【看よや 看よ・・誰か、岸辺に釣り竿を取る・・】

 

ヨヤ

古岸 何人杷釣竿ヲトル

            (竿頭ノ絲線 具眼方ニ知ㇽ)

雲 冉冉ゼンゼン  水 漫漫マンマン

名月蘆花 君自カラ

 

           碧巌集 第六十二則 雪竇 頌

*絲線(シセン・・釣り糸・釣り針・・釣り人の思惑がまるみえ・・の意)

*冉冉(ゼンゼン=沸き起こるさま。マンマン=深く湛えられたさま)

 

賀状をやめて久しいのですが・・今なお、年始のお便りが届くと嬉しいので,普通ハガキで、上記のような、語録の頌偈を所感にして差し上げています。

 

J-COM・奉魯愚を終了して、すでに「禅者の一語 はてなブログ 3分間ひとりイス禅」に移転しました。

これからは、この「はてなブログ」で、引き続き、ご覧いただければ幸甚です。

新年三日から碧巌の散策 第七十九回の歩記(あるき)である・・

「碧巌録 第七十九則 投子一切佛聲(とうす いっさいぶっせい)」から開始します。

 

第77則 転記します・・才市の下駄づくり=下駄の才市づくり・・溶け込んで区別できません!

 

碧巌の歩記(あるき)第77則~転記

浄土真宗妙好人の境地・・が、禅者の悟り(禅境地)と同じ・・とは、納得しづらいイメージですが、他力・自力を問わず、無心・安心の境地は、詩的な表現でなければ言い表しようがなく、また、その境地での生活・暮らしぶり=妙好による生活=禅による生活・・は、外見上、正直者で信心深い、仕事や結婚、子育てなど、暮らしにおいて一般の人と、なんら異なるものではありません。

何か、特別に、サトリによる功徳やゴリヤクがあるわけではありません。

妙好人にせよ、禅者にせよ、その特徴は二点・・ひとつは、民間の仕事人であり、誠実な社会人であり、寺僧や宗教・組織などの関与が、ヒドク少ないこと。

もう一つは、自己内面への・・ヒタスラな追究=瞑想や坐禅による・・求道求心の最中、突然、自己内面で・・禅でいえば頓悟する・・覚醒する・・ことです。

この内証(心理)は、ただ孤独な坐禅(瞑想)という行為によってのみ培われ、養生され、醗酵して仕上がる・・美酒そのもの・・と言えるのでしょう。

〇浅原才市・・

  • 讃岐(さぬき)の庄松(しょうま)・・その2(妙好人隋聞 楠 恭(くすのき きょう)著 ㈱星雲社

〇 あさましは言うも言わんもあさましや

  凡夫の自体これがあさまし。

 

〇 あさましと わが機ながめて嘆く大毒

  これはお慈悲にかなやせん

  ただあさましと慚愧(ざんき)するばかりなり

  親のこころが知れたなら

  なむあみだぶはわがものとなる。

 

〇 あなたおがむに

  体を清め心清めるこたできの(ぬ)

  抱かれておがむ なむあみだぶつ

  これが親様 なむあみだぶつ

 

  • 「庄松ありのままの記」抜粋

石田村の市蔵という同行が、庄松が重病で寝ているのを見舞いに来て「あなたが死んだら墓をたててつかわしましょ」と言うと、

庄松曰く、「おれは石の下には居らぬぞ」

 

妙好人のことを、七十四則と七十六則で紹介したのには、別段の意図はありません。

お尋ねの・・欣求仏教真宗信者の中に、禅と同様の「見性」があると言いたかっただけです。

私は・・「三分間ひとりイス禅」を提唱する者ですが、白鷗・大魯(故・父)が書した「南無阿弥陀仏」の墓にお参りする、平凡な浄土真宗の信者です。そして、私の中で、禅と浄土真宗は、なんら矛盾することなく、相まって、生き方を爽やかにしてくれている・・生活行為です。

よく、お前は「三分間ひとりイス禅」で、「禅者の一悟」を得たことがあるのか・・と問われます。

閑話休題(ソレハサテオキ)・・

浄裸々(じょうらら)な、浅原才市の「妙好人の一語」を、ご紹介しましょう。

〇 才市よい 自力・他力を聞かせんかい

  へ 自力他力はありません

  ただ いただくばかり。

木仏を焼けば,舎利(佛祖のお骨)が採れる・・とは・・

碧巌の散策 第七十六回の歩記(あるき)である・・

碧巌録 第七十六則 丹喫飯也未(たんか はんをきっすや いまだしや)

【垂示】圓悟が求道者に垂示する。

宇宙の実体は、細部を看るに米粉のごとく、極寒は氷霜の如くであるし・・遍在性を見ると、見事に宇宙に充満しているから、人の云う「明」とか「暗」とか、髙い、低いも、ともに無限だから、大悟徹底した禅者の積極的行為(把住)、消極的行為(放行)は、一挙手一投足、すべて自然(おのずから、しかり)だ。

さあ、おまえたちの中に、ズバリ、こんな鋭いことを言えるような徹底した者がいるか・・どうか。試みに挙す看よ。

*垂示に云く、細(さい)なることは米末(べいまつ)のごとく、

冷(れい)なることは氷霜(ひょうそう)に似たるも、

乾坤(けんこん)を逼塞(ひっそく)して、明を離れ、暗を絶(ぜっ)す。

低々(ていてい)たる處にては,これを観るに餘(あま)りあり。

高々(こうこう)たる處にては、これを平ぐるにたらず。

把住も放行もすべて這裏(しゃり)のところにあり。

また出身の處 ありやいなや。試みに挙す看よ。

 

【本則】

ある日一人の求道者が、丹霞山(たんかざん)の天然和尚の処にやってきた。

丹霞「どこからお出でたのかな」

求道者「丹霞山のふもとから、登ってきました」と奇抜な風の答え方をした。

丹霞「ウム・・下から上にか。それはそうと飯は食ったか、まだか?」

求道者「もう、いただきました」

丹霞「お前さんなんぞに飯を施す人がいるとは、世の中は広いものだ。どうだ。

その人は人物を鑑識する「真眼」はあつたか?」

求道者・・この鋭い禅者の問いに無語だった。

(これは九世紀初頭、鄧州南陽、丹霞山の禅院での問答だが、九世紀終ごろ

・・丹霞死後三十年後、福州雪峰山の禅林で、長慶慧稜と保福従展の間で、この話が蒸し返された)

長慶が保福にむかって「どうも、あの丹霞和尚の言い分が納得できません。丹霞和尚は、あの求道者に飯を食べさせた人は、眼なしだと言わんばかりですが、これは、如何なる立場から言えることでしょうか?」

保福「雲水、行脚をもって自任する者であるなら、ホドコシを受けるような意気地なしになる訳がない。飯を食わせる奴も奴だが、食わせてもらう奴も奴だ。施者も受者も、眼なしだね」

長慶「最善を尽くして、真に感謝する・・自己相応の慈善を行うことを、貴方は眼なしだ・・というのですか」

保福「おいおい・・私を眼なし扱して、わからず屋だと言うつもりかナ」

*擧す。丹(たん)霞(か) 僧に問う「いずれの處より来たるや」

僧云く「山下(ざんか)より来たれり」

霞(か)云く「喫(きっ)飯(ぱん)了(りょう)や、未(いま)だしや」

僧云く「喫飯了」

霞云く「飯をもちきたって、汝に喫(きっ)せしむる底(てい)の人、また眼(まなこ)を具(ぐ)するにや」

僧 無語。

長慶、保福に問う「飯をもって人をして喫せしむるは、恩を報ずるには分あるに、なんとしてか眼を具せざるにや」

福云く「施者(せしゃ)受者(じゅしゃ)ふたりともに瞎漢(かつかん)なり」

長慶云く「その機を盡(つく)しきたるも、また豁(かつ)となすやいなや」

福云く「我を瞎(かつ)と道(い)い得るにや」

 

【頌】自己の最善を尽くして物事をなす者を「わからず屋」とは言わない。

昔、インドの寓話に、ご先祖の墓に沢山のお供え物をして祈る人がいた。そこへ牛飼いが通りかかり、死んだ牛の頭を近くの草むらに押しつけて、「さあ、この草を食べろ、食べてくれ、おいしいぞ」とけしかけていた。

墓参りにきた人は、これを見て「ソンナ事をしたところで、死んだ牛が草を食べる訳がない」というと、その牛飼いは「あなたも、私のしたようなことをお墓でしているではありませんか」と逆ねじを食わせた・・逸話にもとづく。

禅を伝灯するインドの四十七師。中国、達磨から二十三代の祖師・・伝法者たちは、禅の印可相伝に大騒ぎを演じてきたが、禅は、そんな大袈裟な中に隠れているものではない。

イヤハヤ天上界、人間界、どこもかしこも、我利我利亡者(ガリガリモウジャ)の渦中に呑まれて、アップアップの溺死状態だ。

*機を盡(つく)さば瞎(かつ)となさず。

牛頭(ごず)を按(あん)じて草を喫(きっ)せしむ。

四七二三の諸祖師(しょそし)

寶器(ほうき)を持(じ)し来(き)たって過咎(かきゅう)をなせり。

咎深(かきゅうふか)し、

尋(たず)ぬるに處なく、天上人間は同じく陸沈(りんちん)

 

【附記】

丹霞天然(たんかてんねん=739~824)鄧州丹霞山に隠棲した、馬祖道一の弟子。石頭希遷に参禅。七十代の頃、寒中、慧林寺で木仏像を焼いて暖をとったという逸話のある禅者。

人に咎められると「仏像を焼いて、お前さん方が有難がる、佛陀の舎利(骨)をとる」といい、「木像に舎利があるものか」と言われると「舎利の無い仏像なら、いくら焼いたところで責められるイワレはないぞ」と答えたそうです。

コンナ気骨のある禅者は、今時、何処を探しても見つからない。

 

碧巌の散策 第七十五回の歩記(あるき)である・・

【人間は(地球にとって)フンコロガシである】

・・これは、2016-11-14  http://takedanet.com/

武田邦彦先生のブログ「科学と生命⑥」ヒトの資源・・を拝見しての意訳です。

先生は、昆虫「糞ころがし」の生態から、人間が、地球の廃棄物=石油、石炭空気、水、原子力・・その他を寄ってたかって、せっせと取り込んで生計を立てている「地球にとってのフンコロガシ」のようだ・・と、語っておられるのを、思わずメモしてご紹介しました。

しかも、それだけなら、まだしも、昆虫のフンコロガシに悖(もと)るのは、傲慢にも、生きている動植物を殺し、生活に利用し、殺人、戦争を行い、すべてが人間の為に存在しているかのような、正当化をしていることだ・・と意見されています。

PCで本物の昆虫「糞コロガシ」を見て感動しました。

彼らは動物の廃棄物「糞」の中の、わずかな栄養分を食事にして生きるべく、せっせと糞を丸め、逆立ちして後ろ足で、転がして巣に運びます。

そのヒタスラで一生懸命なこと。この語源=一所懸命は、まるで、フンコロガシの為に、創られた文字のようです。

碧巌録 第七十五則 烏臼 (うきゅう くつぼうくつぼう)

【垂示】圓悟が垂示した。

禅者たるものは、霊妙な切れ味の宝剣を、いつも携えていて、活殺自在の働きをなす。つまり、把住(積極的手段)と放行(消極的手段)の二つの行為になる。どんな出来事の優劣でも、褒(ほ)めるも貶(けな)すも自由自在。掴(つか)むも放(はな)つも意のままにできるのだ。主客に拘泥しないで、相対的見地に囚われない・・そんな行いは如何に為せるものか・・次の話を看よ。

*垂示に云く、

霊(れい)鋒(ほう)の寶(ほう)剣(けん)、常に前に露現(ろげん)すれば、亦よく人を殺し、亦よく人を活(かっ)す。

かしこにあるも、ここにあるも、同得同失(どうとくどうしつ)

