碧巌の歩記(あるき)・・如去如来(にょこにょらい)・・去る者は追わず、来るものは拒まず

☆マークのお礼と言い訳・・昨日4つの☆マークがついたと、はてなブログから連絡がありました。有り難うございます。ただ、スミマセンが、お返しに、お宅様のブログを拝見するなど、PCの操作がわかりません・・年寄りが、ヨウヨウニ、禅語録を意訳しています。本日もTVで何か「瞑想」の効用について長嶋さん出演の番組があったそうです。

以下・・ソンナお問い合わせにお答えしました。

当方が推奨する「3分間独りポッチ禅」は、交感神経を静めるとか、ストレス解消に役立つとか、会費がいるとか、研修するとか・・目を閉じるとか・・効用効果を期待するものではありません。むしろ、何の役にも立たない、ゴリヤクなしの独り坐禅です。半眼、姿勢を正して、数息呼吸6回(1回約10秒~15秒位×計3巡 )いつでも、どこでも、寝る時にも、ふと出来る時間があればどうぞ・・とお答えしています。悟りたいとか、安心したいから・・そうした造作(計らい)の坐禅坐禅ではないのです。

当方の推奨する坐禅は【宇宙でただ独り】目的効用のない坐禅ですから、簡単でも、10年・・20年・・30年、独り静かに実行できる人は、そう沢山おられないでしょう。私の夢は、火星を目指す宇宙飛行士のひとりだけでも坐禅してくれたら、新しいZENが芽吹く・・と思っています(7/13FRI)

 

碧巌の歩記(あるき) NO53   

碧巌録 第五十三則 百丈野鴨子(ひゃくじょう やおうす)

【垂示】圓悟が垂示した。

宇宙にあまねく全存在の一つひとつは、何事も隠すことなく、唯我独尊に活動して、しかも円融している。

禅者は、この妙旨(みょうし)を体現している。彼の言行は、公正無私、真実露現であり、活殺自在の妙機を演出する。

さあて、達道の禅者の禅機禅用の扱いぶりを見よ。

  • 初稿の意訳です・・【垂示】圓悟が垂示した。至道とか、大道とかは、決して何処か他の処にあるのではない。いたるところにイキイキ・・ピチピチと遍在している。

禅者たるもの、如何なる場合にも、その妙旨を体得して、スラスラと対応できるなら、それは悟道の行為。また、言語についても、私心私見をさしはさまずに、正直公正なら、何人に対しても活殺自在の振る舞いとなる。

さぁさぁ・・先達は、いったい、どのような境涯に安心していたのか・・チナミニ、この話を看るがよい。・・併記しました

   【垂示】垂示に云く 徧界不蔵(へんかいふぞう)、全機獨露(ぜんきどくろ)、

   途(と)にふれて滞(とどこお)ることなければ、着々と出身の機あらん。

   句下に私(わたくし)なければ、頭々(ずず)に殺人の意あらん。

   しばらく道え、

   古人(こじん)畢竟(ひっきょう)いずれの處に向かってか休歇(きゆうけつ)せし。

   試みに挙す看よ。

【本則】中国で、はじめて禅集団の修行の決り(百丈清規)を作った百丈懐海(ひゃくじょう えかい)が、馬祖(山)道一に随侍(ずいじ)していた頃の話である。禅が、僧堂修行の坐禅中ではなく日常生活の、あらゆる機会をとらえて問答されていた、昔の自由闊達な師弟の問答です。

鼻をひねられた百丈が、あまりの痛さの中で、独り、百丈自身で大覚(悟り)にいたる禅機ハツラツの道中です。

ある日、馬大師が弟子(百丈)懐海を連れて、用事で外出。野道の出来事である。草むらから、足音に驚いた野鴨がバタバタと飛び立った。スカサズ馬大師の問答開始である。

馬大師「あれは何か?」  

懐海「あれは野鴨です」

馬大師「何処に行ったか?」  

懐海「(驚いて飛び去るのに、目的地を考える野鴨などおりません)ご老師・・どっかに飛び去ってしまいました」

言い訳を聞いたトタン、馬大師は、懐海の鼻をつまむと強く捻りあげた。あまりの痛さに気絶せんばかりの悲鳴をあげる懐海。

ポロポロ泣いて呻く懐海に馬大師は・・「飛び去っていないぞ。今、ここに、泣き喚いているお前さんがソイツ(野鴨)の正体だ」

  • 初稿の意訳です。併記します・・【本則】禅修行の集団生活の規則を作った百丈(ひゃくじょう)懐海(えかい)が、まだ未悟の求道者として馬祖(ばそ=山)道一(どういつ)に随侍(ずいじ)していた・・七百四十二年、二十三・四才頃の話である。

