碧巌の歩記(あるき)NO63~NO64

碧巌の歩記(あるき)NO63  

碧巌録 第六十三則 南泉斬却猫児(なんせん ざんきゃくみょうじ・ねこをきる)

【垂示】圓悟が、座下の求道者たちに説示した。

いつも相対的な社会に生きる者にとって、絶対と言われる出来事を思索しようにも、意路不到(いろふとう・思索の及ばぬないところ)言詮不及(げんせんふきゅう・分別的表現できないところ)は禅者の狙いどころ・・着眼点であるから、しっかり目ン玉をひん剥いて、雷光の瞬間、流星の飛ぶ如きに、見事に対応できるか・・どうじゃ?

これが出来れば、琵琶湖の水も一飲みで飲み干せる訳だが、君たちの内に、こんな妙用(働き)をなせる者がいるか。試みに挙す。看よ。

  【垂示】垂示に云く、意路の到らざる(所は)正に提撕(ていぜい)すべし。

    言栓(ごんせん)の及ばざる(所は)よろしく急に眼(まなこ)をつくべし。

    もしまた電転(でんてん)し星飛(せいひ)せば、

    すなわち湫(しゅう)をかたむけ、嶽(がく)を倒すべし。

    衆中(しゅうちゅう)辯得(べんとく)する底(てい)、有ることなしや。

     試みに挙す 看よ

【本則】千人以上も求道者が修行する南泉山で、東西二つの宿舎に分かれて、一匹の猫の所有をめぐって取り合いの争いが生じた。

この「ネコ騒動」・・両堂の求道者たちの、次第に怒鳴りあい、殴り合いにエスカレートする、ラチもない激高ぶりに、南泉普願(なんせんふがん)老師、たまりかねて、包丁を隠し持ち、その場に割って入って、猫の首筋を高くかかげて云った。

「お前たち・・平常、悟り顔をして、この大げんかは何のざまか。実際、真の求道者なら何かヒトコトを道(い)うてみよ。さもなければ、この猫、切り殺してしまうぞ」と叱りつけた。・・けれども・・師の想い届かず、独りも「禪」を解かったものが出て来なかった。・・ので、南泉老師は、この猫を切り殺した。

*この話は、碧巌録(雪賓重顯)では、師、南泉普願と、弟子、趙州従諗次の、禅機禅境(地)を、別々に見ようとして、六十四則「趙州頭戴草鞋」との2回にわたる則となった。

無門関 第十四則や従容碌 第八則では、連続した一編の説話として記述してある。

  【本則】挙す。南泉(山において)一日、東西の両堂、猫児を争う。

   南泉これを見て、ついに提起して云く「道(い)いえば即ち斬らず」

   衆、對(たい)なし。

   泉、猫児をを斬って両断となせり。

【頌】両堂の求道者たち、イヤハヤどいつも拙劣きわまりないバカばかり。ジャンケンでもして決めれば済む話を、頭から湯気を立てて大喧嘩して間抜けな者達だ。こうした集団心理は恐ろしい事件を誘発するが、ただ、南泉の一刀両断の「禅機」が発揮されたことで問題が解決した。

南泉がいなければ、頭に血がのぼった群集心理で死者が出るような騒動だった(仏教寺院史上、初の猫斬り大騒動である)

   【頌】両堂ともに是れ杜禪和(ずせんな)

      煙塵を撥動(はつどう)せしもいかんともせず。

      さいわいに南泉のよく令を挙することを得て、

      一刀両断して偏頗(へんぽ)をままにせり。 

 *師、南泉の晩年・・弟子、趙州五十才頃の第六十四則に連続した話です。無門関 第14則では、この2則をまとめて1則にしてあります。

編集した禅者、雪賓重顯は、南泉と趙州それぞれの禅境(地)を、読者たちがどのように評価するか・・看てみたいと思ったのでしょう。

 

            碧巌の歩記(あるき) NO64 平成30年2月10

(師、南泉の晩年・・弟子、趙州五十才頃の第六十三則に連続した話です)

 

                            碧巌録 第六十四則     趙州頭戴草鞋

                            (じょうしゅう ずたいそうあい・こうべにワラジをいただく)

【垂示】ありません。

【本則】南泉山 猫騒動のあった、その夜のことである。

出かけていた弟子の趙州・・帰ってきたのを待ちかねたように、南泉は昼間の猫騒動のことを話した。

一匹の猫の取り合いに、大騒動を演じた求道者たちの振る舞いを聞いた趙州は、まだ脱ぎ終わったばかりのワラジを、自分のアタマに載せてスタスタとその場を去った。

(これが趙州の・・なにかヒトコトを道(い)うことだった)

この様子を見た南泉老師、思わず「お前が居てくれたら、猫を斬らずに済んだ」と、愚痴しきりのアリサマだった・・ソウナ。

   【本則】挙す、また南泉、前話を挙(こ)して趙州に問う。

     州、すなわち草鞋(そうあい)を脱して頭上に戴いて出でたり。

     泉云く「子(し)もし(その時)ありせば猫児(みょうじ)を救い得たりしものを」  

【頌】南泉老師は外出から帰ってきた趙州に、昼間の猫騒動の話をきかせた。師、南泉は、猫1匹の斬殺・成仏に、あれこれクヨクヨと思い悩むような出来損ないの禅者ではない。

(無門関 第19則 平常是道・・平常心是れ道・・と趙州に説き、不疑(うたがいなしと)なれば「太虚(たいきょ)の廓然(かくぜん)として洞豁(どうかつ)なるが如し」天地同根なれば、カラリと晴れた青空・・の禅境であるとして、趙州を頓悟に至らしめた禅者である)

履いていたワラジを頭にのせて、師の前を去った・・この趙州の所作が最大の難関である。(足下のワラジをアタマに載せる・・バカバカしいことの意思表示だ・・などというのは大間違いだぞ。趙州の所作が見えたら、南泉のネコ斬りの真意もみえてくる)だが・・南泉山、千人の求道者達・・その誰もが理解できないことだろう。

オイオイ、趙州さんよ・・南泉老師に30年もお付き合いしたのだから、もういい加減に故郷にかえって、思うままの禅境(地)に暮らされたらどうですか・・。

   【頌】公案を圓来(えんらい)して趙州に問う。

    長安城裏(ちょうあん じょうり)閑遊(かんゆう)をままにす。

    草鞋(そうあい)を頭(こうべ)に戴きしも人の會(え)することなからん。

    帰って家山(かざん)に到って、かえって休(きゅう)せよ。 

【附則】 この南泉斬猫の話は、古来、難透と言われる公案です(無門関 第14則 南泉斬猫・・と同じ)

しかし、包丁でネコ斬り・・どうしても納得できないので意見いたします。

当時・・8世紀頃、猫を飼うことは、愛玩というより、穀倉のネズミを追い払ってくれる(また、ペストなど病気予防の)貴重な動物でした。

南泉山の猫騒動は、そうした求道者たちの穀物蔵を守ってくれる猫の取り合い話です。南泉普願(748~834)は、馬祖道一に師事して、兄弟弟子、西堂智蔵、百丈懐海の禅境を抜く卓抜した商量を見せた・・経(教え)は蔵に入り、禅は海に帰す。ただ普願(南泉)のみ、独り佛外に超える・・と言わしめた人であり・・弟子に禪史上、唇に光を放つ120歳まで生きた禅者、趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)を打出した禅者でもあります。それが、たった1匹の猫の取り合いに、台所の包丁まで隠し持ち、誰か独りでいい、猫を助ける禅境の1句を道え・・は、達道の禅者、南泉の力量から見て、いささか腑に落ちない事件です。

まして殺生を嫌う仏教寺院の僧たちの集団であり、当時は仏心宗といった学問、知識を学んでいる修禅の求道者たちです。

もし、この事件を遠巻きに見ていた村人が、「お坊さんがた、あまりに無体なな仕打ちです。その猫を私に下さい」と涙ながらに訴えたら、南泉・・どうしたでしょうか?

こうした疑問を、後の世の禅宗の寺僧・・誰一人・・訴求していないのも疑問です。反対に「ネコは、南泉に切り殺されて、立派に大往生した」・・などと云う師家方、著作もあり、禅は宗教ではない・・と提唱する私ですら(現代流の動物愛護の精神だけで言うわけではありません)異議を唱えたい次第です。

では・・どのように意見するか・・

斬却(切り捨てる)の「ザン」の字に「竄=にがす、かくす」の意があります。この字は・・ネズミが穴に隠れるサマを表しています。南泉老師は、猫を高く掲げて「禅を求道する者なら、何か道うてみよ」・・言葉でなくとも、仕草・行動で示してみよ・・さもなくば、この猫を遠く逃がそう・・と、かくのごとく「竄流・ざんりゅう」するとして、山から追放したことを、後に禅者の伝聞として、切り殺した方が、ドラマチックで面白いとばかりに、大袈裟に脚色した・・のでないだろうか・・推察しています。

 この他にも、無門関 41則 達磨安心に、二祖慧可が、安心を求めて、雪中、肘を切って差し出したとあるが、インドから禅を伝えた達磨ともあろう禅者が、弟子の肘を断ってまでしないと「安心(あんじん)=ZEN」を伝えられない・・とは信じがたい。もともと禅は、教えてもらわないと悟れないようなものではないから、抗生物質のない、医学のない西暦500年ごろ・・わずか4~5人の中国人の弟子を相手に、切った貼った・・はないでしょうと云いたい。

もちろん、安心したい・・その禅機は、血なまぐさい肘キリ事件の、そんなところにある訳ではない。当時、刀を振りかざす強盗が横行していた時代だから、この問答の実際は、話を誇大に演出、潤色した逸話に仕立てたと断じます。

この意見は、禪のパスポート「無門関 素玄居士提唱」意訳で、詳しく記します。

以上・・有(会)難うございました。 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO65「かくれんぼ・・ご飯ですよ・・の声かかり」

碧巌録 第六十五則 外道良馬鞭影(げどう りょうめべんえい)

           外道問佛(げどうもんぶつ)

【垂示】禅について、説明のできない禅機、禅境、禅による生活を、何とか求道者に解からせたくて、手を変え品を変えて、そのドンズマリを、圓悟は垂示している。

禅は、あらゆるところに充満していると云っても、まるでダークマターや量子のように、論理的、物理的に説明がつかないものだ。

「無」とか「空」は、無限の包容力で、花となり、月となり、山となり、海となる。一切、人や社会の生業(ナリワイ)の中でも、コセコセ、ズルガシコクしていない。ただし、一を聞いて十を知る者がいても、ナカナカ我執は離れがたく、この場合、禅者の痛棒を浴び、百雷のごとき喝の洗礼を受け、あるいは独りポッチ禅で鞭撻しなければ、真の達道の人にならないし、成れないのだ。

心得違いをするなよ。

ただの努力や学道では、向上の禅者にはなれない・・

その例を看よ。

  【垂示】垂示に云く、夢相にして形(あらわ)れ、

   十虚(じゅっこ)に充(み)つるも方廣(ほうこう)なり。

   無心にして応じ刹海(せいかい)に偏(あまね)くも煩(はん)ならず。

   挙一明三(こいつ みょうさん)、目機銖両(もっき しゅりょう)にして

   直(じき)に棒は雨點(うてん)のごとく、

   喝(かつ)は雷奔(らいほん)に似たるを得るも、

   また未だ向上人(こうじょうにん)の行履(あんり)のところに当得(とうとく)せず。

   しばらく道(い)え、作麼生(そもさん)か是れ向上人の事なるぞ。

   試みに挙(こ)す看(み)よ。  *向上人・・悟道の禅者の意。

 

【本則】ある時、外道(出家していない一般の求道者)が、釈尊の前に来て「有言の常見説、無言の断見説(言葉・文字による禅の説明)は求めません。私は自分で禅を解明できず煩悶しています。どうぞ釈尊よ・・二見対比でない禅=悟境(地)をお示しください」と、ギリギリに迫る問いを放った。

釈尊はジッと空(す)き透った目で何も言わず外道を見られた。

外道は、すべてが認められて在る・・生かされて在る、天地同根の禅境(地)に包まれている・・自分に気づきハラハラと涙していった。

「世尊よ。すべての迷いの雲が晴れ渡り、いま、ソノコトに包まれております」

・・外道が去って後、釈尊の傍らにいた阿難(アーナンダ)が「あの者は釈尊にジッと見られただけで、大変有難がって涙を流していましたが、いったい、どんなことがわかったのですか」と尋ねた。

