『カサ~コソ・・と、枯れ葉と風のフラダンス!』

自力・他力、哲学、欣求宗教ETC・・何の力も借らず・・禅を自覚!

(前略)禅において最も注目すべき事は・・宇宙や生物・人類の興亡のみならず、我々自身の苦しみと危機を・・人間あるいは自力・他力、あるいは危機を救う神の力「deus ex machina」なしに・・全く何の力も借りず解決できうるということである(後略) 

鈴木大拙選集 第24巻 【大拙と禅を讃えて】R・H・プライス       

この1冊 保存版 第2刷追巻第3巻(株)春秋社発行 (後略/抜粋要約p278~英文解説 石橋 裕訳16頁の15頁目)・・ラストのR・H・プライスの英/訳文を読み終えて、著者 鈴木大拙先生が、発行の昭和37年頃(僕が19才 明大の2回生頃)北鎌倉 円覚寺の向かい側、駆け込み寺=東慶寺 山頂の松ヶ丘文庫に坐住、執筆されていたのを思い出した。                          

父が戦前から、参禅の師として師事、法人 松ヶ丘文庫の創設に奔走したご縁があればこそ・・またそれ以前、富山県高岡の臨済宗 国泰寺で江南軒勝平大喜老師に参禅して「大魯」の居士号を受け、また{禅}を世界に紹介した・・鈴木大拙翁から「白鷗」の居士号を、重ねでもらった稀な禅境書画 作家であつた。1914(大正3)年9月28日~2007(平成19)年1月3日(寅・逝去)

達道の禅者は、自分をヒケラカサナイ。自分に正直な生活・行動をする。

禅者は他のことは云わぬ。何故なら「他は誤魔化せても己れの心は誤魔化せぬこと」を、骨の髄まで・・身に染みて承知しているからである。                  

私が父のことを、このように記録しているかというと、生前に・・「禅の墨蹟書画全集」の発行制作を約束しており、どうやら体力・気力ともに衰えてきたので、明年あたり写真を撮影・準備しなければならない時期がきたからです。

禅境書偈・墨蹟画は、文字、言句に頼れない禅(境地)を代弁して、よくその禅機・禅境を表現すると思います。

禅は、もともと「独り自分を自分独り=生活・体験する」そのものだからです。

禅は宗教でもないし、道徳やヨガ、茶道や柔剣道のような錬磨修行のようなものでもアリマセン。禅を世界に知らしめた仏教・宗教哲学者・・禅者である鈴木大拙翁といえど、独り「冷暖自知」するにしかずと、禅の公案を引いて事例を紹介するのが限度なのである。

だから、とりわけ外国人で「禅」に関心のアル方が、東洋の神秘主義に憧れたり、鈴木大拙全集を齧り読みして、ドップリ英文や外国語文献に浸りこんで、日本を尋ねても、著名な禅寺を尋ね、団体で、カシコマッテ「独坐大雄峰」を型真似したところで、無功徳・無一物の禅はドコニモ見ツケルことは出来ません。

文字や言葉でない【生きた禅ニヨル生活】は、独り・・自分の中だけで・・ウソだらけの自分を、坐禅で剥ぎ取り振り捨てて忘(失)しなければ・・逆に摂取することは出来ません。

イヤ・・アリガタ提唱や有料の坐禅会、有名寺の観光禅・・これでは日本から「純禅」が絶滅してしまいます。

冒頭、自力/他力/神仏・哲学など・・何の力も借らず 独り自(おの)ずから会得する境地を、鈴木大拙選集 第24巻 P158の禅問答から紹介しておきます。

般若寺 啓柔禅師が上堂の際 板声が三度高らかに打ち鳴らされるのを聞いて、大衆はすべて堂に集まってきた。

そこで師 一偈を示して曰く『妙なるかな 板鳴ること三声、諸僧 みな来参す。すでによく時報を心得ておるから、今わしが改めて繰り返すには及ばぬ』

こういったまま師は堂を去って退いたソウナ・・(同-雲六/五十五丁のA) 

 

有(会)難とうございました。

(注)禅者の一語/禅のパスポート/羅漢と真珠・・いずれも同一テーマを貼り付けています。

坐禅について(高校生/若者と老生の方々の求道の問いに)応えています*       

はてなブログ 禅者の一語・・禅・必携「碧巌録」意訳 編集中     

はてなブログ 禅のパスポート・・「無門関」素玄居士復刻版 準備中  

はてなブログ 羅漢と真珠・・独り3分間イス坐禅/

//

禅・坐禅は・・独りポッチの仲間なし・・寂寥の旅路ができる方のみ・・!

元服の書 NO23-4-3         2023(令和5)年4月3日

禅・坐禅について(瞑想=美容/健康のため以外の方・・真剣な求道の問いに)応える奉魯愚です
約2年前から奉魯愚(ブログ)を休みました。今日、再開いたします。                 
無価値・無功徳の3分間 独りイス坐禅 無事 続けられた方・・禅境・・いかがですか?一寸(チョット)休めば、元の黙阿弥。なんでもそうなります。
【あると思うな・・悟りと煩悩。無いと思うな運と災難】

私など、言い続けて30年=親離れ・・子離れ・・金離れ・・なかなか執着のきずなは切れません。

 

この奉魯愚は、純粋な禅 追究の方法として 独りイス坐禅を推奨しています。美容・健康とか、心の安定とか、お悟りを得たいとか・・寺僧・サークルや書物、お仲間の教導(ブログでのご利益)を求める人には、まったくお役にたてない内容です。

独りポッチ、イスに座って数息・15分(線香1本位)できるようになりましたとか。 寝禅/ベッドに入って、18呼吸(1呼吸10秒×18回=3分間)経たぬ間に、寝られるようになりました・・とか。

反対に、3分間どころか、30秒(3呼吸も)しないうちに、妄想が湧き出てきて、かえって寝られなくなった・・とか。意訳の「無門関」や「碧巌録」を見れば見るほど、訳が分からなくなってしまった。禅語録などいらない。禅を理解するには、寺僧の教導があればよい・・とか。思いや反論、山ほどある・・とか。中には、禅の解説本を読んで、すべての悩みは、解決した。悟ったとか。随分と誤解の上に誤解を重ねた人もおりましょう。でも、上記の効用効果のあった「肯定」であれ、無駄だと判定された「否定」であれ、すべて大間違いの「答え」です。                     

禅は、誰からも教えたり、教えられたり、AI=PCや本や文字で伝えられる理屈。分析の比較の出来事ではアリマセン。(教外別伝・不立文字)しかし、誰もが、実践、体得(自覚/見性)すれば、自分の中に存在する「イノチ」となります。

●以前、2万回ほどアクセスのあつた はてなブログ(奉魯愚)⇒【禅者の一語】は、碧巌録 意訳の出版用 第2稿 準備下書きです。10数年を費やして、まだ出版に至りません。                 

●同じく 奉魯愚⇒【禅のパスポート】無門関 絶版は、素玄居士(高北 四郎/著者の復刻版の)紹介です。禅者の見偈(解)が 磁石の北を指すように示されています。                             

●奉魯愚⇒【羅漢と真珠】は般若心経の意訳と禅心・禅話・雑記です。20年以上 雪上雪を積みかさねるように、第3稿(出版用原稿)まで、どうにか、あと少しでたどり着きます。生まれるも、生きるも、死するも「天地に、ただ独り、ただ一つの尊い遺伝子をモツ」と覚悟する、禅者を対象に、電波を利用しています。                             

何のことはない・・電子本や、紙本は、これから後に生まれる、「禅」と「役立たずの坐禅」に関心を持つ人たちのために 私にやれる・・私にしか出来ない・・余生の【作務】なのです。独りポッチの坐禅(一人接心)でなければ・・誰にも言わず、知られず、費用や手間(時間や労力)をかけず、日頃の【禅による】生活・・行いがある・・ことを・・誰もが それぞれに自覚してほしいと願う・・孤独に生きる作業です。

「禅・坐禅」は、釈尊(ゴーダマ・シッダルダ)以来・・21世紀、デジタル社会になるまで、宗教(寺僧)の揺籃、保護がなければ生き延びることはできなかったことです。しかしAI・PCの科学文明は、相対性理論のもと、禅を孤立化させ、機能・効用を無力無心にして、アナログ世界に埋没してきました。禅を瞑想として、美容、健康法に仕立てあげて、価値を限定しようとしています。しかし、禅は、般若心経にいう「空」「無」に立脚している絶対の教えです。これからのデジタル社会のサバイバルに、何としても伝えたいそれぞれ一人一人の「人間宣言」です。

人として生まれた以上・・生死事大、無常迅速(禅)の想いや坐禅は、キリスト教や仏教の以前から(インドの欣求の修行や祈り=バラモン教として)誰彼の区別なく存在していましたし 今も 日本に「ZEN」を求める 外国の人が尋ねてきます。禅は・・人間の一人ひとりにあり、これを坐禅により、自覚(気付い)てほしいと願います。       

