碧巌の歩記(あるき)NO70  (NO70、71、72=3則)

この七十則、七十一則、七十二則の三則は、百丈懐海(ひゃくじょう えかい=720~814)を師とする、潙山霊祐(いさんれいゆう 771~853)五峰常観(ごほうじょうかん)筠州(きんしゅう)=江西省の人、不詳。雲巌と同期生)雲巌曇晟(うんがんどうせい 782~841 潭州=湖南省、雲巌禅院)の禅問答・・その三部作の第1話である。

編集者、雪竇は、百丈の問いかけに対して、弟子三人、それぞれの禅機をみるために分割した・・と考えます。

始めに潙山に、次いで五峰に、最後の雲巌に、まったく同じ問いをしかけたのは、多分、彼らの年齢順であり、次の二則に【垂示】が欠落しているのは、同義の公案。答えはそれぞれの答者のひとつだけ。

わざわざ「同じ問い」に解説不要としたか、または、大慧宗杲(たいえしゅうこう)による・・碧巌録は修行の邪魔として焼却した事件(1141頃?)により、遺失したものか・・いずれにせよ、欠落しています。

*圓悟克勤(えんごこくごん 1063~1135) 碧巌録撰述 1115頃? 刊行1128) 

内容・・雪竇【本則=公案】頌(じゅ)。圓悟【垂示】著語、評唱の五部門で成立。 

大慧 碧巌録焼却1141頃? 圓悟の弟子。曹洞の黙照禅に反して、臨済公案禅=看話禅を標榜(ひょうぼう)、提唱した。中国、臨済宗、中興の祖と称せられる傑出した禅者であったが、門下の求道者たちが、臨済のいう・・自己の面前に出入する一無位の「真人」・・参究の道を誤り、いたずらに文字・言句の解釈にうつつをぬかす口頭禅の様子に憤慨して、焚書狂言を演じて見せた。(現代日本の仏教界=禅宗の寺僧たちや、佛教学者たち、関心を持たぬ庶民、スマホ社会の風潮とまったく類似した生活風景です)

 ●私が意訳する「碧巌録」の骨子は昭和九年、京文社発行、井上秀天著「碧巌録新講話」が、重要参考本です。その前書き(歴史的研究)末尾の言葉を記しておきます。

「実を言えば、この碧巌録は、あまりむつかしい性質のものではない。禅の深遠なる玄旨を、造作なく俗耳にでも入るように、雪竇、圓悟が、当時(宋)の俗語をもって、面白おかしく提唱したものであるから、これを日本訳するには、現代の通俗語を使用して、なんびとの耳にでも、スラスラと入るようにすべきものであろう」

このように、一九三四年、漢文和訳された一千頁余の本ですが、それから八十有余年・・経過した今日・・解かりやすい日本語であつたはずが、すでに漢文古語になってしまっている次第です。

戦前、井上秀天は、原始仏教、東洋思想研究家。禅宗、佛教に根差した非戦・平和を提唱して、政局・宗教界・寺僧に憚らぬ方であつたと言われています。

残念ながら、終戦直前、神戸空襲の日、爆撃のB29を庭先で見上げておられた、その真上で爆弾がさく裂。爆死なさった・・(1945-3-17 六十六才 鳥取県出身)と聞きます。資料が大変、少ない方です。

 

碧巌録 第七十則 百丈併卻咽喉 (ひゃくじょう いんこうをへいきゃくして・・)

                                                潙山請和尚道(いさんおしょう こう いえ

【垂示】圓悟が垂示した。

一を聞いて十を知るような人には「一語」で充分・・駿馬を走らすには、たったのひとムチでことたりる。(三十八則 垂示と同義)

つまり一念は万年のなかにあり、万年は一念そのもの(色即是空=心経)だ。快人である禅者は、この世の事象、葛藤を、それが発生しない内に、判定、裁断しなければならない。いや、葛藤の起こる前に、裁断する機敏さが大事だ。

例えば、喉が渇いた・・と思う前に、茶が差し出されるように・・。例えば・・自然の四季は、冬にいて、春を待望する前に、白梅のつぼみがふくらんでいるように・・。

サテ・・この事象の発生する前に、いったい、どの様にして、その直截を行動できるのか・・次の事例を看よ。

   *垂示に云く。快人(かいじん)には一言。快馬には一鞭(べん)。

   萬年は一念。一念は萬年。

   直截(じきせつ)することを知らんと要せば、

   未(いま)だ挙(こ)せざる已前(いぜん)に於いてなるべし。

   且(しば)らく道(い)え、未だ挙せざる已前に、

   作麼生(そもさん)か模索(もさく)せん。請う擧す看よ。

【本則】百丈山の禅林であった一日の問答話をあげる・・擧す。

霊祐、常観、曇晟の三人が、師の前に起立した。

百丈が潙山に問う・・

「顔無し(口や舌や唇なし)で、如何に、禅を語れるか」

潙山云く「師よ、まず師が、その模範をお示しください」

百丈云く「ヤレと言われりゃ、やらぬでもないが・・やって見せれば、この世から「禅」が消滅。禅者が断絶してしまうので、やる訳にはいかないのだよ」

 *潙山。五峰・雲巌の名を、後の居住した山の名で記されているのは、碧巌録が、彼らの在世中の話ではなく編集、作成されたことを表わしている。

百丈懐海(当時35才)の社会は、唐の玄宗皇帝(70才)が・・(蜀の玄琰(げんえん)の娘、揚太眞を貴妃としたのは745年)・・楊貴妃(36才)と西安、華清宮で豪遊をかさねる・・白楽天の「長恨歌」にうたわれた「春さむく、浴を賜る華清池。温泉、水なめらかにして、凝脂を洗う」・・頽廃の時代だった。

禅林も僧侶たちは、何が「出家」か・・家出の間違いではないか・・と言うほど、倫理・道徳が乱れに乱れた中で、百丈は、禅寺(叢林)の団体生活の規律を定めた規矩(きく)制定=禅林清規(しんぎ)・・を制定して、いわば禅者のモラルを立て直した、たぐいまれな禅者でした。

「一日作(な)さざれば、一日食(しょく)せず」・・人の為に働けないのなら、食べないことにする・・この、己に向かって断言した勤労実行宣言。すごい「禅者の一語」です。

同じ中国の共産党・・習キンペイさん・・狐もハエも叩く・・正直に働かざる者、食うべからず・・と、えらい違いです。百丈山にお参りして、爪の垢でも煎じてのまれるとよいでしょう。

百丈の言い分は、そうしたドン図まりのどん詰まり・・「禅者の一語」は自らが体得して、禅による生活を行いなさい・・の意でもあります。

  *擧す。

   潙山(いさん)・五峰(ほごう)・雲巌(うんがん)、

   同じく百丈(ひゃくじょう)に侍立(じりつ)せり。

   百丈、潙山に問う「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

   作麼生(そもさん)か道(い)わん」

   潙山云く「却(かえっ)て請う、和尚 道(い)えよ」

   丈云く「我 汝に向かって道うことを辞(じ)せざるも、おそらくは巳後(いご)、

   わが児孫(じそん)を喪(うしな)わんことを」

 

【頌】潙山はナカナカの豪の者だ。まるで虎が犀の角をはやして草むらから飛び出したような出来事だ。

生徒が先生を試験するとは・・。

現実世界五州と理想郷五州、あわせて十州の、枯れ木に花を咲かせたような春爛漫の地も、過ぎれば真冬の枯山水

しかし、言語を絶した禅者は、まるで南洋の珊瑚のように、陽を浴びてキラキラと輝やいている。

  *却って請う、和尚 道えとは。

   虎頭(ことう)に角(つの)を生じて荒草(こうそう)を出でたるなり。

   十州(しゅう)には春盡(はるつ)きて、花は凋残するも

   珊瑚(さんご)樹林(じゅりん)には日杲杲(ひこうこう)たり。

【附記】クレオパトラと並び称せられた楊貴妃(27歳)が、玄宗皇帝(61才)に見初められたのは、紀元745年の事。中国7~8世紀へ、タイム・トラベルできたら、動乱、頽廃の世相の中、禅の勃興期、どうやら、この時期の宮廷、楊貴妃の容姿を、百丈老師とともに見られたかもしれない・・しかし、アシタに紅顔の美少年(少女を意味した)夕べに白骨となる・・ならば・・観光・就職コネ旅行は中止にして、退散するのが(百丈わずか26才の時ですから・・)正解でしょう。

*老師というのは、年老いた師の意味ではなくて、近しい先生の意

 

 碧巌の歩記(あるき) NO71  

碧巌録 第七十一則 五峰和尚併却 (ごほうおしょう へいきゃく)

                百丈問五峰(ひゃくじょう ごほうにとう)

【垂示】ありません・・ 前則に関連する、百丈の五峰(弟子)への問い(公案)ですから、圓悟の、ワザワザの垂示はありません。

 

【本則】百丈、今度は五峰に向かって「口で・・ではなく、禅者としての一語を云え」と迫った。

五峰云く「老師よ、まずは、貴方から口で・・ではなく、その禅者の一悟をお示し願います」

百丈云く「ようしヨシ・・お前さんの来るのを無人(尽)の境地で、手を額にあて遠く望んで、待ち受けよう」

(圓悟 箸語(ちゃくご)して「土曠(どこう=十万億土の地に)人稀相逢者少(ひとあいあうはまれなり・・やくそくはできないぞ)」・・ソンナ遠方で待ってるようなお人よしはイナイゾ・・の意)

  *擧す。百丈、復(また) 五峰に問う。

  「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

   作麼生(そもさん)か道(い)わん」

   峰云く「和尚、また、すべからく併却すべし」

   丈云く「無人の處(ところ)にて斫額(しゃくがく)して汝を望まん」

 

【頌】師、百丈に一切の媒体を除去して悟道の一語を云えとは。

まるで、不敗の龍蛇を布陣した百丈の手元をすり抜けて、斬り返した五峰のハカライ、見事である。この非凡な働きは、古の李将軍の逸話そのものだ。

万里の天空を飛翔する鶚(ミサゴ)に比すべき百丈を見事に射落とした手際は、李将軍以上の英雄と呼ぶべき者であろう。

  *和尚 また併却すべしとは。

   龍(りゅう)蛇陣上(だじんじょう)に謀略を看せしめたるなり。

   人をして長く李将軍を憶(おも)わしむ。

   萬里(ばんり)の天遍(てんぺん)には一鶚(いちがく)を飛ばせり。

 

【附記】潙山、五峰ともに、問答をしかけられた師、百丈から否認されてはいない。しかし、潙山は虎であるのに猫に見せかけて、五峰は龍であるのに蛇に見せかけて、その禅境を表わしたが、まだ百丈の口舌、言句の網の中に囚われている。趙州や臨済の如き悟境は、まだまだの若虎、土龍・・未だ天龍にいたらぬ時期であると言えましょう。

 

碧巌の歩記(あるき) NO72  

 碧巌録 第七十二則 雲巌和尚有也 (うんがんおしょう ありや)   

             (百丈問雲巌 ひゃくじょう うんがんにとう)

【垂示】ありません 

前則に連続する百丈の弟子、雲巌への問い(公案)ですから、圓悟のワザワザの垂示はありません。

【本則】擧す。百丈、また雲巌に問う。

「口や舌や発声なしで、禅者の一語を道(い)うて看よ」

雲巌云く「老師よ、さっき、五峰さんに、老師から先にどうぞ・・と言われて言語媒体を捨て果てた・・と思っていました。・・のに、まだ、こだわっておられるのですか」と逆ネジを喰らわせた。

百丈云く「ウーム・・お前さんの云う通り、親切の限りを尽くして聞かせてやったが、このような有様では、将来は口達者な者ばかりの、禅者絶滅種と成りはてよう・・な」

   *擧す。百丈、また雲巌(うんがん)に問う

   「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

    作麼生(そもさん)か道(い)わん」

    巌云く「和尚 有りや、また、未(いま)だしや」

    丈云く「我が児孫を喪(そう)せん」

 【頌】口舌、言語を絶して「禅者の一語」を道(い)えと迫られて、雲巌「老師、いまだ自己の言語を絶しておられないのか」と返した。まるで文殊菩薩の乗られる、金毛の獅子の如き振る舞いだが、残念ながら、この場合は、眠れる獅子である。

潙山、五峰、雲巌の三人、まだ若く、修行中の身で、それぞれ、共に、先達の歩いた道のコピペ風の講釈ばかり。

獅子吼するような、機鋒するどい一語がでないので、さぞかし百丈、がっかり、歯がゆい弟子たちと思ったのに違いない。

大雄山、百丈の指鳴らし二十有余年。まあ、こうした禅者の寂寥の末路はよくあることだ・・これは百丈を讃えている言い方です)

   *和尚 有りや、また未だしやとは。

    金毛(きんもう)の獅子(しし)の踞地(こじ)せざりしなり。

    両々三々(りょうりょうさんさん)は舊路(きゅうろ)を行き、

    太雄山下(だいゆうさんか)には空(むな)しく弾指(だんし)。

 

はてなブログ「禅のパスポート」(無門関 素玄居士/意訳)ごらんください。

 

 

碧巌の歩記(あるき) NO73

智蔵(ちぞう)の頭には白頭巾(しろずきん)。

懐海(えかい)の頭には・・黒頭巾(くろずきん)

 

碧巌録 第七十三則 馬祖四句百非 (ばそ しくひゃくぴ)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