もし提持(ていじ)せんと要せば、提持するに一任し、

もし、平展せんと要せば、平展せんに一任せん。

且(しば)らく道(い)へ、賓(ひん)主(しゅ)に落ちず、囘互(えご)に拘(かかわ)らざる時、如何(いか)にせん。

試みに挙す看よ。

【本則】ある禅者が定州の石藏(せきぞう)和尚の僧堂から、烏臼(うきゅう)の禅庵にやってきた。

烏臼「定州の禅風は、わしの處と変わっているかな?」

禅者「別段、変わりありません」

烏臼「どこも同じなら、ワザワザここまで来るには及ぶまい。サッサと帰れ」と言いざま、手にした棒で、ピシャッと一打した。

禅者「なんとムチャな。あなたの棒は人の価値を見分ける眼が無いようですね」

烏臼「今日は、打つに手ごろな奴が来たものだ」と、さらに、立続けに三回打った。

禅者は閉口して庵を逃げ出そうとした。

その姿を追いかけて、烏臼は「やぶから棒に打ってみたが、うまく当たったなあ」

・・それを聞いて、禅者、うしろを見て云った。

「自分が棒を持っているからといって、大口をたたきなさるな。わしに棒さえあれば、叩き返してやるものを・・」

烏臼すかさず「オオ・・そうか。ソレジャ、お前さんに、これを貸そうか」というと、その禅者は、烏臼の棒を奪い取って、続けざまに烏臼を三回打った。

烏臼「ヤアヤア・・藪から棒に、何とする」

禅者「これは見事な三本、疾風の如き、打ち勝ちですな」

烏臼「さっきは無暗に人を打つなと言っておきながら、今度は、訳もなく人を打つ・・とは、何というやつだ」

すると禅者は、すぐに礼拝した。

烏臼「オイオイ・・たったそれだけで勝負はお終いか」

禅者は、笑いながら去ろうとする、その後ろ姿に・・

烏臼「ナンダ・・アイツは、大笑いの芸しかできない大根役者だったのか」

*擧す。僧、定州(じょうしゅう)和尚の會裏(えり)より来り、烏に到れり。

烏臼問う「定州の法道は這裏(しゃり)と如何(いかん)」僧云く「別ならず」

臼云く「もし別ならずんば、さらに彼(か)の中(うち)に転じ去れ」便(すなわ)ち打つ。

僧云く「棒頭(ぼうとう)に眼(まなこ)あらば、草々(そうそう)に人を打つことを得(え)ざれ」

臼云く「今日、一箇(いっこ)を打着(だちゃく)したるなり」また打つこと三下(さんげ)

僧 すなわち出で去れり。

臼云く「屈棒は元来(がんらい)、人の喫するにあり」

僧、身を転じて云く「いかにせん、杓柄(しゃくへい)の和尚の手裏(しゅり)にあることを」

臼云く「汝 もし要せば、山僧 汝に囘與(らいよ)せん」

僧 近前して、臼の手中の棒を奪い、臼を打つこと三下したり。

臼云く「屈棒(くつぼう) 屈棒」(・・やあ、闇討ちにあったな)

僧云く「人の喫在せしことあり」(うまく一本とったぞ・・の意)

臼云く「そうそうに この漢を打着したり」(今になって訳もなく老僧を打つとは・・どうしたことだ)

僧 すなわち礼拝(らいはい)せり。

臼云く「和尚 恁麼(いんも)にし去るにや」

僧 大笑して出でたり。

臼云く「消得恁麼(しょうとくいんも) 消得恁麼」(なんだ、たったの大笑いだけか・・の意)

【頌】例えば・・瓢子(ひさご)笛(ふえ)で、蛇を呼び集める(把住)のは、比較的たやすいことだが、集まった蛇を退散させる(放行)のはナカナカ困難である。

いま、この無名の禅者と烏臼老師との禅機(葛藤)の戦いは、把住、放行の両作用が対になって、互換的な機鋒が火花を散らしているので、よく看て取るがよい。さざれ石は固くとも、いつか破砕されるやもしれず、海は深くとも、いつかは乾いた大地になることもあろう。

この禅者同士の勝負は、一筋縄では決着しない。

烏臼老師は、よせばよいのに、棒を貸してまで、いい処を見せようとした。

はしたないことをしたものだ。

どうも、やり方がまずかったな・

*呼ぶことは即ち易(やす)、遣(つか)わすことは即ち難し。互換(ごかん)の機鋒を子細(しさい)に看よ。

劫石固(ごうせきかた)うし来たるも、なお壞(え)すべく、滄溟(そうめい)深(ふか)きところに立つも、すべからく乾(かわ)くべし。烏老(うきゅうろう) 烏臼老。幾何般(いくばくはん)ぞ。杓柄をあたえしことの太(はなは)だ端(はした)なかりきは。

 

【附記】定州石藏禅師(北宗禅)は、崇山普寂の弟子。烏臼和尚・・馬祖道一の弟子である・・としか詳細不明。把住と放行と、ともに両忘した烏臼の、円熟した禅機の応酬は、みごたえのある風景だ。

心底、烏臼を貶(けな)す文句は、実は、雪竇の最高の褒め言葉である。

号外・・ ロシア・プーチン大統領「北方4島」引き分け??

戦争・勝負に「引き分け」?

日本も・・甘く見られたもんですネ!

昔、武道(柔道)には、勝負に「引き分け」があつた。

どちらにも、勝ち、敗けがつけられない状況をいった。

今は、どのスポーツでも、必ず延長戦で白黒をつけるので、ない。

まして、政治の世界で、ロシアのプーチン大統領が、日本発祥の柔道、黒帯であることを機に、過月、北方四島の帰属をめぐる交渉を、両国「引き分け」にしよう・・と持ちかけられた報道に国民・・少なくとも私・・は驚いた。

そして、引き分け話が、そうした首脳交渉により、いずれは返還されるかも・・と言った淡い期待を抱いたようだ。

この「引き分け」を、マスコミでは「痛み分け」か、昔の「三方一両損」のような、まったく善意でウイン・ウインの関係・交渉を夢見る発表をした。

政府・外務省も、希望的に報道を黙認した。

まず、これは大間違い・・であると思います。

何故なら「引き分け」・・とは、イッタイどんなことなのか・・間抜けにも・・プーチンさんの定義、意見を、誰も質したり、聞いていないからです。

 

プーチンさんのいう「引き分け」・・とは、現在・・がっちり、お互いに、両袖を引き合い、すり足で技をかけあう・・勝負のついていない・・現状を云ったに過ぎない・・のが、現実でしょう。

きっと、彼は、どうせ、お互い、自国の主張を言い合うだけだから、四島の帰属問題は勝負なしの「引き分け」にしよう・・と言ったのです。

だから・・永久に、四島を返還する気がないのに、政府やマスコミは、経済援助のお土産つきで、いずれは返還してもらえる「希望」をもらえるような「引き分け」を、政府(外務省)は幻想している・・のです。

プーチンさんは、柔道の試合をよく知っています。

観客が取り巻く、審判のいない試合場で組手して戦っている以上、双方がヘトヘトになって試合を放棄しない限り、「引き分け」の現状は変わりません。

 

スポーツと違って、国家と国家の国際ルールでは、百年たとうが千年過ぎようが、勝つか・・負けるか・・条件が有利か、不利か・・その二つにひとつしかないだけ。

「引き分け」の平等的、ウィン・ウィンの結果など、あり得ないのです。

(戦っている・・その最中、交渉中の期間だけ「引き分け」の状態です)

 

だから、十二月の首脳会談で、日本の「優勢のポイント」は、まずありえず、期待しない方がよいでしょう。

総理は夢から醒めたように、そう簡単に平和条約を結べないのが、国家間の現実だと言うようになりましたが、この試合・・どうやら交渉の優勢のポイントが、いま、ロシアについているようです。

おそらく、プーチンさんは、日本の経済援助が、まず、両国の為にプラスになると訴求して、現状の「引き分け」に、ロシア優勢をイメージづけることでしょう。

 

政府やマスコミが、その尻馬にのって、「希望」と言う名の成果があったなどと、パンドラの箱を開けたようなことをいわないでほしい。

 

あの広島原爆の翌日(昭和二十年八月七日)・・突然、ソビエト軍は、不可侵条約を反古にして日本に宣戦布告。八月十四日ポツダム宣言を受諾して無条件降伏をしたあと、さらに、9月2日、戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名している最中にも(8月28日択捉島。9月1日~5日までに)国後島色丹島歯舞群島北方領土すべてに、武器を置いた日本の島々に侵攻して、正当な戦勝地域であると言うのですから・・柔道の引き分け話など、あきれてものが言えない卑怯な勝負です。

さらに、国際法上、敗戦を認めた国に、北海道の半分を割譲せよと、上陸作戦を計画したソ連軍。アメリカは、スターリンの野望を、どうにか止めましたが、いったい、この勝負の何処に「引き分け」があり、また、これから島々が返還される「引き分け」があるのでしょうか。

戦争とは・・どんなにことをしても負けられない・・戦争をする以上、何としてでも、勝たねばならない・・卑怯で、残酷なことを学ぶだけです。

 

むしろ、国家間の、土地・権益をめぐる争いは、戦争にでもならない限り、永久に「引き分け」の状態が続くことを覚悟して対応することを知らねばなりません。

すでに、戦争体験者が少なくなった今こそ、政府やマスコミは、国家間の利権を争う争議や戦争を、暴いて、その冷酷な事実を国民に告知・報道する責任があると思います。

(この件に限らず、中国の南京虐殺や韓国の慰安婦問題、北朝鮮拉致事件など、もっともっと、色々な媒体や報道機関を通じて、主張するべきでしょう)

 

そして、平常時には、常日頃、少しだけ相手より優勢的ポイントをおさえることです。例えば、近隣、外国の観光客を歓迎して、日本(人)の文化や科学の良さを体験してもらうこと・・日本に住みたいなァ・・おつきあいしたいなァ・・と思われるよう、働きかけること。

それでいて、拉致などされたら、自衛隊を出してでも(国際的にバックアップも必要ですが)奪還してくる覚悟が必要でしょう。

そうした・・碁盤上、いずれ、勝敗を決することになる要(かなめ)の一石を、静かに置き続けることが肝要です。

政府・議員や関係官僚たち、マスコミ新聞記者の、事なかれ主義をきらい、サムライ・ジャパンの心意気を持ち続けてもらいたいものです。

  *この号外・奉魯愚を書いた今日(十一月二十六日S/M紙に、

   小泉敏夫氏(九十三才)の訃報がありました。

   氏は北方領土返還運動の、中心的役割を担った前理事長であり、

   北方領土色丹島出身。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

下駄職人=金牛さん・・?

  • 碧巌の散策 第七十四回の歩記(あるき)である・・         

好人(みょうこうにん)「浅原才市」(1851-1933)と、

禅者との違いについて、お話ください・・

娑婆が、そのまま極楽になり、凡夫が、このまま佛(覚者さとりのひと)だと云う鑑覚(かんかく=悟り)の、著しい例は、真宗の「妙好人」なるものに見出すことが出来る・・と、「鈴木大拙の世界」・・一燈園 燈影社刊「このままということ」・・の項で、妙好人は、禅者とまったく変わらない悟境の人たちである・・と述べています。

        *如今鑑覚(にょこんかんかく=百丈)・・ただ・いま・・を体覚する・・悟覚の意。

この石見の国(島根県)は、才市翁の他、不思議に、多くの妙好人を輩出していると、その著作で書かれています。

一向一揆の加賀(金沢)出身の鈴木大拙翁(1870-1966)が、世界に紹介した他力本願の真宗信徒が、はたして「禅による生活」をなす・・自力悟道と、まったく共通の境地にいたる・・とは、驚きであり、昔から・・ナカナカ納得しがたい・・出来事でもありました。

この娑婆世界から極楽に生まれる

早道は外にない、

やうぱり(やっぱり)この娑婆世界なり。

娑婆の世界もなむあみだぶつ、

ごくらく世界もなむあみだぶつ。

ありがたいな、ありがたいな、

才市のこの目がさゑ。

なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。

(・・才市翁は、名号を唱えているのではない。名号が彼で、彼は名号なのだ。

彼は、南無阿弥陀仏と一体になっていることに気付かずに居る。

そこに妙好人の不可思議な存在がある。少し長いが、いくらか引用しないと、その境地がわからぬ・・以下略)・・

 

かねてから・・「禅」は、「欣求的=宗教ではない」と主張する・・ようになった一つの理由は、この妙好人の「悟境(地)」が、禅境(地)と同じ・・欣求・祈願のない・・「対象の無い境地」に溶け込んで一体化している・・生活であることでした。

学識や寺僧・導師や宗教経験など、仏道・求道のTPOの一切合切が関与しない「禅による」=「ナムアミダブツ」=安心の世界が、ここにあります。

この、文字、漢字もよく知らない下駄職人の悩み多い暮らしが、そのままに、明るく、安心(あんじん)に一変する・・妙好人は、浄土真宗系の人だけに発現した、素晴らしい悟道の生活そのものです。

(私の、勝手な推論ですが、おそらく、親鸞もまた、同じ境地の方であったことでしょう)

 

一般の方が、よく「禅」について、誤解されるのは、まるで、悟(さとり・覚)の境地を、お釈迦様の坐像のように、悟り澄ましたイメージで持たれることです。

これは大変な誤解です。

  (私は、よく禅語録に出てくる「佛(悟道の人=覚者)とは何か」・・の問いに、仏壇の釈迦如来像  

   を思い浮かべる・・先入観・誤解を払拭するため、総て「佛(道)とは何か」を「禅とは何か」に

   入れ替えて、意訳しています)

悟りを得ての境地、境涯は、まったく平生の姿、日頃の行い・・食べること、働くこと、トイレに行くこと、寝ること・・暮らしの総て・・に、変わることはことはありません。(暑い時は暑いし、寒い時は寒いのです)

ただ、その人の内面・心理は、いつも明るく、素直に、ピチピチ、テキパキと躍動していて、今、ソノことを為す・・のに、全身全霊をかけています。

   例えば、禅者が見る・・混雑の街頭風景は、例えて悪いのですが・・通行人が、足の無い幽霊(今時  

   の、まるでスマホに執り憑かれている若者)のように・・フワフワと頼りなく動いて見えるのです。  

   言うことも、為すことも、他人の影響をうけての言動ばかりで、信念を持って、自発的な生活してい 

   る・・風には、とうてい見えないのです。

 

