下駄職人=金牛さん・・?

  • 碧巌の散策 第七十四回の歩記(あるき)である・・         

好人(みょうこうにん)「浅原才市」(1851-1933)と、

禅者との違いについて、お話ください・・

娑婆が、そのまま極楽になり、凡夫が、このまま佛(覚者さとりのひと)だと云う鑑覚(かんかく=悟り)の、著しい例は、真宗の「妙好人」なるものに見出すことが出来る・・と、「鈴木大拙の世界」・・一燈園 燈影社刊「このままということ」・・の項で、妙好人は、禅者とまったく変わらない悟境の人たちである・・と述べています。

        *如今鑑覚(にょこんかんかく=百丈)・・ただ・いま・・を体覚する・・悟覚の意。

この石見の国(島根県)は、才市翁の他、不思議に、多くの妙好人を輩出していると、その著作で書かれています。

一向一揆の加賀(金沢)出身の鈴木大拙翁(1870-1966)が、世界に紹介した他力本願の真宗信徒が、はたして「禅による生活」をなす・・自力悟道と、まったく共通の境地にいたる・・とは、驚きであり、昔から・・ナカナカ納得しがたい・・出来事でもありました。

この娑婆世界から極楽に生まれる

早道は外にない、

やうぱり(やっぱり)この娑婆世界なり。

娑婆の世界もなむあみだぶつ、

ごくらく世界もなむあみだぶつ。

ありがたいな、ありがたいな、

才市のこの目がさゑ。

なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。

(・・才市翁は、名号を唱えているのではない。名号が彼で、彼は名号なのだ。

彼は、南無阿弥陀仏と一体になっていることに気付かずに居る。

そこに妙好人の不可思議な存在がある。少し長いが、いくらか引用しないと、その境地がわからぬ・・以下略)・・

 

かねてから・・「禅」は、「欣求的=宗教ではない」と主張する・・ようになった一つの理由は、この妙好人の「悟境(地)」が、禅境(地)と同じ・・欣求・祈願のない・・「対象の無い境地」に溶け込んで一体化している・・生活であることでした。

学識や寺僧・導師や宗教経験など、仏道・求道のTPOの一切合切が関与しない「禅による」=「ナムアミダブツ」=安心の世界が、ここにあります。

この、文字、漢字もよく知らない下駄職人の悩み多い暮らしが、そのままに、明るく、安心(あんじん)に一変する・・妙好人は、浄土真宗系の人だけに発現した、素晴らしい悟道の生活そのものです。

(私の、勝手な推論ですが、おそらく、親鸞もまた、同じ境地の方であったことでしょう)

 

一般の方が、よく「禅」について、誤解されるのは、まるで、悟(さとり・覚)の境地を、お釈迦様の坐像のように、悟り澄ましたイメージで持たれることです。

これは大変な誤解です。

  (私は、よく禅語録に出てくる「佛(悟道の人=覚者)とは何か」・・の問いに、仏壇の釈迦如来像  

   を思い浮かべる・・先入観・誤解を払拭するため、総て「佛(道)とは何か」を「禅とは何か」に

   入れ替えて、意訳しています)

悟りを得ての境地、境涯は、まったく平生の姿、日頃の行い・・食べること、働くこと、トイレに行くこと、寝ること・・暮らしの総て・・に、変わることはことはありません。(暑い時は暑いし、寒い時は寒いのです)

ただ、その人の内面・心理は、いつも明るく、素直に、ピチピチ、テキパキと躍動していて、今、ソノことを為す・・のに、全身全霊をかけています。

   例えば、禅者が見る・・混雑の街頭風景は、例えて悪いのですが・・通行人が、足の無い幽霊(今時  

   の、まるでスマホに執り憑かれている若者)のように・・フワフワと頼りなく動いて見えるのです。  

   言うことも、為すことも、他人の影響をうけての言動ばかりで、信念を持って、自発的な生活してい 

   る・・風には、とうてい見えないのです。

 

妙好人と言われる人(禅者もまた)は、どうして、ピチピチとした新鮮で、詩的な発言ができるのか・・「不思議に思う」・・その点そのものに「答え」があります。

前則の、歩記(あるき・・修行者の邪路)で紹介したように、理窟ばかりの取り澄まし・・これは禅者ではありません。

日頃、「役立たない坐禅」をしない人ほど、邪路・邪見に落ち込むのです。

 

こうした禅語録・公案の一つ一つ・・話題・内容が違っても、例え千年前の禅者の生活・行動であろうと、妙好人であろうと、達道の人の悟境(地)は、道を歩く姿一つ、ご挨拶一つで・・わかります。

その達道の禅者の見分け方・・の公案を附記しておきましょう。

  *無門関 第三十六則 路逢道(ろほうたつどう)

