碧巌の歩記(あるき)NO94

釈尊が「禅」について論理的な教導をなされたと云うが?

本則の説話は、首楞嚴経(しゅりょうごんきょう)・・密教系思想の経典、705年頃の漢訳・・に基づく。しかし、実にクダクダしく、難解に仕立ててあり、禅(の公案)に馴染まない(この経典は、釈尊亡きあとに編纂され、それが千二百年の歳月を経て、中国で漢訳されている。中国の学僧たちの膨大な哲学的認識論の由来と経過が、背景に山積みになっている)

 

私は「禅」について、この経典のみならず、万巻の仏教経典や解説(本)を否定します。達磨がインドから中国へ、不立文字、教外別伝の「禅」を伝えたのは、論理的哲学的なインドの揺籃の地から、実践実務的な(具体性を重視する)中国・・そして、禅を純化する日本の風土に伝播していく必然性があったからと考えています。

どだい大悟された釈尊が、未悟・求道の弟子、阿難に「禅」が一番に否定する「論理的に」語る訳がありません。

碧巌録と双璧をなす禅語録「無門関」第二十一則「迦葉刹竿(かしょうせつかん)」・・釈尊の亡きあと、金蘭の袈裟の外に、何か「禅の秘伝」でもあるのか・・と迦葉に尋ねる迷える阿難(あなん)がいます。迦葉は阿難(アーナンダ)と呼ぶ。彼は「はい」と素直に答える。迦葉云く「門前に設置してある説法案内の旗印を取り払いなさい」・・と。この「無門関第二十一則」の指摘は、禅機(悟り)を誘発する最も初歩的な公案です。

(また、第六則「世尊拈花」も、独り・ポッチ禅では初歩の公案としています)

独り・三分ポッチ禅をなさる時、一回十秒の呼吸を数えて(数息)十八回とするより、その間、チョット心惹かれる公案の一則を、何故だ・・?どうして・・?と思い描く方が、頭(妄想)の消毒、掃除にもってこいです。

ただし、ここで貴方に、注意!

公案に即して(ついて回って)解(悟り)を得ようとしたら間違いです。ですから、私には、釈尊「大佛頂如来密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴経」・・この長ったらしい経の文言で、いったい何を阿難に教導されたのかサッパリ解かりませんし、この経の醍醐味(有難味)も知りません。

この本則の文章、語言だけで、禅の「主観・客観」の認識が解説、理解できるとしたら、釈尊の、四十八年一字不説の本意を否定したことになる・・と確信しています。

キット、雪竇は、零(ゼロ)を発明したインドならともかく、論理的哲学的に禅を説こうとする、蕎麦屋の窯の中のような、当時の学僧たちに警告したのでしょう。

蕎麦屋の窯の中・・湯=言うばかりの意

 

碧巌録 楞嚴不見 時(りょうごん ふけんの時)第九十四則

【垂示】圓悟が垂示して云うのに、禅者の一句は、どのような修行を積んだ人も冷暖自治するのみで、他人に説示することは不可能である。眼前に展開されている生命の紡ぎは、永遠に途絶えることなく続いている。しかも真実は、すべてアリノママに隠すことなく「青天井の下の白牛」としてあり、また眼がギラギラ吊り上がり、両耳を立てた文殊の「金毛の獅子」として如実に現れている。

さあて青空の下にいる白牛とは・・文殊の乗る金毛の獅子とは・・どんな様子をしているか・・

ボオッと砂漠の真ん中で蜃気楼(ミラージュ)を見ているような、暑さボケのお前さん・・「坐禅をしたい」・・と心の底から湧いてくる・・その獅子吼に答えてみなさい。

  

  *垂示に云く、聲前(しょうぜん)の一句は、千聖(せんせい)も不傳(ふでん)なり。

   面前(めんぜん)の一絲(いっし)は長時無間(ちょうじむげん)なり。

   淨裸々(じょうらら)、赤灑々(しゃくしゃしゃ)たる

   露地(ろじ)の白牛(びゃくぎゅう)と

   眼卓朔(まなこ たくさく)、耳卓朔(みみ たくさく)たる金毛の獅子とは、

   即(すなわ)ち且(しば)らくおく。

   且らく道(い)え、作麼生(そもさん)か、これ露地の白牛なるぞ。

 

【本則】楞嚴経に云く・・ある日、釈尊は阿難(あなん)に視覚で物を認識すること「主観・客観」について次のように話された。

人は「主観と客観」が顛倒(てんとう)していることに気付かない。(網膜に映るのだって逆さまだし、鏡に映る様子だって左右が逆になっている)

吾が見ない時、どうして吾の見ない處(相=すがた)を見ないのか・・もし、その見ない地(ところ)を見るとすれば、それは客観の見えない事象(相)ではない。それは本来、吾の見る相である。それでも「見ない」のに「見える」と言うのは嘘を言うことになる。もし、私の「見ない事象」を「見えない」と云うならば、それは事象(物質)ではない。物質でないなら、それは心性=主観である。どうしてそれが客観となろうか(主観そのものではないか

   

  *擧す。「楞嚴経」に云く、

   「わが不見(ふけん)の時、何ぞ、我が不見の處(ところ)を見ざるや。

   もし不見を見れば、自然に彼の不見の相にあらざらん。

   もし、わが不見の地を見ずんば、自然に物にあらざらん。

   如何(いかん)が汝にあらざる」 

 

【頌】眼の不自由な人たちが象を撫でて、その姿を形容する話が、大涅槃経にあるが・・白牛や金毛の獅子も、まったく水に渇した眼病患者が、砂漠の蜃気楼を見るアリサマだ。

昔から、禅を教導する者、求道行脚の雲水たち・・共に、その見解、議論するところは、持って回った上滑り、口先ばかり・・実相に触れて「看た」=「手に入れた」ものではない。

