◆釣り損ねた魚は大きく見える・・(4/1改題)

 碧巌の散策 第九十一回の歩記(あるき)である・・

千年・・昔の人の寿命は、せいぜい四・五十年だが、趙州從諗(じょうしゅうじゅうしん)は百二十才(778~897)まで、矍鑠(かくしゃく)として求道者を鞭撻(べんたつ)した禅者である。

(碧巌録、計十二則に登場の)趙州が六十三才の頃、先達の禅者、この則の主人公、鹽官齊安(えんかんさいあん・・719~841)が百二十二歳で示寂した。

別段、年齢にこだわらないが、禅者達の長寿の秘訣は、究極、呼吸法に依るのでないか・・と思っています。

それに質素な食事、ストレス(不安)のない生活。

その老熟の極みともいえるのが、この扇子公案だ。

犀牛の絵とあるが、珍しいサイの図が描かれた扇面であろう。

ボロボロになった扇子ひとつ・・で、禅機・禅境の話題が、溌溂(はつらつ)と生れ出る。

達道の禅者たちの禅境=ステージが見えてくる。

碧巌録 第九十一則 鹽官扇子 (えんかんさいぎゅうのせんす)

垂示】圓悟の垂語である。

禅者たるもの、第二義の思惑を超越して、相対的思考・分別を離れ、求道者には向上の一途なるを推奨し、内には、正法眼蔵=「禅による生活」をかたく保護している。

まあ、ここまでくればシメタもの・・臨機応変、自由自在の活動ができるし、喧騒の巷にあっても安穏な生活が保障できよう。

このような禅者に共鳴できる者がいるか・・試みに挙す。看よ。

  *垂示に云く、情(じょう)を越え見(けん)を離れ、

   縛(ばく)を去り粘(ねん)を解(と)き、

   向上の宗乗(しゅうじょう)を提起し、

   正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を扶竪(ふじゅ)すれば、

   また、すべからく十方齊應(じゅぽうさいおう)

   八面玲瓏(はちめんれいろう)にして、

   直(じき)に恁麼(いんも)の田地(でんち)に到るべし。

   且(しば)らく道(い)え、また同得(どうとく)同証(どうしょう)

   同死(どうし)同生底(どうせいてい)ありや。試みに挙す看よ。

 

【本則】唐 杭州、海昌院の鹽官齊安が、百有余歳の時分。ある日、傍らの侍者(じしゃ)に「以前、手持ちしていた犀(さい)の絵の扇子、どこかに仕舞ってあるのか・・すまないが持ってきてくれ」と頼んだ。

侍者「ああ、あの扇子は、とっくの昔、破(やぶ)れてしまいました」と正直に答えると、鹽官「破れた扇子は惜しくないが、扇面、犀の図は惜しい。もとにかえしておくれでないか」と要請した。