   五祖云く 路に達道の人(禅者)に逢わば、語黙(ごもく)をもって對(たい)せざれ。

   且らく道(い)へ。何をもってか對せん。

 

妙好人については、母を養うため、焚き木を売り歩いていた、文字を知らず、米搗きの田舎猿とさげすまれた・・南宗禅六祖・・・曹渓慧能の禅機(投機の偈)に・・近しい印象をもちます。

また近代、盤珪の「そのまま禅」=悟り(の境地)も同様ですから、折に触れて紹介していきたいと思います。

 

碧巌録 第七十四則  (きんぎゅうはんつう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に向かって垂示した。

禅者は、どんな葛藤や、難問題でも、草薙(くさなぎ)の剣を一閃するように、スパット解決して、明鏡のごとき般若の智慧を輝かせ、いかなる文字、言句でも、大日如来の保証印付でなくてはならぬ。

着衣喫飯・・日常生活そのままが、大悟徹底の行い・・そのものである・・が、いざ、非常時には、どのように対応しているのか。理解できない輩は、次の下文を看取せよ。

  *垂示に云く、鏌鎁(まくや)横に按(あん)ずれば、

   鋒前(ほうぜん)には葛籐窠(かっとうか)を翦断(せんだん)し、

   明鏡(みょうきょう)高くかかれば、

   句中に毘盧印(びるいん)を引出(いんしゅつ)せん。

   田地(でんち)隠密(おんみつ)の處にては、著衣飯(じゃくえきっぱん)せんも、

   神通遊戯(じんつうゆげ)の處にては、

   如何にしてか湊泊(そうはく)せんや。また委悉(いしつ)せりや。

   下問(げもん)を看取(かんしゅ)せよ。 

 

【本則】むかし・・鎮州に金牛と呼ばれた老師がいた。

多くの求道者の面倒をみて、食事時には、味噌擂り、ご飯炊き、一切合財、ととのえて喜色満面、呵呵大笑(かかたいしょう)して「さあさ・・菩薩たちよ、ご飯が出来たから、おあがりなさいよ・・」と、誰へだてなく、厚遇、接待をしていた。

     (雪竇云く・・金牛坊主に騙されるなよ。必ず、どこぞの家主のように、 

      「タダメシは食わさんぞ。まずは家賃の値上げを・・」と言うはずだ!)

後世になって、この話を、ある求道者が長慶慧稜(853~932)に持ちだして問うた。

「いつも、どの禅寺でも財政難で大変ですのに、金牛和尚は、いったい、どんな気持ちで、自分の財産をなげうって、求道者たちを養ったのでしょうか」

長慶云く「多くの求道者を養う資金を持っている・・その感謝の祈りであろうサ。高慢なホドコシ顔より偽善気分がなく、うれしい感謝の顔の方が、お互いに、いい気分じゃないか」

  *擧す。金牛(きんぎゅう)和尚、齊時(さいじ)にいたる毎(ごと)に、

   自(みずか)ら飯(はん)桶(つう)をもって、

   僧堂の前において舞をなし、呵呵大笑(かかたいしょう)して云く

   「菩薩子飯来(ぼさつしきっぱんらい)」と。

   (雪竇云く、しかも、かくの如くなりと雖(いえど)も、

    金牛これ好心(こうしん)あらず・・と)

   僧、長慶(ちょうけい)に問う。

   「古人 道(いわ)く。菩薩子喫飯来・・と。意如何(いしいかん)

   慶云く「おおいに齊(さい)によって慶讃(きょうさん)するに似たり」

 

【頌】金牛和尚の、自ら飯を炊き、自ら僧堂に配膳して「サアサ、菩薩の方々、ご飯が出来たよ」と、明るく笑いながら求道者をもてなしたことは、詩的に表現すれば・・「白雲影裏に笑い呵呵」・・である。

禅は棒・喝のみにあらず。平凡になす行中に真理あり。

施しをもらって喜ぶごとく、施しをなして喜ぶ人は極めて少ない。

長慶は、真の禅者(金毛の獅子)である。

金牛のいた鎮州の彼方、遠く三千里の明州にいながら、金牛の「禅者の行い」を見抜いている。

  *白雲裏(はくうんえいり)に笑呵呵(わらいかか)

   両手にもち来たって他に付與(ふよ)せり。

   もし是れ金毛の獅子子(ししじ)ならば、三千里外に訤訛(ごうか)を見ん。

 

【附記】馬祖道一の弟子・・鎮州、金牛和尚は、どうやら・・何不自由のない富豪でありながら、晩年、特別の動機で出家。自分の莫大な資財を投げ出して、多くの求道者を供養して自ら、おおいに満足していた・・と推測する以外、詳細不明。

碧巌録 第七十四則と第九十三則【本則】問所事例・・に記録されている。