碧巌の歩記(あるき)NO97 

●天の川に放牧されている牽牛をつれてきない・・!

碧巌録 金剛経罪業消滅 

    (こんごうきょう ざいごうしょうめつ) 第九十七則

 【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

ある時には有無を言わさずに捕(つか)まえ、ある時には自由、放逸(ほういつ)にとき放って自在の活動が出来ても、まだ作家(さっけ)たる資格はない。また一つを挙げて三つを明らかにする勝(すぐ)れ者でも、禅者から見れば、まだまだ、一字(無・空)を任せたぞ・・とは言えない。

直ちに天地を顛倒(てんとう)させたり、秀逸な言句で人を魅了したり、一閃、雷の如くはしり、雲の如く行き、天から滝のような雨を降らせ活発迅速な行動が出来たとしても、まだまだ、雷神の子供ていど。せいぜい人のヘソを盗む悪ふざけだ。要は中途半端なのだ。

さあて、この奉魯愚をご覧の中に、天の川に放牧されている牽牛星=アルタイルの牛を、犬もろともに引き摺り(ひず)降ろし、畑仕事に使いこなせる力量の者がいるか・・どうか。試みに挙す看よ。

  *垂示に云く。一を拈(ねん)じ、一を放(はな)つも、

   未(いま)だこれ作家にあらず。

   挙一明三(こいちみょうさん)なるも、なお宗旨に乖(そむ)く。

   直(じき)に天地を徒變(とへん)し,四方に絶唱(ぜっしょう)し、

   雷(のごとく)奔(はし)り、電(のごとく)馳(は)せ、雲(のごとく)行き、

   雨(のごとく)驟(はし)り、湫(しゅう)を傾(かたむ)け、嶽(ごく)を倒し、

   甕(かめ)を潟(なが)し、盆(ぼん)を傾(かたむ)けうるも、

   いまだ一半(いっぱん)をも提得(ていとく)せず。

   また天關(てんかん)を転ずることを解(げ)し、

   よく地軸(ちじく)を移す底(てい)ありや。試みに挙す看よ。

【本則】インドの経典「金剛経」の中で・・釈尊須菩提(すぼだい)に訓戒された語の一節を取り上げ、公案にした。

金剛経を読誦(どくしょう)して、他の人の謗(そし)りをうけるようなことがあるかも知れないが、何でもないこと。良いことをして誹謗されるのは、かえって望ましいことである。軽蔑された人が、前世に罪業をつくり、未来に三悪道(地獄・餓鬼・畜生)へ転生の運命が定まっているとしても、この世で、謗りや軽蔑を甘受したという理由で、一切の罪障(ざいしょう)は消滅するだろう」とある。

   *擧す。「金剛経(こんぎょうきょう)」に云く。

    「もし人のために軽賤(きょうせん)せられんに、

     この人、先世(ぜんせ)の罪業(ざいごう)によって、

     まさに悪道(あくどう)に堕(だ)すべきも、

     今、世の人に軽賤せられしをもっての故に、

     先世の罪業は、即ち、ために消滅(しょうめつ)せん」 

 

【頌】明珠のような金剛般若(こんごうはんにゃ)は、私の手のひらに載っているから、これを解かる者がいたら何時でも与えよう。

だが胡人、漢人の中に、明珠を貰い受ける資格者はいないようだ。

たしかに金剛般若の実相は「一切空」だから、胡人や漢人が受け取れる訳がない。「空」は、どうこうできる代物ではないから手の出しようがない。

釈尊(グーダマ・シッダルダ)よ・・アナタは、ご自分が何者であるか・・ご承知ですか?(はたして貴方に、この明珠を受け取る資格がおありですか?)