釈尊が、一言も語ったことのない「普賢菩薩(本質)の白牛・・文殊菩薩(事象)の獅子」のことを、主観的客観的と分別論証するのは、禅を生体解剖している悪臭無限の禅者モドキ達だ。

まったくもって禅の将来が思いやられることだ。

 

  *全象(ぜんぞう)全牛(ぜんぎゅう)、瞖(えい)にことならず。

   従来(じゅうらい)の作者は共に名摸(めいばう)。

   如今(にょこん) 黄頭老(こうとうろう)を見んと要するも、

   刹々塵々(せつせつじんじん)、半途(はんと)に在(あ)り。

 

碧巌の歩記(あるき)NO95

碧巌録 長慶 二種語 (にしゅのご)

               (阿羅漢三毒あらかん さんどく) 第九十五則 

【垂示】圓悟が求道者に垂示した。

悟り臭い処に留まるなかれ。執着すれば畜生道に落ちるぞ。

また、無禅、無心の境地に腰を据えずに走り去れ。

そうしないと草深い迷妄の地で、行き倒れの目に遭うぞ。

主観、客観の心境一如の境涯にあることも、自他圓融の妙用が出来たからといっても、それは切り株を守って兎を待つような・・謗(そし)りを受けよう。

さあ、あれも駄目、これも駄目、何もかも駄目だとすれば、どのように坐禅し、禅による生活を行ずればよいのか・・

試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、有佛(ゆうぶつ)の處に住(とどま)ることを得ざれ。

     住箸(じゅうじゃく)すれば頭角(ずかく)を生(しょう)ず。

     無佛(むぶつ)の處は急に走過(そうか)せよ。

     走過せずんば草ふかきこと一丈(いちじょう)ならん。

     たとえ淨裸々(じょう らら)、赤灑々(しゃく しゃしゃ)にして 

     事外(じげ)に機なく 機外(きげ)に事なきも、

     未(いま)だ免(まぬが)れず株(くいせ)を守って兎(と)を待つことを。

     且(しば)らく道(い)え、総(そう)に不恁麼(ふいんも)ならば、

     作麼生(そもさん)か行履(あんり)せん。試みに挙す看よ。

【本則】三回も投子に参じ、九度も洞山に至る、青年期を飯炊き修行で鍛えた達道の師・・雪峰義存(822~908)門下の長慶慧稜(ちょうけいえりょう=853~932)と保福従展(ほふくじゅうてん=?~928)の二人が問答した。

長慶云く「阿羅漢(あらかん)は、生死の問題を脱却して「不生」。学ぶべきものなきゆえに「無学」・・煩悩を断絶して「殺賊(さつぞく)」と呼ばれる人物だから「貪欲(どんよく)・瞋恚(しんい)・愚痴(ぐち)=(貪とん・瞋じん・痴ち)の三悪徳がある訳はない。万一、羅漢に三毒ありとしても、如来に,二種の語(真実語と、嘘も方便語)があると言ってはならない。如来は確かに説法されたが、決して二枚舌のお方ではない」と断言した。

保福、彼に尋ねる「それでは、二枚舌ではない如来語とは・・どんなものか」

長慶「如来語はナカナカ俗塵の耳には入りにくいものだ。今、話して聞かせても耳の不自由な者には聞くことは出来ないだろう」

保福「なんとも・・器用に屁理屈をいうなあ・・」

長慶「ンン?それなら君は、如来語を理解しているのか?どうだ」

保福「いろいろと論理の限りを尽くしたもんだ。話疲れで、さぞかし喉が渇いたことだろう。まずはお茶を一杯お飲みなさい」

  *擧す、長慶ある時云く

  「寧(むし)ろ阿羅漢(あらかん)に三毒(さんどく)ありと説(と)くも、

   如来(にょらい)に二毒ありとは説(と)かざれ。

   如来に語なしとは道(い)わず。ただ是、二種の語(ご)なきなり」

   保福云く「作麼生(そもさん)か、これ如来の語なるぞ」

   慶云く「聾人(ろうじん) 争(いかで)でか聞くことを得んや」

   保福云く「情(まこと)に知りぬ。

       儞(なんじ)が第二頭(だいにとう)に向って道(い)うことを」

   慶云く「作麼生(そもさん)か これ如来の語なるぞ」

   保福云く「喫茶去(きっさこ)」

 

【頌】真実語と、嘘も方便語の二種類の言葉に区別があるか・・?

如来実相が、そんな理屈の中にある訳がない。

もしあるなら、龍が雨だれの水たまりに潜んでいるというのも本当になる。水たまりは、時に澄み切って月も映ろうし波も立たないだろう。

だが、龍の住む淵には風もないのに波立つことが起こるのだ。

可哀そうな慧稜さん・・保福さんに、たったの一語「喫茶去」と言われて、遠く弾き飛ばされてしまった。

まるで三月の登竜門(兎門)に挑戦する大鯉が、滝を登り損ねて、額に大傷、九死に一生のひどい目にあったようなものだった。

  *頭(とう)たり第一第二.

           臥(が)龍(りゅう)は止水(しすい)には鑒(かん)せず。

   無處(むしょ)には月あって波澄(す)み、

   有處(ゆうしょ)には風なきに浪起(おこ)らん。

   稜禅客(りょうぜんかく)、稜禅客。

   三月兎門(うもん)に(おいて)點額(てんがく)に遭(あ)えり。

 

【附語】それでは・・真実語とは・・ナントいうべきか・・

  「良(よ)し悪(あ)し=葦蘆よしあしと思わず蟹(かに)の横歩き」

   仙厓義梵(せんがい ぎぼん 1750~1837)禅境画賛。

 

はてなブログ禅のパスポート」サナギが蝶になるように、無門関 講話・意訳を開始!