維摩経」(羅什三蔵訳)に、真如は全宇宙に遍在して、分別・相対の世界を超越したものであるから、法を説くべきもなく、示すべきも無い。

また、法を聴くべきもなく、得るものもない・・とどのつまりは、無説無示。無聞無得である・・とある。

されば、偉そうに禅の師が、高座説法などする必要はないし、黙っているのが一番だ。また、求道者は、何もお寺に参詣して、坊さんから説法してもらう必要もない。

いま、ここに、こうして老僧(圓悟)が話をし、お前達(求道者)が聴いている訳だが、これは・・「真如」の世界から、遠く離れてしまった事になる。

こんな提唱(集いごと)は、お互い、過ちの上塗り作業だ。

サテサテ・・どうしたら、このような大間違いをしでかさずに、「透関のまなこ」をもつ、禅者になれるのであろうか・・

試みに挙す。看よ。

  *垂示に云く。

   それ説法者は、無説無示。それ聴法者は、無聞無得。説くこと、 

   すでに無説無示なれば、いかでか、説かざるにしかんや。

   聴くこと、すでに無聞無得なれば、いかでか、聞かざるにしかんや。

   すなわち、無説また無聴にして、かえって些子(しゃし)にあたれるなり。

   ただ如今(にょこん)、諸人(しょにん)、

   山僧が這裏(しゃり)にあって説くことを聴く。

   作麼生(そもさん)か、この過ち(あやま)を免得(めんとく)し、

   透関(とうかん)の眼(まなこ)を具する者なるぞ。

   試みに挙す。看よ。

 

【本則】ある日、求道者が馬祖山の道一老師に向かい「一切の相対的思索と文字、言説を超越した・・達磨が中国にやってきた目的を・・端的に指摘してください」と、訳知り顔で斬り込んだ。

ところが馬大師は・・「今日は大変に疲れているので、お前さんに説くことあたわず、(西堂の)智蔵に聞け」と言う。

彼は、ただちに智蔵に問うた。

すると・・「どうして馬大師にお尋ねしないのか?」

「先ほど、お尋ねしましたら、あなたに聞けとのことですので、お伺いした訳です」

智蔵「ワシは今日、頭痛がしてアンタに話ができない。いっそ、海兄(かいひん=百丈懐海)に尋ねることだ」・・というので、この質問を百丈に持ち込んだ。

懐海「そんなこと・・わしに解からぬ」

結果・・求道者は、ぐるり一巡して、智蔵と懐海の接待ぶりを馬大師に話した。

すると馬大師は、二人の禅機を比較して「智蔵は素人(しろうと)。懐海は玄人(くろうと)。その簡潔ぶりはナカナカだ」と言った。

 *擧す。僧、馬大師(ばたいし)に問う。

  「四句を離れ、百非を絶して、請う。

  師、それがしに西来意(せいらいい)を直指(じきし)せよ」

  馬師(ばし)云く「我れ今日(こんにち)、労倦(ろうけん)。汝が為に説くこと能わず。  

  智蔵(ちぞう)に問取(もんしゅ)し去れ」

  僧、智蔵に問う。

  蔵云く「なんぞ和尚に問わざる」僧云く「和尚来(き)たり問(と)わしむ」

  蔵云く「我れ今日、頭痛す。汝が為に説くこと能わず。

  海兄(かいひん)に問取しされ」

  僧、海兄に問う。

  海云く「我れ這裏(しゃり)に到っては却(かえ)って不會(ふえ)」

  僧、馬大師に挙示す。

  馬師云く「蔵頭(ぞうとう)は白(はく)、海頭(かいとう)は黒(こく)」

 

*蔵頭白、海頭黒・・意味の由来について・・

昔、福建省(閩・びん)に頭巾(ずきん)が白の候白(こうはく)という山賊と、頭巾が黒の候黒(こうこく)という山賊がいた・・という説話に基づく。

秦観の准海閒居集(じゅんかいかん きょしゅう)=以下=解読・井上秀天著、碧巌録新講話による・・(略記・紹介)

ある日、候黒が女と井戸端で深刻な顔つきをしているところに、候白が通りかかり、その訳を尋ねた。女が貴重な耳飾りを井戸に落として弱っている・・という。君が拾い上げたら、お礼に、その価値の半金を進呈する。

これを聞いて候白、そっと候黒に耳打ちした・・「よし、その儲け話し、引き受けた・・が、拾い上げた上は、あの女を騙して、全部をワシの物にしたい」と要求した。

侯黒が承知したので、候白、衣服を脱いで井戸の中に入った隙に、候黒は、身ぐるみの一切合切を盗って、女と共に逐電してしまった。

古い閩人(びんじん)のコトワザに「我は候白、彼、更に候黒」=自分はヨッポドの悪者と思っていたのに、彼は一枚、上手の悪(わる)だ・・の意味でつかわれている。

*この話は、求道者が、智蔵と懐海のとった応対に納得できず、馬祖に報告(告げ口)したので、馬祖は、智蔵の対応の穏やかさと、懐海の明瞭なハネツケ方を聴き比べて、二人の禅機を審判したのであろう。(僧擧馬大師・・は、告げ口の様子をあらわす)

*従来、馬祖の「蔵頭白、海頭黒」は、四句を離れ百非を絶して、達磨西来の意味を問う公案の、【答え】の如き印象をあたえているが誤解もはなはだしい。智蔵に聞け・・懐海に尋ねよと言っているだけだ。それに、それぞれの自悟独証があることに気付くことだ。

 

【頌】「智蔵の頭には白頭巾。懐海の頭には・・黒頭巾」と、馬大士は、四句百非の禅機の判定をしたが、この真意を心得た禅者が、果たしているかどうか。

実際、馬大士は、なみいる禅者たちを踏み分ける奔馬そのもの。

臨済をたとえて、白昼、公然と、人の物を強奪する(ひったくるような)禅者だと言うが、馬大師の前では、ひどく影が薄い存在だ。

かの求道者は、求道の行いを、大義名分や論理的証明にウツツヲ抜かす妄想の人である。禅は、ただ一人、坐して自から自證せよ。

  【頌】蔵頭は白く海頭は黒きを、明眼(みょうがん)の衲僧(のうそう)も會(え)することをえず。

    馬駒(ばく)は踏殺(とうさつ)せり天下の人。

    臨済(りんざい)はいまだ是れ白拈賊(びゃくねんぞく)にあらず。

    四句を離れ百非を絶す。天上人間、ただ我れ知れよ。

 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO74 禅は棒・喝のみにあらず。

●サアサ・・ご飯が出来ました!温かい内にどうぞ・・

碧巌録 第七十四則 金牛飯桶 (きんぎゅうはんつう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に向かって垂示した。

禅者は、どんな葛藤や、難問題でも、草薙(くさなぎ)の剣を一閃するようにスパット解決して、明鏡のごとき般若の智慧を輝かせ、いかなる文字、言句でも、真実一路の保証印付でなくてはならぬ。

着衣喫飯・・日常生活そのままが大悟徹底の行い・・そのものである・・が、いざ、非常時には、どのように対応しているのか。

理解できない者は、次の下文を看取せよ。

  *垂示に云く、鏌鎁(まくや)横に按(あん)ずれば、

   鋒前(ほうぜん)には葛籐窠(かっとうか)を翦断(せんだん)し、

   明鏡(みょうきょう)高くかかれば、

   句中に毘盧印(びるいん)を引出(いんしゅつ)せん。

   田地(でんち)隠密(おんみつ)の處にては、著衣喫飯(じゃくえきっぱん)せんも、

   神通遊戯(じんつうゆげ)の處にては、

   如何にしてか湊泊(そうはく)せんや。また委悉(いしつ)せりや。

   下問(げもん)を看取(かんしゅ)せよ。 

【本則】むかし・・鎮州に金牛と呼ばれた老師がいた。

多くの求道者の面倒をみて、食事時には、味噌擂(す)り、ご飯炊き、一切合財ととのえて喜色満面、呵呵大笑(かかたいしょう)して「さあさ・・菩薩(求道者)たちよ、ご飯が出来たから、おあがりなさいよ・・」と、誰へだてなく、厚遇、接待をしていた。

  (雪竇云く・・金牛坊主に騙されるなよ。必ず、どこぞの家主のように、 

  「タダメシは食わさんぞ。まずは家賃の値上げを・・」と言うはずだ!)

後世になって、この話を、ある求道者が長慶慧稜(853~932)に持ちだして問うた。

「いつも、どの禅寺でも財政難で大変ですのに、金牛和尚は、いったい、どんな気持ちで、自分の財産をなげうって、求道者たちを養ったのでしょうか」

長慶云く「多くの求道者を養う資金を持っている・・その感謝の祈りであろうサ。高慢なホドコシ顔より偽善気分がなく、うれしい感謝の顔の方が、お互いに、いい気分じゃないか」

  *擧す。金牛(きんぎゅう)和尚、齊時(さいじ)にいたる毎(ごと)に、

   自(みずか)ら飯(はん)桶(つう)をもって、

   僧堂の前において舞をなし、呵呵大笑(かかたいしょう)して云く

   「菩薩子喫飯来(ぼさつしきっぱんらい)」と。

   (雪竇云く、しかも、かくの如くなりと雖(いえど)も、

   金牛これ好心(こうしん)にあらず・・と)

   僧、長慶(ちょうけい)に問う。

   「古人 道(いわ)く。菩薩子喫飯来・・と。意旨如何(いしいかん)」

   慶云く「おおいに齊(さい)によって慶讃(きょうさん)するに似たり」

 

【頌】金牛和尚の、自ら飯を炊き、自ら僧堂に配膳して「サアサ、菩薩の方々、ご飯が出来たよ」と明るく笑いながら求道者をもてなしたことは、詩的に表現すれば「白雲影裏に笑い呵呵」である。

禅は棒・喝のみにあらず。平凡な日々の生活中に真理あり。

施しをもらって喜ぶごとく、施しをなして喜ぶ人は極めて少ない。

長慶は、真の禅者(金毛の獅子)である。

金牛のいた鎮州の彼方、遠く三千里の明州にいながら、金牛の「禅禅による生活=禅者の行い」を見抜いている。

  *白雲影裏(はくうんえいり)に笑呵呵(わらいかか)。

   両手にもち来たって他に付與(ふよ)せり。

   もし是れ金毛の獅子子(ししじ)ならば、三千里外に訤訛(ごうか)を見ん。

 

【附記】馬祖道一(709~788洪州 馬祖山)の弟子・・鎮州、金牛和尚は、どうやら・・何不自由のない富豪でありながら、晩年、特別の動機で出家。自分の莫大な資財を投げ出して、多くの求道者を供養して自ら、おおいに満足していた・・と推測する以外、詳細不明。

*碧巌録 第七十四則と第九十三則【本則】問所・・に記録されている事例は、円熟した境地の禅者と、禅機の覚心したかの如く見せかけている者との対比が鮮やかである。

碧巌の歩記(あるき)NO75 【人間は(地球にとってno)フンコロガシである】

【人間は(地球にとっての)フンコロガシである】

武田邦彦先生は、昆虫「糞ころがし」の生態から、人間が、地球の廃棄物=石油、石炭空気、水、放射性物質などを寄ってたかって、せっせと取り込んで生計を立てている「地球にとってのフンコロガシ」のようだ・・と、以前、ブログで語っておられるのを、思わずメモしてタイトルにしました。しかも、それだけなら、まだしも、昆虫のフンコロガシに悖(もと)るのは、傲慢にも、生きている動植物を殺し、生活に利用し、殺人、戦争を行い、すべてが人間の為に存在しているかのような、傲慢な生き方をしていることだ・・と意見されています。

PCで本物の昆虫「糞コロガシ」の写真を見て感動しました。

彼らは動物の廃棄物「糞」の中の、わずかな栄養分を食事にして卵=次世代を生かせるべく、せっせと糞を丸め、逆立ちして後ろ足で、転がして巣に運びます。

そのヒタスラで一生懸命なこと。この語源・・「一所懸命」一つ所で命を懸ける・・は、まるで、フンコロガシの為に、創られた文字のようです。ただし動物である人間だって、地球という惑星の一つで、一所懸命に頑張らねばならないはずなの・・ですが・・。

 

碧巌録 第七十五則 烏臼 屈棒屈棒 (うきゅう くつぼうくつぼう)

【垂示】圓悟が垂示した。

禅者たるものは、霊妙な切れ味の宝剣を、いつも携えていて活殺自在の働きをなす。つまり、把住(積極的手段)と放行(消極的手段)の二つの行為である。どんな出来事の優劣でも、褒(ほ)めるも貶(けな)すも、掴(つか)むも放(はな)つも意のままにできるのだ。主客に拘泥しないで、相対的見地に囚われない・・そんな行いは如何に為せるものか・・次の話を看よ。

  *垂示に云く、

   霊鋒(れいほう)の寶剣(ほうけん)、

   常に前に露現(ろげん)すれば、亦よく人を殺し、亦よく人を活(かっ)す。

   かしこにあるも、ここにあるも、同得同失(どうとくどうしつ)。

   もし提持(ていじ)せんと要せば、提持するに一任し、

   もし、平展せんと要せば、平展せんに一任せん。

   且(しば)らく道(い)へ、賓(ひん)主(しゅ)に落ちず、

   囘互(えご)に拘(かかわ)らざる時、如何(いか)にせん。

   試みに挙す看よ。

【本則】ある禅者が定州の石藏(せきぞう)和尚の僧堂から、烏臼(うきゅう)の禅庵にやってきた。

烏臼「定州の禅風は、わしの處と変わっているかな?」

禅者「別段、変わりありません」

烏臼「どこも同じなら、ワザワザここまで来るには及ぶまい。サッサと帰れ」と言いざま、手にした棒で、ピシッと一打した。

禅者「なんとムチャな。あなたの棒は人の価値を見分ける眼が無いようですね」

烏臼「今日は、打つに手ごろな奴が来たものだ」と言って、さらに、立続けに三回打った。

禅者は閉口して庵を逃げ出そうとした。

その姿を追いかけるように・・烏臼は「ヤブから棒に打ってみたが、うまく当たったなあ」・・それを聞いて、禅者、うしろを見て云った。「自分が棒を持っているからといって、大口をたたきなさるな。私に棒さえあれば、叩き返してやるものを・・」

