碧巌の歩記NO36 ◆葦芦(良し悪し)と思わずカニの横歩き・・仙厓義梵

  碧巌録 第三十六則 長沙 逐落花(ちょうしゃ らっかをおうてかえる)

【垂示】なし。

*長沙景岑(ちょうさ けいしん 不詳~868年死去?)湖南・長沙にある禅院第一世。南泉普願の弟子・・趙州従稔や陸亘太夫と同門。

時代として徳山、臨済、潙山など同時期。華厳哲学に精通した禅者。

日本の西行法師に似た一處不住、漂泊の禅者である。

【本則】大変、詩的な禅話を紹介する。

長沙景岑が風光明媚な洞庭湖の自然を、終日、遊山して禅院に戻ってくると、出迎えた首座(しゅそ・求道者を教導する学頭)が「どちらまでお行き為されましたか?」と尋ねた。

何気ない挨拶だが、実は・・ゴングが鳴って禅問答開始である。

さりげなく長沙はいう「山遊びに行きました」と。

「どちらへ山遊びですか」再度、首座は、なお、さりげなく問う。

長沙「始めは緑なす草原を行き、次に、花の散る風情をめぐってきました」・・爽やかに、禅境を問う鋭い問いを受け流す。

首座「どうやらこの辺りは、のどかに春めいてまいりましたね」とあいづちをうつと、これを受けて長沙は・・「この春景色は、秋露が枯れた蓮の葉に溜まる風景に勝ること百倍だね」と、返す刀(返事)で切り捨てた。

(雪賓、憤慨して著語して云く・・長沙の如き達道の禅者の許に、なんともまあ、横着な禅者モドキが、ゴロゴロと春の陽気にふて寝しているものだ・・と附言した)

  【本則】長沙、一日遊山し 帰って門首に至る。

   首座(しゅそ)問う「和尚 いずれの處にか去来せしや」

   沙云く「遊山しきたる」

   首座云く「いずれの處にか 到りしや」

   沙云く「始めは芳草に随って去り、また落花を逐(お)うてめぐりたるなり」

   座云く「大(おおい)に春意(しゅんい)に似たり」

   沙云く「また秋露(しゅうろ)の芙蕖(ふきょ)に滴(したた)るに勝れり」

   (雪賓 著語して云く 「答話を謝す」)

【頌】大地は繊埃(せんあい)を絶したり。  

   春景色は、まっこと長閑(のどか)につきる

 何人(なんびと)か 眼(まなこ)を開かざる。 

   誰だって遊山したくなるものだが・・

 始めは芳草に随って去り、           

   はじめは緑の草原へ       

 また落花を逐うて めぐれりと。      

   ナント帰りは落花をおうてめぐりめぐる・・と。

 羸鶴(るいかく)は 寒木に翹(つまだ)ち、    

   羽の抜け落ちた老鶴はポツンと枯木に止まり・・

 狂猿(きょうえん)は 古臺(こだい)に嘯(うそぶ)く   

   城跡に独り憐れな声で泣き叫ぶ猿の声。

 長沙 限りなきの意。            

   寂寥の山河、長沙の溶け込みようはどうだい。          

 咄(とつ)   

   咄(首座・求道者の妄想を吹き飛ばす気合一声) 

碧巌の歩記(あるき)NO37 雨降りゃ池の水は増すばかり・・!

  ◆達磨「無功徳」も「雨過夜搪秋水深」には敵(かな)わんなぁ・・

 

    碧巌録 第三十七則 盤山三界無法(ばんざん さんがいむほう)

【垂示】圓悟が、座下の求道者に語った。

どんなに機敏な人でも、イキナリの雷電(イナビカリと雷鳴)には肝を冷やす。また自分より一枚も二枚も上手(うわて)な、商売人や政敵に不意をつかれれたり、ゴリ押しの目に遭うと、どうにもならず、活眼を持つ根性者でないと太刀打ちは敵(適)わない。

欲得、肩書、知名度の現実生活にこだわって、スマホに一喜一憂するような輩は(幽霊モドキの電磁的情報に操られて)右往左往の生き方をすることになる。

さぁさぁ・・得とか損とか、言ったとか・・言わないとか、不安とか安心とか・・自己中であればあるだけ、ピカリ・グワラグワラ・・すさまじい雷嚇(らいかく)の一撃に茫然自失するけれど、こゝに挙げる不動の対応をなせる禅者に注目せよ。

  【垂示】垂示に云く、制電の機あるも いたずらに労して佇思(ちょし)すれば、

   空に当たって霹靂(へきれき)するも、耳をおおうに かないがたからん。

   脳門上に紅旗をあげ、耳 背後に雙剣(そうけん)をまわすも、

   もし是れ眼(まなこ)辨(べん)じ、手 親しきにあらざれば、

   いかでか よく構得(こうとく)せん。

   般底(はんてい)の低頭佇思(ていとうちょし)、

   意根下(いこんか)の卜度(ぼくたく)あれば、殊(こと)に知らず、

   髑髏前(どくろぜん)に鬼を見ること無数なるを。

   しばらく道え、意根に落ちず、得失を抱かずして、

   たちまち この恁麼(いんも)の挙覚(きょかく)あらば、

   作麼生(そもさんか)か祇對(したい)せん。試みに挙す看よ。

【本則】ある時、居並ぶ求道者に盤山寶積(ばんざん ほうしゃく)が垂示した。

人は「三界」という「幻想」に捉われて、迷いから抜けられないなどと云うが、それとて「幻想」にすぎないのだ。

もともと三界は無法(皆空)である。

いったい「皆空」のどこに「心」を求められよう。

      *三界・・宇宙の総称(仏教、須弥山説に基づく)

        ①欲界=相対的な欲望の動植物的世界

        ②色界=物理的な形物の事象世界

        ③無色界=欲界も色界も超越した精神的世界

      *無法・・皆空の意(天台・華厳・三論哲学に基づく)

  【本則】挙す。盤山(ばんざん)垂語して云く、

      三界には法なし。

      いずれの處にか 心(しん)をもとめんや。

【頌】盤山の境地には、無色界すらの臭いがない。

彼は白雲の下、溢れる泉水で琴を奏しているから、それを聴く人には「ただの水音」が聞こえるだけだ。こうした禅境(地)は、とうてい誰にも理解できないだろう。三界無法・・いずれの處にか・・求めずとも、チャンとチャンと、無法がしめされているのだが・・雨過夜搪秋水深・・ただ雨すぎて、夜半の池面は水嵩さが増してくるだけ・・ナントも・・「寂寥」の禅者の一語につきる。

    【頌】雪賓重顯 頌

       三界無法    三界には法なし

       何處求心    いずれの處にか 心をもとめんやと。

       白雲為蓋    白雲を蓋(がい)となし、

       流泉作琴    流泉(りゅうせん)を琴(きん)となして

       一曲両曲無人會   一曲両曲(いっきょく りょうきょく)するも

                  人の會(え)することなし。

       雨過夜搪秋水深   雨すぎて夜搪(やとう)には

                  秋水(しゅうすい)ふかし。

    

【附記】碧巌録大講座 第6巻 加藤咄堂先生講述 平凡社「景徳伝灯録・巻7」第37則 盤山上堂垂語(全文掲載)・・雪賓重顯は本則二句に加え、圓悟克勤は評唱で「四大本空~更無餘事」の六句としたが、さらに盤山の垂語は味わい深き長文であることを詳細に紹介しておられます(関心のある方は読まれるとよいでしょう)

私は、一則ごと膨大な評唱や、後の禅者たちが着語した多岐に渉る批評文は思い切って割愛して【垂示/本則/頌】の三項に限定して意訳しています。かえって求道者(読者)の想いが・・煩雑、分散してしまうからです。

*盤山寶積(詳細不詳)江西 馬祖道一の會下にあった禅者。嗣法の弟子は、ただ一人・・常に鈴を鳴らして行化する散聖(風狂)の禅者、普化(ふけ)和尚がいる。彼は、河北鎮州 臨済院 臨済義玄随身して名を遺した。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO38 駿馬はヒトムチで充分!

碧巌の歩記(あるき)NO38   

禅を語るに・・名馬には、たったの「一鞭/ムチ」で十分だ!  