古来、禅の参究では、この碧巌録と無門関が双璧をなす書であるといわれます。関心のある方は、検索して、ご覧ください。

 

碧巌の歩記(あるき)NO96

かくれんぼ・・「ごはんですよ!」の声かかり!  

 

よく禅語に「橋が流れて、河は流れず」とか・・「花は緑に、葉は紅に」とか、因果関係が真逆になる表現があります。また、坐禅中に「立てた線香の灰がポトリと落ちる・・それが太鼓の叩いた音のように、ドオンと聞こえた」とか、遠くで鳴る鐘の音が、縦縞(たてじま)模様(もよう)になって見えた」とか・・何かオドロ・オドロしく感じる坐禅時の異常な集中心理の記録があります。そうした体験談は、強圧的な集団的修行で発生する、いわゆる追い詰められた時の心理的動揺です。

昔、昔、助監督の頃・・『敵中横断三百里』の作家、故・山中峯太郎さん宅にお伺いして、お話を聞くことが出来ました。

たまたま、坐禅の話になって「自分の坐禅は、骸骨を前にして坐禅したので「骸骨禅」だな。心機たかまるとすべてがレントゲン写真のようになり、人が骸骨・幽霊に見えた」・・と言われたのを思い出します。禅の集中状態の心理には、そんな不思議な神経作用があるようです。でも、こんな心理作用は、やはり異常で本当の坐=「禅」ではありません。こだわらず無関心に放置すれば、自然に、日常ありのままに落ち着きます。

 

この碧巌録 講話・意訳を読んでもらえば、千年前の禅者たちの、実にバランスのとれた禅境(行い)が見て取れるでしょう。

どうぞ・・世に蔓延(はびこ)る杓子定規(しゃくしじょうぎ)な禅(もどき)にブレることなく、独りポッチ・三分間ポッチのイス禅を・・日ごとコツコツとやりつづけるにしかず・・です。

 

閑話休題(・・Sorewasateoki)

これからは・・【ひとり・三分・ポッチ禅】と言うようにします。

無功用の「独りポッチ禅」は、執着心を捨てるため「役立たずの禅」と紹介しています。気の短い人は「ナンダ・・つまらない」に一言で、奉魯愚を見てくれません・・ので、「ポッチ禅」といえば、何の事?とばかりに、せめて一則位、読み終えてくれるのを期待しています。

禅について、好き嫌いや興味本位の関心に迎合するつもりは毛頭ありません。

・・三分間、眼を半眼にして姿勢を正して坐禅してみてください。

如何に、自分の心が、刺激と妄想を追い求め、コダワリ(執着)から離れられないものか・・我慢(吾の慢んずる、うぬぼれ)を抑えることのできない存在か・・を思い知ることになるでしょう。

スマホに操られる(他動的刺激)なら、あっという間の三分ですが・・

独り・三分ポッチ禅の禅定力(ぜんじょうりょく)は、雨だれが石を穿(うが)つ如くでしか・・身につきません。

 

碧巌録 趙州三轉語 (じょうしゅう さんてんご) 第九十六則

【垂示】ありません

【本則】長寿(120歳)だった趙州從諗(じょうしゅうじゅうしん)が、ある日、座下の求道者に、心機一転する徹底の言句=大悟の禅境(地)を表現する三轉語で問うた。

●泥で作った仏像(泥仏)は、水に耐えられず形を失う。

●金仏・・●木仏は、炉の中や火の中、熔けて燃え尽きてしまう。

そんな、あてにならんものを拝んで、どうする心算(つもり)かな】

  *擧す。趙州、衆に三轉語を示したり。

   (曰く)泥佛は水を渡らず。金佛は鑪を渡らず。木佛は火を渡らず。

*この公案は、趙州從諗「上堂示衆語」(五燈會元第四巻)から三句を抽出し、それに雪竇が「趙州示衆三轉語」の七字を添付して、一則の公案にしたもの。 

 

【頌】これは趙州の問いに対する雪竇の見解(けんげ)を詩的にまとめたもの。

嵩山少林寺で、独り面壁する達磨を前に、新光(二祖慧可)が、雪中、自分の左ひじを斬って、我を「安心(あんじん)」せしめよ・・と迫る公案がある。(無門関第四十一則)確か京都国立博物館・・にある「雪中慧可断臂図(せっちゅうえかだんぴず)国宝1496年雪舟筆の様子がこれである。

新光の命懸けの求道心にこそ、禅が輝いている。雪中にいつまでも、突っ立っているだけの問答なら、誰にでも真似が出来よう。だが、新光の「安心(あんじん)」を希求する態度や修行は一様ではない。だからこそ、これをコピペ(虎を描いて猫に類)する輩は現れなかった。

 

(注)私は、慧可が入門(参禅)を乞い、断臂するまで許さなかった達磨の仕打ちを疑問視している。昔は、何かの事故で怪我をしても、抗生物質も治療もままならない時代です。この命の大事を識る達磨が禅の鞭撻に、新光の臂まで切断させるほど、指導能力がない愚かな禅者ではない・・と考えているからです。当時・・近隣に、強盗や追剥の頻繁に出没する物騒な事件が、この禅史に紛れ込んだ・・のだろうと見る方が正解でしょう。

 

次に趙州は、金佛を炉に放り込めば、蕩けてしまうと言ったが、泥佛の立ち姿に価値がないのも同じだ。

昔、紫胡和尚は、人が頻繁に立ち寄る煩わしさに「猛犬注意」の看板を出していたと言う。アンナ変人の自己中坊主を訪ねずとも、爽やかな清風は自ずと南から吹いてくるぞ

 

木佛だって泥佛・金佛と同じ。どれほどの価値あるものじゃない。

嵩山(少林寺)の麓の霊廟にある竈神(かまどしん)に、人々が、ご大層に供養の品を祀りあげるものだから、ある禅者が、拄杖をもって叩き壊して偶像信仰を止めた・・その禅者を、以後、あだ名して破竈堕(はそうだ)禅師と呼んだとある(五燈會元第四巻他)