妙好人と言われる人(禅者もまた)は、どうして、ピチピチとした新鮮で、詩的な発言ができるのか・・「不思議に思う」・・その点そのものに「答え」があります。

前則の、歩記(あるき・・修行者の邪路)で紹介したように、理窟ばかりの取り澄まし・・これは禅者ではありません。

日頃、「役立たない坐禅」をしない人ほど、邪路・邪見に落ち込むのです。

 

こうした禅語録・公案の一つ一つ・・話題・内容が違っても、例え千年前の禅者の生活・行動であろうと、妙好人であろうと、達道の人の悟境(地)は、道を歩く姿一つ、ご挨拶一つで・・わかります。

その達道の禅者の見分け方・・の公案を附記しておきましょう。

  *無門関 第三十六則 路逢道(ろほうたつどう)

   五祖云く 路に達道の人(禅者)に逢わば、語黙(ごもく)をもって對(たい)せざれ。

   且らく道(い)へ。何をもってか對せん。

 

妙好人については、母を養うため、焚き木を売り歩いていた、文字を知らず、米搗きの田舎猿とさげすまれた・・南宗禅六祖・・・曹渓慧能の禅機(投機の偈)に・・近しい印象をもちます。

また近代、盤珪の「そのまま禅」=悟り(の境地)も同様ですから、折に触れて紹介していきたいと思います。

 

碧巌録 第七十四則  (きんぎゅうはんつう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に向かって垂示した。

禅者は、どんな葛藤や、難問題でも、草薙(くさなぎ)の剣を一閃するように、スパット解決して、明鏡のごとき般若の智慧を輝かせ、いかなる文字、言句でも、大日如来の保証印付でなくてはならぬ。

着衣喫飯・・日常生活そのままが、大悟徹底の行い・・そのものである・・が、いざ、非常時には、どのように対応しているのか。理解できない輩は、次の下文を看取せよ。

  *垂示に云く、鏌鎁(まくや)横に按(あん)ずれば、

   鋒前(ほうぜん)には葛籐窠(かっとうか)を翦断(せんだん)し、

   明鏡(みょうきょう)高くかかれば、

   句中に毘盧印(びるいん)を引出(いんしゅつ)せん。

   田地(でんち)隠密(おんみつ)の處にては、著衣飯(じゃくえきっぱん)せんも、

   神通遊戯(じんつうゆげ)の處にては、

   如何にしてか湊泊(そうはく)せんや。また委悉(いしつ)せりや。

   下問(げもん)を看取(かんしゅ)せよ。 

 

【本則】むかし・・鎮州に金牛と呼ばれた老師がいた。

多くの求道者の面倒をみて、食事時には、味噌擂り、ご飯炊き、一切合財、ととのえて喜色満面、呵呵大笑(かかたいしょう)して「さあさ・・菩薩たちよ、ご飯が出来たから、おあがりなさいよ・・」と、誰へだてなく、厚遇、接待をしていた。

     (雪竇云く・・金牛坊主に騙されるなよ。必ず、どこぞの家主のように、 

      「タダメシは食わさんぞ。まずは家賃の値上げを・・」と言うはずだ!)

後世になって、この話を、ある求道者が長慶慧稜(853~932)に持ちだして問うた。

「いつも、どの禅寺でも財政難で大変ですのに、金牛和尚は、いったい、どんな気持ちで、自分の財産をなげうって、求道者たちを養ったのでしょうか」

長慶云く「多くの求道者を養う資金を持っている・・その感謝の祈りであろうサ。高慢なホドコシ顔より偽善気分がなく、うれしい感謝の顔の方が、お互いに、いい気分じゃないか」

  *擧す。金牛(きんぎゅう)和尚、齊時(さいじ)にいたる毎(ごと)に、

   自(みずか)ら飯(はん)桶(つう)をもって、

   僧堂の前において舞をなし、呵呵大笑(かかたいしょう)して云く

   「菩薩子飯来(ぼさつしきっぱんらい)」と。

   (雪竇云く、しかも、かくの如くなりと雖(いえど)も、

    金牛これ好心(こうしん)あらず・・と)

   僧、長慶(ちょうけい)に問う。

   「古人 道(いわ)く。菩薩子喫飯来・・と。意如何(いしいかん)

   慶云く「おおいに齊(さい)によって慶讃(きょうさん)するに似たり」

 

【頌】金牛和尚の、自ら飯を炊き、自ら僧堂に配膳して「サアサ、菩薩の方々、ご飯が出来たよ」と、明るく笑いながら求道者をもてなしたことは、詩的に表現すれば・・「白雲影裏に笑い呵呵」・・である。

禅は棒・喝のみにあらず。平凡になす行中に真理あり。

施しをもらって喜ぶごとく、施しをなして喜ぶ人は極めて少ない。

長慶は、真の禅者(金毛の獅子)である。

金牛のいた鎮州の彼方、遠く三千里の明州にいながら、金牛の「禅者の行い」を見抜いている。

  *白雲裏(はくうんえいり)に笑呵呵(わらいかか)

   両手にもち来たって他に付與(ふよ)せり。

   もし是れ金毛の獅子子(ししじ)ならば、三千里外に訤訛(ごうか)を見ん。

 

【附記】馬祖道一の弟子・・鎮州、金牛和尚は、どうやら・・何不自由のない富豪でありながら、晩年、特別の動機で出家。自分の莫大な資財を投げ出して、多くの求道者を供養して自ら、おおいに満足していた・・と推測する以外、詳細不明。

碧巌録 第七十四則と第九十三則【本則】問所事例・・に記録されている。

好き勝手・・は、天真爛漫ではない!(500年前 禅の注意書 その2)

  • 碧巌の散策 第七十三回の歩記(あるき)である・・      

(修行者の邪路・・第七十三則歩記(あるき)に続けます)

無異元來(1575-1630)著「博山和尚参禅警護」意訳=鈴木大拙 禅思想史研究 

第四「工夫的精神の意義と機能」発行 ㈱岩波書店・・抜粋

 

(禅)修行者の落ち入る邪路というのは・・次の如きものである。

・知的了解によりて公案の内容を検討せんとする

・厭世的意向を生じて、ただ寂静・無人の處を慕う

・情識・妄想の心をもって、意識上に強いて澄(ちょう)澄 

 (ちょう)、湛湛底(たんたんてい)の境地を現出せんと勉 

 める

・古人の公案を把って分別理解上の穿鑿(せんさく)をする

・この身體と思われるものの中に、心というものがあっ 

 て、その物が往来したり能(よ)く動き、能く静かに無形 

 無相なれど、六根門頭(ろくこんもんとう眼耳鼻舌身意 

 =色声香味触法)において色々と活躍すると想像する

・この心が・・手足を使って善悪の業を成ずると考える

・然(しか)ざる場合には、この身體を無暗に苦しめて、禁 

 欲主義の生活に解脱を求める

・積極的には徳を積み、善を行じて、佛果を獲んと思う

・或いは放逸にして無軌道的生活を営み、それで天真爛漫 

 (てんしんらんまん)だと信ずる

・自分の優越感に沈溺(ちんでき)して自制を知らぬ

 

真実の参究心を持ち合わせぬ修行者は、実際生活上、種々の方面において、支障百出の憂き目に遭い、したがって公案を本当に看ることが出来なくなる。

看話禅の修行の容易でないことが分明になる。

 

どうですか・・仏教学者であり、禅者である故・鈴木大拙が、四・五百年前の参禅注意書を紹介する意図は何か。

まず一つは、欧米で流行の「ZEN」への誤解と戒め・・そして、現代の僧堂の修業の在り方が・・温室栽培・促成的な、味も香りも色艶まで薄いトマトやキュウリ、茄子のような、禅寺後継者、養成所であることを憂えた、古文引用であると思います。

 

幾度となく、この奉魯愚すら読み捨てにして、知識や評論を頭から追い出して、

「三分間ひとりイス禅」をなされるよう、お奨め、注意をしています。

 

碧巌録 第七十三則 馬祖四句百 (ばそ しくひゃくぴ)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

維摩経」(羅什三蔵訳)に、真如は全宇宙に遍在して、分別・相対の世界を超越したものであるから、法を説くべきもなく、示すべきも無い。

また、法を聴くべきもなく、得るものもない・・とどのつまりは、無説無示。無聞無得である・・とある。

されば、偉そうに禅の師が、高座説法などする必要はないし、黙っているのが一番だ。また、求道者は、何もお寺に参詣して、坊さんから説法してもらう必要はない。

いま、ここに、こうして老僧(圓悟)が話をし、お前達(求道者)が、聴いている訳だが、これは・・「真如」の世界から、遠く離れてしまった事になる。

こんな提唱(集いごと)は、お互い、過ちの上塗り作業だぞ。

サテサテ・・どうしたら、このような大間違いをしでかさずに、「透関のまなこ」をもつ、禅者になれるのであろうか・・試みに挙す。看よ。

  *垂示に云く。

   それ説法者は、無説無示。それ聴法者は、無聞無得。説くこと、 

   すでに無説無示なれば、いかでか、説かざるにしかんや。

   聴くこと、すでに無聞無得なれば、いかでか、聞かざるにしかんや。

   すなわち、無説また無聴にして、かえって些子(しゃし)にあたれるなり。

   ただ如今(にょこん)、諸人(しょにん)

   山僧が這裏(しゃり)にあって説くことを聴く。

   作麼生(そもさん)か、この過ち(あやま)を免得(めんとく)し、

   透関(とうかん)の眼(まなこ)を具する者なるぞ。

   試みに挙す。看よ。

 

【本則】ある日、求道者が馬祖山の道一老師に向かい「一切の相対的思索と文字、言説を超越した・・達磨が中国にやってきた目的を・・端的に指摘してください」と、訳知り顔で斬り込んだ。

ところが馬大師は・・「今日は大変に疲れているので、お前さんに説くことあたわず、(西堂の)智蔵に聞け」と言う。彼は、ただちに智蔵に問うた。

すると・・「どうして馬大師にお尋ねしないのか?」

「先ほど、お尋ねしましたら、あなたに聞けとのことですので、お伺いした訳です」

智蔵「ワシは今日、頭痛がしてアンタに話ができない。いっそ、海兄(かいひん=百丈懐海)に尋ねることだ」・・というので、この質問を百丈に持ち込んだ。

懐海「そんなこと・・わしに解からぬ」

・・求道者は、ぐるり一巡して、智蔵と懐海の接待ぶりを馬大師に話した。

すると馬大師は、二人の禅機を比較して「智蔵は素人(しろうと)。懐海は玄人(くろうと)。(その簡潔ぶりはナカナカだ・・)と言った。

 *擧す。僧、馬大師(ばたいし)に問う。

  「四句を離れ、百非を絶して、請う。

  師、それがしに西来意(せいらいい)を直指(じきし)せよ」

  馬師(ばし)云く「我れ今日(こんにち)、労倦(ろうけん)。汝が為に説くこと能わず。  

  智蔵(ちぞう)に問取(もんしゅ)し去れ」

  僧、智蔵に問う。

  蔵云く「なんぞ和尚に問わざる」僧云く「和尚来(き)たり問(と)わしむ」

  蔵云く「我れ今日、頭痛す。汝が為に説くこと能わず。

  海兄(かいひん)に問取しされ」

  僧、海兄に問う。

  海云く「我れ這裏(しゃり)に到っては却(かえ)って不會(ふえ)

  僧、馬大師に挙示す。

  馬師云く「蔵頭(ぞうとう)は白(はく)、海頭(かいとう)は黒(こく)

 

*蔵頭白、海頭黒・・意味の由来について・・

昔、福建省(閩・びん)に頭巾(ずきん)が白の候白(こうはく)という山賊と、頭巾が黒の候黒(こうこく)という山賊がいた・・という説話に基づく。

  • 秦観の准海閒(じゅんかいかん)居集(きょしゅう)=以下=解読・井上秀天著、碧巌録新講話による・・(略記・紹介)

ある日、候黒が女と井戸端で深刻な顔つきをしているところに、候白が通りかかり、その訳を尋ねた。女が貴重な耳飾りを井戸に落として弱っている・・という。

君が拾い上げたら、お礼に、その価値の半金を進呈する。

これを聞いて候白、そっと候黒に耳打ちした・・「よし、その儲け話し、引き受けた・・が、拾い上げた上は、あの女を騙して、全部をワシの物にしたい」と要求した。

侯黒が承知したので、候白、衣服を脱いで井戸の中に入った隙に、候黒は、身ぐるみの一切合切を盗って、女と共に逐電してしまった。

古い閩人(びんじん)のコトワザに「我は候白、彼、更に候黒」=自分はヨッポドの悪者と思っていたのに、彼は一枚、上手の悪(わる)だ・・の意味でつかわれている。

また、碧巌録、第四十一則 趙州大死底の話で出てくる「白頭、黒頭」=白い頭のやつ、黒い頭の奴・・は、例えで、よく使用されていた俗語であり、日本の「白頭(しろと)」「黒頭(くろと)」=しろうと(素人)くろうと(玄人)は、、おそらく湯桶(ゆとう)読(よ)みの言い方であろう・・

