昔も今もガタピシ隙間風の禅界は、ゴタツク(吾他憑く)訳だ!

碧巌の歩記(あるき)NO76  

◆丹霞天然(たんかてんねん=739~824)鄧州丹霞山に隠棲した、馬祖道一の弟子。石頭希遷に参禅。七十代の頃、寒中、慧林寺で木仏像を焼いて暖をとったという禅者。

 

碧巌録 第七十六則 丹霞喫飯也未 (たんか はんをきっすや いまだしや)

【垂示】圓悟が求道者に垂示する。

宇宙の実体は、細部を看るに米粉のごとく、極寒は氷霜の如くであるし・・遍在性を見ると、見事に宇宙に充満しているから、人の云う「明」とか「暗」とか、髙い、低いも、ともに無限である。大悟徹底した禅者の積極的行為(把住 はじゅう)、消極的行為(放行 ほうぎょう)は、一挙手一投足、ガタピシ(我他彼此)のない自然(おのずから しかり)天地同根の行いである。

さあ、おまえたちの中に、ズバリ、こんな鋭いことを言えるような徹底した者がいるか・・どうか。試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、細(さい)なることは米末(べいまつ)のごとく、

   冷(れい)なることは氷霜(ひょうそう)に似たるも、

   乾坤(けんこん)を逼塞(ひっそく)して、明を離れ、暗を絶(ぜっ)す。

   低々(ていてい)たる處にては,これを観るに餘(あま)りあり。

   高々(こうこう)たる處にては、これを平ぐるにたらず。

   把住も放行もすべて這裏(しゃり)のところにあり。

   また出身の處 ありやいなや。試みに挙す看よ。

     *ガタピシしない/我他彼此・2元(相対分別)的思考に囚われないこと。

【本則】ある日一人の求道者が、丹霞山(たんかざん)の天然和尚の処にやってきた。

丹霞「どこからお出(い)でたのかな」

求道者「丹霞山のふもとから、登ってきました」と、常識的に自分の出身地を言うのではなくチョット奇抜な風の答え方をした。

丹霞「ウム・・下から上に・・か。それはそうと飯は食ったか、まだか?」と切り返した。

求道者「もう、いただきました」

丹霞「お前さんなんぞに飯を施す人がいるとは、世の中は広いものだな。じゃあ・・その人は人物を鑑識する「真眼」はもっていたかね?」・・丹霞の第二箭(矢)は、深く求道者の胸に突き刺さる。

求道者・・この鋭い禅者の問いに無語となった。

(これは九世紀初頭、鄧州南陽、丹霞山の禅院での問答だが、九世紀終ごろ・・丹霞死後三十年後、福州雪峰山の禅林で、長慶慧稜と保福従展の間で、この話が蒸し返された)

長慶が保福にむかって「どうも、あの丹霞和尚の言い分が納得できません。丹霞和尚は、あの求道者に飯を食べさせた人は、眼なしだと言わんばかりですが、これは、如何なる立場から言えることでしょうか?」

保福「雲水、行脚をもって自任する者であるなら、ホドコシを受けるような意気地なしになる訳がない。飯を食わせる奴も奴だが、食わせてもらう奴も奴だ。施者も受者も、眼なしだね」

長慶「最善を尽くして、真に感謝する・・自己相応の慈善を行うことを、貴方は眼なしだ・・というのですか」

保福「おいおい・・私を眼なし扱いにして、わからず屋だと言うつもりかナ」

  *擧す。丹(たん)霞(か) 僧に問う「いずれの處より来たるや」

   僧云く「山下(ざんか)より来たれり」

   霞(か)云く「喫飯了(きっぱんりょう)や、未(いま)だしや」

   僧云く「喫飯了」

   霞云く「飯をもちきたって、汝に喫(きっ)せしむる底(てい)の人、

       また眼(まなこ)を具(ぐ)するにや」

   僧 無語。

   長慶、保福に問う

  「飯をもって人をして喫せしむるは、恩を報ずるには分あるに、なんとしてか眼を具せざるにや」

   福云く「施者(せしゃ)受者(じゅしゃ)ふたりともに瞎漢(かつかん)なり」

   長慶云く「その機を盡(つく)しきたるも、また豁(かつ)となすやいなや」

   福云く「我を瞎(かつ)と道(い)い得るにや」

 

【頌】自己の最善を尽くして物事をなす者を「わからず屋」とは言わない。

昔、インドの寓話に、ご先祖の墓に沢山のお供え物をして祈る人がいた。そこへ牛飼いが通りかかり、死んだ牛の頭を近くの草むらに押しつけて、「さあ、この草を食べろ、食べてくれ、おいしいぞ」とけしかけていた。

墓参りにきた人は、これを見て「ソンナ事をしたところで、死んだ牛が草を食べる訳がない」というと、その牛飼いは「あなたも、私のしたようなことをお墓でしているではありませんか」と逆ねじを食わせた・・逸話にもとづく。

禅を伝灯するインドの四十七師。中国、達磨から二十三代の祖師・・伝法者たちは、禅の印可相伝に大騒ぎを演じてきたが、禅は、そんな大袈裟な中に隠れているものではない。

イヤハヤ天上界、人間界、どこもかしこも、我利我利亡者(ガリガリモウジャ)の渦中に呑まれ、禅界は我他彼此(ガタピシ)隙間風が吹いて、住みづらいことになった。

  *機を盡(つく)さば瞎(かつ)となさず。

   牛頭(ごず)を按(あん)じて草を喫(きっ)せしむ。

   四七二三の諸祖師(しょそし)。

   寶器(ほうき)を持(じ)し来(き)たって過咎(かきゅう)をなせり。

   過咎深(かきゅうふか)し、

   尋(たず)ぬるに處なく、天上人間は同じく陸沈(りんちん)。

 

【附記】丹霞天然(たんかてんねん=739~824)鄧州丹霞山に隠棲した、馬祖道一の弟子。石頭希遷に参禅。七十代の頃、寒中、慧林寺で木仏像を焼いて暖をとったという・・逸話のある禅者。

人に咎められると「仏像を焼いて、お前さん方が有難がる、佛陀の舎利(骨)をとっている」と言い放った。「木像に舎利があるものか」と言われると「ゴタ(吾他つ)憑くな!舎利の無い仏像なら、いくら焼いたところで責められるイワレはないぞ」と答えたそうだ。

コンナ気骨のある禅者は、今時、何処を探しても見つからない。