釈尊は「ソウダネェ・・例えるなら、優れた馬は鞭の影をみただけで、御者の行かんとする道を走り出すのだよ」と答えられた。

  *これは中国の禅行の逸話ではなく、めずらしくインドの釈尊の行状である。

   現代・・もし路上に釈尊を見れば、私とてハラハラと泣き伏すことだろう。

  【本則】挙す。

   外道(げどう)佛に問う「有言(うごん)を問わず、無言(むごん)を問わず」

   世尊(せそん)良久(りょうきゅう)せり。

   外道、讃嘆して云く

  「世尊は大慈大悲にして、我が迷雲を開いて我を得入(とくにゅう)せしめたり」

   外道去って後、阿難、佛に問う

  「外道、何の所證(しょしょう)あってか得入せりと言いしぞ」

   佛云く「世の良馬(りょうめ)の如く鞭影(べんえい)をみて行けるなり」

【頌】釈尊は外道の問いに「黙然」としておられたが「絶対」について、何かヒトコトでも言えば、すでに相対比較。分別の世界だ。

外道は、徹底的に釈尊に見透かされ、オカゲで涙あふれる「廓然無聖(かくねんむしょう)カラリと晴れた青空の如く」の境地に入ることができた。(まるで長い便秘腹に下剤をかけられたように、さぞかしスッキリしたことであろう)

注意すべきは「無言」と「語黙」・・釈尊のコピペの語黙をして見せても泣き出すような求道者はいない。(泣き出すのは外道・・一般人ではなく、睨み据える顔におびえる子供だけだ)

サアテ・・この1日千里を走る駿馬とやらを・・今一度、喚び返してみせようか(悟境、さらに深くあるべし・・の意)

呼び戻すのに大声や追手は無用。

私(雪賓重顯)なら指を三回鳴らすだけで充分だ。

  【頌】機輪(きりん)かって未だ転ぜず。

   転ずれば必ず両頭(りょうとう)に走る(がゆえに)。

   明鏡(みょうきょう)たちまち台に臨(いど)み、

   当下(とうげ)に妍醜(けんしゅう)を分(わか)てり。

   妍醜(けんしゅう)は分(わか)れ、迷雲は開けたり。

   慈門いずれの處にか塵埃(じんあい)を生ぜん。

   よって憶(おも)う良馬の鞭影を窺(うかが)うことを。

   千里の追風(ついふう)喚(よ)びえて回(かえ)さん。

   指を鳴らすこと三下(さんげ)して。

 

【附記】無言と語黙は大違い・・もし釈尊やキリストの「語黙」に接することができれば、キット私は大泣きすることでしょう。

釈尊やキリストのお姿を見ただけで、その当時の人々は、思わずひざまずき合掌したことだろう・・と思います。

つまり、私が禅者の「語黙」に接して、泣けない状況なら、世に云う如何なる聖人でも、私の信ずるにたる聖人ではない・・と確信します)

 奉魯愚「禅のパスポート・・無門関 素玄居士提唱」「羅漢と真珠・・禅の心、禪の話」おりおりに、ご覧いただければ幸甚です。

 

 

碧巌の歩記(あるき) NO66「ひとつひとつ・・腹の底から吐き出せヨ!」 

 碧巌録 第六十六則 巌頭収黄巣釼 (がんとう しゅうこうそうけん)

                                              巌頭黄巣過ぎて後がんとう こうそうすぎてのち)

【垂示】圓悟が垂示した。どのような逆境になろうと、あるいは猛虎を落とし穴で捕獲する機敏な策略をもっていたり、正面攻撃であろうと側面攻撃であろうと、その攻防は臨機応変のたくましい勇者・・まるで毒蛇をも翻弄できるような、眞の禅者を紹介しよう。

    【垂示】垂示に云く。当機覿面(とうきてきめん)にして陥虎の機を提(ひっさ)げ    

       正按傍提(しょうあんぼうてい)にして擒賊(きんぞく)の略を布(し)き

  明合暗合(めいごうあんごう)雙放雙収(そうほうそうしゅう)にして

  死蛇(しじょう)を弄することを解(げ)せば、また他は作者なり。

 

【本則】後年60歳で賊刃に斃れた湖北省(卾州)巌頭全豁(がんとうぜんかつ828~887)は禪史上、最も数奇な運命の禅者である。

彼には、若き修行時代、同郷(福建省 泉州)の雪峰義存(せっぽうぎそん822~908)の悟達禅機を発火させた、有名な「鼇山成道」(ごうざんじょうどう)の話がある。

三度 投子に参じ、九回洞山に上る、長い年月の修行を重ねた雪峰の、真の師は巌頭である・・と思います。

(その由来については、この則の後に附記します)

この則は、唐末(880~887)の一大一揆、黄巣(こうそう)の乱で唐が滅びかけている頃、求道者が、巌頭の禅院にやってきたところから始まります。

巌頭「何処からおいでたのか」

求道者「長安より参りました」

巌頭「それじゃ、天より賜った宝剣で、西京を乗っ取った賊大将・・黄巣は捕まって首を刎ねられたそうだが、その無用の宝剣、いったい誰が手に入れたのだろう」

求道者「ほかでもない私でございます」と調子をあわせた。

すると巌頭はスッと首をのばし、その宝剣の切れ味、見せてみよとばかりに、求道者の前に差し出して「グァッ」と奇声を発した。

(黄巣が首を刎ねられたように、切り落としてみよ・・という風だった)

求道者は自分の立場をわきまえていたようで、頭を差し出す巌頭に云った「やあ・・やあ、ご老師の首は落ちましたぞ」

この余りにも露骨な稚(痴)戯で振る舞う求道者にあきれて、巌頭は思わず大笑いした。

さて、その求道者、後日、同じく黄巣の乱で荒廃した福州(福建省)の雪峰(山)義存を訪ねた。

雪峰問う「何処から来られたのか」「巌頭の禅院から参りました」

雪峰「巌頭老師は、どんな風に提唱しておいでかな」

求道者は、巌頭と雪峰が、実の兄弟よりも深く、禅で結ばれていることを知らず、訳知り顔でトクトクと、黄巣の宝剣で巌頭の首を切り落とす真似をした話を語った。

すると雪峰は厳しく三十棒を与え、求道者を追い出したトサ

       【本則】挙す。巌頭 僧に問う「いずれの處より来たりしぞ」

   僧云く「西京より来る」

   頭云く「黄巣(こうそう)すぎて後 還って釼を収得するや」 

   僧云く「収得す」

   巌頭 頸(くび)を引(の)べ近前(きんぜん)して云く「グァッ」

   僧云く「師の頭(こうべ)落ちたり」

           巌、呵々大笑。

   僧のちに雪峰にいたる。

           峰 問う「いずれの處よりか来たるぞ」

          僧云く「巌頭より来たるなり」

          峰云く「何の言句かありしや」僧 前話を挙す。

          峰 打つこと三十棒にして追い出(い)だしたり。

*口の中にカタカナの<カ>の字を入れて「カ字」と読む。パソコンの手書きにも出てこないので、しかたなく、カ字一声を「グワッ」を発声させた。そんな感じです。

【頌】黄巣の乱が収まり、その宝剣の行方について、禅による生活の只中にある、巌頭の想いや大笑いを、求道者は理解していない。

だから、アチコチ行脚して、巌頭のことは巌頭より熟知している雪峰に立ち寄り、宝剣を手に演じた一件を自慢したものだからタマラナイ。雪峰の三十棒を食らって、追い出されてしまった。

イヤ、三十回のムチ打ちの刑で済んだからよかったものの、この狂言話、本当は三文の値打ちもない「禅機」の真似事をした・・コピペ求道者の末路話である。

禅宗の場合、寺僧の宗派集団や組織化された僧堂修行になると、必ず、このような、ガンモドキのような「禅」モドキが出現する。

巌頭にせよ、雪峰にせよ、達道の禅者たちは、ことごとく孤独な「禅による寂寥の生活者」である点に留意すべきである。

     【頌】黄巣すぎて、後かって釼をおさむ。大笑はかえって当に作者しるべし。

        三十の山藤しばらく軽恕(けいじょ)す、

               便宜(べんぎ)を得たるは、これ便宜に落ちたるなり。

 【附記】若き求道者、巌頭・雪峰が行脚、修行の途中、湖南省常徳府、鼇山(ごうざん)で、ひどい雪に閉じ込められて10日余り・・ヒタスラ坐禅三昧の雪峰をしり目に、兄貴分の巌頭は寝てばかり。やりきれぬ孤独感にさいなまれて、遂にたまりかねて文句をいう雪峰。どうして、こんな境遇なのに、今を想わず気楽に寝てばかりでいられるのか。

巌頭・・真面目な修行に励む雪峰を見かねて「お前の悟道の妨げとなる悩みを話してごらん」という。雪峰は、アチコチの著名な師家の参禅で得度した話頭をあげつらうが、ことごとく、コテンパンに否定されつくしてしまう。

その止めの一語が「無門関」冒頭の「門より入る是れ家珍にあらず」・・自分の心底からの「これ・このこと」を確信しなければ、己の真の宝物ではない・・「このこと」が未だワカランのか・・と詰め寄られて「それではいったいどうすればよいのか」と、追い詰められた虎の目で巌頭を睨み据えた。

巌頭「今後、禅の大旗を打ち立てようと思うなら、一つ一つ自分の腹の底から吐き出して、そいつを天地一杯に広げてゆくことだ」

雪峰は言下に大悟した。

思わず五体投地して巌頭を伏し拝む。そして起き上がるやいなや、繰り返し叫ぶのである。

「今こそ、まぎれもない鼇山成道(ごうざんじょうどう)だ」

*雪峰(義存)は雪峰山に住したのちの名前。巌頭(全豁)同じく巌頭山(岳州)に住した・・ので、義存・全豁より、わかりやすい後々の名で表現した。

*この鼇山成道は、祖堂集の訳出により、柳田聖山著「禅の山河」発行・禅文化研究所 昭和61年・・から紹介させていただいた。この項に前後して「途中善為」(とちゅうぜんい)・・道中、くれぐれもお気をつけて・・とか、「末後の句」など、禅者、雪峰の逸話が、詩的に、すぐれた禅文学として紹介されている。推奨したい1冊である。

 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO67 机をコツン・・禅の「始まりの終り⇔終りの始まり」

碧巌録 第六十七則 傅大士経講 (ふたいし きょうを こうず)

【垂示】ありません

【本則】仏教に帰依していた梁の武帝が「金剛般若波羅蜜多経」の講釈をしてもらおうと、誌公の紹介で、傅大士(497~?)を招待した。

呼ばれた傅大師は講座に上がると、手にした笏(しゃく)で、コツンとテーブルを一打して、サッサと講座から降り去ってしまった。

武帝は、禅のカナメといわれる金剛経・・その解かり易い話を聞きたいのに、いったいどうなったのか・・愕然(がくぜん)とした。(この「コツン」・・最も親切で解かりやすい・・禅による行い・・なのにサッパリ訳の解からない武帝であった)

誌公が茫然(ぼうぜん)模糊(もこ)としている武帝に「陛下、金剛経の神髄、理解なさいましたか」と尋ねると、武帝は「彼の行ないが一向に解せないのだが・・」と素直に答えた。

誌公は、同じくキョトンとしている居並ぶ百官たちに「サアサ・・大士の講演はモウ終わりました。これにて閉会いたします」と、その場を取り仕切った。

机をコツンが「始まりの終りで、終りの始まり」なのだ。

もうこれ以上、ZENを語ることはできない。

  【本則】擧す。梁の武帝、傅大士に、金剛経を講ぜんことを請(こ)いたり。

   大士、すなわち座上において、案(あん)を揮(う)つこと一下(いちげ)して、

   すなわち下座(げざ)せり。

   武帝愕然(がくぜん)。

   誌公(しこう)問う「陛下、また會(え)せりや」

   帝云く「不會(ふえ)」

   誌公云く「大士は講(こう)経(きょう)をおわりたるなり」

【頌】静寂と安心に満ちた禅庵に居れば良いものを、梁武帝の首都、金陵(現南京)まで、わざわざ出かけて御前講義をやるとは、傅大士の俗臭ぶり・・どうかと思います。

もし、あの場で、仙人じみた誌公が、閉会宣言をしてくれなかったら、達磨の二の舞。

(碧巌録、第一則 武帝問達磨=聖諦第一義=廓然無聖

きっと自尊心や野心のカタマリのような武帝と悶着が起こって、挨拶もせずコソコソ都を逃げ出す羽目になったことだろう・・。

  【頌】雙林(そうりん)に向かってこの身を寄せ(よ)ずして、

   かえって梁土(りょうど)において塵埃(じんあい)をひけり。

   當時(とうじ)、誌公老を得ざりしならんには、また是れ栖栖(せいせい)として   

   国を去りし人なりしならん。

 

【附記】傅太士(善慧大士497~514)と誌公(寶誌 不詳)は、住所不定。どこでも裸足で出入りした。頭髪モジャモジャの道行者。禅観、佛理を語ること、声聞(しょうもん)羅漢(らかん))以上といわれた。碧巌録の武帝問答にに混同される禅者である。堂々と宮中に入り、武帝(481~549)の庇護のもと、仙人の如き祖師禅の前駆者的な禅者に例えられる。

