碧巌の歩記(あるき)NO60 大学受験、卒業が、人生の「登竜門」じゃないぞ!

昔・・白隠良寛の時代の禅者(求道者)は、出家と言っても作務(さむ)して働き、自給自足の貧しい生活でした。師のもとに参集した求道者は、各自で寝る場所を見つけ、托鉢で得た大根のキレッパシを味噌汁にして食べています。

良寛とて、インキンたむしの薬ほしさに、揮毫して村人に与えています。

托鉢で得た、腐りみそで汁を作っていたら、中からウジ虫がはい出てきたのでお箸で一匹ずつ外に逃がしてから飲んで飢えをしのいだ・・などの逸話もあり、求道参禅は命懸けでした。

日本は、海外に出ればよく分かりますが、生活の安定といい、所得格差といい、風紀保安と言い、教育介護と言い、多少の不平、不満足であってもおそらく世界に類のないほどの、安心安全の社会、文化の国でしょう。

ただし、それは、良寛の書(墨蹟)のように、私たちの祖々父母、50年前までの積年の祖先のなせる功績、オカゲであろうと思います。

いま、デジタル社会の空虚な孤独の中・・スマホに明け暮れ、自分本位で、しかも法に触れさえしなければ何をしても良い・・という社会的風潮に、日本民族の衰退、無気力さを感じます。

コレデハイケナイ・・と。

碧巌は、百則から逆にたどっているものですから、62則としてしまいました。ご指摘有(会)難うございました。 

 

碧巌録 第六十則 雲門拄杖化龍(うんもん しゅじょう かしてリュウとなる)

                    雲門拄杖子(うんもんしゅじょうす)

【垂示】達道の禅者と一般庶民とは、何の違いもない「人間」だ。

この大自然と、そこの住む動植物(人を含めて)に、いったい、どのような格差、差別があろう。

もし、この天地同根の由来を、迷悟共に断ち切れれば、釈迦、達磨、阿羅漢(あらかん)といえるが、文字、哲学、宗教上で解決したというのでは話にならない。

日常生活が、この大自然に溶け込むようであれば、何も小細工をすることはない。

さあて・・どのようにすれば、成道、円(まど)かなる「禅による生活」ができるのか・・試みに挙す。看よ。

【垂示】垂示に云く、諸仏と衆生とは 本来 異なることなし。

    山河と自己と なんぞ等差あらん。

    なんとしてか かえって両辺を渾成(こんせい)し去るや。

    もし、よく話頭を発展して要津(ようしん)を坐断するも、

    放過(ほうか)することは即わち不可なり。

    もし、放過せざれば 盡大地(じんだいち)一捏(いちねつ)をも消せざらん。

    しばらく作麼生(そもさん)か、これ話頭を発展する處ぞ。試みに挙す看よ。

 

【本則】クネクネと蔦(つた)が絡み合う杖・・拄杖を手に、雲門文偃(うんもん ぶんえん)が座下の求道者に云った。

「今、ワシが手にしている杖が、龍になって宇宙・・森羅万象(しんらばんしょう)を呑み込んだぞ。

さあ、一大事である。山河大地はいずれにあるか」

  【本則】雲門、拄杖をもって衆に示して云く、

      「拄杖子(しゅじょうす)は化(け)して龍となり、

       乾坤(けんこん)を呑却(とんきゃく)しおわれり。

       山河大地 いずれの處よりか得来(えきた)る」

 

【頌】ねじれた杖が、世界を呑んで龍となったという。大きな鯉が龍となって天にのぼる伝説を信じる大衆を相手に、(登)竜門の浪に浮沈する桃花を見て、雲門、大衆を化かしているぞ。

龍と化した大魚は、雷火で尾が焼き切れているといわれるが、尾のない鯉が、必ずしも雲を呼んで天に昇るとは限らない。また、水面で口をパクパクしている鯉の内には、龍になり損ねの間抜けもいれば、流木の杖に化けて溺れる者を救う奴もいる。

これにてワシ(雪賓)の話は終わるが、キクラゲのような耳のお前たち(座下の求道者)、ホントに聞いているのかい。

ボンクラ相手では、気付け薬に百五十回、ぶっ叩くのだが、打つ手も疲れるから、半分、七十二回の棒打で許してやろう。

・・と云うより早く、雪賓、傍らの杖を振り上げた。そこに集まっていた求道者たち、龍と化した拄杖子の働きが恐ろしくて、クモのコを散らすように逃げ散った・・とサ。

  【頌】拄杖子 乾坤(けんこん)を呑(の)めりと、

   いたずらに説く、桃花の浪に奔(はし)ることを。

   尾を焼きし者は雲をとらえ、霧をつかむにあらず。

   顎(あぎと)を曝曝(さら)す者、何んぞ必ずしも膽(たん)を喪(そう)し、

   魂(こん)を亡ぜん。拈んじ了(おわ)れり。聞けども聞こえざらん。

   直にすべからく灑々落々(しゃしゃらくらく)たるべし。

   さらに紛々紜々(ふんぷんうんうん)たることを休(や)めよ。

   七十二棒はしばらく軽恕(けいじょ)す。一百五十 君を放ちがたし。

  (師・・雪賓、まっしぐらに拄杖を拈じて下座したれば、大衆、一時に走散(そうさん)せり)