アナタの一挙手一投足、すべて詳細に点検し尽くし、見抜いておりますよ

  *明珠(みょうじゅ)は掌(たなごころ)にあり。

   功ある者を賞(しょう)せん。胡(こ)も漢(かん)も来(き)たらず。

   全(まった)く伎倆(ぎりょう)なし。伎倆すでになし。

   波(は)旬(はじゅん)も途(と)に失(しっ)す。

   瞿曇(ぐどん)瞿曇、我を識るやいなや。(復また云く)

   勘破了也(かんぱりょうや)。

 

【附記】経典を読誦、信心すれば、あらたかな功徳が得られる・・と、現代人が思っているとしたら、千年前の、龍潭(りゅうたん)、徳山(とくさん)、雪竇(せっちょう)や圓悟(えんご)など、禅者たちに笑われることになります。

イヤ・・そうじゃないと・・まだ頑固に言い張る人に・・お尋ねします。

薬の効能書きを朝夕・・高らかに読み上げたら、病気が治りますか?

薬を飲んで、悩み苦しみが消滅して、心身ともに健康になっても、まだ医者にかかって薬を飲み続けますか?

活字印刷を知らない昔は、仏説ことごとく口伝で継承するか、筆写するだけであり・・この碧巌録(碧巌集)も、純禅の妨げになると焚書されたり、則名が二つも三つもあったり、垂示や評頌が抜けたり、つけ足し、し過ぎたりと、伝承の難しさ・・大変さを痛感していた時代であればこそ・・の、金剛般若の意義を問う・・則にしたのでしょう。

碧巌録第四則「徳山到潙山(とくさん いさんにいたる)」に登場する徳山宣鑑(とくさんせんかん 780~865)は、周金剛(しゅうこんごう)と言われた仏教学者でしたが、南方に教外別伝(きょうげべつでん)・直指人心(じきしじんしん)、禅という魔子(ます=悪魔)の教えが広まっているのを憂え、蜀(四川省)を出て、途中、澧州路で茶屋の婆さんに・・「いったい貴方は「点心」(昼飯)を・・金剛経に道う、過去・現在・未来の何処に点ずるのか・・」と問われて答えに窮し、一本負け。・・続いて龍潭崇信(りゅうたんすうしん)に会心(かいしん)の機(チャンス)を得て、背に担ぎ通した、後生大事の金剛経を焼き払った逸話がある・・このように、「禅」=禅による生活は、ただ・・不立文字(文字言句ではない)一語につきるのです。万巻の書、積年の坐禅修行・・すべて、大覚見性に役立たず・・この時代の求道者は、不惜身命(ふしゃくしんみょう)の素直な行脚で、禅による生活、人生を貫いています。

はてなブログ「禅のパスポート」無門関 講話意訳ご覧ください。

 

碧巌の歩記(あるき)NO98

まことに「シャク」にさわる話です!

禅者の一語は、限りなく「癪(シャク)」にさわる話です。    

でも、千年前の先達が、命がけで体得した「1語⇔1悟」です。

意訳を試みて解かったのは、「禅」は宗教(欣求)ではない。   

そして、その自覚(体験)は誰にも教導できない・・自知するのみであること・・そして「禅による生活」であることです。

過年來「3分間ひとりイス禅」を推奨してきました。

それを「ポッチ禅」と名付けました。

ただ自分一人で行うこと。

だだし、これをやったからと言って、効果(ご利益りやく)を期待しないでください。

まったく役立たずの「独りポッチ禅」を覚悟ください。

坐禅の時間も、タッタノ三分間ポッチを一回とすること。

姿勢を正して、リラックスして、たがが三分・・されど三分・・独り・・役立たずの禅を・・無料体験してください。

坐禅=結跏趺坐とか、両手はどうするのか・・正座しようが、胡坐(あぐら)をかこうが、椅子に坐ろうが、寝たままだろうが、印を結ぼうが、膝の上に置こうが、こだわらず、ご自由にどうぞ。(熟睡の時、両手の位置などこだわっていますか?)

