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人生元気の素・・禅の心・禅の話・・【碧巌の散策】第67回 

その他  

碧巌の散策 第六十七回の歩記(あるき)である

盤珪(ばんけい)の「不生(ふしょう)そのまま禅」について、教えてください盤珪の不生禅と白隠の看話禅の違いは何ですか・・)

 

私の禅、貴方の禅・・独り一人に「禅」=何の価値もない、しかし、天地いっぱいの「悟」境地がある・・そんな話をするには、禅が日本の鎌倉五山京都五山に、寺僧の教導のもと根を張って大樹となった歴史を知らねばなりません。

・・と言うのは一般論。

そんな事は、観光寺やPCで検索して、写真なり、記事なり見ればよろしかろう・・と思います。

大事なのは、不生「そのまま」の一真実をみれば、それで事足りる・・と喝破した盤珪(ばんけい)永琢(ようたく)(1622~1693)・・明眼の禅、その一語(悟)を知れば、私の提唱する・・「三分間ひとりイス禅」の、屋台骨=玄関が解かってもらえるでしょう。

盤珪には、語録文献がありません。弟子や門下生が聞き書きした出来事が、文字に残っているだけです。これは、釈尊の「仏教=悟りの教え」経典が、すべて「如是我聞(にょぜがもん)」=われ、かくのごとく、これを聞きたり・・の弟子たち・・聞き書きをまとめたもの・・と類似しています。

禅は、言葉や文字で表現できない、佛教経典とは別の教え・・を忠実に踏襲した、庶民(人と人)、個の人生問題である・・との立場で、ただ一語「不生そのまま」で済みますわいの・・で、悩みを料理して、おいしい食事にしてみせました。

例えば、短気持ちですぐ「カッ」となる人には、ヒョットして起こる短気は、生まれつきの短気持ちではない。(原因と結果の出来事にすぎない)

まるで、悩みが雲の如く湧き出ることになっても、「不生」の心持であれば、すぐに青空が見えてくる・・と、「不生そのまま=禅による生活」を説きました。

公案を師家のもと僧堂の坐禅で透過しようとする「看話(かんわ)禅(ぜん)」・・を、古本を読みあさるような、役立たずなことをする暇があれば、ただちに「不生そのまま」を獲得すればよい・・として、温室栽培の看話禅を否定して、実戦指導しています。

当時、盤珪ほど、生死、妄想、欲気、徳行について悩み抜き、禅達の師を訪ねて行脚し、念仏禅や、欣求禅など、いろんな体験学習した人はおりません。

死ぬ一歩手前まで坐禅に苦しんで、「ひょっと」して・・悩む一切のことは「不生」でかたづく・・と気づいた・・と語っています。

盤珪永琢の生涯は、岩波書店鈴木大拙「禅思想史研究」四巻中、第一巻全編に「盤珪の不生禅」として、とりあげてあり、約三十年前、購入して読んだときは、これを破いて食べてしまえば、身に着かないか・・と真剣に思いました。

 

佛教学者であり、禅者でもある鈴木大拙が、達磨から慧能にいたる第二巻・・臨済の基本思想 第三巻・・白隠公案論、禅と念仏の心理学的基礎 計、第四巻にいたる、その初刊に、盤珪一冊、まるごと紹介する所以(ゆえん)・・その深い思い入れに、どうにか馬翁(馬齢)をかさねて、しみじみとした感慨を覚えます。

赤線を引いたり、折ったり、シールしたり・・書き込みしたり・・ひどく乱雑に読了しましたが、私の骨になっている禅者が盤珪さんです。

今回の第六十七則・・は、テーブルをコツンと叩いて、「禅は此処から入れ」の様子は、盤珪「不生そのまま」禅・・「そのまま不生」で事済むことでしょう。

「エッ?えっ?・・?」と疑義すれば、「陛下、とっくの昔、禅の解説、終わりましたよ」となってしまいます。   

 

碧巌録 第六十七則 傅大士経講(ふたいし きょうを こうず)

 【垂示】ありません。

 【本則】仏教に帰依していた梁の武帝が、「金剛般若波羅蜜多経」の講釈をしてもらおうと、誌公の紹介で、傅大士(497~?)を招待した。

呼ばれた傅大師は講座に上がると、手にした笏(しゃく)で、コツンとテーブルを一打して、サッサと講座から降り去ってしまった。

武帝は、禅のカナメといわれる金剛経・・解かり易い話を聞きたいのに、いったいどうなったのか・・愕然(がくぜん)とした。(この「コツン」・・最も親切、解かりやすい・・禅による行い・・なのに、PC持って右往左往の現代人と変わらず、サッパリ訳の解からず屋、武帝である)

誌公が茫然(ぼうぜん)、模糊(もこ)としている武帝に「陛下、金剛経の神髄、理解なさいましたか」と尋ねると、武帝は「彼の行ないが一向に解せない」と素直に答えた。

誌公は、同じくキョトンとしている居並ぶ百官たちに「サアサ・・大士の講演はモウ終わりました。これにて閉会いたします」と、その場を取り仕切った。

 