誰もが「禅」を持ちながら、それに気づかない証拠に、時間は、1日24時間、平等に存在しながら、幼児・老人・若者・母親・病人それぞれに、それぞれの生活環境で、1時間の長さが短かったり、長かったり、バラバラであることです。3分間独りポッチ、イス坐禅で体験できる時間(感覚)は・・ある方は、一瞬。ある方は15分位。ある方は、はかりようのない永遠・・。

どうぞ、初めてのご縁の方は、以前の奉魯愚・・古いと言わず、ご覧ください。中学や高校生を対象に書きましたが、禅の内容が新鮮であることに変わりはアリマセン。

                         有(会)難とうございました。

はてなブログ 禅者の一語・・禅 必携「碧巌録」意訳・編纂/出版準備中

はてなブログ 禅のパスポート・・禅機禅境「無門関」素玄居士復刻/出版準備中

はてなブログ 羅漢と真珠・・独り3分間イス坐禅/禅心/附記・編纂 作文中

3分間の澄心の後 弓道は究道に通ず!円覚寺 故・耕雲弓和尚

元服の書 NO61-1  私は 毎日夕刻 本堂の真ん中で ゆっくり水平足踏み一分間と三分間の澄心(じょうしん)のあと・・         

                                                  *求道の問い(禅語碌の至言)に答えて書いています

円覚寺續燈庵 故・須原耕雲=弓和尚・・鞭撻の想いを偲ぶ。

巻き藁  四十七 「梅に題す」                                                  (文章/平成11年3月3日)

円覚寺 境内の真っ白に香り見事だ。

弓道場矢道の梅は花がつかぬ、心配だ。

私は梅が好きで、續燈庵本堂の床の間には、五岳(ごがく)上人の梅に題す詩を 朝比奈(宗源)老師に御願いした軸が一年中掛けられている。

風波或イハ恐(おそ)ル 袈裟ニ及ブコトヲ     風波或怖及袈裟

懺愧(ざんき)ス 此ノ身イマダ家ヲ出デズ      懺愧此身未出家

天地百年 総ベテ是レ 夢                  天地百年総是夢

笑ウテ看ル 寒月ノ梅花ニ上ルコトヲ           

          笑看寒月上梅花

朝比奈老師は「結句は訳さぬほうがよい。これは あくまで白梅でなくてはならぬ」と言われた。

二・三輪の白梅のもと 仰ぐと上弦の月が冴えている。

丁度、引き絞った弓が 胸の中筋から分かれた「瞬間・矢ヲ看ヨ」の心境だ。                  

「肯心 自(ミズカラ/オノズカラ)許ス」心だ。

ゆっくり水平足踏一分と 三分の澄心(じょうしん)のあと・・この梅を吟じ、反省と勇気に結びつけております。「ありがとうございました。おかげさまです」と。

たまたま、手紙類を整理中、平成11(1999)年、会社の仕事(57才時)の帰りか、お伺いした際のご老師からの手紙があり、その中に同封されていた「巻き藁(まきわら)」という弓道場生宛ての会報(原稿用紙に手書きしてコピーされた)が 二篇見つかりましたので、ご紹介いたします。  

「禅者の一語」元服の書NO61-1/ 「禅のパスポート」元服の書NO61-2/「羅漢と真珠」のNO61-3/・・12/3付け奉魯愚で紹介いたします。

現在、私は、上記 碧巌録と無門関(素玄居士 復刻意訳)、禅の話の雑感を3部作1巻1冊にまとめた、出版の準備(第3稿)を編集しており、追加したり削除したり、徹しきれぬ一面をさらけ出している有様ですが、明夏まで位はかかりそうです。この奉魯愚で 古武士の如く弓道場におられた老師の佇(たたずま)いを 読み取っていただければ・・と念願いたします。

3分間イス坐禅の極意は「弓和尚の澄心」であり、調心(ととのえる)であり、欧米の方にも、弓道は「究道」だと「禅ニヨル生活=行い」を教え、諭されたのです。その呼吸法を、噛んで含めるように語られておられるのです。                           

                         有(会)難とうございました。

はてなブログ 禅者の一語・・禅ニヨル生活/碧巌録 意訳

はてなブログ 禅のパスポート・・禅機禅境/無門関 素玄居士 復刻意訳

はてなブログ 羅漢と真珠・・独り3分間イス禅/禅の心 禅の話/雑記

宇宙で ただ独りの「禅」を目指して・・

元服の書 NO60          

中学・高校生と~第2の人生を歩む方に答えて書いています 

●現代・・禅は寺僧の介在する宗教ではアリマセン。

独り坐禅により自覚する【禅ニヨル生活】行いです。

釈尊仏陀(覚者)の教えを民衆に説かれたのは、独り菩提樹下の坐禅のあと、暁の明星をご覧になって、文字にも言葉にも表現できない・・大覚(見性)をなさり、この「衆生、本来、佛(菩提、覚者)なり」の真実を、できるだけ解かりやすく説かれたのです。

佛(陀の)教とは 悟りたる者の教えの意であり、そのモト・・原点(宗・玄・元・素)の教え・・宗と教の意味でした。菩提達磨により紀元520年頃、海路、中国南海(広東・南京)に渡来以降(先にヒマラヤ越えで伝来した佛教教団や国政・戦争の迫害を受けながら)それが日本に伝来し、欣求宗教として今日に至っているのです。

確かに、千五百年以上の今日に至る、寺僧、禅集団の組織、長い揺籃期がなければ、臨済(宗)曹洞(宗)黄檗(宗)など、個性的な祖師禅(宗のモト)は、日本で三本の太い枝を持つ大樹として根を張ることは出来なかったことでしょう。

しかし・・二十一世紀、もう、そうした伝教の時代は終わりました。

飛行機や自動車・人工衛星。無線、PCなどの電子機器の革命、原爆などの大量絶滅兵器の保持、開発。地球気候変動、環境破壊など、それぞれ主義主張する国々では制御不能なIT文明の社会が乱立、誕生し、それに追い打ちをかけて、経済・産業・生活の格差社会と混乱が「個」としての対応をそれぞれの人に迫っています。

禅は「独り・瞑想」する「行い」の原語です。坐禅は座(家の中)ではなく、独り・一人が、直に土の上にドッシリと坐っている形です。

私は、この行禅こそ「独りイス禅」で、何の功徳(無価値、利権・損得)もない、役立たずの「行い」でなければ、悟り(見性)に至ることはありえず、その坐(禅の)境(地)は  寝起きから、朝食・仕事・就寝まで、朝な夕な、オリオリに少しの時間を割いて フト・3分間程度のイス坐禅を積み重ねるところに、より深い、向上の境地(自覚)が開けると確信しています。

ただ普通の10秒1呼吸を、18回程度。それで3分間になります。目は半眼で、背筋を伸ばし、複式呼吸(寝ている時の呼吸)で、目覚める時、寝る時、通勤電車の車中、吊革に手をやって・・休憩時間の3分間・・頭で比較・分析、効果検証、因果効能を追うことなく(そんな妄想は3分間ホッタラカシ)坐禅してください。思いや効能、造作を意識しない・・捕らわれない、独りポッチの3分間を生きてください。    

いずれは、18回の呼吸(数息観)も忘れ、野球のボールが止まって見えるとか、道に落ちていたタバコのフィルターが、白い土管に見えたとか・・湧く雲の如く見聞する誇大妄想が、いつの間にか消え失せる事でしょう。そして役立たず(無功徳)の禅とか・・ご飯を食べたら、お茶碗を洗えとか、般若心経の色即是空とか、禅者の一語の公案、解説抜きで「なあんだ・・コンナKOTOだったnダ」と、チャント禅が「わが身について」あることを自覚されるでしょう。

まわり中、スマホをかざして歩く人が、足のない幽霊に見える時がくるでしょう。

遠く将来の私の夢は、火星とか土星とかを目指して、孤独に宇宙を旅するアストロノートが、無重力のロケットの中でクルクル回りながら坐禅している姿です。無線映像ですら、何時間、何日間のかかる「過去同士のやり取り」に耐えられるのは独り1人に備わっている「無功徳の坐禅」のチカラしかアリマセン。そうした時代まで、世界中の誰かが・・独り3分間イス坐禅を、つないでいってほしいと願っています。

最近、出版の準備(校正、編集)が遅れています。

まだまだコロナ騒ぎが続きましょう。くれぐれもお大事に。

有(会)難とうございました。

はてなブログ 禅者の一語・・禅ニヨル生活/碧巌録 意訳

はてなブログ 禅のパスポート・・禅機禅境/無門関 素玄居士・復刻意訳

はてなブログ 羅漢と真珠・・独り3分間イス禅の事/禅の心禅の話/雑記

◆世の中の「小さなウソ」見っけたぞ!プロ野球の勝敗(率)?フアンの不満!!