当時、宮廷では、盛んに佛教経典の解釈、講義が行われていて、その引用の一番は「維摩経」「涅槃経」「金剛経」などであった。(・・と、鈴木大拙は禅思想史 第三巻で記述)ただし、武帝は達磨との問答(第1則)でも明らかなように、きわめて自己顕示欲の強い目立ちたがり屋である。

仏教に篤いといっても、功徳、顕彰を求めてやまないハダカの王様であった。とまれ、中国・禅の創世期(初代・達磨から六祖・慧能にいたる)は、欣求的佛教にコンクリされてきた中にあり、無功徳、無心の禅行を、直ちに見せつけられても、禅者の言行への無理解、チグハグ差は避けがたいことだった。

禅のはじめは・・達磨の「不識(しらず)」と、この「コツンと机を叩く」ことからはじまった・・としておきます。

それが「純禅」・・というものです。

この碧巌の散策・・則を逆行して67則(平成30年1月3日~)・・役立たずのZEN・・散歩の地図なり、杖なり、靴なりの使い捨てで、ご参考ください。あわせて、はてなブログ「禅のパスポート」=無門関意訳や「羅漢と真珠」ご覧いただければ幸甚です。   有(会)難うございました。 

 

 

碧巌の歩記(あるき) NO68 「君の名は?」

臨済の「無位の真人」の名を、三聖に問うた仰山・・さて・・どう答えたものか。

 

碧巌録 第六十八則 仰山問三聖(きょうざん さんしょうにとう) 

               仰山汝名什麼(きょうざん なんじのななんぞ)

 

【垂語】圓悟が坐下の求道者に垂示した。

およそ禅者は、天地をひっくり返し、虎や犀牛(さいぎゅう)を捕まえたり、龍か蛇かを識別したりする、これには溌溂(はつらつ)たる禅機を要する。

このような非凡な人物は、如何なる問いかけにも明確な応答ができ、どのような場合にも、臨機即応(りんきそくおう)の働きができるのである。

さあて・・昔から今日まで、この禅門に、こんな禅者が、如何なる活動をなしたものか・・その例をあげるから、とくと看よ。

    *天關(てんかん)をかかげ、地軸(ちじく)を翻し(ひるがえ)、虎兕(こじ)をとらえ、                                    

    龍蛇を弁ずるには、須く(すべから)是れ、

    この活驋驋(かつぱつぱつ)の漢にして、初めて句句(くく)相投(あいとう)じ、

    機機相応(ききあい)応ずるを得(う)べし。

    且(しばら)く従上来(じゅうじょうらい)、

    什麼人(なんびと)か合(まさ)に恁麼(いんも)なるべかりしぞ。

    請う擧す看よ。

 

【本則】相手の名前を知っていながら、その名前を尋ねる奇妙な話を一つあげよう。

仰山慧寂(きょうさん えじゃく)が三聖慧然(さんしょう えねん)に、あなたの名前は何ですか・・とたずねた。

三聖は、真面目に「慧寂です」と答えた。

仰山は「慧寂とは、そりゃ、わしの名だ」

三聖「それなら・・私の名は慧然です」

仰山はこれを聞くなり、腹を抱えて笑った・・と・・さ。

   *擧す。仰山(きょうざん)、三(さん)聖(しょう)に問う。

   「汝 名はなんぞ」聖云く「慧(え)寂(じゃく)」

    仰山云く「慧寂はこれ我」

    聖云く「我が名は慧(え)然(ねん)」

    仰山 呵呵大笑(かかたいしょう)せり。

 

【頌】三聖が自分の名を問われて、相手(仰山)の名を答え、とがめられて、早速に自分の名を言い返す手際のよさ。まるで・・奪うも捨てるも、二つながらの自在の働きは、猛虎にうちまたがったような禅者である。

三聖の答話を聞いた仰山、思わずの大笑いだが、その笑い声は風にのってどこかに消えた。

さあて・・さて・・この笑い声、千年万年、何時までも天下の求道者の謎となり、寂寥の虎落笛(もがりぶえ)となって、求道者にとりつくことであろう。

(仰山、大笑の落處=汝の真人は何処にありや・・)

   *雙収雙放(そうしゅうそうほう)なんたる宗ぞ。

    虎に騎(の)るには由来(ゆらい)絶功(ぜつこう)を要す。

    笑いやんで知らず、いずれの処にか去りしぞ。

    只(ただ)まさに千古悲風(せんこひふう)を動(どう)ずることになるべし。

【附記】相逢不相逢(あいおうて あわざる) 共語不知名(ともにかたりて なをしらず・・臨済

仰山慧寂(814~890)は、潙山霊祐の片腕として潙仰宗を創唱した穏健にして円熟の禅者である。

一方、三聖慧然(不詳)は臨済義玄の弟子。仰山、徳山、雪峰などと問答した記録があり、年齢的には、彼らより後輩であつたろうと推測されます。

彼は北方禅、臨済(866寂)宗祖・・「赤肉団上(しゃくにくだんじょう=君の顔から出入する)一無位(むい)の真人(しんじん)」を看よ・・と迫る、将軍禅の鞭撻を受けた禅機はつらつな禅者である。

臨済の弟子であり、彼の名は百も承知で、「無位=無依の真人」禅による生活をなす者・・の名をきく仰山。

(実に辛辣な、禅境(地)・・を尋ねる問答です)

自分は「名づけようもなき無位の真人=禅(による生活)者である」・・これも百も承知で、仰山を名乗る三聖。

相逢うて、語るも互いの名を知らず・・と、禅機まるだしの三聖。

無位(依)とは、露裸裸(ろらら)、赤灑灑(せき れいれい)、浄堂堂(じょうどうどう)と、この世で得た、あらゆるものをかなぐり捨てて、そのままに立つ(眞人)姿を言う。

臨済の「無位の真人」を、三聖に問うた仰山。「君の名は?」

素っ裸で道を歩く訳にもいかず、衣をまとい、衣の名を「慧寂」として仰山の名を騙(かた)る三聖の答え。

「そりゃ、わし(仰山=真人)の名だ(お前さんの真人の名は何だ」と詰め寄る仰山。あらゆる形骸を両忘して・・(ともに語りて名をしらず)答える三聖。それを、「得たり」とばかり・・腹の底から大笑いする仰山。

 

虚栄・虚識に満ちた現代より、千年も昔の出来事の方が、はるかに、露堂々、明歴々・・スガスガしい生き方をしている・・と言えましょう。

この問答、重箱の隅をつつくような解説になりましたが、論理的に解説できる話ではありません。禅の問答は、どれをとっても、その人、それぞれの禅機(はたらき)禅境(地・・行い、心がけ)そのものだからです。 その禅者の言動で、何か「気にさわる」・・「心惹かれること」が、導きとなって坐禅(禅境)を深めていってくれる・・はずです。

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碧巌の歩き 第69則・・的は何処にあるのか・・?

碧巌録 第六十九則 南泉一円相 (なんせん いちえんそう)

【垂示】圓悟が垂示した。

禅者の心境を窺うのは、なまじの覚悟で挑んでも理解しがたく、ダイヤモンドで出来た菓子を食べるように、堅くて歯がたたない。

そのありさまは、まるで黄河の氾濫に備えて、ドンと河岸に据え付けられた巨大な鉄牛に例えられよう。

(第三十八則 本則中 「祖師心印 状似鐵牛之機」と同義)

破れ衣をまとった修行の足りた達道の禅者は、深山に小さな禅庵を構え、赤い囲炉裏の炭火に、一握りの白雪を振り舞いたような生活・・が似合っている。

また、戦いにおいて、四方八方から敵に襲いかかられようと、いささかも動じることなく非凡に立ち向かえるのは、それはそれでよいとして・・文字、言句の葛藤に囚われないこととは・・はたして、どんなことか・・試みに挙す看よ。

   *垂示に云く、啗(たん)琢(たく)なきの処は、祖師の心印にして、

    かたち鐵牛(てつぎゅう)の機に似たり。

    荊棘林(けいきょく りん)を透(とお)るものは、

    衲僧家(のうそうけ)にして紅炉上一点の雪のごとし。

    平地上に七穿八穴(しちせん はっけつ)なることは

    則(すなわ)ち且(しばら)く止(お)く。

    夤縁(いんえん)に落ちざること、また作麼生(そもさん)。

    試みに挙す看よ。

 【本則】馬祖の弟子たち・・南泉(なんせん)と歸宗(きす)と麻谷(まこく)の行脚(あんぎゃ)=若い修行時代の話をしょう。

三人は、江西、馬祖山を出発して、はるばる長安の都、忠国師のもとを目指して旅だった。

その道なかばにさしかかって、一休みのおり、南泉は、路上に「一円相」を描いて云った。

「これについて、誰か真理に触れた一句=「一語」を云えるなら、約束通り長安まで行くことにするが、そうでないなら、テクテク遠い長安まで行くのは、もうごめんだ」

すると・・歸宗は、南泉の描いた地上の一円相の中に入って坐禅をしたのだった。

麻谷は、それを見て早速、歸宗の前に行き女性が観音様を拝するように礼拝した。

二人が、どさまわりの芝居じみたことをするので、南泉は「ソンナ事なら、もう長安行は止めた。ヤメダ」と云った。

歸宗「ここまで来て何を言うか。いったいどんな腹ずもりで止めるのか」と詰め寄った。

(結局、三人はトボトボ、遠路の旅を止めて、親方のいる馬祖山にもどった)

   *擧す。南泉(なんせん)、歸宗(きす)、麻谷(まこく)、

    同じく去って、忠(ちゅう)国師(こくし)を礼拝せんとせり。

    中路(ちゅうろ)に至って、地上において、一圓相(いちえんそう)を書(えが)いて云く、

   「道(い)い得(え)ば即(すなわ)ち去(さ)らん」

    帰宗、円相の中において坐したれば、

    麻谷すなわち女人拝(にょにんはい)をなしたり。

    泉云く「恁麼(いんも)ならば則(すなわ)ち去(さ)らじ」

    帰宗云く「是れ、なんの心行(しんぎょう)ぞ」

 【頌】楚の恭王の為に、樹上の白猿を狩りする最中射手の矢のことごとくを、白猿が手で振り払い阻止したので、弓の名人、太夫の養(よう)由基(ゆうき)が、その手こずらせた白猿を、不思議な矢で射止めたという・・故事にもとづく。                               樹木をグルグル逃げ回る猿を、誘導弾のように追いかけまわす由基の矢は、不思議にも、樹木をかいくぐって旋回しながら(しかも、まっすぐに飛んで)見事に的中したことになる。

禅界で知らぬ人無き、著名な忠国師の「一円相」は、まさしく白猿のような怪物だが、はたして、養由基のように、見事に射止めて、その正体を見届けた禅者がいるか・・どうか・・

修行中の彼ら三人は途中で長安行きをやめて、馬祖山に帰ったそうだが、ソリャ間違いではなくて、マッコト正解だ。

もともと、中国ZENの大樹、その根元である曹渓慧能(そうけい えのう=山猿と呼ばれ・・焚き木拾いで生計を立てた髪を剃らない道者・・東山弘忍(ぐにん)の弟子、六代目祖師)の手元には、本来「無一物」・・何もないのが取り柄だからだ。

だが、何もないところを、何もないまま見て回って、文化とやらの咲乱れるサマを、円相トヤラに映し込んで、お土産にしたらよかったものを・・・。

どうも、何時の世であれ、手(て)・間(ま)=労力・時間を省くと、ろくなことにならないなぁ

    *由基(ゆき)が箭(や)は猿を射たり。樹(き)を遶(めぐ)ること何ぞ、

    はなはだ直(ちょく)なりしぞ。

    千箇(せんこ)と萬箇(ばんこ)。これ誰か、かって的にあてしや。

    相よび、あい呼んでかえりなんイザ。

    曹渓(そうけい)路上(ろじょう)には登陟(とうちょく)することを休(や)めたり  

   (また云く)曹渓の道は坦平(たんへい)なるに、なんとしてか豋陟をやめたるぞ

 

【附記】この則は、馬祖道一の弟子、南泉普願(なんせんふがん 748~834)麻谷寶徹(まこくほうてつ 南泉と法系上の兄弟弟子)歸宗智常(きすちじょう=蘆山(ろさん)歸宗寺(きすじ)の三人が忠国師南陽慧忠 なんようけいちゅう)のいる長安(西京・千福寺)に行脚する道中の話だが、三名とも、まだ、馬祖山にいたる間なしの、諸国遍歴時代の青年修行者(二十五歳前後)であった。