竈神は、自分の棲家を叩き壊されて、はじめて長夜の夢から覚醒したという。

寒い冬場は燃料代も馬鹿にならない。

木仏は燃やしてしまえ。凍える時には・・まずは暖をとるべし。

 *頌【泥佛不渡水】新光(しんこう)は天地を照らせり。

  雪に立って、もし未だ休せずんば、何人(なんびと)か彫偽(ちょうぎ)せざらん。

  • 【金佛不渡鑪】人、来たって紫胡(しこ)を訪う。

   牌中(はいちゅう)に数箇の字あり。清風、いずれの処にか無からん。

  • 【木佛不渡火】常に思う破竈堕(はそうだ)。

   杖子(じょうす)にて、たちまち撃着(げきちゃく)せり。

   方(まさ)に知れり、我に辜負(こふ)せしことを。

 

はてなブログ「禅のパスポート」無門関 講話意訳ご覧ください。

碧巌の歩記(あるき)NO97 

●天の川に放牧されている牽牛をつれてきない・・!

碧巌録 金剛経罪業消滅 

    (こんごうきょう ざいごうしょうめつ) 第九十七則

 【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

ある時には有無を言わさずに捕(つか)まえ、ある時には自由、放逸(ほういつ)にとき放って自在の活動が出来ても、まだ作家(さっけ)たる資格はない。また一つを挙げて三つを明らかにする勝(すぐ)れ者でも、禅者から見れば、まだまだ、一字(無・空)を任せたぞ・・とは言えない。

直ちに天地を顛倒(てんとう)させたり、秀逸な言句で人を魅了したり、一閃、雷の如くはしり、雲の如く行き、天から滝のような雨を降らせ活発迅速な行動が出来たとしても、まだまだ、雷神の子供ていど。せいぜい人のヘソを盗む悪ふざけだ。要は中途半端なのだ。

さあて、この奉魯愚をご覧の中に、天の川に放牧されている牽牛星=アルタイルの牛を、犬もろともに引き摺り(ひず)降ろし、畑仕事に使いこなせる力量の者がいるか・・どうか。試みに挙す看よ。

  *垂示に云く。一を拈(ねん)じ、一を放(はな)つも、

   未(いま)だこれ作家にあらず。

   挙一明三(こいちみょうさん)なるも、なお宗旨に乖(そむ)く。

   直(じき)に天地を徒變(とへん)し,四方に絶唱(ぜっしょう)し、

   雷(のごとく)奔(はし)り、電(のごとく)馳(は)せ、雲(のごとく)行き、

   雨(のごとく)驟(はし)り、湫(しゅう)を傾(かたむ)け、嶽(ごく)を倒し、

   甕(かめ)を潟(なが)し、盆(ぼん)を傾(かたむ)けうるも、

   いまだ一半(いっぱん)をも提得(ていとく)せず。

   また天關(てんかん)を転ずることを解(げ)し、

   よく地軸(ちじく)を移す底(てい)ありや。試みに挙す看よ。

【本則】インドの経典「金剛経」の中で・・釈尊須菩提(すぼだい)に訓戒された語の一節を取り上げ、公案にした。

金剛経を読誦(どくしょう)して、他の人の謗(そし)りをうけるようなことがあるかも知れないが、何でもないこと。良いことをして誹謗されるのは、かえって望ましいことである。軽蔑された人が、前世に罪業をつくり、未来に三悪道(地獄・餓鬼・畜生)へ転生の運命が定まっているとしても、この世で、謗りや軽蔑を甘受したという理由で、一切の罪障(ざいしょう)は消滅するだろう」とある。

   *擧す。「金剛経(こんぎょうきょう)」に云く。

    「もし人のために軽賤(きょうせん)せられんに、

     この人、先世(ぜんせ)の罪業(ざいごう)によって、

     まさに悪道(あくどう)に堕(だ)すべきも、

     今、世の人に軽賤せられしをもっての故に、

     先世の罪業は、即ち、ために消滅(しょうめつ)せん」 

 

【頌】明珠のような金剛般若(こんごうはんにゃ)は、私の手のひらに載っているから、これを解かる者がいたら何時でも与えよう。

だが胡人、漢人の中に、明珠を貰い受ける資格者はいないようだ。

たしかに金剛般若の実相は「一切空」だから、胡人や漢人が受け取れる訳がない。「空」は、どうこうできる代物ではないから手の出しようがない。

釈尊(グーダマ・シッダルダ)よ・・アナタは、ご自分が何者であるか・・ご承知ですか?(はたして貴方に、この明珠を受け取る資格がおありですか?)

アナタの一挙手一投足、すべて詳細に点検し尽くし、見抜いておりますよ

  *明珠(みょうじゅ)は掌(たなごころ)にあり。

   功ある者を賞(しょう)せん。胡(こ)も漢(かん)も来(き)たらず。

   全(まった)く伎倆(ぎりょう)なし。伎倆すでになし。

   波(は)旬(はじゅん)も途(と)に失(しっ)す。

   瞿曇(ぐどん)瞿曇、我を識るやいなや。(復また云く)

   勘破了也(かんぱりょうや)。

 

【附記】経典を読誦、信心すれば、あらたかな功徳が得られる・・と、現代人が思っているとしたら、千年前の、龍潭(りゅうたん)、徳山(とくさん)、雪竇(せっちょう)や圓悟(えんご)など、禅者たちに笑われることになります。

イヤ・・そうじゃないと・・まだ頑固に言い張る人に・・お尋ねします。

薬の効能書きを朝夕・・高らかに読み上げたら、病気が治りますか?

薬を飲んで、悩み苦しみが消滅して、心身ともに健康になっても、まだ医者にかかって薬を飲み続けますか?

