碧巌の歩記(あるき)NO48【目出度くも 炉神が(灰)神楽を挙げて祝いましたぞ!】

碧巌の歩記(あるき)NO48     

政治・権力者には「ヨイショするのも一手だぞ」・・

中国においても、日本においても皇帝、公家、官僚役人、武家、商人などにとって寺院は、閑静な接待所、別荘か、はたまた、茶坊主に給仕させる迎賓館のような存在だった。

(現代は、スマホに祈願する幽霊ビト、主に団体ご婦人、外国の放浪ビトが、写経や精進料理、観光座禅に群れ集う場所となっている)

 

碧巌録 第四十八則 王太傅 煎茶(おうたいふ せんちゃ)

      【垂示】欠如・・圓悟の垂示 ありません。

【本則】寺僧の生業(なりわい)と政治権力者へのご接待・・その喜劇と云うか、悲劇というか・・一幕物である。

時代は920年代・・雪峰(義存)の弟子、長慶(慧稜)が住持する招慶寺に、泉州の勅史(知事役)王延瀕(おうえんひん)居士が訪ねてきた。

長慶老師は不在であったが、大壇那(スポンサー)を気取る王勅史居士に、お茶を差し上げることになった。たまたま寺に来合わせた明招(徳謙)・・徳山⇒巌頭⇒羅山に法を継ぐ隻眼の禅者、独眼竜、明招が接待役になり、お茶席を設けたところで幕が上がる。

朗上座(報慈慧朗 ほうじけいろう)が、茶を注ぐべく炉に置いてある大急須を取り上げたトタン、取り損なってヒックリ返す大粗相をした。

あたりは灰煙(ハイカグラ)で朦々(もうもう)となった。

時に、この三人は機鋒鋭い禅者である。平穏無事にすますはずがない。禅機来れりとばかり主客の王太傅、すかさず朗上座にいう。

「何をするか・・この茶炉の下に、何が鎮座しているか承知しているのか」無礼者め・・とばかりに一喝した。

朗上座「はい、炉の下には棒炉神(ぼうろしん 三脚鉄製の支持五徳・引っくり返り防止)があります」

王勅史「(棒炉神がついているのなら、鉄瓶がヒックリ返る訳がない)お前さんがウッカリしていたからだ」と叱った。

この高飛車のツッコミに、寺を支える大事なスポンサー様も何のその・・すかさず朗上座は反論した「茶瓶位、ひっくり返す失敗は誰にでもありますよ。それよりか権力者が傲慢(ごうまん)になって、一朝で失脚する(仕官千日 失在一朝)のに比べれば、何でもないことでしょう。知事として、お偉い貴方も、お足もとを掬われない様にご用心なさい」これを聞いた王勅史ツッと立ち上がり袖を払って帰ってしまった。

朗上座の猛反発に、傍にいた接待役の独眼竜、明招老師「オイオイ、この寺の大事なお客(王知事)に、あまりにひどい仕打ちじゃないか。失礼なことを云い過ぎだよ」

朗上座「それなら あの時ご老師なら どのように云われますか」と尋ねた。

ウム・・わし(明招)なら、あれほど極端にきめつけないぞ「私が怖気(おじけ)づいたのを知って、棒炉神が委縮している私をそそのかして失策させたのです。それも知事閣下のご威光あればこそですと、逆に持ち上げてヨイショするね」と答えた。

【ここに雪賓(重顯)著語して云く・・ヒトカドに恐れられている禅者、明招よ。ナニ云うか、

  そんな時こそ再度、茶炉をひっくりかえして、灰神楽のお祭りにしてやるのが一番だ】

   【本則】挙す。王太傅、招慶(しょうけい)に入って煎茶す。

    時に、朗上座(ろうじょうざ)明招(みょうしょう)のために銚をとる。

    朗 茶銚(ちゃちょう)を翻却(ほんきゃく)したり。

    太傅、見て上座に問う「茶炉下(ちゃろか)は これなんぞ」

    朗云く「棒炉神(ぼうろしん)」

    太傅云く「すでにこれ棒炉神あるに なんとしてか茶銚を翻却したるや」

    朗云く「仕官千日なるも、失は一朝にあり」

    太傅 拂袖(ほっしゅ)して すなわち去れり。

    明招云く「朗上座 招慶の飯を喫却(きっきゃく)し了(おわ)って、

    却(かえ)って江外に去って野榸(やたい)を打(だ)す」

    朗云く「和尚 そもさん」

    招云く「非人が その便を得たるなり」

    雪賓(重顯)云く「当時 ただ茶炉を踏倒(とうとう)すべかりき」

【頌】王大傅が寺で大威張りに振舞うのを、かねてから見苦しいと思っていた朗上座。棒炉神は何の為にあるか・・と詰問されて、役立たずの時もあるぞ・・と、ピシりと切り込んだ。しかし、政治、権力者(剛)には、柔の手(ヨイショで、又おいで・・)もあるぞ・・との、出来事を傍観していたメッカチ禅者、羅山(道閑)門下、明招のぬるま湯のような対応に、編者、雪賓は意見をした。イッソのこと、朗上座を助太刀して、マアマア・・と言いながら灰神楽を追加して舞い上げてやれば、泉州勅史と招慶寺の間に大波乱が巻き起こったことであろう。

惜しいことをしたものだ・・と。

    【頌】来問(らいもん)は風(ふう)をなすがごときも、

     應機(おうき)は善巧(ぜんこう)にあらず。

     悲しむに堪えたり 独眼竜(どくがんりゅう)

     かって未だ牙爪(げきゅう)を呈(てい)せず。

     牙爪開(ひら)きしならば雲雷(うんらい)を生(しょう)じ

     逆水の波は幾回か経(へ)たるべし。

 

【附記】明招の「ヨイショ」の一手を、禅者、素玄居士は「ここらが處世観じゃ。ここのトコロに「禅機」がある。これをズバリつかむのがカナメだと意見されている。これがつかめたら、禅者とは、こんなもんか・・ナルホドナアと、あきれるじゃろうサ・・と。

(禅のパスポート 無門関第四十二則 素玄居士提唱 ご参考のこと)