呼吸を数える(数息すうそく)に飽きたら、ここに意訳した、千年前の禅者の語録「碧巌録」他・・「はてなブログ 禅のパスポート=無門関」・・どの【本則】、どの【垂示】【頌】でも、読み散らした中で「?」と思った一つ・・その内容を「何故・・どうして?」と、くりかえし、ポッチ禅の公案(問題)として納得できるかどうか・・反芻(思い返)してください。どの話も求道者が命がけで追究した、限りなく矛盾あふれる実話です。

自分なりに、ハッと正解が閃くことも出てきましょうが、その内容は聞くまでもなく、すべて・もれなく、百%・「錯(しゃく)」=間違いです。

変な言い方ですが、禅の公案は、頭の中で「考えることを考えさせる」・・矛盾に満ちた方法なのです。どんなに工夫坐禅しても、正解が見つけられないからこそ、考えさせる・・究極の「頭脳の休息=放下」方法なのです。仏教用語では「煩悩を断ち切る金剛の宝剣」略して「禅」と云います。どうかして自分の利権になるものを得たい・・これを本能・煩悩と呼びます。その煩悩を断ち切る宝剣・・それは何の利害損得もない・役に立たない・禅を、深く行ずることなのです。         

千年前の達道の禅者は、独りポッチ、役立たずの生活・坐禅の中で自覚しました。

宗教にいたる以前に釈尊であれ、達磨であれ、この則 天平従漪(てんぴょうじゅうい)であれ、自分が自分で、独り見性大覚しました。さてホントに・・シャクな話はここからです。 

碧巌録 天平行脚 

(てんぴょうあんぎゃ/天平の両錯りょうしゃく) 第九十八則

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

禅寺で一夏(いちげ)、九十日間の法会(修行)が大事とばかり、全国、アチコチの僧堂で師家達が、語録を基に悟り体験を吹聴して、坊さんの素をこねくり回して寺の跡継ぎを作っている。

人生、老病死苦の悩み・・一切を金剛の宝剣で斬りつけて見れば、寺僧のやっていることは、実は嘘も方便・・赤信号、皆で渡れば怖くない・・方式のことだと理解できるだろう。

サテサテ、一切の閑葛藤(かんかっとう・悩みの藤づる)を裁断する金剛の宝剣とは何か。

眼を見開いて、その切れ味を見せてもらいたいものだ。

 *垂示に云く、一夏、澇々(ろうろう)として葛藤(かっとう)を打(だ)し、

  ほとんど五瑚(ごこ)の僧を絆倒(ばんとう)す。

  金剛(こんごう)の宝剣もて當頭(とうとう)に截(き)らば、

  始めて覚(さと)らん従来の百(もも)不能(ふのう)なりしことを。

  且らく道え、作麼生(そもさん)か是れ金剛の宝剣なるぞ。

  眉毛を眨上(そうじょう)して、試みに請(こ)う、鋒鋩(ほうぼう)をあらわせよ。看ん。

【本則】相州天平山(てんぴょうざん)の従漪(じゅうい)和尚が、まだ雲水の頃、河南省汝州(じょしゅう)の西院思明(さいいんしみょう)の所にやってきた。尋ねて来たものの、彼は、日頃、思明和尚の提唱ぶりが不満とみえ「大きな看板を立てて、師家ぶるのはやめなさい。禅の何たるかも知らないで・・」と、思明和尚に聞こえよがしに文句をいっていた。

ある日、思明和尚これを聞きつけて「おい、従漪」と呼んだ。

従漪和尚、ビックリして彼の方を見ると、思明和尚は「錯(しゃく)」(うぬぼれるな、その考えは間違いだぞ)と叱った。

考えることを考える・・

「間違い話⇔シャク」にさわる問答の開幕である。

従漪和尚が自分の部屋に、二,三歩行きかけると、思明和尚は、再び呼び止めて「錯」といった。

従漪和尚、何か言いかけようとして思明和尚に近づくと、思明和尚が言うのに「さっきからお前さんに二度ばかり『錯』といったが、元来、わしが錯であるのか、お前さんが錯であるのか」と問うた。

