碧巌の歩記(あるき)NO70  (NO70、71、72=3則)

この七十則、七十一則、七十二則の三則は、百丈懐海(ひゃくじょう えかい=720~814)を師とする、潙山霊祐(いさんれいゆう 771~853)五峰常観(ごほうじょうかん)筠州(きんしゅう)=江西省の人、不詳。雲巌と同期生)雲巌曇晟(うんがんどうせい 782~841 潭州=湖南省、雲巌禅院)の禅問答・・その三部作の第1話である。

編集者、雪竇は、百丈の問いかけに対して、弟子三人、それぞれの禅機をみるために分割した・・と考えます。

始めに潙山に、次いで五峰に、最後の雲巌に、まったく同じ問いをしかけたのは、多分、彼らの年齢順であり、次の二則に【垂示】が欠落しているのは、同義の公案。答えはそれぞれの答者のひとつだけ。

わざわざ「同じ問い」に解説不要としたか、または、大慧宗杲(たいえしゅうこう)による・・碧巌録は修行の邪魔として焼却した事件(1141頃?)により、遺失したものか・・いずれにせよ、欠落しています。

*圓悟克勤(えんごこくごん 1063~1135) 碧巌録撰述 1115頃? 刊行1128) 

内容・・雪竇【本則=公案】頌(じゅ)。圓悟【垂示】著語、評唱の五部門で成立。 

大慧 碧巌録焼却1141頃? 圓悟の弟子。曹洞の黙照禅に反して、臨済公案禅=看話禅を標榜(ひょうぼう)、提唱した。中国、臨済宗、中興の祖と称せられる傑出した禅者であったが、門下の求道者たちが、臨済のいう・・自己の面前に出入する一無位の「真人」・・参究の道を誤り、いたずらに文字・言句の解釈にうつつをぬかす口頭禅の様子に憤慨して、焚書狂言を演じて見せた。(現代日本の仏教界=禅宗の寺僧たちや、佛教学者たち、関心を持たぬ庶民、スマホ社会の風潮とまったく類似した生活風景です)

 ●私が意訳する「碧巌録」の骨子は昭和九年、京文社発行、井上秀天著「碧巌録新講話」が、重要参考本です。その前書き(歴史的研究)末尾の言葉を記しておきます。

「実を言えば、この碧巌録は、あまりむつかしい性質のものではない。禅の深遠なる玄旨を、造作なく俗耳にでも入るように、雪竇、圓悟が、当時(宋)の俗語をもって、面白おかしく提唱したものであるから、これを日本訳するには、現代の通俗語を使用して、なんびとの耳にでも、スラスラと入るようにすべきものであろう」

このように、一九三四年、漢文和訳された一千頁余の本ですが、それから八十有余年・・経過した今日・・解かりやすい日本語であつたはずが、すでに漢文古語になってしまっている次第です。

戦前、井上秀天は、原始仏教、東洋思想研究家。禅宗、佛教に根差した非戦・平和を提唱して、政局・宗教界・寺僧に憚らぬ方であつたと言われています。

残念ながら、終戦直前、神戸空襲の日、爆撃のB29を庭先で見上げておられた、その真上で爆弾がさく裂。爆死なさった・・(1945-3-17 六十六才 鳥取県出身)と聞きます。資料が大変、少ない方です。

 

碧巌録 第七十則 百丈併卻咽喉 (ひゃくじょう いんこうをへいきゃくして・・)

                                                潙山請和尚道(いさんおしょう こう いえ

【垂示】圓悟が垂示した。

一を聞いて十を知るような人には「一語」で充分・・駿馬を走らすには、たったのひとムチでことたりる。(三十八則 垂示と同義)

つまり一念は万年のなかにあり、万年は一念そのもの(色即是空=心経)だ。快人である禅者は、この世の事象、葛藤を、それが発生しない内に、判定、裁断しなければならない。いや、葛藤の起こる前に、裁断する機敏さが大事だ。

