碧巌の歩き 第69則・・的は何処にあるのか・・?

碧巌録 第六十九則 南泉一円相 (なんせん いちえんそう)

【垂示】圓悟が垂示した。

禅者の心境を窺うのは、なまじの覚悟で挑んでも理解しがたく、ダイヤモンドで出来た菓子を食べるように、堅くて歯がたたない。

そのありさまは、まるで黄河の氾濫に備えて、ドンと河岸に据え付けられた巨大な鉄牛に例えられよう。

(第三十八則 本則中 「祖師心印 状似鐵牛之機」と同義)

破れ衣をまとった修行の足りた達道の禅者は、深山に小さな禅庵を構え、赤い囲炉裏の炭火に、一握りの白雪を振り舞いたような生活・・が似合っている。

また、戦いにおいて、四方八方から敵に襲いかかられようと、いささかも動じることなく非凡に立ち向かえるのは、それはそれでよいとして・・文字、言句の葛藤に囚われないこととは・・はたして、どんなことか・・試みに挙す看よ。

   *垂示に云く、啗(たん)琢(たく)なきの処は、祖師の心印にして、

    かたち鐵牛(てつぎゅう)の機に似たり。

    荊棘林(けいきょく りん)を透(とお)るものは、

    衲僧家(のうそうけ)にして紅炉上一点の雪のごとし。

    平地上に七穿八穴(しちせん はっけつ)なることは

    則(すなわ)ち且(しばら)く止(お)く。

    夤縁(いんえん)に落ちざること、また作麼生(そもさん)。

    試みに挙す看よ。

 【本則】馬祖の弟子たち・・南泉(なんせん)と歸宗(きす)と麻谷(まこく)の行脚(あんぎゃ)=若い修行時代の話をしょう。

三人は、江西、馬祖山を出発して、はるばる長安の都、忠国師のもとを目指して旅だった。

その道なかばにさしかかって、一休みのおり、南泉は、路上に「一円相」を描いて云った。

「これについて、誰か真理に触れた一句=「一語」を云えるなら、約束通り長安まで行くことにするが、そうでないなら、テクテク遠い長安まで行くのは、もうごめんだ」

すると・・歸宗は、南泉の描いた地上の一円相の中に入って坐禅をしたのだった。

麻谷は、それを見て早速、歸宗の前に行き女性が観音様を拝するように礼拝した。

二人が、どさまわりの芝居じみたことをするので、南泉は「ソンナ事なら、もう長安行は止めた。ヤメダ」と云った。

歸宗「ここまで来て何を言うか。いったいどんな腹ずもりで止めるのか」と詰め寄った。

(結局、三人はトボトボ、遠路の旅を止めて、親方のいる馬祖山にもどった)

   *擧す。南泉(なんせん)、歸宗(きす)、麻谷(まこく)、

    同じく去って、忠(ちゅう)国師(こくし)を礼拝せんとせり。

    中路(ちゅうろ)に至って、地上において、一圓相(いちえんそう)を書(えが)いて云く、

   「道(い)い得(え)ば即(すなわ)ち去(さ)らん」

    帰宗、円相の中において坐したれば、

    麻谷すなわち女人拝(にょにんはい)をなしたり。

    泉云く「恁麼(いんも)ならば則(すなわ)ち去(さ)らじ」

    帰宗云く「是れ、なんの心行(しんぎょう)ぞ」

 【頌】楚の恭王の為に、樹上の白猿を狩りする最中射手の矢のことごとくを、白猿が手で振り払い阻止したので、弓の名人、太夫の養(よう)由基(ゆうき)が、その手こずらせた白猿を、不思議な矢で射止めたという・・故事にもとづく。                               樹木をグルグル逃げ回る猿を、誘導弾のように追いかけまわす由基の矢は、不思議にも、樹木をかいくぐって旋回しながら(しかも、まっすぐに飛んで)見事に的中したことになる。

禅界で知らぬ人無き、著名な忠国師の「一円相」は、まさしく白猿のような怪物だが、はたして、養由基のように、見事に射止めて、その正体を見届けた禅者がいるか・・どうか・・

修行中の彼ら三人は途中で長安行きをやめて、馬祖山に帰ったそうだが、ソリャ間違いではなくて、マッコト正解だ。

もともと、中国ZENの大樹、その根元である曹渓慧能(そうけい えのう=山猿と呼ばれ・・焚き木拾いで生計を立てた髪を剃らない道者・・東山弘忍(ぐにん)の弟子、六代目祖師)の手元には、本来「無一物」・・何もないのが取り柄だからだ。

だが、何もないところを、何もないまま見て回って、文化とやらの咲乱れるサマを、円相トヤラに映し込んで、お土産にしたらよかったものを・・・。

どうも、何時の世であれ、手(て)・間(ま)=労力・時間を省くと、ろくなことにならないなぁ

    *由基(ゆき)が箭(や)は猿を射たり。樹(き)を遶(めぐ)ること何ぞ、

    はなはだ直(ちょく)なりしぞ。

    千箇(せんこ)と萬箇(ばんこ)。これ誰か、かって的にあてしや。

    相よび、あい呼んでかえりなんイザ。

    曹渓(そうけい)路上(ろじょう)には登陟(とうちょく)することを休(や)めたり  

   (また云く)曹渓の道は坦平(たんへい)なるに、なんとしてか豋陟をやめたるぞ

 

【附記】この則は、馬祖道一の弟子、南泉普願(なんせんふがん 748~834)麻谷寶徹(まこくほうてつ 南泉と法系上の兄弟弟子)歸宗智常(きすちじょう=蘆山(ろさん)歸宗寺(きすじ)の三人が忠国師南陽慧忠 なんようけいちゅう)のいる長安(西京・千福寺)に行脚する道中の話だが、三名とも、まだ、馬祖山にいたる間なしの、諸国遍歴時代の青年修行者(二十五歳前後)であった。

自分たちの師、馬祖道一(ばそどうどういつ)の師すじにあたる、南嶽慧譲(なんがくえじょう)の兄弟弟子・・南陽慧忠が・・(この二人は六祖、大鑑慧能(たいかんえのう)を祖師とする)飛ぶ鳥をおとす勢いの粛宗皇帝の国師であることを知って、有名な「一円相」の元祖・家元の禅境話も聞きたし、さらに良いコネ、ツテがあれば名山の住持に昇進・・との、生業(なりわい)のための、よからぬ動機もあり、いさんで馬祖山を旅立った道半ばの出来事だった

歸宗の「我は絶対の中心」にあり・・とする円相坐と、麻谷の茶目っ気たっぷりの観音礼拝の仕草に、真面目な南泉は、さぞかしガッカリしたことだろう。

この話は・・「的(円相)を道(い)いえれば即ち去らん」とする意を、領得できなかった二人の青年求道者・・その禅機上の遊戯を誘ってしまった南泉の失敗話である。

  • 遊びをせんとや生まれけむ

   戯(たわ)ぶれせんとや生まれけむ

    遊ぶ子供の声きけば

     わが身さえこそゆるがるれ(平安期 梁塵秘抄・今様)

 

はてなブログ「禅のパスポート」(無門関/素玄居士、野晒し評語/意訳)ごらんください。

有(会)難うございました。