従漪「私の錯です。私が悪(わる)うございました」

思明「錯」(誰も禅の神髄を理解していない。お前さんは悪くない)と答えた。

これを聞いた従漪は、ひとまず安心した。

思明「この一夏(いちげ)、寺に居て、わしが錯か、お前さんが錯か、話をしようではないか・・」

しかし従漪和尚は何故か、その誘いが気に入らず、寺を出てしまった。

それから、随分あとのこと・・

従漪は、のちに天平山の大禅師となった。

ある時その天平従漪が、座下の求道者にいった。

「わしが青年時代、行脚のおりだったが、何の因果か思明和尚に、二度も「錯」を浴びせかけられた上、一夏安居(あんご修行)せよ。お互いの錯問題を話したいから・・と言われた。

けれど、わしは、思明和尚の、ただ今の言葉は『錯』です・・とは言わなかった。

私が北方支那を去り、南方支那の禅を識ると、大変に相違していて、北方禅の理屈はテンで通用しなかった。

それで、わしは、思明和尚の寺を去る時「錯」の捨て台詞(ぜりふ)は云わなかったが、あの寺を去った事実そのものが、実は思明和尚に向って「錯」と云ったのと同じであることがわかった」と語った。

 *擧す、天平和尚 行脚(あんぎゃ)の時、西院に参じたり。

  常に云く、「道(い)うことなかれ仏法を得(え)すと。

  この挙話(こわ)の人を覓(もと)むるに、またなからん」

  一日 西院、遙かに見て召して云く「従漪(じゅうい)」

  平頭(ぴょう あたま)を挙(あ)ぐ。西院云く「錯(しゃく)」

  平、行くこと両三歩。西院また云く「錯」。平、近前す。

  西院云く「適来(てきらい)のこの両鐯(りょうしゃく)、

  これ西院が錯か、これ上座(じょうざ)が錯か」

  平云く「従漪が錯なり」平、休(きゅう)しさる。

  西院云く「且(しば)らく這裏(しゃり)にあって夏(げ)を過ごせ。

  上座とともに、この両鐯を商量(しょうりょう)せんことを待たん」

  平、當(その)時(かみ)便(すなわ)ち行く。

  後に住院(じゅういん)して衆に謂(い)って云く

「我 當初(そのかみ)、行脚の時、業風(ごうふう)に吹かれて思明長老の處に到(いた)りし(時)両鐯を連下(れんげ)せられ、更に我を留(とど)めて夏(げ)を過ごして、我と共に商量せんこと待たしむ。我、恁麼(いんも)の時には錯とは道(い)わざりしも、われ発足(ほっそく)して南方に向って去りし時、はやく錯と言いおわりたるを知れり」 

【頌】西院の思明和尚は、修行中の従漪を相手に、ひと夏、お互い議論しょうと持ちかけた。これは拙劣な模倣禅だった。

そんな軽薄な文句商量(しょうりょう・かけひき)で問答しても禅は自分の宝とはならない。

おかしくも哀れな北方の禅者もどきである。

あの従漪の老いぼれも、西院に参じたのは間違いだった。

南方禅を知って(北方禅を去ったことは)賢明なことだったと、若い時の自慢話をしているが、そんな認知力ではとても駄目だ。(錯々=シャクシャク・・天平和尚、間違いだらけでモノになっていないよ)

西院がもてあました天平を、わし(雪竇)は、両錯(りょうしゃく)で吹き飛ばしてしまったぞ。

(また座下の者に云く)わしの申し分に「錯」と水を差す奴がいたら、わしの「錯」と天平の「錯」を見比べて見よ。

錯は錯でも大違いだ。どうだ・・解かるかナ?

  *禅家流(ぜんけりゅう)にして軽薄(けいはく)を愛す。

   満肚参(まんとさん)じ来(き)たって用(もち)うることをえず。

   悲しむに堪(た)えたり、笑うに堪えたり、天平老(てんぴょうろう)。

   却(かえ)って謂う當初(そのかみ) 悔(くゆ)らくは行脚せしことを、と。

   錯、錯。西院の清風、頓(とん)に銷鑠(しょうしゃく)す。

  (また云く)忽(たちま)ちこの衲僧(のうそう)あって出でて錯と云わんに、

   雪竇(せっちょう)の錯は天平の錯といずれぞや。

 

 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO99

碧巌録 第九十九則 国師 粛宗 十身調御 (ちゅうこくし しゅくそう じゅっしんちょうご)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示して云った。

