【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO26 世界一の美人・・楊貴妃の一つ年下に生まれた禅者・・百丈山の懐海!

碧巌録 第二十六則 百丈独坐大雄峰(ひゃくじょう どくざ だいゆうほう)

【垂示】この則には【垂示】が欠落しているので、百丈を取り巻く環境を書いておきます。

ここに登場する百丈(ひゃくじょう)懐海(えかい720~814)が生まれたのは、中国史で誰でも知っている楊貴妃が719年に生まれた1年後(玄宗皇帝35才)である。

蜀のげんえんの娘が楊貴妃となったのは745年。玄宗皇帝61歳。楊貴妃27歳・・百丈懐海26歳・・当時・・安禄山の謀反があり、ひどく風紀が乱れ頽廃の時代にあって、寺院や僧たちも相当に堕落していたようだ。

彼が禅林(百丈)清規(しんぎ=禅の宗団生活の規則)を定めたのもうなずける。

五燈會元に、老齢の百丈が、率先して働く(作務する)ので、弟子たちが密かに作具を隠したところ、自分の不徳の所為だ・・と食を絶った・・との逸話がある。その時の有名な言葉が「一日作(な)さざれば、一日食せず」・・である。

彼の法系は、大鑑慧能→南嶽懐譲→馬祖道一から→百丈懐海となる。弟子に黄檗希運黄檗宗)→臨済義玄臨済宗)と、別に・・百丈→潙山霊祐→仰山慧寂(潙仰宗)の禅宗派の始祖となる・・すぐれた禅者達を打出した。

もし、玄宗皇帝の世に、百丈がいなければ、はたして日本に伝播した禅はどうなっていたことか・・解からない程の影響力がある。

百丈山(別名 大雄山)は中国江西省洪州にあり、そう高くもない、のんびりした山だ・・そうだが、大雄と云う(山)峰に独り坐す・・と決めつけたおかげで、日本の富士山のような雄大な山になってしまった。

 

【本則】奇抜で面白い「山」の話を紹介する。

百丈(大雄)山の萎(しな)びた禅庵に、少しは問答のできる求道者が尋ねてきた。

「何かめずらしいこと・・特別に賞賛に値することはありませんか?」

百丈懐海「奇特なこと?・・なにもない。ただ、独り山奥(大雄峰)に坐っているだけさ」

それを聞いた求道者、何故か、恭(うやうや)しく一礼した。

百丈、すかさず手にした竹箆(しっぺい)で、ピシリと求道者を打った。

        【本則】挙す。

            僧 百丈に問う「如何なるか これ奇特のこと」

            丈云く「独り大雄峰に坐す」

            僧 礼拝(らいはい)す。

            丈 すなわち打つ。

【頌】馬祖道一の弟子である、百丈懐海は まるで天馬の如き稀代の名馬である。禅の積極的な働き(向上・放行)と消極的な働き(把住・向下)を自由自在に楽しんでいる。

ちょうど、雷光一閃の瞬間、天地が逆さまになるような、すぐれた働きをする・・こんな非凡な禅者の前に来て「如何なるか是れ奇特事」とは。あたかも猛虎の髭をなでるような出来事だぞ。

ピシャリと打たれて済んだのも果報の内だよ。

(打たれるには意味がある)

      【頌】祖域(そいき)に交馳(こうち)す天馬駒(てんまく)

       化門(けもん)の舒巻(じょけん)は途(と)を同じゆうせず。

       電光石火に機変を存(そん)す。

       笑うに堪えたり人の来って虎髭(こしゅ)を捋(ひ)くことを。

【附記】「一日 作さざれば、一日 食せず」と、萎(しな)びた山間に独り、坐っている爺さん・・どうも一致しずらいのは、世の中に出回る勇壮な書一行「独坐大雄峰」のせいだ。

大雄峰は、日本の富士山のイメージで、一行の禅書にモッテコイの素材です。

ですが、百丈の生きていた現実は、僅か千メートルに満たない、竹林と滝があり、虎の出る山奥の・・素貧なひとり住まいの禅者の一語です。

この百丈懐海・・原の白隠一休宗純より、越後の(国上山)五合庵に住んだ良寛さんのような方だったのか・・興味はつきない。

現代社会は情報社会と言う・・けれど、頭脳の何千万人分、図書館の何千館分の知識がパソコンで利用できるのだが、広大な宇宙の果て銀河世界や、逆に最小単位のミクロ、量子物理学を究めつつあるとは言え・・親殺しや子殺しが頻発する(病める現代の世情を見極めきれない)宿業に振り回されている存在が人間です。そうした社会の為になる研究や開発、頭脳そのものの研究、自然科学の研究に情報の活用は大事です。・・だからこそ、釈尊以前からインドの地にあった「空・無」を拠りどころにする浄慮・静寂の「禅」が、現代社会の(心の)免疫不全に役立つのです(役立たずの禅が、無功徳という解毒剤の役割をもっているのです)

そして、先達が歩いた足跡・・禅語録(公案)が禅境(地)を語ってくれています。千年・二千年前であろうと、ひたすら内面に「自己とは何か」を問いかけることに、何の科学的情報や社会・寺僧の名利、教導とやらが必要でしょうか。

むしろ知的思考に頼り、スマホやパソコンの情報を解析のツールにする以上、バランスを失った理性は、般若(智慧)の真実から遠ざかります。思考は、分別分析の作業そのもの・・対比、検索の作業だから、まるでパソコンに、永久運動の機械設計を依頼するようなもの。円周率を計算させるような働きになってしまうのです。百丈に、竹箆で打たれた求道者は、自分の一大事は、自分でしか解決できないことを知ったでしょう(釈尊も、独り菩提樹下、スジャータの牛乳をもらって坐禅された。そして、釈尊の悟りが禅は宗教以前にある・・ことを証明しています)

釈尊以来「禅による生活」をなしてきた禅者たちは、万象の獨露身そのものの禅境(地)を体現しています。「自分とは何か・・」「幸福・安心とは何か」の問いに、答えを発見しようと行脚する・・いわゆる・・求道(好奇)心がある限り、どこかで誰かが「独り坐禅」を介して(キット禅の)発芽があることでしょう。

世の中で、最も奇特で大事な事・・とは、萎びた山中で、むさくるしい爺さんではあるが・・まるで「富士山のように聳え立つ般若の真ん中で、どっしりと坐っている自分(自我)・・これである」・・と自賛する百丈。まるで天上天下 唯我独尊を凌ぐ禅者の一語である。

 

 どうやら地球を尻に敷いて「ドン」と坐りこむ大虎の傍らで、仔猫のように、跳ね回るのは止めて、静かに大雄山から退散するとしましよう。

有(会)難うございました。この奉魯愚を看ていただいて☆マークをつけてもらいました。ただ、お返しの☆マークの操作も解らぬ(モチロン ツイッターなどしたことのない・・写真は旧、ミノルタフィルムカメラで撮影する)・・AI不適性のPC未熟者(アナログ老翁)です。どうぞ、それに懲りず、役立たず(無功徳)だからこそ、役に立つ・・3分間独りポッチのイス禅・・おりおりになさってください。お大事に。

  

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO27 

 

   碧巌録 第二十七則 雲門體露金風(うんもん たいろきんぷう)

【垂示】圓悟克勤が座下の求道者に垂示した。

一を聞いて十を知り、一を挙げると三を明らかにする。

兎を見れば、直ちに鷹を放って捕獲したり、よく風の向きを読んで焼き畑の火をつけたり、

人の為に、説法で眉毛が落ちるような労をいとわない・・

そんなことは、マア それはそれでよいとして・・

イザ、虎穴に入って虎児を得ようとする時はどうするか・・

試しの事例を看よ。

     【垂示】垂示に云く、一を問うては十を答え、

         一を挙げては三を明らめ、

         兎を見ては鷹を放ち、風によっては火を吹き、

         眉毛を惜しまざることは、則わち しばらく置く。

         ただ、虎穴(こけつ)に入(い)る時の如きは如何。   

         試みに挙す 看よ。

【本則】ここに秋風を「金風」という詩的な言い回しで問答した、雲門文偃(うんもん ぶんえん)の話がある。ある求道者が尋ねた。

「世の中(季節)は秋。栄枯盛衰、生者必滅・・いかがですか」

雲門「花々も萎(いお)れ、鮭は遡上して卵を産んで死す・・寂寥の秋風が身に染むナア」

  【本則】挙す。

      僧 雲門に問う。

       「樹(き)しぼみ、葉(は)おつる時 如何(いかん)」

         雲門云く「體露金風(たいろ きんぷう)」

【頌】求道者の問いは 人生を自然の移ろいにかけて、雲門老師の禅機をスキマ見ようとしている。

しかし、さすが雲門の答えは「日々是好日」・・全くの秋一杯の自然流。

雲門の三句(函蓋乾坤の句、隋波逐浪の句、截断衆流の句)に見立てれば・・

雲門の放つた一箭は、すでに遠く遼の国まで飛び去ってしまった。

野原を吹き渡って、サラサラ風韻が奏でられ・・

雨はシトシトと大地を潤おして、実に天地同根の風情である。

ホラ、熊耳(ゆうじ)山の庵には、九年も面壁坐禅をした達磨さんが、まだ天竺(インド)に帰れずに、何を想ってかグズグズしておられるぞ。

(私は雲門の三句・・自然に即した意の函蓋乾坤(かんがいけんこん)の句。肯定、否定に関与しない如意の隋波逐浪(ずいはちくろう)の句。完全否定の無意の截断衆流(せつだんしゅうる)の句・・よりも、越後の山里、五合庵、良寛の句の数々を思い出します)

  【頌】問い すでに宗あれば、答えも また同じところ。

     三句 辨(べん)ずべし。

     一鏃(いっそく)遼空(りょうくう)。

     大野(だいや)には凉飈(りょうひょう)颯々(さつさつ)。

     長天には疎雨(そう)濛々(もうもう)。

     君見ずや、少林久坐(しょうりん きゅうざ)

          未帰(みき)の客(かく)

     静かに熊耳(ゆうじ)の一叢々(いちそうそう)による。

 

 

碧巌の歩き NO28 年を経た狐は 夜な夜な北斗の☆を観て白狐となる・・ソウナ! 