イッタイ誰が、今年のプロ野球に「引き分け」を入れたのか・・

とりわけ・・ヤクルト・阪神・巨人のセ・パリーグ、監督、選手、ファンの不満の高まりを感じる昨今だ。

野球勝負の中に、9回で試合をぶった切り「引き分け」試合となること・・を、コロナの所為(せい)にしてはならない。これを決めた連盟や、コミッショナー、企業、マスコミの面々は、恥を知れ。

辞職覚悟で、アタマを剃れといいたい。

何故か。

試合勝負は、どのスポーツや国々でも、「勝つか負けるか」であつて、引き分けはない。

戦争であれ、商戦であれ、カクレンボであれ、ジャンケンであれ、勝つか・・それとも負けるか・・実に明確な勝負なのである。引き分けの場合は、12回まで戦って決めるのがプロ野球のルールのはずだ。突如の大雨が降った場合など、どうするか・・審判の判断で決める約束だ。

コロナだからとか・・無観客試合だから・・とか・・試合勝負に言い訳は要らない。

プロ・ゴルフの優勝は、1打差の決着がつくまで、死力を尽くして戦う、ジェントルマンルールである。

甘ったるい野球にするな!といいたい。

プロならプロのプライドを持って12回の延長まで、戦い抜いて、引き分けとしたらよかろう。どうして、この試合のルールをへし曲げて、今年だけとか・・観客は5千人にしようとか・・にするついでに・・9回までとする・・に決めたのか?

実際・・試合勝数で勝っているのに、9回までの引き分けの多いチームが優勝する・・こんなチンケで卑怯な野球を、マスコミや評論家たちは、批判しようともしないでのである・・。

私は、もう・・今回は昨日10/26をもって、日本シリーズまで、どこが勝とうと、応援するのをやめる。

皆さんの中に、心ある真のファンがあれば、友人・仲間に伝えてほしい。プロならプロらしく戦え・・と。

それから・・もう一つ・・監督の来季の就任、退任は、日本シリーズ終了まで、OFFレコにしてもらいたい。

気が砕ける選手やファンの気持ちを 無視して決めて試合中に決めて発表するのもイイカゲンにせよと言いたい。

 

この奉魯愚(ブログ)・・禅者の一語・・ナント90日、3カ月もご無沙汰しました。

それこそ、コロナの予防注射の副作用か、体調が思わしくなく、それにポリープの摘出手術や雑事に追われて、どうにか碧巌録第3稿の編集、80項(80%)まで たどり着きました。

私は 明年1月 馬翁+20となります。

ナントか 故・103歳の母の墓前に3月まで・・を目標に改稿しています。

さて・・皆さんには・・相変わらず「数息1回10秒の独りポッチ 役立たずのイス坐禅(3分間計18回)」をなさってください。ダンダンと 1日一瞬ごとの美しさ、愛しさが、身に染みて感じられてきますヨ。

有(会)難う・・(愛が問う)・・ございました。

 

 

 

 

 

禅の入門は・・花の薫り・・野風、お月様・・それに机の「コッン!」で充分です

 机をコツン・・

これは「禅の始まりの終り・・終りの始まり」

    碧巌録 第六十七則 傅大士経講 (ふたいし きょうを こうず)

 【垂示】ありません。

【本則】仏教に帰依していた梁の武帝が、「金剛般若波羅蜜多経」の講釈をしてもらおうと、誌公の紹介で、傅大士(497~?)を招待した。

呼ばれた傅大師は講座に上がると、手にした笏(しゃく)で、コツンとテーブルを一打して、サッサと講座から降り去ってしまった。

武帝は、禅のカナメといわれる金剛経・・その解かり易い話を聞きたいのに、いったいどうなったのか・・愕然(がくぜん)とした。

(この「コツン」・・最も親切で解かりやすい・・禅 入門の行い・・なのに、PC持って右往左往の現代人に似て、サッパリ訳の解からない武帝であった)

誌公が茫然(ぼうぜん)、模糊(もこ)としている武帝に「陛下、金剛経の神髄、ご理解なさいましたか」と尋ねると、武帝は「彼の行ないが一向に解せない」と素直に答えた。

誌公は、同じく武帝の周りに居並んで、キョトンとしている百官たちに「サアサ・・大士の講演はモウ終わりました。これにて閉会いたします」と、その場を取り仕切った。

机をコツンが「禅の始まりの終りで、終りの始まり」なのだ。

もうこれ以上、「ZEN」を語ることはできない。

*仏教学者であり禅者であった故、鈴木大拙翁は、欧米で講演の際、禅・入門の方法を問われて、スピーチ台を「コツン!」と叩かれて、「ここからどうぞ(お入りなさい)」と言われたそうな・・多分、武帝と傅大士の問答、碧巌録 第67則が脳裏を横切られたのかもしれない。

   【本則】擧す。梁の武帝、傅大士に、金剛経を講ぜんことを請(こ)いたり。

       大士、すなわち座上において案(あん)を揮(う)つこと一下(いちげ)して、

       すなわち下座(げざ)せり。

       武帝愕然(がくぜん)。

       誌公(しこう)問う「陛下、また會(え)せりや」

       帝云く「不會(ふえ)」

       誌公云く「大士は講(こう)経(きょう)をおわりたるなり」

【頌】静寂と安心に満ちた禅庵に居れば良いものを、梁武帝の首都、金陵(現南京)まで、わざわざ出かけて御前講義をやるとは、傅大士のご苦労、お疲れ様・・と思います。

もし、あの場で、仙人じみた誌公が、閉会宣言をしてくれなかったら、達磨の二の舞。

(碧巌録、第一則 武帝問達磨=聖諦第一義=廓然無聖

きっと自尊心や野心のカタマリのような武帝と悶着が起こって、挨拶もせずコソコソ都を逃げ出す羽目になったことだろう・・。

     【頌】雙林(そうりん)に向かってこの身を寄せ(よ)ずして、

        かえって梁土(りょうど)において塵埃(じんあい)をひけり。

        當時(とうじ)、誌公老を得ざりしならんには、

        また是れ栖栖(せいせい)として国を去りし人なりしならん。

 【附記】傅太士(善慧大士497~514)と誌公(寶誌 不詳)は住所不定

どこでも裸足で出入りした。頭髪モジャモジャの道行者である。禅観、佛理を語ること、声聞(しょうもん)羅漢(らかん))以上といわれた。碧巌録の武帝問答に混同されて登場する禅者である。堂々と宮中に入り、武帝(481~549)の庇護のもと、仙人の如き祖師禅の前駆者的な禅者に例えられている。

当時、宮廷では、盛んに佛教経典の解釈、講義が行われていて、その引用の一番は「維摩経」「涅槃経」「金剛経」などであった。(・・と、鈴木大拙は禅思想史 第三巻で記述)ただし、武帝は達磨との問答(第1則)でも明らかなように、きわめて自己顕示欲の強い目立ちたがり屋である。仏教に篤いといっても、功徳、顕彰を求めてやまないハダカの王様であった。

とまれ、中国・禅の創世期(初代・達磨から六祖・慧能にいたる)は、欣求的佛教にコンクリされてきた中にあり、無功徳、無心の禅行を、直ちに見せつけられても、禅者の言行への無理解、チグハグ差は避けがたいことだった。

禅のはじめは・・達磨の「不識(しらず)」と、この「コツンと机を叩く」ことからはじまった・・としておきます。それが「純禅」・・というものです。

◆現在、碧巌録(禅者の一語)、無門関(禅のパスポート)の年内、出版をめざして、第3稿を編集、改稿中。雑事や健康状況が差し障り、明年に延びるかもしれません。

この奉魯愚の読者の方には、見るたびに同じ画面が現れて面白みがないでしょうが、せめて1カ月に1回でも、現況をお知らせしたいと思います。

コロナの事大(時代)なればこそ・・たったの3分間・役立たずの独りイス禅・・1日1回でも続けられることを推奨します。

有(会)難とうございました。加納泰次 拝。

 

 

数息のイス禅は、心の免疫をつくる!

◆息(呼吸)は・・心の免疫づくり!

