碧巌の歩記(あるき)NO63~NO64

碧巌の歩記(あるき)NO63  

碧巌録 第六十三則 南泉斬却猫児(なんせん ざんきゃくみょうじ・ねこをきる)

【垂示】圓悟が、座下の求道者たちに説示した。

いつも相対的な社会に生きる者にとって、絶対と言われる出来事を思索しようにも、意路不到(いろふとう・思索の及ばぬないところ)言詮不及(げんせんふきゅう・分別的表現できないところ)は禅者の狙いどころ・・着眼点であるから、しっかり目ン玉をひん剥いて、雷光の瞬間、流星の飛ぶ如きに、見事に対応できるか・・どうじゃ?

これが出来れば、琵琶湖の水も一飲みで飲み干せる訳だが、君たちの内に、こんな妙用(働き)をなせる者がいるか。試みに挙す。看よ。

  【垂示】垂示に云く、意路の到らざる(所は)正に提撕(ていぜい)すべし。

    言栓(ごんせん)の及ばざる(所は)よろしく急に眼(まなこ)をつくべし。

    もしまた電転(でんてん)し星飛(せいひ)せば、

    すなわち湫(しゅう)をかたむけ、嶽(がく)を倒すべし。

    衆中(しゅうちゅう)辯得(べんとく)する底(てい)、有ることなしや。

     試みに挙す 看よ

【本則】千人以上も求道者が修行する南泉山で、東西二つの宿舎に分かれて、一匹の猫の所有をめぐって取り合いの争いが生じた。

この「ネコ騒動」・・両堂の求道者たちの、次第に怒鳴りあい、殴り合いにエスカレートする、ラチもない激高ぶりに、南泉普願(なんせんふがん)老師、たまりかねて、包丁を隠し持ち、その場に割って入って、猫の首筋を高くかかげて云った。

「お前たち・・平常、悟り顔をして、この大げんかは何のざまか。実際、真の求道者なら何かヒトコトを道(い)うてみよ。さもなければ、この猫、切り殺してしまうぞ」と叱りつけた。・・けれども・・師の想い届かず、独りも「禪」を解かったものが出て来なかった。・・ので、南泉老師は、この猫を切り殺した。

*この話は、碧巌録(雪賓重顯)では、師、南泉普願と、弟子、趙州従諗次の、禅機禅境(地)を、別々に見ようとして、六十四則「趙州頭戴草鞋」との2回にわたる則となった。

無門関 第十四則や従容碌 第八則では、連続した一編の説話として記述してある。

  【本則】挙す。南泉(山において)一日、東西の両堂、猫児を争う。

   南泉これを見て、ついに提起して云く「道(い)いえば即ち斬らず」

   衆、對(たい)なし。

   泉、猫児をを斬って両断となせり。

【頌】両堂の求道者たち、イヤハヤどいつも拙劣きわまりないバカばかり。ジャンケンでもして決めれば済む話を、頭から湯気を立てて大喧嘩して間抜けな者達だ。こうした集団心理は恐ろしい事件を誘発するが、ただ、南泉の一刀両断の「禅機」が発揮されたことで問題が解決した。

南泉がいなければ、頭に血がのぼった群集心理で死者が出るような騒動だった(仏教寺院史上、初の猫斬り大騒動である)

   【頌】両堂ともに是れ杜禪和(ずせんな)

      煙塵を撥動(はつどう)せしもいかんともせず。

      さいわいに南泉のよく令を挙することを得て、

      一刀両断して偏頗(へんぽ)をままにせり。 

 *師、南泉の晩年・・弟子、趙州五十才頃の第六十四則に連続した話です。無門関 第14則では、この2則をまとめて1則にしてあります。

編集した禅者、雪賓重顯は、南泉と趙州それぞれの禅境(地)を、読者たちがどのように評価するか・・看てみたいと思ったのでしょう。

 

            碧巌の歩記(あるき) NO64 平成30年2月10

(師、南泉の晩年・・弟子、趙州五十才頃の第六十三則に連続した話です)

 

                            碧巌録 第六十四則     趙州頭戴草鞋

                            (じょうしゅう ずたいそうあい・こうべにワラジをいただく)

【垂示】ありません。

【本則】南泉山 猫騒動のあった、その夜のことである。

出かけていた弟子の趙州・・帰ってきたのを待ちかねたように、南泉は昼間の猫騒動のことを話した。

一匹の猫の取り合いに、大騒動を演じた求道者たちの振る舞いを聞いた趙州は、まだ脱ぎ終わったばかりのワラジを、自分のアタマに載せてスタスタとその場を去った。

(これが趙州の・・なにかヒトコトを道(い)うことだった)

この様子を見た南泉老師、思わず「お前が居てくれたら、猫を斬らずに済んだ」と、愚痴しきりのアリサマだった・・ソウナ。

   【本則】挙す、また南泉、前話を挙(こ)して趙州に問う。

     州、すなわち草鞋(そうあい)を脱して頭上に戴いて出でたり。

     泉云く「子(し)もし(その時)ありせば猫児(みょうじ)を救い得たりしものを」  

【頌】南泉老師は外出から帰ってきた趙州に、昼間の猫騒動の話をきかせた。師、南泉は、猫1匹の斬殺・成仏に、あれこれクヨクヨと思い悩むような出来損ないの禅者ではない。