 

・この話は、求道者が、智蔵と懐海のとった応対に納得できず、馬祖に報告(告げ口)したので、馬祖は、智蔵の対応の生ぬるさと、懐海の明瞭なハネツケ方を聴き比べて、二人の禅機の優劣を審判したのであろう。(僧擧馬大師・・は、告げ口した様子をあらわす)

 

・従来、馬祖の「蔵頭白、海頭黒」は、四句を離れ百非を絶して、達磨西来の意味を問う公案の、答えの如き印象をあたえているが、誤解もはなはだしい。

智蔵に聞け・・懐海に尋ねよ・・と言っている・・それに自悟独証がある・・ことに気付くことだ。

 

【頌】「智蔵の頭には白頭巾。懐海の頭にや黒頭巾」と、馬大士は、禅機の判定をしたが、この真意を心得た禅者が、果たしているかどうか。

実際、馬大士は、なみいる禅者たちを踏み分ける奔馬そのもの。

臨済をたとえて、白昼、公然と、人の物を強奪する(ひったくるような禅)者だと言うが、馬大師の前では、ひどく影が薄い存在だ。

かの求道者は、求道の姿、行いを、大義名分や論理的証明にウツツヲ抜かす妄想の人である。ただ一人、坐して、自から自證せよ。

 

  *蔵頭は白く海頭は黒きを、明眼(みょうがん)の衲僧(のうそう)も會(え)することを 

   えず。駒(ばく)は踏殺(とうさつ)せり天下の人。

   臨済(りんざい)はいまだ是れ白拈賊(びゃくねんぞく)にあらず。

   四句を離れ百非を絶す。天上人間、ただ我れ知れよ。

pokanとした3分間は、坐禅じゃないよ(500年前の注意書)

碧巌の散策 第七十二回の歩記(あるき)である・・      

◆何の役にも立たない坐禅・・どうすれば・・

「3分間ひとりイス禅」では、指導者とか、お仲間とか、誰かと一緒になって坐禅することをお奨めしません。必ず、集団心理(迷い)が働きますので!。

もともと、生まれるもひとり・・生きるも独り・・されば死するもヒトリ・・と禅語にあるとおり、社会的なつながりや、社会で学んだ知識・体験など、コピペした、あらゆるものを捨て果てて・・それから・・三分間・・心は「丸裸」であれ・・と、「ひとりイス禅」をお奨めしています。

 

イスに背筋を伸ばして坐り、眼は半眼に。肩やお腹、手の力を抜いて、静かに鼻で呼吸してください。出来ても、出来なくても・・ただ、それだけのイス坐禅です。

両手はどうしたらいいのか・・など、聞く必要はありません。

自分で最も、落ち着く手の置き方でいいのです。

寝てる時、手はどうしたら・・蚊が飛んできたらどうする・・とか・・考えません。自然に・・どうなるか・・どうしてるのか・・お任せします。

思いが湧いたら、まるで雲が湧くのを看るように、放っておくことです。

「思いはアタマの分泌物・・」と、曹洞宗系の師・・どなただったか忘れましたが見事に喝破されています。

何にも役立たない・・たったの三分間・・これが・・なかなかに難しい。

以下、坐禅(瞑想)時の、注意点について・・

昔の参考を書きましたが、関心のない方、飛ばして読んでください。

  • 無異元來(1575-1630)著「博山和尚参禅警護」
  • 意訳=鈴木大拙「禅思想史研究 第四「工夫的精神の意義と機能」発行 ㈱岩波書店・・抜粋
  1. 世間体のあらゆることに心を煩わせないこと。
  2. 静寂・黙思に執着しないこと。
  3. 天地万象に囚われるな。
  4. ネズミをとる猫のように、惺々(せいせい)明歴々(めいれきれき)たれ。
  5. 日日の進歩。工夫、努力をおこたるな。
  6. 公案に知的(分別的)解釈を試みるな。
  7. 小賢(こざか)しい解釈を、最もしてはならない。
  8. ポカンとしているのを工夫、進歩と思うな。
  9. 錯覚、誤解にとらえられるな。
  10. 做工夫 不祇是念公案=念仏称名のように公案を念ずるな。

これらの注意を守る時は、修行者は確実に疑情(真実への希求心)をして成熟の状態にいたらしめる。

そうでないと、疑情を起こすことが出来ないばかりでなく、修行者は邪路に堕すであろう。

即ち、禅の真理を體會(体得)し得ぬであろう。

修行者の邪路・・第七十三則 ●次の歩記(あるき)に続きます。

 

碧巌録 第七十二則 和尚有也(うんがんおしょう ありや)

          (百丈巌 ひゃくじょう うんがんにとう

【垂示】ありません

前則に連続する百丈の弟子、雲巌への問い(公案)ですから、圓悟のワザワザの垂示はありません。

 

【本則】擧す。

百丈、また雲巌に問う。

「口や舌や発声なしで、禅者の一語を道(い)うて看よ」

雲巌云く「老師よ、さっき、五峰さんに、老師から先にどうぞ・・と言われて言語媒体を捨て果てた・・と思っていました。・・のに、まだ、こだわっておられるのですか」と逆ネジを喰らわせた。

百丈云く「ウーム・・お前さんの云う通り、親切の限りを尽くして聞かせてやったが、このような有様では、将来は口達者な者ばかりの、禅者絶滅種と成りはてよう・・な」

   *擧す。百丈、また雲(うん)巌(がん)に問う「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却   

    (へいきゃく)して、作麼生(そもさん)か道(い)わん」

    巌云く「和尚 有りや、また、未(いま)だしや」

    丈云く「我が児孫を喪(そう)せん」

 【頌】口舌、言語を絶して「禅者の一語」を道(い)え・・と迫られて、雲巌「老師、いまだ自己の言語を絶しておられないのか」と返した。

まるで文殊菩薩の乗られる、金毛の獅子の如き振る舞いだが、残念ながら、この場合は、眠れる獅子である。

潙山、五峰、雲巌の三人、まだ若く、修行中の身で、それぞれ、共に、先達の歩いた道のコピペ風の講釈ばかり。

獅子吼するような、機鋒するどい一語がでないので、さぞかし百丈、がっかり、歯がゆい弟子たちと思ったのに違いない。

大雄山、百丈の指鳴らし二十有余年・・

まあ、こうした禅者の寂寥の末路は、よくあることだ・・

これは・・百丈を讃えている言い方です)

   *和尚 有りや、また未だしやとは。

    金毛(きんもう)の獅子(しし)の踞地(こじ)ざりしなり。

    両々三々(りょうりょうさんさん)は舊路(きゅうろ)を行き、

    太山下(だいゆうさんか)には空(むな)しく弾指(だんし)

PC将棋で・・女性の『私が・・カチマシタ』・・ソノ声のイマイマシイ・・コト!

碧巌の散策 第七十一回の歩記(あるき)である・・

髙い駒音を響かせる将棋の一手・・棋界は、今、スマホカンニングでゆれている。

証拠はないが、プロ対戦中の休憩で、密かにスマホから次の一手を教わろうとたくらんだプロ棋士がいたようだ。

あと10年もすれば、チェスや将棋は、間違いなく、人間=頭脳は、電子計算機に百戦百敗の憂き目をみよう。

私も、PC将棋で遊んだことがあるが・・あの電子的女性の声で「勝ちました!」と宣言された時の口惜しさ・・次に一ランク、相手の・・PCに下げてもらって、今度は「敗けました」の声を聴いた時の・・安堵感。優越感・・言葉は悪いが「座間亜美路」(これはPCにうち込んだら勝手に語換してくれました)・・と思いましたが、あの負けた時の想いに、後味わるく、それからPC将棋は起動していない。

とにかく計算能力が、プロ棋士千人が知恵を絞っても、わずか数秒のあいだに何万手の中から、もっとも確率の高い次の一手を導き出すのがPCである。

PCゲームはおもしろいことだろうが、あとは虚しい疲れがドッとやってくる。

 

プロ棋界は、日本的(武士道)の礼儀、作法をもつ棋士の集まりであると聞く。

勝負中、チュウインガムを噛む人もいないし、学ぶ少年少女は姿勢よく、礼儀正しい。

観戦の人たちに、スマホで遊んだり居眠りしたりする、ダラケタ振る舞いは見たことがない。

汗や涙を伴わない計算高い相手(pc勝負)には、関与しないのが一番。

・・それが吹けば飛ぶよな将棋の駒に・・の心意気ではないでしょうか。

 

どうぞ、将棋だけは、人と人の「新手一生」升田幸三名人・・のような、たゆまぬ汗か涙の・・人と人の戦いであってほしい・・と願っています。

 

碧巌録 第七十一則 五峰和尚併却 (ごほうおしょう へいきゃく)

          百丈問五峰(ひゃくじょう ごほうにとう)

【垂示】ありません・・

前則に関連する、百丈の五峰(弟子)への問い(公案)ですから、圓悟の、ワザワザの垂示はありません。

 

【本則】百丈、今度は五峰に向かって「口で・・ではなく、禅者としての一語を云え」と迫った。

五峰云く「老師よ、まずは、貴方から口で・・ではなく、その禅者の一悟をお示し願います」

百丈云く「ようしヨシ・・お前さんの来るのを無人(尽)の境地で、手を額にあて遠く望んで、待ち受けよう」

(圓悟 箸語(ちゃくご)「土曠人(じゅうまんおくどの)稀(ちに)相逢者少(ひとまれなり やくそくはできないぞ)」・・ソンナ遠方で待ってるようなお人よしはイナイゾ・・の意)

  *擧す。百丈、復(また) 五峰に問う。

  「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

   作麼生(そもさん)か道(い)わん」

   峰云く「和尚、また、すべからく併却すべし」

   丈云く「無人の處(ところ)にて斫額(しゃくがく)して汝を望まん」

 

【頌】師、百丈に「一切の媒体を除去して、悟道の一語を云え」とは・・

まるで、不敗の龍蛇を布陣した百丈の手元をすり抜けて、斬り返した五峰のハカライ、見事である。

この非凡な働きは、古の李将軍の逸話そのものだ。

万里の天空を飛翔する鶚(ミサゴ)に比すべき百丈を、

見事に射落とした手際は、李将軍以上の英雄と呼ぶべき者

であろう。

  *和尚 また併却すべしとは。

   龍(りゅう)蛇陣上(だじんじょう)に謀略を看せしめたるなり。

   人をして長く李将軍を憶(おも)わしむ。

   萬里(ばんり)の天遍(てんぺん)には一鶚(いちがく)を飛ばせり。

 

【附記】潙山、五峰ともに、問答をしかけられた師、百丈から否認されてはいない。しかし、潙山は虎であるのに猫に見せかけて、五峰は龍であるのに蛇に見せかけて、その禅境を表わしたが、まだ百丈の口舌、言句の網の中に囚われている。趙州や臨済の如き悟境は、まだまだの若虎、土龍・・未だ天龍にいたらぬ時期であると言えましょう。

いつまでも・・「あると思うな 親と金。ないと思うな 運と災難」

 

  • おたずねします。      H28-10-22   

碧巌録 第七十則「潙山請和尚道」の末尾の解説で、百丈が、棺桶を叩いて「生か死か」を訊ね、鼻をしこたまヒネラレテ大悟した禅機の話・・碧巌録第五十五則「道吾一家弔慰」師、道吾圓智と弟子、漸源仲興の棺桶問答と、第五十三則「百丈野鴨子」の、師、馬祖道一と弟子、百丈懐海の、道端で、飛び立った鴨を看ての鼻ヒネリ問答、ゴッチャ混ぜした話しではありませんか。

  • その通りです。百丈と道吾の話師まちがい・・でした。お詫びします。

現在、意訳中の碧巌録・・五十五則と五十三則・・ゴッチャ混ぜにして、百丈だけをたててしまいました。

百丈は、荒廃した禅林の求道者達の規律を制定(百丈清規)した、中興の祖であり、碧巌録第二十六則「独坐大雄峰」の問答でも、雲門の「日日是好日」と並んで、広く日本の今でも知られている禅者です。

今回、はてなブログに引っ越し中であり、上記の則の意訳分は、紹介しておりませんので、この三則、長文ですが・・JCOM奉魯愚をコピーして表示しておきます。長く奉魯愚をご覧いただいている皆さん・・どうぞ、ご自分の禅境(地)を、おはかりください。

本音を言えば禅師や弟子の名前はどうでもいいのです。問答の中身が大事です。

師弟の名前はともかくとして、この三則に共通している「あなたの一語」は何でしょうか・・「三分間ひとりイス禅」の碧巌録 通読の禅境は「あなたの一語」次第につきます。百点か、はたまた零点か・・中間の評価、点はありません。

 

第五十五則 道吾漸源弔慰(どうご ざんげんとちょういす) 

【垂示】圓悟が垂示した。

禅による生活の源泉は、坐禅時の静寂の当體そのもの・・三昧境地から発出するが、云えば云うだけ・・「ソノこと」から遊離してしまう。

瞬間、突発の出来事において、判断処置をあやまらない働きや、虎の頭とシッポをつかまえて、猫の如くならしてしまう行い・・とか。独立独歩、誰も寄りつけない境地に生活するようなことは、マァ、それはそれでよいとして、悩める求道者を相手に、多少の意義ある指導ができた試しがあるか・・どうか。