赤チャンが誕生する時、力の限り泣きます。誰から教わったのでもない、この世に生まれて、初めて息をするのに産声をあげるのです。 

赤ちゃんが「生きる」第一の働きは、息(呼吸)をしたこと・・息(イキ)は「自(おの)ずから心を生(しょう)ずる」と書きます。

誰もが、当たり前にしている息が、坐禅の一番、大事な出来事なのです。

坐禅は、まず・・息を数え、息と姿勢を整え、眠らぬよう目を半眼にして行います。昔は、数息(スウソク・息を数える/呼吸)を何万回と数えたり、南無阿弥陀仏と口の中で祈念したり、ヨガの姿勢にしたり、滝に打たれたり、いわゆる集中する修行を集団でしたのですが、無心とか三昧とか、・・ナカナカ団体、組織的な難行苦行は、気が散って成功しません。

現代でも寺僧の跡継ぎを養成する専門道場が、トマトや苺の温室栽培もどきに、形式重視の坐禅研修をして坊さんの資格を与えています。

佛教を生業(ナリワイ)にする僧籍でない一般人は、自宅や仕事・職場、学校の合間に独りで行う・・リラックスした正当な坐禅をなさるよう推奨します。

坐禅に効能書きは要りません。独り接心ともいう坐禅は、独りで、それこそ3分間ほど、静かにやることができれば、達磨 無功徳の禅が体現してきます。

「禅」を建物とすれば、チャント「玄関」=数息・・呼吸から入るのです。

*玄関・・禅語・・最初の関所・・入口の意。

知識や迷いや欲望など、身に着けた思惑、造作を忘れ、捨て去る時・・最後に残るのは「呼吸」と「心臓」の働きです。

此のふたつとも、自分で自分の制御が出来ないことなのです。

制御の不可能なことを成している人間の、もう一つの大事な点は「思考を思考することの出来ない」ことです。

頭脳(思考・感性)は、本能から発達した「言葉や文字」によって思考しています。つまり、産まれた時からの、母親や兄弟や学校などの教育と社会環境で学んだことを、比較し分別して、わが身の利害、損得に利用、判断している訳です。

では、自分と他者を区別する「免疫」のメカニズムはどうなっているのでしょうか。自他を分別するには、自他共通の土台がないと区分できないはずですが、何を自己とし、何を異物として認識するのでしょうか。それにアトピー性皮膚炎とか花粉症は、自己免疫の過剰反応だといわれますが、どうしてソンナ間違いが起こるのでしょうか。不思議です。

*この免疫の考察は、医学者や生物学などの学者、先生にお任せします。

私は、身体と同様、精神(心)にも「免疫作用」があると思っています。

これを、心(霊性)の免疫と呼ぶことにしていますが、それぞれの人が、一人独り、自己参究する・・坐禅の数息(呼吸)から始まり、分析、区分できない矛盾の公案から・・突然、頓悟(飛躍)・・見性/自己同一/透徹・・の自覚(境地)にいたる・・それでいて、ハッキリ、禅ニヨル生活を淡々と営んでゆく・・そんな境地を、悟りと言い、この心の免疫を体験(体得)した悟者を禅者という・・と思うのです。

つまり頭脳の神経回路が、普段の思考回路とは別に、公案を拈弄するうちに直観(霊性)的な共感回路として創られ、結成するのでないか・・文字を書けなかった米つき恵能が、突如 頌(悟りの詩)の代筆を頼んだり、梅の香りで大覚したり、竹に石の当るカチンと云う音で見性したりする禅者の・・大悟するのは釈尊以来、独りひとり、さまざまです。坐禅して悟るのではアリマセン。

禅を海外に紹介された、故・鈴木大拙先生(仏教学者・禅者)は、白隠慧鶴の「毒語注心経」・・般若心経の毒舌的解説の書・・の不生不滅の項の一節・・手臂不向外曲(手臂 外に向かって曲がらず)の一語で悟られた・・と、大森曹玄著(株)春秋社発行にあります。

手首やヒジは、内に曲がっても、海のタコではあるまいし、外側には曲がりません。この当たり前の、誰でもわかっている「不自由な自由」の事実に、どうして禅機(悟り)がヒラメキ・・一瞬の内に「天地同根・真空妙用」が体観できたのでしょうか。

後年・・禅者(仏教学者)鈴木大拙翁は、アメリカで「ZEN」に入門するには、どうしたらよいのか・・の問いに、哲学的仏教的解説を加えられることなく、サラリと・・机をコツン!と叩かれて「ココからどうぞ」と答えられたそうです。どうして、コンナ音一つでZENにわが身が投入され、公案が透化されるのでしょうか。

不思議です。この悟りの実態を、もっと脳内革命として研究する禅学者が出てきてほしいものです。

禅を「心の免疫」というのは、身体の免疫(細胞)が、他と自己とを、どんな仕組みで判断、区別してしまうのか・・極めて単純、自由闊達な答えがあると思うのです。それには・・理屈や造作抜きに、無功徳の達磨禅・・役立たずの数息イス坐禅を、独り行なうこと・・分別・意識・好嫌・感情や自利他利の損得が及ばない・・ココロのTPO状態でのみ、禅機・発見・悟りといわれる「心の免疫作用」が機能機作する・・と今のところ思っています。

心の免疫は、体の自己免疫同様、独り一人に備わる無功徳な働きですから、頭脳(の認識)に関与しない・・数息坐禅の実行で体得してください。

よくわからない免疫のことを、禅の場合に当てはめてみました。碧巌録第3稿の編集の合間に、無功徳(無価値)の一人坐禅をご紹介しました。

有(会)難うございました。 

禅者の一語・・コロナ騒ぎに痛めつけられた庶民をナイガシロにして、繁栄した国はあるか?

◆庶民を蔑ろにして繁栄した国はあるか?

碧巌録 第六十一則 風穴家国興盛 (ふけつ かこくこうせい)

【垂示】説法するぞと、告知の旗を立て、鐘や太鼓で人を集めて教導するのを宗師と呼ぼう。

また至道、未道の禅境(地)や、善悪さだかでない出来事を分別、裁定できる者を作家(さっけ)と呼ぼう。

また、火花散る刃(やいば)の間に立ち入って死活を論じ、求道者の境地を見計らって三十棒くらわすのも・・マア、それはそれとして・・ここに宇宙の森羅万象を総括する一句があるとスレバ・・どのように問答したものか。

試みに挙す、看よ。

 【垂示】垂示に云く、法幢(ほうどう)を建て、

     宗旨を立っするものは、また他は本分の宗師なり。

     龍蛇を定め、緇素(しそ)を分かつものは、

     すべからく是れ作家の知識なるべし。

     釼刃上(けんじんじょう)に殺活を論じ、

     棒頭上(ぼうとうじょう)に機宜(きぎ)を別つことは、

     則ちしばらく置く。

     且(しばら)く道(い)え、

     寰中(かんちゅう)の事を 獨據(どくきょ)するの一句、

     作麼生(そもさん)か商量せん。試みに挙す、看よ。

【本則】風穴延沼(ふけつえんしょう 第38則参照)が、座下の求道者に垂語(すいご)した。

この国家(社会)の出来事は、古今東西、政治と税金・・つまりは利権で成り立っている。

*殺人亡国兵器としか思えない原子力開発の、ホンのおこぼれのような平和利用とか、敵機を発見するレーダー変じて、便利なチンするレンジに化けたことを大喜びしたり、スマホ中毒の信号無視で交通事故が多発したり・・世のため人のためと称する国家の隆盛、文化の発達・・その大半は、ホントは無明の妄動、妄想の間違いではないのか・・

AI(人工知能)は、二十一世紀、第4次産業革命だろうが、はたして、人類の労働開放や幸福をもたらしてくれるものか・・どうか。

だが、この一塵(いちじん・行政、司法、産業、軍備)を発揮しないと国家は衰亡する。そして、現代社会のトドノツマリハ・・原爆か大災害かコロナ騒ぎか電気の使い過ぎの停電一発で、総てが闇となる・・リセット社会であること・・留意しよう。

後の編者、雪竇重顯(せっちょう じゅうけん・明覚大師・浙江省雪竇山資聖寺 980~1052)・・風穴の垂語が偉く気に入って、杖をこねくり回して座下の求道者に云った。

ドウダ・・この風穴の国家、社会文化論。意見に共鳴する眼の冴えた禅者がいるかナ?