烏臼すかさず「オオ・・そうか。ソレジャ、お前さんに、これを貸そうか」というと、その禅者は、烏臼の棒を奪い取って、続けざまに烏臼を三回打った。

烏臼「ヤアヤア・・闇討ちに、何とする」

禅者「我ながら、これは見事な三本。疾風の如き打ち勝ちですな」

烏臼「さっきは無暗に人を打つなと言っておきながら、今度は、訳もなく人を打つ・・とは、何というやつだ」

すると禅者は、すぐに礼拝した。

烏臼「オイオイ・・たったそれだけで勝負はお終いか」

禅者は、笑いながら去ろうとする・・その後ろ姿に・・

烏臼「ナンダ・・アイツは。ただの大笑いの芸しかできない大根役者だったのか」

  *擧す。僧、定州(じょうしゅう)和尚の會裏(えり)より来り、烏臼に到れり。

   烏臼問う「定州の法道は這裏(しゃり)と如何(いかん)」僧云く「別ならず」

   臼云く「もし別ならずんば、さらに彼(か)の中(うち)に転じ去れ」便(すなわ)ち打つ。

   僧云く「棒頭(ぼうとう)に眼(まなこ)あらば、草々(そうそう)に人を打つことを得(え)ざれ」

   臼云く「今日、一箇(いっこ)を打着(だちゃく)したるなり」また打つこと三下(さんげ)。

   僧 すなわち出で去れり。

   臼云く「屈棒は元来(がんらい)、人の喫するにあり」

   僧、身を転じて云く「いかにせん、杓柄(しゃくへい)の和尚の手裏(しゅり)にあることを」

   臼云く「汝 もし要せば、山僧 汝に囘與(らいよ)せん」

   僧 近前して、臼の手中の棒を奪い、臼を打つこと三下したり。

   臼云く「屈棒(くつぼう) 屈棒」(・・やあ、闇討ちにあったな)

   僧云く「人の喫在せしことあり」(うまく一本とったぞ・・の意)

   臼云く「そうそうに この漢を打着したり」

   (今になって訳もなく老僧を打つとは・・どうしたことだ)

   僧 すなわち礼拝(らいはい)せり。

   臼云く「和尚 恁麼(いんも)にし去るにや」

   僧 大笑して出でたり。

   臼云く「消得恁麼(しょうとくいんも) 消得恁麼」(なんだ、たったの大笑いだけか・・の意)

【頌】例えば・・瓢子笛(ひさごふえ)で、蛇を呼び集める(把住)は比較的たやすいことだが、集まった蛇を退散させる(放行)はナカナカ困難である。

いま、この無名の禅者と烏臼老師との禅機(葛藤)の戦いは、把住、放行の両作用が対になって、互換的な機鋒が火花を散らしているので、よく看て取るがよい。

さざれ石は固くとも、いつか破砕される時があるかもしれず、海は深くとも、いつかは乾いた大地になることもあろう(この禅者同士の勝負は、一筋縄では決着しない)

烏臼老師は、よせばよいのに、棒を貸してまで、いい処を見せようとした。はしたないことをしたものだ。(どうも、やり方がまずかったな)

  *呼ぶことは即ち易(やす)く、遣(つか)わすことは即ち難し。

   互換(ごかん)の機鋒を子細(しさい)に看よ。

   劫石固(ごうせきかた)うし来たるも、なお壞(え)すべく、

   滄溟(そうめい)深(ふか)きところに立つも、すべからく乾(かわ)くべし。

   烏臼老(うきゅうろう) 烏臼老。

   幾何般(いくばくはん)ぞ。

   杓柄をあたえしことの太(はなは)だ端(はした)なかりきは。

 

【附記】定州石藏禅師(北宗禅)は、崇山普寂の弟子。烏臼和尚・・馬祖道一の弟子である・・詳細不明。

把住と放行と、ともに両忘した烏臼の、円熟した禅機の応酬は、見ごたえのある問答だ・・と(烏臼を貶(けな)す文句)実は、心底の雪竇の最高の褒め言葉である。対する行脚の求道者は、はたして大根役者か、烏臼を引き立てる名脇役か・・暇に飽かせた隠居禅者の棒のたたき合い・・どっちが勝ったか負けたか・・確固たる審判を下してみよ・・と言われています。どうですか?

この表題は・・過年・・http://takedanet.com/ 武田邦彦先生のブログ「科学と生命」ヒトの資源・・を拝見してのタイトルです。

昔も今もガタピシ隙間風の禅界は、ゴタツク(吾他憑く)訳だ!

碧巌の歩記(あるき)NO76  

◆丹霞天然(たんかてんねん=739~824)鄧州丹霞山に隠棲した、馬祖道一の弟子。石頭希遷に参禅。七十代の頃、寒中、慧林寺で木仏像を焼いて暖をとったという禅者。

 

碧巌録 第七十六則 丹霞喫飯也未 (たんか はんをきっすや いまだしや)

【垂示】圓悟が求道者に垂示する。

宇宙の実体は、細部を看るに米粉のごとく、極寒は氷霜の如くであるし・・遍在性を見ると、見事に宇宙に充満しているから、人の云う「明」とか「暗」とか、髙い、低いも、ともに無限である。大悟徹底した禅者の積極的行為(把住 はじゅう)、消極的行為(放行 ほうぎょう)は、一挙手一投足、ガタピシ(我他彼此)のない自然(おのずから しかり)天地同根の行いである。

さあ、おまえたちの中に、ズバリ、こんな鋭いことを言えるような徹底した者がいるか・・どうか。試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、細(さい)なることは米末(べいまつ)のごとく、

   冷(れい)なることは氷霜(ひょうそう)に似たるも、

   乾坤(けんこん)を逼塞(ひっそく)して、明を離れ、暗を絶(ぜっ)す。

   低々(ていてい)たる處にては,これを観るに餘(あま)りあり。

   高々(こうこう)たる處にては、これを平ぐるにたらず。

   把住も放行もすべて這裏(しゃり)のところにあり。

   また出身の處 ありやいなや。試みに挙す看よ。

     *ガタピシしない/我他彼此・2元(相対分別)的思考に囚われないこと。

【本則】ある日一人の求道者が、丹霞山(たんかざん)の天然和尚の処にやってきた。

丹霞「どこからお出(い)でたのかな」

求道者「丹霞山のふもとから、登ってきました」と、常識的に自分の出身地を言うのではなくチョット奇抜な風の答え方をした。

丹霞「ウム・・下から上に・・か。それはそうと飯は食ったか、まだか?」と切り返した。

求道者「もう、いただきました」

丹霞「お前さんなんぞに飯を施す人がいるとは、世の中は広いものだな。じゃあ・・その人は人物を鑑識する「真眼」はもっていたかね?」・・丹霞の第二箭(矢)は、深く求道者の胸に突き刺さる。

求道者・・この鋭い禅者の問いに無語となった。

(これは九世紀初頭、鄧州南陽、丹霞山の禅院での問答だが、九世紀終ごろ・・丹霞死後三十年後、福州雪峰山の禅林で、長慶慧稜と保福従展の間で、この話が蒸し返された)

長慶が保福にむかって「どうも、あの丹霞和尚の言い分が納得できません。丹霞和尚は、あの求道者に飯を食べさせた人は、眼なしだと言わんばかりですが、これは、如何なる立場から言えることでしょうか?」

保福「雲水、行脚をもって自任する者であるなら、ホドコシを受けるような意気地なしになる訳がない。飯を食わせる奴も奴だが、食わせてもらう奴も奴だ。施者も受者も、眼なしだね」

長慶「最善を尽くして、真に感謝する・・自己相応の慈善を行うことを、貴方は眼なしだ・・というのですか」

保福「おいおい・・私を眼なし扱いにして、わからず屋だと言うつもりかナ」

  *擧す。丹(たん)霞(か) 僧に問う「いずれの處より来たるや」

   僧云く「山下(ざんか)より来たれり」

   霞(か)云く「喫飯了(きっぱんりょう)や、未(いま)だしや」

   僧云く「喫飯了」

   霞云く「飯をもちきたって、汝に喫(きっ)せしむる底(てい)の人、

       また眼(まなこ)を具(ぐ)するにや」

   僧 無語。

   長慶、保福に問う

  「飯をもって人をして喫せしむるは、恩を報ずるには分あるに、なんとしてか眼を具せざるにや」

   福云く「施者(せしゃ)受者(じゅしゃ)ふたりともに瞎漢(かつかん)なり」

   長慶云く「その機を盡(つく)しきたるも、また豁(かつ)となすやいなや」

   福云く「我を瞎(かつ)と道(い)い得るにや」

 

【頌】自己の最善を尽くして物事をなす者を「わからず屋」とは言わない。

昔、インドの寓話に、ご先祖の墓に沢山のお供え物をして祈る人がいた。そこへ牛飼いが通りかかり、死んだ牛の頭を近くの草むらに押しつけて、「さあ、この草を食べろ、食べてくれ、おいしいぞ」とけしかけていた。

墓参りにきた人は、これを見て「ソンナ事をしたところで、死んだ牛が草を食べる訳がない」というと、その牛飼いは「あなたも、私のしたようなことをお墓でしているではありませんか」と逆ねじを食わせた・・逸話にもとづく。

禅を伝灯するインドの四十七師。中国、達磨から二十三代の祖師・・伝法者たちは、禅の印可相伝に大騒ぎを演じてきたが、禅は、そんな大袈裟な中に隠れているものではない。

イヤハヤ天上界、人間界、どこもかしこも、我利我利亡者(ガリガリモウジャ)の渦中に呑まれ、禅界は我他彼此(ガタピシ)隙間風が吹いて、住みづらいことになった。

  *機を盡(つく)さば瞎(かつ)となさず。

   牛頭(ごず)を按(あん)じて草を喫(きっ)せしむ。

   四七二三の諸祖師(しょそし)。

   寶器(ほうき)を持(じ)し来(き)たって過咎(かきゅう)をなせり。

   過咎深(かきゅうふか)し、

   尋(たず)ぬるに處なく、天上人間は同じく陸沈(りんちん)。

 

【附記】丹霞天然(たんかてんねん=739~824)鄧州丹霞山に隠棲した、馬祖道一の弟子。石頭希遷に参禅。七十代の頃、寒中、慧林寺で木仏像を焼いて暖をとったという・・逸話のある禅者。

人に咎められると「仏像を焼いて、お前さん方が有難がる、佛陀の舎利(骨)をとっている」と言い放った。「木像に舎利があるものか」と言われると「ゴタ(吾他つ)憑くな!舎利の無い仏像なら、いくら焼いたところで責められるイワレはないぞ」と答えたそうだ。

コンナ気骨のある禅者は、今時、何処を探しても見つからない。

碧巌の歩記(あるき)NO77 「まんじゅうで、コロモのホコロビ・・縫い合わせられますか」?

中國 韶州(しょうしゅう)雲門山文偃(ぶんえん 852?~949)は、初め睦州に参じ、次いで雪峯義存(せっぽうぎそん)に師事した。五家七宗雲門宗の開祖。特色は、その語言きわめて巧妙で、容易に窺(うかが)いがたきにある。碧巌六則に有名な「日々是好日」があり、百則中、15則中に登場する。そのいずれもの問答は「紅旗閃爍(こうきせんしゃく)」・・まるで、青山の頂に紅い旗が翻っているけれど、敵陣見定めがたい・・といわれている。

この語録の登場人物の略歴について紹介は省いているが、参考に書けば、雲門が雪峯に師事したのは870年19才の時であり、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)が120才で亡くなったのは897年、彼は46才であり、師、雪峯の死は57才(908年)の時である。

 

碧巌録 第七十七則 雲門 餬餅 (うんもん こびょう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

処世法には二種類ある。一つは向上的で、天下人の機先を制し、まるで熊鷹が鳩を捕まえるように、自己の掌中にあって思うままの行いが出来ること。

二つ目は、向下的生活行動で、何事も、社会環境の奴隷となって、制度や規制に縛られた、主体性のない暮らし方をすること。

まるで亀が殻の中に閉じこもるように、ローンの支払いに追われた生活のようになることだ。

もし、この件で「何を言うか。向上も向下もあるものか・・寝言話は止しにせよ」と、理(こと)わりを云う者があれば、次のように言ってやろう。

「どうやら、お前さんは、幽霊仲間の世界で、現(うつつ)を抜かす輩(やから)と見えるな」

さて、坐下の者たち・・向上に転ずるといい、向下に転去するといい、如何なるか?「一真人」とは・・如何なるや?幽霊人間とは・・この黒白のケジメをハッキリつけているか・・どうかが問題なのだぞ(・・と、求道者を見まわして・・)一定の規定があるなら、その規定どおりにするがよい。もし一定の規定がないのなら、従来の慣例に従いなさい・・そして、その実例が見たければ示そう。試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、向上に転じ去らば、もって天下の人の鼻腔(びくう)を穿(うが)ち、

   鶻(こつ)の鳩を捉(とら)えるに似たる・・べく、

   向下に転じ去らば、自己の鼻腔は、別人の手裏(しゅり)にあって、

   亀(かめ)の殻(から)にかくれたるが如くならん。

   このうち、たちまち、ここに出で来たって、本来、向上も向下もなきに

   転ずることを用いて、なにおかなさんやと、いうものあらば、

   ただ、かれに向かって道(い)わん。我また知る、

   なんじが鬼窟裏(きくつり)に向かって、活計(かっけつ)をなすことを・・と。

   且(しば)らく道(い)え。作麼生(そもさん)か、この緇素(しそ)を辦(べん)ぜん。

   (良久して云く)

   條(じょう)あれば條を攀(よ)じ、條なければ例を攀じよ。試みに挙す看よ。

   *碧巌百則 園悟の垂示中、古人は特に優れた垂示として賞賛している)

【本則】ある求道者が雲門文偃(うんもんぶんえん)にむかって「もう仏様の線香臭い話や、祖師方のお悟り臭い話など聞き飽きました。ひとつ、これを超越した、スカットした話を承りたいものです」と云った。

雲門云く「ソレなら、ゴマ饅頭を一つ召し上がれ。

さあっ・・(これも物騒=ブッソう(仏祖)話か・・)どうじゃ」とせまった

  *擧す。僧、雲門(うんもん)に問う

  「如何なるか、これ超佛越祖(ちょうぶつおっそ)の談」

   門云く「餬餅(こびょう)」

【頌】生活上、止むを得ないとはいえ、雲水は、天下の叢林(そうりん)を食いまわっているくせに、超佛超祖の話とは・・。

こいつは素敵な文句と裏腹に、つじつまの合わない、ほころびがいたるところに目立った求道者だ。

さあ、お前たち・・そのほころびトヤラが解かるかナ?