試みに挙す。看よ。

*垂示に云く、隠密(おんみつ)全眞(ぜんしん)、當頭に取證(しゅしょう)し、涉流(しょうる)に轉物(てんもつ)し、直下(じきげ)に承當(じょうとう)せよ。撃石火(げきせっか)、閃電光中に向かって、訤訛(こうか)を坐断し、虎頭に據(よ)って虎尾をおさむる處において、壁立千仞(へきりゅうせんじん)なることは、則ち(すなわ)且(しば)らく置く。

一線道(いっせんどう)を放(はな)って、為人(いにん)の處 有りや、また、いなや。試みに挙す看よ。

【本則】ここに死生に関する直截的な問答がある。

潭州・道吾山の禅院、道吾(どうご 圓智)老師が、弟子の漸源(ぜんげん 仲興)を連れての、葬儀の帰り道でのことである。

漸源「老師・・私は、葬儀の時、死人の入った棺桶を叩いて、この人は『生きているのか』それとも『死んでいるのか』と訊ねた。

その時、老師は『生とも道(い)へないし、死とも道へない』と曖昧に答えられた。どうしてですか・・と問い詰めても『道わじ、道わじ』の一点張り。

(葬儀も終わり、ここは誰もいない野道です)どうか、棺桶の人は・・生か死か・・ハッキリ答えてください。もし、さきほどのように、グズグズした答えなら、私は打ちますよ」

道吾「打つなら打ってもよい。しかし、その死生のことは、何も道いはしないぞ」と、かたくなに言い張った。・・ので、いいががり上、漸源は老師をピシャリと打ったのである。

よほどたって道吾が遷化した。

師を失った漸源は当時、同じ潭州の石霜山に禅院を構えていた兄弟子の石霜慶諸(せきそうけいしょ)のもとに寄寓することとなった。

ある日、かねてから気がかりでしようのなかった「棺桶の生死」問題と、道吾老師を叩いてしまった出来事を石霜に話しをした。

すると石霜・・「私だって道吾老師と同様、「死とも生とも道わない。これを誰が独断して云っても、それで問題がかたずくものではない」と答えた。

漸源は再び「どうして言ってくれないのか」と迫ると、石霜は「道わじ、道わじ」とおうむ返しである。

ところが漸源は、今回は・・どうゆう理由かは本人が知るのみで、おおいに反省するところがあったのである。

ある日、漸源は、畑の作務のついで、鍬をかついで法堂の廊下を西へ・・東へ往ったり来たりした。これを見た石霜・・「何をしているのか」と、咎めた。

漸源「道吾老師の舎利(お骨)を探しているのです」

石霜「ナント・・先師は舎利なんぞになってはいない。この盡大地に満ち満ちておわしますぞ」

(ここにおせっかいにも雪竇・・この石霜の申し分に箸語・・アア悲しいかナ哀しいカナ・・と附言(着語)した)

それでも漸源は、石霜の言い分を真面目に聞いて「どうあれ私は、先師のご恩に報いるため、衷心からこうしているのです」と、法堂を往復していた。

太原の孚上座(ふじょうざ)。漸源の態度に感服して「本当ダネ・・神イマスガ如クニシテ祭ルトコロニ神ハイマスノダ」=「先師、道吾の霊骨、今、猶、在(いま)すが如しである」

*擧す、道吾 漸源と一家に至って弔慰す。

 源 棺を拍(う)って云く、「生(しょう)か死(し)か」

 吾云く「生(しょう)とも也(また)道( い)わじ、死とも也 道わじ」

 源云く「什麼(なん)としてか道(い)わざる」吾云く「道わじ、道わじ」

 囘(かえ)って中路に至って、源云く「和尚、快(すみ)やかに某甲(それがし)が興(た)めに道(い)へ。

 もし道(いわ)ざれば、和尚を打ち去らん」

 吾云く「打つことは即ち打つに任(まか)す。道(い)うことは即ち道(い)わじ」

 源 すなわち打ちぬ。後、道吾 遷化せり。源、石霜に至って、前話(ぜんな)を擧(こ)似(じ)す。

 霜 云く「生とも また 道わじ。死とも また 道わじ」

 源云く「なんとしてか道わざる」

 霜云く「道わじ、道わじ」源 言下(げんか)に於(お)いて省(しょう)あり。

 源 一日 鍬子(しゅうす)をもって 法堂上(はっとうじょう)に於いて

 東より西に過(す)ぎ、西より東に過ぐ。霜云く「なにおかなすや」

 源云く「先師の霊骨をもとむるなり」

 霜云く「洪波浩渺(こうはこうびょう)、白浪滔天(はくろうとうてん)なり。なんの先師の霊骨をか   

 もとめん」(雪竇 着語して云く、蒼天(そうてん)蒼天(そうてん))

 源云く「正に(報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の行為)力をあらわすべきなり」

 太原(たいげん)の孚(ふ) 云く「先師の霊骨は、猶(なお) 在(い)ますがごとし」

【頌】もし、兎や馬に角がある・・と断定すれば、牛や羊には角がないと言わねばならなくなる。死生のことどももまた、かくのごとし。

道吾も石霜も、死かならずしも死にあらず、生かならずしも生にあらず・・と道っているが、そのとおりだ。

先師の霊骨は、在るにはあるが、この全宇宙の(素粒子)のどれにもいきわたっているのだから墓のような住所はない。(鍬をかついで探すので正解だ)

達磨さんだって、片足草履で、故郷に帰ったというではないか。

(注意すべきは、達磨はインドのどこかに止住しているのではない)

 *兎馬(とば)に角(つの)あれば、牛羊には角なし。

  毫(ごう)を絶し釐(り)を絶するも、山の如く、嶽(がく)のごとし。

  黄金の霊骨は、今なお、在(い)ますが如きも白浪滔天なれば、いずれにか處着(しょじゃく)せん。

  箸くるに處なし。隻履(せきり 達磨)は西に帰って曾(か)って失卻したり。

【付記】この則の道吾圓智(769~835)の弟子、漸源(不明)、兄弟子、石霜(807~887)太原孚上座(雪峰の弟子、禅者)の四名が登場する、棺桶の死者をめぐる「生死」の問答である。

今時は、死者を嫌い、目撃葬儀は父母ぐらい・・子供は、ますます死生に縁遠いことになりつつある。

かわいがった犬猫ぐらいしか、直接の死を知らない・・社会環境は、人間を人間とみなしえない、殺人や戦争を、まるで別世界の出来事であるかのようにバーチャル映像で処理する荒廃社会になった。

 

第五十三則 百丈野鴨子(ひゃくじょう やおうす)

【垂示】圓悟が垂示した。至道とか、大道とかは、決して何処か他の処にあるのではない。いたるところにイキイキ・・ピチピチと遍在している。

禅者たるもの、如何なる場合にも、その妙旨を体得して、スラスラと対応できるなら、それは悟道の行為。また、言語についても、私心私見をさしはさまずに、正直公正なら、何人に対しても活殺自在の振る舞いとなる。

さぁさぁ・・先達は、いったい、どのような境涯に安心していたのか・・チナミニ、この話を看るがよい。

*垂示に云く、偏界(へんかい)蔵(かく)さず、全機独露(ぜんきどくろ)。

途(と)に觸(ふれ)れて滞る(とどこお)ことなければ、着着(ちゃくちゃく)と出身(しゅっしん)の機あらん。

句下に私(わたくし)なければ、頭頭(ずず)に殺人(せつにん)の意あらん。

且(しば)らく道(い)え、古人、畢竟(ひっきょう) 什麼(いずれ)の処に向かってか休歇(きゅうけつ)せし。試みに挙す看よ。

 

【本則】禅修行の集団生活の規則を作った百丈(ひゃくじょう)懐海(えかい)が、まだ未悟の求道者として馬祖(ばそ=山)道一(どういつ)に随侍(ずいじ)していた・・七百四十二年、二十三・四才頃の話である。

ある日、馬祖老師の供をして、どこかの法事帰りのおりのこと。

野原の道筋から野鴨がバタバタ羽音を響かせて飛び立った。

禅機を窺うチャンス到来・・とばかり・・馬祖「あれは何か」

百丈「野鴨の奴らです」馬祖「どこに行くのか」

百丈「どこへって・・野鴨の行く先なんぞ、解かる訳がありませんよ。さっき飛び去りました」

すると、馬祖は、イキナリ、野鴨の飛翔した方を眺めていた百丈の鼻先を抓んで、ギューッと捻ったから、たまらない・・

思わず百丈「イテテッ!痛い!アイタッ」と悲鳴をあげた。

馬祖「どうして飛んでいくものか。野鴨はチャントここにいるではないか」

*擧す。馬大師、百丈と行く次(ついで)、野鴨子(やおうす)の飛び過ぐるを見る。大師云く、これ什麼(なん)ぞ。丈云く、野鴨子なり。大師云く、什麼(いずれ)の處に去るや。丈云く、飛び過ぎ去れり。

大師、遂に百丈の鼻頭(びとう)をひねりたれば、丈、忍痛(にんつう)の聲を作(な)す。大師云く、何(なん)ぞ會(か)って飛び去りしぞ。

 

【頌】馬祖と百丈の行く手をさえぎって、飛び立った野鴨。

さて、何処に飛び去ろうとするのか・・山紫水明の風情を語るに足りる弟子ではなかった。老師の問いを早く、かたずけてしまうべく、飛び去りました・・今時風に言うなら・・飛行機じゃあるまいし、飛ぶ行く先なんかありません・・との素っ気なさに、馬祖の弟子を思う老婆心=鼻ヒネリが、ほとばしった。

(徳山なら三十棒・・叩きに叩きのめさるところだった・・鼻ヒネリのおかげで、飛んだ先から馬祖の手元に戻って来れたぞ)

 

サア、鼻ヒネリで息も出来ない百丈よ・・云うてみよ・・いったい、どこに飛び去ることが出来るのだ・・道(い)うてみよ。

*野鴨子、知りんぬ 何許(いずこ)へ。

馬祖、見来たって、相共に語り、話しつくす・・山月(さんげつ)雲海(うんかい)の情。

依前(いぜん)として會(え)せざりしかば、かえって飛び去る。

飛び去らんと欲するも、却(かえ)って把住(はじゅう)せらる。道(い)へよ、道へよ。

 

第二十六則 百丈独坐大雄峯(ひゃくじょう どくざだいゆうほう)

この則には【垂示】が欠落しているので、百丈を取り巻く環境を書いておく。

ここに登場する百丈(ひゃくじょう)懐海(えかい720~814)が生まれたのは、中国史で誰でも知っている楊貴妃が719年に生まれている(玄宗皇帝35才)時代である。

蜀のげんえんの娘が楊貴妃となったのは745年。玄宗皇帝61歳。楊貴妃27歳・・百丈懐海26歳・・当時・・安禄山の謀反があり、ひどく風紀が乱れ頽廃の時代にあって、寺院や僧たちも相当に堕落していたようだ。

彼が禅林(百丈)清規(しんぎ=禅の宗団生活の規則)を定めたのもうなずける。

五燈會元に、老齢の百丈が、率先して働く(作務する)ので、弟子たちが密かに作具を隠したところ、自分の不徳の所為だ・・と食を絶った・・との逸話がある。

その時の有名な言葉が「一日作(な)さざれば、一日食せず」・・である。

彼の法系は、大鑑慧能→南嶽懐譲→馬祖道一・・→百丈懐海であり、弟子に黄檗希運黄檗宗)→臨済義玄臨済宗)と、別に・・百丈→潙山霊祐→仰山慧寂(潙仰宗)の、現、日本の曹洞宗以外の禅宗派の始祖となった、すぐれた禅者である。

もし、玄宗皇帝の世に、百丈がいなければ、はたして日本に伝播した禅は、どうなっていたことか・・解からない位の影響力がある。

百丈山(別名 大雄山)は中国江西省洪州にあり、そう高くもない、のんびりした山だ・・そうだが、大雄峯と決めつけたおかげで、日本では富士山のような有名な山になってしまった。

【本則】奇抜で面白い話を紹介する。

百丈(大雄)山の禅院に、求道者が尋ねてきた。

「何か特別でめずらしいこと・・賞賛に値することはありませんか?」

百丈懐海「独坐大雄峯・・別段、なにもないな。ただ、独り大雄峯に坐っているだけさ」

それを聞いた求道者、恭しく一礼した。

百丈、すかさず竹箆(しっぺい)で、ピシリと求道者を打った。

 

【頌】まるで天馬の如き馬祖道一の弟子、百丈懐海は稀代の名馬である。

ちょうど、雷光一閃の瞬間、天地が逆さまになるような、すぐれた働きをする・・こんな非凡な禅者の前に来て「如何なるか是れ奇特事」・・とは・・

あたかも猛虎の髭をなでるような出来事だ。

ピシャリと打たれて済んだのも果報の内だよ。(打たれるには意味がある)

いつまでも・・「あると思うな・・命とお金。無いと思うな・・福と災難」

 

