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才市の下駄づくり=下駄の才市づくり・・溶け込んで区別できません!

  • 碧巌の散策 第七十七回の歩記(あるき)である・・

浄土真宗妙好人の境地・・が、禅者の悟り(禅境地)と同じ・・とは、納得しづらいイメージですが、他力・自力を問わず、無心・安心の境地は、詩的な表現でなければ言い表しようがなく、また、その境地での生活・暮らしぶり=妙好による生活=禅による生活・・は、外見上、正直者で信心深い、仕事や結婚、子育てなど、暮らしにおいて一般の人と、なんら異なるものではありません。

何か、特別に、サトリによる功徳やゴリヤクがあるわけではありません。

妙好人にせよ、禅者にせよ、その特徴は二点・・ひとつは、民間の仕事人であり、誠実な社会人であり、寺僧や宗教・組織などの関与が、ヒドク少ないこと。

もう一つは、自己内面への・・ヒタスラな追究=瞑想や坐禅による・・求道求心の最中、突然、自己内面で・・禅でいえば頓悟する・・覚醒する・・ことです。

この内証(心理)は、ただ孤独な坐禅(瞑想)という行為によってのみ培われ、養生され、醗酵して仕上がる・・美酒そのもの・・と言えるのでしょう。

〇浅原才市・・

  • 讃岐(さぬき)の庄松(しょうま)・・その2(妙好人隋聞 楠 恭(くすのき きょう)著 ㈱星雲社

〇 あさましは言うも言わんもあさましや

  凡夫の自体これがあさまし。

 

〇 あさましと わが機ながめて嘆く大毒

  これはお慈悲にかなやせん

  ただあさましと慚愧(ざんき)するばかりなり

  親のこころが知れたなら

  なむあみだぶはわがものとなる。

 

〇 あなたおがむに

  体を清め心清めるこたできの(ぬ)

  抱かれておがむ なむあみだぶつ

  これが親様 なむあみだぶつ

 

  • 「庄松ありのままの記」抜粋

石田村の市蔵という同行が、庄松が重病で寝ているのを見舞いに来て「あなたが死んだら墓をたててつかわしましょ」と言うと、

庄松曰く、「おれは石の下には居らぬぞ」

 

妙好人のことを、七十四則と七十六則で紹介したのには、別段の意図はありません。

お尋ねの・・欣求仏教真宗信者の中に、禅と同様の「見性」があると言いたかっただけです。

私は・・「三分間ひとりイス禅」を提唱する者ですが、白鷗・大魯(故・父)が書した「南無阿弥陀仏」の墓にお参りする、平凡な浄土真宗の信者です。そして、私の中で、禅と浄土真宗は、なんら矛盾することなく、相まって、生き方を爽やかにしてくれている・・生活行為です。

よく、お前は「三分間ひとりイス禅」で、「禅者の一悟」を得たことがあるのか・・と問われます。

閑話休題(ソレハサテオキ)・・

浄裸々(じょうらら)な、浅原才市の「妙好人の一語」を、ご紹介しましょう。

〇 才市よい 自力・他力を聞かせんかい

  へ 自力他力はありません

  ただ いただくばかり。