 どんな難解な禅語録であれ、哲学書であれ、文字(言語)さえ理解できれば、その意味が理解できるのが人間同士というものだ。

ところが紀元千年頃、公案(問答)が、劇場型というか、芝居じみた形式のTPOを記録したものが散見しはじめた。

実際の人に面談せずの、書面を信じて人を看(見)ない・・西洋契約社会・情報過剰時代の先駆けである。

語録や行録は、当時の社会で仏教の弾圧による情報不足を打破しようと「保存・記録」された。しかし、行脚して達道の禅者を訪ね直接、その禅者の立ち居、振る舞い、とりわけ、その瞳の奥の、いわずもがなの・・ダルマ心印を看る・・求道の実際を(観念論的な行録に集約してしまい)次第に喪失してしまったようである。文字・活字に、徳山の「痛棒で頓悟」できる禅機はない。

中国(日本)で、権力(施政)者に受け入れられた「禅」ではあるが、かえって対面重視の庶民の生活から遠のいてしまった・・その宗教的儀礼の禅の演劇版・・事例がこの則でしょう。

碧巌録 第三十八則 風穴 祖師心印(ふけつ そししんいん)

                  風穴鉄牛(ふけつ てつぎゅう)

【垂示】圓悟が、座下の求道者に垂示した。

禅の提唱には、漸教的(小乗的教理)と頓教的(華厳的直観)を重視するやり方がある。どちらも道理にかなっているが、その中の頓教は、達磨の無功徳・・本来無一物・・どんな聖人君子であろうと智求不了(ちぐふりょう・知的財産権の及ばない、求めても得られない智慧)である。

さて、この頓・漸の教えによらず、禅の道理を提唱しようとすれば、禅(による生活)者には、ただの「一語(一悟)」で充分。

名馬には「一鞭」で沢山だ。

そんな駿馬の如き、優れた振る舞いに及ぶ禅者とは・・

どんな人だろうか?試みに挙す看よ。

 【垂示】垂示に云く。もし漸(ぜん)を論ずるも、

  また常に返って道に合し、閙市裏(にょうしり)に七縦八横ならん。

  もし頓(とん)を論ずるも、また朕迹(ちんせき)をとどめずして、

  千聖(せんせい)もまた模索不着(もさくふじゃく)ならん。

  もし、あるいは頓漸(とんざん)を立(りっ)せざれば、又 作麼生(そもさん)

  快人(かいじん)には1言、快馬には一鞭(べん)、正恁麼(しょういんも)の時、

  誰か是れ作者なるぞ。試みに挙す看よ。

【本則】禅、風穴寺一座の「ジョウドウ式」・・晴れやかな舞台、演劇様式の公演があった。紹介しよう。

時・949年 

場所・中国 湖北省(郢州えいしゅう)

   長官・吏史君(牧主)屋敷内(衙門がもん)にて・・

風穴老師に参禅師事した李史君長官の着任・祝賀の記念公演 

演題「上堂式・鉄牛の心印」 

観客 主賓 李史君(居士)長官以下 

      官僚・役人たち、寺僧たち多数 

主演 風穴延沼(河南省=汝州 ふけつえんしょう)

   869~973年 (57才時)

*略歴 進士(文官)に落第して禅法系・・黄檗臨済→寶應慧顒(ほうおうけいぎょう)に師事。

*飛び入りした助演者 盧陂長老(ろは ちょうろう)

 盧陂(ロヒと読む書もある)長老。風穴の参禅門下・・

 長老=立職完了、罷参(はさん・悟徹)の僧。

*佛心印・・釈尊~達磨以来の(言葉、文字で表せない)悟りの境地そのもの。

*鉄牛・・黄河の氾濫を防ぐ守護神。河南河北にまたがって安置された不動の大鉄牛。佛心印の例え。

晴れの長官屋敷の名誉な劇場で、風穴老師の独演会がはじまった。

居並ぶ長官や上級官僚たちの前で、風穴老師はイキナリ、釈尊の心印=禅ソノモノについて大見得をきった。

「インドから達磨のもってきた「禅のしるし」は、黄河にある大鉄牛の如しものですなぁ・・つまり、不動の鉄牛は、動かずして大河の氾濫を抑える大道の妙用じゃな。

これは釈尊ジキジキのハンコ(心の印)と同じじゃぞ」

居並ぶ観客は・・シン(心・愼・諗・眞・森・寝?)とした。

   (そこで机をコツンと叩くなりして、サッサと退場すればよいのに・・)

「印と云うのはな、印肉に押して紙の上に印紋を残す訳だが、印形を紙に押し付けたままでは、印紋がつぶれて見えないことなる。ソンなら印を押さずに、白紙のまま、スッキリさせておくのが良いではないか。それとも印紋が見えずでも、印を押し付けた方がいいか・・ドウジャロウかな?」

モトモト達磨の心印は「廓然無聖」・・カラリと晴れた青空を、ハンコ判にして押すのが是か、押さぬのが是かとアドリブで言い出したものだから、観客そっちのけで弟子の僧たちがザワついた。

そこで、その場を取り繕うとばかり、禅院の指導者である盧陂(ろは長者)が、かぶりつきから立ち上がって・・「ご老師よ・・私はチャント鉄牛の機を会得しておりますぞ。心印(禅)の捺印は要りません。ご無用に願います」と云った。

トコロが、壇上の風穴老師、どうゆう訳か、盧陂の応答を斬って捨てた・・「クジラを釣り上げて大海の大掃除をするワシじゃが、ナント、しょぼくれた泥ガエルが一匹つりあがったわ」

取り付く島もない言い草に、盧陂は茫然と立ちすくんだ。

風穴、手にした払子をフリフリ・・「我が寺の長老ともあろう者が、何か一句云うてみい」とせかしたものの、盧陂は口をモゴモゴさせるばかり・・

白けた無言劇(パントマイム)になってしまったのである。

禅劇もこれまでか・・と判断した主賓の李史君(長官)・・せっかくの記念式典を取り繕うとばかりに・・「仏法も王法も、その根本では一緒ですね」と観客席から合いの手を入れた。

(歌舞伎で言えば、とんでもないタイミングで「イヨ~ッ・・ナリタヤ~ッ」というところ)

すると舞台の主役、風穴老師が観客(主賓)の李史君長官に「今のヒトコトどんな道理で云われたのか?」と詰問した。

長官は・・「わずらわしい世事は、グズグズしないで、すぐに決断しないと禍根を残しますからね」と返答した。

これを聴くなり風穴老師サッサと舞台から降り姿をくらました。

これでどうにか・・舞台暗転。

THE ENDとなった。

  【本則】挙す。風穴(ふけつ)、郢州(えいしゅう)の衙内(がない)にあって、

   上堂(じょうどう)して云く「祖師の心印は、かたち鉄牛の機に似たり。

   去れば すなわち印住(いんじゅう)し、住すれば すなわち印破(いんぱ)す。

   ただ去らざれば、住せざるが如きは 印するが即ち是(ぜ)なるか。印せざるが即ち是なるか」

   時に蘆陂(ろひ)長老あり、出でて問う

  「それがしに鉄牛の機あり。請う師、印を塔(とう)せざれ」

   穴云く「鯨鯢(けいげい)を釣り、巨浸(きょしん)をすましむるになれたれば、

   かえって蛙歩(あほ)の泥沙(でいしゃ)にまろぶことを嗟(なげ)く」

   陂(は)佇思(ちょし)す。

   穴 喝して云く「長老 なんぞ語をすすめざるや」

   陂 擬議(ぎぎ)す。

   穴、一払子(ほっす)を打(だ)し云く

  「また話頭(わとう)を記得(きとく)するや。試みに挙せ、看ん」

   陂 口を開かんと擬す。穴、また一払子を打す。

   牧主(ぼくしゅ)云く「仏法と王法とは一般なり」

   穴云く「この何の道理をかみたるや」

   牧主云く「断ずべきにあたって断ぜざれば、かえってその乱を招くものなり」

   穴 すなわち下座(げざ)したり。

【頌】私(雪賓重顯)が、この芝居を批評するとしたら・・楚王城畔に集まる百川の流れが、鉄牛にまたがった風穴の一喝で、逆さまに(上流めがけて)流れを変えた・・ソンナ有り様だった。

  【頌】蘆陂を擒得(きんとく)して鉄牛にまたがり、

     三玄の戈甲(かかつ)には いまだ軽酬(けいしゅう)せず、

     楚王城畔(そおうじょうはん)朝宗(ちょうそう)の水。

     喝下(かっか)して かって かえって倒流(とうりゅう)せしめたり。

【附記】唐朝から宋朝にいたり、いわゆる看話禅(かんなぜん)の問答・商量が、儀式化した・・悪く言えば「問答するために問答する」芝居風の傾向が出てきたのです。

この人こそ、わが師にふさわしい・・と見込んだ弟子が、師に就いて坐禅や生活の中で・・独り一人の「禅」=心印を発見・発明するのではなく、問答の技巧(作為・造作)、てらい・オモネリ・・いわゆるコピペ作成の、集団的儀式にはまり込んでいく話です。

(文字・活字は、禅知識の普及に役立ちましたが、その一方、寺僧と大衆の欣求的組織化・・寺院の発展に貢献したようです。現代・・電磁的スマホ社会は、強烈な映像化、地球規模の伝播(電波)力で、活字文化を駆逐し、アリやハチの生活に似てきました)

例え、絶滅の危機にあろうと・・昔も今も、禅(坐禅)は独り一人にあり、マネ(コピー)できない「独り」の行いです。  

 

碧巌の歩記 NO39//次回は新年1月を期して掲載致します

   ●人生・功罪の【目☆】は、どこにある?

 

   碧巌録 第三十九則 雲門花薬攔(うんもん かやくらん)

                   雲門金毛獅子(うんもん きんもうのしし)          

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

悟道の禅者は、まるで虎が岩山から天下を睥睨(へいげい)しているようなものだ。求道未悟の者は、臭い檻の中の猿だ。自由もなければ、活気もない。

禅(佛性)は「一切衆生悉有佛性」・・総てのモノは悟り(仏性)を持つとの根本義で成立しているが、あらためて「悟り」とは何か?を問われると、暁の明星を看て大覚された釈尊のように、深くて深い求道発明の時節因縁がなければ、透過、見性することは難しい(とりわけ知的考察の鋭い者ほど迷いやすい。鼻先にクソをぶら下げて屁元をさがすような愚かしい行為になる・・故・澤木興道老師語録)だからムヤミやたらに求めても、決して青い鳥は飛んでこない。では、どうすればよいか・・名刀 正宗や虎徹のように、鍛冶師の爐鞴(ろはい。フイゴ)で百錬千鍛を受けるように、自らを坐禅のフイゴにかけることだ。二~三十年も坐禅を抜け目なく行えば、抜けば玉散る氷の刃(やいば)になっていよう。

さあ・・大用は現前して、佛性(禅)は、各自の眼前に、それこそ眼いっぱいにあるけれど、何を基準に目星をつけるのか?