龍が吟ずると雲霧が起こり、虎が嘯(うそぶ)くと風が生ずる・・龍虎には、これだけの霊力が備わっているが、霊妙なるものは龍虎に限らないぞ。

絶対の真理、禅の根本、禅者の行いは・・古代音楽が金鈴で始まり、最後に玉を鳴らして奏楽を終えるように・・相方の放った鏃(やじり)が真正面、空中で衝突して、二矢ながら地に落ちるように・・禅による生活(境地の禅者)は,測りがたい深度を持つ。

この禅者の大道は、人生、裸で生きるべし。露裸裸に、隠すことなく、不増不減・不垢不浄に存在している。

さて、それは、どんな人物の境涯なのか・・試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、龍 吟ずれば霧起こり、虎 嘯(うそぶ)けば風生ず。

   出世の宗猷(しゅうゆう)は金玉相振(きんぎょくあいおさ)む。

   通方(つうほう)の作略は箭鋒相拄(せんぽうあいささ)う。

   徧界(へんかい)かくさずして、遠近にひとしく彰(あら)われ、

   古今に明らかに辦(べん)ぜり。

   且(しば)らく道()え、これ什麼人(なんびと)の境界(きょうがい)なるぞ。

   試みに挙す看よ。

 

【本則】ある日、唐の粛宗皇帝が、慧忠国師に質問した。

「最近、世間で、十身調御と言われているのは何のことですか」

りのに優れた十の属性が備わる・・求道者を馬に例え、釈尊を調教師に例えたこと)

慧忠「陛下・・どうぞ光明遍照(こうみょうへんじょう=大仏のこと)を、頭ごなしに踏み倒して行きなさい」

帝「国師よ。貴方の云われる意味が解りません」

(欣求祈願の尊き大仏を踏みつけろ・・とは?)

慧忠「自分を偶像化するのは間違いですぞ(禅臭きは禅ではない)」

  *擧す。粛宗(しゅくそう)皇帝、忠国師(ちゅうこくし)に問う。

  「如何なるか、これ十身調御(じゅっしんちょうご)

   国師云く「檀越(だんのつ)よ、毗慮頂上(びるちょうじょう)を踏んで行け」

   帝云く「寡人不會(かじんふえ)

   国師云く「自己をも清浄法身(せいじょうほっしん)と認むることなかれ」 

 

【頌】南陽の白崖山から大唐の都に迎えられ、帝王の師となった慧忠国師の逸話は、ちょうど、達磨大師が梁の武帝と面談した時(碧巌録第一則聖諦第一義)と、まったく同じ出来事だ。

(第一則スタート話と九十九則・・ラストくくりの話、全くバランスが取れている。

当時の寺僧が後生大事にしていた「清浄法身」を、大槌の一撃で粉々に打ち砕いたのは、「達磨、無功徳」に勝るとも劣らない「禅者の一語」だ。

これでサッパリ天地の間に何ものもなくなってしまった。

夜、さらに深く、海底に眠る龍の棲窟(すくつ)に忍び込んで、いったい誰がその咢(あぎと)に抱える珠を取り得ようぞ。

マア・・南陽慧忠にしか出来ないことだろう。

  *一国の師ともまた強()いて名づけたるなり。

   南陽(なんよう)にはひとり許す嘉聲(かせい)を振(ふる)るうことを。

   大唐、扶(たす)け得()たり眞の天子。

   曾(かっ)て毗盧頂上(びるちょうじょう)を踏()んで行かしむ。

   鐵鎚もて撃砕せり黄金の骨。天地の間、更に何物かある。

   三千刹海夜沈沈(さんぜんせっかい よるちんちん)

   知らず誰か蒼龍窟(そうりゅうくつ)に入りしぞ。

 

【附記】この粛宗皇帝とあるのは、実は、代宗皇帝である・・粛宗皇帝が762年世寿52才で崩御。慧忠の死は、それより13年後、775年であり、この問答は、慧忠国師の臨終に、粛宗皇帝が立ち会える訳がないので、代宗皇帝49才の歳であり、代宗皇帝と慧忠国師の対話と見るのが正解でしょう。(景徳傳燈録)