雲門は、ゴマ饅頭をピチャリと綻びに当ててスキマを塞いだが、きれいにくっついてはいないようだ。今日に至るまで、ウロウロと求道者どもは、禅寺を駆け回わり、ヤレ禅の印可だの見性だのと、イロイロな認可、権威の取り合いを演じ、ゴマ菓子(誤魔化し)饅頭の奪い合いだ。

いや、さすが雲門・・これは、超談の求道者を、茶菓(茶化)した一語と見立てるが、しかし、あんたは胡散臭くても、くれたゴマ餅は天下一うまいなあ。

  *超談(ちょうだん)の禅客(ぜんかく)の問いは、ひとえに多なり。

   縫罅(ほうけ)の披離(ひり)せるを見しや、いなや。

   餬餅祝し来たりしに なおとどまらず、今に至るも天下に訤訛(こうか)あり。

碧巌の歩記(あるき)NO78 【狐のだまし湯・・まるで田んぼの肥え溜風呂だね!】

馬齢を重ねるにしたがって、体と心は一体である・・と言うことが、身に染みて解かるようになった。今、腰痛で、立つにも歩くにも、ビリビリ痛みが走りアブラ汗がでる。体と心はひとつ。区別できないものだと、つくづく悟らされた。

若い時は、理窟で解っていただけだ。

だが、近頃・・何かを為しても、為さなくとも、言葉では言い尽くし難い、寂寥感に包まれる。

友人は、病気だろう・・とも、年だろう・・とも推測していう。

中には、そろそろお前はお迎えが近いのでは・・というのもいる。

私は、お迎えが近いとか、体の調子ではないと思っている。

もっと根源から、コンコンと湧き出る泉のごとき「寂寥」の感を想うのだ。こうも言えよう。この「寂寥」の心地が解かってこそ、はじめて、揺るぎない禅境が開けてくる・・と。

 

さてさて・・今日は、滋賀では、母が満百歳の誕生日。積年、妹が老々に看護している。

台風近接に、黄葉紅葉、乱舞する夜となりました。

腰痛には、ゆっくり風呂に入るのが一番・・です。

ソレにつけても・・会(有)難いことだ。

 

碧巌録 第七十八則 開士入浴 (かいし にゅうよく=開士 水因すいいんを悟る)

【垂示】欠如。

【本則】ここに少し毛色の変わったインドの話がある。

十六人の求道者を教導する者(開士)たちが、規定作法のとおり沐浴していた時、水の肌ざわりのよいこと、清らかで美しいこと、気持ちのいいことを発見し、浮かれ出した・・という。

これを、雪竇(せっちょう)、話に引き出してきて、坐下の求道者に「サア、お前達、この十六人の開士たちが、心地の良い、極楽温泉のようだという、気持ちがわかるか?この美的な入浴感覚は、達道の者でなくてはわかるまいが、どうじゃ?」・・と云った。

  *擧す。古(いにしえ)に十六の開士ありたり。

   浴僧(よくそう)の時において例にしたがって入浴し、たちまち水因を悟れりと。

   諸禅徳(しょぜんとく)、作麼生(そもさん)かして、

   他の「妙觸宣明(みょうそくせんみょう)、

   成佛子住(じょうぶつ しじゅう)」と道(い)いしことを會(え)すや。

   また、すべからく七穿八穴(せんけつ)にして、はじめて得(う)べし。

 

【頌】大悟、明眼の士は、一人で沢山。

風呂の中で足を延ばし寝そべって、十六人もウジャウジャと、各種の悟達の感想を述べるとは・・ラチも無いこと。まだまだ悪臭無限の垢まみれ・・夢中にあって夢を語るとは、この事を指す。

極楽温泉で、きれいサッパリ世の迷垢を洗い流したつもりだろうが、その悟りすました間抜け顔に唾でも吐きかけてやろう。

  *了事(りょうじ)の衲僧(のうそう)は一箇を消(よう)ず。

   長く床上に連(つら)なって脚をのべて臥(が)し、

   夢中に曾(か)って説く圓通(えんつう)を悟ると。

   香水にて洗い来たるも驀面(まくめん)に唾(だ)せん。

碧巌の歩記(あるき) NO79  

◆「禅による生活」とは、どうゆう暮らしのことでしょうか?

◆これから「独りポッチ禅=3分間ひとりイス禅」をしたいのですが心構えは?

禅語では、「言う」を「道う」と書きます(この項では行う・・の意で「道」とします)

常日頃、行いのすべてに、ピチピチと活きている、好奇や躍動、生命力をほとばしらせて、(作為的な表現ではなく)情=心を自然につくしている、造作(はからい)がない「表情」・・のある生活を、私は「人生、裸で生きるべし」と道っています。

 

だから「禅による生活」は、一人独り、皆、違うのです。

ミンナ、宇宙で、ただ、独りだけのDNAを持って誕生しているのだ・・と、頭のてっぺんからつま先まで、浸み込んだら・・どんな暮らしもミンナ、ミンナ「禅による生活」となってくるでしょう。

「独りポッチ禅=3分間ひとりイス禅」は、足の痛みや雑念の苦行坐禅と違い真の穏やかな坐禅です。身も心もゆったりバランスのとれた態度で坐禅する、何かを自分に(効能効果を)期待しない「何の役にも立たない坐禅」ソノモノに集中する坐禅です。

そして・・3分間でも、無心に放ち切った境地の、日ごとの積み重ね・・が大事なのです。

あえて、その心構え・・といえば、姿勢を正し、眼を半眼にして、腹式呼吸で、六回の数息を計三巡。計十八回の数息・・をくりかえす・・だけです。(つまり、一回の呼吸がゆっくりと十秒程度であれば、十八回で三分間となる勘定です・・もうちょっと続けられれば、それを繰り返すだけ・・です)

これに慣れて、寝る時は「寝禅」。起きる時は「起床禅」食事の前には「食禅」。電車の中で「車中禅」仕事の前後に「仕事禅」・・トイレの時は「手洗い禅」お風呂では「風呂禅」・・など、オリオリに、サッと出来るようになられたら、次に、禅語録の碧巌録や無門関から、ドウモ気に障る、矛盾に満ちた「公案=則」を一つ、訳の解からぬ飴玉を与えたつもりで、数息の代わりに拈弄(ねんろう・・余分な妄想の代わりに、集中)なさってください。

この訳が分からない、役に立たない公案を拈弄する「独りポッチのイス坐禅」を、後生大事に繰り返し、繰り返し(造作、意図のない坐禅)なさることです。くれぐれも「悟り・悟達」への希望や期待や、スガスガシイ気分や効能を求めることなど、欣求・祈願の対象にしてはなりません。

坐禅で、心が落ち着くとか、安心の境地になったとか・・そんな目的のための手段は忘れることです。

坐禅が、何の役にも立たないこと・・であればこそ、何も成果を期待しない坐禅により、勝手に、人知れずに大覚、見性が醸成されていくのです

*仏教の四弘誓願に、煩悩無尽誓願断=煩悩は尽きることなく、誓ってこれを断じます・・とありますが、禅は、煩悩即(そのまま)菩提です。ところが、禅寺では、坐禅の修行中に、この四弘誓願をモゴモゴ唱えさせるのですから、ひどく矛盾した教導です。

白隠坐禅和讃でも「衆生、本来ほとけなり。水と氷の如くして・・」とあります。

●コトバや文字にこだわれば、木の葉が万札に見えてくる!

ハッキリ書いておきます。

禅は宗教ではありません。禅語に出てくる「佛・佛性」の字は「悟り」の意で、私は、ことごとく「禅」と意訳しています。千年前の中國の禅者には、頭髪を剃らず行者(あんじゃ)と呼ばれた指導者もおり、師家・和尚は「老師」(先生)とし、行脚・修行の僧は「求道者」としました。

例えば、次の一切佛聲は「一切禅声」の意です。

 

碧巌録 第七十九則 投子一切佛聲 (とうすいっさいぶっせい)

【垂示】圓悟が求道者に垂示した。

春夏秋冬、万物は何の思惑も無く自然に働き、目的をもってなしていない。禅=至道は好き嫌いがないだけだ。

解き放つのも、生け捕りにするのも、たいした力は要しない。

さあて、昔から今までに、どんな輩が、この「至道」とやらを、生け捕りにしたのであろうか。試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、大用は現前、軌則(きそく)を存せず。

   活捉(かつそく)にも生擒(せいきん)にも、餘力を労せず。

   且(しば)らく道(い)え。

   是れ、なん人(びと)か曾(か)って恁麼(いんも)にし来たる。  

   試みに挙す看よ。

 

【本則】ある日、求道者が投子山の大同和尚に「仏教では、この宇宙そのものが佛陀の本体(宇宙即佛陀=佛陀即宇宙)であるから、総ての音や声は、これ佛陀の声でありましょうな」と念押しした。

投子「もちろん本当だ」

求道者「それじゃ、放屎(ほうし)放屁(ほうひ・クソダシ・オナラの音)はどうですか。あれも佛陀の尊い教えですか」と、からかったのである。

投子、ソレを聞くより早く、ピシャリと求道者を打った。

求道者は、それでもタジロギもせず、二の問いを仕掛けた。

「粗暴な言葉も、丁寧な言語も、大乗、小乗すべて佛陀の教えは、第一義=仏性本体(ZEN)である・・これは真実でしょうか」

投子「本当である」

すると、待ってました・・とばかりに、求道者は言った。

「それなら、今、私が、ご老師を、一匹の愚かな驢馬だと言っても、間違いではありませんね」

投子は、それを聞くより早く、求道者をピシャリと打った。

  *擧す。僧 投子に問う「一切聲(いっさいせい)は、これ佛聲(ぶつせい)なりと。

   是(ぜ)なりや否(いな)や」

   投子云く「是(ぜ)なり」

   僧云く「和尚、とく沸碗鳴(ふつわんみょう)の聲(こえ)なるものなしや」

   投子すなわち打てり。

   又問う「麤言(そごん)および細語(さいご)は、みな第一義に帰すと。

   是なりや否や」

   投子云く「是なり」

   僧云く「和尚を喚(よ)んで一頭の驢(ろ)となし得るや」

   投子すなわち打てり。

 

【頌】さすがだね・・投子よ、アンタはエライ。誰もその働きを止められない。

「是」の一言で、思い切り叩かせてもらったところなんか、まるで、小エビで太鯛を釣りあげたようなもの。

それが一度ならず二度までも大成功とは・・。

可哀そうに、かの求道者は、くだらない屁理屈を陳べているが、波浪に戯れて、しまいに溺死するのを知らない哀れな奴だ。

遂に、二度も打たれて溺れ死んだぞ。

もしも・・だが、あの二度目の時に、投子の棒を奪い取って、したたかに投子を殴りつけていたなら、百千の大河が、轟々と逆流するような一大活劇が演じられたろうに・・

(投子も泣くほど喜んだことだろう)惜しいことをしたものだ。

  *投子投子。機輪(きりん)に阻(へだて)てらるることなし。

   一を放って二を得、彼(かれ)に同じく此(こ)れに同じ。

   憐(あわ)れむべし限りなく潮(うしお)を弄(ろう)せし人、

   畢竟(ひっきょう)また潮の中に落ちて死せリ。

   忽然として活かせば、百川(ひゃくせん)倒流(とうりゅう)して

   閙聒々(とうかつかつ)たらんに。

 

【附記】投子大同(818~910)は、石頭希遷、丹霞天然の流れをくむ翆微無学の弟子。

この雪竇の頌は、味噌くそ一緒の、悪平等の邪観を打散せしめた、投子の力量を誉めている。どうやら言葉や文字に執着すると、木の葉が万札に見えてくる。チョウド次の則(80則)で「般若心経」意訳を紹介した。この79則の鍵穴にも「般若心経」はピタリと合うはずだ。

この般若心経は・・ZENのマスターキーとして、どの則、どの公案にも合致するが、神出鬼没・・在って無く、なくてある・・量子的キーなので、利用不能だ。アラビアンナイトの「開けゴマ」とは、えらい違いだと心得ることだ。

このあたりで「一切聲是佛聲」は蘇東坡の「山色渓聲 是廣長舌」と同義であるとしておきます。

般若心経とZEN・・碧巌の歩記(あるき)NO80 

「あるともサ・・流れに桃を放り込んでご覧ナ~ドンブリコ~ドンブリコ」

「般若心経」と「ポッチ禅」・・まず数息で調(醒)心が出来るようになったら、禅語の一語を、鉄の飴玉だと思って拈弄する・・この段階で、般若心経を看返すのがいいでしょう。

歌でも詩の朗読でも、声に出して自分に聞かせると、どうしても意識過剰・・気が散ります。般若心経も同じことですから、声をあげてとなえるのはやめて、まず、心経の言葉(文字)・・「色と空」の、理解しがたい矛盾・・例えば「眼や耳や鼻、舌、身・意(思いは、あるのに)ソレは無いことだ・・」を、そのまま、矛盾のままに黙読ください。昔、坐禅に集中するのに「南無阿弥陀仏」と念仏する坐禅法がありました。心経を坐禅の対象としてはなりません。

 

私は、般若心経で、誰も、肝心なところを素っ飛ばしている・・と思う・・のは、はじめに出てくる・・「行(ぎょう)深(じん)般若(はんにゃ)波羅蜜多時(はらみったじ)=禅による生活・坐禅を深く行う時は・・形あるもの、すべて空なりと照らし見るので、一切の苦しみと不安から解放される」とあります。