碧巌録 第二十八則 南泉不説底法(なんせん ふせつていのほう)

【垂示】欠如。 

・・につき、南泉普願(なんせん ふがん 748~834)の略歴を記しておきます。

唐、玄宗皇帝が楊貴妃を迎えた頃、黄河の南、河南省に生まれた。出家した少年期、修行の青年期、宋・高僧伝によれば、名を遺すにふさわしい徹底したものだったという。

師は馬祖道一。同期に百丈懐海(えかい)がおり、彼の弟子には、クチビルから光を発したと伝えられる、120歳まで生きた長寿の禅者、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)がいる。

池州 南泉山に禅庵を構えたのは795年(48才)。87才示寂。ちょうど日本では弘法大師(空海)死去の前年にあたる。

本則の百丈涅槃(ねはん)は百丈懐海の弟子。紛らわしいので百丈(山)涅槃・・2代目とした。何でも、涅槃経の研究で有名だったようだが、詳細は不明です。

 

【本則】南泉普願(なんせん ふがん)が 百丈山二世、涅槃和尚を尋ねたおり、ここぞとばかりに問いかけた。

涅槃「禅は、釈迦や達磨、先達が極めつくして、新しい発見はなさそうですが、これまで、古賢先聖が人の為にまだ説いていない玄妙の真理があるものでしょうか」

南泉「ありますとも」とキッパリ断言した。

涅槃「それは、どんなことでしょうか。お示しください」

南泉「師(馬祖道一)の・・心ならず、禅ならず、出来事ならず・・総てを超越したものです」

涅槃「それで説明は終わりですか」

南泉「これ以上はありません。貴方はどうですか」

涅槃「私は学者じゃないので、賢人の未だ説かないことを云うことはできません」

南泉、これを聞いて、少し恥じたのか「実はその辺のことは詳しく説明できません」といった。

涅槃「そうですね。ワカラナイことを解かったなら、この問答、やりがいがありました」と締めくくった。

  【本則】挙す。百丈山の涅槃(ねはん)和尚に参ず。

   丈問う「従上の諸聖、また人のために説かざる底(てい)の法あるや」

   泉云く「あり」

   丈云く「作麼生(そもさん)か、これ人のために説かざる底の法なるや」

   泉云く「不是心(ふぜしん)不是佛(ふぜぶつ)不是物(ふぜぶつ)」

   丈云く「説き了(おわ)れりや」

   泉云く「某(それがし)は、ただ恁麼(いんも)、和尚は作麼生」

   丈云く「われ はなはだしく爾(なんじ)がために説きおわれり」

【頌】百丈(山)涅槃和尚は南泉に釈尊や達磨が、まだ説かない禅の深奥を尋ねたが「禅」は文字言句に縛られないものだから、絵にかいたモチは食べられない。

求道者は明鏡に写る「本来の自分の姿」を誤解する。それは、まるで南半球の夜空に、北斗七星を探すようなことだ。柄杓の柄すら見つからない・・闇路に鼻をつままれて口あんぐりの状態だ。

   【頌】祖佛 従来、人のためにせず。

      衲僧今古(のうそうこんこ)頭を競って走る。 

      明鏡は臺(だい)にあたって列像はことなるも

      一々南に面して北斗をみる。

      斗柄(とへい)たる、たずねるに所なし。

      鼻孔(びくう)を拈得(ねんとく)して口を失却(しっきゃく)。

【附記】日本の昔話によると、年振りの狡猾な狐は、馬の頭蓋骨(シャレコウベ)を被って、北斗の☆を眺めることが出来れば、白狐(びやっこ)となって人を誑(たぶ)らかすことができるといわれる。

この白狐伝説の由来は、戯曲「狐火」(きつねび 故・長田 純/早稲田演劇博物館 蔵)に出てくる村の古老の逸話にもとづきます。

元、麦の會=現・演劇塾長田学舎(京都 相国寺般若林)の主宰者でしたが、俳優や舞台条件や上演に厳しく、65年を経て、未だ上演されたことの無い幻の戯曲です。

(私は、この劇団で、村の子役、満次役で芝居の稽古をしていました)

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO29

 

   碧巌録 第二十九則 大隋劫火洞然(だいずい ごっかとうねん)

                    大隋随他去也(たいずい ずいたこや)

【垂示】圓悟が座下の者達に話す。

水中で魚が泳げば、水が濁るだろう。

空に鳥が飛べば、羽毛が落ちるだろう。

いまどきは主賓が転倒してしまい、経文やスマホの言いなりで、祈願したり折伏したりする者が現れる始末だ。

何が本物で・・何がバーチャル(虚飾)か・・シッカリ判別できれば、そいつは明珠を手に、真贋判定ができる禅者と云おう。

サアテ・・どうすりゃ コンナ活眼の師となれるのか・・

試しに次の話を看よ。

   【垂示】垂示に云く 魚行けば水濁(にご)り、鳥飛べば毛落つ。

       明らかに主賓(しゅひん)を辨(べん)じ

       洞(ほがら)かに緇素(しそ)を分かたば、

       直に当台の明鏡、掌内(しょうない)の明珠(めいじゅ)に似て

       漢あらわれ胡(こ)きたり、聲(こえ)あらわれ色あらわれん。

       しばらく道(い)え、なんとしてか かくの如くなる。

       試みに挙す看よ。

 【本則】経文戒律に凝り固まった義学の僧が、四川省の山奥に隠居する大隋法真(だいずい ほうしん878~963)を訪ねて・・

「四十億年後、太陽が赤色矮星に膨張したら、地球も火星も劫火に包まれて滅亡するそうですが、この時、自我=私の意識はどうなりましょうか」・・と大上段に論戦を仕掛けた。

大隋はニベモなく「消滅するね」と答えた。

僧はナオも足掻く「それなら梵天、自我もろともに一切が滅亡するというのですか」

大隋「そうだ。スッカラカランだな」

    【本則】挙す。僧 大隋に問う。

     「劫火洞然(ごっかとうぜん)として大千(だいせん)ともに壊(え)する時

      いぶかし、這箇(しゃこ)は壊するものなるや。壊せざるものなるや」

      隋云く「壊す」

      僧云く「恁麼(いんも)ならば則(すなわち)他にしたがい去るものなりや」

      隋云く「他にしたがい去るものなり」

【頌】この義学の僧、未熟。滅と不滅、モノとココロをきれいに2分割している。大隋が一切合切、燃え尽きると答えたのはウマい。

話を繋ぐ取柄(とりえ)がなく、突き放す最上の一語だね。

大隋は、深山の樹穴で寝起きした禅者だが、彼の(禅)境地は、誰も窺うことができない山奥パンダの生活だった。

どうも昼夜・明暗は、掌の皺(しわ)が見えるか、どうかで決めていたようだ。

  【頌】劫火光中(ごっかこうちゅう)に問端(もんたん)を立て、

     衲僧(のうそう)なお両重の關(かん)にとどこうれり。

     憐れむべし、一句、他にしたがうの語、

     萬里区々(ばんりくく)として独り往還(おうかん)す。

 

碧巌の歩き NO30 温室栽培のボケ茄子は、何時でも採れるが・・

ボケ茄子は温室促成栽培で何時でも採れるが、この大根は、古今東西、比較すべきもの無き天下一品の味だぞ

 

  碧巌録 第三十則 趙州大蘿蔔頭(じょうしゅう だいらふとう)

 【垂示】欠如

     【垂示】ありません

【本則】この話は、奇抜だが よく看るがよい。

求道者が趙州に「噂では、南泉和尚に、長い間 随侍(ずいじ)ななさったそうですね」と聞いた。ちょうど畑の大根を掘り出していた趙州の答えが振るっている。

「(鎮州は大根の名所だ)この見事な大根の出来はドウダ!」

   【本則】挙す。僧 趙州に問う。 

    「和尚 親しく南泉に見(まみ)えたりと承聞す。是(ぜ)なるや否や」

     州云く「鎮州には大蘿蔔頭(だいらふとう)を出(いだ)す」

【頌】南泉普願に三十年余り、親しく随侍(ずいじ)したのは本当か?と質問された趙州。ちょうど畑から特大の大根を引っこ抜いてきたばかりだった。詩を創るより田を耕せ・・と、にべもなく答えた。学者どもは 白鳥はなぜ白く、カラスはどうして黒いのか・・解かったように理屈をこねる。騙されるなよ。趙州は、鎮州特産の大根で、ボケ茄子どもを煙に巻いてしまったぞ。