    【垂示】垂示に云く、途中 受用底(じゅようてい)は、虎の山に似たるも、

     世諦(せたい)流布底(るふてい)は、猿の檻(かん)にあるが如し。

     佛性の義を知らんと欲せば、まさに時節因縁(じせついんねん)を観ずべく、

     百錬(ひゃくれん)の精金をきたえんと欲せば、

     これ作家の爐鞴(ろはい)をもちいよ。

     しばらく道え、

     大用現前底(だいようげんぜんてい)は、なにをもってか試験せん。

【本則】一つ禅話を示す。

ある日、庭の花の手入れをしている雲門文偃のところに求道者が来て問う。

「清浄法身(山川草木悉有佛性・禅)とは、どのようなものでありますか」

門云く「花薬攔」(花壇の花、言いようのない美しさだ)

僧云く「では、見るもの総て、如来法身と心得ます」

門云く「(あんまりだ・・それじゃアンタだけの・・)清浄だよ」

   【本則】挙す。僧 雲門に問う。

    「如何なるか 是れ清浄法身(しょうじょうほっしん)」

     門云く「花薬攔(かやくらん)」

     僧云く「すなわち什麼(いんも)にして去る時いかん」

     門云く「金毛の獅子」

【頌】雲門が花壇の花と答えたのに、ダマされてはならない。

言葉や文字は、ただの符牒(合言葉)にすぎない。

重さをはかるハカリの目星は、秤の棒についていて、載せたお皿にはないぞ。

「花薬攔」は、まさしく皿の中に載っていて目星ではない。

ハカリの目星に注意せよ。

   【頌】花薬攔を顢頇(ばんかん)することなかれ。

    星は秤(ひょう)にありて、盤(ばん)にはあらず。

    すなわち恁麼(いんも)とは はなはだ端(たん)なし。

    金毛の獅子を大家(たいか)みよ。

 

【附記】金毛の獅子とは、昔699年、則天武后が法蔵から華厳経の講義を受けた際、長生殿に片隅にあった金獅子像、置物を教材に、法界無盡の妙理を説いた逸話に基づく。大家を看よ・・とは、諸氏、みずから・・金毛の獅子を看るべし・・の意。何はともあれ、言葉について回れば誤解に誤解を重ねて、美しい花は(シャクヤクか牡丹か)見えてこない。

澤木興道老師について追記すれば・・

師は「発心 正しからざれば萬行むなし」と言われている。

坐禅して人様から尊敬される人間になってやろう、他人が仰ぎ見るような人になってやろうというようなことでは、坐禅しても無条件の坐禅ではなくて、ひもつきだから結局は坐禅にならない(中略)

むしろ看話(かんな)話頭のやりとり、駆け引きだけの興味になるであろう。(中略)道元禅師の只管打坐(しかんたざ)は、処世術でも技術でもない。人格そのものの真実である。

無常ということは、ただただ生きることである。

いかにして真実の生活をなすか・・の努力が・・佛、悟りの道の者なのである。何かのマネであったり、つくりものであったりしたならば、そんなものは人ごとであつても、佛(覚者)の道ではない。

佛道とは、いろいろな働きをする以前の、元の自分になること・・なのである。(中略)公案を用いる所では、確かに励みがついて一生懸命に坐禅するかもしれないが、励みがつくところに、我欲が知らず識らずの間に出張ってくる。そして、そこにあるものは、人生から遊離した自己の芸当である。                 

   「禅に生きる澤木興道」酒井得元著 誠信書房 昭和31年発行。

有(会)難とうございました。2018-12/31

 

奉魯愚・・はてなブログ「禅・羅漢と真珠」ご覧ください。

一休さんを紹介しています。2019-1-2

碧巌の歩き NO40 人は しばしば寂寥の天地に立つ!

   碧巌録 第四十則 南泉一株花(なんせん いっしゅか)

              陸亘天地同根(りくこう てんちどうこん)          

【垂示】圓悟が垂示した。宇宙の森羅万象を萬法一如の見地から見れば、鉄の木に花が咲く・・そんな不思議もあり得よう。

実際に鉄樹開花の時には、狡猾な猿でもビックリして木から落ちることがあるという。禅機を自由自在に発現して活躍する者でも、達道の禅者に機先を制せられて、鼻を明かされることもある。

さて、そんな手抜かりをして失敗するのは、どうしたことであろうか。試みに、この話をよく吟味してみよ。

      【垂示】垂示に云く、休し去り、歇(けつ)し去れば、

       鉄樹(てつじゅ)も花を開く。

       有りや 有りや。黠児(かつじ)も落節す。

       たとえ七縦八横(ななじゅうはちおう)なるも、

       他の鼻孔(びこう)をうがつことをまぬがれざらん。

       しばらく道(い)え、訤訛(こうか)いずれの處にある。

       試みに挙す看よ。

【本則】唐代に蘇州で重要な官職についていた陸亘(りくこう)が南泉(普願748~834)と歓談していた時・・「かの肇法師(ちょうほうし・後秦410年頃、仏教学者、羅什・らじゅうの弟子・・)が、天地と我とは同根。萬物と一体なり・・と言われたことは、求道未悟の者には、解かったようで解からぬ出来事となりませんかねぇ」と問いかけた。

すると南泉は陸亘に、庭に咲く花を指さして「ご覧なさい。あの花は露堂々な天地同根でありましょう。理屈抜きに、風に舞い蝶に歌う花と香りを聞かれてはいかがか・・」と云った。

   【本則】挙す。

    陸亘大夫(りくこうたいふ)南泉(なんせん)と語話する次(とき)、

    陸云く「肇法師(ちょうほうし)は、天地と我とは同根にして、

    萬物と我とは一体なりと道えり。また、はなはだ奇怪なり」

    南泉、庭前の花を指(さ)して、大夫(たいふ)を召して云く、

    「時人(じじん)は、この一株の花を見ること、夢の如きに相似(に)たり」

【頌】一元論者を気取っている者に、天地同根は味わい得る境地ではない。自然の風景(山河)は、どんな文字言葉にも尽くしがたい禅境(地)そのものだ。冷たい冬の気配が身に迫り、月は山の端に落ちる・・そんな澄み切った寂寥の境地を、いったい誰と共に味わい得ようか。

  【頌】聞見覚知(もんけんかくち)は一、一(いちいち)にあらず。

   山河は鏡中(きょうちゅう)の観にはあらず。

   霜天(そうてん)月落ちて夜まさに半(なかば)ならんとす。

   たれと共にせんや、澄潭(ちょうたん)照影(しょうえい)の寒きを。

 

【附記】真の禅者は「寂寥」(せきりょう)を知る・・とは、富山県高岡の臨済宗国泰寺派本山・国泰寺、故・江南軒 勝平大喜(かつひらたいき1887~1944)老師の言葉である(著書「歓喜の心」昭和48年松江市万寿寺静座会発行より抽出)

この禅語録の意訳や、はてなブログ、随想「禅・羅漢と真珠」に仏教でいう「無常観」を「独り・寂寥心」として、随所に使わせていただいている。

師は、言葉を次いで・・「人は、しばしば寂寥の天地に立つ。この境地に立てぬ者に、立派な人はいない」

 

もう一つ・・この江南軒に師事、参禅して、大魯(たいろ)の居士号を印可された京都/滋賀坂本・美術家(書/画/陶芸)故・加納白鷗(1914~2007)の禅境画に「天地同根 萬物一体」の花猫図がある。これは1988年9月10日から10月30日まで、アメリカ、カリフォルニア パサデナ「パシフィック アジア ミュージアム」で開催された【 One with ZEN 】案内ハガキに紹介されたものだが、いずれ、出版時には掲載を予定します。

 

絵画や映像物(書、漫画)は、作者の禅境(地)を視覚的に決めつけてしまい、「禅」を先入観で見てしまう傾向がある・・ので注意を要する。

仙厓や白隠良寛、一休などの禅境書画は、本来、彼らの飢えを満たす・・コメみそに変える唯一の代金代わり・・揮毫だった。

美術品としての価値観を持って見る現代人には、禅者の真の禅境は窺い知れないものとなってしまった。

たとえば・・龍安寺の石庭を・・「畑にすべし」・・と観る人があれば・・禅を語るに足る人としておこう。

たとえば・・「聞かせばや、篠田の森の古寺の、小夜ふけ方の雪の響きを」(白隠)の寂寥を覚(し)る禅者こそ、頌「誰共澄潭照影寒」を識るのである。

 

碧巌の歩記(あるき)NO41 世の中は 捨てたもんではないぞいや!

