碧巌の歩記(あるき) NO84 

禅(継承)の・・接ぎ木や温室栽培(集団の修行法)は難しい。

禅は「無字」の公案や「隻手音声」などの悟り(見性・透過)を大事とします。

大悟は一度きりでも、小悟は、その数を知らず・・と言われます。

また、釈迦も達磨も、今なお修行中といわれる。

私は・・禅は、宗教の範疇ではないし、哲学や論理、心理学、精神論など、学問・科学の分野でもない、自己内面の自覚=「禅による」生活そのもの・・である・・としています。

悟りともいい、見性ともいう自覚は、自分の内面の大転換ですが、いくら自分が努力、意図しても、成就する訳ではありません。

坐禅や悟りを意識すればするだけ、悟りは得られません。

それには「役立たず」の独りポッチ禅を行うことが大事です。

ですから、旧来、寺僧(僧堂師家から)の伝燈・印可・継承など、大変に難しいことである・・と断じます。

達磨が中国に渡来して以来、日本に伝燈されてきた、臨済黄檗曹洞宗など、いわゆる禅宗は「禅」を「元・素」=宗(むね)とする・・という意味であり、禅の団体、組織的宗教活動、葬式行事をいうものではないのです。ただ、中国でも日本でも、あまたの寺僧の、生業(なりわい)の中で、認知され、引き継がれてきたので、その印可・継承の実相は、チョウド(沈丁花の赤と白が1本の木で咲き分ける)接ぎ木をするような、師と弟子の二人だけの、ピッタリ息の合った作業とならざるをえなかった、極めて難しい相続・継承でした。

何十何百の師と弟子の間で行われた「ZEN」の接ぎ木(印可・継承)では、失敗や挫折も多くあり、また、手法をかえて、温室栽培(集団研修)で立ち枯れてしまう・・幾多の禅流が途絶えてしまう・・ような事例も多々ありました。さらに世界的に科学万能の時代に至って、なりわいとしての寺僧の継承、集団的修行で、一般人の社会的な参画が少なくなり、純粋な求道心が欠如した若者の台頭とあいまり、まるでスマホが信心の対象であるかのような現象が広まって来ています。禅の退廃化、絶滅です。

では、これからの宇宙時代にふさわしい「禅」は、どのようなTPOで復活、根付くのでしょうか。                  

私は、宗教や集団ではない・・個の「禅」・・それも、それぞれの人の生活に根差した暮らしの中で「独りポッチ禅=三分間ひとりイス禅」が発芽してくれるのでないか・・と考えています。

誰でも、何時でも出来る「三分間ひとりイス禅」が、キット「ZEN」の揺籃となってくれることだろう・・と思うのです。

(ここで雪竇の頌二題を掲示しておきます)

  • 葉落花開自有時(葉の落ちるにも花の開くにも自ずから時あり)第八十八則
  • 夜深誰共御街行(夜は深し誰と共に御街(ぎょがい)=神の御許・に行かん)第二十四則

 もともと、「禅」は、人の存在の目的、意義を問う者のある限り、その人の心に、自然に発芽、発酵されるよう仕組まれている不思議です。碧巌録や無門関など千年前の、禅者達の語録さえあれば、時に「?」と思う処に「独りポッチ禅=3分間ひとりイス禅」のタネが芽生え、その苗木は、好奇心という水やりで、何十年かかろうと、人それぞれ・・きっと大樹となってくれるだろう・・と思っています。

 

碧巌録 第八十四則 維摩不二法門 (ゆいま ふにほうもん)

【垂示】圓悟の垂示である。

この人間が住む宇宙の実態について、いろいろな見解があるが、要するに「是-ある」と「非=ない」に帰着する。

それを肯定して「是」としたところで、是とすべきものはなく「諸行無常」である。

あるいは「非」としたところで、別段、非とすべきものはなく、花あり月ありだ。

この一方的に執着する是非・得失を両忘してしまいさえすれば、本来無一物(即)無尽蔵となる。

人生すべては裸心で生きる、ありのまま(無依)ではないか。

サアて・・求道者たちよ・・君等の面前・背後にあるものはイッタイ何だろうか?