     【頌】鎮州には大蘿蔔頭を出すと、天下の衲僧(のうそう)は則(のり)をとれり。

      ただ知る 自己自今 いかでか辨(べん)ぜん。鵠(くぐい)は白く烏は黒きことを。

      賊々(ぞくぞく)。

      衲僧の鼻孔(びこう)は かって拈得(ねんとく)せられたり。

【附記】趙州従諗(778~887)は、師に「如何なるか・・これ道」と問うて「平常心 これ道」の一悟を得た偉大な禅者である。

この碧巌録には第二則「趙州 至道無難」から十則を超えて登場する。第四十五則「七斤布衫」同様、天地同根の公案

碧巌の歩記 NO31 雨風ひどい天気でも・・

 

雨風ひどい悪天候でも「Good Morning」👍・・のご挨拶

 

碧巌録 第三十一則 麻谷両處振鈴(まよく りょうしょにすずをふるう)

            【麻谷持錫遶床(まよく じしゃく にょうじょう)】

【垂示】圓悟が求道者に語りかける。

目の前に、どうぞと差し出された事象を見ても、それが何であるかサッパリ本質を理解できない人が多い。猫や狐が目先に追われるようなものだ。だが社会的な課題解決に長じた人は、まず、その本質から鋭くせまり、何の途惑いもなくスラスラと事をかたずけてしまう。肚が出来ているというか・・覚悟が出来ているというか・・未練たらしい振る舞いがない。その活動ぶりは まるで龍の水を得たるごとく、虎の野山を走るような自在の働きがある。

達道の人は、道端の小石ひとつ取っても、光り輝く黄金の価値を見出せるし、例え貴重なダイヤでも、湯を沸かす備長炭の価値すらないようにしてしまうのだ。

真の禅者から見れば、古人の公案など婆々(ばあば)談義の寄せ集め、感心する話は少ない・・が、マアものは試しだ・・この本則の葛藤が どんなことを意味するか、しっかり看るがよい。

    【垂示】垂示に云く 動ずれば スナワチ影(かげ)あらわれ、

      覚すれば 即ち冰(ひょう)生ず。

      それ或いは動せず、

      覚(かく)せざれば野狐(やこ)の窟裏(くつり)を免れず。

      透得(とうとく)徹し、信得(しんとく)きゅうすれば、

      絲毫(しごう)の障翳(しょうえい)なく、

      龍の水を得るが如く、虎の山に靠(たが)うに似たらん。

      放行(ほうぎょう)するや、眞金(しんきん)も色を失なう。

      古人の公案も、未だ週遮(しゅうしゃ)なることを免(まぬが)れず

      しばらく道え、なんらのことを評論するや。試みに挙す看よ。

【本則】ここに妙な話がある。

ある日 馬祖道一の弟子たちの一人 麻谷(まよく)が錫杖をならしながら、兄弟子の章敬(しょうきょう)を訊ねた。

そして章敬の(坐っている)禅床を、厳そかに三度廻ると、錫杖をチャリンと鳴らし、すっくと正面に直立した。

これに対して章敬いわく・・

「こりゃ上出来。禅者らしく よくしたもんだ」

(後に雪賓は、章敬の「是々」と云ったことに「錯」間違いだ・・と一語した)

章敬に「是」=上出来と褒められた麻谷は、気をよくして、今度は別の兄弟子、南泉を訊ね 同じしぐさで・・禅床を三回まわり錫杖をチャリンと鳴らしてスックと立った。

南泉云く「駄目だ。ダメダメ」とにべもなく否定した。

(後に雪賓は南泉の「不是」=駄目と云ったのに「錯」間違いだと著語した)

麻谷「先輩の章敬さんは、この禅境(地)は上出来と褒めてくれたのに、アナタ(南泉)はどうして駄目だと云われるのですか」

南泉「章敬の云ったことは上出来だとも。しかしお前さんのしたことはダメだ。禅はママゴトじゃないぞ」

   【本則】挙す。

    麻谷(まこく)、錫(しゃく)をもって章敬(しょうきょう)にいたり、

    禅床(ぜんしょう)をめぐること三匝(さんそう)し、

    錫を振ること一下(いちげ)して、卓然として立てり。

    敬(きょう)云く「是是(ぜぜ)」

   【雪賓(せっちょう)著語(ちゃくご)して云く、錯(しゃく)】

    麻谷また南泉(なんせん)に至り、禅床をめぐること三匝し、

    錫を振ること一下、卓然と立つ。

    泉云く「不是不是(ふぜふぜ)」【雪賓 著語して云く、錯】

    麻谷當時(とうじ)云く

   「章敬は是と道(い)いしに、和尚はなんとしてか不是と道うぞ」

    泉云く「章敬は是是なるも、汝は不是。これはこれ風力の所転(しょてん)にして

    終(つい)に敗壊(はいかい)をなすものなり」

【頌】雪賓が云う・・麻谷の振る舞いを 章敬は「是」とし 南泉は「不是」とした。どちらも鑑識眼がない判定だ。

あんな(麻谷の)行いは無視するに限る。

世の中は平凡そのもの。雨風ひどい悪天候でも「グッド モーニング」と挨拶してるじゃないか。

釈尊の教えに、一切経を十二分割した錫杖経がある。狂言芝居はやめて気付け薬「十二部経」で禅病を癒やすがいい。

   【頌】これも錯。かれも錯。せつに拈却(ねんきゃく)することを忌む。

      四海 浪たいらかに 百川潮(ひやくせん うしお)落つ。

      古策(こさく)風たかし十二門。門々道あり空蕭索(くうしょうさく)

      蕭索(しょうさく)にあらず、作者よし無病の薬を求むるに・・。

【附記】私は、仏教学者ではアリマセンので、雪賓重顯の推奨する古策(古い錫杖)風高十二門・・禅病を寄せ付けない無病薬・・を見聞したことはありません。むしろウザッタイ人混みを避けて、岸辺で釣りをして、青空に浮かぶ雲を看ることが大好きです。

*南泉普願(なんせん ふがん748~834)/麻谷寶徹(まよくほうてつ ?~815)/章敬懐惲(しょうきょう かいうん?)いずれも馬祖道一の弟子達。

禅(ZEN)について素直で単的な見解・疑問・質問があれば・・日本語のメールでどうぞ。

日本語で率直にお答えします。宛先 加納泰次⇒ Male:taijin@jcom.zaq.ne.jp

【禅者の一語】碧巌の歩記(あるき)NO32【_(._.)_】した瞬間の大悟事例です

碧巌録 第三十二則 定上座佇立(じょうじょうざ ちょりつ)

              【定上座 臨済に問う】

【垂示】圓悟の垂示。禅者たる者は、誰も窺い知れぬ境地で 活眼の見識と、一句をもって 迷いを断ち切る力がなくてはならぬ。無尽蔵に展開されている自然(ありのまま)の黙示を、自覚できない迷妄の輩には、禅者の体験の逸話を挙げる。看よ。

    【垂示】垂示に云く 十方を坐断し、千眼をとんに開き 

     一句もて載流(さいろ)し、萬機を寝削(しんさく)す。

     見成公案(けんじょう こうあん)、

      打疊不下(たじょうふげ)ならば、

     古人の葛藤(かっとう)あり。試みに挙す看よ。

【本則】長い間、修行していた定上座(求道者)が臨済に問うた。

「仏法(悟りの教え)・・禅の大意をお示しください」

聞くやいなや 臨済、イキナリ起ち上ると定上座の襟(エリ)くびを掴み、ピシャリと一掌(ヒッパタイテ)してドンと突き放した。

長年の坐禅修行で、目イッパイ・・禅にくるみこまれた定上座、びっくり・キョトン、茫然と突っ立ったまま固まってしまった。

かねてから 気短かな臨済の棒喝の仕打ちを知っている侍者が 佇立している定上座に云った。

「サアサア・・<(_ _)>だ。_(_^_)_! ご老師はお辞儀抜きでは承知なさらんぞ。オジギをせんかい」

定上座、云われるままに お辞儀をした。

その_(._.)_の最中に (禅機が内爆)大悟・見性した。

  【本則】挙す。定上座、臨済に問う「如何なるか これ仏法の大意」

   濟 禅床(ぜんしょう)をくだって、擒住(きんじゅう)して、

   一掌をあたえて すなわち托開(たくかい)したり。

   定 佇立(ちょりつ)す。

   傍僧(ぼうそう)云く「定上座 なんぞ禮拝せざる」

   定 禮拝するにあたって 忽然(こつぜん)として大悟せり。

【頌】臨済義玄(生年?~867 臨済宗の始祖)は、さすが黄檗希運の一番弟子だけのことはある。定上座へのハツラツな振る舞いは誰にも例えようがない。臨済にとって「禅の大意」ナンて どうってことのない質問だ。まるでチョット手を挙げ、崋山(山脈)を二つ(太崋山と首陽山)に分け黄河を通したという巨霊に勝る働きだ。

 【頌】断際(だんさい)の全機(ぜんき)は、後蹤(こうしょう)をつぐ。

    持(じ)し来れり、何ぞ必ずしも従容(じゅうよう)にあらん。

    巨霊(きょれい)は手をもたげたれば、多子(たし)なく、

    分破(ぶんぱ)せられたり華山の千萬重(せんまんじゅう)。

【附記】釈尊坐禅と定上座の坐禅修行は、どこが違うのでしょうか?菩提樹下、金星の輝きで大覚(悟)された釈尊と、臨済に頬を引っ叩かれて佇立・見性した定上座の悟りは、どこの何が違うのでしょうか?