 

碧巌録 第四十一則 趙州大死底人(じょうしゅう だいしていのひと)          

【垂示】圓悟が垂示した。

是非の識別が難しい問題は、たとえ聖人でも判定しがたい。

また順逆、縦横に交錯している時は、覚者(仏)であれ辨別できない。非凡、抜群の大士、大力量の人であれ、いつ割れるか解からぬ氷上や釼刃上を歩いたりするのは危険で、成功は為しがたい。

こんなことは、見たこともない麒麟(きりん)の角とか、火中の蓮華とかを実際に見た・・という人にしか通用しない話であろう。

このような達道の人が現れて同道出来るとしたら幸甚であるが、サァテ・・どう見極めるか・・

試みに挙す看よ。

  【垂示】是非交結(ぜひこうけつ)の處は、聖もまた知ること能わず。

   逆順縦横(ぎゃくじゅんじゅうおう)の時は、佛もまた辨(べん)ずること能わず。

   超世絶倫(ちょうせぜつりん)の士たり、逸群(いつぐん)大士の能をあらわすも、

   氷凌上(ひょうりょうじょう)を行き、釼刃上を走るにおいては、

   直下に麒麟(きりん)の頭角(ずかく)の如く、火裏(かり)の蓮華(れんげ)に似たらん。

   さながら超方たるを見て、はじめて同道なることを知らん。

   誰か是れ好手者なるぞ。試みに挙す看よ。

 どの禅語録も、ほとんど禅者の問答(公案)に、何時、何処で、誰が、何事を、何のために・・とかの、云く因縁、由来や効能書きは一切ないのが普通です。この則も、あまりに単刀直入に問答に入っているので、趙州の質問、投子の応対の訳が判らないでしょうが、言葉や文字をギリギリに切り詰めて、より真実に迫る禅ならではの手段(対話)です。禅者の名前も、大抵、禅庵を構えた山、地名を呼び名にしている。この則では、趙州城観音院の従諗(じゅうしん)和尚が行脚して、投子(とうす)山の大同和尚を訪ねた時の問答という訳です。

情景描写の解説がいる場合と、かえって邪魔で不要な場合がある。

【附記】舒州(じょしゅう・安微省)投子(とうす)山の禅院、大同(63才頃)を趙州従稔(103才。じょうしゅうじゅうねん・百歳を超えて再行脚)が、日暮れ方、ハロバロと尋ねて、問答した紀元880年頃の話である。

 

【本則】趙州「大死底の人(とっくに死んだ者)が、突然、復活したら、どうしたもんであろうか」

投子「夜の生き返りは幽霊の恐れがあります。夜が明けて太陽の照らす元、正体の点検なさるがよろしかろう」

   【本則】挙す。趙州 投子(とうす)に問う。

    「大死底の人、かえって活する時 如何(いかん)」

    投子云く「夜行を許さず。明(あかつき)に投(とう)じて、すべからく到(いた)るべし」

 

【頌】夜に、眼を光らせている死人の検査は、夜にやっても判明しない。趙州の問いは、会うなり、イキナリ死人が生き返る話を仕掛けて、失礼な行為だが、油を売って暮らす投子には、死人を照らす明かり(灯油)に不自由はしていない。

大死一番も大活(復活)一番も、釈迦や達磨には未踏の境地。唇から光を放つと云われた達道の禅者、趙州の一語に、シドロモドロになるかと思いきや、投子から縦横無疑な禅機の対応をされてしまった趙州・・ウもスも道えず。しかもスバヤク足腰弱った年寄り扱いをされて、有難いやら悔しいやら・・一晩の温かいベッドと朝飯を施され、世の中は・・駕籠で行く人、担ぐ人、そのまたワラジを作る人・・ツクズク「捨てたもんではないなぁ」と、1本取られて勝負あり。長い行脚の一刻、値千金の問答となったのである。

  【頌】活中は眼(まなこ)あるも、また死に同じ。

   薬忌(やくき)は何ぞ作家(さくけ)を鑒(かん)することをもちいんや。 

   古佛 なお言えり、かって未だ到らずと。

   知らず 誰か塵沙(じんしゃ)を撒(さっ)すること解(げ)するを。

碧巌の歩記(あるき)NO42 ♪ワンネスの雪の舞・・♪

     「ダルマさん・・が・・ころん・・!」

 碧巌録 第四十二則 龐居士好雪片々(ほうこじ こうせつへんぺん)          

【垂示】圓悟が垂示した。

禅の眞諦を語るに、空に帰すとか、無所得・無尽蔵とか、刃のたたぬ内容を説明する愚かしいことはしないことだ。

ナントかしようと思いあぐねる内に、地獄に真っ逆さま。

タチマチ閻魔大王に舌を抜かれてしまうことになる。

明々たる真実の世界は、それこそ眼前、露堂々に広がっているではないか。春夏秋冬、見渡せば、自然の振る舞い・・聖諦第一義(ありのまま)が浄裸裸であるのに古人は我こそは・・と失策を演じるのだ。サア、試みに挙す看よ。

  【垂示】垂示に云く、単提独弄(たんていどくろう)なるも、帯水拖泥(たいすいたでい)、

   敲唱(こうしょう)ともに行なうも、銀山鉄壁(ぎんざんてっぺき)。

   疑義(ぎぎ)すれば、すなわち髑髏前(どくろぜん)に鬼を見、

   尋思(じんし)すれば、すなわち黒山下(こくさんか)に打坐(たざ)せん。

   明々(めいめい)たる杲日(こうじつ)は、天に麗(かがや)き、

   颯々(さつさつ)たる清風は、地を匝(めぐ)る。

   しばらく道え、古人また倄訛(ごうか)の處ありや。

   試みに挙す看よ。

【本則】806年、龐居士(68才)が18年滞在していた澧州(れいしゅう)薬山惟儼(やくさんいげん)の許を辞して、故郷、襄陽(じょうよう)に帰る時の出来事である。

薬山は、十人の禅客(門下、古参の禅者)に見送りをさせた。

冬のおりもおり、別れを惜しむように雪が舞い散る風景である。

山野白妙・・舞い散る雪に見とれた龐居士は・・

「ナント美しい雪の舞いだ。(粉雪の音)楽が中(あた)りを包んでいますね」と、深い禅境(地)で感無量に云った。

この別處に落ちず(包み込んでいる)との言い方に、全禅客(ぜんぜんかく)と呼ばれる古参の禅者が、鋭く引っかかった。

「それなら、この雪のヒトヒラ(一片)ひとひら・・いったい何処に落ち着くのでしょうか」

龐居士、これを聞くや否や、振り向きざまピシャリと全禅客の頬を打った。

「何をなさる。イキナリ乱暴な仕打ちをなされますな」

すると龐居士は「貴方は雪片の落處(らくしょ)を知らないで、よくまあ禅者を気取っておられますね。閻魔(えんま)大王は、すでに貴方が(地獄へ)来るのを待っていますよ」と引導した。

全禅客「龐居士よ、それじゃ・・雪片の落ち着き先・・アナタは判っているのですか」の口答えに、龐居士は、今一度ピシャリと彼の頬を打って云った「君の眼は黒い穴だ。穴では見ることは叶わない。その口は、まるで がま口だ。開いても声は出ない」

(雪賓 後に付言した・・惜しいことをした。全禅客が要らざる横やりを入れた時、雪玉をあいつの顔にぶっつけてやればよかったのに・・残念なことをしたもんだ)

   【本則】挙す。居士(ほうこじ)薬山を辞せんとす。

    山、十人の禅客(ぜんかく)に命じて 

    相送(あいおく)って門首に到らしめたり。

    居士 空中の雪を指(さ)して云く

    「好雪は片片(へんぺん)たるも、別處(べっしょ)には落ちず」

    時に 全禅客(ぜんぜんかく)あり云く「いずれの處に落在するや」

    士、打つこと一掌(いっしょう)す。

    全云く「居士、また草草(そうそう)なることを得ざれ」

    士云く「汝いんもに禅客(ぜんかく)と称するも、閻老師(えんろうし)

    いまだ汝を放(は)なたざることあらん」

    全云く「居士そもさん」 

    士また打つこと一掌して云く

    「眼は見れども盲(めしい)の如く、

     口は説けども唖(おし)の如し」

    (雪賓 せっちょう 別して云く)

     初問の處にただ雪団(せつだん)をにぎって、すなわち打つべきものを・・。

【頌】雪玉で打つべし。一つと言わず三つ四つも。

 龐居士の手腕は掴まえ所がない。

 いったい世界の誰が雪片の落ち着く先を認知できよう。

 この薬山の周辺、雪の舞いにくるまれて・・

   まるごと「♪雪やコンコン♪」・・

  渾一体(こんいったい・ワンネス)だ。

   【頌】雪団にて打て。雪団にて打てよ。

      龐老(ほうろう)の機関は没可把(もっかは)。

      天上人間も自知せず。

      眼裏耳裏(がんりじり)はなはだ瀟灑(しょうしゃ)。

      瀟灑(しょうしゃ)はなはだし。

      碧眼(へきがん)の胡僧(こそう)も辨別(べんべつ)しがたし。

 

【附記】龐居士は襄陽の人。龐蘊(ほううん)字は道玄。785~石頭希遷(せきとうきせん)に参じ、次いで馬祖道一(ばそどういつ)に、~788まで参じた中国禅史上、著名な居士である。この修行道中、妻・子(兄妹)を連れて、故郷 襄陽に帰るおり、洞庭湖上で莫大な財産を流失する災難にあいます。

これを機に、先に妻子を故郷に返し独り「禅による生活」の長養に澧州、薬山寺で食客として滞在。

この則は、今日、まさに故郷に帰ろうとする、その日の別れのできごとです。

 

ここにピシャリと全禅客の頬を打つ不意打ちの事が出てきますが、決して暴力的な喧嘩ではありません。全禅客の禅修行の境地が、ある程度、深まっていて見込みがあればこその一拶(あいさつ)です。腹が立ってとか、言葉のはしばしにつっかかってとか、そんな感情的、暴力的行為では決してない。

龐居士の溢れる親切、禅機の湧出なのです。

私が冒頭に書いた「ダルマさんがコーロンだ!」・・子供の遊びで、鬼が目隠しをして、ころんだの「だ」の瞬間、逃げる子が、ピシりとストップ・モーションする・・その瞬間の「だ」・・禅機です。むしろ全禅客は、龐居士のお別れに因み、親しくピシャリと打たれて嬉し気だったでありましょう。この雪舞う山道の場で、見送る十人の古参の禅者たち、どのように龐居士の禅機禅境(地)を感得したのか・・師の薬山惟儼が、どのように評価したのか、しなかったのか・・何も書かれておりません。

ただ後に雪賓重顯が、全禅客に雪玉を食らわせてやれば・・と残念がっているだけです。

お別れの寂寥の想いも、雪の舞の美しさも、総てを包み込んだ「ピシャリ」なのです。

碧巌の歩記(あるき)NO43 熱い時はふいごの風となれ!