 【本則】挙す。

  風穴、垂語して云く「もし一塵(いちじん)を立(りつ)すれば、家国興盛し、

  一塵を立せざれば、家国衰亡せん。

 【雪賓、拄杖(しゅじょう)を拈(ねん)じて云く「また同生同死底の衲僧(のうそう)有りや」】

【頌】自分の身が安心、安全なら、他のことはどうでもよい・・という輩は無視するとして、まずは自国の文化の発展に協力、努力しなければならない・・。そんな眉をひそめて心配顔の田舎老人は放っておくとして・・イヤ・・チョット待てよ・・民を忘れた国家は衰亡して、ことごとく歴史から消えてしまっているぞ。

ただ荒野に吹く野風、ジケジケした梅雨(コロナ騒ぎの)

街角の風景が無常を奏でる術(すべ)を知っている。

  【頌】野老(やろう)には従教(ゆい)せよ、眉(まゆ)をのべざることを。

   しばらく家国に雄基を立することをはからん。謀臣猛将は今いずこにかにある。

   万里の清風ただ自治す。

【附記】この則は、政治、主義、利権、社会制度にまつわる時代背景を考慮しなければならないことがあり「禅者の一語」公案解説に適切でありません。他に38則風穴祖師心印・・ともに公案とするより、禅の文学とか大衆演劇化のハシリと見た方が適当でないか・・と思います。

・・まるで千年前の平安時代を、現代人が批評するような味気なさがつきまといます。

風穴延沼(フケツ エンショウ896~973)唐朝末~宋朝の禅は、看話(カンナ)禅が主流になる時期に当たります。師弟の商量(禅問答)が儀式化して、悪く言えば芝居じみてきた時期です。達磨から六祖恵能までは、師と求道者の直接問答でしたが、この頃は、問答する為の問答・・問者と答者の、表現技巧(禅機)を、参列する観客(求道者)に見せる・・演劇的効果を持たせるものになったようです。

禅を戯曲化して演じて見せるような傾向は、現代日本の禅寺でも、滅びの前兆として、沢山の事例で散見できます。宗教の末法・・試練の時・・来たれりでしょう・・

*この則に因んで、今のご時世を見れば・・地球規模のコロナウイルスの行政の遅れる対応、マスコミの思わせぶりな報道・・東京オリンピックの開催の是非をめぐる政治・・隣国(中国、北朝鮮)の軍拡、恐喝外交、拉致、中東やイスラエルの騒動など、いったい千年後、どんな歴史的評価でいわれるのだろう・・と思います。

自裁死された西部邁先生ではないが、国民が拉致されても取り戻しに行けない自衛隊・・お仕着せの憲法にくるまれた、ふがいない日本社会と首相。放送を見たくない権利を認めない放送法(見ないのに受信料を取るNHK)など・・スマホで与えられた情報を追っかけまわすノ~テンキな若者・・人と生活にまつわる本質的な行動を忘れて、それこそ・・うつつ(現)をぬかすバーチャル社会が心配です。

人とIT社会のこれからがバランスの取れたものになるための課題は山積みです。

 

◆それならば、一度、生きながら葬式してみませんか・・(元服の書NO55)

◆悩み苦しみは「断捨離」できません。

誰の教導を得ても解決できません。

独り寂寥の天地に坐す「禅」のみが「安心」を覚悟させてくれます。それならば・・

一度、生きながらに、死んでみませんか!

中学・高校生とその親御さんたち~第2の人生を歩む方の問いに答えて書いています

私は親鸞さんを信じていますので、死ぬ時には・・禅者の一語ならぬ「南無阿弥陀仏」で、100%そっくり委ねる覚悟でおります。悩みごと(煩悩無尽)は、途絶えることなく、次々に襲いかかってくるものです。

そうであるなら・・一度、生きながらに「死んでみませんか・・生前葬」で自己を見直すことをお奨めします!

私は、煩悩の「断捨離」は、人として無理なことだ・・と思います。

禅では「煩悩即菩提」簡潔に例えて云えば「悩みは悟り」の意・・紙の表裏の関係です。

白隠さんの言葉だったか、今・・調べなおす面倒を省きますが「どうせ死ぬなら今 死にゃれ(禅によって生きながら死になさい)。一度死んだら二度死なぬ」の至言を読んだことがあります。

人生の一大事「生死」への不安や、嫉妬や恨みに絡む事柄の総てや、部屋の後かたずけですら、そう簡単に断ずることも捨てることも離れることもできません。

禅に、大悟一遍・省(小)悟その数を知らず・・でしたか、一度、見性解脱したからと言っても、縁(エニシ)業(ゴウ)によって妄想(執着想い)は次々と発生してきます。

達道の禅者は、まるで雲の如く湧いてくる想いや悩みを放任して、なおかつ「平常心」を失ないません。

その例をあげます。佛教に四弘誓願という寺僧の誓いがあります。修行・勤行唱題の前にとなえる誓願です。宗派によって、多少の文言が違い四弘誓願になったり五弘誓願だったりします。

ここで取り上げるのは、禅(宗)としての4つうち「衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願上」2番目の「煩悩は尽きることなく、断ずることを願い誓います」の口上です。

佛(正覚を得た禅者たち、または釈尊)の教えは、いずれにしても【煩悩は断ち切れるものではなく、雲の如く湧き出てくるが、取りあうことなく放任すれば、いずことなく消失してしまう・・煩悩は、そのままにして菩提(正覚、悟り)なのである】と般若心経にあります。

さて・・悩み尽きない・・断捨離できない貴方に提案します。

いっそ生きている内に一度死んで、蘇(よみがえ)って、新しい人生を歩まれたらどうでしょう。これを「生前葬」とか「逆葬」といいます。

第2次世界大戦の頃、召集の事前に、寺僧に計って本当に経帷子で棺桶に入り、読経や焼香などして、お位牌まで作って、本当の葬儀と何ら変わらぬ式順序で「生前葬」をなさって出兵された方がおられました。

戦争でいつ死ぬかもわからない・・遺髪や爪のヒトカケラも家に戻れないことを覚悟した「逆葬」のことです。

幸いにも戦火の中を無事、生き延びて帰還された方は、きっと仏壇の自分のお位牌!?に(ロウソク・線香を点すとき)生かされてある自分の不思議に感謝したことでしょう。

ですが・・今回のアナタの生前葬は・・基本・・寺僧・読経抜きの、アナタ主催の真剣な企画、制作、実行による・・葬儀社(会場)協賛のIVENT企画です。

これをいくらでしてもらえるか・・どうか・・葬儀社に計って見積りをとり、自分の大好きな服装で、家族や真の友人に弔辞を読んでもらい・・生身で目を閉じて・・棺桶に入られたら・・どうでしょうか。

略式なら段ボール製棺桶にして、家族葬位の費用以下(10万円位まで)で出来るでしょう。読経は必要ならテープで流せば十分。友の弔辞をよく聞いて、お別れの花を棺桶に入れてもらって・・静かに「生きてあるオカゲサマ」に想いを致してください。

坊さんのお経、お布施は基本、不要とします。企画も・・会場(場所)も、段取りも、全部、死者となる貴方の・・思うままの仕切りの生前葬です(出来る限り清楚で、誠実な生前葬の集いであってください)

香典は、あとで出席者の茶話会用に利用して、ご当人は(亡霊として)出席すればよいでしょう。

後日・後年、本当に逝去されたら、もう葬式はしない、要らない覚悟で遺言書を準備しておくことです。その時はお通夜して火葬場に直行。お骨は海なり山なり、風と共に去りぬです。もちろんお墓があるなら、そこに入るのもご自由です。

生前葬をなされた・・それからのアナタの生活態度は・・煩悩無尽誓願葬。

さぞかし清々しい毎日になることでしょう!

*もし四国八十八か所、お遍路さんに参画なされた方は、巡礼の服装で、同行二人の杖を持たれて納棺されたら良いでしょう。この方が先に実行されるべきかも・・と思います。手持ちの資金やコースなど、迷惑が掛からぬよう よく検討してやってください。もちろん歩き・・野宿覚悟の西国、巡礼の旅・・行脚です。

【附記】生前葬(逆葬)のイベントは、今後、寺僧や葬儀社のサバイバル営業企画として普及すると考えられます。

ただし、これからの人生・・独りポッチで「生まれ、幸せをつかむべく努力し生きて、独りポッチで死んで往く」・・アナタが断捨離をやれない悩みの分・・それならば、と発案・提案したことです。

寺僧・葬儀社のセットもの、ユニット企画に利益(ゴリヤクを)乗じられないよう、アレコレ、シッカリ考えて費用も出来るだけ安く、真に泣いてくれる人だけで生前葬を行ってください。

このイベントは、宗教やNPOや組織・団体には一切関係なく、アナタ(独り一人)による企画実施である旨、心してください。

この雑記は「元服の書」というサブタイトルをつけています。中学から高校生を対象(ご父兄など、私から見れば、孫とひ孫にあたる方がたを対象)に、奉魯愚しています。

元服」とは、江戸時代の成人式です。当時の平均寿命は40才~長くて50才未満。元服は大人の仲間入りの儀式です。武士や商人の子は、親せきや町方の人々が大人の仲間入りの証人として、切腹の模擬儀式をして祝いました。そして、このことは同時に動物の親子の別れ(親元を離れる)を意味していました。

男は奉公や仕事見習いに出、女性は15才前後で結婚、子育てをした時代です(女性は20才で大年増・・オバサンの意)

当時は、すべての人が貧しくて、抗生物質がなく、チョットのケガや病気でバタバタ死にました。それだけに生きることの大事さと難しさを両天秤にして「あると思うな・・親と金。ないと思うな・・運と災難」と生き抜いていました。