禅語録をひも解くと、悟り(禅機)は、生活行動の最中の、いろんな場面で、ヒョットして発見・発明されています。

坐禅時間が長いとか、坐禅の仕方が規矩の通りだとか、禅堂(戒律)の古参新参、年季の入れようなど、修行組織や戒律に関係なく、薫風自南来に花は開き、花開いて蝶おのずから来たる・・ごとく、人それぞれにある【禅】が、人それぞれに開花、見性してくれるのです。

最近、アメリカで「ナイト スタンド ブディスト」・・宗教に関与しない、働く個人の坐禅(瞑想)が広く、静かに普及しています。

しかし、出来るだけ 宗教・倫理の布教団体や瞑想・ヨガなどの教導組織、教本などの影響を受けることなく、ひっそりと「独りポッチの坐禅」を「ナイト スタンド ザゼン」として、為されますように・・。

教えられ・・習って解かるような「ZEN」ならば、それは「禅」ではありません。定上座の場合、臨済の一掌が「禅機・・ヒョットしたハズミ」で悟りに至りました。悟りは・・花の香りを嗅いでとか、石が竹に当たってとか、樹上で坐禅してとか、明星を看て(釈尊)とか・・独り一人、大覚する(禅機)の条件は全部、違います。

悟り、坐禅を・・何か【自分や人の役に立てようとする、ワガママな思いの造作、価値観】を持って行なったら、絶対に【悟りの発見・発明】はありません。まずあなた自身が・・「役立たない」「効用・効果」など、一切ありえない・・と覚悟して、独りポッチ坐禅をなさることです。

坐禅の仕方・道場作法」など、決まりを作ったり、組織だって行うのは、寺僧だけで充分。数息観や独りポッチのイス坐禅のやり方は、この奉魯愚【はてなブログ 禅・羅漢と真珠】で、簡単、無料で書いてあります。これとて薬の効能書きですから、読まれたら、捨て去り忘れ去って、どうぞ独り坐禅をなさってください。

禅(ZEN)について素直で単的な見解・疑問・質問があれば・・日本語のメールでどうぞ。

日本語で率直にお答えします。宛先 加納泰次⇒ taijin@jcom.zaq.ne.jp

4月7日・10日・17日加筆

 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO33 自分だけの「かけがえのない宝」とは・・何だろう?

碧巌録 第三十三則 陳操 看資福(ちんそう しふくにみゆ)

                        【陳操 具隻眼 ぐせきげん】

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

東西南北がわからずに道に迷う者がいる。だが、太陽は東から昇り西に沈み、北斗星は北を指し、南十字星は南に輝いていることは、昔の漁師や旅人は皆、知っていて目的地に迷うことは少なかった。

現代でも、スマホのナビを知らずとも、人の「生きるべき大道」について、迷わずに暮らしているも沢山おられる。

人間の評価は、地位や権威、財力など、利権の有無、損得勘定の渦の中で行われるから、地獄の沙汰も金次第となるけれども、真の達道の禅者を見分ける方法や基準点など、誰も持ってはいないようだ。さて、次に述べる古人の言行が、大悟、落處を知っての事か、それとも知らずの出来事か・・おのおの、シッカリと看るがよい。

      【垂示】垂示に云く。東西を辨せず、南北を分かたず、

          朝より暮れに至り、暮れより朝に至らんには、

          また、かれを瞌睡(かっすい)とは道(い)わんや。

          時には眼(まなこ)の流星に似たるには、

          かれを惺々(せいせい)と道わんや

          時には南を呼んで北となすことあらんには、

          しばらく道え、これ有心か、これ無心か。

          これ道人なるか、これ常人なるか。

          もし、箇裏(こり)に向かって透得(とうとく)して、

          はじめて落處(らくしょ)を知らば、

          まさに古人の恁麼(いんも)なること、

          不恁麼(ふいんも)なることを知るならん。

          しばらく道え、これ何の時節ぞ。試みに挙す看よ。

 【本則】政府(睦州)の長官であった陳操が、参禅の師、資福禅院の如寶を訪問した時の事である。

資福は陳操がやってきて、まだ、挨拶の「ア」の字もしない先に、指先で(空中の)大きな円相・・〇を描いて見せた。

この出し抜けの振る舞いをみた陳操「ご挨拶する前に、一円相を描いて見せるとは・・(どうゆう了見ですか?)私は、そんな空中絵を見に来た訳ではありませんよ」

すると資福、すかさず方丈の戸をピシャリと閉めてしまい、彼を門前払いにした。

(雪賓重顯・・この件に附言して云く・・さすがに陳操は活眼の禅者だ。彼は、したたかな資福の狂言を見抜いて、空に描いた円相をぶち壊した)

   【本則】挙す。

    陳操尚書(ちんそうそうしょ)資福如寶(しふくにゅほう)にまみゆ。

    福、来るを見て、すなわち一円相を畫(が)す。

    操云く「弟子、恁麼に来たる、はやく これ便(べん)をつけず。

    いかに況わんや さらに一円相を畫くするか」

    福、すなわち方丈の門を掩却(えんきゃく)したり。

   【雪賓重顯 せっちょうじゅうけん 云く「陳操ただ一隻眼を具(ぐ)す」】

【頌】資福が空中に描いた円相は、玉の触れ合うような、美しい音を奏でる。だが、結構な重さであるから馬や驢馬では載せきれまい。大きな鉄の船なら、どうにか運べるかナ。いや、太公望を気取るヒマ人に伝言して、大ウミガメを釣りに行く時に、この資福の円相(ワッパ)を、亀の首絞め釣り具に使ってくれと頼んでやろうか。(雪賓・・さらに著語して・・そりゃあ面白い一案だ。この円相の首絞め縄は、どんな禅僧も外すことは不可能だろうテ・・)

  【頌】団々(だんだん)として珠(じゅ)はめぐり、

     玉は珊々(さんさん)たり。

     馬を載(の)せ驢(ろ)を駞(だ)し、

     (また)鉄船を上(のぼ)さん。

     分付(ぶんぷ)せよ 海山無事の客(かく)に、

     鼇(ごう)を釣る時には、一圏攣(いちけんれん)を下(くだ)せよと。

     【雪賓また云く、天下の衲僧(のうそう)も 跳不出(ちょうふしゅつ)】

【附記】潙山霊裕、その弟子、仰山慧寂を始祖とする潙仰(いぎょう)宗に、禅境(地)を表す円相は付き物といっていい。昔、国師慧忠の画いた大事な円相97枚を耽源應真から譲り受けた仰山が「アンナもの・・後生大事にするものではない」と燃やしてしまった(次の碧巌の歩記NO34で、少し解説しています)・・のと同様・・資福の円相(挨拶)を陳操が特別視していないことに、雪賓は賛同している偈です。

当時、禅境を表現するのに、大変、円相がもてはやされたようです。(現代でも、著名な禅者の円相が茶懸けになって高額で売買される・・呆れた時代です)

お金やスマホを最も重要な価値をもつものと見る現代人には、春夏秋冬「清風名月」は、朧月夜のようにしか見えないことだろう。

「ナイト スタンド ブディスト」への提言を・・はてなブログ 禅・羅漢と真珠 で紹介しています。ご覧ください(2019-04-01追記)

 

碧巌の歩記(あるき)NO34 禅は文言(文字・言葉)にあらず!

木を見て森を看ず、森を見て山を看ず・・モッタイナイ人生旅ですナア!