自分たちの師、馬祖道一(ばそどうどういつ)の師すじにあたる、南嶽慧譲(なんがくえじょう)の兄弟弟子・・南陽慧忠が・・(この二人は六祖、大鑑慧能(たいかんえのう)を祖師とする)飛ぶ鳥をおとす勢いの粛宗皇帝の国師であることを知って、有名な「一円相」の元祖・家元の禅境話も聞きたし、さらに良いコネ、ツテがあれば名山の住持に昇進・・との、生業(なりわい)のための、よからぬ動機もあり、いさんで馬祖山を旅立った道半ばの出来事だった

歸宗の「我は絶対の中心」にあり・・とする円相坐と、麻谷の茶目っ気たっぷりの観音礼拝の仕草に、真面目な南泉は、さぞかしガッカリしたことだろう。

この話は・・「的(円相)を道(い)いえれば即ち去らん」とする意を、領得できなかった二人の青年求道者・・その禅機上の遊戯を誘ってしまった南泉の失敗話である。

  • 遊びをせんとや生まれけむ

   戯(たわ)ぶれせんとや生まれけむ

    遊ぶ子供の声きけば

     わが身さえこそゆるがるれ(平安期 梁塵秘抄・今様)

 

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有(会)難うございました。 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO70  (NO70、71、72=3則)

この七十則、七十一則、七十二則の三則は、百丈懐海(ひゃくじょう えかい=720~814)を師とする、潙山霊祐(いさんれいゆう 771~853)五峰常観(ごほうじょうかん)筠州(きんしゅう)=江西省の人、不詳。雲巌と同期生)雲巌曇晟(うんがんどうせい 782~841 潭州=湖南省、雲巌禅院)の禅問答・・その三部作の第1話である。

編集者、雪竇は、百丈の問いかけに対して、弟子三人、それぞれの禅機をみるために分割した・・と考えます。

始めに潙山に、次いで五峰に、最後の雲巌に、まったく同じ問いをしかけたのは、多分、彼らの年齢順であり、次の二則に【垂示】が欠落しているのは、同義の公案。答えはそれぞれの答者のひとつだけ。

わざわざ「同じ問い」に解説不要としたか、または、大慧宗杲(たいえしゅうこう)による・・碧巌録は修行の邪魔として焼却した事件(1141頃?)により、遺失したものか・・いずれにせよ、欠落しています。

*圓悟克勤(えんごこくごん 1063~1135) 碧巌録撰述 1115頃? 刊行1128) 

内容・・雪竇【本則=公案】頌(じゅ)。圓悟【垂示】著語、評唱の五部門で成立。 

大慧 碧巌録焼却1141頃? 圓悟の弟子。曹洞の黙照禅に反して、臨済公案禅=看話禅を標榜(ひょうぼう)、提唱した。中国、臨済宗、中興の祖と称せられる傑出した禅者であったが、門下の求道者たちが、臨済のいう・・自己の面前に出入する一無位の「真人」・・参究の道を誤り、いたずらに文字・言句の解釈にうつつをぬかす口頭禅の様子に憤慨して、焚書狂言を演じて見せた。(現代日本の仏教界=禅宗の寺僧たちや、佛教学者たち、関心を持たぬ庶民、スマホ社会の風潮とまったく類似した生活風景です)

 ●私が意訳する「碧巌録」の骨子は昭和九年、京文社発行、井上秀天著「碧巌録新講話」が、重要参考本です。その前書き(歴史的研究)末尾の言葉を記しておきます。

「実を言えば、この碧巌録は、あまりむつかしい性質のものではない。禅の深遠なる玄旨を、造作なく俗耳にでも入るように、雪竇、圓悟が、当時(宋)の俗語をもって、面白おかしく提唱したものであるから、これを日本訳するには、現代の通俗語を使用して、なんびとの耳にでも、スラスラと入るようにすべきものであろう」

このように、一九三四年、漢文和訳された一千頁余の本ですが、それから八十有余年・・経過した今日・・解かりやすい日本語であつたはずが、すでに漢文古語になってしまっている次第です。

戦前、井上秀天は、原始仏教、東洋思想研究家。禅宗、佛教に根差した非戦・平和を提唱して、政局・宗教界・寺僧に憚らぬ方であつたと言われています。

残念ながら、終戦直前、神戸空襲の日、爆撃のB29を庭先で見上げておられた、その真上で爆弾がさく裂。爆死なさった・・(1945-3-17 六十六才 鳥取県出身)と聞きます。資料が大変、少ない方です。

 

碧巌録 第七十則 百丈併卻咽喉 (ひゃくじょう いんこうをへいきゃくして・・)

                                                潙山請和尚道(いさんおしょう こう いえ

【垂示】圓悟が垂示した。

一を聞いて十を知るような人には「一語」で充分・・駿馬を走らすには、たったのひとムチでことたりる。(三十八則 垂示と同義)

つまり一念は万年のなかにあり、万年は一念そのもの(色即是空=心経)だ。快人である禅者は、この世の事象、葛藤を、それが発生しない内に、判定、裁断しなければならない。いや、葛藤の起こる前に、裁断する機敏さが大事だ。

例えば、喉が渇いた・・と思う前に、茶が差し出されるように・・。例えば・・自然の四季は、冬にいて、春を待望する前に、白梅のつぼみがふくらんでいるように・・。

サテ・・この事象の発生する前に、いったい、どの様にして、その直截を行動できるのか・・次の事例を看よ。

   *垂示に云く。快人(かいじん)には一言。快馬には一鞭(べん)。

   萬年は一念。一念は萬年。

   直截(じきせつ)することを知らんと要せば、

   未(いま)だ挙(こ)せざる已前(いぜん)に於いてなるべし。

   且(しば)らく道(い)え、未だ挙せざる已前に、

   作麼生(そもさん)か模索(もさく)せん。請う擧す看よ。

【本則】百丈山の禅林であった一日の問答話をあげる・・擧す。

霊祐、常観、曇晟の三人が、師の前に起立した。

百丈が潙山に問う・・

「顔無し(口や舌や唇なし)で、如何に、禅を語れるか」

潙山云く「師よ、まず師が、その模範をお示しください」

百丈云く「ヤレと言われりゃ、やらぬでもないが・・やって見せれば、この世から「禅」が消滅。禅者が断絶してしまうので、やる訳にはいかないのだよ」

 *潙山。五峰・雲巌の名を、後の居住した山の名で記されているのは、碧巌録が、彼らの在世中の話ではなく編集、作成されたことを表わしている。

百丈懐海(当時35才)の社会は、唐の玄宗皇帝(70才)が・・(蜀の玄琰(げんえん)の娘、揚太眞を貴妃としたのは745年)・・楊貴妃(36才)と西安、華清宮で豪遊をかさねる・・白楽天の「長恨歌」にうたわれた「春さむく、浴を賜る華清池。温泉、水なめらかにして、凝脂を洗う」・・頽廃の時代だった。

禅林も僧侶たちは、何が「出家」か・・家出の間違いではないか・・と言うほど、倫理・道徳が乱れに乱れた中で、百丈は、禅寺(叢林)の団体生活の規律を定めた規矩(きく)制定=禅林清規(しんぎ)・・を制定して、いわば禅者のモラルを立て直した、たぐいまれな禅者でした。

「一日作(な)さざれば、一日食(しょく)せず」・・人の為に働けないのなら、食べないことにする・・この、己に向かって断言した勤労実行宣言。すごい「禅者の一語」です。

同じ中国の共産党・・習キンペイさん・・狐もハエも叩く・・正直に働かざる者、食うべからず・・と、えらい違いです。百丈山にお参りして、爪の垢でも煎じてのまれるとよいでしょう。

百丈の言い分は、そうしたドン図まりのどん詰まり・・「禅者の一語」は自らが体得して、禅による生活を行いなさい・・の意でもあります。

  *擧す。

   潙山(いさん)・五峰(ほごう)・雲巌(うんがん)、

   同じく百丈(ひゃくじょう)に侍立(じりつ)せり。

   百丈、潙山に問う「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

   作麼生(そもさん)か道(い)わん」

   潙山云く「却(かえっ)て請う、和尚 道(い)えよ」

   丈云く「我 汝に向かって道うことを辞(じ)せざるも、おそらくは巳後(いご)、

   わが児孫(じそん)を喪(うしな)わんことを」

 

【頌】潙山はナカナカの豪の者だ。まるで虎が犀の角をはやして草むらから飛び出したような出来事だ。

生徒が先生を試験するとは・・。

現実世界五州と理想郷五州、あわせて十州の、枯れ木に花を咲かせたような春爛漫の地も、過ぎれば真冬の枯山水

しかし、言語を絶した禅者は、まるで南洋の珊瑚のように、陽を浴びてキラキラと輝やいている。

  *却って請う、和尚 道えとは。

   虎頭(ことう)に角(つの)を生じて荒草(こうそう)を出でたるなり。

   十州(しゅう)には春盡(はるつ)きて、花は凋残するも

   珊瑚(さんご)樹林(じゅりん)には日杲杲(ひこうこう)たり。

【附記】クレオパトラと並び称せられた楊貴妃(27歳)が、玄宗皇帝(61才)に見初められたのは、紀元745年の事。中国7~8世紀へ、タイム・トラベルできたら、動乱、頽廃の世相の中、禅の勃興期、どうやら、この時期の宮廷、楊貴妃の容姿を、百丈老師とともに見られたかもしれない・・しかし、アシタに紅顔の美少年(少女を意味した)夕べに白骨となる・・ならば・・観光・就職コネ旅行は中止にして、退散するのが(百丈わずか26才の時ですから・・)正解でしょう。

*老師というのは、年老いた師の意味ではなくて、近しい先生の意

 

 碧巌の歩記(あるき) NO71  

碧巌録 第七十一則 五峰和尚併却 (ごほうおしょう へいきゃく)

                百丈問五峰(ひゃくじょう ごほうにとう)

【垂示】ありません・・ 前則に関連する、百丈の五峰(弟子)への問い(公案)ですから、圓悟の、ワザワザの垂示はありません。

 

【本則】百丈、今度は五峰に向かって「口で・・ではなく、禅者としての一語を云え」と迫った。

五峰云く「老師よ、まずは、貴方から口で・・ではなく、その禅者の一悟をお示し願います」

百丈云く「ようしヨシ・・お前さんの来るのを無人(尽)の境地で、手を額にあて遠く望んで、待ち受けよう」

(圓悟 箸語(ちゃくご)して「土曠(どこう=十万億土の地に)人稀相逢者少(ひとあいあうはまれなり・・やくそくはできないぞ)」・・ソンナ遠方で待ってるようなお人よしはイナイゾ・・の意)

  *擧す。百丈、復(また) 五峰に問う。

  「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

   作麼生(そもさん)か道(い)わん」

   峰云く「和尚、また、すべからく併却すべし」

   丈云く「無人の處(ところ)にて斫額(しゃくがく)して汝を望まん」

 

【頌】師、百丈に一切の媒体を除去して悟道の一語を云えとは。

まるで、不敗の龍蛇を布陣した百丈の手元をすり抜けて、斬り返した五峰のハカライ、見事である。この非凡な働きは、古の李将軍の逸話そのものだ。

万里の天空を飛翔する鶚(ミサゴ)に比すべき百丈を見事に射落とした手際は、李将軍以上の英雄と呼ぶべき者であろう。

  *和尚 また併却すべしとは。

   龍(りゅう)蛇陣上(だじんじょう)に謀略を看せしめたるなり。

   人をして長く李将軍を憶(おも)わしむ。

   萬里(ばんり)の天遍(てんぺん)には一鶚(いちがく)を飛ばせり。

 

【附記】潙山、五峰ともに、問答をしかけられた師、百丈から否認されてはいない。しかし、潙山は虎であるのに猫に見せかけて、五峰は龍であるのに蛇に見せかけて、その禅境を表わしたが、まだ百丈の口舌、言句の網の中に囚われている。趙州や臨済の如き悟境は、まだまだの若虎、土龍・・未だ天龍にいたらぬ時期であると言えましょう。

 

碧巌の歩記(あるき) NO72  

 碧巌録 第七十二則 雲巌和尚有也 (うんがんおしょう ありや)   

             (百丈問雲巌 ひゃくじょう うんがんにとう)

【垂示】ありません 

前則に連続する百丈の弟子、雲巌への問い(公案)ですから、圓悟のワザワザの垂示はありません。

【本則】擧す。百丈、また雲巌に問う。

「口や舌や発声なしで、禅者の一語を道(い)うて看よ」

雲巌云く「老師よ、さっき、五峰さんに、老師から先にどうぞ・・と言われて言語媒体を捨て果てた・・と思っていました。・・のに、まだ、こだわっておられるのですか」と逆ネジを喰らわせた。

