碧巌の歩記(あるき)NO90

 月の光で妊娠する・・?そんなバカな・・!

碧巌録百則の内、九十則まで歩みを進めると、話の内容が今までと少し、趣きが違うことに気付く。

いよいよ「禅による生活」のまとめに入ったな・・の実感が湧く。

本則や頌(禅者の見解)が、磨きのかかった詩的な風貌を帯び、禅者の一語が味わい深くなってくる。

機械化された現代社会では、思い及ばぬ詩的表現・・例えば・・真珠貝は、月光を口に含んで真珠を産む・・とか・・仲秋の名月を見て、うさぎは妊娠する・・とか・・浄裸々(じょうらら)に、赤灑々(しゃくしゃしゃ)に・・意訳の私が、つくづく叶わない語彙(ごい)をまき散らせて、千年をひと飛びに・・どうだと迫ってくる。

禅は、佛教の云う因果応報(原因と結果・時系列・エントロピー)に囚われない・・心の働きを持つ。

禅者の詩的表現は、ギリギリの言葉(文字)で、その境地を現わしたものである。そして、さらに「禅による生活」の・・とどのつまりは、作務・・世間一般の当たり前の「仕事と暮らし」をすることに尽きてしまうのだが・・終りが始まりとなり・・それは生命そのものの詩となり、ピチピチと若鮎のように躍動しているところが魅力なのだ。

この則・・主題の「般若」とは・・とか・・「月」を取って看よ・・とか、「月白風清」などと、堅苦しい話になるが、私は、童謡、月の砂漠を歌いたい。

特に四番・・♪~月の夜を対のらくだはトボトボと、砂丘を超えて行きました。黙って超えていきました~♪

(昭和2年 ラジオ童謡 作詞・加藤まさを/作曲・佐々木すぐる)

寂寥感のある童謡は少ない。

碧巌録 第九十則 智門般若體 (ちもんはんにゃのたい)

【垂示】絶対ソノモノに適応した一句は、どんな達道の師といえど表現できない。実は、私達の生活にある出来事は、すべて、それぞれに永久の真実を秘めている。いや、何も隠すことなく、露堂々に出現している。

このありのまま・・頭髪ボウボウ、耳のとんがった寒山・拾得だって、彼ら、読書や掃除の生涯は、誰に比較すべきものなく絶対そのものだ。サア、御覧な・・この則の丸裸ぶりはどうだい。

  *垂示に云く、聲前(しょうぜん)の一句は千聖(せんしょう)も不伝。

   面前の一絲(いっし)は長時(ちょうじ)無間(むげん)。

   淨裸々(じょうらら)、赤灑々(しゃくしゃしゃ)。

   頭は髦鬆(ぼうそう)にして、耳は卓朔(たくさく)。

   且(しば)らく道(い)え、作麼生(そもさん)。試みに挙す看よ。

【本則】求道者が智門光祚(ちもんこうそ)に問うた。

「般若(はんにゃ=人の智慧、禅の心)の実体とは如何なるものでしょうか」

すると智門は「真珠貝は、月光を浴びて真珠を吐くよ」と答えた。

求道者はさらに「ならば般若の作用(仕事ぶり)はどうですか」と問うた。

智門「仲秋に、兎が月の光を呑んで、懐胎(かいたい・妊娠)したよ」と答えた。

(いずれも中国の古伝説・・広東省合浦の海底にすむ蛤(はまぐり)は、満月の夜、海上に浮遊して自ら口を開き、月光に感じて真珠を産するという伝説。また仲秋の夜、メス兎は、月光を呑んで妊娠し、仔を生むと博物誌にあり、智門は般若の実相を、きわめて詩的に表現して見せた)

  *擧す

   僧 智門に問う「如何(いか)なるや これ般若(はんにゃ)の體(たい)」

   門云く「蚌(ほう ハマグリ)は明月を含(く)む」

   僧云く「如何なるか これ般若の用(よう)」

   門云く「兎子(とし)は懐胎(かいたい)す」 

【頌】般若といえば般若心経・・空即是色とばかりに、虎やら龍やら登場させたがるけれど、例えれば、その実態は宇宙のダークマターや、ブラックホールみたいなものだから、手に取って見せるわけにもいかず、論理的に解説不能だ。

だが千年前の智門は、実に見事に「あるようでないような」=「ないようであるような」・・実態を示して見せた。

この神秘的な「羅漢と真珠」の関係にこだわって、禅家一同、口角(こうかく)泡(あわ)を生じて論争に明け暮れている。それどころか、月面着陸した現代にいたるまで、まだ月光に感応する真珠貝、月を見て妊娠する兎の不思議は、何ひとつ解明されていない。

現代科学は,月で兎が餅をついていないことだけは探査したが・・

  *一片(いっぺん)の虚凝(こぎょう)にして謂情(いじょう)を絶(ぜっ)せるも、

   人天これにより空生(くうしょう)を見ん。

   蚌玄(ほうげん)兎(と)を含む深々(しんしん)たる意、

   かって禅家(ぜんけ)をして戦争(せんそう)をなさしむ。

 千年前の達道の禅者達が、この小さな机のパソコンから、次々に現れて対話してくれる・・私(馬翁+12)にとって、語彙を調べる作業は少しキツイが夜の明けるのを忘れてしまうこともある。

しかも、・・この神秘的な「禅者の一語」を、おすそ分けできるとは嬉しい限りです。