碧巌の歩き NO51 【 巌頭全豁の叱責・・義存よ、知識は己の宝ではないぞ!】8/18・9/7補記

碧巌の歩記(あるき)  

碧巌録 第五十一則 雪峰 是什麼(せっぽう これ なんぞ)

【垂示】圓悟が求道者に禅の要諦を垂示した。

禅による生活は、いわゆる「至道は無難。ただ嫌擇(分別)を嫌う」ものだが、一つひとつの事件に、比較、是非、善悪の差別的な見解をを生ずると、まるでアリ地獄に落ちたように、抜き差しならぬ迷妄の網に捉えられる。だが、それだからと言って、平等悟達の境地に浸りこむとウドンのすすり方ひとつ、わからなくなるのだ。

行くべき方角を見失った「ホワイト・アウト」状態の求道者に、手取り足取りの道案内する放行(ほうぎょう 積極)的手段を講じるか・・それとも因果の抜き差しならぬ泥沼に落ちるのは仕方のないこととして、把住(はじゅう 消極)的手段を取るか・・サア・・どうするか。

いずれにしても、文字言句の蜘蛛の糸にからまれ、機境(禅機、禅境)に拘束されて、幽霊のように迷界に彷徨(さまよ)うことになるだろう。

たとえ獨脱の境地に安住した「禅者もどき」がいたにしても、その境涯と至道の間には、万里の彼方に郷関を望むような、肌寒い心地がすることだろう。

ドウダ、いまワシが言った、このことが了解できたかナ。

もし解らんのなら、ここに展開されている話を理會してみるがよい。試みに挙す。看よ。

   【垂示】垂示に云く、わずかに是非あれば 紛然として心を失っせんも、

    階級に落ちざれば また模索するなし。

    しばらく道え、放行するが即ち是なるか、把住するが即ち是なるか。

    這裏(しゃり)に到って、もし一絲毫(いっしごう)の解路(げろ)あるも、

    なお言詮(ごんせん)に滞り、なお機境(ききょう)に拘(こだわ)り、

    ことごとく これ依草附木(いそうふぼく)たらん。

    たとい、すなわち獨脱(どくだつ)の處にいたるも、

    未だ万里に郷関を望む(ごとき)をまぬかれざらん。

    また構得(こうとく)せしや。

    もし未だ構得せずんば、しばらく只、この現成公案を理會(りえ)せよ。

    試みに挙す看よ。

【本則】師の徳山宣鑑(とくさんせんかん)の死後(865年)、福建省泉州 出身(同郷)の弟子、雪峰義存(せっぽうぎそん)と巌頭全豁(がんとうぜんかつ)は、それぞれに行雲流水、行脚(あんぎゃ)した。やがて義存は福建省福州、雪峰山に(870年~)、全豁は湖北省卾州(がくしゅう)巌頭山に庵居して、十年の歳月が過ぎた義存(六十才)全豁(五十四才)頃の出来事である。

当時、禅寺(庵・院)は、宗派・本山・末寺や上納金など一切、関係なく、師を求めて行脚する(師を選ぶのは求道者・・現代で言うなら、学生が先生を選び、転校も自由)闊達だった。

(わかりやすくするため 場面を三幕に分けて解説する)

 

【第一幕】ある時、二人の求道者(話題の者一人)が徳山禅院から、雪峰山の義存老師を訪問した。雪峰は彼らの来るのを見るやいなや、庵門をあけて「何が・・どうした」と云った。

すると、その求道者、オーム返しに「何が・・どうした」と答えた。雪峰は、何も言わず、うなだれて門を閉じて、すっこんだ。

 

【第二幕】この一件、どうも納得しかねた求道者は、雪峰と同期の巌頭山の禅機鋭い全豁老師を尋ねることにした。

巌頭「どこから来られたのか」 求道者「嶺南よりまいりました」

巌頭「なら雪峰老師に会いなさったか」 求道者「会いました」

巌頭「どんな様子だったか」そこで彼は「これ・何ぞ」を話した。

巌頭「これ・何ぞ・・言い返されて雪峰老師はどうしたか」

求道者「何も言わず、うなだれて門を閉めてしまいました」

巌頭「アア、しまったことをした。徳山禅院で分袖(ぶんしゅう 別れの時)彼に末後の句(禅による生活の一句)を言っておけば、天下に名だたる禅者と言われたことだろう。うなだれて門を閉めるような、無様な姿を晒(さら)すことはなかったろうに・・」

 

