべし」・・と観る人があれば・・禅を語るに足る人としておこう。

たとえば・・「聞かせばや、篠田の森の古寺の、小夜ふけ方の雪の響きを」(白隠)の寂寥を覚(し)る禅者こそ、頌「誰共澄潭照影寒」を識るのである。