               碧巌録 第四十三則 洞山 無寒暑 (とうざん む かんしょ)          

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

宇宙の真理を一言でまとめられるなら、ノーベル宇宙賞だ。

あるいは虎や犀(さい)を原野で捉えるノウハウは、ちょっと筆舌に尽くしがたい。もしも、宇宙解明とか、猛獣捕獲とか、自由自在に実現できる人がいるとしたら、神様もビックリする事だろう。

そんな無茶苦茶なことを、達道の禅者が暮らしの中(禅による生活)で行なっているとしたら、どんな風だろうか。

禅者の手腕(道具)は、まるで刀鍛冶の、赤焼けの金属をつかむ、ハサミと鎚(つち)であろう。これを確かめるには、灼熱の炉にフイゴの風となって入るしか方法がないのだ。次の話を看よ。

   【垂示】垂示に云く、乾坤(けんこん)を定(さだ)むるの句には、

    萬世ともにしたがい、虎兕(こじ)をとらえるの機は、

    千聖も辨(べん)ずることなし。

    直下(じきげ)に、さらに繊翳(せんえい)なければ、

    全機ところに随(したが)って、ひとしく彰(あら)わる。

    向上の鉗槌(かんつい)を明らかにせんと要せば、

    是れ作家の爐鞴(ろはい)をもちいよ。

    しばらく道え、従上来(じゅうじょうらい)、 

    また恁麼(いんも)の家風ありや、また無しや。

    試みに挙す看よ。

【本則】求道者が洞山(良价、とうざんりょうかい 807-869曹洞宗 開祖)に問う。

「この土用の暑さはヒドクこたえます。エアコンがありませんので、どのように、回避すればよいでしょうか」(寒暑に引っ掛けて悩み苦しみの対処療法を先生に聞く、論理・哲学の学生である)

洞山云く「それなら熱くないところに避難しなさい」

求道者、待ってました・・とばかりに「それは何処にありますか。教えてください」

洞山「お前さんを焼き殺すような熱い處に行くことだ」

(モチロン寒い時は冷えて凍え死にする、それが無寒暑の處だ)

   【本則】挙す。僧 洞山(良价)に問う「

       寒暑到来せば、いかにして回避せんや」                           

       山云く「なんぞ無寒暑の處に向かって去らざる」

       僧曰く「如何なるか これ無寒暑の處」

       山云く「寒(かん)の時には闍梨(じゃり)を寒殺(かんさい)し、

       熱(ねつ)の時には闍梨を熱殺(ねっさい)せん」

【頌】洞山の学人教導は、まるで迷子の手をとって、安全な所へ誘導してやる風であるが、求道者は目隠しされて、断崖の縁(ふち)に立たされたようなもの。

ちょうど、オオカミが兎を追いかけて、両者疲れ果てて猟師の捉えられたような、空しい言葉遊びで問いかけている。

彼の問う「無寒暑の處」は地獄の窯ゆで・・である。

洞山は正位(絶対観)と偏位(相対観)に分けて宇宙万象を語る。

極楽浄土、涅槃妙境など、仏教の例え・・空理空想の世界ではなく、いま、我の座す脚下・・あまねく清風名月の處ではないのか・・雲門文偃の「日日是好日」や快川紹喜の「心頭を滅却すれば、火自ずから涼し」に通ずる、禅者の一語である。

   【頌】垂手(すいしゅ)するも、また萬仞(ばんじん)崖(がい)に同じ。

    正偏(しょうへん)は なんぞ 必ずしも安排(あんばい)にあらんや。

    琉璃(るり)の古殿(こでん)は名月に照らされ、

    忍俊(にんしゅん)たる韓獹(かんろ)は空しく階を上(のぼ)る。

【附記】禪、臨済宗 恵林寺・・山形県甲州市 風林火山の甲斐、武田信玄菩提寺・・快川紹喜(かいせんじょうき 1502~1582)織田信忠の軍による焼き討ちにあった際の禅者の一語(偈)「心頭を滅却すれば・・」は、碧巌録 第43則「洞山寒暑回避」評唱・・黄龍の死心悟新和尚、拈提していわく・・「安禪は必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」・・出典 詩人、杜荀鶴の転結二句。起承の二句「三伏 門を閉じて一衲を披(ひら)く、兼て松竹の房廊を蔽(おお)うなし」に続く。(加藤咄堂 碧巌録大講座 第6巻 昭和14年(株)平凡社刊)・・公案の頌の一部を、この時に引用した、いわゆるコピペであるが、火定(かじょう)・・火あぶりの最中に、この一語をもってしたのは、さすが快川だ。すごい禅境、覚悟の方です。

ついでに思い出話をひとつ・・円覚寺に寄宿して大学に通っていた昔、松竹映画(大船)で笛吹川・・木下啓介監督の撮影がありました。この快川和尚と弟子たちの火定シーンに、修行中の雲水たちの応援出演の依頼がきた。これは禅坊主修行のチャンスとして、出演が決まった。

そして撮影当日、本堂セットの回廊に、ズラリ、本物の禅僧が居並び坐禅三昧になる中、火がかけられ、監督のカット、OKの声で消火される手筈が整えられた・・のだが、イザ本番・・「スタート」の声がかかり、ガソリンに火がつけられると、あまりの熱さにたまらず、あっという間に本物の坐禅の坊さんたち、逃げ出していなくなった。後で寺に帰って、ススで汚れた雲水さんたち・・昔の快川和尚以下、弟子達の火定(火あぶり)に遇う、すごい根性にひどく感心していた。その頃の管長は、故・朝比奈宗源老師。当時の修行僧もまだ存命していようが、どこぞの禅寺で、解かったような貌で禅を指導しているとすれば、何故か笑えてくるような・・思い出である。

私自身で言えば、二.三十年まえ、暑中見舞いに、この無寒暑の頌を使わせもらったが、今思えば、冷や汗もの・・反省しきりです。                

(後日、はてなブログ、羅漢と真珠、禅者の至言で、心頭滅却や日日好日、独坐大雄峰など、誤解と偏見に満ちた禅語の、正しい意訳紹介をさせてもらいます)

 

碧巌の歩き(あるき)NO44 ホ―タルこい!こっちの水は・・

碧巌の歩記(あるき)    

      ◆注意ホ―タル来い。こっちの水は甘―まいぞ

  碧巌録 第四十四則 禾山 解打皷 (かさん かいたこ)          【垂示】ありません。

【本則】ある日、禾山老師が座下の求道者に、僧肇(そうじょう)の宝蔵論を引用して垂語した。

「習得の知識は聞き覚えの知識であり、絶学~云々は、悟道の方法論を阿羅漢となって放擲(ほうてき)した境涯をいう。真の禅者は、この習学・絶学の二門を透過して眞人の境地に入らねばならない。これを眞過(眞の悟り)というのである」

そこに求道者が飛び出してきて・・「どのようなことが眞の悟りでしょうか?」と問うた。

禾山「お前さん、もっと骨折って、太鼓を打つ稽古をしなさい」

求道者「禅の最高教理(達磨・廓然無聖)とはなんでしょうか」

禾山「お前さん、太鼓の稽古をしなさい」

子ども扱いされたと誤解した求道者、さらに言葉をついだ。

「この心が、即、禅である位は承知しております。その正反対の非心即・・非禅とは何のことでしょうか?」と難問を突き付けた。

禾山「お前さんは、一所懸命に太鼓の稽古をしなさい」

求道者は、次第に逆(の)ぼせあがって問いかけた「ご老師は私を子ども扱いになさいますが、ここに達道の禅者がやってきた時は、どのように対応なさるおつもりですか(茶化すのもいい加減にしてください)」

禾山「本音の太鼓は稽古が大事だぞ」

●解打皷・・「太鼓の稽古をしなさい」の意。問いに答えて、言い方をかえておきます。

    【本則】挙す。禾山 垂語して云く

     「習学これを聞といい、絶学これを鄰(りん)といい、

      この二つの者を過(す)ぐるを眞過(しんか)となす」

     僧 出でて問う「如何なるか 是れ眞過なるぞ」

     山云く「解打皷(かいたこ)」

     また 問う「如何なるか 是れ眞諦(しんたい)」

     山云く「解打皷」

     また 問う「即心即佛は すなわち問わず。如何なるか非心非佛」

     山云く「解打皷」

     また 問う「向上の人 来る時 如何が接せんや」

     山云く「解打皷」

【頌】眞人検定(廓然無聖の禅境)には、学科試験は役立たず、石を運ばせたり、土を運搬させる土木工事の働きが一番よくわかる。

禾山の師、雪峰(義存)は(人の)度量を試すのに、木製の毬(まり)を投げつけて(弟子)玄沙の禅機を試したそうだが、そんなボール遊びより、禾山の太鼓の稽古の方が余程にマシである。

君たちによく言って聞かせよう。

うっかりしてはならない!