【附記】「一日 作さざれば、一日 食せず」と、萎(しな)びた山間に独り、坐っている爺さん・・どうも一致しづらいのは、世の中に出回る勇壮な書一行「独坐大雄峯」のせいだ。

この百丈懐海・・原の白隠一休宗純より、越後の(国上山)五合庵に住んだ良寛さんのような方だったのか・・。興味はつきない。

現代社会は情報社会と言う・・けれど、頭脳の何千万人分、図書館の何千館分の知識がパソコンで利用できようと、広大な宇宙の果て銀河世界や、逆に最小単位のミクロ、量子物理学を究めつつあると言っても・・アメーバ―ひとつ作れず、クローンをいじ繰り回すに過ぎない存在が人間です。

 

そうした社会の為になる研究や開発、頭脳そのものの研究、自然科学の研究に情報の活用は大事ですが、人は・・ソクラテス以来、誰もが思い考えてきた・・「自分とは何か・・」「幸福・安心とは何か」の問いに、何とか答えようとする・・いわゆる・・求道(好奇)心をなくしてはなりません。

この問いに、スマホやパソコンは、真実・安心の境地とはほど遠い、資料提供だけをしてくれる存在です。

だからこそ、釈尊以前からインドの地にあった「空・無」を拠りどころにする浄慮・静寂の「禅」が、現代社会の心の免疫不全に役立つのです。(無功徳の禅が、無功徳だから解毒剤の役割をもって、役立つのです)

そして、先達が歩いた足跡・・禅語録(公案)が禅境(地)を語ってくれています。

千年・二千年前であろうと、ひたすら内面に「自己とは何か」を問いかけることに、何の情報や変化や文明の利器とやらが必要でしょうか。

むしろ知的思考に頼り、スマホやパソコンの情報を解析のツールにする以上、バランスを失った理性は、般若(智慧)の意識から遠ざかります。

それは人間は・・思考そのものを思考できない・・脳の宿命を持っているからです。

思考は、分別分析分化・・これを文の字に置き換えてもよい・・脳内作業だから、まるでパソコンに、永久運動の機械設計を依頼するようなもの。円周率を計算させるような働きになってしまいます。

釈尊以来「禅による生活」をなした禅者たちは、般若心経の、いわゆる「菩提娑婆訶」の境地を体現して今に至っています。

世の中で、最も奇特で大事な事・・とは、萎びた山中で、むさくるしい爺さんではあるが・・まるで「富士山のように、般若の真ん中に、どっしりと坐っている自分(自我)・・これである・・と断言する百丈。

 

どうやら地球を尻に敷いて「ドン」と坐りこむ禅者の傍らで、仔犬のように、跳ね回るのは止めて、静かに大雄山から退散するとしよう。 

*H15-12月分 奉魯愚 紹介掲載

 

 

 

百丈老師よ・・楊貴妃は美しい・・ですか?ソレトモ・・アバターの笑窪ですか?

碧巌録 第七十則 百丈併卻咽喉(ひゃくじょう いんこうをへいきゃくして・・)

/潙山請和尚道(いさんおしょう こう いえ)

 この七十則、七十一則、七十二則は、百丈懐海(ひゃくじょう えかい=720~814)を師とする潙山霊祐(いさんれいゆう 771~853)五峰常観(ごほうじょうかん 筠州(きんしゅう)=江西省の人、不詳。雲巌と同期生)雲巌曇晟(うんがんどうせい 782~841 潭州=湖南省、雲巌禅院)の、禅問答、三部作の第1話である。

編集者、雪竇は、百丈の問いかけに対して、弟子三人、それぞれの禅機をみるために分割したのでしょう。

始めに潙山に、次いで五峰に、最後の雲巌に、まったく同じ問いをしかけたのは、多分、彼らの年齢順であり、次の二則に【垂示】が欠落しているのは、同義の公案。答えはそれぞれの答者のひとつだけ。

わざわざ「同じ問い」に解説不要としたか、または、大慧宗杲(たいえしゅうこう)による・・碧巌録は修行の邪魔として焼却した事件(1141頃?)により、遺失したものか・・欠落しています。

*圓勤(えんごこくごん 1063~1135) 碧巌録撰述 1115頃? 刊行1128) 

内容・・雪竇【本則=公案】頌(じゅ)。圓悟【垂示】著語、評唱の五部門で成立。 

大慧 碧巌録焼却1141頃? 圓悟の弟子。曹洞の黙照禅に反して、臨済の公案禅=看話禅を標榜(ひょうぼう)、提唱した。中国、臨済宗、中興の祖と称せられる傑出した禅者であったが、門下の求道者たちが、臨済のいう・・自己の面前に出入する一無位の「真人」・・参究の道を誤り、いたずらに文字・言句の解釈にうつつをぬかす口頭禅の様子に憤慨して、焚書の狂言を演じて見せた。

(現代日本の仏教界=禅宗の寺僧たちや、佛教学者たち、関心を持たぬ庶民、スマホ社会の風潮とまったく類似した生活風景です)

私が意訳する「碧巌録」の骨子は昭和九年、京文社発行、井上秀天著「碧巌録新講話」が、重要参考本です。その前書き(歴史的研究)末尾の言葉を記しておきます。

「実を言えば、この碧巌録は、あまりむつかしい性質のものではない。禅の深遠なる玄旨を、造作なく俗耳にでも入るように、雪竇、圓悟が、当時(宋)の俗語をもって、面白おかしく提唱したものであるから、これを日本訳するには、現代の通俗語を使用して、なんびとの耳にでも、スラスラと入るようにすべきものであろう」

このように、一九三四年、漢文和訳された一千頁余の本ですが、それから八十有余年・・経過した今日・・解かりやすい日本語であつたはずが、すでに漢文古語になってしまっている次第です。

戦前、井上秀天は、原始仏教、東洋思想研究家。禅宗、佛教に根差した非戦・平和を提唱して、政局・宗教界・寺僧に憚らぬ方であつたと言われています。

残念ながら、終戦直前、神戸空襲の日、爆撃のB29を庭先で見上げておられた、その真上で爆弾がさく裂。爆死なさった・・(1945-3-17 六十六才 鳥取県出身)と聞きます。資料が大変、少ない方です。

 

【垂示】圓悟が垂示した。

一を聞いて十を知るような人には「一語」で充分・・駿馬を走らすには、たったのひとムチでことたりる。

(三十八則 垂示と同義)

つまり一念は万年のなかにあり、万年は一念そのもの(色即是空=心経)だ。

快人である禅者は、この世の事象、葛藤を、それが発生しない内に、判定、裁断しなければならない。いや、葛藤の起こる前に、裁断する機敏さが大事だ。

例えば、喉が渇いた・・と思う前に、茶が差し出されるように・・。

例えば・・自然の四季は、冬にいて、春を待望する前に、白梅のつぼみがふくらんでいるように・・。

サテ・・この事象の発生する前に、いったい、どの様にして、その直截を行動できるのか・・次の事例を看よ。

   *垂示に云く。快人(かいじん)には一言。快馬には一鞭(べん)

   萬年は一念。一念は萬年。直截(じきせつ)することを知らんと要せば、

   未(いま)だ挙(こ)せざる已前(いぜん)に於いてなるべし。

   且(しば)らく道(い)え、未だ挙せざる已前に、

   作麼生(そもさん)か模索(もさく)せん。請う擧す看よ。

 

【本則】百丈山の禅林であった一日の問答話をあげる・・擧す。

霊祐、常観、曇晟の三人が、師の前に起立した。

百丈が潙山に問う・・

「顔無し(口や舌や唇なし)で、如何に、禅を語れるか」

潙山云く「師よ、まず師が、その模範をお示しください」

百丈云く「ヤレと言われりゃ、やらぬでもないが・・やって見せれば、この世から「禅」が消滅。禅者が断絶してしまうので、やる訳にはいかないのだよ」

 *潙山。五峰・雲巌の名を、後の居住した山の名で記されているのは、碧巌録が、彼らの在世中の話ではなく編集、作成されたことを表わしている。

百丈懐海(当時三五才)の社会は、唐の玄宗皇帝(七〇才)が楊貴妃(三六才)と西安、華清宮で豪遊をかさねる・・白楽天の「長恨歌」にうたわれた「春さむく、浴を賜る華清池。温泉、水なめらかにして、凝脂を洗う」・・頽廃の時代だった。

禅林も僧侶たちは、何が「出家」か・・家出の間違いではないか・・と言うほど、倫理・道徳が乱れに乱れた中で、百丈は、禅寺(叢林)の団体生活の規律を定めた規矩(きく)制定=禅林清規(しんぎ)・・を制定して、いわば禅者のモラルを立て直した、たぐいまれな禅者でした。

「一日作(な)さざれば、一日食(しょく)せず」・・人の為に働けないのなら、食べないことにする・・この、己に向かって断言した平和実行宣言。すごい「禅者の一語」です。

同じ中国の共産党・・習キンペイさん・・働かざる者、食うべからず・・と、えらい違いです。百丈山にお参りして、爪の垢でも煎じてのまれるとよいでしょう。

 三分間坐禅を二,三〇年も続けると、「ナルホド・・文言で表現しなくとも、チャント「禅」により・・納得していることに気付きます。

百丈の言い分は、そうしたドン図まりのどん詰まり・・「禅者の一語」は自らが体得して、禅による生活を行いなさい・・の意でもあります。

  *擧す。潙山(いさん)・五峰(ほごう)・雲巌(うんがん)、同じく百丈(ひゃくじょ   

   う)に侍立(じりつ)せり。

   百丈、潙山に問う「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

   作麼生(そもさん)か道(い)わん」

   潙山云く「却(かえっ)て請う、和尚 道(い)えよ」

   丈云く「我 汝に向かって道うことを辞(じ)せざるも、おそらくは巳後(いご)

   わが児孫(じそん)を喪(うしな)わんことを」

 

【頌】潙山はナカナカの豪の者だ。まるで虎が犀の角をはやして草むらから飛び出したような出来事だ。

生徒が先生を試験するとは・・。

現実世界五州と理想郷五州、あわせて十州の、枯れ木に花を咲かせたような春爛漫の地も、過ぎれば真冬の枯山水

しかし、言語を絶した禅者は、まるで南洋の珊瑚のように、陽を浴びて輝やいている。

  *却って請う、和尚 道えとは。

   虎頭(ことう)に角(つの)を生じて荒草(こうそう)を出でたるなり。

   十州(しゅう)には春盡(はるつ)きて、花は凋残するも

   珊瑚(さんご)樹林(じゅりん)には日杲杲(ひこうこう)たり。

 

【附記】クレオパトラと並び称せられた楊貴妃(27歳)が、玄宗皇帝(61才)に見初められたのは、紀元745年の事。

中国7~8世紀へ、タイム・トラベルできたら、動乱、頽廃の世相の中、禅の勃興期、どうやら、この時期の宮廷、楊貴妃の容姿を、百丈老師とともに見られたかもしれない・・しかし、アシタに紅顔の美少年(少女を意味した)夕べに白骨となる・・ならば・・観光・就職コネ旅行は中止にして、退散するのが(百丈わずか二十六才の時ですから・・)正解でしょう。

棺桶の死人を「生か?死か?」・・と問うて、師、馬祖道一に鼻をひねられ、あまりの痛さに泣きわめく青年期の求道の姿・・を想いつつ、禅者の「禅による生活・・境地」を、トックリ拝見いたしましたが、貴方はいかがですか。

その他・・老師というのは、年老いた師の意味ではなくて、近しい先生の意です。

 

おせん泣かすな うま肥やせ・・開拓しなければならないのは・・?

  • 碧巌の散策 第七十回の歩記(あるき)である・・      

貴方の人生(死生)観は何ですか・・と訊ねても、若い人は答えられない。

父母や学校、スマホで教わらないし、

まして、死生観に基づく行動(生き様)など、思い浮かべようのない社会生活だからだ。

禅や禅問答にしても、何も解かろうとしないし、学びもしない。まして、外国人から、「ZENとはどうゆうことですか?」と訊ねられても、答えられない。

世界での「ZEN」に対する関心は深い・・が、本家本元であるはずの日本が,アヤフヤ、アイマイ・・ダルマさんが禅の本家であることすらしらないのだから、世も末である。

著名な寺社へ観光(拝観?)に出かけ、写経や、坐禅の真似事をして、ピシリと肩に警策をうけ、その近くで懐石(精進)料理を食べて、記念に般若心経を印刷した扇子の一本も仕込めば、立派に禅を学んでの・・いい経験をした・・と、思うだけの気楽さだ。

こうした有様では「禅」は廃れ果ててしまう。

 

原因を追究すれは、何時、発生するかわからないであろう・・我が事=「自分の死」について、深く想いをめぐらす生活条件が希薄なことだろう。

第1に、戦争、災害、事故・事件、病気、革命、平和・死刑廃止運動など「自分が死亡」する・・出来事が、随分と将来に先延ばしされた(・・ように感じる)社会になったことである。

第2に、ハッキリ言って、日本の政府・官僚・NHK・教育などが、平和憲法に守られたと錯覚して、危機・管理の対応・・に、責任を取りたくない仕組みを構築してきたことだ。

*例えば、国交もない隣国により、国民が拉致被害にあい、核実験をされ、ミサイルを経済水域にうち込んでくるのに、外交交渉だけでなんとかする・・という、そんな国が、何処にあろうか?ミサイルを撃ち落とし、二度とするな位の、気迫がほしい。

戦争を仕掛けろ・・というのではない。国民を不法に拉致されて、その奪還に出かける・・自衛行動が、何故できないのか?