  碧巌録 第三十四則 仰山不曾遊山(ぎょうざん ふそうゆさん)

【垂示】ありません。「仰山 かって遊山せず」と読みます。

     【垂示】欠如。

【本則】ひとつ 逸話を述べる。

ある時、仰山慧寂(きょうざん えじゃく)のもとに求道者が訪ねてきた。

仰山「何処からお出でたのか」

求道者「盧山です」

仰山「それならば、有名な五老峰に遊山しただろうね」

求道者「いいえ、私は修行一筋。行きませんでした」

仰山(李白の詩に・・盧山東西五老峰 青天秀出金芙蓉とあるが)「あんたさんは、せっかく天下の五老峰に参じているのに、英気を養う遊山をしてないのかい」

 

この話を聞いた雲門文偃(うんもんぶんえん)云く「仰山老師はナカナカ親切心のある人だから、婆々談義をしたのであろう」 

    【本則】挙す。仰山、僧に問う。

       「近ごろ いずれの處を離れたるぞ」

        僧云く「盧山(ろさん)」

        山云く「かって五老峰(ごろうほう)に遊びしや」

        僧云く「かって到らず」

        山云く「闍梨(じゃり)かって遊山せざりしか」

   (雲門云く・・この語は みな慈悲のゆえのために、落草の談あるなり)

【頌】未悟底の者に、婆々談義をしたのか、そうでなかったのか・・誰に解かるものか。

雲門の一語はデシャバリそのもの。

看よ・・五老峰は白雲重々。紅日杲々。右も左も天下の絶景だ。

評するに言葉は要らない。

寒山は拾得と手を携え、人間の臭気を嫌い天台山国清寺を去って、戻らなかったというではないか。

彼らは 知らぬ間に白雲紅日に溶け込んでしまったようだ。

  【頌】出草(しゅっそう)か、入草(にゅうそう)か、

     誰か尋ね たづぬることを解(げ)せんや。

     白雲は重々(じゅうじゅう)、紅日(こうじつ)は杲々(こうこう)、

     左顧(さこ)するに瑕(きづ)なく、右眄(うめん)すれば すでに老いたり

     君みずや 寒山子(かんざんし)、行くこと はなはだ早く十年帰りえず。

     来時の道を忘却したるなり。

 

【附記】仰山慧寂(814~890)は潙山霊祐(いさんれいゆう)の弟子。潙仰宗の祖。彼を中心にして、同時期の禅者を見渡すと、無門関・碧巌録など禅語録の名だたる禅者たちの活動と、その別離が錯綜している。

仰山を卓抜した禅者として評価するのは、かって陳源應真(ちんげんおうしん)に参禅した時、六祖恵能以来の貴重な円相97枚の装丁本を贈られたが、その価値を無視して、そっけなく焼却してしまった逸話がある。

他に、師との涅槃経についての問答・・どこが仏説、何処が魔説か・・と問われて、総是魔説「全部 大間違い」と否定。師をうならせたという景徳伝灯録の記載を見ても、さらに陳源亡きあと潙山の片腕となって、虎やオオカミが跋扈(ばっこ)する深山(大潙山)に禅院を建設、禅(潙仰宗)を提唱した禅者だからです。                               

仰山は・・禅の開拓者として、木を斬り、道場を普請し、田畑を耕作し自給自足の「禅ニヨル生活」を実践した・・逆境にめげない禅者でした。

仰山を取り巻く禅者の去来を見ると・・彼の生まれた814年・・百丈懐海(ひゃくじょう えかい)示寂。仰山9歳の時、雪峰義存(せっぽう ぎそん)逝去・・11歳の時、丹霞天然(たんかてんねん)死去。21歳の時、南泉普願(なんせんふがん)、40歳の時、師の潙山霊裕、52歳の時、徳山宣鑑(とくさんせんかん)。54歳の時、臨済義玄(りんざいぎげん)。56歳の時、洞山良价(どうざんりょうかい)。74歳の時、巌頭全豁(がんとうぜんかつ)示寂。そして仰山は77歳(890年)で示寂したが、その時の趙州従稔(じょうしゅうじゅうねん)は113歳。趙州は7年後に示寂した。

当時の時代を参考に追記すれば・・唐 武帝による仏教大迫害(会昌5年)は、仰山32歳の時。

仰山に禅院を構えたのは66歳の時である。

栄枯盛衰は世の常だが、禅者の「禅ニヨル生活」は、決して言説でつかみ取れるものではない。例えば食事をする・・そこに総てが現れているのだ。仰山の生きた時代を知るのは本(禅語録)以外にはない。が・・ソレはソレとして、臨済や趙州や仰山など先達のみならず、参考本著者、井上秀天さん・・(氏は終戦の年、神戸のご自宅の庭に出ておられて、B29の直撃爆弾で粉々になられたという)無常去来を看ることどもを・・大事にしたいと思います。3/11追記。

(この年代別の項註は「碧巌録新講話」井上秀天 著。昭和9年 京文社書店刊行 参考)

 

   

 

 

碧巌の歩記NO35 箸(ハシ)にも棒にも引っかからない噺・・

碧巌録 第三十五則 文殊前後三三もんじゅ ぜんご さんさん)

【垂示】圓悟が垂示した。この世の中には、竜に見せかけた蛇や、玉に見せかけた、ただの石コロ・・かと思えば、河原の砂利にまじる本物のヒスイ。白い顔でも肚黒の人。日焼けの黒顔でも潔白な人・・ゴチャゴチャ入り混じり真贋は定めがたい。

また人生、積極的に行動すべき時と、反対に事に当たっては再思する時がある。進退、正邪を見分ける額に一隻眼があるとか、仙人の持つ護符でもあれば事は簡単至極だけれど、事理の黒白、曲直を即座に判定しなければならない時、さあて・・どうするか。

ここに その事例をあげるから答えてみよ。

  【垂示】垂示に云く 龍蛇を定め、玉石を分かち、緇素(しそ)を別ち

   猶予を決するに もしこれ頂門上に眼(まなこ)を有し、

   肘臂(ちゅうひ)下に符(ふ)を有するにあらざれば、

   往々、當頭(とうとう)に蹉過(さか)するならん。

   ただ如今(にょこん)、見聞不昧(けんもんふまい)ならば、

   聲色(せいしき)は純真ならん。

   しばらく道え、これ皁(そう)か、これ白か。これ曲か、これ直か。

   這裏(しゃり)にいたって そもさんか辨(べん)ぜん。

【本則】唐代・・会昌五年(845)の頃、武帝の仏教大迫害に追い立てられて数多の僧が逃げ隠れた。文殊菩薩で名高い五台山の禅院は見る影もなく荒れ果てていたが、そこへ求道者、無著文喜(むじゃくぶんき 25才頃)が参詣した時の説話である。

ここに登場する文殊は菩薩の化身のように解説する本もあるが・・(私は異論あり・・)そうではなく、迫害にあって逃げもせず、だだ独りガンコに居残っていた達道の禅者であり、行脚途上の無著には文殊菩薩の再来のように思えたことだろう。まだ彼は修行の初歩の過程であり、この問答での本意を得ていない禅者の卵である。

彼は その後、862年・・仰山慧寂(ぎょうさんけいじゃく 潙仰宗814~890)に相見、大覚することになるが、ソンナ事は、ココのイマにふれる話ではない。

五台山に登った無著文喜に前に、まるで文殊菩薩を見まごうばかりの老いた禅者(師名不詳・文殊と仮名)が現れて問うた。

「お前さんは何処からおいでたのか?」

・・禅問答の玄関、挨拶だ(玄関といい挨拶と云い、いずれも禅語です)

無著「南方(支那)からです」

文殊「南方のありさまはどうか。暮らしはよくなってきたかい?」

無著「ハイ、今は人も集まり随分と安心に暮らしております」

文殊「どれぐらい(の規模)になったのだね」

無著「ある寺では三百人、別の寺では五百人です・・ところで、五

          台山では どんなご様子ですか?」

文殊「玉石混交、ゴチャゴチャでサマにならない状況だョ」

無着「どのくらいですか?」

文殊「前門に尋ね来る三三・・後門から逃げ去る三三」

   【本則】挙す。文殊もんじゅ)、無著(むじゃく)に問う

    「近ごろ いずれの處を離れたるぞ」

    無著云く「南方」

    殊云く「南方の仏法 いかに住持(じゅうじ)せりや」

    著云く「末法の比丘(びく)、少しく戒律を奉ず」

    殊云く「多少の衆ぞ」

    著云く「あるいは三百、あるいは五百」

    無著、文殊に問う「此間(すかん)如何(いかん)が住持せりや」

    殊云く「凡聖同居(ぼんしょうどうご)龍蛇混雑(りゅうじゃ こんざつ)」

    著云く「多少の衆ぞ」

    殊云く「前三三後三三」

【頌】幾重にも峰が連なる五台山系は俗塵を離れて、まるで藍を流した濃淡で彩られているようだ。

ここで無著文喜が、文殊菩薩と対談したなどと、見てきたことのように言いふらすのはイッタイ誰だ。

清涼(五台)山中 可憐な禅者が現れたものだな・・三人来たれば三人逃げ去る。まったくの素寒貧(すかんぴん 文無し)・・箸にも棒にも引っかからない、役立たずだナ・・

  【頌】千峰 盤屈(ばんくつ)して 色は藍(あい)のごとし。

     誰か謂う 文殊と これ対談せりと。

     笑うに堪えたり 清涼 多少の衆、

     前(ぜん)三三、後(ご)三三.