活字印刷を知らない昔は、仏説ことごとく口伝で継承するか、筆写するだけであり・・この碧巌録(碧巌集)も、純禅の妨げになると焚書されたり、則名が二つも三つもあったり、垂示や評頌が抜けたり、つけ足し、し過ぎたりと、伝承の難しさ・・大変さを痛感していた時代であればこそ・・の、金剛般若の意義を問う・・則にしたのでしょう。

碧巌録第四則「徳山到潙山(とくさん いさんにいたる)」に登場する徳山宣鑑(とくさんせんかん 780~865)は、周金剛(しゅうこんごう)と言われた仏教学者でしたが、南方に教外別伝(きょうげべつでん)・直指人心(じきしじんしん)、禅という魔子(ます=悪魔)の教えが広まっているのを憂え、蜀(四川省)を出て、途中、澧州路で茶屋の婆さんに・・「いったい貴方は「点心」(昼飯)を・・金剛経に道う、過去・現在・未来の何処に点ずるのか・・」と問われて答えに窮し、一本負け。・・続いて龍潭崇信(りゅうたんすうしん)に会心(かいしん)の機(チャンス)を得て、背に担ぎ通した、後生大事の金剛経を焼き払った逸話がある・・このように、「禅」=禅による生活は、ただ・・不立文字(文字言句ではない)一語につきるのです。万巻の書、積年の坐禅修行・・すべて、大覚見性に役立たず・・この時代の求道者は、不惜身命(ふしゃくしんみょう)の素直な行脚で、禅による生活、人生を貫いています。

はてなブログ「禅のパスポート」無門関 講話意訳ご覧ください。

 

碧巌の歩記(あるき)NO98

まことに「シャク」にさわる話です!

禅者の一語は、限りなく「癪(シャク)」にさわる話です。    

でも、千年前の先達が、命がけで体得した「1語⇔1悟」です。

意訳を試みて解かったのは、「禅」は宗教(欣求)ではない。   

そして、その自覚(体験)は誰にも教導できない・・自知するのみであること・・そして「禅による生活」であることです。

過年來「3分間ひとりイス禅」を推奨してきました。

それを「ポッチ禅」と名付けました。

ただ自分一人で行うこと。

だだし、これをやったからと言って、効果(ご利益りやく)を期待しないでください。

まったく役立たずの「独りポッチ禅」を覚悟ください。

坐禅の時間も、タッタノ三分間ポッチを一回とすること。

姿勢を正して、リラックスして、たがが三分・・されど三分・・独り・・役立たずの禅を・・無料体験してください。

坐禅=結跏趺坐とか、両手はどうするのか・・正座しようが、胡坐(あぐら)をかこうが、椅子に坐ろうが、寝たままだろうが、印を結ぼうが、膝の上に置こうが、こだわらず、ご自由にどうぞ。(熟睡の時、両手の位置などこだわっていますか?)

呼吸を数える(数息すうそく)に飽きたら、ここに意訳した、千年前の禅者の語録「碧巌録」他・・「はてなブログ 禅のパスポート=無門関」・・どの【本則】、どの【垂示】【頌】でも、読み散らした中で「?」と思った一つ・・その内容を「何故・・どうして?」と、くりかえし、ポッチ禅の公案(問題)として納得できるかどうか・・反芻(思い返)してください。どの話も求道者が命がけで追究した、限りなく矛盾あふれる実話です。

自分なりに、ハッと正解が閃くことも出てきましょうが、その内容は聞くまでもなく、すべて・もれなく、百%・「錯(しゃく)」=間違いです。

変な言い方ですが、禅の公案は、頭の中で「考えることを考えさせる」・・矛盾に満ちた方法なのです。どんなに工夫坐禅しても、正解が見つけられないからこそ、考えさせる・・究極の「頭脳の休息=放下」方法なのです。仏教用語では「煩悩を断ち切る金剛の宝剣」略して「禅」と云います。どうかして自分の利権になるものを得たい・・これを本能・煩悩と呼びます。その煩悩を断ち切る宝剣・・それは何の利害損得もない・役に立たない・禅を、深く行ずることなのです。         

千年前の達道の禅者は、独りポッチ、役立たずの生活・坐禅の中で自覚しました。

宗教にいたる以前に釈尊であれ、達磨であれ、この則 天平従漪(てんぴょうじゅうい)であれ、自分が自分で、独り見性大覚しました。さてホントに・・シャクな話はここからです。 

碧巌録 天平行脚 

(てんぴょうあんぎゃ/天平の両錯りょうしゃく) 第九十八則

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

禅寺で一夏(いちげ)、九十日間の法会(修行)が大事とばかり、全国、アチコチの僧堂で師家達が、語録を基に悟り体験を吹聴して、坊さんの素をこねくり回して寺の跡継ぎを作っている。

人生、老病死苦の悩み・・一切を金剛の宝剣で斬りつけて見れば、寺僧のやっていることは、実は嘘も方便・・赤信号、皆で渡れば怖くない・・方式のことだと理解できるだろう。

サテサテ、一切の閑葛藤(かんかっとう・悩みの藤づる)を裁断する金剛の宝剣とは何か。

眼を見開いて、その切れ味を見せてもらいたいものだ。

 *垂示に云く、一夏、澇々(ろうろう)として葛藤(かっとう)を打(だ)し、

  ほとんど五瑚(ごこ)の僧を絆倒(ばんとう)す。

  金剛(こんごう)の宝剣もて當頭(とうとう)に截(き)らば、

  始めて覚(さと)らん従来の百(もも)不能(ふのう)なりしことを。

  且らく道え、作麼生(そもさん)か是れ金剛の宝剣なるぞ。

  眉毛を眨上(そうじょう)して、試みに請(こ)う、鋒鋩(ほうぼう)をあらわせよ。看ん。

【本則】相州天平山(てんぴょうざん)の従漪(じゅうい)和尚が、まだ雲水の頃、河南省汝州(じょしゅう)の西院思明(さいいんしみょう)の所にやってきた。尋ねて来たものの、彼は、日頃、思明和尚の提唱ぶりが不満とみえ「大きな看板を立てて、師家ぶるのはやめなさい。禅の何たるかも知らないで・・」と、思明和尚に聞こえよがしに文句をいっていた。