*粛宗皇帝と忠国師=第18則「忠国師 無縫塔」附記に紹介。

佛教歴史の上で、唐の玄宗・粛宗・代宗の三皇帝は、佛教、参禅に厚くしたとしても、民を忘れた政治、女色、放蕩をかさねた。

それを仏教の外護者として祭り上げる寺僧の旦那傾向は、支那に限らず、その後の日本仏教界にも深く影響しており、宗教家もこうなっては、一種の幇間(ほうかん)にすぎない・・(碧巌録新講話 井上秀天著 京文社書店発行より抜粋)

支那禅宗の歴史を調べてみると、間違った禅のあり方に、黙照禅と、実習が伴わない大言壮語の空見識禅の二つがある。例えば、経を読まない、礼拝もしない、昼はゴロゴロと昼寝をして、夜に少し坐禅をする・・宗教のまず外形に属すると思われるところのものを、形の上でも心の上でも放埓にして、引き締めることが出来ない・・この二つの(禅宗)弊害のために、唐の中頃から宋の末頃、禅は次第に衰えていったものと思われる・・(禅問答と悟り 鈴木大拙・禅選集2 ㈱春秋社 Ⅱ悟り八項 抜粋)

 

現代・・学問や芸術や社会の仕組みなど、すべて組織化、情報化されて、電磁的(バーチャル)社会に一体化していく・・例えばスマホ集団など・・本来、人の持つ個(弧・独)の免疫が消失していく気がしてならない。

欧米に「ZEN」が広まっているとしても、香を聴くことのできない、見るを「看る」としない・・科学(相対)的な、ギリシャ以来の哲学、論理の社会では、頓悟禅はナカナカの年月では醸成できないでしょう。精神病の治療に良いとか・・フォースを持つヨーダのような禅者・・SF映画としては面白くとも、そんな禅者はありえません。あるいは麻薬を使用して、一種の禅境地に至るとか・・悟りを誤解して、はなはだしい状況であり、伝統の禅は、一度、完全にご破算にしないとならない時代となりはてました。

ですから、あらためて役立たず=達磨、無功徳(むくどく)の禅を「三分・独りポッチ禅」として提唱している次第です。

おりに・・はてなブログ ●禅のパスポート・・無門関意訳 ●禅 羅漢と真珠・・禅の心、禅の話を ご覧ください。

 

碧巌の歩記(あるき)NO100 ・・全面補足改定6・25

お知らせ・・2017-6-23

PC故障、再生不良を機に、碧巌録意訳の第二稿は、この百則から逆に、則を若返らせて、第一則に至らせる・・終わりのはじめ・・からスタートします。

何が残念かと言えば、古い中国の漢字の登録が消失したこと。

 この最終則は、僧堂師家 提唱にならって、和訳のみ行います。

 

はてなブログ 碧巌の歩記(あるき)⇒「碧巌録」講話・意訳 

禅のパスポート⇒「無門関」講話・意訳・・の附記、解説は、今後、はてなブログ「禅・羅漢と真珠」で、追記、解説していきます。                                           

碧巌の歩記 第百則を、禅寺の師家、提唱に倣って、和訳のみとしたところ、早速に奉魯愚(ブログ)読者の方から連絡がありました。独り3分間ボッチ禅は、誰とも語らない「役立たず」の坐禅だからこそ、碧巌録や無門関の意訳が頼りです。素玄居士の頌というか評語というか・・禅の悟りの言葉、心境の表明に愕然としました。驚きと既成の思惑の払拭に、随分、役立ちます。意訳や附記は出来るだけ、平易に紹介してください・・との要望です。

PCがいかれて、10年来の貯め込んだ解説、語源などのデスク再生がままならず、積年の読者の方がたには迷惑をおかけしています。また、新しくスタートさせるだけですから、随想・雑記「羅漢と真珠」時々、覗いてやってください。

