碧巌の歩記(あるき)NO91

【ウチワ、扇風機、クーラーは価(あたい)三文】

昔の人の寿命は、せいぜい四・五十年だが、趙州從諗(じょうしゅうじゅうしん)は百二十才(778~897)まで、矍鑠(かくしゃく)として求道者を鞭撻(べんたつ)した、禅史上、最も卓越した禅者である(碧巌録、計十二則の多きに登場している)

趙州が六十三才の頃、先達の禅者、この則の主人公、鹽官齊安(えんかんさいあん・・719~841)が百二十二歳で示寂した。

別段、年齢にこだわる訳ではないが、禅者達の長寿の秘訣は、究極、坐禅の呼吸法に依るのでないか・・と思っている。それに質素な食事、ストレス(不安)のないピチピチした生活など、環境の所為ともいえるけれど・・その老熟の禅境(地)・・極みといえるのが、この扇子公案だ。

この則に、ズバリ意見の道(言=行い)える人は少ない。

犀牛の絵とあるが、珍しいサイの図が描かれた扇面であったろうと推測します。

ボロボロになった扇子ひとつ・・で、禅機・禅境の秀逸な話題が、溌溂(はつらつ)と生れ出る。

達道の禅者たちの禅境地=ステージが見えてくる公案だ。

碧巌録 第九十一則 鹽官犀牛扇子 (えんかん さいぎゅうのせんす)

【垂示】圓悟が求道者に語った。

禅者たるもの、第二義の思惑を超越して、相対的思考・分別を離れ、求道者には、向上の一途なることを推奨し、内には、正法眼蔵まるだし=「禅による生活」をかたく行持する。

まあ、ここまでくればシメタもの・・臨機応変、自由自在の活動ができるし、喧騒の巷にあっても安穏な生活が保障できよう。

サテさて、このような禅者に共鳴できる者がここにいるか・・

試みに挙す。看よ。

  *垂示に云く、情(じょう)を越え見(けん)を離れ、

   縛(ばく)を去り粘(ねん)を解(と)き、

   向上の宗乗(しゅうじょう)を提起し、

   正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を扶竪(ふじゅ)すれば、

   また、すべからく十方齊應(じゅぽうさいおう)、

   八面玲瓏(はちめんれいろう)にして、

   直(じき)に恁麼(いんも)の田地(でんち)に到るべし。

   且(しば)らく道(い)え、また同得(どうとく)同証(どうしょう)、

   同死(どうし)同生底(どうせいてい)ありや。試みに挙す看よ。

 

【本則】唐 杭州、海昌院の鹽官齊安(えんかん さいあん)が、百有余歳の時分。ある日、傍らの侍者(じしゃ)に「以前、手持ちしていた犀(さい)の絵の扇子、どこかに仕舞ってあるはずだが・・すまないが持ってきてくれ」と頼んだ。

侍者「ああ、あの扇子は、とっくの昔、破(やぶ)れてしまいました」と正直に答えると、鹽官「破れた扇子は惜しくないが、扇面、犀の図は惜しい。もとにかえしておくれでないか」と要請した。