経済水域に実験と称するミサイルを撃ち込まれて・・あるいは、領海に入りこんで拉致する船や、尖閣をねらう中国漁船を、何百隻だろうと拿捕する・・のが、海保・自衛隊の役目でしょう。そして、漁業や海底油田など、どうぞ、安心して行ってください・・と、諸外国の軍事圧力から、自衛・保安してくれるのが、国の役目でしょう。

こんな国際的に、何処の国にもある自衛の権利と、国民からの負託を忘れて、事なかれ主義になりさがった日本なのか・・「政府よ・・国土を外敵から守り(拉致された国民を奪還して)安心して操業・生活できる国にする・・責務をはたせ」と言いたい。

昔の人々は、年金もなく、家族ともどもの教育や病気の不安をかかえて、平均寿命五十年の生活でした。時にお百姓さんまで「おせん泣かすな、うま肥やせ」と電報文のような手紙を托して、戦場に狩り出され死にました。

ペニシリンが出来て・・コンビニができて・・PC・スマホが普及して、まだ、百年もたっていません。

ナノニ・・尖閣を守り、海外派兵に出向く自衛隊や海保などの・・現場の方たち・・とその家族だけが、「死生観」を持って生きている、歪(いびつ=不正ト書キマス)な社会となりました。

 

昔は、子供たちが十五歳(今の中三ぐらい)になると、家族や、ご近所、役場などの関係者が集って「元服(げんぷく)の儀式」が行われました。

髪形や服装がかわり、結婚や仕事など、大人社会の仲間入りが認められました。

今の「成人の日」とちがう、一番大事なことは、社会への参画の、責任と義務が伴うこと・・として祝われた点です。

ナカデモ・・武士の子は、もし恥となり、社会・地域の迷惑な事を仕出かした場合は、切腹(死ぬ)を覚悟します・・と、その仕方、やり方を儀式的に演じて見せたのです。

当時、二〇代は、大年増(オオドシマ=年とりおばさん)三〇代は、おばあさんと呼ばれ・・四〇代は、男女ともに、戦死したり、隠居したり、孫の面倒をみる・・社会です。こうした出来事を賛美して書くのではありません。

ただ、文明・文化の発達とは、人間のロボット化だけを促進するものであっていいのか?・・という疑問です。

 

「死」を身近に実感できない時代・・犬猫ですら、獣医師が訪問介護で駆けつけてくれる介護社会になって・・「死と対比できる生」「戦争と対比できる平和」がなくなって、「不幸と対比する、自分だけの幸せ」だけ、追い求める時代です。

  • どうやら・・開拓しなければならないのは西部の荒野ではなく、馬に乗った「人の帽子の中」である。(コレハ・・アメリカ西部開拓期のコトワザです)

そのアメリカの大統領戦では、下ネタ、下世話話にウツツを抜かす・・嘆くことの多い社会になりました。

*碧巌録第七十則は次回、掲載。

禅・坐禅・瞑想  ◆碧巌の散策 第六十九回の歩記(あるき)である

◆「役立たず」の「3分間ひとりイス禅」は・・「執着する心の」アカ落しだ   

  • 「役立たずの坐禅」と言われますが、役立たずと云う「役」に立っているじゃないですか・・理窟もここまでくれば,HERIKUTUですが、「這えば立て」の、親ごころでいえば、モウチョット・・です。(でも、猿が人間に進化した位の大変身が必要ですが・・)

●遊びをせんとや生まれけん・・(梁塵秘抄 今様)

提唱する「三分間イス禅」は、自分が「面白いか(楽しいか)」または、自分に

「得か、役立つか」・・の観点で、行っているとしたら、これは、まったく役立つものではありません。

自分にとって「役立たず」の、箸にも棒にもかからない、そんな三分間・・イス禅であればこそ、いずれは必ず、禅語でいう「無所得=無尽蔵」の世界が開けてくることになるでしょう。

イヤ、こんな功徳のありそうな言葉は必要ありません。

また、釈尊が言ったとか・・〇○宗のえらい?坊さんが言ったとか、経典や哲学書に書いてあるとか、尊敬する指導者が導いてくれた・・とか・・著作や漫画、スマホに救われた・・など、一切の価値観・・これは、自分が創ったものではありません。他の人の経験、知識ですから、参考にするだけで、後はこだわることなく捨ててしまいましょう。

通販で「私は●◆でこんなに痩せた」と、経験CMに釣られるような、坐禅や瞑想はおやめなさい。役立たないことであればこそ、釈尊は悟りを得られ、坐禅や瞑想が現代まで、続いているのです。生活手段や、利権教導の中に入った瞬間、真の禅・坐禅や瞑想は、真の行動を消滅します。だから、ひとりイス禅をすすめます。

(碧巌録の時代から、さらに千年分・・すさまじい知識・文化・・情報が私たちに押し寄せています。(二十四時間、すきまなく情報の電波だらけです。もし電波が筋になって見えたら、あまりの多さに、どうにかしてくれといいたくなることでしょう)

こんな過剰な情報は頭脳にとって整理しきれず、一度仕込んだ情報も捨てきれず、千年昔・・臨済のいった・・君の体(面前)から「一(いち)無位(むい・依)の真人(しんじん)」=何事もコピペしていない本当の私(真人)が、四六時中、出入りしているぞ・・認めない者は、今。すぐに看よ・・看よと迫る・・言葉が、虚しく響いてきます。

社会的情報、CM、知識が上積みされ、分別判断のペンキで塗装された頭脳には、自分の悩みまでが他人事のように思えてくる始末です。

この想いやこびり付いた執着のアカをそぎ落として、コピペでない真人(シンジン)を発見する行為・・こそが、三分間イス禅です。

例えはうまくありませんが、二、三十年も、イス禅を、おりおりに続ければ、垢(自我意識)や塗装(利得・見栄)もハゲ落ちてきて、だいぶ透明人間(真人)めいてくることでしょう。

注意すべきことは、もうこれ以上、誰にも、本にも、スマホにも、教導されたり、頼ったり、金を払ったりしないことです。

組織的な社会生活は、必ず利権の温床となる宿命にあります。

チョット何かの教えを乞うと、もう、落とし難い「執着」のアカが付きます。

チョット他に頼ると、まるで(情報・知識)の全面降伏の有様。まるで中毒患者の症状になってしまいます。

この私の奉魯愚も流し読みして、自分だけで、「三分間ひとりイス禅」・・密かに、そっと続けてください。

役立たず・・という「役め」がある・・それが坐禅=垢落しの役目です。

 

碧巌録 第六十九則 南泉一円相(なんせん いちえんそう)

【垂語】圓悟が垂示した。

禅者の心境は、なまじの覚悟で挑んでも、理解しがたく、堅くて歯もたたない。

その形は、黄河の氾濫に備えて、ドンと河岸に据え付けられた、巨大な鉄牛に例えられよう。(第三十八則 本則中 「祖師心印 状似鐵牛之機」と同義)

破れ衣をまとった修行の足りた禅者は、深山に小さな禅庵を建て、赤い囲炉裏の炭火に、一握りの白雪を振り舞いたような生活・・がベストでありましょう。

四方八方から敵に襲いかかられようと、いささかも動じることなく非凡に立ち向かえるのは、それはそれでよいとして・・文字、言句の葛藤に囚われないこととは・・はたして、どんなことか・・試みに挙す看よ。

   *垂示に云く、啗(たん)琢(たく)なきの処は、祖師の心印にして、

    かたち鐵牛(てつぎゅう)の機に似たり。

    荊棘林(けいきょく りん)を透(とお)ものは、

    衲僧家(のうそうけ)にして紅炉上一点の雪のごとし。

    平地上に七穿八穴(しちせん はっけつ)なることは

    則(すなわ)ち且(しばら)く止(お)く。

    夤縁(いんえん)に落ちざること、また作麼生(そもさん)

    試みに挙す看よ。

 

【本則】馬祖の弟子たち・・南泉(なんせん)と歸宗(きす)と麻谷(まこく)の、行脚(あんぎゃ)=若い修行時代の面白い話をしょう。

三人は、江西、馬祖山を出発して、はるばる長安の都、忠国師のもとを目指して旅だった。

その道なかばにさしかかって、一休みのおり、南泉は、路上に「一円相」を描いて云った。

「これについて、誰か真理に触れた一句=「一語」を云えるなら、約束通り長安まで行くことにするが、そうでないなら、テクテク遠い長安まで行くのは、もうごめんだ」

すると・・歸宗は、南泉の描いた地上の一円相の中に入って坐禅をしたのだった。

麻谷は、それを見て、早速、歸宗の前に行き、女性が観音様を拝するように、礼拝した。

二人が、そんな芝居じみたことをするので、南泉は「ソンナ事なら、もう長安行は止めた。ヤメダ」と云った。

歸宗「ここまで来て何を言うか。いったいどんな腹づもりで止めるのか」と詰め寄った。(結局、三人はトボトボ、遠路の旅を止めて、親方のいる馬祖山にもどった)

   *擧す。南泉(なんせん)、歸宗(きす)、麻谷(まこく)

    同じく去って、忠(ちゅう)国師(こくし)を礼拝せんとせり。

    中路(ちゅうろ)に至って、地上において、一圓相(いちえんそう)を書(えが)いて云く、

    「道(い)い得(え)ば即(すなわ)ち去(さ)らん」

    帰宗、円相の中において坐したれば、

    麻谷すなわち女人拝(にょにんはい)をなしたり。

    泉云く「恁麼(いんも)ならば則(すなわ)ち去(さ)らじ」

    帰宗云く「是れ、なんの心行(しんぎょう)ぞ」

 

【頌】楚の恭王の為に、樹上の白猿を狩りする最中射手の矢のことごとくを、白猿が手で振り払い阻止したので、弓の名人、太夫の養(よう)由基(ゆうき)が、その手こずらせた白猿を、不思議な矢で射止めたという・・故事にもとづく。

樹木をグルグル逃げ回るのを、誘導弾のように追いかけまわす由基の矢は、不思議にも、樹木をかいくぐって、グルグル旋回しながら(しかも、まっすぐに飛んで)的中したことになる。

禅界で知らぬ人無き、著名な忠国師の「一円相」は、まさしく白猿のような怪物だが、はたして、養由基のように、見事に射止めて、その正体を見届けた禅者がいたかどうか・・

彼ら三人は途中で長安行きをやめて、馬祖山に帰ったそうだが、ソリャ正解だ。

もともと曹渓(そうけい)、山猿の慧能(えのう)(焚き木拾いで生計を立てた六代目禅祖師)の手元には、本来「無一物」・・何もないのが取り柄だ。

だが、何もないところを、何もないまま見て回って、文化とやらの咲乱れるサマを、円相トヤラに映し込んで、お土産にしたらよかったものを・・・。

(どうも、手(て)・間(ま)=労力・時間を省くと、ろくなものにならないなぁ)

    *由基(ゆき)が箭(や)は猿を射たり。樹(き)を遶(めぐ)ること何ぞ、

    はなはだ直(ちょく)なりしぞ。

    千箇(せんこ)と萬箇(ばんこ)。これ誰か、かって的にあてしや。

    相よび、あい呼んでかえりなんイザ。

    曹渓(そうけい)路上(ろじょう)には登陟(とうちょく)することを休(や)めたり  

   (また云く)曹渓の道は坦平(たんへい)なるに、なんとしてか豋陟をやめたるぞ

 

【附記】この則は、馬祖道一の弟子、南泉普願(なんせんふがん 748~834)麻谷寶徹(まこくほうてつ 南泉と法系上の兄弟弟子)歸宗智常(きすちじょう=蘆山(ろさん)歸宗寺(きすじ)の三人が忠国師南陽慧忠 なんようけいちゅう)のいる長安(西京・千福寺)に行脚する道中の話だが、三名とも、まだ、馬祖山にいたる間なしの、諸国遍歴時代の青年修行者(二十五歳前後)であった。

自分たちの師、馬祖道一(ばそどうどういつ)の師すじにあたる、南嶽慧譲(なんがくえじょう)の兄弟弟子・・南陽慧忠が・・(この二人は六祖、大鑑慧能(たいかんえのう)を祖師とする)飛ぶ鳥をおとす勢いの粛宗皇帝の国師であることを知って、有名な「一円相」の元祖・家元の禅境話も聞きたし、さらに良いコネ、ツテがあれば名山の住持に昇進・・との、よからぬ動機もあり、いさんで馬祖山を旅立った道半ばの出来事だった

歸宗の「我は絶対の中心」にあり・・とする円相坐と、麻谷の茶目っ気たっぷりの観音礼拝の仕草に、真面目な南泉は、さぞかしガッカリしたことだろう。

この話は・・「いいえれば即ち去らん」とする意を領得できなかった二人の青年求道者の禅機上の遊戯を誘ってしまった南泉の失望話である。

  • 遊びをせんとや生まれけむ

   戯(たわ)ぶれせんとや生まれけむ

    遊ぶ子供の声きけば

     わが身さえこそゆるがるれ(平安期 梁塵秘抄・今様)