ある日、思明和尚これを聞きつけて「おい、従漪」と呼んだ。

従漪和尚、ビックリして彼の方を見ると、思明和尚は「錯(しゃく)」(うぬぼれるな、その考えは間違いだぞ)と叱った。

考えることを考える・・

「間違い話⇔シャク」にさわる問答の開幕である。

従漪和尚が自分の部屋に、二,三歩行きかけると、思明和尚は、再び呼び止めて「錯」といった。

従漪和尚、何か言いかけようとして思明和尚に近づくと、思明和尚が言うのに「さっきからお前さんに二度ばかり『錯』といったが、元来、わしが錯であるのか、お前さんが錯であるのか」と問うた。

従漪「私の錯です。私が悪(わる)うございました」

思明「錯」(誰も禅の神髄を理解していない。お前さんは悪くない)と答えた。

これを聞いた従漪は、ひとまず安心した。

思明「この一夏(いちげ)、寺に居て、わしが錯か、お前さんが錯か、話をしようではないか・・」

しかし従漪和尚は何故か、その誘いが気に入らず、寺を出てしまった。

それから、随分あとのこと・・

従漪は、のちに天平山の大禅師となった。

ある時その天平従漪が、座下の求道者にいった。

「わしが青年時代、行脚のおりだったが、何の因果か思明和尚に、二度も「錯」を浴びせかけられた上、一夏安居(あんご修行)せよ。お互いの錯問題を話したいから・・と言われた。

けれど、わしは、思明和尚の、ただ今の言葉は『錯』です・・とは言わなかった。

私が北方支那を去り、南方支那の禅を識ると、大変に相違していて、北方禅の理屈はテンで通用しなかった。

それで、わしは、思明和尚の寺を去る時「錯」の捨て台詞(ぜりふ)は云わなかったが、あの寺を去った事実そのものが、実は思明和尚に向って「錯」と云ったのと同じであることがわかった」と語った。

 *擧す、天平和尚 行脚(あんぎゃ)の時、西院に参じたり。

  常に云く、「道(い)うことなかれ仏法を得(え)すと。

  この挙話(こわ)の人を覓(もと)むるに、またなからん」

  一日 西院、遙かに見て召して云く「従漪(じゅうい)」

  平頭(ぴょう あたま)を挙(あ)ぐ。西院云く「錯(しゃく)」

  平、行くこと両三歩。西院また云く「錯」。平、近前す。

  西院云く「適来(てきらい)のこの両鐯(りょうしゃく)、

  これ西院が錯か、これ上座(じょうざ)が錯か」

  平云く「従漪が錯なり」平、休(きゅう)しさる。

  西院云く「且(しば)らく這裏(しゃり)にあって夏(げ)を過ごせ。

  上座とともに、この両鐯を商量(しょうりょう)せんことを待たん」

  平、當(その)時(かみ)便(すなわ)ち行く。

  後に住院(じゅういん)して衆に謂(い)って云く

「我 當初(そのかみ)、行脚の時、業風(ごうふう)に吹かれて思明長老の處に到(いた)りし(時)両鐯を連下(れんげ)せられ、更に我を留(とど)めて夏(げ)を過ごして、我と共に商量せんこと待たしむ。我、恁麼(いんも)の時には錯とは道(い)わざりしも、われ発足(ほっそく)して南方に向って去りし時、はやく錯と言いおわりたるを知れり」 

【頌】西院の思明和尚は、修行中の従漪を相手に、ひと夏、お互い議論しょうと持ちかけた。これは拙劣な模倣禅だった。

そんな軽薄な文句商量(しょうりょう・かけひき)で問答しても禅は自分の宝とはならない。

おかしくも哀れな北方の禅者もどきである。

あの従漪の老いぼれも、西院に参じたのは間違いだった。

南方禅を知って(北方禅を去ったことは)賢明なことだったと、若い時の自慢話をしているが、そんな認知力ではとても駄目だ。(錯々=シャクシャク・・天平和尚、間違いだらけでモノになっていないよ)

西院がもてあました天平を、わし(雪竇)は、両錯(りょうしゃく)で吹き飛ばしてしまったぞ。

(また座下の者に云く)わしの申し分に「錯」と水を差す奴がいたら、わしの「錯」と天平の「錯」を見比べて見よ。

錯は錯でも大違いだ。どうだ・・解かるかナ?

  *禅家流(ぜんけりゅう)にして軽薄(けいはく)を愛す。

   満肚参(まんとさん)じ来(き)たって用(もち)うることをえず。

   悲しむに堪(た)えたり、笑うに堪えたり、天平老(てんぴょうろう)。

   却(かえ)って謂う當初(そのかみ) 悔(くゆ)らくは行脚せしことを、と。

   錯、錯。西院の清風、頓(とん)に銷鑠(しょうしゃく)す。

  (また云く)忽(たちま)ちこの衲僧(のうそう)あって出でて錯と云わんに、

   雪竇(せっちょう)の錯は天平の錯といずれぞや。

 

 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO99

碧巌録 第九十九則 国師 粛宗 十身調御 (ちゅうこくし しゅくそう じゅっしんちょうご)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示して云った。

龍が吟ずると雲霧が起こり、虎が嘯(うそぶ)くと風が生ずる・・龍虎には、これだけの霊力が備わっているが、霊妙なるものは龍虎に限らないぞ。

絶対の真理、禅の根本、禅者の行いは・・古代音楽が金鈴で始まり、最後に玉を鳴らして奏楽を終えるように・・相方の放った鏃(やじり)が真正面、空中で衝突して、二矢ながら地に落ちるように・・禅による生活(境地の禅者)は,測りがたい深度を持つ。