例えば、喉が渇いた・・と思う前に、茶が差し出されるように・・。例えば・・自然の四季は、冬にいて、春を待望する前に、白梅のつぼみがふくらんでいるように・・。

サテ・・この事象の発生する前に、いったい、どの様にして、その直截を行動できるのか・・次の事例を看よ。

   *垂示に云く。快人(かいじん)には一言。快馬には一鞭(べん)。

   萬年は一念。一念は萬年。

   直截(じきせつ)することを知らんと要せば、

   未(いま)だ挙(こ)せざる已前(いぜん)に於いてなるべし。

   且(しば)らく道(い)え、未だ挙せざる已前に、

   作麼生(そもさん)か模索(もさく)せん。請う擧す看よ。

【本則】百丈山の禅林であった一日の問答話をあげる・・擧す。

霊祐、常観、曇晟の三人が、師の前に起立した。

百丈が潙山に問う・・

「顔無し(口や舌や唇なし)で、如何に、禅を語れるか」

潙山云く「師よ、まず師が、その模範をお示しください」

百丈云く「ヤレと言われりゃ、やらぬでもないが・・やって見せれば、この世から「禅」が消滅。禅者が断絶してしまうので、やる訳にはいかないのだよ」

 *潙山。五峰・雲巌の名を、後の居住した山の名で記されているのは、碧巌録が、彼らの在世中の話ではなく編集、作成されたことを表わしている。

百丈懐海(当時35才)の社会は、唐の玄宗皇帝(70才)が・・(蜀の玄琰(げんえん)の娘、揚太眞を貴妃としたのは745年)・・楊貴妃(36才)と西安、華清宮で豪遊をかさねる・・白楽天の「長恨歌」にうたわれた「春さむく、浴を賜る華清池。温泉、水なめらかにして、凝脂を洗う」・・頽廃の時代だった。

禅林も僧侶たちは、何が「出家」か・・家出の間違いではないか・・と言うほど、倫理・道徳が乱れに乱れた中で、百丈は、禅寺(叢林)の団体生活の規律を定めた規矩(きく)制定=禅林清規(しんぎ)・・を制定して、いわば禅者のモラルを立て直した、たぐいまれな禅者でした。

「一日作(な)さざれば、一日食(しょく)せず」・・人の為に働けないのなら、食べないことにする・・この、己に向かって断言した勤労実行宣言。すごい「禅者の一語」です。

同じ中国の共産党・・習キンペイさん・・狐もハエも叩く・・正直に働かざる者、食うべからず・・と、えらい違いです。百丈山にお参りして、爪の垢でも煎じてのまれるとよいでしょう。

百丈の言い分は、そうしたドン図まりのどん詰まり・・「禅者の一語」は自らが体得して、禅による生活を行いなさい・・の意でもあります。

  *擧す。

   潙山(いさん)・五峰(ほごう)・雲巌(うんがん)、

   同じく百丈(ひゃくじょう)に侍立(じりつ)せり。

   百丈、潙山に問う「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

   作麼生(そもさん)か道(い)わん」

   潙山云く「却(かえっ)て請う、和尚 道(い)えよ」

   丈云く「我 汝に向かって道うことを辞(じ)せざるも、おそらくは巳後(いご)、

   わが児孫(じそん)を喪(うしな)わんことを」

 

【頌】潙山はナカナカの豪の者だ。まるで虎が犀の角をはやして草むらから飛び出したような出来事だ。

生徒が先生を試験するとは・・。

現実世界五州と理想郷五州、あわせて十州の、枯れ木に花を咲かせたような春爛漫の地も、過ぎれば真冬の枯山水

しかし、言語を絶した禅者は、まるで南洋の珊瑚のように、陽を浴びてキラキラと輝やいている。

  *却って請う、和尚 道えとは。

   虎頭(ことう)に角(つの)を生じて荒草(こうそう)を出でたるなり。

   十州(しゅう)には春盡(はるつ)きて、花は凋残するも

   珊瑚(さんご)樹林(じゅりん)には日杲杲(ひこうこう)たり。

【附記】クレオパトラと並び称せられた楊貴妃(27歳)が、玄宗皇帝(61才)に見初められたのは、紀元745年の事。中国7~8世紀へ、タイム・トラベルできたら、動乱、頽廃の世相の中、禅の勃興期、どうやら、この時期の宮廷、楊貴妃の容姿を、百丈老師とともに見られたかもしれない・・しかし、アシタに紅顔の美少年(少女を意味した)夕べに白骨となる・・ならば・・観光・就職コネ旅行は中止にして、退散するのが(百丈わずか26才の時ですから・・)正解でしょう。

*老師というのは、年老いた師の意味ではなくて、近しい先生の意

 

 碧巌の歩記(あるき) NO71  

碧巌録 第七十一則 五峰和尚併却 (ごほうおしょう へいきゃく)

                百丈問五峰(ひゃくじょう ごほうにとう)