百丈云く「ウーム・・お前さんの云う通り、親切の限りを尽くして聞かせてやったが、このような有様では、将来は口達者な者ばかりの、禅者絶滅種と成りはてよう・・な」

   *擧す。百丈、また雲巌(うんがん)に問う

   「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

    作麼生(そもさん)か道(い)わん」

    巌云く「和尚 有りや、また、未(いま)だしや」

    丈云く「我が児孫を喪(そう)せん」

 【頌】口舌、言語を絶して「禅者の一語」を道(い)えと迫られて、雲巌「老師、いまだ自己の言語を絶しておられないのか」と返した。まるで文殊菩薩の乗られる、金毛の獅子の如き振る舞いだが、残念ながら、この場合は、眠れる獅子である。

潙山、五峰、雲巌の三人、まだ若く、修行中の身で、それぞれ、共に、先達の歩いた道のコピペ風の講釈ばかり。

獅子吼するような、機鋒するどい一語がでないので、さぞかし百丈、がっかり、歯がゆい弟子たちと思ったのに違いない。

大雄山、百丈の指鳴らし二十有余年。まあ、こうした禅者の寂寥の末路はよくあることだ・・これは百丈を讃えている言い方です)

   *和尚 有りや、また未だしやとは。

    金毛(きんもう)の獅子(しし)の踞地(こじ)せざりしなり。

    両々三々(りょうりょうさんさん)は舊路(きゅうろ)を行き、

    太雄山下(だいゆうさんか)には空(むな)しく弾指(だんし)。

 

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碧巌の歩記(あるき) NO73

智蔵(ちぞう)の頭には白頭巾(しろずきん)。

懐海(えかい)の頭には・・黒頭巾(くろずきん)

 

碧巌録 第七十三則 馬祖四句百非 (ばそ しくひゃくぴ)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

維摩経」(羅什三蔵訳)に、真如は全宇宙に遍在して、分別・相対の世界を超越したものであるから、法を説くべきもなく、示すべきも無い。

また、法を聴くべきもなく、得るものもない・・とどのつまりは、無説無示。無聞無得である・・とある。

されば、偉そうに禅の師が、高座説法などする必要はないし、黙っているのが一番だ。また、求道者は、何もお寺に参詣して、坊さんから説法してもらう必要もない。

いま、ここに、こうして老僧(圓悟)が話をし、お前達(求道者)が聴いている訳だが、これは・・「真如」の世界から、遠く離れてしまった事になる。

こんな提唱(集いごと)は、お互い、過ちの上塗り作業だ。

サテサテ・・どうしたら、このような大間違いをしでかさずに、「透関のまなこ」をもつ、禅者になれるのであろうか・・

試みに挙す。看よ。

  *垂示に云く。

   それ説法者は、無説無示。それ聴法者は、無聞無得。説くこと、 

   すでに無説無示なれば、いかでか、説かざるにしかんや。

   聴くこと、すでに無聞無得なれば、いかでか、聞かざるにしかんや。

   すなわち、無説また無聴にして、かえって些子(しゃし)にあたれるなり。

   ただ如今(にょこん)、諸人(しょにん)、

   山僧が這裏(しゃり)にあって説くことを聴く。

   作麼生(そもさん)か、この過ち(あやま)を免得(めんとく)し、

   透関(とうかん)の眼(まなこ)を具する者なるぞ。

   試みに挙す。看よ。

 

【本則】ある日、求道者が馬祖山の道一老師に向かい「一切の相対的思索と文字、言説を超越した・・達磨が中国にやってきた目的を・・端的に指摘してください」と、訳知り顔で斬り込んだ。

ところが馬大師は・・「今日は大変に疲れているので、お前さんに説くことあたわず、(西堂の)智蔵に聞け」と言う。

彼は、ただちに智蔵に問うた。

すると・・「どうして馬大師にお尋ねしないのか?」

「先ほど、お尋ねしましたら、あなたに聞けとのことですので、お伺いした訳です」

智蔵「ワシは今日、頭痛がしてアンタに話ができない。いっそ、海兄(かいひん=百丈懐海)に尋ねることだ」・・というので、この質問を百丈に持ち込んだ。

懐海「そんなこと・・わしに解からぬ」

結果・・求道者は、ぐるり一巡して、智蔵と懐海の接待ぶりを馬大師に話した。

すると馬大師は、二人の禅機を比較して「智蔵は素人(しろうと)。懐海は玄人(くろうと)。その簡潔ぶりはナカナカだ」と言った。

 *擧す。僧、馬大師(ばたいし)に問う。

  「四句を離れ、百非を絶して、請う。

  師、それがしに西来意(せいらいい)を直指(じきし)せよ」

  馬師(ばし)云く「我れ今日(こんにち)、労倦(ろうけん)。汝が為に説くこと能わず。  

  智蔵(ちぞう)に問取(もんしゅ)し去れ」

  僧、智蔵に問う。

  蔵云く「なんぞ和尚に問わざる」僧云く「和尚来(き)たり問(と)わしむ」

  蔵云く「我れ今日、頭痛す。汝が為に説くこと能わず。

  海兄(かいひん)に問取しされ」

  僧、海兄に問う。

  海云く「我れ這裏(しゃり)に到っては却(かえ)って不會(ふえ)」

  僧、馬大師に挙示す。

  馬師云く「蔵頭(ぞうとう)は白(はく)、海頭(かいとう)は黒(こく)」

 

*蔵頭白、海頭黒・・意味の由来について・・

昔、福建省(閩・びん)に頭巾(ずきん)が白の候白(こうはく)という山賊と、頭巾が黒の候黒(こうこく)という山賊がいた・・という説話に基づく。

秦観の准海閒居集(じゅんかいかん きょしゅう)=以下=解読・井上秀天著、碧巌録新講話による・・(略記・紹介)

ある日、候黒が女と井戸端で深刻な顔つきをしているところに、候白が通りかかり、その訳を尋ねた。女が貴重な耳飾りを井戸に落として弱っている・・という。君が拾い上げたら、お礼に、その価値の半金を進呈する。

これを聞いて候白、そっと候黒に耳打ちした・・「よし、その儲け話し、引き受けた・・が、拾い上げた上は、あの女を騙して、全部をワシの物にしたい」と要求した。

侯黒が承知したので、候白、衣服を脱いで井戸の中に入った隙に、候黒は、身ぐるみの一切合切を盗って、女と共に逐電してしまった。

古い閩人(びんじん)のコトワザに「我は候白、彼、更に候黒」=自分はヨッポドの悪者と思っていたのに、彼は一枚、上手の悪(わる)だ・・の意味でつかわれている。

*この話は、求道者が、智蔵と懐海のとった応対に納得できず、馬祖に報告(告げ口)したので、馬祖は、智蔵の対応の穏やかさと、懐海の明瞭なハネツケ方を聴き比べて、二人の禅機を審判したのであろう。(僧擧馬大師・・は、告げ口の様子をあらわす)

*従来、馬祖の「蔵頭白、海頭黒」は、四句を離れ百非を絶して、達磨西来の意味を問う公案の、【答え】の如き印象をあたえているが誤解もはなはだしい。智蔵に聞け・・懐海に尋ねよと言っているだけだ。それに、それぞれの自悟独証があることに気付くことだ。

 

【頌】「智蔵の頭には白頭巾。懐海の頭には・・黒頭巾」と、馬大士は、四句百非の禅機の判定をしたが、この真意を心得た禅者が、果たしているかどうか。

実際、馬大士は、なみいる禅者たちを踏み分ける奔馬そのもの。

臨済をたとえて、白昼、公然と、人の物を強奪する(ひったくるような)禅者だと言うが、馬大師の前では、ひどく影が薄い存在だ。

かの求道者は、求道の行いを、大義名分や論理的証明にウツツヲ抜かす妄想の人である。禅は、ただ一人、坐して自から自證せよ。

  【頌】蔵頭は白く海頭は黒きを、明眼(みょうがん)の衲僧(のうそう)も會(え)することをえず。

    馬駒(ばく)は踏殺(とうさつ)せり天下の人。

    臨済(りんざい)はいまだ是れ白拈賊(びゃくねんぞく)にあらず。

    四句を離れ百非を絶す。天上人間、ただ我れ知れよ。

 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO74 禅は棒・喝のみにあらず。

●サアサ・・ご飯が出来ました!温かい内にどうぞ・・

碧巌録 第七十四則 金牛飯桶 (きんぎゅうはんつう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に向かって垂示した。

禅者は、どんな葛藤や、難問題でも、草薙(くさなぎ)の剣を一閃するようにスパット解決して、明鏡のごとき般若の智慧を輝かせ、いかなる文字、言句でも、真実一路の保証印付でなくてはならぬ。

着衣喫飯・・日常生活そのままが大悟徹底の行い・・そのものである・・が、いざ、非常時には、どのように対応しているのか。

理解できない者は、次の下文を看取せよ。

  *垂示に云く、鏌鎁(まくや)横に按(あん)ずれば、

   鋒前(ほうぜん)には葛籐窠(かっとうか)を翦断(せんだん)し、

   明鏡(みょうきょう)高くかかれば、

   句中に毘盧印(びるいん)を引出(いんしゅつ)せん。

   田地(でんち)隠密(おんみつ)の處にては、著衣喫飯(じゃくえきっぱん)せんも、

   神通遊戯(じんつうゆげ)の處にては、

   如何にしてか湊泊(そうはく)せんや。また委悉(いしつ)せりや。

   下問(げもん)を看取(かんしゅ)せよ。 

【本則】むかし・・鎮州に金牛と呼ばれた老師がいた。

多くの求道者の面倒をみて、食事時には、味噌擂(す)り、ご飯炊き、一切合財ととのえて喜色満面、呵呵大笑(かかたいしょう)して「さあさ・・菩薩(求道者)たちよ、ご飯が出来たから、おあがりなさいよ・・」と、誰へだてなく、厚遇、接待をしていた。

  (雪竇云く・・金牛坊主に騙されるなよ。必ず、どこぞの家主のように、 

  「タダメシは食わさんぞ。まずは家賃の値上げを・・」と言うはずだ!)

後世になって、この話を、ある求道者が長慶慧稜(853~932)に持ちだして問うた。

「いつも、どの禅寺でも財政難で大変ですのに、金牛和尚は、いったい、どんな気持ちで、自分の財産をなげうって、求道者たちを養ったのでしょうか」

長慶云く「多くの求道者を養う資金を持っている・・その感謝の祈りであろうサ。高慢なホドコシ顔より偽善気分がなく、うれしい感謝の顔の方が、お互いに、いい気分じゃないか」

  *擧す。金牛(きんぎゅう)和尚、齊時(さいじ)にいたる毎(ごと)に、

   自(みずか)ら飯(はん)桶(つう)をもって、

   僧堂の前において舞をなし、呵呵大笑(かかたいしょう)して云く

   「菩薩子喫飯来(ぼさつしきっぱんらい)」と。

   (雪竇云く、しかも、かくの如くなりと雖(いえど)も、

   金牛これ好心(こうしん)にあらず・・と)

   僧、長慶(ちょうけい)に問う。

   「古人 道(いわ)く。菩薩子喫飯来・・と。意旨如何(いしいかん)」

   慶云く「おおいに齊(さい)によって慶讃(きょうさん)するに似たり」

 

【頌】金牛和尚の、自ら飯を炊き、自ら僧堂に配膳して「サアサ、菩薩の方々、ご飯が出来たよ」と明るく笑いながら求道者をもてなしたことは、詩的に表現すれば「白雲影裏に笑い呵呵」である。

禅は棒・喝のみにあらず。平凡な日々の生活中に真理あり。

施しをもらって喜ぶごとく、施しをなして喜ぶ人は極めて少ない。

長慶は、真の禅者(金毛の獅子)である。

金牛のいた鎮州の彼方、遠く三千里の明州にいながら、金牛の「禅禅による生活=禅者の行い」を見抜いている。

  *白雲影裏(はくうんえいり)に笑呵呵(わらいかか)。

   両手にもち来たって他に付與(ふよ)せり。

   もし是れ金毛の獅子子(ししじ)ならば、三千里外に訤訛(ごうか)を見ん。

 

【附記】馬祖道一(709~788洪州 馬祖山)の弟子・・鎮州、金牛和尚は、どうやら・・何不自由のない富豪でありながら、晩年、特別の動機で出家。自分の莫大な資財を投げ出して、多くの求道者を供養して自ら、おおいに満足していた・・と推測する以外、詳細不明。

