碧巌の歩記(あるき)NO57 Country bumpkin!

                                 碧巌の歩記(あるき) NO57 

Country bumpkin・・

たかがオモチャの布太鼓で、雷門の太鼓と競おうとする・・!

 

碧巌録 第五十七則 趙州 田庫奴(じょうしゅう でんしゃぬ)

【垂示】圓悟の求道者への垂示。

至道の本体を会得しない者は、悟りの境地が、まるで、寄り付く術(すべ)のない、立ちはだかる鉄壁のように感じられるだろうが、一禅機、一瞬の悟了の後は、自己そのものが、鉄壁銀山であり至道であると自得する。もし、誰かが、禅はどうして銀山鉄壁のごとき難物なのか・・と問わば、それはその筈だ・・一機一境を悟得し、たとえ凡聖不通の境地に至ったところで、たいしたことはない。

ただ至道の一端に触れただけだから・・。

とは言うものの、迷妄の雲にさえぎられて、道を見失った者は、

次にあげる古人の様子を、とっくり看るがよい。

  【垂示】垂示に云く、いまだ透得(とうとく)せざる巳前(いぜん)には、

   一に銀山鉄壁に似たるも、透得しおわるにおよんでは、

   自己元来これ鉄壁銀山ならん。

   あるいは人ありて、しばらく作麼生(そもさん)と問わば、

   ただ他に向かって、もし、箇裏(しゃり)に向かって、一機を露得(ろとく)し

   一境を看得(かんとく)し、要津(ようしん)を坐断し、凡聖を通ぜざらんも、

   いまだ分外(ぶんげ)となさずと道(い)わん。

   いやしくも、いまだ然(しか)らざれば、

   古人(こじん)の様子を看取(かんしゅ)せよ。

 

【本則】趙州に求道者が問う。

ご老師は、折に触れて信心銘(第三祖 鑑智僧璨 かんちそうさん)の「至道無難 唯嫌揀擇」(しどうぶなん ゆいけんけんじゃく)の文句を切り取って言われます。

唯嫌揀擇(ただ分別・造作しない)は理解できますが、不嫌擇(相対的見解)をなさない・・とは、何のことですか?と切り込んだ。

趙州云く「それは天上天下 唯我独尊を自覚して、周囲の事相に支配されないことである」と答えた。

この求道者、思索(分別)の限りをつくして、さらに質問した。

「唯我独尊」なんか言っても、天上とか天下とか、唯我とか、他人とかの区分をして、彼我の二見に堕ちているではありませんか・・と詰め寄った。

趙州云く「天上天下唯我独尊・・いったいどこの何が揀擇(選別)であるのか」と雷嚇一閃の剣幕で叱りつけた。

求道者は、感電死したように無語となった。

 【本則】挙す。僧 趙州に問う。

  「至道無難 唯嫌揀擇(しどうぶなん ゆいけんけんじゃく)と、

   如何なるか、これ不揀擇(ふけんじゃく)」

   州云く「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」

   僧云く「此れ、なお是れ揀擇(けんじゃく)なるが如し」

   州云く「田庫奴(でんしゃぬ)、いずれの處か、是れ揀擇なるぞ」

   僧 無語。

【頌】さすがに老趙州。

その(禅)境地は海の如く深く、道風は山の如く堅固だ。

まるで蚊が台風に逆らって飛ぼうとしたり、蟻一匹が鉄柱を動かそうとしたりして、おのれ独り、もがき苦しんでいるようだ。

揀擇をアレコレ述べ立てるのは、洛陽の都中に響き渡る雷門の太鼓の前で、おもちゃの布太鼓を叩いたようなものだ。

老趙州の一喝で、求道者、語なし。

昔から布の太鼓で音が出たためしがないぞ。

  【頌】海の深きに似、山の固(かたき)きがごとし。

   蚊蝱(ぶんぼう)は空裏(くうり)の猛風を弄(ろう)し、

   螻蟻(ろうぎ)は鉄柱をうごかす。

   揀(けん)たり、擇(じゃく)たり、當軒の布鼓(ぶこ)。

 

【附記】この則は、次の第58則、第59則、前の第2則に関連した「信心銘」の公案です。趙州の禅機、禅境を感得する・・願ってもないチャンスです。

田庫奴・・田舎者メの意。彼は老趙州の一喝、食らっただけでも幸せ者だ。