(無門関 第19則 平常是道・・平常心是れ道・・と趙州に説き、不疑(うたがいなしと)なれば「太虚(たいきょ)の廓然(かくぜん)として洞豁(どうかつ)なるが如し」天地同根なれば、カラリと晴れた青空・・の禅境であるとして、趙州を頓悟に至らしめた禅者である)

履いていたワラジを頭にのせて、師の前を去った・・この趙州の所作が最大の難関である。(足下のワラジをアタマに載せる・・バカバカしいことの意思表示だ・・などというのは大間違いだぞ。趙州の所作が見えたら、南泉のネコ斬りの真意もみえてくる)だが・・南泉山、千人の求道者達・・その誰もが理解できないことだろう。

オイオイ、趙州さんよ・・南泉老師に30年もお付き合いしたのだから、もういい加減に故郷にかえって、思うままの禅境(地)に暮らされたらどうですか・・。

   【頌】公案を圓来(えんらい)して趙州に問う。

    長安城裏(ちょうあん じょうり)閑遊(かんゆう)をままにす。

    草鞋(そうあい)を頭(こうべ)に戴きしも人の會(え)することなからん。

    帰って家山(かざん)に到って、かえって休(きゅう)せよ。 

【附記】 この南泉斬猫の話は、古来、難透と言われる公案です(無門関 第14則 南泉斬猫・・と同じ)

しかし、包丁でネコ斬り・・どうしても納得できないので意見いたします。

当時・・8世紀頃、猫を飼うことは、愛玩というより、穀倉のネズミを追い払ってくれる(また、ペストなど病気予防の)貴重な動物でした。

南泉山の猫騒動は、そうした求道者たちの穀物蔵を守ってくれる猫の取り合い話です。南泉普願(748~834)は、馬祖道一に師事して、兄弟弟子、西堂智蔵、百丈懐海の禅境を抜く卓抜した商量を見せた・・経(教え)は蔵に入り、禅は海に帰す。ただ普願(南泉)のみ、独り佛外に超える・・と言わしめた人であり・・弟子に禪史上、唇に光を放つ120歳まで生きた禅者、趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)を打出した禅者でもあります。それが、たった1匹の猫の取り合いに、台所の包丁まで隠し持ち、誰か独りでいい、猫を助ける禅境の1句を道え・・は、達道の禅者、南泉の力量から見て、いささか腑に落ちない事件です。

まして殺生を嫌う仏教寺院の僧たちの集団であり、当時は仏心宗といった学問、知識を学んでいる修禅の求道者たちです。

もし、この事件を遠巻きに見ていた村人が、「お坊さんがた、あまりに無体なな仕打ちです。その猫を私に下さい」と涙ながらに訴えたら、南泉・・どうしたでしょうか?

こうした疑問を、後の世の禅宗の寺僧・・誰一人・・訴求していないのも疑問です。反対に「ネコは、南泉に切り殺されて、立派に大往生した」・・などと云う師家方、著作もあり、禅は宗教ではない・・と提唱する私ですら(現代流の動物愛護の精神だけで言うわけではありません)異議を唱えたい次第です。

では・・どのように意見するか・・

斬却(切り捨てる)の「ザン」の字に「竄=にがす、かくす」の意があります。この字は・・ネズミが穴に隠れるサマを表しています。南泉老師は、猫を高く掲げて「禅を求道する者なら、何か道うてみよ」・・言葉でなくとも、仕草・行動で示してみよ・・さもなくば、この猫を遠く逃がそう・・と、かくのごとく「竄流・ざんりゅう」するとして、山から追放したことを、後に禅者の伝聞として、切り殺した方が、ドラマチックで面白いとばかりに、大袈裟に脚色した・・のでないだろうか・・推察しています。

 この他にも、無門関 41則 達磨安心に、二祖慧可が、安心を求めて、雪中、肘を切って差し出したとあるが、インドから禅を伝えた達磨ともあろう禅者が、弟子の肘を断ってまでしないと「安心(あんじん)=ZEN」を伝えられない・・とは信じがたい。もともと禅は、教えてもらわないと悟れないようなものではないから、抗生物質のない、医学のない西暦500年ごろ・・わずか4~5人の中国人の弟子を相手に、切った貼った・・はないでしょうと云いたい。

もちろん、安心したい・・その禅機は、血なまぐさい肘キリ事件の、そんなところにある訳ではない。当時、刀を振りかざす強盗が横行していた時代だから、この問答の実際は、話を誇大に演出、潤色した逸話に仕立てたと断じます。

この意見は、禪のパスポート「無門関 素玄居士提唱」意訳で、詳しく記します。以上・・有(会)難うございました。

折に・・はてなブログ「禅のパスポート」「禅・羅漢と真珠」ご覧ください。