【第三幕】この求道者、九十日(一夏)の修行を許されが、その後、どうも、スゴスゴ門を閉めた雪峰老師の不可解な態度と、巌頭の「別れに臨んで末後の句を言わなかったのが悔やまれる」の言葉が気になって、その解説を求めた。

巌頭「どうして、もっと早くに問わないのか」

求道者「修行に忙しく、聞く時間がありませんでした」

巌頭「雪峰は同郷の行脚した(6才年上の)友(同條生)である。しかしお互いの生きざま、死ぬ時死ぬ場所(不同條死)は異なるのだ。禅機、禅境(地)、禅者の一悟(末後の句)は、独り一人の【ただ・これ・これ】だよ」

  【本則】挙す。雪峰の住庵の時、両僧の来って礼拝せしことあり。

      峰 来るを見て手をもって庵門を託して放身して出で云く「これなんぞ」

      僧もまた云く「これなんぞ」

      峰 低頭(ていとう)して庵に帰れり。

 

      僧のち巌頭(がんとう)に到る。頭 問う「いずれの處より来れしや」

      僧云く「嶺南(れいなん)より来れり。

      頭云く「かって雪峰に到りしや」僧 云く「曾(か)って到れり」

      頭云く「何の言句かありしや」僧 前話(ぜんな)を挙(こ)す。

      頭云く「他(雪峰)はなんと道(い)いしや」

      僧云く「他(雪峰)は無語のまま低頭(ていとう)して庵に帰れり」

      頭云く「ああ われ その初(かみ)他(雪峰)にむかって、

      末後の句を道わざりしことを悔ゆ。もし 彼に言い足りしならば、

      天下の人、雪老(せつろう)をいかんともせざるものを・・」

 

      僧、夏末(げまつ)に至って、再び前話を挙して請益(しんえき)せり。

      頭云く「なんぞ早く問わざりしや」僧云く「いまだ かって容易ならず」

      頭云く「雪峰は われと同條に生ぜりといえども、われと同條には死せざるなり 

      末後(まつご)の句を識らんと要せば ただ、これこれ」

 

【頌】末後の句は、末期(死に際)の一句ではない。生き別れの一句である。「禅機」そのもの・・絶対の一瞬そのものだから、千聖も不伝。文字に具体化できない。

さすが巌頭、求道者を手玉に取って、ひとしきり、旧友との想い出に遊んだ

(行脚修行の若い頃、鼇山鎮(ごうざんちん)で、激しく降り積もる雪に閉じ込められての二人の問答・・巌頭兄貴、あんたの「知識はおのれの宝にならず」・・の叱責のおかげで、役立たずの禅に飛び込めた・・雪峰・・「鼇山成道」と叫んだ禅機の由来は、また別の折に語ろう)

誰もが日々、生活の中で行っている「同條生」は説明不要だろう。

・・が「不同條死」は、まことに卓見だ。釈迦も達磨も、この巌頭の一語をガッテンしておくがよい。なんでもかでも付和雷同。コピペばやりの世にあって、おのれならではの行く道を「カエリナン・・イザ・・」帰るべき處にかえろうよ。

夜更けには(鼇山鎮の雪峰と巌頭のように)絶壁に降りしきる雪を、お互い「寂寥」のうちに看ようではないか。

   【頌】末後の句は、君がために説(と)きたり、明暗雙々底(そうそうてい)の時節に。

   同條生は、また共に相知(そうち)なるも、不同條死は また殊絶 (しゅぜつ)

   また殊絶なり。黄頭(こうとう)も碧眼(へきがん)も、すべからく甄別(けんべつ)すべし。

   南北東西 かえりなん いざ。夜ふけて同じく看る千巌(せんがん)の雪。

【附記】末後の句は、末期(マツゴ 死期迫る遺言ではなく、いわば一語一会(Only One Chance  Only My Life)=禅者の一語である。二人して行脚した雪深き鼇山で、(巌頭)全豁は(雪峰)義存に「門より入る、是れ家珍にあらず」・・幼少より五感で学んだことは、総て・・自分の宝とすべきものはない・・無門関 無門慧開の序を持ち出して教導した。周囲、雪(白・死路?)一色、ホワイトアウトの世界で、若き義存は自己本来の面目・・ただこれこれ・・道うに言えない・・自覚をしたのである。今、の今・・問題なのは雪峰ではなくて、巌頭の前に立つ求道者・・つまり、これを読む・・アナタのことであることに気付いてほしい。

      知識・経験は、自己発見(禅)の宝物ではない

       門より入る 是れ 家珍にあらず(無門関)