現代の電磁的社会と200年位しか遡らない昔ですが、アナタ方たち・・よくぞ次々に出生して代が繋がりました。

現代・・コロナウイルスの世界的な蔓延で大変ですが、何事も、昔の日本人にできて、今の日本人にデキナイことは無いと思いたいのですが・・どうでしょうか。

提案の生前葬は、独り寂寥の天地に立って、合掌瞑目して納棺なさってください。どうせやるなら父母兄弟を招待して実行してもらいたいと願っています。

余談ですが・・私の父、加納白鷗・大魯居士(禅境書画作家)は、2007年1月3日92才で亡くなりました。仏教学者(禅者)鈴木大拙に師事して白鷗号を・・また臨済宗国泰寺派管長の江南軒 勝平大喜(かつひら たいき1887~1944)老師に参禅、大魯の居士号をもち、戦地に赴く前、位牌を作って生前葬を行っております。

なんの因果か・・逝去の1月当日は私の65才誕生日でした。私の名・・泰次は、大喜老師から、国泰寺にチナンデ名付けてもらいました。また、父が滋賀、比叡山麓で拾った紀州犬と柴犬の雑種「梵子・ボンコ」が早朝、哀しく啼いて殉死しました。父のベッドの下で、丸く微笑を浮かべたように寝入った姿でした。奇特なこともあるかな・・と思います。有(会)難とうございました。

はてなブログ 禅者の一語・・禅ニヨル生活・碧巌録 意訳

はてなブログ 禅のパスポート 無門関 素玄居士 復刻・意訳

はてなブログ 羅漢と真珠 独り3分間イス禅の事、禅の心禅の話、雑記

碧巌の歩記(あるき)NO81 注意!ソラ・・矢が飛んできたぞ・・

 

●瞑想や坐禅が「役立たない修行」なら、どうして釈尊は、菩提樹下、坐禅なされて悟りを開かれたのだろう・・?  

悩みや苦しみから解脱するために「禅」はあるのだろうか・・?

「独りポッチ禅=何の役にも立たない三分間ひとりイス禅」・・を推奨される理由がわかりません。

今、世界中に流行っている瞑想や坐禅は、効能・効果が一杯あって、悩みスッキリ、チャント役立っている・・と思われているのなら、ことさら、私が提唱する「独りポッチ禅=金ヒマかけず、自分一人で、好きな時に、椅子に坐る三分間程度の、眼を半眼にした、何の役にも立たない坐禅をおやりなさい」・・に関心を持たれることも、この奉魯愚(ぶろぐ)をご覧になる必要もないことになりましょう。この無価値な「ポッチ禅」に、何か心惹かれるものがあるとすれば、「無価値」とか「無功徳」とか、「役立たず」とかの言葉の持つ・・何か・・問いかけてくるもの・・のはずです。

さて、坐禅は・・「役立つとか・・役立たない」・・とか、イッタイ何に対して・・機能機作する目的と方法、手段なのでしょうか。

自分の心が安らぐ・・とか、ストレスを解消したい・・とか、自分の心の落ち着きが欲しくて、病気の対処療法の「薬」のような効用効果を求めたい時には、どこかの寺僧の指導を受けられたり、PCや本で学習されるのが、お手頃かも知れません。

ここで提唱している「独りポッチ禅=三分間ひとりイス禅」は、達磨がインドから中国へ「禅」を伝えた時の「無功徳」=何のご利益(りやく)もない・一切、役立つことがない・・禅(の心)・・達磨は、この禅境(地)を「廓然無聖(かくねん むしょう)」=カラりと晴れた青空・・といっています。

その禅境を自覚したい、目的のために坐禅という方法をとる・・つまり「何にも役立たない【禅】を自覚したいのなら、何にも役立たない「坐禅」をする」のが、一番、最良の方法・・という訳です。

実際、禅の専門道場(僧堂)で、悪戦苦闘、難行苦行の雲水(僧)が大悟見性した例は、余り多くありません。皆さんがよく知っている一休(宗純)さんは、二度自殺を図って参禅修行された方ですが、師からの印可状(見性=悟りの証明書)を焼き捨てて、風狂の禅者と言われた生涯でした。亡くなられる時の遺偈に「誰か我が禅を会す」と独りポッチ禅を称揚されています。また、新潟の五合庵の(大愚)良寛さんは、子供たちと手鞠をついて遊びながら、権力、権威の生活社会から離れ、宗教色を微塵も出されなかった自由人でした。

臨済宗、中興の祖と言われる白隠(慧鶴)さんは、托鉢の途中、農家の婆さんに、箒で頭をどやされて、サトリを開いた方ですし、鐘の音を聞いてとか・・庭掃除の最中、石ころが竹にあたる音で大悟した人や、花の香りや、暁の星の輝きから・・これは釈尊です・・中には鼻を痛いほど捻られてとか、雷に撃たれて・・大喝、突き飛ばされて・・などなど、沢山の人が大悟されていますが、ワザワザ禅寺の専門道場で坐禅の最中、悟りを開いたと言う人は、ヒドク少ないのです。

(もっとも、禅寺の跡継ぎ養成の為の期間限定での修行では、卒業証書ほしさの勉強と同じで、形ばかりの修行で無理からぬことです)

昔の禅修行は、自分を本当に鞭撻(べんたつ)してくれる師を求めて、行脚(探訪)した、弟子が師を選ぶ・・生徒が先生を選ぶ、真の見識のある手に手をとった指導と修行法でした。                 ですから、オリオリに坐禅もする・・働き(作務)もする・・普通の生活の中で、米麹が次第に醗酵して「美酒」が熟成するように、自然と「禅」が大覚・見性されているのです。臨済

厳しくいましめる・・「造作」=「ハカリゴト」は、一切、ありませんし、思惑は効能書きにすぎないのです。

何とか坐禅して悟りたいとか、不安な心を解消したいとか、自分本位に坐禅を考えたり、利用しようとする人には、サトリは絶対に得られることはありません。(欧米の禅ブームのほとんどは、心理学禅・病理学禅で、精神病を治療する方法として研究されていますので、ひどく「悟り」とは縁遠いものです)むしろ悩みが一層、深刻になって心身とも病気になりかねません。禅を利用したり、役立てたい・・と思う「欲求、分別」心や文字、言葉に「執着」する心こそ、マスマス 禅から遠ざかることですから、まず、どうせ「役立たない」坐禅なのだ・・と、その効能効果、機能機作を捨て去るところからスタートするのが一番です。

次に、無理にとか、やる気のない時には、やらないことです。

他の仲間と共に・・とか、ご一緒にどうぞ・・とか、気を紛らわすようなこともしてはなりません。一人で静かにやり続けましょう。

まず、呼吸を数える「数息」から初めて、やがて・・数年か・・数息を忘れて坐禅できるようになったら、無門関か碧巌録の公案(禅語)の一則を、鉄の飴玉をしゃぶるように、それが頭の中で、溶けて無くなるまで・・何十年でもしゃぶっている・・ような、覚悟の坐禅を続けられることです。

禅語録「公案」は、どれをとっても、論理・哲学的ではありませんし、分別・思考に適合した解答は、永久に得られるものではありません。つまり、どれもこれも正解を得難い矛盾の問題・行動集です。もし、公案に、何か論理的に解明できた・・と思う「答え」がある・・としたら、それは全部(その答えは)絶対に「間違い、偽物、思い込み、つくりごと」です。それは「妄想、執着」です。貴方の「禅」は、どうやら死ぬまで「正解」が得られないで終わるかも知れません。実は、それでいいのです。(達磨は二祖慧可を得るまで、嵩山少林寺で、面壁坐禅九年を要した・・と言われています)「零点か・はたまた満点か」どちらになろうと、かまわないではありませんか。その最終の禅境(地)は、達磨さんのいう「廓然無聖=カラりと晴れた青空」なのです。

「役立たない坐禅」は、ソンナ清々しい青空の坐禅なのです。

また、万が一にも、突然、予期せぬサトリが、貴方にやってくるかも知れません。つまり「百点満点」です。その時は、言葉にも文字にも仕草にも表わせない、ただ自知するのみの禅境(地)・・カラリ晴れた青空・・でしょう。

 

碧巌録 第八十一則 薬山麈中麈 (やくざん しゅちゅうのしゅ)

【垂示】圓悟が求道者に垂示した。

敵の軍旗を奪い取り、進軍ラッパも鳴らぬようにしたら、それこそ天下無敵、百戦百勝の猛将だ。

千人の達道の者が攻め寄せたとて、その働きは止まらない。

また達磨さんのように、無功徳(むくどく)・不識(しらず)の鉄壁な心根なら、どんな策略をもってしても破れることはない。

これぞ神通妙用であるし、絶対そのものが、ありのままに現前することだ。

さて、どのような者なら、そんな奇特な働きが出来るのであろうか。その例を挙げるから看よ。

  *垂示に云く、旗を攙(ひ)き鼓を奪わば、千聖も窮(きわ)むることなからん。

   訤訛(こうか)を坐断すれば、萬機(ばんき)も到らざらん。

   これ神通妙用にあらずや。また本体如然(ほんたいにょぜん)にあらずや。

   且らく道(い)え、この什麼(なに)によってか、

   恁麼(いんも)に奇特(きとく)なることを得るぞ。

【本則】ある求道者が薬山惟儼(やくさんいげん)の禅庵に来て「あの天台山・平田の草原にいる鹿の群れの大将(大鹿)を、見事にやっつける方法がありますか」と、まるで自分が、その大鹿であるかの如く問いかけた。