 

以降・・当奉魯愚は・・【jcom=ブロガリ⇒年末まで掲載終了】とシンクロして掲載しています。どうぞ、これからははてなブログ「お気に入り」に入れて、通読くだされば幸甚です。

 

◆禅者に・・君の名は?と尋ねられて・・  碧巌録第六十八則

碧巌録 第六十八則 仰山問三聖(きょうざん さんしょうにとう)(仰山汝什麼 きょうざん なんじのななんぞ)

 

【垂語】圓悟が坐下の求道者に垂示した。

およそ禅者は、天地をひっくり返し、虎や犀牛(さいぎゅう)を捕まえたり、龍か蛇かを識別したりする、溌溂(はつらつ)たる禅機を要する。

このような非凡な人物は、如何なる問いかけにも明確な応答ができ、どのような場合にも、臨機即応(りんきそくおう)の働きができる人である。。

さあて・・昔から今日まで、この禅門に、どんな禅者が、こんな活動をなしたものか・・その例をあげるから看よ。

    *天關(てんかん)をかかげ、地軸(ちじく)を翻し(ひるがえ)、虎兕(こじ)をとらえ、                                    

    龍蛇を弁ずるには、須く(すべから)是れ、

    この活驋驋(かつぱつぱつ)の漢にして、初めて句句(くく)相投(あいとう)じ、

    機機相応(ききあい)応ずるを得(う)べし。

    且(しばら)く従上来(じゅうじょうらい)、

    什麼人(なんびと)か合(まさ)に恁麼(いんも)なるべかりしぞ。請う擧す看よ。

 

【本則】相手の名前を知っていながら、その名を尋ねる奇妙な話を一つ。

仰山(きょうさん)慧寂(えじゃく)が三聖(さんしょう)慧然(えねん)に、あなたの名前は何ですか・・とたずねた。

三聖は、真面目に「慧寂です」と答えた。

仰山は「慧寂とは、そりゃ、わしの名だ」

三聖「それなら私の名は慧然です」

仰山はこれを聞くなり、腹を抱えて笑った・・と・・さ。

   *擧す。仰山(きょうざん)、三(さん)聖(しょう)に問う。

   「汝 名はなんぞ」聖云く「慧(え)寂(じゃく)

    仰山云く「慧寂はこれ我」

    聖云く「我が名は慧(え)然(ねん)

    仰山 呵呵大笑(かかたいしょう)せり。

 

【頌】三聖が自分の名を問われて、相手の名を答え、とがめられて、早速に自分の名を言い返す手際のよさ。まるで・・奪うも捨てるも、二つながらの自在の働きは、猛虎にうちまたがったような禅者といえよう。

三聖の答話を聞いた仰山、思わずの大笑いだが、その笑い声は風にのってどこかに消えたぞ。

さあて・・さて・・この笑い声、千年万年、何時までも天下の求道者の謎となり、寂寥の虎落(もがり)笛(ぶえ)となって、求道者にとりつくことであろう。

(仰山、大笑の落處=汝、真人は何処にありや・・)

   *雙収雙放(そうしゅうそうほう)なんたる宗ぞ。

    虎に騎(の)るには由来(ゆらい)絶功(ぜつこう)を要す。

    笑いやんで知らず、いずれの処にか去りしぞ。

    只(ただ)まさに千古悲風(せんこひふう)を動(どう)ずることになるべし。

 

【附記】相逢不相逢(あいおうて あわざる) 共語不知名(ともにかたりて なをしらず)(臨済

仰山慧寂(814~890)は、潙山霊祐の片腕として潙仰宗を創唱した穏健にして円熟の禅者である。

一方、三聖慧然(不詳)は臨済義玄の弟子。仰山、徳山、雪峰などと問答した記録があり、年齢的には、彼らより後輩であつたろうと推測します。

彼は北方禅、臨済(866寂)宗祖・・「赤肉団上(しゃくにくだんじょう=君の顔から出入する)一無位(むい)の真人(しんじん)」を看よ・・と迫る、将軍禅の鞭撻を受けた、禅機はつらつな禅者である。

臨済の弟子であり、彼の名は百も承知で、「無位=無依の真人」禅による生活をなす者・・の名をきく仰山。(実に辛辣な、禅境(地)を尋ねる問答です)

 

自分は「名づけようもなき無位の真人=禅(による生活)者である」・・これも百も承知で、仰山を名乗る三聖。

相逢うて、語るも互いの名を知らず・・と、禅機まるだしの三聖。

無位(依)とは、露(ろ)裸(ら)裸(ら)、赤灑灑(せき れいれい)、浄堂堂(じょうどうどう)と、この世で得た、あらゆるものをかなぐり捨てて、そのままに立つ(眞人)姿を言います。

臨済の「無位の真人」を、三聖に問うた仰山。

 

素っ裸で道を歩く訳にもいかず、衣をまとい、衣の名を「慧寂」として仰山の名を騙(かた)る三聖の答え。

「そりゃ、わし(仰山=真人)の名だ(お前さんの真人の名は何だ」と詰め寄る仰山。

あらゆる形骸を両忘して・・(ともに語りて名をしらず)答える三聖。

それを、「得たり」とばかり・・腹の底から大笑いする仰山。

 

虚栄・虚識に満ちた現代より、千年も昔の出来事の方が、はるかに、露堂々、明歴々・・スガスガしい生き方をしている・・と言えましょう。

 

この問答、重箱の隅をつつくような解説になりましたが、論理的に解説できる話ではありません。禅の問答は、どれをとっても、その人、それぞれの禅機(はたらき)禅境(地・・行い、心がけ)そのものだからです。

 その禅者の言動で、何か「気にさわる」・・「心惹かれること」が、導きとなって坐禅(禅境)を深めていってくれる・・はずです。

 

●碧巌の散策 第六十八回の歩記(あるき)である・・

 

Q 禅は、浄土宗などの宗教的区分で、「禅宗」と言われるのですか?・・(禅は宗教ですか?)

 

禅者であり佛教学者である鈴木大拙の・・「まず禅とは何かと云うことの決定」禅思想史研究 第二巻(岩波書店)・・何故に菩提達磨(ぼだいだるま)を禅の第一祖としたか・・の文中、大綱の一節を略述します。

「まず禅宗と云うが、この宗の字は、宗派の宗の義ではなく「楞伽経(りょうがきょう)」などに云う「宗通・説通」の区別をなすときの「宗」である。

ある意味で云えば、宗とは「證悟(さとり)の体験」そのものである。自覚聖智の作用である。説とはこれに反して、体験を概念化して人のために説破するか、あるいは智力特有の性質を発揮することである。

それ故、「楞伽」の心持でいえば、禅宗とは、「禅を宗(悟体験)する教え」・・との義である」

 

A=「宗」とは、悟りの体験そのもの・・をいいます。自覚して「禅により生きること」です。説とは、サトリ体験を概念化して、求道者のために教導、説破するか・・悟道者と衆生は、金石(きんせき)麗生(れいせい)にして別ならずの、一途な禅境地を任ずる・・の釈尊の教え・・との意味となります。

「禅」には、決して、欣求(ごんぐ)して済度(さいど)を願う・・宗教性・・は微塵(みじん)もありません。

 

*以前から、私の場合、禅録に記載されている「佛教・佛心、佛とは?」などの用語を、総て「禅」の一字に変えて、意訳しています。その方が、佛様・神様といわれる浄土宗系など「宗教」との誤解を避ける、最もよい方法だからです。禅は寺僧によって、長い間、保育・揺籃を得ましたが、禅=悟りは、求道者ひとり独りの覚醒と、その「禅による生活」=禅境(地)を深める行い・・です。

 

また、この碧巌録は、宗門第一の書と言われますが、圓悟の口述を、その弟子達が編纂、集大成したものであり、圓悟の【垂示(すいじ)】、【本則】、雪竇(せっちょう)の【頌(じゅ)の他に、圓悟の提唱、更に、本則・偈頌(げじゅ)に・・下語(あぎょ)、箸語(じゃくご・・後世代の禅者による異論、反論、講評、自説など)あり、自由闊達な見解(けんげ)が述べられています。

ただし、今回の「碧巌の散歩」では、圓悟の提唱や著語など、老婆親切でなされたアドバイスの数々も、意訳に枝葉が付きすぎて、大変に読みぐるしいので、全容が見定められない様子になりますから省きました。(いずれ数則だけ、加筆するつもりです)

公案も五十則を超えると、さすがの圓悟も、禅者の一悟・・手を変え品をかえての案内解説に疲れたのか、同義の文句を【垂示】で再三に述べています。

現代社会の趨勢(すうせい)の中の「禅」の・・これからでいえば、まずは【本則】の、登場する禅者の「禅機・禅境(地)」の言動に的を絞って、出来るだけ「露裸々(ろらら)、赤灑々(せきれいれい)」な意訳、紹介することが大事と考えます。(以上、お尋ねに答えて、追加)

 

私は、若い頃、盤珪が苦心努力して、念仏禅をした・・と書物で読みました。

しかし、尻が擦り切れて血が滲むほどに坐禅をしても悟達するに至らず、血痰をカベに吐いて、それがコロコロと転がり落ちるような死の寸前まで、公案禅に浸りこんでも、大覚できなかった・・との伝記を読んで、禅は欣求宗教ではない・・とハッキリと思いました。

多少、坐禅の真似事をしたからと言って、安心(アンジンと読みます)できません。

盤珪は、いよいよ自分が体力が衰えて、死期が近づいたのに気づいて坐亡(ざぼう=坐禅のまま死ぬこと)するべく、ヨロヨロと坐を組もうとした時・・「ヒョット」した拍子に、悩みのすべては「不生そのまま」で片づく・・と解かったそうです。

そしてそれ以来、看話・公案禅は、反古紙(ほごがみ)を有難がる問答禅であること。もう一つの曹洞宗、只管打坐(すかんたざ)は、枯木寒巌(こぼくかんがん)による枯れ木禅である・・として、庶民に「ただただ自分の中に、不生そのまま・・をみつけなさい」と語りかけています。

盤珪は、ひよっと体覚した「不生の一悟」をもって、欣求祈願しがちで、書物(知識)や寺僧、教導に頼りがちな人々に「執着しない、不生そのまま」であれと説いています。

かねてから云いつくしたことですが、禅は、自我意識を捨て尽くした「ドン詰まり」の「ドン詰まり」・・その一悟(語)を以って、禅による行い=生活をなす・・だけのこと・・です。

昔の人は、そうした、こだわりや執着心が無くなった状況、生活態度を、活きながら大死一番した・・といい、闇の世に、鳴かぬカラスの声を聴いた・・といい、天上天下唯我独尊といい、趙州無字を透過、見性した・・といったのです。

 

欧米で禅や東洋哲学の解説に、最も影響力をもつ人、アラン・ワッツ「ビート禅とスクェア禅と禅(阿部正雄訳)「講座 禅 第七巻」㈱筑摩書房・・文中に、大変、興味深い、言い得て妙の禅比較の例えがあります。

紹介しておきます。

「中略・・しかしながら、ビート禅とスクェア禅の両極の間の対立は、哲学的には大きな興味がある。それは、ヒンドゥ教徒のいわゆる猿の道と猫の道との間の、古くからの論争の、現代版であるから。

猫の場合は・・非常に猫にとって適切な例えであるが・・母猫が子猫たちを(口にくわえて)運ぶので、子猫たちは何の努力もいらない。これに反し猿の場合には、子猿は母親の髪の毛にしがみついていなければならないので、その道は困難である。

それでビート禅(猫禅)にとっては、サトリをえるため、また現在の自分以外の者になるため、何の努力も、何の修練も、何の人為的な骨折りもあってはならない。

しかしながら、スクェア禅(猿禅)にとっては、正式の老師のきびしい鉗槌(かんつい)のもとでの数年にわたる坐禅の修行なしには、真のサトリはありえない。

十七世紀の日本の偉大な禅匠たち、盤珪白隠は、おおよそ、この二つの行き方を代表している。そして、たまたま白隠の流れが勝ち抜き、今日の臨済禅の性格を決定したのであった。(以下省略)

 

「三分間ひとりイス禅」は、盤珪の「猫」禅に、時折、興味・関心のある公案をもって、注意・刺激や禅境を看る・・白隠の「猿」禅を加味した・・「ネコ猿禅」・・といってもよいでしょう。誰にも教えを乞わず、独り坐禅する者に、こうした、坐禅の形式、由来を尋ねることは、例え三分でも、かえって求道、集中の邪魔になることでしょう。

宇宙遊泳の二十一世紀の「禅」は、まずは手始めに、これぐらいの、宗教界や哲学的思考を脱臭した、気軽な坐禅がおすすめです。

三昧(さんまい)・・達道にいたる道筋はどうあれ、禅者は独り、何の価値もなき・・「禅による生活」=不生そのままの生活・・を行う人をいうのです。

【碧巌録 第六十八則 本則】は次回、掲載いたします。

 JCOM・ブルガリ=奉魯愚NO475-(Ⅰ)同文です。