つまり、坐禅をして、深い揺らぎと造作の無い=依る辺なき境地に至って、はじめて、一切の苦しみや厄災から解放(度=ど)される・・のですから、大いなる智慧=般若はどこにあるのだ?・・と、探し回ることは出来ないことだ・・ということでした。人間は「考える葦」パスカル・・ですが、その「考える」こと・・そのものを考えるように出来てはいません。

般若心経は、「即=そのまま」の世界があり、「そのままが空=無」の世界である・・と、説くのです。この大いなる知恵の教えは、禅者の「禅による生活」の神髄ですから、求道者には理解できない呪(マントラ)でいいのです。

 

般若心経は、禅境(地)の入り口にたったと思うと、そのまま出口にいる・・紙の表裏の関係ではなくて、入口が出口、出口が入口だと説く、禅者のための教えなのです。

出口に立つと、入口に立っていますし、入口を入ろうとしたら出口に出ている・・ですから何時までも般若心経の直中(ただなか)に座り込むことはできません。

この般若心経の文言に囚われては、坐禅はなりませんから、ある程度、坐境(地)が進捗したあと、悟境の是非をリトマス試験紙のようにして般若心経を看ることを推奨します。

どの禅語録(碧巌録・無門関・臨済録など)の話にも、ピッタリと合致して、その実体のない禅機を発揚する・・この意訳の心経をご紹介します。

摩訶般若波羅蜜多心経 (まかはんにゃはらみったしんきょう)

 『無い・無いずくしの智慧の教え』

 

観自在菩薩        禅(行)の者よ

行深般若波羅蜜多時    禅による生活(智慧の完成)を深く行う時

照見五薀皆空       宇宙のすべては空(無)だと照らし見るから 

度一切苦厄        一切の苦しみと不安から解き放たれる

舎利子          禅(行の)者よ

色不異空         あるは空にことならず

空不異色         空は自在にことならない

色即是空         あるのは、そのままに「ない」のであり

空即是色         ないは、そのままに「ある」のである

受想行識亦復如是     感覚や思い行いや知識も またこのとおりだ

舎利子          禅(行)の者よ

是諸法空相        これら世の分別事は ことごとく空だから

不生不滅         生じてもいないし 亡びてもいない

不垢不浄         汚れてもいないし きよくもない

不増不減         増えてもいないし へってもいない

是故空中無色       このゆえに空の中に「ある」はなく

無受想行識        思いや行いや 認識することなどもない

無眼耳鼻舌身意      眼や耳などの感覚などや意識の一切もなく

無色声香味蝕法      五感や執着する欲望のすべてもない

無眼界乃至無意識界    意識する世界も無意識、本能のすべてもなく

無無明亦無無明尽     因果応報や煩悩もない、ないと思う事もない 

乃至無老死        さらに、老いて死ぬこともない

亦無老死尽        また老いて死なないということもない 

無苦集滅道        死苦八苦する、輪廻の業や愛執もない

無智亦無得        智もなく また得るものもない

以無所得故        その得るところ無きゆえに

菩提薩埵依般若波羅蜜多故 大いなる智慧(禅)により            

              禅(さとり)を体得(かんせい)するのだ

心無罣礙無罣礙故     こだわりがなく 疑いなきゆえに                   

無有恐怖         恐れおののくことがない

遠離一切顛倒夢想     あらゆる妄想と執着が離れ消えて無くなり  

究竟涅槃         ついに安心となる 

三世諸仏         過去現在未来、無限に大覚した禅者は

依般若波羅蜜多故     禅(さとり)の行(かんせい)

              禅による生活のゆえに              

得阿耨多羅三藐三菩提   ピチピチと躍動するいのち・・そのもの

故知般若波羅蜜多     禅による生活をただ、そのままに享受する         

是大神呪 是大明呪    (ゆえに)この霊妙で光り輝く真言をのべ 

是無上呪 是無等等呪   この比較できない心の不思議をのべ 

能除一切苦        よく一切の苦しみを除き、

真実不虚         真実にして虚(むな)しからざる 

故説般若波羅蜜多呪    禅による生活を呪(マントラ)に説く

即説呪曰         呪に説いていわく

羯諦羯諦(ギャテイ ギャテイ) 来たぞ 着いたぞ

波羅羯諦(ハラ ギャテイ)   まったき青空のただ中に

波羅僧羯諦(ハラソウギャテイ) よくぞまあ すがすがしいこと

菩提娑婆訶(ボジソワカ 禅者は かく自然(ありのまま)なり

般若心経 

 

碧巌録 第八十則 趙州初生孩子 (じょうしゅう しょしょうのがいし)  

【垂示】欠如・・ありません

【本則】求道者が趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん778~897) に問うた。

「生まれたての赤ん坊は、六識六覚(眼=色=視/耳=聴/鼻=嗅/舌=味/身=色=触/意=知)を兼ね備えておるのでしょうか」

趙州「あるともさ。流水にボウルを投げ入れて見よ」と爽やかに云った。だが求道者は、そんな理窟離れの言葉で、趙州の真意がつかめなかった。

今度は舒州の投子大同(とうすだいどう818~914)の所で、趙州の言い分の解説を乞うた。

投子はズバリ・・「念々とどまることなく流れていく」と答えた。

   *擧す 僧、趙州に問う「初生の孩子、また六識を具するや否や」

   趙州云く「急水上(きゅうすいじょう)に毬子(きゅうす)を打(だ)せよ」

   僧、後に投子に問う。「急水上の毬子を打せよは、意旨(いし)如何(いかん)」

   子云く「念々不停流(ねんねん ふていりゅう)」

 

【頌】百二十才の長寿を保った趙州は、その深い禅境(地)を披露する時、唇から光を放っている・・と言われた禅者である。

事もあろうに、その老師に、百も承知の質問(生まれたての子に六識の有無を尋ねる)を投げて、たちまち、生命の渦潮に呑まれてしまった。流れくだるボウル(いのち)は流転している。

流れてやまぬ生命の行先などイッタイ誰が看届けられるものか。

(附記)おとぎばなしの、桃から生まれた桃太郎だって、ドンブリコ~ドンブリコと流れて、どこかの婆さんに川から拾い上げられたではないか。

   *六識無功(ろくしきむく)に一問を伸(の)ぶ。

   作家(さくけ)かって共に端(たん)を辦(べん)じ来(きた)る。

   茫々たる急水に毬子(きゅうす)を打せよと。

   落處(らくしょ)に停(とど)まらざるものを誰が看ることを解(げ)せん。

【附記】趙州は、求道者の問いに答えて、無門関 第一則「狗子仏性」で、犬には仏性(禅=悟)は無い・・と答えている。坐禅の初心者には、この「趙州無字」公案は、東大の入学試験に、小学一年生が合格するほどの難問・難透中の難透と言われている。畳の上の水練で、オリンピック金メダリストに太刀打ちしようとする・・ホントによくやるよ。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO81 注意!ソラ・・矢が飛んできたぞ・・

 

●瞑想や坐禅が「役立たない修行」なら、どうして釈尊は、菩提樹下、坐禅なされて悟りを開かれたのだろう・・?  

悩みや苦しみから解脱するために「禅」はあるのだろうか・・?

「独りポッチ禅=何の役にも立たない三分間ひとりイス禅」・・を推奨される理由がわかりません。

今、世界中に流行っている瞑想や坐禅は、効能・効果が一杯あって、悩みスッキリ、チャント役立っている・・と思われているのなら、ことさら、私が提唱する「独りポッチ禅=金ヒマかけず、自分一人で、好きな時に、椅子に坐る三分間程度の、眼を半眼にした、何の役にも立たない坐禅をおやりなさい」・・に関心を持たれることも、この奉魯愚(ぶろぐ)をご覧になる必要もないことになりましょう。この無価値な「ポッチ禅」に、何か心惹かれるものがあるとすれば、「無価値」とか「無功徳」とか、「役立たず」とかの言葉の持つ・・何か・・問いかけてくるもの・・のはずです。

さて、坐禅は・・「役立つとか・・役立たない」・・とか、イッタイ何に対して・・機能機作する目的と方法、手段なのでしょうか。

自分の心が安らぐ・・とか、ストレスを解消したい・・とか、自分の心の落ち着きが欲しくて、病気の対処療法の「薬」のような効用効果を求めたい時には、どこかの寺僧の指導を受けられたり、PCや本で学習されるのが、お手頃かも知れません。

ここで提唱している「独りポッチ禅=三分間ひとりイス禅」は、達磨がインドから中国へ「禅」を伝えた時の「無功徳」=何のご利益(りやく)もない・一切、役立つことがない・・禅(の心)・・達磨は、この禅境(地)を「廓然無聖(かくねん むしょう)」=カラりと晴れた青空・・といっています。

その禅境を自覚したい、目的のために坐禅という方法をとる・・つまり「何にも役立たない【禅】を自覚したいのなら、何にも役立たない「坐禅」をする」のが、一番、最良の方法・・という訳です。

実際、禅の専門道場(僧堂)で、悪戦苦闘、難行苦行の雲水(僧)が大悟見性した例は、余り多くありません。皆さんがよく知っている一休(宗純)さんは、二度自殺を図って参禅修行された方ですが、師からの印可状(見性=悟りの証明書)を焼き捨てて、風狂の禅者と言われた生涯でした。亡くなられる時の遺偈に「誰か我が禅を会す」と独りポッチ禅を称揚されています。また、新潟の五合庵の(大愚)良寛さんは、子供たちと手鞠をついて遊びながら、権力、権威の生活社会から離れ、宗教色を微塵も出されなかった自由人でした。

臨済宗、中興の祖と言われる白隠(慧鶴)さんは、托鉢の途中、農家の婆さんに、箒で頭をどやされて、サトリを開いた方ですし、鐘の音を聞いてとか・・庭掃除の最中、石ころが竹にあたる音で大悟した人や、花の香りや、暁の星の輝きから・・これは釈尊です・・中には鼻を痛いほど捻られてとか、雷に撃たれて・・大喝、突き飛ばされて・・などなど、沢山の人が大悟されていますが、ワザワザ禅寺の専門道場で坐禅の最中、悟りを開いたと言う人は、ヒドク少ないのです。

(もっとも、禅寺の跡継ぎ養成の為の期間限定での修行では、卒業証書ほしさの勉強と同じで、形ばかりの修行で無理からぬことです)

昔の禅修行は、自分を本当に鞭撻(べんたつ)してくれる師を求めて、行脚(探訪)した、弟子が師を選ぶ・・生徒が先生を選ぶ、真の見識のある手に手をとった指導と修行法でした。                 ですから、オリオリに坐禅もする・・働き(作務)もする・・普通の生活の中で、米麹が次第に醗酵して「美酒」が熟成するように、自然と「禅」が大覚・見性されているのです。臨済

厳しくいましめる・・「造作」=「ハカリゴト」は、一切、ありませんし、思惑は効能書きにすぎないのです。

何とか坐禅して悟りたいとか、不安な心を解消したいとか、自分本位に坐禅を考えたり、利用しようとする人には、サトリは絶対に得られることはありません。(欧米の禅ブームのほとんどは、心理学禅・病理学禅で、精神病を治療する方法として研究されていますので、ひどく「悟り」とは縁遠いものです)むしろ悩みが一層、深刻になって心身とも病気になりかねません。禅を利用したり、役立てたい・・と思う「欲求、分別」心や文字、言葉に「執着」する心こそ、マスマス 禅から遠ざかることですから、まず、どうせ「役立たない」坐禅なのだ・・と、その効能効果、機能機作を捨て去るところからスタートするのが一番です。

次に、無理にとか、やる気のない時には、やらないことです。

他の仲間と共に・・とか、ご一緒にどうぞ・・とか、気を紛らわすようなこともしてはなりません。一人で静かにやり続けましょう。

まず、呼吸を数える「数息」から初めて、やがて・・数年か・・数息を忘れて坐禅できるようになったら、無門関か碧巌録の公案(禅語)の一則を、鉄の飴玉をしゃぶるように、それが頭の中で、溶けて無くなるまで・・何十年でもしゃぶっている・・ような、覚悟の坐禅を続けられることです。

禅語録「公案」は、どれをとっても、論理・哲学的ではありませんし、分別・思考に適合した解答は、永久に得られるものではありません。つまり、どれもこれも正解を得難い矛盾の問題・行動集です。もし、公案に、何か論理的に解明できた・・と思う「答え」がある・・としたら、それは全部(その答えは)絶対に「間違い、偽物、思い込み、つくりごと」です。それは「妄想、執着」です。貴方の「禅」は、どうやら死ぬまで「正解」が得られないで終わるかも知れません。実は、それでいいのです。(達磨は二祖慧可を得るまで、嵩山少林寺で、面壁坐禅九年を要した・・と言われています)「零点か・はたまた満点か」どちらになろうと、かまわないではありませんか。その最終の禅境(地)は、達磨さんのいう「廓然無聖=カラりと晴れた青空」なのです。

「役立たない坐禅」は、ソンナ清々しい青空の坐禅なのです。

また、万が一にも、突然、予期せぬサトリが、貴方にやってくるかも知れません。つまり「百点満点」です。その時は、言葉にも文字にも仕草にも表わせない、ただ自知するのみの禅境(地)・・カラリ晴れた青空・・でしょう。

 

碧巌録 第八十一則 薬山麈中麈 (やくざん しゅちゅうのしゅ)

【垂示】圓悟が求道者に垂示した。

敵の軍旗を奪い取り、進軍ラッパも鳴らぬようにしたら、それこそ天下無敵、百戦百勝の猛将だ。

千人の達道の者が攻め寄せたとて、その働きは止まらない。

また達磨さんのように、無功徳(むくどく)・不識(しらず)の鉄壁な心根なら、どんな策略をもってしても破れることはない。

これぞ神通妙用であるし、絶対そのものが、ありのままに現前することだ。

さて、どのような者なら、そんな奇特な働きが出来るのであろうか。その例を挙げるから看よ。

  *垂示に云く、旗を攙(ひ)き鼓を奪わば、千聖も窮(きわ)むることなからん。

   訤訛(こうか)を坐断すれば、萬機(ばんき)も到らざらん。

   これ神通妙用にあらずや。また本体如然(ほんたいにょぜん)にあらずや。

   且らく道(い)え、この什麼(なに)によってか、

   恁麼(いんも)に奇特(きとく)なることを得るぞ。

【本則】ある求道者が薬山惟儼(やくさんいげん)の禅庵に来て「あの天台山・平田の草原にいる鹿の群れの大将(大鹿)を、見事にやっつける方法がありますか」と、まるで自分が、その大鹿であるかの如く問いかけた。