【垂示】ありません・・ 前則に関連する、百丈の五峰(弟子)への問い(公案)ですから、圓悟の、ワザワザの垂示はありません。

 

【本則】百丈、今度は五峰に向かって「口で・・ではなく、禅者としての一語を云え」と迫った。

五峰云く「老師よ、まずは、貴方から口で・・ではなく、その禅者の一悟をお示し願います」

百丈云く「ようしヨシ・・お前さんの来るのを無人(尽)の境地で、手を額にあて遠く望んで、待ち受けよう」

(圓悟 箸語(ちゃくご)して「土曠(どこう=十万億土の地に)人稀相逢者少(ひとあいあうはまれなり・・やくそくはできないぞ)」・・ソンナ遠方で待ってるようなお人よしはイナイゾ・・の意)

  *擧す。百丈、復(また) 五峰に問う。

  「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

   作麼生(そもさん)か道(い)わん」

   峰云く「和尚、また、すべからく併却すべし」

   丈云く「無人の處(ところ)にて斫額(しゃくがく)して汝を望まん」

 

【頌】師、百丈に一切の媒体を除去して悟道の一語を云えとは。

まるで、不敗の龍蛇を布陣した百丈の手元をすり抜けて、斬り返した五峰のハカライ、見事である。この非凡な働きは、古の李将軍の逸話そのものだ。

万里の天空を飛翔する鶚(ミサゴ)に比すべき百丈を見事に射落とした手際は、李将軍以上の英雄と呼ぶべき者であろう。

  *和尚 また併却すべしとは。

   龍(りゅう)蛇陣上(だじんじょう)に謀略を看せしめたるなり。

   人をして長く李将軍を憶(おも)わしむ。

   萬里(ばんり)の天遍(てんぺん)には一鶚(いちがく)を飛ばせり。

 

【附記】潙山、五峰ともに、問答をしかけられた師、百丈から否認されてはいない。しかし、潙山は虎であるのに猫に見せかけて、五峰は龍であるのに蛇に見せかけて、その禅境を表わしたが、まだ百丈の口舌、言句の網の中に囚われている。趙州や臨済の如き悟境は、まだまだの若虎、土龍・・未だ天龍にいたらぬ時期であると言えましょう。

 

碧巌の歩記(あるき) NO72  

 碧巌録 第七十二則 雲巌和尚有也 (うんがんおしょう ありや)   

             (百丈問雲巌 ひゃくじょう うんがんにとう)

【垂示】ありません 

前則に連続する百丈の弟子、雲巌への問い(公案)ですから、圓悟のワザワザの垂示はありません。

【本則】擧す。百丈、また雲巌に問う。

「口や舌や発声なしで、禅者の一語を道(い)うて看よ」

雲巌云く「老師よ、さっき、五峰さんに、老師から先にどうぞ・・と言われて言語媒体を捨て果てた・・と思っていました。・・のに、まだ、こだわっておられるのですか」と逆ネジを喰らわせた。

百丈云く「ウーム・・お前さんの云う通り、親切の限りを尽くして聞かせてやったが、このような有様では、将来は口達者な者ばかりの、禅者絶滅種と成りはてよう・・な」

   *擧す。百丈、また雲巌(うんがん)に問う

   「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

    作麼生(そもさん)か道(い)わん」

    巌云く「和尚 有りや、また、未(いま)だしや」

    丈云く「我が児孫を喪(そう)せん」

 【頌】口舌、言語を絶して「禅者の一語」を道(い)えと迫られて、雲巌「老師、いまだ自己の言語を絶しておられないのか」と返した。まるで文殊菩薩の乗られる、金毛の獅子の如き振る舞いだが、残念ながら、この場合は、眠れる獅子である。

潙山、五峰、雲巌の三人、まだ若く、修行中の身で、それぞれ、共に、先達の歩いた道のコピペ風の講釈ばかり。

獅子吼するような、機鋒するどい一語がでないので、さぞかし百丈、がっかり、歯がゆい弟子たちと思ったのに違いない。

大雄山、百丈の指鳴らし二十有余年。まあ、こうした禅者の寂寥の末路はよくあることだ・・これは百丈を讃えている言い方です)

   *和尚 有りや、また未だしやとは。

    金毛(きんもう)の獅子(しし)の踞地(こじ)せざりしなり。

    両々三々(りょうりょうさんさん)は舊路(きゅうろ)を行き、

    太雄山下(だいゆうさんか)には空(むな)しく弾指(だんし)。

 

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