 

碧巌の歩記NO36 ◆葦芦(良し悪し)と思わずカニの横歩き・・仙厓義梵

  碧巌録 第三十六則 長沙 逐落花(ちょうしゃ らっかをおうてかえる)

【垂示】なし。

*長沙景岑(ちょうさ けいしん 不詳~868年死去?)湖南・長沙にある禅院第一世。南泉普願の弟子・・趙州従稔や陸亘太夫と同門。

時代として徳山、臨済、潙山など同時期。華厳哲学に精通した禅者。

日本の西行法師に似た一處不住、漂泊の禅者である。

【本則】大変、詩的な禅話を紹介する。

長沙景岑が風光明媚な洞庭湖の自然を、終日、遊山して禅院に戻ってくると、出迎えた首座(しゅそ・求道者を教導する学頭)が「どちらまでお行き為されましたか?」と尋ねた。

何気ない挨拶だが、実は・・ゴングが鳴って禅問答開始である。

さりげなく長沙はいう「山遊びに行きました」と。

「どちらへ山遊びですか」再度、首座は、なお、さりげなく問う。

長沙「始めは緑なす草原を行き、次に、花の散る風情をめぐってきました」・・爽やかに、禅境を問う鋭い問いを受け流す。

首座「どうやらこの辺りは、のどかに春めいてまいりましたね」とあいづちをうつと、これを受けて長沙は・・「この春景色は、秋露が枯れた蓮の葉に溜まる風景に勝ること百倍だね」と、返す刀(返事)で切り捨てた。

(雪賓、憤慨して著語して云く・・長沙の如き達道の禅者の許に、なんともまあ、横着な禅者モドキが、ゴロゴロと春の陽気にふて寝しているものだ・・と附言した)

  【本則】長沙、一日遊山し 帰って門首に至る。

   首座(しゅそ)問う「和尚 いずれの處にか去来せしや」

   沙云く「遊山しきたる」

   首座云く「いずれの處にか 到りしや」

   沙云く「始めは芳草に随って去り、また落花を逐(お)うてめぐりたるなり」

   座云く「大(おおい)に春意(しゅんい)に似たり」

   沙云く「また秋露(しゅうろ)の芙蕖(ふきょ)に滴(したた)るに勝れり」

   (雪賓 著語して云く 「答話を謝す」)

【頌】大地は繊埃(せんあい)を絶したり。  

   春景色は、まっこと長閑(のどか)につきる

 何人(なんびと)か 眼(まなこ)を開かざる。 

   誰だって遊山したくなるものだが・・

 始めは芳草に随って去り、           

   はじめは緑の草原へ       

 また落花を逐うて めぐれりと。      

   ナント帰りは落花をおうてめぐりめぐる・・と。

 羸鶴(るいかく)は 寒木に翹(つまだ)ち、    

   羽の抜け落ちた老鶴はポツンと枯木に止まり・・

 狂猿(きょうえん)は 古臺(こだい)に嘯(うそぶ)く   

   城跡に独り憐れな声で泣き叫ぶ猿の声。

 長沙 限りなきの意。            

   寂寥の山河、長沙の溶け込みようはどうだい。          

 咄(とつ)   

   咄(首座・求道者の妄想を吹き飛ばす気合一声) 

碧巌の歩記(あるき)NO37 雨降りゃ池の水は増すばかり・・!

  ◆達磨「無功徳」も「雨過夜搪秋水深」には敵(かな)わんなぁ・・

 

    碧巌録 第三十七則 盤山三界無法(ばんざん さんがいむほう)

【垂示】圓悟が、座下の求道者に語った。

どんなに機敏な人でも、イキナリの雷電(イナビカリと雷鳴)には肝を冷やす。また自分より一枚も二枚も上手(うわて)な、商売人や政敵に不意をつかれれたり、ゴリ押しの目に遭うと、どうにもならず、活眼を持つ根性者でないと太刀打ちは敵(適)わない。

欲得、肩書、知名度の現実生活にこだわって、スマホに一喜一憂するような輩は(幽霊モドキの電磁的情報に操られて)右往左往の生き方をすることになる。

さぁさぁ・・得とか損とか、言ったとか・・言わないとか、不安とか安心とか・・自己中であればあるだけ、ピカリ・グワラグワラ・・すさまじい雷嚇(らいかく)の一撃に茫然自失するけれど、こゝに挙げる不動の対応をなせる禅者に注目せよ。

  【垂示】垂示に云く、制電の機あるも いたずらに労して佇思(ちょし)すれば、

   空に当たって霹靂(へきれき)するも、耳をおおうに かないがたからん。

   脳門上に紅旗をあげ、耳 背後に雙剣(そうけん)をまわすも、

   もし是れ眼(まなこ)辨(べん)じ、手 親しきにあらざれば、

   いかでか よく構得(こうとく)せん。

   般底(はんてい)の低頭佇思(ていとうちょし)、

   意根下(いこんか)の卜度(ぼくたく)あれば、殊(こと)に知らず、

   髑髏前(どくろぜん)に鬼を見ること無数なるを。

   しばらく道え、意根に落ちず、得失を抱かずして、

   たちまち この恁麼(いんも)の挙覚(きょかく)あらば、

   作麼生(そもさんか)か祇對(したい)せん。試みに挙す看よ。

【本則】ある時、居並ぶ求道者に盤山寶積(ばんざん ほうしゃく)が垂示した。

人は「三界」という「幻想」に捉われて、迷いから抜けられないなどと云うが、それとて「幻想」にすぎないのだ。

もともと三界は無法(皆空)である。

いったい「皆空」のどこに「心」を求められよう。

      *三界・・宇宙の総称(仏教、須弥山説に基づく)

        ①欲界=相対的な欲望の動植物的世界

        ②色界=物理的な形物の事象世界

        ③無色界=欲界も色界も超越した精神的世界

      *無法・・皆空の意(天台・華厳・三論哲学に基づく)

  【本則】挙す。盤山(ばんざん)垂語して云く、

      三界には法なし。

      いずれの處にか 心(しん)をもとめんや。

【頌】盤山の境地には、無色界すらの臭いがない。

彼は白雲の下、溢れる泉水で琴を奏しているから、それを聴く人には「ただの水音」が聞こえるだけだ。こうした禅境(地)は、とうてい誰にも理解できないだろう。三界無法・・いずれの處にか・・求めずとも、チャンとチャンと、無法がしめされているのだが・・雨過夜搪秋水深・・ただ雨すぎて、夜半の池面は水嵩さが増してくるだけ・・ナントも・・「寂寥」の禅者の一語につきる。

    【頌】雪賓重顯 頌

       三界無法    三界には法なし

       何處求心    いずれの處にか 心をもとめんやと。

       白雲為蓋    白雲を蓋(がい)となし、

       流泉作琴    流泉(りゅうせん)を琴(きん)となして

       一曲両曲無人會   一曲両曲(いっきょく りょうきょく)するも

                  人の會(え)することなし。

       雨過夜搪秋水深   雨すぎて夜搪(やとう)には

                  秋水(しゅうすい)ふかし。

    

【附記】碧巌録大講座 第6巻 加藤咄堂先生講述 平凡社「景徳伝灯録・巻7」第37則 盤山上堂垂語(全文掲載)・・雪賓重顯は本則二句に加え、圓悟克勤は評唱で「四大本空~更無餘事」の六句としたが、さらに盤山の垂語は味わい深き長文であることを詳細に紹介しておられます(関心のある方は読まれるとよいでしょう)

私は、一則ごと膨大な評唱や、後の禅者たちが着語した多岐に渉る批評文は思い切って割愛して【垂示/本則/頌】の三項に限定して意訳しています。かえって求道者(読者)の想いが・・煩雑、分散してしまうからです。

*盤山寶積(詳細不詳)江西 馬祖道一の會下にあった禅者。嗣法の弟子は、ただ一人・・常に鈴を鳴らして行化する散聖(風狂)の禅者、普化(ふけ)和尚がいる。彼は、河北鎮州 臨済院 臨済義玄随身して名を遺した。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO38 駿馬はヒトムチで充分!

碧巌の歩記(あるき)NO38   

禅を語るに・・名馬には、たったの「一鞭/ムチ」で十分だ!  