すると薬山「ソレ箭(矢)が飛ぶぞ」と、弓を引く仕草をした。

・・少しは「禅」を頭で理解していた求道者は、射殺された大鹿のようにパタッと倒れてみせた。

薬山、当然のように、傍らの侍者に「この倒れた馬鹿をかたづけよ」と言い放なった。

これを聞いた求道者、驚きアワテテ逃げ出した。

薬山これを見て「ナント下司な野郎だな。最近、こんな大根役者ばかり増えてきたな」と、いたく嘆いた。

(雪竇、尻に帆をかけて逃げ出した求道者に一言・・立ち上がり三歩は逃げ出せても、五歩までは保(も)たんなあ・・)

  *擧す。僧、薬山に問う。

  「平田の浅草(せんそう)に麈鹿群(しゅろくぐん)をなせり。

   如何にしてか麈中(しゅちゅう)の麈(しゅ)を射得(せきとく)せん」

   山云く「箭(や)を看よ」僧、放身(ほうしん)して便(すなわ)ち倒(たお)れたり。

   山云く「侍者(じしゃ)よ、この死漢(しかん)を拖(ひき)出(いだ)せよ」

   僧便ち走れり。

   山云く「泥團(でいだん)を弄(ろう)するの漢、什麼(なん)の限りかあらん」

   (雪竇拈(せっちょうねん)じて云く

   「三歩は活すと雖(いえど)も、五歩では死するべし」・・)

【頌】大群の鹿の王者と名乗った求道者を、薬山は、獲物が鍋ネギ持参でやってきた・・とばかり、一矢で射とめてしまった。

求道者が葬式準備に驚いて逃出す様子は五歩もモタナイ慌てようだ。惜しいかナ、グッと踏みとどまって、睨みかえす度胸があれば、かえって群鹿を率いて、大敵の猛虎を追うことも出来たろうに・・。されば、薬山の手際の鮮やかなこと。

狩人の正眼をもって、唯の一箭(ひとや)で大鹿を射止めるとは・・と、雪竇、頌(じゅ)し終わった瞬間「ソラ、箭が飛んできたぞ」と座下の求道者に大声で警告した。

  *麈中の麈を、君は看取(かんしゅ)して一箭(せん)を下(くだ)せり。

   走ること三歩、五歩にして、もし、活するならば

   群を成(な)して虎を趂(お)いしならん。

   正眼(しょうげん)は従来猟人(じゅうらいりょうじん)に付(ふ)す。

   雪竇(せっちょう) 高声(こうせい)に云く「箭(や)を看(み)よ」

 

【附記】禅機(悟りのキッカケ)を問う公案。ただ芝居の出し物としては、薬山が嘆くように、役者が大根役者のうえ、ドサまわりの芝居です・・行脚の雲水の、あまりの低レベルさに、ガックリきている様子が窺える逸話である。最も、現代の方が、もっと酷い観光禅の状況であるが・・!

 

碧巌の歩き NO82 「何も釣れない時・・一言どうぞ!」

●釣り好きの私は、よく、何も釣れない、丸坊主のことがよくある。もっとも大型のチヌ(クロダイ)やハネ(シーバス)が釣れた時でも。ケータイの写真にとって、全部リリースしている。太刀魚のシーズンには、もれなく釣れた分は持ち帰り、バター焼きにしたり、ご近所に配り歩いたりするが、今年の夏は、体調に問題があり、少し岸壁から遠ざかってしまった。

この垂示「竿頭絲線(かんとうのしせん) 具眼方知(ぐがん まさにしる)」に対応するべし・・と思う頌に、第六十二則、雲門形山秘在の頌をあげる。

雲門文偃(うんもんぶんえん)(852頃?~928頃?雪峯義存(せっぽうぎそん)=の弟子、雲門宗開祖)・・その弟子、巴陵顥鑒(はりょうこうかん)(不詳)と同じく、この則に登場する・・白兆志圓(はくちょうしえん)の弟子、大瀧(だいりゅう)智(ち)洪(こう)(不詳)は、ともに洞庭湖畔に、詩的、禅的に悠々の生活を送っていた禅者である。年代も推定だが、ほぼ等しく、時に相まみえる機会があったかもしれない。

     雲門形山秘在 第62則 頌 

「看(み)よや 看よ。古岸(こがん) 何人(なんひと)か釣り竿を把(と)る。 

  雲 冉々(ぜんぜん)。 水 漫々(まんまん)。 

    明月(めいげつ)蘆花(ろか) 君自ら(みずか)看よ」 

 

碧巌録 第八十二則 大龍堅固法身 (だいりゅう けんごほうしん)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示して云った。

釣竿の先は、魚を懸ける釣り針に餌・・と決まっている。

禅者たる者が、求道の魚を釣り上げて、どんなものか検証しようとしても、チャントした具眼の魚であるなら、うまく餌だけ取って針には懸からないものだ。

達道の禅者が月並みでない計略で、こちらを説得しようとしても、こちらが作家でありさえすれば、いくら狡猾な手立てを講じようとしても、その手は桑名の焼きハマグリだ。

サア、その釣竿の餌とか・・探り釣りの技術や予想外の機略とか・・もともと、絶対の真理とは、どんなことを云うのか・・試みに挙す 看よ。

  *垂示に云く、竿頭(かんとう)の絲線(しせん)、具眼(ぐがん)はまさに知る。

   格外の機は、作家まさに辦(べん)ず。

   且らく道(い)え、作麼生(そもさん)か これ竿頭の絲線、格外の機なるぞ。

   試みに挙す 看よ。

【本則】ある日、洞庭湖畔、自然に抱かれた美しい大龍山に禅居する智洪を尋ねて来た、ひとりの求道者が問うた。

「吾が肉体は亡びます。では、堅固不滅の法身(禅・悟り)と言われるものは如何ですか」

大龍「どうだネ、山野に咲き乱れる花をご覧ナ。あの渓谷の藍の如き水を看よ」(これこそ、お前さんの探している法身の露現だよ)

  *擧す。僧 大龍に問う「色身(しきしん)は敗壊(はいこ)す。

   如何なるか これ堅固法身(けんごほっしん)」

   龍云く「山花は開いて錦に似たり。

   澗水(かんすい)は湛(たた)えて藍(あい)のごとし」

【頌】この求道者・・せっかく達道の禅者、大龍に面接しながら、質問の仕方を知らない。その親切な答えすら、合点していないようだ。色身は淡雪の如し・・と思い込み、法身はダイヤモンドの如きと確信する・・ガチガチの硬直した頭の持ち主だね。

大龍の言を、あえてネガテイブに言えば「巌山に月は冷ややかに,樹林には寒風吹きすさぶ・・」となるかナ。

禅者にとって、法身の当體は、春夏秋冬、人それぞれ、その悟境(地)は、いかようにも表現できるぞ。

しかし、概念、哲理に凝り固まった者には、いきなり禅者に正面から出逢うと、どうしてよいか・・わからなくなる・・【香厳智閑(こうげんちかん)の問い・・路逢達道人(みちにたつどうのひととあわば)不将語黙對(ごもくをもって たいせざれ)無門関三十六則】・・のアリサマになったようだ。

  • ソレッ!突っ立ってないで・・何か道(い)いなさいヨ!

さすがだね・・禅者、大龍。手に白玉の鞭をとり、法身の名の宝珠を、ことごとく粉砕してしまった。

もし、堅固法身の撃砕に失敗するような失策をしでかしたなら、人騒がせな罪により、禅の憲法=極意三千條のどれかに該当して罰せられたであろうに・・(天地同根・無依の真人など真意伝達不届きにつき・・/大龍の履歴は生涯不詳)

 *問いも、かって知らず、答えもまた會(え)せず。

  月は冷ややかに風は高し、古巖寒檜(こがん かんかい)に。

  笑うに堪(た)えたり 路に達道の人に逢わば、

  語黙(ごもく)をもって對(たい)せざれよとは。

  手に白玉の鞭(むち)をとって、驪珠(りじゅ)をことごとく撃砕(げきさい)せり。

  撃砕せざりしときば、瑕類(かるい)を 増じるにならん。

  国に憲章(けんしょう)あり。三千條の罪。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO83 ♪ホ-タル来い・・こっちの水は甘ーマイぞ!  

Q,どうして「役に立たない」坐禅を力説されるのですか? 

これでは・・ワザワザ奉魯愚(ぶろぐ)を読んでくれるな・・という態度じゃないですか?

単的にお答えします・・体が疲れたら、どうしますか?

動かないようにして、休ませますね。

では、頭脳はどうでしょう。

詳しくは脳科学者の研究に任せるしかありませんが、肉体の休む夜であってもたゆみなく頭脳は、夢を見ながら働いているそうです。

それでは頭脳は、疲れることを知らないのでしょうか・・

私は、頭脳の疲れ(ストレス)を取るのは、肉体が動くことをやめて、疲れを取るように・・「何も考えない」ことだと思っています。ところが「何も考えない」ことを「考え・・」てしまうのが頭脳なんですね。何も考えずに休んでいるといっても、休んでいるはずの頭脳は、休まずに「自分の利得を考えて働いて」いるのです。

頭脳の「考える」という本能的な機能機作を、自然に休ませるのは、催眠術や麻酔(麻薬)ではなく、科学的に解明されていない・・どうやら「禅」によるしかないようです。

絶対矛盾的自己同一・・と西田哲学では言うそうですが、論理や分析的思考では、歯の立てようのない=解明不可能な「公案=禅語」命題を脳に与えて、その頭脳の働き(分析・解明、思考)を放棄させてしまうのです。

つまり達磨の「壁観」坐禅法=独りポッチ禅です。

例えば ●「両親が生まれる以前のお前とは何だ?」とか・・あるいは・・●「両手を打てば音(拍手)がするが、片手の声はナント言っているか?」・・

「闇の世に泣かぬカラスの声を聴けば、生まれぬ先の父母が恋しい」とはどうゆう事か・・

●般若心経の「眼や耳,鼻,舌,身體,意識」はあっても「看る、聞く、味わう、触覚、意思する・・心の働きはない」とは、どういうことなのか?

●「禅(悟り)とは何ですか?」禅者の答え「その柱に問え」・・あるいは「金石麗生(きんせきれいせい)」や「黄金は糞土の如し」など、どうした観点・実感で云えるのか。

●自分とは何なのか?・・何のために生まれてきたのか?

●どうして坐禅をするのか?・・坐禅で何を得たいのか?

この「何故・・どうして・・何のために・・」の想い(好奇心=思考)が続くかぎり、人は安心して仕事したり、ぐっすりとした眠りにつけません。まして、欲得、利権の亡者や有名・権勢病に憑りつかれると、顔つきまで変わります。

また、思い(妄想)に取り憑かれてしまうと、よく街中で見かける「スマホ」教信者・・と私は言います・・のように、周囲の景色や人の動き、花や鳥、自然の美しさまで・・見えても見えなくなるのです。いや、見えていても見えない自己中=ストレス「こだわり・・執着」の、依存症状・・中毒的症状になってしまいます。

ゆるぎない安心の境地を求めて、達道の禅者に教えを乞う、次の公案・・イキナリ超能力な異次元空間に放り出されたような問答を看てください。

この碧巌録は、今から千年前にできた禅語録です。

坐禅の「役立たず」そのままが禅者の話でまとめられています。

この中の、どれでもよい・・一則の問答に【?】と感じられたら、それが「役立たずの頭脳休息のテーマ」です。嘘も方便とばかり、座禅を組めば悟りが得られる・・とか、心が安らぐとか、捨てきれば落ち着くとか、効能効果をいう提唱・修行は、悩みや想いが深まるばかりです。思い切って、自分に「これは役立たず、ロクデナシの坐禅だ」と、ダメモトでスタートするのが肝要です。

 

 碧巌録 第八十三則 雲門古佛露柱 (うんもん こぶつ ろちゅう) 

【垂示】欠如・・言葉を絶して・・ありません。

【本則】雲門文偃が坐下の求道者にむかって、「禅機」を語った。

「この本堂にある古佛像と、本堂の円柱とは深く相関しているが、それはどんな(時の)ことであるか・・」と、一足飛びに時空を超えた問いを発した。

座下の者たち、いずれも無言なので、雲門は有名な「日日是好日」の如く・・その自らの問いに自ら答えて云わく・・

「南方の山に黒雲が湧き起これば、北方の山にザアザア雨が降る」

   *擧す。雲門、示衆して云く「古佛と露柱と相交(あいまじ)わるとは。

    これ第幾機(だいいくき)ぞ」

    自(みず)らかわって云く「南山に雲を起こせば、北山には雨をくだす

【頌】南山に雲湧けば、北山には雨が降ると雲門は言っているが、禅を伝えたすべての祖師たち(釈尊から達磨、恵能)は、当然のことと承知している仏殿の仏像と柱の関わり合いである。

それはチョウド、大唐国で法事の太鼓や鐘を搗く・・合図の前に、すでに遠く朝鮮、新羅国で、法事(上堂式)をやっているような出来事だ。

誰かが(禅月貫休の詩中に・・)苦、却(かえ)って楽。楽却(かえ)って苦とか。黄金は糞土の如しとか言っているが、こんな見解(けんげ)では確かなモノにはなっていない。

(ハッキリ言えば、苦即楽。楽即苦。これは言葉は悪いが、味噌くそ一緒・・だが天地同根や無依の真人には、チャントしたケジメがいるのだヨ)

  *南山には雲。北山には雨と。四七二三まのあたり相観(あいみ)たり。

   新羅国裏(しらぎごくり)にては、かって上堂せり。

   大唐国裏(だいとうこくり)にては未(いま)だ皷(く)を打たざるに。

   苦中には楽。楽中には苦。

   誰か道(い)いしぞ、黄金は糞土(ふんど)のごとしと。

 

【附記】禅者の一語・・雲門の「日日好日」は、碧巌録 第六則にあり、毎日が良き日であるように努めましょう・・などと、宗教・倫理の言いそうな、現代語意訳をしている本や、作家にでくわします。大間違いです。無門関 第十九則「平常心(びょうじょうしん)」是道や、大鑑慧能「本来無一物」・・あるいは「放下着」「喫茶去」など、どの禅語の解訳をみても、坐禅などしたことがないようなの人の、文字解釈にすぎない意訳です。

おり、おりに、このような附記で、命懸けで修行体得した「禅者の一語(悟)」を紹介します。雲門の「平常心」問答・・素玄居士の「一語」・・公案に即することがあっては、透過(悟り)することなし・・の、甘くない「一悟」を記述しておきます。

●9/17補足【首吊りの足にかみつく野犬かな】この頌、間違って第44則の頌を紹介しました。この頌でも、平常心の「禅者の一語」たりえるのですが、理解される人・・まずいないと思います。さて、確認の結果・・以下のとおり・・「禅は、大学の口頭試問じゃあるまいし、口先のペラペラはどうでもよいのじゃ・・」素玄曰く「カラスがカアカア鳴いている。雀がチュンチュン鳴いている。それで私もチュンチュン、カアカア」

この「何が・・平常心」なのか・・納得できない人が、意味・解釈をするのは、すべて誤訳です。

♪ホウタル・・コイ・・こっちの水はカーライぞ!