*碧巌録 第七十四則と第九十三則【本則】問所・・に記録されている事例は、円熟した境地の禅者と、禅機の覚心したかの如く見せかけている者との対比が鮮やかである。

碧巌の歩記(あるき)NO75 【人間は(地球にとってno)フンコロガシである】

【人間は(地球にとっての)フンコロガシである】

武田邦彦先生は、昆虫「糞ころがし」の生態から、人間が、地球の廃棄物=石油、石炭空気、水、放射性物質などを寄ってたかって、せっせと取り込んで生計を立てている「地球にとってのフンコロガシ」のようだ・・と、以前、ブログで語っておられるのを、思わずメモしてタイトルにしました。しかも、それだけなら、まだしも、昆虫のフンコロガシに悖(もと)るのは、傲慢にも、生きている動植物を殺し、生活に利用し、殺人、戦争を行い、すべてが人間の為に存在しているかのような、傲慢な生き方をしていることだ・・と意見されています。

PCで本物の昆虫「糞コロガシ」の写真を見て感動しました。

彼らは動物の廃棄物「糞」の中の、わずかな栄養分を食事にして卵=次世代を生かせるべく、せっせと糞を丸め、逆立ちして後ろ足で、転がして巣に運びます。

そのヒタスラで一生懸命なこと。この語源・・「一所懸命」一つ所で命を懸ける・・は、まるで、フンコロガシの為に、創られた文字のようです。ただし動物である人間だって、地球という惑星の一つで、一所懸命に頑張らねばならないはずなの・・ですが・・。

 

碧巌録 第七十五則 烏臼 屈棒屈棒 (うきゅう くつぼうくつぼう)

【垂示】圓悟が垂示した。

禅者たるものは、霊妙な切れ味の宝剣を、いつも携えていて活殺自在の働きをなす。つまり、把住(積極的手段)と放行(消極的手段)の二つの行為である。どんな出来事の優劣でも、褒(ほ)めるも貶(けな)すも、掴(つか)むも放(はな)つも意のままにできるのだ。主客に拘泥しないで、相対的見地に囚われない・・そんな行いは如何に為せるものか・・次の話を看よ。

  *垂示に云く、

   霊鋒(れいほう)の寶剣(ほうけん)、

   常に前に露現(ろげん)すれば、亦よく人を殺し、亦よく人を活(かっ)す。

   かしこにあるも、ここにあるも、同得同失(どうとくどうしつ)。

   もし提持(ていじ)せんと要せば、提持するに一任し、

   もし、平展せんと要せば、平展せんに一任せん。

   且(しば)らく道(い)へ、賓(ひん)主(しゅ)に落ちず、

   囘互(えご)に拘(かかわ)らざる時、如何(いか)にせん。

   試みに挙す看よ。

【本則】ある禅者が定州の石藏(せきぞう)和尚の僧堂から、烏臼(うきゅう)の禅庵にやってきた。

烏臼「定州の禅風は、わしの處と変わっているかな?」

禅者「別段、変わりありません」

烏臼「どこも同じなら、ワザワザここまで来るには及ぶまい。サッサと帰れ」と言いざま、手にした棒で、ピシッと一打した。

禅者「なんとムチャな。あなたの棒は人の価値を見分ける眼が無いようですね」

烏臼「今日は、打つに手ごろな奴が来たものだ」と言って、さらに、立続けに三回打った。

禅者は閉口して庵を逃げ出そうとした。

その姿を追いかけるように・・烏臼は「ヤブから棒に打ってみたが、うまく当たったなあ」・・それを聞いて、禅者、うしろを見て云った。「自分が棒を持っているからといって、大口をたたきなさるな。私に棒さえあれば、叩き返してやるものを・・」

烏臼すかさず「オオ・・そうか。ソレジャ、お前さんに、これを貸そうか」というと、その禅者は、烏臼の棒を奪い取って、続けざまに烏臼を三回打った。

烏臼「ヤアヤア・・闇討ちに、何とする」

禅者「我ながら、これは見事な三本。疾風の如き打ち勝ちですな」

烏臼「さっきは無暗に人を打つなと言っておきながら、今度は、訳もなく人を打つ・・とは、何というやつだ」

すると禅者は、すぐに礼拝した。

烏臼「オイオイ・・たったそれだけで勝負はお終いか」

禅者は、笑いながら去ろうとする・・その後ろ姿に・・

烏臼「ナンダ・・アイツは。ただの大笑いの芸しかできない大根役者だったのか」

  *擧す。僧、定州(じょうしゅう)和尚の會裏(えり)より来り、烏臼に到れり。

   烏臼問う「定州の法道は這裏(しゃり)と如何(いかん)」僧云く「別ならず」

   臼云く「もし別ならずんば、さらに彼(か)の中(うち)に転じ去れ」便(すなわ)ち打つ。

   僧云く「棒頭(ぼうとう)に眼(まなこ)あらば、草々(そうそう)に人を打つことを得(え)ざれ」

   臼云く「今日、一箇(いっこ)を打着(だちゃく)したるなり」また打つこと三下(さんげ)。

   僧 すなわち出で去れり。

   臼云く「屈棒は元来(がんらい)、人の喫するにあり」

   僧、身を転じて云く「いかにせん、杓柄(しゃくへい)の和尚の手裏(しゅり)にあることを」

   臼云く「汝 もし要せば、山僧 汝に囘與(らいよ)せん」

   僧 近前して、臼の手中の棒を奪い、臼を打つこと三下したり。

   臼云く「屈棒(くつぼう) 屈棒」(・・やあ、闇討ちにあったな)

   僧云く「人の喫在せしことあり」(うまく一本とったぞ・・の意)

   臼云く「そうそうに この漢を打着したり」

   (今になって訳もなく老僧を打つとは・・どうしたことだ)

   僧 すなわち礼拝(らいはい)せり。

   臼云く「和尚 恁麼(いんも)にし去るにや」

   僧 大笑して出でたり。

   臼云く「消得恁麼(しょうとくいんも) 消得恁麼」(なんだ、たったの大笑いだけか・・の意)

【頌】例えば・・瓢子笛(ひさごふえ)で、蛇を呼び集める(把住)は比較的たやすいことだが、集まった蛇を退散させる(放行)はナカナカ困難である。

いま、この無名の禅者と烏臼老師との禅機(葛藤)の戦いは、把住、放行の両作用が対になって、互換的な機鋒が火花を散らしているので、よく看て取るがよい。

さざれ石は固くとも、いつか破砕される時があるかもしれず、海は深くとも、いつかは乾いた大地になることもあろう(この禅者同士の勝負は、一筋縄では決着しない)

烏臼老師は、よせばよいのに、棒を貸してまで、いい処を見せようとした。はしたないことをしたものだ。(どうも、やり方がまずかったな)

  *呼ぶことは即ち易(やす)く、遣(つか)わすことは即ち難し。

   互換(ごかん)の機鋒を子細(しさい)に看よ。

   劫石固(ごうせきかた)うし来たるも、なお壞(え)すべく、

   滄溟(そうめい)深(ふか)きところに立つも、すべからく乾(かわ)くべし。

   烏臼老(うきゅうろう) 烏臼老。

   幾何般(いくばくはん)ぞ。

   杓柄をあたえしことの太(はなは)だ端(はした)なかりきは。

 

【附記】定州石藏禅師(北宗禅)は、崇山普寂の弟子。烏臼和尚・・馬祖道一の弟子である・・詳細不明。

把住と放行と、ともに両忘した烏臼の、円熟した禅機の応酬は、見ごたえのある問答だ・・と(烏臼を貶(けな)す文句)実は、心底の雪竇の最高の褒め言葉である。対する行脚の求道者は、はたして大根役者か、烏臼を引き立てる名脇役か・・暇に飽かせた隠居禅者の棒のたたき合い・・どっちが勝ったか負けたか・・確固たる審判を下してみよ・・と言われています。どうですか?

この表題は・・過年・・http://takedanet.com/ 武田邦彦先生のブログ「科学と生命」ヒトの資源・・を拝見してのタイトルです。

昔も今もガタピシ隙間風の禅界は、ゴタツク(吾他憑く)訳だ!

碧巌の歩記(あるき)NO76  

◆丹霞天然(たんかてんねん=739~824)鄧州丹霞山に隠棲した、馬祖道一の弟子。石頭希遷に参禅。七十代の頃、寒中、慧林寺で木仏像を焼いて暖をとったという禅者。

 

碧巌録 第七十六則 丹霞喫飯也未 (たんか はんをきっすや いまだしや)

【垂示】圓悟が求道者に垂示する。

宇宙の実体は、細部を看るに米粉のごとく、極寒は氷霜の如くであるし・・遍在性を見ると、見事に宇宙に充満しているから、人の云う「明」とか「暗」とか、髙い、低いも、ともに無限である。大悟徹底した禅者の積極的行為(把住 はじゅう)、消極的行為(放行 ほうぎょう)は、一挙手一投足、ガタピシ(我他彼此)のない自然(おのずから しかり)天地同根の行いである。

さあ、おまえたちの中に、ズバリ、こんな鋭いことを言えるような徹底した者がいるか・・どうか。試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、細(さい)なることは米末(べいまつ)のごとく、

   冷(れい)なることは氷霜(ひょうそう)に似たるも、

   乾坤(けんこん)を逼塞(ひっそく)して、明を離れ、暗を絶(ぜっ)す。

   低々(ていてい)たる處にては,これを観るに餘(あま)りあり。

   高々(こうこう)たる處にては、これを平ぐるにたらず。

   把住も放行もすべて這裏(しゃり)のところにあり。

   また出身の處 ありやいなや。試みに挙す看よ。

     *ガタピシしない/我他彼此・2元(相対分別)的思考に囚われないこと。

【本則】ある日一人の求道者が、丹霞山(たんかざん)の天然和尚の処にやってきた。

丹霞「どこからお出(い)でたのかな」

求道者「丹霞山のふもとから、登ってきました」と、常識的に自分の出身地を言うのではなくチョット奇抜な風の答え方をした。

丹霞「ウム・・下から上に・・か。それはそうと飯は食ったか、まだか?」と切り返した。

求道者「もう、いただきました」

丹霞「お前さんなんぞに飯を施す人がいるとは、世の中は広いものだな。じゃあ・・その人は人物を鑑識する「真眼」はもっていたかね?」・・丹霞の第二箭(矢)は、深く求道者の胸に突き刺さる。

求道者・・この鋭い禅者の問いに無語となった。

(これは九世紀初頭、鄧州南陽、丹霞山の禅院での問答だが、九世紀終ごろ・・丹霞死後三十年後、福州雪峰山の禅林で、長慶慧稜と保福従展の間で、この話が蒸し返された)

長慶が保福にむかって「どうも、あの丹霞和尚の言い分が納得できません。丹霞和尚は、あの求道者に飯を食べさせた人は、眼なしだと言わんばかりですが、これは、如何なる立場から言えることでしょうか?」

保福「雲水、行脚をもって自任する者であるなら、ホドコシを受けるような意気地なしになる訳がない。飯を食わせる奴も奴だが、食わせてもらう奴も奴だ。施者も受者も、眼なしだね」

長慶「最善を尽くして、真に感謝する・・自己相応の慈善を行うことを、貴方は眼なしだ・・というのですか」

保福「おいおい・・私を眼なし扱いにして、わからず屋だと言うつもりかナ」

  *擧す。丹(たん)霞(か) 僧に問う「いずれの處より来たるや」

   僧云く「山下(ざんか)より来たれり」

   霞(か)云く「喫飯了(きっぱんりょう)や、未(いま)だしや」

   僧云く「喫飯了」

   霞云く「飯をもちきたって、汝に喫(きっ)せしむる底(てい)の人、

       また眼(まなこ)を具(ぐ)するにや」

   僧 無語。

   長慶、保福に問う

  「飯をもって人をして喫せしむるは、恩を報ずるには分あるに、なんとしてか眼を具せざるにや」

   福云く「施者(せしゃ)受者(じゅしゃ)ふたりともに瞎漢(かつかん)なり」

   長慶云く「その機を盡(つく)しきたるも、また豁(かつ)となすやいなや」

   福云く「我を瞎(かつ)と道(い)い得るにや」

 

【頌】自己の最善を尽くして物事をなす者を「わからず屋」とは言わない。

昔、インドの寓話に、ご先祖の墓に沢山のお供え物をして祈る人がいた。そこへ牛飼いが通りかかり、死んだ牛の頭を近くの草むらに押しつけて、「さあ、この草を食べろ、食べてくれ、おいしいぞ」とけしかけていた。

墓参りにきた人は、これを見て「ソンナ事をしたところで、死んだ牛が草を食べる訳がない」というと、その牛飼いは「あなたも、私のしたようなことをお墓でしているではありませんか」と逆ねじを食わせた・・逸話にもとづく。

禅を伝灯するインドの四十七師。中国、達磨から二十三代の祖師・・伝法者たちは、禅の印可相伝に大騒ぎを演じてきたが、禅は、そんな大袈裟な中に隠れているものではない。

イヤハヤ天上界、人間界、どこもかしこも、我利我利亡者(ガリガリモウジャ)の渦中に呑まれ、禅界は我他彼此(ガタピシ)隙間風が吹いて、住みづらいことになった。

  *機を盡(つく)さば瞎(かつ)となさず。

   牛頭(ごず)を按(あん)じて草を喫(きっ)せしむ。

   四七二三の諸祖師(しょそし)。

   寶器(ほうき)を持(じ)し来(き)たって過咎(かきゅう)をなせり。

   過咎深(かきゅうふか)し、

   尋(たず)ぬるに處なく、天上人間は同じく陸沈(りんちん)。

 

【附記】丹霞天然(たんかてんねん=739~824)鄧州丹霞山に隠棲した、馬祖道一の弟子。石頭希遷に参禅。七十代の頃、寒中、慧林寺で木仏像を焼いて暖をとったという・・逸話のある禅者。

人に咎められると「仏像を焼いて、お前さん方が有難がる、佛陀の舎利(骨)をとっている」と言い放った。「木像に舎利があるものか」と言われると「ゴタ(吾他つ)憑くな!舎利の無い仏像なら、いくら焼いたところで責められるイワレはないぞ」と答えたそうだ。

コンナ気骨のある禅者は、今時、何処を探しても見つからない。

碧巌の歩記(あるき)NO77 「まんじゅうで、コロモのホコロビ・・縫い合わせられますか」?

