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●いよいよ・・「シャク」にさわる禅者の話です。

  • 碧巌の散策 第九十八回の歩記(あるき)である・・

碧巌の散策も、あと数歩となりました。

意訳を試みて解かったのは、「禅」は宗教(欣求)ではない。そして自覚(体験)は誰にも教導できない・・自知するのみの行いであること・・「禅による生活」であることです。

先年來「3分間ひとりイス禅」を推奨してきました。

それを「ポッチ禅」と名付けました。

自分一人で行うこと。

説明したり、批評したり、組織的集団的に運営管理しない・・独りポッチの坐禅であること。寝る時禅、起きる時禅、仕事前禅、電車やバスの中禅、食事前禅やトイレ禅、勉強禅やスポーツ前禅・・何時でも禅、思い立った時禅で結構。一日一回禅でも充分です。だだし、これをやったからと言って、効果(ご利益りやく)を期待しないでください。まったく役立たずの独りポッチ禅を覚悟ください。

坐禅の時間も、タッタノ三分間ポッチを一回とすること。

(1呼吸十秒~十五秒の静かな腹式呼吸。計十八回~十二回ポッチ)眼を閉じると瞑想になります。眠くなるので半眼にします。姿勢を正して、リラックスして、たがが三分・・されど三分・・無料体験してください。

坐禅=結跏趺坐とか、両手はどうするのか・・正座しようが、胡坐(あぐら)をかこうが、椅子に坐ろうが、寝たままだろうが、印を結ぼうが、膝の上に置こうが、こだわらず、ご自由にどうぞ。

(熟睡の時、両手の位置などこだわっていますか?)

呼吸を数える(数息すうそく)に飽きたら、ここに意訳した、千年前の禅者の語録「碧巌録」他「はてなブログ 禅のパスポート=無門関」・・どの【本則】、どの【垂示】【頌】でも、読み散らした中で「?」と思った一つ・・その内容を「何故・・どうして?」と、くりかえし、ポッチ禅の公案(問題)として考えてください。どの話も求道者が命がけで追究した、限りなく矛盾の実話です。

自分なりに、ハッと正解が閃いたことも出てきましょうが、すべて・もれなく・百%・「錯(しゃく)」=間違いです。

変な言い方ですが頭の中で「考えることを考えさせる」矛盾に満ちた試行錯誤の方法なのです。どんなに勉強しても、正解が見つけられないからこそ、考えさせる究極の「頭脳の休息」方法なのです。仏教用語では「煩悩を断ち切る金剛の宝剣」略して「禅」と云います。何とか自分の利権になるものを得たい・・これを本能・煩悩と呼びます。煩悩を断ち切る宝剣・・それは何の利害損得もない・役に立たない・禅を行うことでしょう。千年前の達道の禅者は、今ほどの学問、教養がなくとも、独り役立たずの坐禅(瞑想)の中で自覚しました。

宗教にいたる以前に、釈尊であれ、達磨であれ、次則の天平従漪(てんぴょうじゅうい)であれ、自分が自分で、独り見性大覚しました。以上・・難しい話はここまで。

(できるだけ高校生の皆さんにも理解してもらえるよう書いています)

 

碧巌録 第九十八則 天平行脚 (てんぴょうあんぎゃ)(天平の両錯りょうしゃく)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

禅寺で一夏(いちげ)、九十日間の法会(修行)が大事とばかり、全国、アチコチの寺で、相応の役職僧が、語録を基に理窟をこねくり回している。

人生、老病死苦の悩み・・一切を金剛の宝剣で斬りつけて見れば、寺僧のやっていることは、実は嘘も方便・・赤信号、皆で渡れば怖くない・・方式のことだと理解できるだろう。

サテサテ、一切の閑葛藤(かんかっとう・悩みの藤づる)を裁断する金剛の宝剣とは何か。

誰か眼を見開いて、その切れ味を見せてもらいたいものだ。

 *垂示に云く、一夏、澇々(ろうろう)として葛藤(かっとう)を打(だ)し、

  ほとんど五瑚(ごこ)の僧を絆倒(ばんとう)す。

  金剛(こんごう)の宝剣もて當頭(とうとう)に截(き)らば、

  始めて覚(さと)らん従来の百(もも)不能(ふのう)なりしことを。

  且らく道え、作麼生(そもさん)か是れ金剛の宝剣なるぞ。

  眉毛を眨上(そうじょう)して、試みに請(こ)う、鋒鋩(ほうぼう)をあらわせよ看ん。

 【本則】相州天平山(てんぴょうざん)の従漪(じゅうい)和尚が、まだ雲水の頃、河南省汝州(じょしゅう)の西院思明(さいいんしみょう)の所にやってきた。尋ねて来たものの、彼は、日頃、思明和尚の提唱ぶりが不満とみえ「大きな看板を立てて、師家ぶるのはやめなさい。禅の何たるかも知らないで・・」と、思明和尚に聞こえよがしに文句をいっていた。