 どんな難解な禅語録であれ、哲学書であれ、文字(言語)さえ理解できれば、その意味が理解できるのが人間同士というものだ。

ところが紀元千年頃、公案(問答)が、劇場型というか、芝居じみた形式のTPOを記録したものが散見しはじめた。

実際の人に面談せずの、書面を信じて人を看(見)ない・・西洋契約社会・情報過剰時代の先駆けである。

語録や行録は、当時の社会で仏教の弾圧による情報不足を打破しようと「保存・記録」された。しかし、行脚して達道の禅者を訪ね直接、その禅者の立ち居、振る舞い、とりわけ、その瞳の奥の、いわずもがなの・・ダルマ心印を看る・・求道の実際を(観念論的な行録に集約してしまい)次第に喪失してしまったようである。文字・活字に、徳山の「痛棒で頓悟」できる禅機はない。

中国(日本)で、権力(施政)者に受け入れられた「禅」ではあるが、かえって対面重視の庶民の生活から遠のいてしまった・・その宗教的儀礼の禅の演劇版・・事例がこの則でしょう。

碧巌録 第三十八則 風穴 祖師心印(ふけつ そししんいん)

                  風穴鉄牛(ふけつ てつぎゅう)

【垂示】圓悟が、座下の求道者に垂示した。

禅の提唱には、漸教的(小乗的教理)と頓教的(華厳的直観)を重視するやり方がある。どちらも道理にかなっているが、その中の頓教は、達磨の無功徳・・本来無一物・・どんな聖人君子であろうと智求不了(ちぐふりょう・知的財産権の及ばない、求めても得られない智慧)である。

さて、この頓・漸の教えによらず、禅の道理を提唱しようとすれば、禅(による生活)者には、ただの「一語(一悟)」で充分。

名馬には「一鞭」で沢山だ。

そんな駿馬の如き、優れた振る舞いに及ぶ禅者とは・・

どんな人だろうか?試みに挙す看よ。

 【垂示】垂示に云く。もし漸(ぜん)を論ずるも、

  また常に返って道に合し、閙市裏(にょうしり)に七縦八横ならん。

  もし頓(とん)を論ずるも、また朕迹(ちんせき)をとどめずして、

  千聖(せんせい)もまた模索不着(もさくふじゃく)ならん。

  もし、あるいは頓漸(とんざん)を立(りっ)せざれば、又 作麼生(そもさん)

  快人(かいじん)には1言、快馬には一鞭(べん)、正恁麼(しょういんも)の時、

  誰か是れ作者なるぞ。試みに挙す看よ。

【本則】禅、風穴寺一座の「ジョウドウ式」・・晴れやかな舞台、演劇様式の公演があった。紹介しよう。

時・949年 

場所・中国 湖北省(郢州えいしゅう)

   長官・吏史君(牧主)屋敷内(衙門がもん)にて・・

風穴老師に参禅師事した李史君長官の着任・祝賀の記念公演 

演題「上堂式・鉄牛の心印」 

観客 主賓 李史君(居士)長官以下 

      官僚・役人たち、寺僧たち多数 

主演 風穴延沼(河南省=汝州 ふけつえんしょう)

   869~973年 (57才時)

*略歴 進士(文官)に落第して禅法系・・黄檗臨済→寶應慧顒(ほうおうけいぎょう)に師事。

*飛び入りした助演者 盧陂長老(ろは ちょうろう)

 盧陂(ロヒと読む書もある)長老。風穴の参禅門下・・

 長老=立職完了、罷参(はさん・悟徹)の僧。

*佛心印・・釈尊~達磨以来の(言葉、文字で表せない)悟りの境地そのもの。

*鉄牛・・黄河の氾濫を防ぐ守護神。河南河北にまたがって安置された不動の大鉄牛。佛心印の例え。

晴れの長官屋敷の名誉な劇場で、風穴老師の独演会がはじまった。

居並ぶ長官や上級官僚たちの前で、風穴老師はイキナリ、釈尊の心印=禅ソノモノについて大見得をきった。

「インドから達磨のもってきた「禅のしるし」は、黄河にある大鉄牛の如しものですなぁ・・つまり、不動の鉄牛は、動かずして大河の氾濫を抑える大道の妙用じゃな。

これは釈尊ジキジキのハンコ(心の印)と同じじゃぞ」

居並ぶ観客は・・シン(心・愼・諗・眞・森・寝?)とした。

   (そこで机をコツンと叩くなりして、サッサと退場すればよいのに・・)

「印と云うのはな、印肉に押して紙の上に印紋を残す訳だが、印形を紙に押し付けたままでは、印紋がつぶれて見えないことなる。ソンなら印を押さずに、白紙のまま、スッキリさせておくのが良いではないか。それとも印紋が見えずでも、印を押し付けた方がいいか・・ドウジャロウかな?」

モトモト達磨の心印は「廓然無聖」・・カラリと晴れた青空を、ハンコ判にして押すのが是か、押さぬのが是かとアドリブで言い出したものだから、観客そっちのけで弟子の僧たちがザワついた。

そこで、その場を取り繕うとばかり、禅院の指導者である盧陂(ろは長者)が、かぶりつきから立ち上がって・・「ご老師よ・・私はチャント鉄牛の機を会得しておりますぞ。心印(禅)の捺印は要りません。ご無用に願います」と云った。

トコロが、壇上の風穴老師、どうゆう訳か、盧陂の応答を斬って捨てた・・「クジラを釣り上げて大海の大掃除をするワシじゃが、ナント、しょぼくれた泥ガエルが一匹つりあがったわ」

取り付く島もない言い草に、盧陂は茫然と立ちすくんだ。

風穴、手にした払子をフリフリ・・「我が寺の長老ともあろう者が、何か一句云うてみい」とせかしたものの、盧陂は口をモゴモゴさせるばかり・・

白けた無言劇(パントマイム)になってしまったのである。

禅劇もこれまでか・・と判断した主賓の李史君(長官)・・せっかくの記念式典を取り繕うとばかりに・・「仏法も王法も、その根本では一緒ですね」と観客席から合いの手を入れた。

(歌舞伎で言えば、とんでもないタイミングで「イヨ~ッ・・ナリタヤ~ッ」というところ)

すると舞台の主役、風穴老師が観客(主賓)の李史君長官に「今のヒトコトどんな道理で云われたのか?」と詰問した。

長官は・・「わずらわしい世事は、グズグズしないで、すぐに決断しないと禍根を残しますからね」と返答した。

これを聴くなり風穴老師サッサと舞台から降り姿をくらました。

これでどうにか・・舞台暗転。

THE ENDとなった。

  【本則】挙す。風穴(ふけつ)、郢州(えいしゅう)の衙内(がない)にあって、

   上堂(じょうどう)して云く「祖師の心印は、かたち鉄牛の機に似たり。

   去れば すなわち印住(いんじゅう)し、住すれば すなわち印破(いんぱ)す。

   ただ去らざれば、住せざるが如きは 印するが即ち是(ぜ)なるか。印せざるが即ち是なるか」

   時に蘆陂(ろひ)長老あり、出でて問う

  「それがしに鉄牛の機あり。請う師、印を塔(とう)せざれ」

   穴云く「鯨鯢(けいげい)を釣り、巨浸(きょしん)をすましむるになれたれば、

   かえって蛙歩(あほ)の泥沙(でいしゃ)にまろぶことを嗟(なげ)く」

   陂(は)佇思(ちょし)す。

   穴 喝して云く「長老 なんぞ語をすすめざるや」

   陂 擬議(ぎぎ)す。

   穴、一払子(ほっす)を打(だ)し云く

  「また話頭(わとう)を記得(きとく)するや。試みに挙せ、看ん」

   陂 口を開かんと擬す。穴、また一払子を打す。

   牧主(ぼくしゅ)云く「仏法と王法とは一般なり」

   穴云く「この何の道理をかみたるや」

   牧主云く「断ずべきにあたって断ぜざれば、かえってその乱を招くものなり」

   穴 すなわち下座(げざ)したり。

【頌】私(雪賓重顯)が、この芝居を批評するとしたら・・楚王城畔に集まる百川の流れが、鉄牛にまたがった風穴の一喝で、逆さまに(上流めがけて)流れを変えた・・ソンナ有り様だった。

  【頌】蘆陂を擒得(きんとく)して鉄牛にまたがり、

     三玄の戈甲(かかつ)には いまだ軽酬(けいしゅう)せず、

     楚王城畔(そおうじょうはん)朝宗(ちょうそう)の水。

     喝下(かっか)して かって かえって倒流(とうりゅう)せしめたり。

【附記】唐朝から宋朝にいたり、いわゆる看話禅(かんなぜん)の問答・商量が、儀式化した・・悪く言えば「問答するために問答する」芝居風の傾向が出てきたのです。

この人こそ、わが師にふさわしい・・と見込んだ弟子が、師に就いて坐禅や生活の中で・・独り一人の「禅」=心印を発見・発明するのではなく、問答の技巧(作為・造作)、てらい・オモネリ・・いわゆるコピペ作成の、集団的儀式にはまり込んでいく話です。

(文字・活字は、禅知識の普及に役立ちましたが、その一方、寺僧と大衆の欣求的組織化・・寺院の発展に貢献したようです。現代・・電磁的スマホ社会は、強烈な映像化、地球規模の伝播(電波)力で、活字文化を駆逐し、アリやハチの生活に似てきました)

例え、絶滅の危機にあろうと・・昔も今も、禅(坐禅)は独り一人にあり、マネ(コピー)できない「独り」の行いです。  

 

碧巌の歩記 NO39//次回は新年1月を期して掲載致します

   ●人生・功罪の【目☆】は、どこにある?

 

   碧巌録 第三十九則 雲門花薬攔(うんもん かやくらん)

                   雲門金毛獅子(うんもん きんもうのしし)          

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

悟道の禅者は、まるで虎が岩山から天下を睥睨(へいげい)しているようなものだ。求道未悟の者は、臭い檻の中の猿だ。自由もなければ、活気もない。

禅(佛性)は「一切衆生悉有佛性」・・総てのモノは悟り(仏性)を持つとの根本義で成立しているが、あらためて「悟り」とは何か?を問われると、暁の明星を看て大覚された釈尊のように、深くて深い求道発明の時節因縁がなければ、透過、見性することは難しい(とりわけ知的考察の鋭い者ほど迷いやすい。鼻先にクソをぶら下げて屁元をさがすような愚かしい行為になる・・故・澤木興道老師語録)だからムヤミやたらに求めても、決して青い鳥は飛んでこない。では、どうすればよいか・・名刀 正宗や虎徹のように、鍛冶師の爐鞴(ろはい。フイゴ)で百錬千鍛を受けるように、自らを坐禅のフイゴにかけることだ。二~三十年も坐禅を抜け目なく行えば、抜けば玉散る氷の刃(やいば)になっていよう。

さあ・・大用は現前して、佛性(禅)は、各自の眼前に、それこそ眼いっぱいにあるけれど、何を基準に目星をつけるのか?