甘いものはあまく、にがいものはニガイのだ。

   【頌】一には拽石(えいせき)、二には般土(はんど)、

    機を発せんには、これ千鈞(せんきん)の弩(ど)をもちいよ。

    象骨(ぞうこつ)老師(雪峰義存)は かって毬(きゅう)をめぐらせしも、

    いかでか似(し)かん 禾山の解打皷には。

    君に報じて知らしむ、莽鹵(ぼうろ)なることなかれ。

    甜(あま)きものは甜まく、苦(にが)きものは苦し。

 

【附記】吉州(江西省)禾山(大智院)無殷(かざん むいん 891~960)、始め福州(福建省)雪峰(山)義存(76才)時に侍童となり、908年 雪峰示寂の後、910年、筠(いん)州(江西)の九峰道虔(きゅうほう どうけん)に師事。

禾山は、六祖恵能に次ぐ青原下七世・・石頭→薬山→道吾圓智→石霜慶諸→九峰道虔→禾山無殷(達磨より十三世、祖位の禅者)

禾山の師、九峰道虔の逸話・・石霜が遷化の時、全山あげて第一座(名不伝)に跡を継がせようとしたが、九峰ひとり猛反対した。

「石霜七去の話」・・先師の意を領得した者だけが当山の主たるべし・・「休しさり、歇(けつ)し去り。一念萬年に去り、寒灰枯木し去り、古廟香炉にし去り、冷湫々地にし去り、一條の白錬(びゃくれん)の如くにし去る」・・しばらく道え、これ、那辺(なへん)の事を明かすや・・と。

第一座は「先師の意は、大悟のあとに、なお悟臭あり」(一色邊;イッシキヘンのことを明かす・・)としたが、九峰はキッパリと否定した。

そこで第一座、大悟の証明に、坐脱立亡をして見せる・・と大見得を切って香をたくことを命じたのである。命がけの問答である。

居並ぶ大衆、注目の内に香炉に香がたかれ、第一座は粛然と坐亡したのである。

九峰は、生けるが如き第一座の屍に、断然と言い放った。

「坐脱立亡はなきにしもあらず。

首座は先師の意、いまだ会せざることあり」・・と。

このように峻烈、厳密な九峰に随侍(師事)してきた禾山である。

後日談がある。

ある時、九峰は、黙々と作務(さむ・畑仕事)する禾山に・・「独り、のらりくらりの毎日をすごす。お前さん、いったい、どのような境涯を目当てに修行しているのか・・どうだ?」と問う。

禾山「真っ暗な夜がカラリと明けても、眼が見えない者は、やはり目が見えません」と答えたという。

太鼓を叩いても、本音でナカナカ為(な)らないものである。

この附記は・・はてなブログ【禅・羅漢と真珠】至言の禅語(3)解打皷・・で紹介しています。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO45 西北の風 いま帆を立てて逃げ出そう!

碧巌録 第四十五則 趙州萬法帰一 (じょうしゅう まんぽう きいつ)           

          【七斤 布衫 ななきん ふさん】

【垂示】圓悟の垂示である。

禅者なら、何事も言い訳不要、直に真実を吐露するのが当然であるが、向上の一大事を示すには、達磨気取りで黙然とするか、または、求道者に出来る限りのヒントを与えて、自覚させる以外、方法がない。性悪の質問をされて、唇から光を発すると云われた百二十歳、達道の禅者、趙州(従稔)の、棒喝不要・・舌先さばきの鮮やかさを看よ。

【垂示】垂示に云く、道わんことを要するに すなわち道わば、

    世を挙(こぞ)って雙(ならび)なからん。

    行うべきに即ち行わば、全機識(ぜんき し)らざらん。

    撃石火(げきせっか)の如く、閃電光(せんでんこう)に似、

    疾焔過風(しつえんかふう)奔流度刃(ほんりゅうとじん)、

    向上の鉗槌(かんつい)を拈起(ねんき)するも、

    いまだ鋒(ほう)を忘じ、舌を結び、

    一線道(せんどう)を放(はな)つことを 免(まぬ)がれざらん。

    試みに挙す看よ。

【本則】ある日、趙州の禅院を、訳知り顔の求道者が訪ねてきて質問した。

科学者は、宇宙はビッグバン(無の一点)から発現したと云い、儒教では太極に帰すると云い、宗教では、神の創造によるとか、真如唯心なるものとか言いますが、イッタイ、その一はいずれに帰するのでありますか?

(これは、かなり、シツコイ、粘り気のある問いかけである)

趙州老師「わしは青洲(山東省生誕地)で麻製の短衣を一着つくった。その重さは七斤だよ」

(求道者の退散ぶりは記されていない)

【本則】挙す。趙州に問う。

「萬法は一に帰す、一は何(い)づれの處に帰すや」

州云く「われ 青州に在(あ)って一領(りょう)の布衫(ふさん)を作れり。重きこと七斤」

【頌】雲を起こし天に飛翔する龍に、手中の玉を見せてくれとばかり、チョットした意地悪質問の求道者。台風の目玉(ど真ん中)無風地帯にいるのも知らず馬耳東風だ。世の人が後生大事にする玉なんぞ、西湖に何もかも捨て果てた弩龍(趙州)が西北の風を送り込む今の内に、そっと船の帆をあげて退散すべきだね。

【頌】編僻(へんぺき)かって埃(あい)す老古錐(ろうこすい)

   七斤の衫(さん)の重きを幾人か知る。

   如今(にょこん)西湖の裏(うち)に抛擲(ほうてき)せり。

   下載(かさい)の清風 誰にか付與(ふよ)せん。

 【附記】・・【頌】の意訳が少し脱線しました。

「万法も一」も、あの風光明媚な西湖に捨て去り、身軽になった老趙州(の人生船)は、清風自南来・・のんびり釣り三昧かナァ・・の意訳とします。

趙州従稔(778~898)南泉普願の弟子。碧巌録百則中12回・・詳細は順次掲載します。はてなブログ「禅・羅漢と真珠」2018-10-13 至道の禅語⑵平常心・・の解釈で、趙州(師 南泉との)問答をとりあげています。スポーツなどで誤訳された「平常心」の誤解と真意・・。

関心のある方・・見てください。

碧巌の歩記(あるき)NO46 雨降る夜は囲炉裏のそばで・・

雨降る夜はイロリの傍で手足をグッツと伸ばす・・この気持ち良さ(大愚良寛

碧巌録 第四十六則 鏡清 雨滴声(きょうせい うてきせい)

【垂示】圓悟が、坐下の求道者に垂示する。

禅者は、版木の一打ち「カン」となれば、坐禅するのか、飯を食うのか・・凡聖を問わず 禅境丸出しの行跡を示す。

剣の上を歩くとか、酒の巷で色恋沙汰も何のその、寂寥の境地を独歩するような、そんな自在な禅者は、それとして・・お前さんは、版木が「カーンカーンカーン」と鳴ったら、どうするかナ。

人里離れたオンボロ禅庵のアマダレ問答、試みに看よ。

    【垂示】垂示に云く、一槌(いっつい)に便成(べんじょう)すれば

     凡を超え 聖(しょう)を超えん。

     片言に可折(かせつ)すれば、縛(ばく)を去り 粘(ねん)を解(と)かん。

     氷凌上(ひょうりょうじょう)を行き、釼刃上(けんにんじょう)を走り、

     聲色堆裏(せいしょくたいり)に坐し、聲色頭上に行くがごとき、

     縦横なる妙用は すなわち しばらくおく。

     刹那(せつな)便去(べんきょ)の時 いかん。

     試みに挙す 看よ。

【本則】ある雨降りの夜更け、鏡清道怤(きょうせい どうふ)が、窓の方を見て求道者に問うた「アリャ・・ナンダ?」

求道者「はい・・あれは、パラパラと降っている雨音です」

鏡清「オイオイ・・お前さんは、まるでスマホ奴隷の哀れさ丸出しダネ」

自分が非難されたと思った求道者、反問した。

「老師ヨ、貴方様は・・己に迷わず、執着もない悟境(地)の方ですが、それでは、あれは何の音でしょうか」

鏡清「ホトンド迷わん事に近いガナ・・」

求道者「どういう意味ですか?ハッキリ言ってください」

鏡清「どの毛虫が蝶になり、どいつが蛾になるか、云わぬが花というもんだ」(その出どこは解かるが 云うのは難しい・・の意)

