碧巌の歩記(あるき)NO95

碧巌録 長慶 二種語 (にしゅのご)

               (阿羅漢三毒あらかん さんどく) 第九十五則 

【垂示】圓悟が求道者に垂示した。

悟り臭い処に留まるなかれ。執着すれば畜生道に落ちるぞ。

また、無禅、無心の境地に腰を据えずに走り去れ。

そうしないと草深い迷妄の地で、行き倒れの目に遭うぞ。

主観、客観の心境一如の境涯にあることも、自他圓融の妙用が出来たからといっても、それは切り株を守って兎を待つような・・謗(そし)りを受けよう。

さあ、あれも駄目、これも駄目、何もかも駄目だとすれば、どのように坐禅し、禅による生活を行ずればよいのか・・

試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、有佛(ゆうぶつ)の處に住(とどま)ることを得ざれ。

     住箸(じゅうじゃく)すれば頭角(ずかく)を生(しょう)ず。

     無佛(むぶつ)の處は急に走過(そうか)せよ。

     走過せずんば草ふかきこと一丈(いちじょう)ならん。

     たとえ淨裸々(じょう らら)、赤灑々(しゃく しゃしゃ)にして 

     事外(じげ)に機なく 機外(きげ)に事なきも、

     未(いま)だ免(まぬが)れず株(くいせ)を守って兎(と)を待つことを。

     且(しば)らく道(い)え、総(そう)に不恁麼(ふいんも)ならば、

     作麼生(そもさん)か行履(あんり)せん。試みに挙す看よ。

【本則】三回も投子に参じ、九度も洞山に至る、青年期を飯炊き修行で鍛えた達道の師・・雪峰義存(822~908)門下の長慶慧稜(ちょうけいえりょう=853~932)と保福従展(ほふくじゅうてん=?~928)の二人が問答した。

長慶云く「阿羅漢(あらかん)は、生死の問題を脱却して「不生」。学ぶべきものなきゆえに「無学」・・煩悩を断絶して「殺賊(さつぞく)」と呼ばれる人物だから「貪欲(どんよく)・瞋恚(しんい)・愚痴(ぐち)=(貪とん・瞋じん・痴ち)の三悪徳がある訳はない。万一、羅漢に三毒ありとしても、如来に,二種の語(真実語と、嘘も方便語)があると言ってはならない。如来は確かに説法されたが、決して二枚舌のお方ではない」と断言した。

保福、彼に尋ねる「それでは、二枚舌ではない如来語とは・・どんなものか」

長慶「如来語はナカナカ俗塵の耳には入りにくいものだ。今、話して聞かせても耳の不自由な者には聞くことは出来ないだろう」

保福「なんとも・・器用に屁理屈をいうなあ・・」

長慶「ンン?それなら君は、如来語を理解しているのか?どうだ」

保福「いろいろと論理の限りを尽くしたもんだ。話疲れで、さぞかし喉が渇いたことだろう。まずはお茶を一杯お飲みなさい」

  *擧す、長慶ある時云く

  「寧(むし)ろ阿羅漢(あらかん)に三毒(さんどく)ありと説(と)くも、

   如来(にょらい)に二毒ありとは説(と)かざれ。

   如来に語なしとは道(い)わず。ただ是、二種の語(ご)なきなり」

   保福云く「作麼生(そもさん)か、これ如来の語なるぞ」

   慶云く「聾人(ろうじん) 争(いかで)でか聞くことを得んや」

   保福云く「情(まこと)に知りぬ。

       儞(なんじ)が第二頭(だいにとう)に向って道(い)うことを」

   慶云く「作麼生(そもさん)か これ如来の語なるぞ」

   保福云く「喫茶去(きっさこ)」

 

【頌】真実語と、嘘も方便語の二種類の言葉に区別があるか・・?

如来実相が、そんな理屈の中にある訳がない。

もしあるなら、龍が雨だれの水たまりに潜んでいるというのも本当になる。水たまりは、時に澄み切って月も映ろうし波も立たないだろう。

だが、龍の住む淵には風もないのに波立つことが起こるのだ。

可哀そうな慧稜さん・・保福さんに、たったの一語「喫茶去」と言われて、遠く弾き飛ばされてしまった。

まるで三月の登竜門(兎門)に挑戦する大鯉が、滝を登り損ねて、額に大傷、九死に一生のひどい目にあったようなものだった。

  *頭(とう)たり第一第二.

           臥(が)龍(りゅう)は止水(しすい)には鑒(かん)せず。

   無處(むしょ)には月あって波澄(す)み、

   有處(ゆうしょ)には風なきに浪起(おこ)らん。

   稜禅客(りょうぜんかく)、稜禅客。

   三月兎門(うもん)に(おいて)點額(てんがく)に遭(あ)えり。

 

【附語】それでは・・真実語とは・・ナントいうべきか・・

  「良(よ)し悪(あ)し=葦蘆よしあしと思わず蟹(かに)の横歩き」

   仙厓義梵(せんがい ぎぼん 1750~1837)禅境画賛。

 

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