    【垂示】垂示に云く、途中 受用底(じゅようてい)は、虎の山に似たるも、

     世諦(せたい)流布底(るふてい)は、猿の檻(かん)にあるが如し。

     佛性の義を知らんと欲せば、まさに時節因縁(じせついんねん)を観ずべく、

     百錬(ひゃくれん)の精金をきたえんと欲せば、

     これ作家の爐鞴(ろはい)をもちいよ。

     しばらく道え、

     大用現前底(だいようげんぜんてい)は、なにをもってか試験せん。

【本則】一つ禅話を示す。

ある日、庭の花の手入れをしている雲門文偃のところに求道者が来て問う。

「清浄法身(山川草木悉有佛性・禅)とは、どのようなものでありますか」

門云く「花薬攔」(花壇の花、言いようのない美しさだ)

僧云く「では、見るもの総て、如来法身と心得ます」

門云く「(あんまりだ・・それじゃアンタだけの・・)清浄だよ」

   【本則】挙す。僧 雲門に問う。

    「如何なるか 是れ清浄法身(しょうじょうほっしん)」

     門云く「花薬攔(かやくらん)」

     僧云く「すなわち什麼(いんも)にして去る時いかん」

     門云く「金毛の獅子」

【頌】雲門が花壇の花と答えたのに、ダマされてはならない。

言葉や文字は、ただの符牒(合言葉)にすぎない。

重さをはかるハカリの目星は、秤の棒についていて、載せたお皿にはないぞ。

「花薬攔」は、まさしく皿の中に載っていて目星ではない。

ハカリの目星に注意せよ。

   【頌】花薬攔を顢頇(ばんかん)することなかれ。

    星は秤(ひょう)にありて、盤(ばん)にはあらず。

    すなわち恁麼(いんも)とは はなはだ端(たん)なし。

    金毛の獅子を大家(たいか)みよ。

 

【附記】金毛の獅子とは、昔699年、則天武后が法蔵から華厳経の講義を受けた際、長生殿に片隅にあった金獅子像、置物を教材に、法界無盡の妙理を説いた逸話に基づく。大家を看よ・・とは、諸氏、みずから・・金毛の獅子を看るべし・・の意。何はともあれ、言葉について回れば誤解に誤解を重ねて、美しい花は(シャクヤクか牡丹か)見えてこない。

澤木興道老師について追記すれば・・

師は「発心 正しからざれば萬行むなし」と言われている。

坐禅して人様から尊敬される人間になってやろう、他人が仰ぎ見るような人になってやろうというようなことでは、坐禅しても無条件の坐禅ではなくて、ひもつきだから結局は坐禅にならない(中略)

むしろ看話(かんな)話頭のやりとり、駆け引きだけの興味になるであろう。(中略)道元禅師の只管打坐(しかんたざ)は、処世術でも技術でもない。人格そのものの真実である。

無常ということは、ただただ生きることである。

いかにして真実の生活をなすか・・の努力が・・佛、悟りの道の者なのである。何かのマネであったり、つくりものであったりしたならば、そんなものは人ごとであつても、佛(覚者)の道ではない。

佛道とは、いろいろな働きをする以前の、元の自分になること・・なのである。(中略)公案を用いる所では、確かに励みがついて一生懸命に坐禅するかもしれないが、励みがつくところに、我欲が知らず識らずの間に出張ってくる。そして、そこにあるものは、人生から遊離した自己の芸当である。                 

   「禅に生きる澤木興道」酒井得元著 誠信書房 昭和31年発行。

有(会)難とうございました。2018-12/31

 

奉魯愚・・はてなブログ「禅・羅漢と真珠」ご覧ください。

一休さんを紹介しています。2019-1-2

碧巌の歩き NO40 人は しばしば寂寥の天地に立つ!

   碧巌録 第四十則 南泉一株花(なんせん いっしゅか)

              陸亘天地同根(りくこう てんちどうこん)          

【垂示】圓悟が垂示した。宇宙の森羅万象を萬法一如の見地から見れば、鉄の木に花が咲く・・そんな不思議もあり得よう。

実際に鉄樹開花の時には、狡猾な猿でもビックリして木から落ちることがあるという。禅機を自由自在に発現して活躍する者でも、達道の禅者に機先を制せられて、鼻を明かされることもある。

さて、そんな手抜かりをして失敗するのは、どうしたことであろうか。試みに、この話をよく吟味してみよ。

      【垂示】垂示に云く、休し去り、歇(けつ)し去れば、

       鉄樹(てつじゅ)も花を開く。

       有りや 有りや。黠児(かつじ)も落節す。

       たとえ七縦八横(ななじゅうはちおう)なるも、

       他の鼻孔(びこう)をうがつことをまぬがれざらん。

       しばらく道(い)え、訤訛(こうか)いずれの處にある。

       試みに挙す看よ。

【本則】唐代に蘇州で重要な官職についていた陸亘(りくこう)が南泉(普願748~834)と歓談していた時・・「かの肇法師(ちょうほうし・後秦410年頃、仏教学者、羅什・らじゅうの弟子・・)が、天地と我とは同根。萬物と一体なり・・と言われたことは、求道未悟の者には、解かったようで解からぬ出来事となりませんかねぇ」と問いかけた。

すると南泉は陸亘に、庭に咲く花を指さして「ご覧なさい。あの花は露堂々な天地同根でありましょう。理屈抜きに、風に舞い蝶に歌う花と香りを聞かれてはいかがか・・」と云った。

   【本則】挙す。

    陸亘大夫(りくこうたいふ)南泉(なんせん)と語話する次(とき)、

    陸云く「肇法師(ちょうほうし)は、天地と我とは同根にして、

    萬物と我とは一体なりと道えり。また、はなはだ奇怪なり」

    南泉、庭前の花を指(さ)して、大夫(たいふ)を召して云く、

    「時人(じじん)は、この一株の花を見ること、夢の如きに相似(に)たり」

【頌】一元論者を気取っている者に、天地同根は味わい得る境地ではない。自然の風景(山河)は、どんな文字言葉にも尽くしがたい禅境(地)そのものだ。冷たい冬の気配が身に迫り、月は山の端に落ちる・・そんな澄み切った寂寥の境地を、いったい誰と共に味わい得ようか。

  【頌】聞見覚知(もんけんかくち)は一、一(いちいち)にあらず。

   山河は鏡中(きょうちゅう)の観にはあらず。

   霜天(そうてん)月落ちて夜まさに半(なかば)ならんとす。

   たれと共にせんや、澄潭(ちょうたん)照影(しょうえい)の寒きを。

 

【附記】真の禅者は「寂寥」(せきりょう)を知る・・とは、富山県高岡の臨済宗国泰寺派本山・国泰寺、故・江南軒 勝平大喜(かつひらたいき1887~1944)老師の言葉である(著書「歓喜の心」昭和48年松江市万寿寺静座会発行より抽出)

この禅語録の意訳や、はてなブログ、随想「禅・羅漢と真珠」に仏教でいう「無常観」を「独り・寂寥心」として、随所に使わせていただいている。

師は、言葉を次いで・・「人は、しばしば寂寥の天地に立つ。この境地に立てぬ者に、立派な人はいない」

 

もう一つ・・この江南軒に師事、参禅して、大魯(たいろ)の居士号を印可された京都/滋賀坂本・美術家(書/画/陶芸)故・加納白鷗(1914~2007)の禅境画に「天地同根 萬物一体」の花猫図がある。これは1988年9月10日から10月30日まで、アメリカ、カリフォルニア パサデナ「パシフィック アジア ミュージアム」で開催された【 One with ZEN 】案内ハガキに紹介されたものだが、いずれ、出版時には掲載を予定します。

 

絵画や映像物(書、漫画)は、作者の禅境(地)を視覚的に決めつけてしまい、「禅」を先入観で見てしまう傾向がある・・ので注意を要する。

仙厓や白隠良寛、一休などの禅境書画は、本来、彼らの飢えを満たす・・コメみそに変える唯一の代金代わり・・揮毫だった。

美術品としての価値観を持って見る現代人には、禅者の真の禅境は窺い知れないものとなってしまった。

たとえば・・龍安寺の石庭を・・「畑にすべし」・・と観る人があれば・・禅を語るに足る人としておこう。

たとえば・・「聞かせばや、篠田の森の古寺の、小夜ふけ方の雪の響きを」(白隠)の寂寥を覚(し)る禅者こそ、頌「誰共澄潭照影寒」を識るのである。