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月の光で妊娠する?そんな馬鹿な!(3/21 改題)毎日が普通なら・・科学者の人間観(3/23 追記)

その他  

先生は「科学者の人間観(15)命と運・・毎日、普通なら・・のブログで「昨日は晴れ。今日も朝」であればよいと、科学者としての人生観の見解を淡々とのべておられます。禅では、自分の意見は、日常生活から、自然と湧き出てくる体験を述べるものです。それを「禅による生活」に根ざす見解(けんげ・・けんかいと言わず)と言います。今回の先生の見解は、この九十則の「般若の体と用」を見事に的中させていると思います。雲門なら「日日是好日」に匹敵する、素晴らしい科学者としての解です。

まァ・・こんな役にも立たない私の奉魯愚をご覧になるより、武田先生のブログを「お気に入り」に入れられて、毎日、くりかえしお話しを聞かれる方が身のためになりましょう。

 

  • 碧巌の散策 第九十回の歩記(あるき)である・・

碧巌録百則の内、九十則まで歩みを進めると、話の内容が今までと少し、趣が違うことに気付く。

いよいよ「禅による生活」のまとめに入ったな・・の実感が湧く。

本則や頌が、磨きのかかった詩的な風貌を帯び、禅者の一語が味わい深い一語となってくる。

機械化された現代社会では、思い及ばぬ詩的表現・・例えば・・真珠貝は、月光を口に含んで真珠を産む・・とか、仲秋の名月を見て、うさぎは妊娠する・・とか・・浄裸々(じょうらら)に、赤灑々(しゃくしゃしゃ)に・・意訳の私が、つくづく叶わない語彙(ごい)をまき散らせて、千年をひと飛びに・・どうだ・・と迫ってくるのである。

 

禅は、佛教の云う因果応報(原因と結果・時系列・エントロピー)に囚われない・・心の働きを持つ。

禅者の詩的表現は、ギリギリの言葉(文字)で、ぞの境地を現わしたものである。そして、さらに「禅による生活」の・・とどのつまりは、作務・・世間一般の「仕事と暮らし」をすることに尽きてしまうのだが・・終りが始まりとなり・・それは生命そのものの詩となり、ピチピチと若鮎のように躍動している。

   この則では、主題の「月」を取って看よ・・とか、堅苦しい話になるが、

   私は、童謡、月の砂漠を歌いたい。

   特に四番・・♪~月の夜を対のらくだはトボトボと、砂丘を超えて行きました。  

   黙って超えていきました~♪

          (昭和2年 ラジオ童謡 作詞・加藤まさを/作曲・佐々木すぐる)

寂寥感のある童謡は少ない。だが、平安時代梁塵秘抄(りょうじんひしょう)にある「遊びをせんとや生まれけん、戯(たわ)ぶれせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、わが身さえこそ動(ゆる)がるれ」など、孤独に立って聞くと、しみじみとした安らぎを覚える。

若者よ・・自ら死するなかれ。イズレ・・遅かれ早かれ、必ず、平等に遁(のが)れられない「老・病・事故・戦禍」の名で、死刑になる日がやってくる。

それまで素直に明るく「生命」を謳歌したいものだ。

やがて、私も君も・・トボトボと死を超えて行きました・・黙って超えて行きました・・トさ。

 千年前の達道の禅者達が、この小さな机のパソコンから、次々に現れて対話してくれる・・私・・馬翁にとって、語意不明で調べる作業は少しキツイが・・夜の明けるのを忘れてしまう日もある。

しかも、・・この神秘的な「羅漢と真珠」の一節を、おすそ分けできるとは、嬉しい限りである。

 

碧巌録 第九十則 智門般若體 (ちもんはんにゃのたい)

【垂示】絶対ソノモノに適応した一句は、どんな達道の師といえど表現できない。実は、私達の生活にある出来事は、すべて、それぞれに永久の真実を秘めている。

いや、何も隠すことなく、露堂々に出現している。

このありのまま・・頭髪ボウボウ、耳のとんがった寒山・拾得だって、彼ら、読書や掃除の生涯は、誰に比較すべきものなく絶対そのものだろう。

サア、御覧な・・この則の丸裸ぶりはどうだい。

  *垂示に云く、聲前(しょうぜん)の一句は千聖(せんしょう)も不伝。

   面前の一絲(いっし)は長時(ちょうじ)無間(むげん)

   淨裸々(じょうらら)、赤灑々(しゃくしゃしゃ)

   頭は髦鬆(ぼうそう)にして、耳は卓朔(たくさく)

   且(しば)らく道(い)え、作麼生(そもさん)。試みに挙す看よ。

【本則】求道者が智門光祚(ちもんこうそ)に問うた。

「般若(人の智慧、禅心)の実体とは如何なるものでしょうか」

すると智門は「真珠貝は、月光を浴びて真珠を吐くよ」と答えた。

求道者はさらに「ならば般若の作用(仕事ぶり)はどうですか」と問うた。

智門「仲秋に、兎が月の光を呑んで、懐胎(かいたい・妊娠)したよ」と答えた。

(いずれも中国の古伝説・・広東省合浦の海底にすむ蛤(はまぐり)は、満月の夜、海上に浮遊して自ら口を開き、月光に感じて真珠を産するという伝説。また仲秋の夜、メス兎は、月光を呑んで妊娠し、仔を生むと博物誌にあり、智門は般若の実相を、きわめて詩的に表現して見せた)

  *擧す。僧 智門に問う「如何(いか)なるや これ般若(はんにゃ)の體(たい)

   門云く「蚌(ほう ハマグリ)は明月を含(く)む」

   僧云く「如何なるか これ般若の用(よう)

   門云く「兎子(とし)は懐胎(かいたい)す」 

【頌】般若といえば般若心経・・空即是色とばかりに、山や海、虎やら龍やら登場させたがるけれど、例えれば、宇宙のダークマターや、ブラックホールみたいなものだから、手に取って見せるわけにもいかず、論理的に解説不能だ。

だが千年前の智門は、実に見事に「あるようでないような」=「ないようであるような」・・実態を示して見せた。

この神秘的な「羅漢と真珠」の関係にこだわって、禅家一同、口角(こうかく)泡(あわ)を生じて論争に明け暮れている。それどころか、月面着陸した現代にいたるまで、まだ月光に感応する真珠貝、月における兎の妊娠の不思議は、何ひとつ解明されていない。

現代科学は,月で兎が餅をついていないことだけは解明したが・・

  *一片(いっぺん)の虚凝(こぎょう)にして謂情(いじょう)を絶(ぜっ)せるも、

   人天これにより空生(くうしょう)を見ん。

   蚌玄(ほうげん)兎(と)を含む深々(しんしん)たる意、

   かって禅家(ぜんけ)をして戦争(せんそう)をなさしむ。

 

   会(有)難うございました。