「人生・・裸で歩むべし」

露裸々(ロララ)に奉魯愚(ぶろぐ)していきます。

以下、碧巌の歩記 第百則の意訳です。

 

巴陵 吹毛釼 (はりょうすいもうけん)  第百則

【垂示】圓悟が求道者に垂示した。

この提唱をして、随分の月日が経ったが、何時も、因果とか、始終とかの一切の葛藤を放下して、お前たちに説話してきた。

しかしながら、誰かここに出てきて「九十日間も講話もし、説法もしながら、今更に、説(と)かない・・とは、どうゆうことですか?」と、言う者がいたなら、その者に向かって「よし、その理由が聞きたいなら、悟って出直してこい」といってやろう。

サテ、その・・曾(か)って説かず・・というのは、文字で説明すれば、ただちに「禅」に違反するからだろうか・・または、何も説(と)かない、何も説けないこと・・だからであろうか・・試みに例を挙げるから、得心の者・・はたしているだろうか。

【垂示】垂示に云く、因を収め、果を結び、始を盡(つく)し、終を盡し、対面して私なく、もとより曾(かっ)て説かざりしも、忽(たちま)ちこの出(い)で来たって、一夏(いちげ)、請益(しんえき)せしに、何んとしてか曾(かっ)て説かざりしと道(い)う(者)あらば(われは道いわん)儞(なんじ)が悟り来たるを待って、汝に向かって道(いわ)んと。且(しば)らく道(い)え、またこれ当面に諱却(いきゃく)するがためか。また別に長處(ちょうじょ)あるがためか。試みに挙(こ)す看よ。

*収因結果~ あらゆる相対、分別の出来事を超越して・・の意

*対面無私~ 彼我対面していても彼我相対の意識なく・・の意

*請益 講話、提唱・・の意

*当面 すぐさまに・・の意

*諱却 背反、違背の意

 

【本則】挙す。

求道者が巴陵顥鑒(はりょうこうかん)に「般若の働きを、よく切れる刀=吹毛の釼に例えられますが、いかなるものでありましょうか」と質問した。

すると禅者で詩人でもある巴陵の一言「珊瑚は、どの枝にも、沢山の名月がキラキラ輝いている」と答えた・・ソウナ。

【本則】挙す。僧、巴陵(はりょう)に問う「いかなるか 是れ 吹毛(すいもう)の釼(けん)」

陵云く「珊瑚(さんご)は枝々(しし)に月を撐着(とうちゃく)せり」

*吹毛の釼・・よく切れる刀・・ここでは般若の働きをいう。

*撐着・・含有、包含、抱擁の意

 

【頌】吹毛の釼は、迷妄を裁断して、金石麗生の輝きを放っているが、未悟の凡眼には映らない。しかし般若(禅)の働きは、天地いっぱい(この指先にも)未来永劫に活躍している。科学や分別・知識の及ぶところではない。ナント素敵なことだろう!

珊瑚の枝ひとつずつに、月の輝きの断片が、余すところなく輝いている・・とは。

【頌】不平をたいらげんことを要するも、大功は拙なるがごとし。

あるいは指をもて、あるいは掌(たなごころ)をもて、天によって雪を照らせり。大冶(だいや)も磨礱(まろう)しえず。良工も拂拭(ほっしゅう)して未だやまず。

別別(べつべつ)。珊瑚は枝々に月を撐着(とうちゃく)すとは。 

 

*要平不平・・般若の働きは、迷妄を切り払うの意

*大功若拙・・森羅万象の般若の働きは、俗人には映じていない。

*或指或掌~ 般若の妙用は天にも地にも、風雪にも現前しているの意

*大冶兮磨~ いかなる聖人、君子でも般若の働きを左右することは出来ないの意

*別別・・はやし言葉「素敵だ」「なんとも凄い」の意

*巴陵顥鑒・・第十三則 岳州巴陵の新開院 顥鑒和尚のこと。

法系では雲門文偃の弟子。年齢不詳。洞庭湖の東岸に禅居した詩禅一昧の禅者。この珊瑚の枝~の句は、巴陵の先輩、善月貫休「懐友人詩」の一句を引用している。