碧巌の歩記(あるき)NO74 禅は棒・喝のみにあらず。

●サアサ・・ご飯が出来ました!温かい内にどうぞ・・

碧巌録 第七十四則 金牛飯桶 (きんぎゅうはんつう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に向かって垂示した。

禅者は、どんな葛藤や、難問題でも、草薙(くさなぎ)の剣を一閃するようにスパット解決して、明鏡のごとき般若の智慧を輝かせ、いかなる文字、言句でも、真実一路の保証印付でなくてはならぬ。

着衣喫飯・・日常生活そのままが大悟徹底の行い・・そのものである・・が、いざ、非常時には、どのように対応しているのか。

理解できない者は、次の下文を看取せよ。

  *垂示に云く、鏌鎁(まくや)横に按(あん)ずれば、

   鋒前(ほうぜん)には葛籐窠(かっとうか)を翦断(せんだん)し、

   明鏡(みょうきょう)高くかかれば、

   句中に毘盧印(びるいん)を引出(いんしゅつ)せん。

   田地(でんち)隠密(おんみつ)の處にては、著衣喫飯(じゃくえきっぱん)せんも、

   神通遊戯(じんつうゆげ)の處にては、

   如何にしてか湊泊(そうはく)せんや。また委悉(いしつ)せりや。

   下問(げもん)を看取(かんしゅ)せよ。 

【本則】むかし・・鎮州に金牛と呼ばれた老師がいた。

多くの求道者の面倒をみて、食事時には、味噌擂(す)り、ご飯炊き、一切合財ととのえて喜色満面、呵呵大笑(かかたいしょう)して「さあさ・・菩薩(求道者)たちよ、ご飯が出来たから、おあがりなさいよ・・」と、誰へだてなく、厚遇、接待をしていた。

  (雪竇云く・・金牛坊主に騙されるなよ。必ず、どこぞの家主のように、 

  「タダメシは食わさんぞ。まずは家賃の値上げを・・」と言うはずだ!)

後世になって、この話を、ある求道者が長慶慧稜(853~932)に持ちだして問うた。

「いつも、どの禅寺でも財政難で大変ですのに、金牛和尚は、いったい、どんな気持ちで、自分の財産をなげうって、求道者たちを養ったのでしょうか」

長慶云く「多くの求道者を養う資金を持っている・・その感謝の祈りであろうサ。高慢なホドコシ顔より偽善気分がなく、うれしい感謝の顔の方が、お互いに、いい気分じゃないか」

  *擧す。金牛(きんぎゅう)和尚、齊時(さいじ)にいたる毎(ごと)に、

   自(みずか)ら飯(はん)桶(つう)をもって、

   僧堂の前において舞をなし、呵呵大笑(かかたいしょう)して云く

   「菩薩子喫飯来(ぼさつしきっぱんらい)」と。

   (雪竇云く、しかも、かくの如くなりと雖(いえど)も、

   金牛これ好心(こうしん)にあらず・・と)

   僧、長慶(ちょうけい)に問う。

   「古人 道(いわ)く。菩薩子喫飯来・・と。意旨如何(いしいかん)」

   慶云く「おおいに齊(さい)によって慶讃(きょうさん)するに似たり」

 

【頌】金牛和尚の、自ら飯を炊き、自ら僧堂に配膳して「サアサ、菩薩の方々、ご飯が出来たよ」と明るく笑いながら求道者をもてなしたことは、詩的に表現すれば「白雲影裏に笑い呵呵」である。

禅は棒・喝のみにあらず。平凡な日々の生活中に真理あり。

施しをもらって喜ぶごとく、施しをなして喜ぶ人は極めて少ない。

長慶は、真の禅者(金毛の獅子)である。

金牛のいた鎮州の彼方、遠く三千里の明州にいながら、金牛の「禅禅による生活=禅者の行い」を見抜いている。

  *白雲影裏(はくうんえいり)に笑呵呵(わらいかか)。

   両手にもち来たって他に付與(ふよ)せり。

   もし是れ金毛の獅子子(ししじ)ならば、三千里外に訤訛(ごうか)を見ん。

 

【附記】馬祖道一(709~788洪州 馬祖山)の弟子・・鎮州、金牛和尚は、どうやら・・何不自由のない富豪でありながら、晩年、特別の動機で出家。自分の莫大な資財を投げ出して、多くの求道者を供養して自ら、おおいに満足していた・・と推測する以外、詳細不明。

*碧巌録 第七十四則と第九十三則【本則】問所・・に記録されている事例は、円熟した境地の禅者と、禅機の覚心したかの如く見せかけている者との対比が鮮やかである。