ある日、思明和尚これを聞きつけて「おい、従漪」と呼んだ。従漪和尚、ビックリして彼の方を見ると、思明和尚は「錯(しゃく)」(うぬぼれるな、その考えは間違いだぞ)と叱った。

考えることを考える「シャク」問答の開幕である。

従漪和尚が自分の部屋に二,三歩行きかけると、思明和尚は、再び呼び止めて「錯」といった。

従漪和尚、何か言いかけようとして思明和尚に近づくと、思明和尚が言うのに「さっきからお前さんに二度ばかり『錯』といったが、元来、わしが錯であるのか、お前さんが錯であるのか」と問うた。

従漪「私の錯です。私が悪(わる)うございました」

思明「錯」(誰も禅の神髄を理解していない。お前さんは悪くない)と答えた。

これを聞いた従漪は、ひとまず安心した。

思明「この一夏(いちげ)、寺に居て、わしが錯か、お前さんが錯か、話をしようではないか」・・しかし従漪和尚は何故か、その誘いが気に入らず、寺を出てしまった。

それから、随分あとのこと・・従漪は、のちに天平山の大禅師となった。ある時その天平従漪が、座下の求道者にいった。

「わしが青年時代、行脚のおりだったが、何の因果か思明和尚に、二度も「錯」を浴びせかけられた上、一夏安居(あんご修行)せよ。お互いの錯問題を話したいから・・と言われた。

けれど、わしは、思明和尚の、ただ今の言葉は『錯』です・・とは言わなかった。私が北方支那を去り、南方支那の禅を識ると、大変に相違していて、北方禅の理屈は通用しなかった。・・で、わしは、思明和尚の寺を去る時「錯」の捨て台詞(ぜりふ)は云わなかったが、あの寺を去った事実そのものが、実は思明和尚に向って「錯」と云ったのと同じであることがわかった」と語った。

 *擧す、天平(てんぴょう)和尚 行脚(あんぎゃ)の時、西院に参じたり。

  常に云く、「道(い)うことなかれ仏法を得(え)すと。

  この挙話(こわ)の人を覓(もと)むるに、またなからん」

  一日 西院、遙かに見て召して云く「従漪(じゅうい)」

  平頭(ぴょう あたま)を挙(あ)ぐ。西院云く「錯(しゃく)」

  平、行くこと両三歩。西院また云く「錯」。平、近前す。

  西院云く「適来(てきらい)のこの両鐯(りょうしゃく)、

  これ西院が錯か、これ上座(じょうざ)が錯か」

  平云く「従漪が錯なり」平、休(きゅう)しさる。

  西院云く「且(しば)らく這裏(しゃり)にあって夏(げ)を過ごせ。

  上座とともに、この両鐯を商量(しょうりょう)せんことを待たん」

  平、當(その)時(かみ)便(すなわ)ち行く。

  後に住院(じゅういん)して衆に謂(い)って云く

「我 當初(そのかみ)、行脚の時、業風(ごうふう)に吹かれて思明長老の處に到(いた)りし(時)両鐯を連下(れんげ)せられ、更に我を留(とど)めて夏(げ)を過ごして、我と共に商量せんこと待たしむ。我、恁麼(いんも)の時には錯とは道(い)わざりしも、われ発足(ほっそく)して南方に向って去りし時、はやく錯と言いおわりたるを知れり」 

 【頌】西院の思明和尚は、修行中の従漪を相手にひと夏、お互い議論しょうと持ちかけた、拙劣な模倣禅だった。

そんな軽薄な文句商量(しょうりょう・かけひき)で問答しても禅は自分の宝とはならない。

おかしくも哀れな北方の禅者もどきである。

あの従漪の老いぼれも、西院に参じたのは間違いだった。

南方禅を知って(北方禅を去ったことは)賢明なことだったと、若い時の自慢話をしているが、そんな認知力ではとても駄目だ。(錯々・・天平和尚、間違いだらけでモノになっていないよ)

西院がもてあました天平を、わし(雪竇)は、両錯(りょうしゃく)で吹き飛ばしてしまったぞ。(また座下の者に云く)わしの申し分に「錯」と水を差す奴がいたら、わしの「錯」と天平の「錯」を見比べて見よ。錯は錯でも大違い。解かるかナ?

  *禅家流(ぜんけりゅう)にして軽薄(けいはく)を愛す。

   満肚参(まんとさん)じ来(き)たって用(もち)うることをえず。

   悲しむに堪(た)えたり、笑うに堪えたり、天平老(てんぴょうろう)。

   却(かえ)って謂う當初(そのかみ) 悔(くゆ)らくは行脚せしことを、と。

   錯、錯。西院の清風、頓(とん)に銷鑠(しょうしゃく)す。

  (また云く)忽(たちま)ちこの衲僧(のうそう)あって出でて錯と云わんに、

   雪竇(せっちょう)の錯は天平の錯といずれぞや。

会(有)難うございました。