この禅者の大道は、人生、裸で生きるべし。露裸裸に、隠すことなく、不増不減・不垢不浄に存在している。

さて、それは、どんな人物の境涯なのか・・試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、龍 吟ずれば霧起こり、虎 嘯(うそぶ)けば風生ず。

   出世の宗猷(しゅうゆう)は金玉相振(きんぎょくあいおさ)む。

   通方(つうほう)の作略は箭鋒相拄(せんぽうあいささ)う。

   徧界(へんかい)かくさずして、遠近にひとしく彰(あら)われ、

   古今に明らかに辦(べん)ぜり。

   且(しば)らく道()え、これ什麼人(なんびと)の境界(きょうがい)なるぞ。

   試みに挙す看よ。

 

【本則】ある日、唐の粛宗皇帝が、慧忠国師に質問した。

「最近、世間で、十身調御と言われているのは何のことですか」

りのに優れた十の属性が備わる・・求道者を馬に例え、釈尊を調教師に例えたこと)

慧忠「陛下・・どうぞ光明遍照(こうみょうへんじょう=大仏のこと)を、頭ごなしに踏み倒して行きなさい」

帝「国師よ。貴方の云われる意味が解りません」

(欣求祈願の尊き大仏を踏みつけろ・・とは?)

慧忠「自分を偶像化するのは間違いですぞ(禅臭きは禅ではない)」

  *擧す。粛宗(しゅくそう)皇帝、忠国師(ちゅうこくし)に問う。

  「如何なるか、これ十身調御(じゅっしんちょうご)

   国師云く「檀越(だんのつ)よ、毗慮頂上(びるちょうじょう)を踏んで行け」

   帝云く「寡人不會(かじんふえ)

   国師云く「自己をも清浄法身(せいじょうほっしん)と認むることなかれ」 

 

【頌】南陽の白崖山から大唐の都に迎えられ、帝王の師となった慧忠国師の逸話は、ちょうど、達磨大師が梁の武帝と面談した時(碧巌録第一則聖諦第一義)と、まったく同じ出来事だ。

(第一則スタート話と九十九則・・ラストくくりの話、全くバランスが取れている。

当時の寺僧が後生大事にしていた「清浄法身」を、大槌の一撃で粉々に打ち砕いたのは、「達磨、無功徳」に勝るとも劣らない「禅者の一語」だ。

これでサッパリ天地の間に何ものもなくなってしまった。

夜、さらに深く、海底に眠る龍の棲窟(すくつ)に忍び込んで、いったい誰がその咢(あぎと)に抱える珠を取り得ようぞ。

マア・・南陽慧忠にしか出来ないことだろう。

  *一国の師ともまた強()いて名づけたるなり。

   南陽(なんよう)にはひとり許す嘉聲(かせい)を振(ふる)るうことを。

   大唐、扶(たす)け得()たり眞の天子。

   曾(かっ)て毗盧頂上(びるちょうじょう)を踏()んで行かしむ。

   鐵鎚もて撃砕せり黄金の骨。天地の間、更に何物かある。

   三千刹海夜沈沈(さんぜんせっかい よるちんちん)

   知らず誰か蒼龍窟(そうりゅうくつ)に入りしぞ。

 

【附記】この粛宗皇帝とあるのは、実は、代宗皇帝である・・粛宗皇帝が762年世寿52才で崩御。慧忠の死は、それより13年後、775年であり、この問答は、慧忠国師の臨終に、粛宗皇帝が立ち会える訳がないので、代宗皇帝49才の歳であり、代宗皇帝と慧忠国師の対話と見るのが正解でしょう。(景徳傳燈録)

*粛宗皇帝と忠国師=第18則「忠国師 無縫塔」附記に紹介。

佛教歴史の上で、唐の玄宗・粛宗・代宗の三皇帝は、佛教、参禅に厚くしたとしても、民を忘れた政治、女色、放蕩をかさねた。

それを仏教の外護者として祭り上げる寺僧の旦那傾向は、支那に限らず、その後の日本仏教界にも深く影響しており、宗教家もこうなっては、一種の幇間(ほうかん)にすぎない・・(碧巌録新講話 井上秀天著 京文社書店発行より抜粋)

支那禅宗の歴史を調べてみると、間違った禅のあり方に、黙照禅と、実習が伴わない大言壮語の空見識禅の二つがある。例えば、経を読まない、礼拝もしない、昼はゴロゴロと昼寝をして、夜に少し坐禅をする・・宗教のまず外形に属すると思われるところのものを、形の上でも心の上でも放埓にして、引き締めることが出来ない・・この二つの(禅宗)弊害のために、唐の中頃から宋の末頃、禅は次第に衰えていったものと思われる・・(禅問答と悟り 鈴木大拙・禅選集2 ㈱春秋社 Ⅱ悟り八項 抜粋)

 

現代・・学問や芸術や社会の仕組みなど、すべて組織化、情報化されて、電磁的(バーチャル)社会に一体化していく・・例えばスマホ集団など・・本来、人の持つ個(弧・独)の免疫が消失していく気がしてならない。

欧米に「ZEN」が広まっているとしても、香を聴くことのできない、見るを「看る」としない・・科学(相対)的な、ギリシャ以来の哲学、論理の社会では、頓悟禅はナカナカの年月では醸成できないでしょう。精神病の治療に良いとか・・フォースを持つヨーダのような禅者・・SF映画としては面白くとも、そんな禅者はありえません。あるいは麻薬を使用して、一種の禅境地に至るとか・・悟りを誤解して、はなはだしい状況であり、伝統の禅は、一度、完全にご破算にしないとならない時代となりはてました。