すると薬山「ソレ箭(矢)が飛ぶぞ」と、弓を引く仕草をした。

・・少しは「禅」を頭で理解していた求道者は、射殺された大鹿のようにパタッと倒れてみせた。

薬山、当然のように、傍らの侍者に「この倒れた馬鹿をかたづけよ」と言い放なった。

これを聞いた求道者、驚きアワテテ逃げ出した。

薬山これを見て「ナント下司な野郎だな。最近、こんな大根役者ばかり増えてきたな」と、いたく嘆いた。

(雪竇、尻に帆をかけて逃げ出した求道者に一言・・立ち上がり三歩は逃げ出せても、五歩までは保(も)たんなあ・・)

  *擧す。僧、薬山に問う。

  「平田の浅草(せんそう)に麈鹿群(しゅろくぐん)をなせり。

   如何にしてか麈中(しゅちゅう)の麈(しゅ)を射得(せきとく)せん」

   山云く「箭(や)を看よ」僧、放身(ほうしん)して便(すなわ)ち倒(たお)れたり。

   山云く「侍者(じしゃ)よ、この死漢(しかん)を拖(ひき)出(いだ)せよ」

   僧便ち走れり。

   山云く「泥團(でいだん)を弄(ろう)するの漢、什麼(なん)の限りかあらん」

   (雪竇拈(せっちょうねん)じて云く

   「三歩は活すと雖(いえど)も、五歩では死するべし」・・)

【頌】大群の鹿の王者と名乗った求道者を、薬山は、獲物が鍋ネギ持参でやってきた・・とばかり、一矢で射とめてしまった。

求道者が葬式準備に驚いて逃出す様子は五歩もモタナイ慌てようだ。惜しいかナ、グッと踏みとどまって、睨みかえす度胸があれば、かえって群鹿を率いて、大敵の猛虎を追うことも出来たろうに・・。されば、薬山の手際の鮮やかなこと。

狩人の正眼をもって、唯の一箭(ひとや)で大鹿を射止めるとは・・と、雪竇、頌(じゅ)し終わった瞬間「ソラ、箭が飛んできたぞ」と座下の求道者に大声で警告した。

  *麈中の麈を、君は看取(かんしゅ)して一箭(せん)を下(くだ)せり。

   走ること三歩、五歩にして、もし、活するならば

   群を成(な)して虎を趂(お)いしならん。

   正眼(しょうげん)は従来猟人(じゅうらいりょうじん)に付(ふ)す。

   雪竇(せっちょう) 高声(こうせい)に云く「箭(や)を看(み)よ」

 

【附記】禅機(悟りのキッカケ)を問う公案。ただ芝居の出し物としては、薬山が嘆くように、役者が大根役者のうえ、ドサまわりの芝居です・・行脚の雲水の、あまりの低レベルさに、ガックリきている様子が窺える逸話である。最も、現代の方が、もっと酷い観光禅の状況であるが・・!

 

碧巌の歩き NO82 「何も釣れない時・・一言どうぞ!」

●釣り好きの私は、よく、何も釣れない、丸坊主のことがよくある。もっとも大型のチヌ(クロダイ)やハネ(シーバス)が釣れた時でも。ケータイの写真にとって、全部リリースしている。太刀魚のシーズンには、もれなく釣れた分は持ち帰り、バター焼きにしたり、ご近所に配り歩いたりするが、今年の夏は、体調に問題があり、少し岸壁から遠ざかってしまった。

この垂示「竿頭絲線(かんとうのしせん) 具眼方知(ぐがん まさにしる)」に対応するべし・・と思う頌に、第六十二則、雲門形山秘在の頌をあげる。

雲門文偃(うんもんぶんえん)(852頃?~928頃?雪峯義存(せっぽうぎそん)=の弟子、雲門宗開祖)・・その弟子、巴陵顥鑒(はりょうこうかん)(不詳)と同じく、この則に登場する・・白兆志圓(はくちょうしえん)の弟子、大瀧(だいりゅう)智(ち)洪(こう)(不詳)は、ともに洞庭湖畔に、詩的、禅的に悠々の生活を送っていた禅者である。年代も推定だが、ほぼ等しく、時に相まみえる機会があったかもしれない。

     雲門形山秘在 第62則 頌 

「看(み)よや 看よ。古岸(こがん) 何人(なんひと)か釣り竿を把(と)る。 

  雲 冉々(ぜんぜん)。 水 漫々(まんまん)。 

    明月(めいげつ)蘆花(ろか) 君自ら(みずか)看よ」 

 

碧巌録 第八十二則 大龍堅固法身 (だいりゅう けんごほうしん)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示して云った。

釣竿の先は、魚を懸ける釣り針に餌・・と決まっている。

禅者たる者が、求道の魚を釣り上げて、どんなものか検証しようとしても、チャントした具眼の魚であるなら、うまく餌だけ取って針には懸からないものだ。

達道の禅者が月並みでない計略で、こちらを説得しようとしても、こちらが作家でありさえすれば、いくら狡猾な手立てを講じようとしても、その手は桑名の焼きハマグリだ。

サア、その釣竿の餌とか・・探り釣りの技術や予想外の機略とか・・もともと、絶対の真理とは、どんなことを云うのか・・試みに挙す 看よ。

  *垂示に云く、竿頭(かんとう)の絲線(しせん)、具眼(ぐがん)はまさに知る。

   格外の機は、作家まさに辦(べん)ず。

   且らく道(い)え、作麼生(そもさん)か これ竿頭の絲線、格外の機なるぞ。

   試みに挙す 看よ。

【本則】ある日、洞庭湖畔、自然に抱かれた美しい大龍山に禅居する智洪を尋ねて来た、ひとりの求道者が問うた。

「吾が肉体は亡びます。では、堅固不滅の法身(禅・悟り)と言われるものは如何ですか」

大龍「どうだネ、山野に咲き乱れる花をご覧ナ。あの渓谷の藍の如き水を看よ」(これこそ、お前さんの探している法身の露現だよ)

  *擧す。僧 大龍に問う「色身(しきしん)は敗壊(はいこ)す。

   如何なるか これ堅固法身(けんごほっしん)」

   龍云く「山花は開いて錦に似たり。

   澗水(かんすい)は湛(たた)えて藍(あい)のごとし」

【頌】この求道者・・せっかく達道の禅者、大龍に面接しながら、質問の仕方を知らない。その親切な答えすら、合点していないようだ。色身は淡雪の如し・・と思い込み、法身はダイヤモンドの如きと確信する・・ガチガチの硬直した頭の持ち主だね。

大龍の言を、あえてネガテイブに言えば「巌山に月は冷ややかに,樹林には寒風吹きすさぶ・・」となるかナ。

禅者にとって、法身の当體は、春夏秋冬、人それぞれ、その悟境(地)は、いかようにも表現できるぞ。

しかし、概念、哲理に凝り固まった者には、いきなり禅者に正面から出逢うと、どうしてよいか・・わからなくなる・・【香厳智閑(こうげんちかん)の問い・・路逢達道人(みちにたつどうのひととあわば)不将語黙對(ごもくをもって たいせざれ)無門関三十六則】・・のアリサマになったようだ。

  • ソレッ!突っ立ってないで・・何か道(い)いなさいヨ!

さすがだね・・禅者、大龍。手に白玉の鞭をとり、法身の名の宝珠を、ことごとく粉砕してしまった。

もし、堅固法身の撃砕に失敗するような失策をしでかしたなら、人騒がせな罪により、禅の憲法=極意三千條のどれかに該当して罰せられたであろうに・・(天地同根・無依の真人など真意伝達不届きにつき・・/大龍の履歴は生涯不詳)

 *問いも、かって知らず、答えもまた會(え)せず。

  月は冷ややかに風は高し、古巖寒檜(こがん かんかい)に。

  笑うに堪(た)えたり 路に達道の人に逢わば、

  語黙(ごもく)をもって對(たい)せざれよとは。

  手に白玉の鞭(むち)をとって、驪珠(りじゅ)をことごとく撃砕(げきさい)せり。

  撃砕せざりしときば、瑕類(かるい)を 増じるにならん。

  国に憲章(けんしょう)あり。三千條の罪。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO83 ♪ホ-タル来い・・こっちの水は甘ーマイぞ!  

Q,どうして「役に立たない」坐禅を力説されるのですか? 

これでは・・ワザワザ奉魯愚(ぶろぐ)を読んでくれるな・・という態度じゃないですか?