   【本則】挙す。鏡清、僧に問う「門外は これ何の声ぞ・・」

    僧云く「雨滴声(うてきせい)」なり。

    清云く「衆生は顛倒(てんどう)して、己に迷い 物を逐(お)う」

    僧云く「和尚 そもさん」

    清云く「ほとんど己に迷わず」

    僧云く「ほとんど己に迷わずとの意旨(いし)いかん」

    清云く「出身はなお やゝやすきも、脱體(だったい)に 道いこたうること難し」

【頌】萎(しな)びた禅院での、夜もすがらのアマダレ問答。何時までも雨音に拘(こだわ)っているようでは、遠く南山にも、北山にも大地を川にして降る雨を、どうすることも出来ないだろう。

この求道者、キット、雨に濡れて焼死(!?)するまで(永遠に)このシトシト・・ザアザアは解かるまい。

   【頌】虚堂(きょどう)の雨滴声には、作者も酬対(しゅうたい)しがたし。

      もし かって流をかえすといわば 依然(いぜん)として また不會。

      會(え)か 不會(ふえ)か。南山北山 うたた霶霈(ほうはい)

 

【附記】越州浙江省)鏡清(きょうせい寺の)道怤(どうふ 868~937 雪峰義存の弟子)弟子には雲門文偃、長慶慧稜、保福従展など著名な兄弟弟子がいる。

*この禅問答・・私は妙に好きである。

雨音のリズムが独り、寂寥を誘うのだろう。

パッカン(釣り道具を入れるバケツ)に、手書きしている「夜雨草庵」大愚良寛漢詩をここに添わせておきます。

生涯懶立身    わがいのち 身を立てるにうとく

謄々住天真    なすべきままに・・あるがまま

嚢中三升米    袋には三升の玄米と

炉邊一束薪    ろばたに一束 たきぎがパチパチ

誰問迷悟跡    迷いも悟りも忘れ果て

何知名利塵    欲得ナンゾどこへやら

夜雨草庵裏    シトシト夜雨の この破れ庵

双脚等間伸    手足を「グッツ」と・・この気持ち良さ

碧巌の歩記 NO47 道具抜きで 止めようとして止められないものは・・?

碧巌の歩記(あるき)NO47     

雲門文偃(うんもん ぶんえん 852?~949)は、この碧巌録に18回も登場する雲門宗の開祖、雪峰義存の弟子。語録に紹介される各則のいずれもが余りにも簡潔すぎるので、意訳するにもイキナリ鉄まんじゅうを口にねじ込まれるような、手も足も出ない 歯がボロボロになる問答の師だ。

 

このことは編集者の圓悟克勤がよく承知していたと見え、雲門の禅境(地)を直截に味読させたいとの意図からか、あるいは禅を解説することは不能と見限ったのか・・

【垂示】が欠落している則が多くある。

(百則中二十一則が 解説抜き本則のみのスッポンポンだが、幸いこの則にはある)

とにかく、雲門の一語は、日日是好日(碧巌録第6則)のように、春の海の、ノタリノタリした茫洋さに包まれているが・・

ああだ、こうだ・・と解説すればするだけ 雲門が遠くなって最後は見えなくなってしまう。

 

    碧巌録 第四十七則 雲門六不収(うんもん ろくふしゅう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

孔子論語で言った通り、天地には言葉なく四季豊かに変化し、萬物は霊妙に養育されている。

この天地運行の実体は何か・・働きはどのようなことなのか・・

よく会得することが大事だぞ。    

達道の禅者は、無言・無功用に天地同根とばかりに坐禅するが、イッタイその何処が禅者たる行ないなのだろうか・・

どうだい・・ワシ(圓悟)の意見がわかるか?

  【垂示】垂示に云く 天、何をか云うや 四時(しじ)行わる。

    地 何をか言うや 萬物生ず。

    四時の行われる處に向かって、もって體(たい)を見るべく

    萬物の生ずる處において、もって用を見るべし。

    しばらく道え、いずれの處に向かって 

    衲僧(のうそう)の言語動用(ごんごどうよう)、

    行住坐臥(ぎょうじゅうざが)を離却(りきゃく)し、

    咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)することを

    見得(けんとく)せんや。

    また辨得(べんとく)すや。

【本則】求道者が雲門に問う。

 宇宙(時空)の永遠、不滅の実体とは・・?

 門云く「地・水・火・風・空・識

     (遍在する)に収まらないヨ」

       【本則】挙す。

        僧 雲門に問う「如何(いか)なるか これ法身

        門云く「六不収」

 

【頌】宇宙の実体は、ご破算で願います・・だ。

ZEROを発明したインドからの達磨ですら、ソロバンを忘れたぞ。

その極意書は、少林寺で慧可に預けたと云うが・・

そそくさと、かた足の草履で、ヒマラヤ越えで帰ったとも云うが・・

 

インダス河畔は広すぎて、菩提樹の森に隠れて見つけられない。

イヤ待てよ、達磨は昨夜、雪賓山(重顯の處)に居候しているぞ。

   【頌】一二三四五六。

    碧眼(へきがん)の胡僧(こそう)も数ええじ。

    少林みだりにいう神光(しんこう 二祖慧可)に付(ふ)したりと。

    衣を巻いて、また説く天竺(てんじく)に帰れりと。

    天竺は茫々(ぼうぼう)として討(たず)ぬるにところなし。

    夜来(やらい)かえって乳峰(にゅうほう)にたいして宿(しゅく)せり。

 

      ◆道具なしで、止めようとしても 

       止まってくれないものは・・A:心臓

碧巌の歩記(あるき)NO48【目出度くも 炉神が(灰)神楽を挙げて祝いましたぞ!】

碧巌の歩記(あるき)NO48     

政治・権力者には「ヨイショするのも一手だぞ」・・

中国においても、日本においても皇帝、公家、官僚役人、武家、商人などにとって寺院は、閑静な接待所、別荘か、はたまた、茶坊主に給仕させる迎賓館のような存在だった。

(現代は、スマホに祈願する幽霊ビト、主に団体ご婦人、外国の放浪ビトが、写経や精進料理、観光座禅に群れ集う場所となっている)

 

碧巌録 第四十八則 王太傅 煎茶(おうたいふ せんちゃ)

      【垂示】欠如・・圓悟の垂示 ありません。

【本則】寺僧の生業(なりわい)と政治権力者へのご接待・・その喜劇と云うか、悲劇というか・・一幕物である。

時代は920年代・・雪峰(義存)の弟子、長慶(慧稜)が住持する招慶寺に、泉州の勅史(知事役)王延瀕(おうえんひん)居士が訪ねてきた。

長慶老師は不在であったが、大壇那(スポンサー)を気取る王勅史居士に、お茶を差し上げることになった。たまたま寺に来合わせた明招(徳謙)・・徳山⇒巌頭⇒羅山に法を継ぐ隻眼の禅者、独眼竜、明招が接待役になり、お茶席を設けたところで幕が上がる。

朗上座(報慈慧朗 ほうじけいろう)が、茶を注ぐべく炉に置いてある大急須を取り上げたトタン、取り損なってヒックリ返す大粗相をした。

あたりは灰煙(ハイカグラ)で朦々(もうもう)となった。

時に、この三人は機鋒鋭い禅者である。平穏無事にすますはずがない。禅機来れりとばかり主客の王太傅、すかさず朗上座にいう。

「何をするか・・この茶炉の下に、何が鎮座しているか承知しているのか」無礼者め・・とばかりに一喝した。

朗上座「はい、炉の下には棒炉神(ぼうろしん 三脚鉄製の支持五徳・引っくり返り防止)があります」

王勅史「(棒炉神がついているのなら、鉄瓶がヒックリ返る訳がない)お前さんがウッカリしていたからだ」と叱った。

この高飛車のツッコミに、寺を支える大事なスポンサー様も何のその・・すかさず朗上座は反論した「茶瓶位、ひっくり返す失敗は誰にでもありますよ。それよりか権力者が傲慢(ごうまん)になって、一朝で失脚する(仕官千日 失在一朝)のに比べれば、何でもないことでしょう。知事として、お偉い貴方も、お足もとを掬われない様にご用心なさい」これを聞いた王勅史ツッと立ち上がり袖を払って帰ってしまった。

朗上座の猛反発に、傍にいた接待役の独眼竜、明招老師「オイオイ、この寺の大事なお客(王知事)に、あまりにひどい仕打ちじゃないか。失礼なことを云い過ぎだよ」

朗上座「それなら あの時ご老師なら どのように云われますか」と尋ねた。

ウム・・わし(明招)なら、あれほど極端にきめつけないぞ「私が怖気(おじけ)づいたのを知って、棒炉神が委縮している私をそそのかして失策させたのです。それも知事閣下のご威光あればこそですと、逆に持ち上げてヨイショするね」と答えた。