「ハイ・・面前には仏殿・三門。後ろには寢室、方丈(居間)があります」と、シャシャリ出てくる新参の求道者があるとすれば、はたして、この者は活眼を具備していると言えようか?(こいつを、達道の禅者と言えるか?)もし、その真偽を判定しようと思うなら、古人の行跡を点検するがよかろう。

 *垂示にいわく。是と道うも、是の是とすべきなく、

  非と言うも、非の非とすべきなし。

  是非すでに去り、得失ふたつながら忘ずれば、

  浄裸裸(じょう らら)赤灑灑(しゃく しゃしゃ)ならん。

  且らく道え、面前背後には、これ什麼(なんぞ)。

  あるいは この衲僧(のうそう)の出で来たって、面前には これ仏殿、三門あり、

  背後には これ寝堂、方丈ありということあらば、且らく道(い)わん、

  この人 また眼を具するやいなやと。

  もし この人を辦得せんとせば、なんじ親しく古人を見きたるべし。

 

【本則】菩薩三十二人を引き連れ、維摩(ゆいま)居士の病気見舞いにやってきた文殊(もんじゅ)菩薩(菩薩の最高位)に対して、維摩居士は「同行の皆さんのお見舞い(見解(けんげ))は、総て承りました。さて・・どうです?文殊さん、絶対そのもの=禅の第一義とは、どんなことをいうのでしょうか」と、病人らしからぬ問答をしかけた。

文殊「わたしの所信を申し上げれば・・萬法一切の葛藤(かっとう)を裁断して、無言、無説、無示、無識・・あらゆる問答を脱却して深き沈黙に入るのが、これ禅でありましょう」と答えて、言葉を継いだ「さあ維摩居士さん、私どもは所信を陳述しましたから、今度はあなたの番ですよ」と、その見解(けんげ)をもとめたのである。

(雪竇云く・・イヤハヤ、これからが見ものだぞ。だが、維摩居士がどう出るか、チャント腹の中はお見通しだよ・・と箸語した)

  *擧す。維摩詰(ゆいまきつ) 文殊師利(もんじゅしり)に問う。

  「何等(なんら)か これ菩薩の入不二(にゅう ふじ)の法門なるぞ」

   文殊曰く「我が意の如くんば、一切の法において、

   無言(むごん)無説(むせつ)、無示(むじ)無識(むしき)、

   もろもろの問答を離(はな)るる、これを入不二の法門となすなり」

   ここにおいて文殊師利、維摩詰に問う。「我ら各自に説(と)きおわれり。

   仁者まさに何等か これ菩薩の入不二の法門なるかを説くべし」

  (雪竇云く「維摩、什麼(なん)とか道(い)わんや」

   また云く「勘破(かんぱ)し了(おわ)れり」

【9/17 附記】この雪賓の勘破了に、白隠は「ネズミの浄土へ猫の一声」と着語された・・と、釋宗演「碧巌録講話」にある。   

 

【頌】なんと愚かな維摩居士だな。

頼みもしない衆生済度のためだと、世話焼きに明け暮れて、とうとう病気にかかり、毘耶離(びやり)の城下で痩せ衰えて・・哀れにもほどがあるぞ。

それでも文殊菩薩が金毛の獅子に乗り、病気見舞いに来ると聞いてヨロヨロ方丈を掃除して待つ,ナント殊勝な老人であることよ。

それにつけても、文殊が着席するかしないかに、せわしなく「入不二法門」とは何だ?と・・問いをしかける、あわてぶり。

不二(ふじ)法門(ほうもん)ナンテ・・そんな破れ門は・・トウの昔に倒壊して跡形もないのに、口達者な文殊なんかに、さらに無駄口を叩かせる、誠に大馬鹿の維摩老だわい。

(禅者「維摩の一黙」を誉めに褒める、禅独特の表現です)

  *咄(とつ)。この維摩老(ゆいまろう)、

   生まれしことを悲しんで、空(むな)しく懊悩(おうのう)し、

   疾(やまい)に毗耶離(びやり)に伏(ふ)して全身は はなはだ枯槁(ここう)せり。

   七佛の祖師きたりしに、一室まさに頻(しき)りに掃(はら)い、

   不二門(ふじもん)を請問(しんもん)したるは、

   當時すなわち靠倒(こうとう)したるなり。

   靠倒せざりしならんも、金毛の獅子は討(うつ)ぬるに處なかりしならん。

 

【附記】本則は雪竇が「維摩経」の中から最も有名な説話を、禅的に脚色し提唱した話である。

「時に維摩、黙然として言無し。文殊師利、歎じて云く、善哉善哉・・」の完結部分を、雪竇が、故意に削除しています。

有言・無言、共に自ら両忘して一句を為せ・・との意がありありと見てとれる。

方丈とは禅家、住職の居住するところをいい、後に、日本の茶室が十尺四方(一坪余り)方丈に仕立てられたのは、この維摩経の話(・・見舞いに訪れた3万2千の菩薩を、わずか一方丈に坐らせて、まだ余りあったという、維摩詰の神通力)にあやかっての由来である。