碧巌の散策 第九十九回の歩記(あるき)である・・pc買い替え、未熟の為、6/21迄、このまま!

碧巌録 第九十九則 国師ちゅうこくし粛宗しゅくそう十身調御じゅっしんちょうご

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示して云った。

龍が吟ずると雲霧が起こり、虎が嘯(うそぶ)くと風が生ずる・・龍虎には、これだけの霊力が備わっているいるが、霊妙なるものは龍虎に限らない。

絶対の真理、禅の根本、禅者の行いは・・古代音楽が金鈴で始まり、最後に玉を鳴らして奏楽を終えるように・・相方の放った鏃(やじり)が真正面、空中で衝突して、二矢ながら地に落ちるように・・完全無欠な禅者の活動は深い境地であればナカナカのものだ。

この禅者の大道は、この宇宙あまねく行き渡り、隠すことなく、不増不減・不垢不浄に存在している。

さて、それは、どのような人物の境涯なのか・・試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、龍 吟ずれば霧起こり、虎 嘯(うそぶ)けば風生ず。

   出世の宗猷(しゅうゆう)は金玉相振(きんぎょくあいおさ)む。

   通方(つうほう)の作略は箭鋒相拄(せんぽうあいささ)う。

   徧界(へんかい)かくさずして、遠近にひとしく彰(あら)われ、

   古今に明らかに辦(べん)ぜり。

   且(しば)らく道(い)え、これ什麼人(なんびと)の境界(きょうがい)なるぞ。

   試みに挙す看よ。

 

【本則】ある日、唐の粛宗皇帝が、慧忠国師に質問した。

「最近、世間で、十身調御と言われているのは何のことですか」

(一人格者に十の優れた属性が備わる調教師の意。求道者を馬に例え、釈尊を調教師に例えた)

慧忠「旦那(施主)慈悲深き陛下よ・・光明遍照(こうみょうへんじょう=大仏のこと)を、頭ごなしに踏み倒して行きなさい」

帝「国師よ。貴方の云われる意味が解りません」

(欣求祈願の尊き大仏を踏みつけろ・・とは?)

国師「自分をも偶像・崇拝化するのは間違いです。味噌臭きは上ミソにあらず」(禅臭きは禅ではないのです)

  *擧す。粛宗(しゅくそう)皇帝、忠国師(ちゅうこくし)に問う。

  「如何なるか、これ十身調御(じゅっしんちょうご)」

   国師云く「檀越(だんのつ)よ、毗慮頂上(びるちょうじょう)を踏んで行け」

   帝云く「寡人不會(かじんふえ)」

   国師云く「自己をも清浄法身(せいじょうほっしん)と認むることなかれ」 

 

【頌】南陽の白崖山から大唐の都に迎えられ、帝王の師となった慧忠国師の逸話は、ちょうど、達磨大師(150才)が梁の武帝(57才)と面談した時(碧巌録第一則聖諦第一義)と、まったく同じ出来事だ。

慧忠国師(118才)と代宗(49才/粛宗)皇帝の面談の年恰好は同じだし、第一則スタート話と九十九則・・ラストのくくりコミにも、ふさわしい内容だ。

当時の寺僧が後生大事にしていた「清浄法身」を、大槌の一撃で粉々に打ち砕いたのは、達磨、無功徳に勝るとも劣らない「禅者の一語」だ。

これでサッパリ天地の間に何ものもなくなってしまった。

夜、さらに深く、海底に眠る龍の棲窟(すくつ)に忍び込んで、いったい誰がその咢(あぎと)に抱える珠を取り得ようぞ。

マア・・南陽慧忠にしか出来ないことだろう。

  *一国の師ともまた強(し)いて名づけたるなり。

   南陽(なんよう)にはひとり許す嘉聲(かせい)を振(ふる)るうことを。

   大唐、扶(たす)け得(え)たり眞の天子。

   曾(かっ)て毗盧頂上(びるちょうじょう)を踏(ふ)んで行かしむ。

   鐵鎚もて撃砕せり黄金の骨。天地の間、更に何物かある。

   三千刹海夜沈沈(さんぜんせっかい よるちんちん)

   知らず誰か蒼龍窟(そうりゅうくつ)に入りしぞ。

 

【附記】●この粛宗皇帝とあるのは、実は、代宗皇帝である・・粛宗皇帝が762年世寿52才で崩御。慧忠の死は、それより13年後、775年であり、この問答は、慧忠国師の臨終に、粛宗皇帝が立ち会える訳がないので、代宗皇帝49才の歳なので、代宗皇帝と慧忠国師の対話と見るのが正解。(景徳傳燈録)

 

佛教歴史の上で、唐の玄宗・粛宗・代宗の三皇帝は、佛教、参禅に厚くしたとしても、民を忘れた政治、女色、放蕩をかさねた。

それを仏教の外護者として祭り上げる寺僧の旦那傾向は、支那に限らず、その後の日本仏教界にも蔓延(まんえん)しており、宗教家もこうなっては、一種の幇間(ほうかん)にすぎない・・(碧巌録新講話 第十八則 忠国師無縫塔(ちゅうこくし むほうとう) 井上秀天著 京文社書店発行より抜粋)

 

支那禅宗の歴史を調べてみると、間違った禅のあり方に、黙照禅と、実習が伴わない大言壮語の空見識禅の二つがある。例えば、経を読まない、礼拝もしない、昼はゴロゴロと昼寝をして、夜に少し坐禅をする・・宗教のまず外形に属すると思われるところのものを、形の上でも心の上でも放埓にして、引き締めることが出来ない・・この二つの(禅宗)弊害のために、唐の中頃から宋の末頃、禅は次第に衰えていったものと思われる・・(禅問答と悟り 鈴木大拙・禅選集2 ㈱春秋社 Ⅱ悟り八項 抜粋)

 

●私は、達磨の壁立万仞(へきりゅうまんじん)の禅(独り他を寄せ付けぬ壁になって頓悟する)が、中国、日本で寺僧の揺籃を得ての・・長い時間・・良くも悪くも問題であったと考えています。

唐宋の宗教界(禅)頽廃と、二十一世紀初頭の「禅」の衰退ぶりが、あまりにも類似しているからです。

現代・・学問や芸術や社会の仕組みなど、すべて組織化、情報化されて、電磁的(バーチャル)社会に一体化していく・・例えばスマホ集団など・・箇の免疫性が消失していく気がしてならないのです。

欧米に「ZEN」が広まっているとしても、香を聴くことのできない、科学(相対)的な、ギリシャ以来の哲学、論理の国では、頓悟禅はナカナカの年月では醸成できないでしょう。精神病の治療に良いとか・・フォースを持つヨーダのような禅者・・SF映画としては面白くとも、、そんな禅者はありえません。あるいは麻薬を使用して、一種の禅境地に至るとか・・悟りを誤解して、はなはだしい状況であり、伝統の禅は、一度、完全にご破算にしないとならない時代となりました。

ですから、あらためて達磨の役立たず=無功徳(むくどく)の「禅」を三分間独りポッチ禅として提唱している次第です。

会(有)難うございました。

おりに・・はてなブログ 禅のパスポート・・無門関意訳をご覧ください。