ある日、馬祖老師の供をして、どこかの法事帰りのおりのこと。

野原の道筋から野鴨がバタバタ羽音を響かせて飛び立った。

禅機を窺うチャンス到来・・とばかり・・馬祖「あれは何か」

百丈「野鴨の奴らです」馬祖「どこに行くのか」

百丈「どこへって・・野鴨の行く先なんぞ、解かる訳がありませんよ。さっき飛び去りました」

すると、馬祖は、イキナリ、野鴨の飛翔した方を眺めていた百丈の鼻先を抓んで、ギューッと捻ったから、たまらない・・

思わず百丈「イテテッ!痛い!アイタッ」と悲鳴をあげた。

馬祖「どうして飛んでいくものか。野鴨はチャントここにいるではないか」

  【本則挙す。

   馬大師、百丈と行くついで、野鴨子(やおうす)の飛びすぎるを見た。

   大師云く「これなんぞ」

   丈云く「野鴨子なり」

   大師云く「いずれのところにか去る」

   丈云く「飛び過ぎ去るなり」

   大師、ついに百丈の鼻頭(びとう)をひねりたれば、

   丈、忍痛(にんつう)の声をなす。

   大師云く「なんぞ曾(か)って飛び去りしぞ」

 

【頌】師弟、用事の帰途、夕焼けの野道に野鴨が飛び立つ。禅境(地)の深い達道の禅者なら孤独と寂寥の内に、この問答をくくりこんだであろう。

だが、まだまだ、死にそうなぐらいに疼く鼻の痛みに、独り、枕を涙で濡らすがよい。

晨陽(しんよう・・あくる朝)ともなれば、キットご老師に、何か、禅者たる明確な一語を道えるだろう。

  • 初稿の意訳です・・併記します【頌】馬祖と百丈の行く手をさえぎって、飛び立った野鴨。

さて、何処に飛び去ろうとするのか・・山紫水明の風情を語るに足りる弟子ではなかった。老師の問いを早く、かたずけてしまうべく、飛び去りました・・今時風に言うなら・・飛行機じゃあるまいし、飛ぶ行く先なんかありません・との素っ気ない返事に馬祖の弟子を思う老婆心=鼻ヒネリが、ほとばしった。

(徳山なら三十棒・・叩きに叩きのめさるところだった・・鼻ヒネリのおかげで、飛んだ先から馬祖の手元に戻って来れたぞ)

サア、鼻ヒネリで息も出来ない百丈よ・・云うてみよ・・いったい、どこに飛び去ることが出来るのだ・・道(い)うてみよ。

    【頌】野鴨子 知りンぬ、いずこへ。

    馬祖、見来って 相ともに語り、話つくさんとせり。

    山雲海月(さんうんかいげつ)の情。

    依前(いぜん)として會(え)せざりしかば、また飛び去り、

    飛び去らんと欲せしも、かえって把住(はじゅう)せらる。

    道(い)えよ、道えよ。

 

【附記】百丈は、荒廃した禅林の求道者達の規律を制定(百丈清規)した、中興の祖であり、碧巌録第二十六則「独坐大雄峰」の問答でも、雲門の「日日是好日」と並んで、広く日本の今でも知られている禅者です。

この語録の本音を言えば・・禅師や弟子の名前はどうでもいいのです。

問答の中身だけが大事です。

師弟の名前はともかくとして、問に答える「あなたの一語」は何でしょうか・・「三分間ひとりイス禅」の碧巌録 通読の禅境は「あなたの一語」次第につきます。

百点か、はたまた零点か・・中間の評価(マズマズの採点)はありません。