中國 韶州(しょうしゅう)雲門山文偃(ぶんえん 852?~949)は、初め睦州に参じ、次いで雪峯義存(せっぽうぎそん)に師事した。五家七宗雲門宗の開祖。特色は、その語言きわめて巧妙で、容易に窺(うかが)いがたきにある。碧巌六則に有名な「日々是好日」があり、百則中、15則中に登場する。そのいずれもの問答は「紅旗閃爍(こうきせんしゃく)」・・まるで、青山の頂に紅い旗が翻っているけれど、敵陣見定めがたい・・といわれている。

この語録の登場人物の略歴について紹介は省いているが、参考に書けば、雲門が雪峯に師事したのは870年19才の時であり、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)が120才で亡くなったのは897年、彼は46才であり、師、雪峯の死は57才(908年)の時である。

 

碧巌録 第七十七則 雲門 餬餅 (うんもん こびょう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

処世法には二種類ある。一つは向上的で、天下人の機先を制し、まるで熊鷹が鳩を捕まえるように、自己の掌中にあって思うままの行いが出来ること。

二つ目は、向下的生活行動で、何事も、社会環境の奴隷となって、制度や規制に縛られた、主体性のない暮らし方をすること。

まるで亀が殻の中に閉じこもるように、ローンの支払いに追われた生活のようになることだ。

もし、この件で「何を言うか。向上も向下もあるものか・・寝言話は止しにせよ」と、理(こと)わりを云う者があれば、次のように言ってやろう。

「どうやら、お前さんは、幽霊仲間の世界で、現(うつつ)を抜かす輩(やから)と見えるな」

さて、坐下の者たち・・向上に転ずるといい、向下に転去するといい、如何なるか?「一真人」とは・・如何なるや?幽霊人間とは・・この黒白のケジメをハッキリつけているか・・どうかが問題なのだぞ(・・と、求道者を見まわして・・)一定の規定があるなら、その規定どおりにするがよい。もし一定の規定がないのなら、従来の慣例に従いなさい・・そして、その実例が見たければ示そう。試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、向上に転じ去らば、もって天下の人の鼻腔(びくう)を穿(うが)ち、

   鶻(こつ)の鳩を捉(とら)えるに似たる・・べく、

   向下に転じ去らば、自己の鼻腔は、別人の手裏(しゅり)にあって、

   亀(かめ)の殻(から)にかくれたるが如くならん。

   このうち、たちまち、ここに出で来たって、本来、向上も向下もなきに

   転ずることを用いて、なにおかなさんやと、いうものあらば、

   ただ、かれに向かって道(い)わん。我また知る、

   なんじが鬼窟裏(きくつり)に向かって、活計(かっけつ)をなすことを・・と。

   且(しば)らく道(い)え。作麼生(そもさん)か、この緇素(しそ)を辦(べん)ぜん。

   (良久して云く)

   條(じょう)あれば條を攀(よ)じ、條なければ例を攀じよ。試みに挙す看よ。

   *碧巌百則 園悟の垂示中、古人は特に優れた垂示として賞賛している)

【本則】ある求道者が雲門文偃(うんもんぶんえん)にむかって「もう仏様の線香臭い話や、祖師方のお悟り臭い話など聞き飽きました。ひとつ、これを超越した、スカットした話を承りたいものです」と云った。

雲門云く「ソレなら、ゴマ饅頭を一つ召し上がれ。

さあっ・・(これも物騒=ブッソう(仏祖)話か・・)どうじゃ」とせまった

  *擧す。僧、雲門(うんもん)に問う

  「如何なるか、これ超佛越祖(ちょうぶつおっそ)の談」

   門云く「餬餅(こびょう)」

【頌】生活上、止むを得ないとはいえ、雲水は、天下の叢林(そうりん)を食いまわっているくせに、超佛超祖の話とは・・。

こいつは素敵な文句と裏腹に、つじつまの合わない、ほころびがいたるところに目立った求道者だ。

さあ、お前たち・・そのほころびトヤラが解かるかナ?

雲門は、ゴマ饅頭をピチャリと綻びに当ててスキマを塞いだが、きれいにくっついてはいないようだ。今日に至るまで、ウロウロと求道者どもは、禅寺を駆け回わり、ヤレ禅の印可だの見性だのと、イロイロな認可、権威の取り合いを演じ、ゴマ菓子(誤魔化し)饅頭の奪い合いだ。

いや、さすが雲門・・これは、超談の求道者を、茶菓(茶化)した一語と見立てるが、しかし、あんたは胡散臭くても、くれたゴマ餅は天下一うまいなあ。

  *超談(ちょうだん)の禅客(ぜんかく)の問いは、ひとえに多なり。

   縫罅(ほうけ)の披離(ひり)せるを見しや、いなや。

   餬餅祝し来たりしに なおとどまらず、今に至るも天下に訤訛(こうか)あり。

碧巌の歩記(あるき)NO78 【狐のだまし湯・・まるで田んぼの肥え溜風呂だね!】

馬齢を重ねるにしたがって、体と心は一体である・・と言うことが、身に染みて解かるようになった。今、腰痛で、立つにも歩くにも、ビリビリ痛みが走りアブラ汗がでる。体と心はひとつ。区別できないものだと、つくづく悟らされた。

若い時は、理窟で解っていただけだ。

だが、近頃・・何かを為しても、為さなくとも、言葉では言い尽くし難い、寂寥感に包まれる。

友人は、病気だろう・・とも、年だろう・・とも推測していう。

中には、そろそろお前はお迎えが近いのでは・・というのもいる。

私は、お迎えが近いとか、体の調子ではないと思っている。

もっと根源から、コンコンと湧き出る泉のごとき「寂寥」の感を想うのだ。こうも言えよう。この「寂寥」の心地が解かってこそ、はじめて、揺るぎない禅境が開けてくる・・と。

 

さてさて・・今日は、滋賀では、母が満百歳の誕生日。積年、妹が老々に看護している。

台風近接に、黄葉紅葉、乱舞する夜となりました。

腰痛には、ゆっくり風呂に入るのが一番・・です。

ソレにつけても・・会(有)難いことだ。

 

碧巌録 第七十八則 開士入浴 (かいし にゅうよく=開士 水因すいいんを悟る)

【垂示】欠如。

【本則】ここに少し毛色の変わったインドの話がある。

十六人の求道者を教導する者(開士)たちが、規定作法のとおり沐浴していた時、水の肌ざわりのよいこと、清らかで美しいこと、気持ちのいいことを発見し、浮かれ出した・・という。

これを、雪竇(せっちょう)、話に引き出してきて、坐下の求道者に「サア、お前達、この十六人の開士たちが、心地の良い、極楽温泉のようだという、気持ちがわかるか?この美的な入浴感覚は、達道の者でなくてはわかるまいが、どうじゃ?」・・と云った。

  *擧す。古(いにしえ)に十六の開士ありたり。

   浴僧(よくそう)の時において例にしたがって入浴し、たちまち水因を悟れりと。

   諸禅徳(しょぜんとく)、作麼生(そもさん)かして、

   他の「妙觸宣明(みょうそくせんみょう)、

   成佛子住(じょうぶつ しじゅう)」と道(い)いしことを會(え)すや。

   また、すべからく七穿八穴(せんけつ)にして、はじめて得(う)べし。

 

【頌】大悟、明眼の士は、一人で沢山。

風呂の中で足を延ばし寝そべって、十六人もウジャウジャと、各種の悟達の感想を述べるとは・・ラチも無いこと。まだまだ悪臭無限の垢まみれ・・夢中にあって夢を語るとは、この事を指す。

極楽温泉で、きれいサッパリ世の迷垢を洗い流したつもりだろうが、その悟りすました間抜け顔に唾でも吐きかけてやろう。

  *了事(りょうじ)の衲僧(のうそう)は一箇を消(よう)ず。

   長く床上に連(つら)なって脚をのべて臥(が)し、

   夢中に曾(か)って説く圓通(えんつう)を悟ると。

   香水にて洗い来たるも驀面(まくめん)に唾(だ)せん。

碧巌の歩記(あるき) NO79  

◆「禅による生活」とは、どうゆう暮らしのことでしょうか?

◆これから「独りポッチ禅=3分間ひとりイス禅」をしたいのですが心構えは?

禅語では、「言う」を「道う」と書きます(この項では行う・・の意で「道」とします)

常日頃、行いのすべてに、ピチピチと活きている、好奇や躍動、生命力をほとばしらせて、(作為的な表現ではなく)情=心を自然につくしている、造作(はからい)がない「表情」・・のある生活を、私は「人生、裸で生きるべし」と道っています。

 

だから「禅による生活」は、一人独り、皆、違うのです。

ミンナ、宇宙で、ただ、独りだけのDNAを持って誕生しているのだ・・と、頭のてっぺんからつま先まで、浸み込んだら・・どんな暮らしもミンナ、ミンナ「禅による生活」となってくるでしょう。

「独りポッチ禅=3分間ひとりイス禅」は、足の痛みや雑念の苦行坐禅と違い真の穏やかな坐禅です。身も心もゆったりバランスのとれた態度で坐禅する、何かを自分に(効能効果を)期待しない「何の役にも立たない坐禅」ソノモノに集中する坐禅です。

そして・・3分間でも、無心に放ち切った境地の、日ごとの積み重ね・・が大事なのです。

あえて、その心構え・・といえば、姿勢を正し、眼を半眼にして、腹式呼吸で、六回の数息を計三巡。計十八回の数息・・をくりかえす・・だけです。(つまり、一回の呼吸がゆっくりと十秒程度であれば、十八回で三分間となる勘定です・・もうちょっと続けられれば、それを繰り返すだけ・・です)

これに慣れて、寝る時は「寝禅」。起きる時は「起床禅」食事の前には「食禅」。電車の中で「車中禅」仕事の前後に「仕事禅」・・トイレの時は「手洗い禅」お風呂では「風呂禅」・・など、オリオリに、サッと出来るようになられたら、次に、禅語録の碧巌録や無門関から、ドウモ気に障る、矛盾に満ちた「公案=則」を一つ、訳の解からぬ飴玉を与えたつもりで、数息の代わりに拈弄(ねんろう・・余分な妄想の代わりに、集中)なさってください。

この訳が分からない、役に立たない公案を拈弄する「独りポッチのイス坐禅」を、後生大事に繰り返し、繰り返し(造作、意図のない坐禅)なさることです。くれぐれも「悟り・悟達」への希望や期待や、スガスガシイ気分や効能を求めることなど、欣求・祈願の対象にしてはなりません。

坐禅で、心が落ち着くとか、安心の境地になったとか・・そんな目的のための手段は忘れることです。

坐禅が、何の役にも立たないこと・・であればこそ、何も成果を期待しない坐禅により、勝手に、人知れずに大覚、見性が醸成されていくのです

*仏教の四弘誓願に、煩悩無尽誓願断=煩悩は尽きることなく、誓ってこれを断じます・・とありますが、禅は、煩悩即(そのまま)菩提です。ところが、禅寺では、坐禅の修行中に、この四弘誓願をモゴモゴ唱えさせるのですから、ひどく矛盾した教導です。

白隠坐禅和讃でも「衆生、本来ほとけなり。水と氷の如くして・・」とあります。

●コトバや文字にこだわれば、木の葉が万札に見えてくる!