これに対し、侍者は何とも答えられなかった。

【この逸話に、後年、名うての禅者たちが、それぞれ見解(けんげ)=着語(ちゃくご)をつけた】

⦿投子大同(とうすだいどう・・818~914)「破れ欠損の、犀の扇面でよろしければお持ちいたしましょう」

【雪竇(せっちょう)、これに一言・・不完全でもよい。出せるものなら出してみよ・・】

⦿石霜慶諸(せきそうけいしょ・・806~888)「お返ししたくとも無いものはナイのです」

【雪竇、これに一言・・ないことはない。まだチャント在るぞ】

⦿資福如寶(しふくにょほう・・生詳不明)空中に一円相を描く所作をして、その中に牛の字を書いた。犀牛はココ、カシコに、充満している・・との意。

【雪竇、これに一言・・ナカナカ、ご立派。もっと早くに描き出しなさい】

⦿保福従展(ほふくじゅうてん・・?~928)「ご老体の願いを叶えられません。誰か他の方にご依頼ください」

【雪竇、これに一言・・よくぞ言った。でも、万一、うまく探し出せても褒美はなしだ】

  *擧す。鹽官(えんかん)、一日(いちじつ)侍者(じしゃ)を喚(よ)ぶ。

  「我がために犀(さい)牛(ぎゅう)の扇子(せんす)をもち来たれ」

   侍者云く「扇子は破れたり」

   官云く「扇子すでに破(やぶ)れなば、我に犀牛児(さいぎゅうじ)をかえし来たれ」

   侍者對(こた)うることなし。

    投子云く「もち出(いで)んことは辞(じ)せざるも、

   恐(おそ)らくは頭角(ずかく)全(まった)らざらんことを」

  【雪竇(せっちょう) 拈(ねん)して云く。

   我は全(まった)からざる底(てい)の頭角を要す】

   石霜(せきそう)云く「もし和尚に還(かえ)さんとするも、すなわち無(な)きなり」

  【雪竇、拈(ねん)して云く。犀牛児なお在(あ)り】

   資福(しふく)、一円相(いちえんそう)を畫(かく)して、

   中において一の牛の字を書(しょ)す。

  【雪竇、拈して云く。適来なんとしてか、もち出(いだ)さざりしぞ】

   保福云く「和尚、年尊(としたか)し、別に人を請(しょう)せば好(よ)からん」

  【雪竇、拈じて云く。惜(お)しむべし。労(ろう)するも功(こう)なからん)

 

【頌】この世界は、まるで犀牛の扇子のようなものだ。

この扇子を、独り一人が、無限の過去・現在・未来にわたって使用していると言えるが、突然、「絶対とは何か」と問われると、答えられないのも無理はない。

まるで空に流れる雲や、降った雨を、過ぎて掴もうとするようなものだ。

雪竇は、さらに座下の求道者に語りかける・・「宇宙の実体、実相を看たいのなら、何か気の利いた【一語】を発表して見せなさい」一同 無語。

「サア、扇子すでに破れたるなら、我に犀牛児(さいぎゅうじ)を還(かえ)し来たれ・・だ。いったい犀牛児は何処にいるのか」と、皆を見渡した。

この幕引きのよろしきタイミングで、一人の禅者が飛び出してきて「御一同、もう閉幕だ。お帰りください」と拡声したので、皆、ゾロゾロ退席した。

雪竇、一喝して「エエイ・・うまく、でっかいクジラを釣ろうとしているのに、気持ちの悪い蝦蟇(がま)ガエルが引っかかってきたワイ」と言い捨てて、座を起ってサッサと方丈へ帰ってしまった。

  *犀牛の扇子用(もち)うること多時(たじ)なるに、

   問着(もんちゃく)すれば元来(がんらい)すべて知らず。

   限りなし清風と頭角と。ことごとく雲雨(うんう)の去って追い難(がた)きに同じ。

  【雪竇また云く、もし清風の再び復(ふく)し、

   頭角の重(かさ)ねて生(しょう)ぜんことを要せば、

   請(こ)う禅客(ぜんかく)、おのおの一転語(いってんご)を下せよ。

   問うて云く「扇子すでに破れなば、我に犀牛児を還(かえ)し来たれ」

   時に僧あり、出(いで)でて云く「大衆(たいしゅう) 参堂(さんどう)し去れよ」

   雪竇、喝(かつ)して云く「鉤(こう)を抛(なげ)うって鯤鯨(こんげい)を釣らんとせしに、

   この蝦蟇(がま)を釣り得たり」便(すなわ)ち下座(げざ)せり。

 

【附記】釣りの言葉に、釣り損ねた魚は、ひどく大きく見える・・これはよく目に絡んでとか、執着心による心裡だと思います。

この公案で・・思い出した・・白隠の一句・・たしか・・「六月の風は安売り。売扇は値(あたい)三文」とある。

 

この時とばかりに思い出した、原の白隠(慧鶴)の「禅境・・一語」・・この公案のために存在するかのような一句です。風流というか・・ソヨソヨと昼寝の風が頬を撫でる一語です。

鈴木大拙著「禅問答と悟り」釈宗演講話に、白隠が30年余りで5回の評唱をしたが、4回は、どうも満足した様子はみられず、5回目になって、自分ながら、思わず鳥肌がたったほど、錯まった見解を呈していた(己を欺き他を謾ず)と、その罪、容るるところなし・・白隠ですら難透難解である。その要は、衆生済度の利他底の上においてだが、この1則透過して自家薬篭中のものにならば禅の大意を獲得できると意見されている。古語に「薫風自南來」と、乙に澄ました禅語があるが、ここでは採りません。

会(有)難うございました。