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まんじゅうで、コロモのホコロビ・・縫い合わせられますか?

碧巌録 第七十七則 雲門 餬餅(うんもん こびょう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

処世法には二種類ある。一つは向上的で、天下人の機先を制し、まるで熊鷹が鳩を捕まえるように、自己の掌中にあって思うままの行いが出来ること。

二つ目は、向下的生活行動で、何事も、社会環境の奴隷となって、制度や規制に縛られた、主体性のない暮らし方をすること。まるで亀が殻の中に閉じこもるように、ローンの支払いに追われた生活のようになることだ。

もし、この件で「何を言うか。向上も向下もあるものか・・寝言話は止しにせよ」と理(こと)わりを云う者があれば、次のように言ってやろう。

「どうやら、お前さんは、幽霊仲間の世界で、現(うつつ)を抜かす輩(やから)と見えるな」

さて、坐下の者たち・・向上に転ずるといい、向下に転去するといい、如何なるか真人間とは・・如何なるや幽霊人間とは・・この黒白のケジメをハッキリつけているか・・どうかが問題なのだぞ(・・と、求道者を見まわして・・)一定の規定があるなら、その規定どおりにするがよい。もし一定の規定がないのなら、従来の慣例に従いなさい・・そして、次の話頭を見よ」と言った。

*垂示に云く、向上に転じ去らば、もって天下の人の鼻腔(びくう)を穿(うが)ち、鶻(こつ)の鳩を捉(とら)えるに似たる・・べく、

向下に転じ去らば、自己の鼻腔は、別人の手裏(しゅり)にあって、亀(かめ)の殻(から)にかくれたるが如くならん。

このうち、たちまち、ここに出で来たって、本来、向上も向下もなきに、転ずることを用いて、なにおかなさんやと、いうものあらば、ただ、かれに向かって道(い)わん。我また知る、なんじが鬼窟裏(きくつり)に向かって、活計(かっけつ)をなすことを・・と。

且(しば)らく道(い)え。作麼生(そもさん)か、この緇素(しそ)を辦(べん)ぜん。(良久して云く)

條(じょう)あれば條を攀(よ)じ、條なければ例を攀じよ。試みに挙す看よ。

 

【本則】ある求道者が雲門文偃にむかって「もう仏様の線香臭い話や、祖師方のお悟り臭い話など聞き飽きました。

ひとつ、これを超越した、スカットした話を承りたいものです」と云った。

雲門云く「ソレなら、ゴマ饅頭を一つ召し上がれ。

さあっ・・これも物騒=ブッソう(仏祖)話か」

*擧す。僧、雲門(うんもん)に問う

「如何なるか、これ超佛(ちょうぶつ)越(おつ)祖(そ)の談」

 門云く「餬餅(こびょう)

 

【頌】生活上、止むを得ないとはいえ、雲水は、天下の叢林(そうりん)を食いまわっているくせに、超佛超祖の話とは・・。こいつは素敵な文句と裏腹につじつまの合わない、ほころびが、いたるところに目立った雲水だな。

さあ、お前たち・・そのほころびトヤラが解かるかナ?

雲門は、ゴマ饅頭をピチャリと綻びに当ててスキマを塞いだが、きれいにくっついてはいないようだ。

今日に至るまで、ウロウロと求道者どもは、禅寺を駆け回わり、ヤレ印可だの見性だのと、イロイロな認可の取り合いを演じ、ゴマ菓子(誤魔化し)饅頭の奪い合いだ。

いや、さすが雲門・・これは、超談の求道者を、茶菓し(茶化し)た一語と見立てよう。

*超談(ちょうだん)の禅客(ぜんかく)の問いは、ひとえに多なり。

罅(ほうけ)の披離(ひり)せるを見しや、いなや。

餬餅祝し来たりしに なおとどまらず、今に至るも天下に訤訛(こうか)あり。