ハッキリ書いておきます。

禅は宗教ではありません。禅語に出てくる「佛・佛性」の字は「悟り」の意で、私は、ことごとく「禅」と意訳しています。千年前の中國の禅者には、頭髪を剃らず行者(あんじゃ)と呼ばれた指導者もおり、師家・和尚は「老師」(先生)とし、行脚・修行の僧は「求道者」としました。

例えば、次の一切佛聲は「一切禅声」の意です。

 

碧巌録 第七十九則 投子一切佛聲 (とうすいっさいぶっせい)

【垂示】圓悟が求道者に垂示した。

春夏秋冬、万物は何の思惑も無く自然に働き、目的をもってなしていない。禅=至道は好き嫌いがないだけだ。

解き放つのも、生け捕りにするのも、たいした力は要しない。

さあて、昔から今までに、どんな輩が、この「至道」とやらを、生け捕りにしたのであろうか。試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、大用は現前、軌則(きそく)を存せず。

   活捉(かつそく)にも生擒(せいきん)にも、餘力を労せず。

   且(しば)らく道(い)え。

   是れ、なん人(びと)か曾(か)って恁麼(いんも)にし来たる。  

   試みに挙す看よ。

 

【本則】ある日、求道者が投子山の大同和尚に「仏教では、この宇宙そのものが佛陀の本体(宇宙即佛陀=佛陀即宇宙)であるから、総ての音や声は、これ佛陀の声でありましょうな」と念押しした。

投子「もちろん本当だ」

求道者「それじゃ、放屎(ほうし)放屁(ほうひ・クソダシ・オナラの音)はどうですか。あれも佛陀の尊い教えですか」と、からかったのである。

投子、ソレを聞くより早く、ピシャリと求道者を打った。

求道者は、それでもタジロギもせず、二の問いを仕掛けた。

「粗暴な言葉も、丁寧な言語も、大乗、小乗すべて佛陀の教えは、第一義=仏性本体(ZEN)である・・これは真実でしょうか」

投子「本当である」

すると、待ってました・・とばかりに、求道者は言った。

「それなら、今、私が、ご老師を、一匹の愚かな驢馬だと言っても、間違いではありませんね」

投子は、それを聞くより早く、求道者をピシャリと打った。

  *擧す。僧 投子に問う「一切聲(いっさいせい)は、これ佛聲(ぶつせい)なりと。

   是(ぜ)なりや否(いな)や」

   投子云く「是(ぜ)なり」

   僧云く「和尚、とく沸碗鳴(ふつわんみょう)の聲(こえ)なるものなしや」

   投子すなわち打てり。

   又問う「麤言(そごん)および細語(さいご)は、みな第一義に帰すと。

   是なりや否や」

   投子云く「是なり」

   僧云く「和尚を喚(よ)んで一頭の驢(ろ)となし得るや」

   投子すなわち打てり。

 

【頌】さすがだね・・投子よ、アンタはエライ。誰もその働きを止められない。

「是」の一言で、思い切り叩かせてもらったところなんか、まるで、小エビで太鯛を釣りあげたようなもの。

それが一度ならず二度までも大成功とは・・。

可哀そうに、かの求道者は、くだらない屁理屈を陳べているが、波浪に戯れて、しまいに溺死するのを知らない哀れな奴だ。

遂に、二度も打たれて溺れ死んだぞ。

もしも・・だが、あの二度目の時に、投子の棒を奪い取って、したたかに投子を殴りつけていたなら、百千の大河が、轟々と逆流するような一大活劇が演じられたろうに・・

(投子も泣くほど喜んだことだろう)惜しいことをしたものだ。

  *投子投子。機輪(きりん)に阻(へだて)てらるることなし。

   一を放って二を得、彼(かれ)に同じく此(こ)れに同じ。

   憐(あわ)れむべし限りなく潮(うしお)を弄(ろう)せし人、

   畢竟(ひっきょう)また潮の中に落ちて死せリ。

   忽然として活かせば、百川(ひゃくせん)倒流(とうりゅう)して

   閙聒々(とうかつかつ)たらんに。

 

【附記】投子大同(818~910)は、石頭希遷、丹霞天然の流れをくむ翆微無学の弟子。

この雪竇の頌は、味噌くそ一緒の、悪平等の邪観を打散せしめた、投子の力量を誉めている。どうやら言葉や文字に執着すると、木の葉が万札に見えてくる。チョウド次の則(80則)で「般若心経」意訳を紹介した。この79則の鍵穴にも「般若心経」はピタリと合うはずだ。

この般若心経は・・ZENのマスターキーとして、どの則、どの公案にも合致するが、神出鬼没・・在って無く、なくてある・・量子的キーなので、利用不能だ。アラビアンナイトの「開けゴマ」とは、えらい違いだと心得ることだ。

このあたりで「一切聲是佛聲」は蘇東坡の「山色渓聲 是廣長舌」と同義であるとしておきます。

般若心経とZEN・・碧巌の歩記(あるき)NO80 

「あるともサ・・流れに桃を放り込んでご覧ナ~ドンブリコ~ドンブリコ」

「般若心経」と「ポッチ禅」・・まず数息で調(醒)心が出来るようになったら、禅語の一語を、鉄の飴玉だと思って拈弄する・・この段階で、般若心経を看返すのがいいでしょう。

歌でも詩の朗読でも、声に出して自分に聞かせると、どうしても意識過剰・・気が散ります。般若心経も同じことですから、声をあげてとなえるのはやめて、まず、心経の言葉(文字)・・「色と空」の、理解しがたい矛盾・・例えば「眼や耳や鼻、舌、身・意(思いは、あるのに)ソレは無いことだ・・」を、そのまま、矛盾のままに黙読ください。昔、坐禅に集中するのに「南無阿弥陀仏」と念仏する坐禅法がありました。心経を坐禅の対象としてはなりません。

 

私は、般若心経で、誰も、肝心なところを素っ飛ばしている・・と思う・・のは、はじめに出てくる・・「行(ぎょう)深(じん)般若(はんにゃ)波羅蜜多時(はらみったじ)=禅による生活・坐禅を深く行う時は・・形あるもの、すべて空なりと照らし見るので、一切の苦しみと不安から解放される」とあります。

つまり、坐禅をして、深い揺らぎと造作の無い=依る辺なき境地に至って、はじめて、一切の苦しみや厄災から解放(度=ど)される・・のですから、大いなる智慧=般若はどこにあるのだ?・・と、探し回ることは出来ないことだ・・ということでした。人間は「考える葦」パスカル・・ですが、その「考える」こと・・そのものを考えるように出来てはいません。

般若心経は、「即=そのまま」の世界があり、「そのままが空=無」の世界である・・と、説くのです。この大いなる知恵の教えは、禅者の「禅による生活」の神髄ですから、求道者には理解できない呪(マントラ)でいいのです。

 

般若心経は、禅境(地)の入り口にたったと思うと、そのまま出口にいる・・紙の表裏の関係ではなくて、入口が出口、出口が入口だと説く、禅者のための教えなのです。

出口に立つと、入口に立っていますし、入口を入ろうとしたら出口に出ている・・ですから何時までも般若心経の直中(ただなか)に座り込むことはできません。

この般若心経の文言に囚われては、坐禅はなりませんから、ある程度、坐境(地)が進捗したあと、悟境の是非をリトマス試験紙のようにして般若心経を看ることを推奨します。

どの禅語録(碧巌録・無門関・臨済録など)の話にも、ピッタリと合致して、その実体のない禅機を発揚する・・この意訳の心経をご紹介します。

摩訶般若波羅蜜多心経 (まかはんにゃはらみったしんきょう)

 『無い・無いずくしの智慧の教え』

 

観自在菩薩        禅(行)の者よ

行深般若波羅蜜多時    禅による生活(智慧の完成)を深く行う時

照見五薀皆空       宇宙のすべては空(無)だと照らし見るから 

度一切苦厄        一切の苦しみと不安から解き放たれる

舎利子          禅(行の)者よ

色不異空         あるは空にことならず

空不異色         空は自在にことならない

色即是空         あるのは、そのままに「ない」のであり

空即是色         ないは、そのままに「ある」のである

受想行識亦復如是     感覚や思い行いや知識も またこのとおりだ

舎利子          禅(行)の者よ

是諸法空相        これら世の分別事は ことごとく空だから

不生不滅         生じてもいないし 亡びてもいない

不垢不浄         汚れてもいないし きよくもない

不増不減         増えてもいないし へってもいない

是故空中無色       このゆえに空の中に「ある」はなく

無受想行識        思いや行いや 認識することなどもない

無眼耳鼻舌身意      眼や耳などの感覚などや意識の一切もなく

無色声香味蝕法      五感や執着する欲望のすべてもない

無眼界乃至無意識界    意識する世界も無意識、本能のすべてもなく

無無明亦無無明尽     因果応報や煩悩もない、ないと思う事もない 

乃至無老死        さらに、老いて死ぬこともない

亦無老死尽        また老いて死なないということもない 

無苦集滅道        死苦八苦する、輪廻の業や愛執もない

無智亦無得        智もなく また得るものもない

以無所得故        その得るところ無きゆえに

菩提薩埵依般若波羅蜜多故 大いなる智慧(禅)により            

              禅(さとり)を体得(かんせい)するのだ

心無罣礙無罣礙故     こだわりがなく 疑いなきゆえに                   

無有恐怖         恐れおののくことがない

遠離一切顛倒夢想     あらゆる妄想と執着が離れ消えて無くなり  

究竟涅槃         ついに安心となる 

三世諸仏         過去現在未来、無限に大覚した禅者は

依般若波羅蜜多故     禅(さとり)の行(かんせい)

              禅による生活のゆえに              

得阿耨多羅三藐三菩提   ピチピチと躍動するいのち・・そのもの

故知般若波羅蜜多     禅による生活をただ、そのままに享受する         

是大神呪 是大明呪    (ゆえに)この霊妙で光り輝く真言をのべ 

是無上呪 是無等等呪   この比較できない心の不思議をのべ 

能除一切苦        よく一切の苦しみを除き、

真実不虚         真実にして虚(むな)しからざる 

故説般若波羅蜜多呪    禅による生活を呪(マントラ)に説く

即説呪曰         呪に説いていわく

羯諦羯諦(ギャテイ ギャテイ) 来たぞ 着いたぞ

波羅羯諦(ハラ ギャテイ)   まったき青空のただ中に

波羅僧羯諦(ハラソウギャテイ) よくぞまあ すがすがしいこと

菩提娑婆訶(ボジソワカ 禅者は かく自然(ありのまま)なり

般若心経 

 

碧巌録 第八十則 趙州初生孩子 (じょうしゅう しょしょうのがいし)  

【垂示】欠如・・ありません

【本則】求道者が趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん778~897) に問うた。

「生まれたての赤ん坊は、六識六覚(眼=色=視/耳=聴/鼻=嗅/舌=味/身=色=触/意=知)を兼ね備えておるのでしょうか」

趙州「あるともさ。流水にボウルを投げ入れて見よ」と爽やかに云った。だが求道者は、そんな理窟離れの言葉で、趙州の真意がつかめなかった。

今度は舒州の投子大同(とうすだいどう818~914)の所で、趙州の言い分の解説を乞うた。

投子はズバリ・・「念々とどまることなく流れていく」と答えた。

   *擧す 僧、趙州に問う「初生の孩子、また六識を具するや否や」

   趙州云く「急水上(きゅうすいじょう)に毬子(きゅうす)を打(だ)せよ」

   僧、後に投子に問う。「急水上の毬子を打せよは、意旨(いし)如何(いかん)」

   子云く「念々不停流(ねんねん ふていりゅう)」

 

【頌】百二十才の長寿を保った趙州は、その深い禅境(地)を披露する時、唇から光を放っている・・と言われた禅者である。

事もあろうに、その老師に、百も承知の質問(生まれたての子に六識の有無を尋ねる)を投げて、たちまち、生命の渦潮に呑まれてしまった。流れくだるボウル(いのち)は流転している。

流れてやまぬ生命の行先などイッタイ誰が看届けられるものか。

(附記)おとぎばなしの、桃から生まれた桃太郎だって、ドンブリコ~ドンブリコと流れて、どこかの婆さんに川から拾い上げられたではないか。

   *六識無功(ろくしきむく)に一問を伸(の)ぶ。

   作家(さくけ)かって共に端(たん)を辦(べん)じ来(きた)る。

   茫々たる急水に毬子(きゅうす)を打せよと。

   落處(らくしょ)に停(とど)まらざるものを誰が看ることを解(げ)せん。

【附記】趙州は、求道者の問いに答えて、無門関 第一則「狗子仏性」で、犬には仏性(禅=悟)は無い・・と答えている。坐禅の初心者には、この「趙州無字」公案は、東大の入学試験に、小学一年生が合格するほどの難問・難透中の難透と言われている。畳の上の水練で、オリンピック金メダリストに太刀打ちしようとする・・ホントによくやるよ。