 *擧す。梁の武帝、傅大士に、金剛経を講ぜんことを請(こ)いたり。

  大士、すなわち座上において、案(あん)を揮(う)つこと一下(いちげ)して、

  すなわち下座(げざ)せり。

  武帝愕然(がくぜん)

  誌公(しこう)問う「陛下、また會(え)せりや」

  帝云く「不會(ふえ)

  誌公云く「大士は講(こう)経(きょう)をおわりたるなり」

 

【頌】静寂と安心に満ちた禅庵に居れば良いものを、梁武帝の首都、金陵(現南京)まで、わざわざ出かけて御前講義をやるとは、傅大士の俗臭、どうかと思いますね。もし、あの場で、仙人じみた誌公が、閉会宣言をしてくれなかったら、達磨の二の舞。(碧巌録、第一則 武帝問達磨=聖諦第一義=廓然無聖

自尊心や野心のカタマリのような武帝と悶着が起こって、挨拶もせずコソコソ都を逃げ出す羽目になったことだろう・・テ。

  *雙林(そうりん)に向かってこの身を寄せ(よ)ずして、

  かえって梁土(りょうど)において塵埃(じんあい)をひけり。

  當時(とうじ)、誌公老を得ざりしならんには、また是れ栖栖(せいせい)として   

  国を去りし人なりしならん。

 

【附記】誌公(寶誌 不詳)住所不定、裸足にてどこでも横行した。頭髪モジャモジャの道者風態。禅観、佛理を語ること、声聞(しょうもん)羅漢(らかん))以上といわれた。堂々と宮中に入り、武帝の庇護のもと、仙人の如き、祖師禅の前駆者的な禅者に例えられる。

当時、宮廷では、盛んに佛教経典の解釈、講義が行われていて、その引用の一番は「維摩経」「涅槃経」「金剛経」などであった。(・・と、鈴木大拙は禅思想史 第三巻で記述)

とまれ、中国・禅の創世期(初代・達磨から六祖・慧能にいたる)は、欣求的佛教にコンクリされてきた中にあり、無功徳、無心の禅行を、直ちに見せつけられても、チグハグ差は避けがたいことだった。

禅のはじめは・・達磨の「不識(しらず)」と、この「コツンと机を叩く」ことからはじまった・・としておきます。それが「純禅」そのまま・・というものです。

 

◆米国発瞑想法「マインドフルネス」と坐禅の違いを教えてください・・

産経新聞の夕刊(9/20)ストレスを減らし、感情をコントロール・・瞑想で非行再発防げ・・女子少年院で導入・・の記事、私も見ましたよ。(以下記事抜粋)

眼を閉じ、椅子に坐り、後ろ手にして、その手に小さなヌイグルミやフィギュアを持ち、手(触覚)のみに集中させるプログラムとのことだ。

これは1979年、米マサチューセッツ大のジョン・カバットジン名誉教授が仏教の瞑想法を応用して開発した。「今、この瞬間に意識を向けること」や「気づき」といわれる「呼吸瞑想」ゆっくり足の感覚を確かめながら歩く「歩行瞑想」など、一つことに集中するのは、ストレスの低減や、感情衝動のコントロールに効果があるとされる。米、グーグルやアップル、金融大手などの他、スポーツ界でも、集中力UPが検証されており、脳科学の研究も始まっている・・そうです。

良い事ですね。

日本では、昔から、写経とか、書道とか、茶華道弓道、柔剣道など、瞑想以外に、「道」といわれる心・技・体の修練があります。職人や匠人(たくみ)の伝統的な作品は、すべて、この集中力が昇華したものだと考えます。

その根元というか、行いの素の「坐禅」があるのです。

ですから瞑想法など、人から教えられ、学んで行う、心身修行・・苦行ではなく、出来るだけ、リラックスして、楽しく面白く、瞑想オタクも結構・・続けてください。

そして、その上で、宗教でも、哲学でも、倫理でも、医学でも、解決のつかない「人生への問い=真人(しんじん)=真実の人間とは何か?」に突き当ったら、そこからが、貴方ひとりだけが一人で行う、誰にも学べない、教えられない三分間「坐禅」です。

 

瞑想は、姿勢を正して目を閉じますが、坐禅は、眼を半眼にして行います。

そして、ひとりイス禅は「机をコツン」ここから入れ・・のアドバイスだけ。

フト、人生に寂寥(せきりょう)を感じられたら、坐禅なさったらよろしかろうと、お奨めします。この碧巌録・第一則にもどってください。

 

*初めての移転先投稿です。要領をえず、見苦しいこと・・お許しください。

次回、碧巌の散歩 第六十七回で・・JCOM奉魯愚(ブログ・ブロガリは、明年一月に終了となりますので)この12月末まで移転=当奉魯愚に併行して記載します。

予定では、1週間、2回(散歩のEssay・本則)百則掲載。

これまでの則は、また別の折に書き直して・・と思い、インポートいたしません。

*お奨めする「三分間ひとりイス禅」は、この・・禅の最重要禅語録「碧巌集」ですら、余計な知識として、昔、焚書された経歴がありますから、参考に読み散らして忘れよ・・とする次第です。ただ、納得できない「疑団」だけは、坐禅の集中の縁(よすが)として、拈弄(ねんろう)なさることです。