これに対し、侍者は・・何とも答えられなかった。

【後年、この逸話に、名うての禅者たちが、それぞれ見解(けんげ)=着語(ちゃくご)をつけた】

⦿投子大同(とうす だいどう・・818~914)「破れ欠損の、犀の扇面でよろしければお持ちいたしましょう」

【雪竇(せっちょう)これに一言・・不完全でもよい。出せるものなら出してみよ・・】

⦿石霜慶諸(せきそう けいしょ・・806~888)「お返ししたくとも無いものはナイのです」

【雪竇、これに一言・・ないことはない。まだチャント在るぞ】

⦿資福如寶(しふく にょほう・・生詳不明)空中に一円相を描く所作をして、その中に牛の字を書いた。犀牛はココ、カシコに、充満している・・との意。

【雪竇、これに一言・・ナカナカ、ご立派。もっと早くに描き出しなさい】

⦿保福従展(ほふく じゅうてん・・?~928)「ご老体の願いを叶えられません。誰か他の方にご依頼ください」

【雪竇、これに一言・・よくぞ言った。でも、万一、うまく探し出せても褒美はなしだ】

  *擧す。鹽官(えんかん)、一日(いちじつ)侍者(じしゃ)を喚(よ)ぶ。

  「我がために犀牛(さいぎゅう)の扇子(せんす)をもち来たれ」

   侍者云く「扇子は破れたり」

   官云く「扇子すでに破(やぶ)れなば、我に犀牛児(さいぎゅうじ)をかえし来たれ」

   侍者對(こた)うることなし。

  • 投子云く「もち出(いで)んことは辞(じ)せざるも、

  恐(おそ)らくは頭角(ずかく)全(まった)からざらんことを」

 【雪竇、拈(ねん)して云く。我は全(まった)からざる底(てい)の頭角を要す】

  • 石霜(せきそう)云く「もし和尚に還(かえ)さんとするも、すなわち無(な)きなり」

 【雪竇、拈して云く。犀牛児なお在(あ)り】

  • 資福(しふく)、一円相(いちえんそう)を畫(かく)して、中において一の牛の字を書(しょ)す。

 【雪竇、拈して云く。適来なんとしてか、もち出(いだ)さざりしぞ】

  • 保福云く「和尚、年尊(としたか)し、別に人を請(しょう)せば好(よ)からん」

 【雪竇、拈して云く。惜(お)しむべし。労(ろう)するも功(こう)なからん)

 

【頌】この世界は、まるで犀牛の扇子のようなものだ。

この扇子を、独り一人が、無限の過去・現在・未来にわたって使用している・・と言えるが、突然、「絶対・この瞬間・今とは何か」と問われると、答えられないのも無理はない。まるで空に流れる雲や、降った雨を、はるか過ぎて元に戻そうとするようなものだ。

 

雪竇は、さらに座下の求道者に語りかける・・「宇宙の実体、実相を看た者なら、何か気の利いた【一語】を発表して見せなさい」

言われて一同、黙り込んだ。

これは・・雪竇が「サア、扇子すでに破れたるなら、我に犀牛児(さいぎゅうじ)を還(かえ)し来たれ・・だ。いったい嘘、偽りない犀牛児は何処にいるのか」と、高座から弟子どもを見渡したことだったが・・この提唱、幕引きのよろしきタイミングで、一人の世話役が飛び出してきて「御一同、もう閉幕だ。お帰りください」と拡声したので、皆、雪竇の高座をこれ幸いとゾロゾロと退席した。

雪竇、一喝して「エエイ,うまく,でっかいクジラを釣ろうとしているのに、気持ちの悪い蝦蟇(がま)ガエルが引っかかってきたワイ」と言い捨てて座を起ってサッサと方丈へ帰ってしまったトサ。

  *犀牛の扇子用(もち)うること多時(たじ)なるに、

   問着(もんちゃく)すれば元来(がんらい)すべて知らず。

   限りなし清風と頭角と。ことごとく雲雨(うんう)の去って追い難(がた)きに同じ。

  【雪竇また云く、もし清風の再び復(ふく)し、頭角の重(かさ)ねて生(しょう)ぜんことを要せば、

           請(こ)う禅客(ぜんかく)、おのおの一転語(いってんご)を下せよ。

   問うて云く「扇子すでに破れなば、我に犀牛児を還(かえ)し来たれ」

   時に僧あり、出(いで)でて云く「大衆(たいしゅう) 参堂(さんどう)し去れよ」

   雪竇、喝(かつ)して云く「鉤(こう)を抛(なげ)うって鯤鯨(こんげい)を釣らんとせしに、

           この蝦蟇(がま)を釣り得たり」便(すなわ)ち下座(げざ)せり。

 

【附記】この公案で・・思い出した・・白隠の一句・・たしか・・「六月の風は安売り。売扇は値(あたい)三文」とある。

この時とばかりに思い出した、原の白隠(慧鶴)の「禅境・・一語」・・この公案のために存在するかのような一句です。

鈴木大拙著「禅問答と悟り」釈宗演講話に、白隠が30年余りで5回の評唱をしたが、4回は、どうも満足した様子はみられず、5回目になって、自分ながら、思わず鳥肌がたったほど、錯まった見解を呈していた(己を欺き他を謾ず)と、その罪、容るるところなし)と語ったソウナ・・白隠ですらの難透難解の公案です。その要は、衆生済度の利他底の上においてだが、この1則透過して自家薬篭中のものにならば禅の大意を獲得できる・・と意見されている。

古語に「薫風自南來」と、乙に澄ました禅語があるが、ここでは採りません。

古の禅者と面談したければ、碧巌録、無門関を看るべし・・です。

心に坐禅でもしたいなあ・・という気持ちが湧いたら、この奉魯愚か、同じ「はてなブログ 禅のパスポート=無門関」それに「禅・羅漢と真珠=雑記」是非ご覧ください。読まれて・・何か・・「?!」・・が生まれたら、それが禅の入り口です。

どうぞ、おひとりで探査ください。道標はアリマセン。