【ここに雪賓(重顯)著語して云く・・ヒトカドに恐れられている禅者、明招よ。ナニ云うか、

  そんな時こそ再度、茶炉をひっくりかえして、灰神楽のお祭りにしてやるのが一番だ】

   【本則】挙す。王太傅、招慶(しょうけい)に入って煎茶す。

    時に、朗上座(ろうじょうざ)明招(みょうしょう)のために銚をとる。

    朗 茶銚(ちゃちょう)を翻却(ほんきゃく)したり。

    太傅、見て上座に問う「茶炉下(ちゃろか)は これなんぞ」

    朗云く「棒炉神(ぼうろしん)」

    太傅云く「すでにこれ棒炉神あるに なんとしてか茶銚を翻却したるや」

    朗云く「仕官千日なるも、失は一朝にあり」

    太傅 拂袖(ほっしゅ)して すなわち去れり。

    明招云く「朗上座 招慶の飯を喫却(きっきゃく)し了(おわ)って、

    却(かえ)って江外に去って野榸(やたい)を打(だ)す」

    朗云く「和尚 そもさん」

    招云く「非人が その便を得たるなり」

    雪賓(重顯)云く「当時 ただ茶炉を踏倒(とうとう)すべかりき」

【頌】王大傅が寺で大威張りに振舞うのを、かねてから見苦しいと思っていた朗上座。棒炉神は何の為にあるか・・と詰問されて、役立たずの時もあるぞ・・と、ピシりと切り込んだ。しかし、政治、権力者(剛)には、柔の手(ヨイショで、又おいで・・)もあるぞ・・との、出来事を傍観していたメッカチ禅者、羅山(道閑)門下、明招のぬるま湯のような対応に、編者、雪賓は意見をした。イッソのこと、朗上座を助太刀して、マアマア・・と言いながら灰神楽を追加して舞い上げてやれば、泉州勅史と招慶寺の間に大波乱が巻き起こったことであろう。

惜しいことをしたものだ・・と。

    【頌】来問(らいもん)は風(ふう)をなすがごときも、

     應機(おうき)は善巧(ぜんこう)にあらず。

     悲しむに堪えたり 独眼竜(どくがんりゅう)

     かって未だ牙爪(げきゅう)を呈(てい)せず。

     牙爪開(ひら)きしならば雲雷(うんらい)を生(しょう)じ

     逆水の波は幾回か経(へ)たるべし。

 

【附記】明招の「ヨイショ」の一手を、禅者、素玄居士は「ここらが處世観じゃ。ここのトコロに「禅機」がある。これをズバリつかむのがカナメだと意見されている。これがつかめたら、禅者とは、こんなもんか・・ナルホドナアと、あきれるじゃろうサ・・と。

(禅のパスポート 無門関第四十二則 素玄居士提唱 ご参考のこと)

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO49 お前さん・・透網の「網」をさらに引っかぶり、腹を空かしてどうする気だね? 

碧巌の歩記(あるき) ワシは雑魚のエサ播きで手一杯。網にあがく金魚の世話までし切れないのだョ・・

碧巌録 第四十九則 三聖透網金鱗(さんしょう とうもう きんりん)

                         さんしょう 網を透る きんりん

【垂示】圓悟の垂示である。完全包囲で敵陣突入。軍旗、武器のすべてを奪い取る。あるいは陣立てを幾重にも張って、守勢を堅固に前後によく気を配っていること。あるいは虎の首元にまたがり、尾を取って自由に制御できること・・あらゆる葛藤(煩悩)を裁断して天下泰平を気取るような・・非凡な働きができる位では、まだまだ真の禅者とはいえない。もし、普通の間尺で測れない達道の禅者が来た時には、いかに応対するか・・試みに挙す、看よ。

   【垂示】垂示に云く、七穿(せん)八穴(けつ)して、

    皷(こ)をひき、旗を奪うも、百匝(そう)千重して

    前を見 後ろ顧(かえ)り見るも、

    虎頭に踞(きょ)して 虎尾をおさむるも、未だ是れ作家ならず。

    牛頭(ごづ)没し、馬頭(めづ)かえるも、また未だ奇特となさず。

    しばらく道え、過量底(かりょうてい)の人、来たる時いかん、

    試みに挙す看よ。

【本則】仰山(慧寂)・徳山(宣鑑)など名だたる禅者と問答した・・三聖(慧然えねん 臨済義玄の弟子)が千五百人の求道者を束ねる、雪峰(山)義存を訪ねての問答である。

三聖「網にも(釣り竿にも)かからない、尽抜(づぬ)けた鯉魚は、ハテさて、イッタイ何を食べて(禅による)生活をするのでしょうか」

雪峰老師の禅境(地)がどんなものか・・問いかける三聖に対して、雪峰は、真の達道の禅者(金鱗の鯉魚)なら、とっくの昔、龍となって天にある・・と、孫をあやす爺さんのように云う・・「まだ、お前さんは、その透網を引っ被っているが、真に抜け出すことができたら、教えてあげよう」

三聖「ナント・・千五百人も門弟を持つ達道の禅者でありながら、話の通じないお師匠さんだナ」と獅子児ぶって睨みすえた。

雪峰「老人(わし)は、この禅院の雑魚のエサ播き・・経営・維持管理)がナカナカ大変でな・・お前さんと無駄話をしておれないのだヨ」と、歩み去った。

  【本則】挙す。三聖、雪峰に問う。

   「網を透りし金鱗は、いぶかし、何をもってか食となすや」

    峰云く「汝が網を出で来るを待って、汝に向かって道(い)わん」

    聖云く「一千五百人の善知識にして、話頭(わとう)だに、まだ知らず」

    峰云く「老僧は住持事(じゅうじ じ)しげし」

 

【頌】網を透り抜ける巨鯉は淵にはおらず、もはや天に昇る龍と化してしまう。竜巻、雷嚇すれば、その後、あたりには清風一掃・・静謐な爽やかさ・・だが、その涼味をあじわう達道の禅者が、はたして幾人いるのだろうか。

  【頌】網を透りし金鱗は、云うことをやめよ、水に滞(とどこお)ると。

   乾(けん)をゆるがし、坤(こん)をうごかし、ひげをふるい、

   尾をおしひらき、千尺鯨噴(げいふん)すれば洪浪(こうろう)とび

   一聲(いっせい)雷震(らいしん)すれば清颷(せいひょう)起らん。

   清颷おこらんも、天上、人間いくばくぞ知るや。

 

【附記】若者を誘おうとすると「仕事があるので・・」と、体よく断られる。仕事といえば、文句なく、老人のたわ言を聞かずに済むからだ。

この三聖の獅子児ぶりはさて置いて、この問答の大事なところは・・網を出たと得意げに云う奴こそ「出たという網」に引っかかつた小さい鯉魚だ。食い物は、川底の泥でもシガメバよい・・と、禅院の雑魚のエサ播きにかこつけて、取りつく暇なく切って捨てた雪峰にある。

求道者が10人いようと、1万人いようと、そんな寺院の管理、運営の仕事など、雪峰は仕事とは思っていない。

三聖は、師、臨済の大喝を食らったように、ハッと自覚して断言、退出した。

(さすが出目金じゃなかったなァ!)

 

オイ・・そこの幽霊ビト!裸で街を歩いちゃいけないヨ!

   碧巌の歩記(あるき)NO50     

   碧巌録 第五十則 雲門 塵塵三昧(うんもん じんじんざんまい)

【垂示】圓悟が垂示した。禅の大道を歩む者は、修行上の階級(ステージ)を超越し、嘘も方便の解説(説法)や、ダボラを吹くような造作を見せてはならない。

禅者は一挙手一投足、すべて「禅による生活」そのものである。 

佛祖に比肩し、求道者の鏡となるのは、禅者の理想ではあるが、当機直截、句句相投・・自由な禅者でなければ、出身の一句を道破できないし、活力の人とは言えない。

さあ、いかにして、その一句をズバリ決めるか。

試みに挙す看よ。

  【垂示】垂示に云く、階級を度越(とえつ)し、

   方便を超絶すれば、機機あい応じ、句句あい投ぜん。

   もし大解脱門(だいげだつもん)に入って、

   大解脱用を得るにあらざれば、

   いかにしてか、仏祖に権衡(けんぎょう)し、

   宗乗に亀鑑(きかん)たらん。

   しばらく道え、當機直載(とうきじきさい)

   逆順縦横(ぎゃくじゅんじゅうおう)ならば、

   いかんにしてか出身の句を道い得ん。

   試みに挙す看よ。

【本則】雲門文偃(うんもん ぶんえん)に求道者が問う。

華厳経(一微塵中入三昧)に「塵塵三昧」とあります。

これは、何のことでありましょうか?」

雲門云く「鉢の中には飯。桶の中には水。

これがその露現(あらわれ)である」 

 *三昧(Samadhi 正受、定、正心の意)

   

   【本則】挙す。僧 雲門に問う「如何なるか是れ塵塵三昧」

    門云く「鉢裏(はつり)には飯。桶裏(とうり)には水」

 

【頌】茶碗にはご飯。コップには水・・

総ては、あるべきようにおかれ、なされ、用いられる・・

雲門の返事は、それで充分だ。

北方には北斗星が輝き、南方には南十字星がある。

そこに人間のくだらない思慮分別は必要ないじゃないか。

まるで風なき地に、台風を呼ぶようなもの。

雲門に歯向かう前に、その入歯を取り払って、歯抜けでタクアンをカジってから問うことだ。

この褌(ふんどし)抜きの裸姿で、どこをほっつき歩くのか・・

恥知らずめが・・。

 

オイ・・そこで片手間にスマホをいじっている人・・!

まるで無気力な幽霊ビト・・じゃないか。

ご飯は美味しかったかね?

  

  【頌】鉢裏には飯、桶裏には水と。

   多口(たく)の阿師(あし)も 嘴(くちばし)を下し難し。

   北斗南星(ほくとなんせい)位」(くらい)ことならざるに、

   白浪滔天(はくろうとうてん)、平地におこれり。

   擬(ぎ)か 不擬(ふぎ)か。止(し)か 不止(ふし)か。

   箇箇無棍(ここむこん)の長者子(ちょうじゃし)