【首吊りの足にかみつく野犬かな】

♪ホウタル・・コイ・・あっちの水もカーライぞ!

 

 

 

碧巌の歩記(あるき) NO84 

禅(継承)の・・接ぎ木や温室栽培(集団の修行法)は難しい。

禅は「無字」の公案や「隻手音声」などの悟り(見性・透過)を大事とします。

大悟は一度きりでも、小悟は、その数を知らず・・と言われます。

また、釈迦も達磨も、今なお修行中といわれる。

私は・・禅は、宗教の範疇ではないし、哲学や論理、心理学、精神論など、学問・科学の分野でもない、自己内面の自覚=「禅による」生活そのもの・・である・・としています。

悟りともいい、見性ともいう自覚は、自分の内面の大転換ですが、いくら自分が努力、意図しても、成就する訳ではありません。

坐禅や悟りを意識すればするだけ、悟りは得られません。

それには「役立たず」の独りポッチ禅を行うことが大事です。

ですから、旧来、寺僧(僧堂師家から)の伝燈・印可・継承など、大変に難しいことである・・と断じます。

達磨が中国に渡来して以来、日本に伝燈されてきた、臨済黄檗曹洞宗など、いわゆる禅宗は「禅」を「元・素」=宗(むね)とする・・という意味であり、禅の団体、組織的宗教活動、葬式行事をいうものではないのです。ただ、中国でも日本でも、あまたの寺僧の、生業(なりわい)の中で、認知され、引き継がれてきたので、その印可・継承の実相は、チョウド(沈丁花の赤と白が1本の木で咲き分ける)接ぎ木をするような、師と弟子の二人だけの、ピッタリ息の合った作業とならざるをえなかった、極めて難しい相続・継承でした。

何十何百の師と弟子の間で行われた「ZEN」の接ぎ木(印可・継承)では、失敗や挫折も多くあり、また、手法をかえて、温室栽培(集団研修)で立ち枯れてしまう・・幾多の禅流が途絶えてしまう・・ような事例も多々ありました。さらに世界的に科学万能の時代に至って、なりわいとしての寺僧の継承、集団的修行で、一般人の社会的な参画が少なくなり、純粋な求道心が欠如した若者の台頭とあいまり、まるでスマホが信心の対象であるかのような現象が広まって来ています。禅の退廃化、絶滅です。

では、これからの宇宙時代にふさわしい「禅」は、どのようなTPOで復活、根付くのでしょうか。                  

私は、宗教や集団ではない・・個の「禅」・・それも、それぞれの人の生活に根差した暮らしの中で「独りポッチ禅=三分間ひとりイス禅」が発芽してくれるのでないか・・と考えています。

誰でも、何時でも出来る「三分間ひとりイス禅」が、キット「ZEN」の揺籃となってくれることだろう・・と思うのです。

(ここで雪竇の頌二題を掲示しておきます)

  • 葉落花開自有時(葉の落ちるにも花の開くにも自ずから時あり)第八十八則
  • 夜深誰共御街行(夜は深し誰と共に御街(ぎょがい)=神の御許・に行かん)第二十四則

 もともと、「禅」は、人の存在の目的、意義を問う者のある限り、その人の心に、自然に発芽、発酵されるよう仕組まれている不思議です。碧巌録や無門関など千年前の、禅者達の語録さえあれば、時に「?」と思う処に「独りポッチ禅=3分間ひとりイス禅」のタネが芽生え、その苗木は、好奇心という水やりで、何十年かかろうと、人それぞれ・・きっと大樹となってくれるだろう・・と思っています。

 

碧巌録 第八十四則 維摩不二法門 (ゆいま ふにほうもん)

【垂示】圓悟の垂示である。

この人間が住む宇宙の実態について、いろいろな見解があるが、要するに「是-ある」と「非=ない」に帰着する。

それを肯定して「是」としたところで、是とすべきものはなく「諸行無常」である。

あるいは「非」としたところで、別段、非とすべきものはなく、花あり月ありだ。

この一方的に執着する是非・得失を両忘してしまいさえすれば、本来無一物(即)無尽蔵となる。

人生すべては裸心で生きる、ありのまま(無依)ではないか。

サアて・・求道者たちよ・・君等の面前・背後にあるものはイッタイ何だろうか?

「ハイ・・面前には仏殿・三門。後ろには寢室、方丈(居間)があります」と、シャシャリ出てくる新参の求道者があるとすれば、はたして、この者は活眼を具備していると言えようか?(こいつを、達道の禅者と言えるか?)もし、その真偽を判定しようと思うなら、古人の行跡を点検するがよかろう。

 *垂示にいわく。是と道うも、是の是とすべきなく、

  非と言うも、非の非とすべきなし。

  是非すでに去り、得失ふたつながら忘ずれば、

  浄裸裸(じょう らら)赤灑灑(しゃく しゃしゃ)ならん。

  且らく道え、面前背後には、これ什麼(なんぞ)。

  あるいは この衲僧(のうそう)の出で来たって、面前には これ仏殿、三門あり、

  背後には これ寝堂、方丈ありということあらば、且らく道(い)わん、

  この人 また眼を具するやいなやと。

  もし この人を辦得せんとせば、なんじ親しく古人を見きたるべし。

 

【本則】菩薩三十二人を引き連れ、維摩(ゆいま)居士の病気見舞いにやってきた文殊(もんじゅ)菩薩(菩薩の最高位)に対して、維摩居士は「同行の皆さんのお見舞い(見解(けんげ))は、総て承りました。さて・・どうです?文殊さん、絶対そのもの=禅の第一義とは、どんなことをいうのでしょうか」と、病人らしからぬ問答をしかけた。

文殊「わたしの所信を申し上げれば・・萬法一切の葛藤(かっとう)を裁断して、無言、無説、無示、無識・・あらゆる問答を脱却して深き沈黙に入るのが、これ禅でありましょう」と答えて、言葉を継いだ「さあ維摩居士さん、私どもは所信を陳述しましたから、今度はあなたの番ですよ」と、その見解(けんげ)をもとめたのである。

(雪竇云く・・イヤハヤ、これからが見ものだぞ。だが、維摩居士がどう出るか、チャント腹の中はお見通しだよ・・と箸語した)

  *擧す。維摩詰(ゆいまきつ) 文殊師利(もんじゅしり)に問う。

  「何等(なんら)か これ菩薩の入不二(にゅう ふじ)の法門なるぞ」

   文殊曰く「我が意の如くんば、一切の法において、

   無言(むごん)無説(むせつ)、無示(むじ)無識(むしき)、

   もろもろの問答を離(はな)るる、これを入不二の法門となすなり」

   ここにおいて文殊師利、維摩詰に問う。「我ら各自に説(と)きおわれり。

   仁者まさに何等か これ菩薩の入不二の法門なるかを説くべし」

  (雪竇云く「維摩、什麼(なん)とか道(い)わんや」

   また云く「勘破(かんぱ)し了(おわ)れり」

【9/17 附記】この雪賓の勘破了に、白隠は「ネズミの浄土へ猫の一声」と着語された・・と、釋宗演「碧巌録講話」にある。   

 

【頌】なんと愚かな維摩居士だな。

頼みもしない衆生済度のためだと、世話焼きに明け暮れて、とうとう病気にかかり、毘耶離(びやり)の城下で痩せ衰えて・・哀れにもほどがあるぞ。

それでも文殊菩薩が金毛の獅子に乗り、病気見舞いに来ると聞いてヨロヨロ方丈を掃除して待つ,ナント殊勝な老人であることよ。

それにつけても、文殊が着席するかしないかに、せわしなく「入不二法門」とは何だ?と・・問いをしかける、あわてぶり。

不二(ふじ)法門(ほうもん)ナンテ・・そんな破れ門は・・トウの昔に倒壊して跡形もないのに、口達者な文殊なんかに、さらに無駄口を叩かせる、誠に大馬鹿の維摩老だわい。

(禅者「維摩の一黙」を誉めに褒める、禅独特の表現です)

  *咄(とつ)。この維摩老(ゆいまろう)、

   生まれしことを悲しんで、空(むな)しく懊悩(おうのう)し、

   疾(やまい)に毗耶離(びやり)に伏(ふ)して全身は はなはだ枯槁(ここう)せり。

   七佛の祖師きたりしに、一室まさに頻(しき)りに掃(はら)い、

   不二門(ふじもん)を請問(しんもん)したるは、

   當時すなわち靠倒(こうとう)したるなり。

   靠倒せざりしならんも、金毛の獅子は討(うつ)ぬるに處なかりしならん。

 

【附記】本則は雪竇が「維摩経」の中から最も有名な説話を、禅的に脚色し提唱した話である。

「時に維摩、黙然として言無し。文殊師利、歎じて云く、善哉善哉・・」の完結部分を、雪竇が、故意に削除しています。

有言・無言、共に自ら両忘して一句を為せ・・との意がありありと見てとれる。

方丈とは禅家、住職の居住するところをいい、後に、日本の茶室が十尺四方(一坪余り)方丈に仕立てられたのは、この維摩経の話(・・見舞いに訪れた3万2千の菩薩を、わずか一方丈に坐らせて、まだ余りあったという、維摩詰の神通力)にあやかっての由来である。

はてなブログ 禅のパスポート・・に、禅者の振る舞いについて、読者のご質問に答えています・・碧巌の歩記(あるき)NO85  

棚ボタは、すぐ食べて、誰にも見付からないようにせよ!

この碧巌録の意訳に携わって、辞書やPCで、漢字の語源を調べる機会が多くなった。浅学のあまり、不明の1文字に手こずって、数時間かかることも多くあり、つくづくと漢字(会意文字)の表現の豊かさ、微妙さ・・そして古人の表現の豊かさに脱帽する。

 

佛教学者であり禅者である故・鈴木大拙が、欧米で「禅=ZEN」を広めた時「人が単=ひとりいる」・・の禅を、ZとEとNのアルファベットの中に、どれだけ積み込めたのだろうか?

とりわけ「色即是空」・・この地球に生かされ、養われている生物が、そのまま=空であるとする「般若(空)」を、どのように解説理解させたものなのか?神佛の宗教と主義・論理を重宝する者に「禅=禅による生活」は、棚ボタで落ちてこないだろう。

底の抜けた桶で水を汲みだす、老禅者に敬意します。

 

私は「人生、裸(心)で生きるべし」を信条としているが、禅者として云えば「無依(ムエ)」・・何事にも依るべなし=依るの意は人が衣装を身につけている状態・・外見を装うことがなくなる生活・・を希求している。

ここに言葉や文字で言えない「役立たずの独りポッチ禅」の意義がある。どだい・・あるのでない・・と肯定しておきながら否定する・・文字、言葉が、アイマイ勝手きわまりない比較と分別の・・理正?利性?離聖?理惺?理性=思考なのである。

先達の言葉に「想いは、頭の分泌物・・アタマ手ばなし、アタマ手放なし」とある。何事か閃いたこと「棚ボタ」は、すぐに食べて、身の内につけて他人にはわからないようにするにかぎる。

 

碧巌録 第八十五則 桐峯庵主作虎聲 (とうほうあんしゅ こせいをなす)

【垂示】圓悟が垂語した。

禅者は奪い取る時は余すことなく取り尽くす。

世の人々を、ウンともスンとも反抗できなくさせる呪縛の能力をもつ・・。このような効果的な言動をとる人を・・こそ禅者と呼ぶ。

また頭頂に、光明を放つ隻眼(一つ目)を持ち、全宇宙を一見して、その真意を看破することができるのを、金剛の眼晴を持つ禅者という。そればかりか、鉄を変じて金となし、金を変じて鉄にする仙術・妙用をなし、把住(はじゅう=つかまえる)も、放行(ほうぎょう=捨て去るの)も自由自在だ。この四種のピチピチした禅行の主こそ、真の禅者である。

 

また天下の人の一言半句の口出しを許さず、遠く三千里外に撃退して、寄り付くことを許さない気迫(気宇きう)がある者・・見かけはヨボヨボで杖をつく老人だが・・(コンナ持ち上げ方で禅者を讃えるのが、山奥の禅庵の退屈しのぎか)この四類の禅者の外に、次のような、禅機を商量するべき一大事がある。ためしに例を出すから、よく看るがよい。