ですから、あらためて役立たず=達磨、無功徳(むくどく)の禅を「三分・独りポッチ禅」として提唱している次第です。

おりに・・はてなブログ ●禅のパスポート・・無門関意訳 ●禅 羅漢と真珠・・禅の心、禅の話を ご覧ください。

 

碧巌の歩記(あるき)NO100 ・・全面補足改定6・25

お知らせ・・2017-6-23

PC故障、再生不良を機に、碧巌録意訳の第二稿は、この百則から逆に、則を若返らせて、第一則に至らせる・・終わりのはじめ・・からスタートします。

何が残念かと言えば、古い中国の漢字の登録が消失したこと。

 この最終則は、僧堂師家 提唱にならって、和訳のみ行います。

 

はてなブログ 碧巌の歩記(あるき)⇒「碧巌録」講話・意訳 

禅のパスポート⇒「無門関」講話・意訳・・の附記、解説は、今後、はてなブログ「禅・羅漢と真珠」で、追記、解説していきます。                                           

碧巌の歩記 第百則を、禅寺の師家、提唱に倣って、和訳のみとしたところ、早速に奉魯愚(ブログ)読者の方から連絡がありました。独り3分間ボッチ禅は、誰とも語らない「役立たず」の坐禅だからこそ、碧巌録や無門関の意訳が頼りです。素玄居士の頌というか評語というか・・禅の悟りの言葉、心境の表明に愕然としました。驚きと既成の思惑の払拭に、随分、役立ちます。意訳や附記は出来るだけ、平易に紹介してください・・との要望です。

PCがいかれて、10年来の貯め込んだ解説、語源などのデスク再生がままならず、積年の読者の方がたには迷惑をおかけしています。また、新しくスタートさせるだけですから、随想・雑記「羅漢と真珠」時々、覗いてやってください。

「人生・・裸で歩むべし」

露裸々(ロララ)に奉魯愚(ぶろぐ)していきます。

以下、碧巌の歩記 第百則の意訳です。

 

巴陵 吹毛釼 (はりょうすいもうけん)  第百則

【垂示】圓悟が求道者に垂示した。

この提唱をして、随分の月日が経ったが、何時も、因果とか、始終とかの一切の葛藤を放下して、お前たちに説話してきた。

しかしながら、誰かここに出てきて「九十日間も講話もし、説法もしながら、今更に、説(と)かない・・とは、どうゆうことですか?」と、言う者がいたなら、その者に向かって「よし、その理由が聞きたいなら、悟って出直してこい」といってやろう。

サテ、その・・曾(か)って説かず・・というのは、文字で説明すれば、ただちに「禅」に違反するからだろうか・・または、何も説(と)かない、何も説けないこと・・だからであろうか・・試みに例を挙げるから、得心の者・・はたしているだろうか。

【垂示】垂示に云く、因を収め、果を結び、始を盡(つく)し、終を盡し、対面して私なく、もとより曾(かっ)て説かざりしも、忽(たちま)ちこの出(い)で来たって、一夏(いちげ)、請益(しんえき)せしに、何んとしてか曾(かっ)て説かざりしと道(い)う(者)あらば(われは道いわん)儞(なんじ)が悟り来たるを待って、汝に向かって道(いわ)んと。且(しば)らく道(い)え、またこれ当面に諱却(いきゃく)するがためか。また別に長處(ちょうじょ)あるがためか。試みに挙(こ)す看よ。

*収因結果~ あらゆる相対、分別の出来事を超越して・・の意

*対面無私~ 彼我対面していても彼我相対の意識なく・・の意

*請益 講話、提唱・・の意

*当面 すぐさまに・・の意

*諱却 背反、違背の意

 

【本則】挙す。

求道者が巴陵顥鑒(はりょうこうかん)に「般若の働きを、よく切れる刀=吹毛の釼に例えられますが、いかなるものでありましょうか」と質問した。

すると禅者で詩人でもある巴陵の一言「珊瑚は、どの枝にも、沢山の名月がキラキラ輝いている」と答えた・・ソウナ。

【本則】挙す。僧、巴陵(はりょう)に問う「いかなるか 是れ 吹毛(すいもう)の釼(けん)」

陵云く「珊瑚(さんご)は枝々(しし)に月を撐着(とうちゃく)せり」

*吹毛の釼・・よく切れる刀・・ここでは般若の働きをいう。

*撐着・・含有、包含、抱擁の意

 

【頌】吹毛の釼は、迷妄を裁断して、金石麗生の輝きを放っているが、未悟の凡眼には映らない。しかし般若(禅)の働きは、天地いっぱい(この指先にも)未来永劫に活躍している。科学や分別・知識の及ぶところではない。ナント素敵なことだろう!

珊瑚の枝ひとつずつに、月の輝きの断片が、余すところなく輝いている・・とは。

【頌】不平をたいらげんことを要するも、大功は拙なるがごとし。

あるいは指をもて、あるいは掌(たなごころ)をもて、天によって雪を照らせり。大冶(だいや)も磨礱(まろう)しえず。良工も拂拭(ほっしゅう)して未だやまず。

別別(べつべつ)。珊瑚は枝々に月を撐着(とうちゃく)すとは。 

 

*要平不平・・般若の働きは、迷妄を切り払うの意

*大功若拙・・森羅万象の般若の働きは、俗人には映じていない。

*或指或掌~ 般若の妙用は天にも地にも、風雪にも現前しているの意

*大冶兮磨~ いかなる聖人、君子でも般若の働きを左右することは出来ないの意

*別別・・はやし言葉「素敵だ」「なんとも凄い」の意

*巴陵顥鑒・・第十三則 岳州巴陵の新開院 顥鑒和尚のこと。

法系では雲門文偃の弟子。年齢不詳。洞庭湖の東岸に禅居した詩禅一昧の禅者。この珊瑚の枝~の句は、巴陵の先輩、善月貫休「懐友人詩」の一句を引用している。