碧巌の歩記(あるき)NO43 熱い時はふいごの風となれ!

               碧巌録 第四十三則 洞山 無寒暑 (とうざん む かんしょ)          

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

宇宙の真理を一言でまとめられるなら、ノーベル宇宙賞だ。

あるいは虎や犀(さい)を原野で捉えるノウハウは、ちょっと筆舌に尽くしがたい。もしも、宇宙解明とか、猛獣捕獲とか、自由自在に実現できる人がいるとしたら、神様もビックリする事だろう。

そんな無茶苦茶なことを、達道の禅者が暮らしの中(禅による生活)で行なっているとしたら、どんな風だろうか。

禅者の手腕(道具)は、まるで刀鍛冶の、赤焼けの金属をつかむ、ハサミと鎚(つち)であろう。これを確かめるには、灼熱の炉にフイゴの風となって入るしか方法がないのだ。次の話を看よ。

   【垂示】垂示に云く、乾坤(けんこん)を定(さだ)むるの句には、

    萬世ともにしたがい、虎兕(こじ)をとらえるの機は、

    千聖も辨(べん)ずることなし。

    直下(じきげ)に、さらに繊翳(せんえい)なければ、

    全機ところに随(したが)って、ひとしく彰(あら)わる。

    向上の鉗槌(かんつい)を明らかにせんと要せば、

    是れ作家の爐鞴(ろはい)をもちいよ。

    しばらく道え、従上来(じゅうじょうらい)、 

    また恁麼(いんも)の家風ありや、また無しや。

    試みに挙す看よ。

【本則】求道者が洞山(良价、とうざんりょうかい 807-869曹洞宗 開祖)に問う。

「この土用の暑さはヒドクこたえます。エアコンがありませんので、どのように、回避すればよいでしょうか」(寒暑に引っ掛けて悩み苦しみの対処療法を先生に聞く、論理・哲学の学生である)

洞山云く「それなら熱くないところに避難しなさい」

求道者、待ってました・・とばかりに「それは何処にありますか。教えてください」

洞山「お前さんを焼き殺すような熱い處に行くことだ」

(モチロン寒い時は冷えて凍え死にする、それが無寒暑の處だ)

   【本則】挙す。僧 洞山(良价)に問う「

       寒暑到来せば、いかにして回避せんや」                           

       山云く「なんぞ無寒暑の處に向かって去らざる」

       僧曰く「如何なるか これ無寒暑の處」

       山云く「寒(かん)の時には闍梨(じゃり)を寒殺(かんさい)し、

       熱(ねつ)の時には闍梨を熱殺(ねっさい)せん」

【頌】洞山の学人教導は、まるで迷子の手をとって、安全な所へ誘導してやる風であるが、求道者は目隠しされて、断崖の縁(ふち)に立たされたようなもの。

ちょうど、オオカミが兎を追いかけて、両者疲れ果てて猟師の捉えられたような、空しい言葉遊びで問いかけている。

彼の問う「無寒暑の處」は地獄の窯ゆで・・である。

洞山は正位(絶対観)と偏位(相対観)に分けて宇宙万象を語る。

極楽浄土、涅槃妙境など、仏教の例え・・空理空想の世界ではなく、いま、我の座す脚下・・あまねく清風名月の處ではないのか・・雲門文偃の「日日是好日」や快川紹喜の「心頭を滅却すれば、火自ずから涼し」に通ずる、禅者の一語である。

   【頌】垂手(すいしゅ)するも、また萬仞(ばんじん)崖(がい)に同じ。

    正偏(しょうへん)は なんぞ 必ずしも安排(あんばい)にあらんや。

    琉璃(るり)の古殿(こでん)は名月に照らされ、

    忍俊(にんしゅん)たる韓獹(かんろ)は空しく階を上(のぼ)る。

【附記】禪、臨済宗 恵林寺・・山形県甲州市 風林火山の甲斐、武田信玄菩提寺・・快川紹喜(かいせんじょうき 1502~1582)織田信忠の軍による焼き討ちにあった際の禅者の一語(偈)「心頭を滅却すれば・・」は、碧巌録 第43則「洞山寒暑回避」評唱・・黄龍の死心悟新和尚、拈提していわく・・「安禪は必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」・・出典 詩人、杜荀鶴の転結二句。起承の二句「三伏 門を閉じて一衲を披(ひら)く、兼て松竹の房廊を蔽(おお)うなし」に続く。(加藤咄堂 碧巌録大講座 第6巻 昭和14年(株)平凡社刊)・・公案の頌の一部を、この時に引用した、いわゆるコピペであるが、火定(かじょう)・・火あぶりの最中に、この一語をもってしたのは、さすが快川だ。すごい禅境、覚悟の方です。

ついでに思い出話をひとつ・・円覚寺に寄宿して大学に通っていた昔、松竹映画(大船)で笛吹川・・木下啓介監督の撮影がありました。この快川和尚と弟子たちの火定シーンに、修行中の雲水たちの応援出演の依頼がきた。これは禅坊主修行のチャンスとして、出演が決まった。

そして撮影当日、本堂セットの回廊に、ズラリ、本物の禅僧が居並び坐禅三昧になる中、火がかけられ、監督のカット、OKの声で消火される手筈が整えられた・・のだが、イザ本番・・「スタート」の声がかかり、ガソリンに火がつけられると、あまりの熱さにたまらず、あっという間に本物の坐禅の坊さんたち、逃げ出していなくなった。後で寺に帰って、ススで汚れた雲水さんたち・・昔の快川和尚以下、弟子達の火定(火あぶり)に遇う、すごい根性にひどく感心していた。その頃の管長は、故・朝比奈宗源老師。当時の修行僧もまだ存命していようが、どこぞの禅寺で、解かったような貌で禅を指導しているとすれば、何故か笑えてくるような・・思い出である。

私自身で言えば、二.三十年まえ、暑中見舞いに、この無寒暑の頌を使わせもらったが、今思えば、冷や汗もの・・反省しきりです。                

(後日、はてなブログ、羅漢と真珠、禅者の至言で、心頭滅却や日日好日、独坐大雄峰など、誤解と偏見に満ちた禅語の、正しい意訳紹介をさせてもらいます)