  *垂示に云く。世界を把定(ばじょう)して、

   繊毫(せんごう)をも漏(も)らさず、盡大地の人をして、

   鉾(ほこ)を亡(ぼう)し、舌を結ばしむることは、

   是れ衲僧(のうそう)の正令(しょうれい)なり

   頂門(ちょうもん)に光を放ちて、四天下を照破(しょうは)することは、

   是れ衲僧の金剛眼晴(こんごうがんせい)なり。

   鐵(てつ)を點(てん)じて金と為(な)し、金を點じて鐵と為し、

   忽(たちま)ち擒(とら)え、忽ち縦(はな)つことは、

   是れ衲僧の拄杖子(しゅじょうす)なり。

   天下の人の舌頭(ぜっとう)を坐断(ざだん)して、直に気をいだす處なく、

   倒退(とうたい)三千里ならしむことを得ることは、是れ衲僧の気宇(きう)なり。

   且(しば)らく道(い)え、総(そう)に不恁麼(ふいんも)なる時、

   畢竟(ひっきょう)、これ箇(こ)の什麼(なん)人(びと)ぞや。

   試みに挙す看よ。

 

【本則】擧す。

求道者が桐峰庵主(とうぼうあんじゅ)を訪ねてきて問うた。(庵主とは大寺に住せず、生涯を小庵に住し、専ら聖胎長養(せいたいちょうよう)をなす大徳の禅者をいう。

「ただ今、大虎に出逢ったらどうするべきでありましょうか」

桐峰庵主は、いきなり身構え、大きな口で唸り声を発した。

この求道者、その応対に、多少の禅機があったようで、ひどくたまげた様子をした。

その機敏さに釣られた様に、桐峰庵主は呵呵大笑(かかたいしょう)した。

求道者「この老いぼれドロボウ。ナニを笑うか」と毒舌をはいた。

桐峰庵主「いくら、お前さんが罵(ののし)ろうと、どうすることも出来ないだろうよ」 

高飛車(たかびしゃ)な庵主の言いぐさに、気がくじかれたのか、求道者はそそくさと退散してしまった。

(この問答に・・雪竇が着語した)

コリャ、いいも悪いも、双方ともコソ泥だね。

本当の泥棒なら、もう少し上手に盗んだらどうですか。まるで、鈴を盗むのに、自分の耳を覆うて、他人にはワカルマイと勝手に判断するような者たちだ。(中国の故事に、鈴を盗んだ泥棒が、リンリン鳴り渡る鈴の音にたまりかね、他人の耳はそっちのけにして、自分の耳を塞いで逃げ出した馬鹿な逸話があるという)

  *擧す。僧 桐峰庵主(とうぼうあんじゅ)の処に到って便(すなわ)ち問う。

  「這裏(しゃり) 忽(たちま)ち大蟲(だいちゅう)に逢(あ)わん時、

   また作麼生(そもさん)」

   庵主 便(すなわ)ち虎聲(こせい)を作(な)す。

   僧 すなわち怕(おそ)るる勢(いきお)いをなす。

   庵主 呵呵大笑(かかたいしょう)せり。

   僧云く「この老賊(ろうぞく)」

   庵主云く「いかでか老僧をいかんせんや」

   僧 休(きゅう)し去る。

  (雪竇(せっちょう)云く。

   是(ぜ)なることは即ち是なるも、両箇(りょうこ)とも悪賊(あくぞく)。

   ただ耳を掩(おお)うて鈴を盗むことを解(げ)するのみ)

   ◆この言に、後世、ある禅者は「真の泥棒にはカギを与えよ」と着語した。 

 

【頌】棚から牡丹餅は手に取って、すぐに食べるに限る。

食べ損ねると、いつまでも後悔するぞ。

桐峰庵主の虎退治の拙劣なこと。縞の模様が美しいだけの、活力のない虎モドキの求道者・・禅機ハツラツと言いたいが、まるで猫の喧嘩だな。

昔、大雄山下の百丈と、その弟子、黄檗との虎問答・・知らないのなら教えてやろう。

キノコ取りから帰ってきた黄檗に師の百丈が問いかけた。

「山中で大虎に出くわさなかったか?」

すると黄檗すかさず虎の唸り声。

百丈、それを見るや、腰の鉈を取って殺す仕草をした。

すると、いきなり黄檗は百丈を曳(ひ)き掴(つか)んで、思い切りピシャリと引っ叩いた。

 その夜のこと。百丈は坐下の大衆に向って、この大雄山に大虎が現れたぞ。見かけたら食われぬよう注意せよ。老僧、今日、出くわして危うく食われかけたぞ・・と、その黄檗の大虎ぶりを賞賛した。

 

暇をもてあました、達道の禅者たちは、こんな師弟の息の合った、何とも優れた振る舞いの活劇を演じて楽しんでいる。お前達に田舎芝居と歌舞伎座公演の違いがハッキリ解かるかナ・・?

あの百丈老師、さすがだな・・虎のシッポをつかむと同時に、ヒゲまで捕まえた手腕・・さっぱり身動きできない黄檗の哀れさよ。

  *之(これ)を見て取らざれば、之を思うとき千里ならん。

   好箇(こうこ)の斑々(はんはん)も、爪牙(そげ)いまだ備(そな)わらざりき。

   君見ずや、大雄山下、忽(たちま)ち相逢(あいお)うて、

   落々たる聲光、みな地を振るいしことを。

   大丈夫、見しや、また、いなや。

   虎尾(こび)を収めて虎髭(こしゅ)を捋(ひ)きたることを。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO86 ◆9/3=NO87奉魯愚に追記(附記)しました!

誤訳・誤解だらけの禅者の一語・・・雲門「日々是好日」

誰でも知っていて、その実、ひどく誤解している禅語に「日々是好日」とか「平常心是道」とか・・達道の禅者が、全生命をかけて発明した「一悟」がまるで、道徳倫理の一語に解釈され紹介されています。

その誤解、解釈を是正、指摘する処がありませんし、NHKや新聞、本にも、堂々と、常識的な誤訳を掲載する有り様です。

例えば、座禅・・昔から「坐禅」と書くのが正解です。

(坐の意味は、独り・・一人・・バラバラに土の上にスワルこと)

雲門や趙州の禅者の一悟は、順次、語録の意訳で紹介します。

 

この碧巌録には、必ず【垂示】圓悟克勤(えんご こくごん・雲門宗、中興の祖)による前置き解説・・まあ、いわばスポーツの前の準備体操のような、則=話ごとの取り組み方とか、受け止め方とか・・禅機(悟の発動)や禅境(地)の観点とか・・例えば、棒を振るスポーツでも、ホッケーとポロと野球とゴルフでは、同じような仕草でも、内容は大違いのことが、丁寧に解説されています。

実際、今、四冊の碧巌録(釋 宗演講話/井上秀天、新講話/加藤咄堂 講述/朝比奈宗源 訳注)を見返しつつ、意訳に挑戦しています・・が、提唱の作家(さっけ)、老師方は、私と較べ、まるで月とスッポンの禅定力、達道の方々ばかり。さらに、各則、この垂示(すいじ)のほかに、雪竇(せっちょう)重顕(じゅうけん・臨済禅、傑出の禅者)が【本則】と、これの大意を詩的(漢詩)表現にした【頌(じゅ)】で主構成され、加えて、文中一句ごとに着語(ちゃくご)=寸評がつけられてあり、ラストに評(ひょう)・評唱(ひょうしょう)=講評・・則全体のまとめ・・がある・・・ものすごい禅録全提、まるで一則で一冊の本になるような禅語録の集大成です。

ですから、この碧巌の散歩(歩き)では、古来の禅徳の着語(1句毎に、けなしたり褒めたたえたり、自得の感想を述べたり・・の部分と、評は、まるで生い茂る樹の枝葉であり、かえって初心の人たちには、禅の大樹を見通し難い・・と判断して略しています。

ので・・まず【垂示】で、禅の(木登り)注意書を読み【本則】で、実際、禅の大樹にしがみついて登り【頌】で、(はるか景観を望んでの)雪竇の詩を看るような段取りで、茂りすぎた枝葉を剪定(せんてい)した訳です。

 

この碧巌録は、千年にわたる、中国、日本(江戸期までの)写本の時代・・政治の迫害を受けながら、生き延びてきた禅録であり、写本から写本する過程で【垂示】の抜け落ちた語録が残ってきました。

あるいは、禅に語録不要と焼き捨てられた逸話もあり、この禅語録(写本)を引き継ぐ禅者が途絶えたことも影響したでしょう。

ただ「禅者の一悟」は、古今、変わりない・・トドノツマリの,云うに言えない「一悟」です。(雲門の日々是好日も、この厨庫三門【ずくさんもん】も、公案の透過、見性を自覚できない者には、提唱、解説する資格はありません)

 

どの様な、禅機禅境(地)を事例とする則(公案)であれ、その禅者の心境は、行き着く先の、行き尽くした「トドノツマリ」の、覚悟、心境なのです。

その「トドノツマリ・・無功徳な、言語を絶しての一悟の体験こそ、求道者にとって究極の目的ですから、悟境のトドノツマリを両忘した禅者から見れば、いつまでも準備体操をしてばかりいる初心の選手モドキにはウンザリもすることでしょう。

また、禅を畳の上の水練ばかりでなく、イキナリ、水の中に放り込み、犬掻きを体覚させるのも一手とばかり・・に、こうした思いで【垂示】がない則がある・・気がしています。

現に、同義の文句が、【垂示】で、そこかしこで散見されることがあり、圓悟老師、百則の前書き作業、お疲れのご様子である・・と言いたい垂語に時折、出くわします。

 

現代の文字離れした若者にとって、難しい漢字だらけの、何を言っているのか理解できない、棒喝の禅者たちの振る舞いは、無関心なこととなりました。

禅そのものも、戦前・戦中・戦後の、いつ死ぬか解からない、不安な時代に受け入れられた「覚悟」の手立て・・でしたが、そんな緊急事態の需要は廃れて、禅は、今や「観光的な禅」に代わりました。

禅は、欧米にZENとして関心を持たれていますが、日本においては完全に「絶滅危惧種」いや、絶滅したか・・のありさまです。

 

しかし、スマホ万能時代に、心の静寂と安心の、眼前の(禅の)大樹に、登ってみたくなった木登り初心者のために、PC=奉魯愚で意訳しておくのも大事でしょう。

 次の則は、お寺で、雲門が、坐下の求道者を相手に、あまりにも明白な、トドノツマリをのべた・・禅者の教示です。

(以下、公案のHINTは・・集団修行の場や生活環境のTPOで起こりがちな、馴れあいや利権関係を否定する・・人なれば独立独歩たれ・・の公案です)

 

碧巌録 第八十六則 雲門厨庫三門 (うんもん づくさんもん)

【垂示】圓悟が垂示した。

禅者は、世の中の苦しみごとの、すべてを把握して、どんな悩みにもこたえられるような、そんな人物でなくてはならぬ。

また、その見識は極端に走らない、利害、感情のバランスのある判断して疑いを明らかにする卓越した人でなければならない。

よく世話焼きの人が、ああだ・・こうだと指図するが、云えば言うだけ、問題が複雑になって、大混乱になることがよくある。

サアサ、ぐずぐずせずに、ピシリと決める、達道の禅者の行いとは、どうしたものであるか・・言ってみなさい。その心境のほどを看てやろう。

 *垂示に云く。世界を把定(はじょう)しては、絲毫(しごう)も漏(も)らさざれ。

  衆流(しゅうる)を截断(さいだん)しては涓滴(けんてき)も存(そん)せざれ。

  口を開けば便(すなわ)ち錯(あや)まり、擬議(ぎぎ)すれば即(すなわ)ち差(たが)わん。

  且(しば)らく道(い)え。

  作麼生(そもさん)か、これ透關底(とうかんてい)の眼(まなこ)なるぞ。

  試みに道(い)え、看(み)ん。

【本則】雲門文偃が門下の求道者に垂誡(すいかい)した。

「人々はそれぞれに、禅による生活を、日々、為しているのだが、・・肝心の「禅によって為される」・・禅に包まれてあることに気付かず、無明の妄動にかられた生活をしている。もし、ここに、イヤ、それは違うと言う者がいたら、それじゃ、いったい、どんなことがどんな風に禅によるのか・・ここに出して見せてごらん」と見渡した。

しかし、一同、答えられなかった。

雲門は、毎度のごとく、親切に自分が代わって答えて見せた。

「それはこの禅庵,諸氏の脚下そのもの。どうだ解かったか」

それでも自覚しない、解からず屋の弟子たちに、言葉を継いで・・

「お前達・・経を読んだり、神仏に礼拝したり、サモサモに、何かを為しているような、そんなシタリ顔はやめることだ」と云った。

  *擧す。雲門、垂語して云く。

  「人々ことごとく光明を有してあるも、看る時見えずして、

   暗きこと昏々(こんこん)たり。作麼生か、これ諸人の光明なるや」

   自(みずか)ら代わって云く「厨庫(づく)三門」

   (禅庵、禅者の立脚するところ、総ての意)

   また云く「好事もなきに如かず」

   (看経(かんきん)礼拝など仏事一切も無い方がよい・・の意) 

【頌】雲門文偃は、諸人、禅による生活を営んでいる・・と言うが、坐下の求道者は、実感のない、常識に囚われた人ばかり。

蝶は樹(機)を見ず、花を看るばかり。看ていても見えていない者たちだ。看たければ、何時でも誰にでも、隠すことなく見えている「禅による生活」だ。

どうだい・・悠々と、のどかに牛に乗ったまま、禅庵を往来する雲門を見よ。

禅者の暮らしぶりは、行住坐臥・・もれなく「禅そのもの」だよ。

  *自照(じしょう)にして列(はな)はだ孤明(こみょう)。

   君がために一線を通(つう)ずるも、花は謝(しゃ)して樹に影なし。

   看る時 誰か見ざらん。見れども見えざるなり。

   倒(さかさま)に牛に騎(の)って仏殿に入(はい)れり。