単的にお答えします・・体が疲れたら、どうしますか?

動かないようにして、休ませますね。

では、頭脳はどうでしょう。

詳しくは脳科学者の研究に任せるしかありませんが、肉体の休む夜であってもたゆみなく頭脳は、夢を見ながら働いているそうです。

それでは頭脳は、疲れることを知らないのでしょうか・・

私は、頭脳の疲れ(ストレス)を取るのは、肉体が動くことをやめて、疲れを取るように・・「何も考えない」ことだと思っています。ところが「何も考えない」ことを「考え・・」てしまうのが頭脳なんですね。何も考えずに休んでいるといっても、休んでいるはずの頭脳は、休まずに「自分の利得を考えて働いて」いるのです。

頭脳の「考える」という本能的な機能機作を、自然に休ませるのは、催眠術や麻酔(麻薬)ではなく、科学的に解明されていない・・どうやら「禅」によるしかないようです。

絶対矛盾的自己同一・・と西田哲学では言うそうですが、論理や分析的思考では、歯の立てようのない=解明不可能な「公案=禅語」命題を脳に与えて、その頭脳の働き(分析・解明、思考)を放棄させてしまうのです。

つまり達磨の「壁観」坐禅法=独りポッチ禅です。

例えば ●「両親が生まれる以前のお前とは何だ?」とか・・あるいは・・●「両手を打てば音(拍手)がするが、片手の声はナント言っているか?」・・

「闇の世に泣かぬカラスの声を聴けば、生まれぬ先の父母が恋しい」とはどうゆう事か・・

●般若心経の「眼や耳,鼻,舌,身體,意識」はあっても「看る、聞く、味わう、触覚、意思する・・心の働きはない」とは、どういうことなのか?

●「禅(悟り)とは何ですか?」禅者の答え「その柱に問え」・・あるいは「金石麗生(きんせきれいせい)」や「黄金は糞土の如し」など、どうした観点・実感で云えるのか。

●自分とは何なのか?・・何のために生まれてきたのか?

●どうして坐禅をするのか?・・坐禅で何を得たいのか?

この「何故・・どうして・・何のために・・」の想い(好奇心=思考)が続くかぎり、人は安心して仕事したり、ぐっすりとした眠りにつけません。まして、欲得、利権の亡者や有名・権勢病に憑りつかれると、顔つきまで変わります。

また、思い(妄想)に取り憑かれてしまうと、よく街中で見かける「スマホ」教信者・・と私は言います・・のように、周囲の景色や人の動き、花や鳥、自然の美しさまで・・見えても見えなくなるのです。いや、見えていても見えない自己中=ストレス「こだわり・・執着」の、依存症状・・中毒的症状になってしまいます。

ゆるぎない安心の境地を求めて、達道の禅者に教えを乞う、次の公案・・イキナリ超能力な異次元空間に放り出されたような問答を看てください。

この碧巌録は、今から千年前にできた禅語録です。

坐禅の「役立たず」そのままが禅者の話でまとめられています。

この中の、どれでもよい・・一則の問答に【?】と感じられたら、それが「役立たずの頭脳休息のテーマ」です。嘘も方便とばかり、座禅を組めば悟りが得られる・・とか、心が安らぐとか、捨てきれば落ち着くとか、効能効果をいう提唱・修行は、悩みや想いが深まるばかりです。思い切って、自分に「これは役立たず、ロクデナシの坐禅だ」と、ダメモトでスタートするのが肝要です。

 

 碧巌録 第八十三則 雲門古佛露柱 (うんもん こぶつ ろちゅう) 

【垂示】欠如・・言葉を絶して・・ありません。

【本則】雲門文偃が坐下の求道者にむかって、「禅機」を語った。

「この本堂にある古佛像と、本堂の円柱とは深く相関しているが、それはどんな(時の)ことであるか・・」と、一足飛びに時空を超えた問いを発した。

座下の者たち、いずれも無言なので、雲門は有名な「日日是好日」の如く・・その自らの問いに自ら答えて云わく・・

「南方の山に黒雲が湧き起これば、北方の山にザアザア雨が降る」

   *擧す。雲門、示衆して云く「古佛と露柱と相交(あいまじ)わるとは。

    これ第幾機(だいいくき)ぞ」

    自(みず)らかわって云く「南山に雲を起こせば、北山には雨をくだす

【頌】南山に雲湧けば、北山には雨が降ると雲門は言っているが、禅を伝えたすべての祖師たち(釈尊から達磨、恵能)は、当然のことと承知している仏殿の仏像と柱の関わり合いである。

それはチョウド、大唐国で法事の太鼓や鐘を搗く・・合図の前に、すでに遠く朝鮮、新羅国で、法事(上堂式)をやっているような出来事だ。

誰かが(禅月貫休の詩中に・・)苦、却(かえ)って楽。楽却(かえ)って苦とか。黄金は糞土の如しとか言っているが、こんな見解(けんげ)では確かなモノにはなっていない。

(ハッキリ言えば、苦即楽。楽即苦。これは言葉は悪いが、味噌くそ一緒・・だが天地同根や無依の真人には、チャントしたケジメがいるのだヨ)

  *南山には雲。北山には雨と。四七二三まのあたり相観(あいみ)たり。

   新羅国裏(しらぎごくり)にては、かって上堂せり。

   大唐国裏(だいとうこくり)にては未(いま)だ皷(く)を打たざるに。

   苦中には楽。楽中には苦。

   誰か道(い)いしぞ、黄金は糞土(ふんど)のごとしと。

 

【附記】禅者の一語・・雲門の「日日好日」は、碧巌録 第六則にあり、毎日が良き日であるように努めましょう・・などと、宗教・倫理の言いそうな、現代語意訳をしている本や、作家にでくわします。大間違いです。無門関 第十九則「平常心(びょうじょうしん)」是道や、大鑑慧能「本来無一物」・・あるいは「放下着」「喫茶去」など、どの禅語の解訳をみても、坐禅などしたことがないようなの人の、文字解釈にすぎない意訳です。

おり、おりに、このような附記で、命懸けで修行体得した「禅者の一語(悟)」を紹介します。雲門の「平常心」問答・・素玄居士の「一語」・・公案に即することがあっては、透過(悟り)することなし・・の、甘くない「一悟」を記述しておきます。

●9/17補足【首吊りの足にかみつく野犬かな】この頌、間違って第44則の頌を紹介しました。この頌でも、平常心の「禅者の一語」たりえるのですが、理解される人・・まずいないと思います。さて、確認の結果・・以下のとおり・・「禅は、大学の口頭試問じゃあるまいし、口先のペラペラはどうでもよいのじゃ・・」素玄曰く「カラスがカアカア鳴いている。雀がチュンチュン鳴いている。それで私もチュンチュン、カアカア」

この「何が・・平常心」なのか・・納得できない人が、意味・解釈をするのは、すべて誤訳です。

♪ホウタル・・コイ・・こっちの水はカーライぞ!

【首吊りの足にかみつく野犬かな】

♪ホウタル・・コイ・・あっちの水もカーライぞ!

 

 

 

碧巌の歩記(あるき) NO84 

禅(継承)の・・接ぎ木や温室栽培(集団の修行法)は難しい。

禅は「無字」の公案や「隻手音声」などの悟り(見性・透過)を大事とします。

大悟は一度きりでも、小悟は、その数を知らず・・と言われます。

また、釈迦も達磨も、今なお修行中といわれる。

私は・・禅は、宗教の範疇ではないし、哲学や論理、心理学、精神論など、学問・科学の分野でもない、自己内面の自覚=「禅による」生活そのもの・・である・・としています。

悟りともいい、見性ともいう自覚は、自分の内面の大転換ですが、いくら自分が努力、意図しても、成就する訳ではありません。

坐禅や悟りを意識すればするだけ、悟りは得られません。

それには「役立たず」の独りポッチ禅を行うことが大事です。

ですから、旧来、寺僧(僧堂師家から)の伝燈・印可・継承など、大変に難しいことである・・と断じます。

達磨が中国に渡来して以来、日本に伝燈されてきた、臨済黄檗曹洞宗など、いわゆる禅宗は「禅」を「元・素」=宗(むね)とする・・という意味であり、禅の団体、組織的宗教活動、葬式行事をいうものではないのです。ただ、中国でも日本でも、あまたの寺僧の、生業(なりわい)の中で、認知され、引き継がれてきたので、その印可・継承の実相は、チョウド(沈丁花の赤と白が1本の木で咲き分ける)接ぎ木をするような、師と弟子の二人だけの、ピッタリ息の合った作業とならざるをえなかった、極めて難しい相続・継承でした。

何十何百の師と弟子の間で行われた「ZEN」の接ぎ木(印可・継承)では、失敗や挫折も多くあり、また、手法をかえて、温室栽培(集団研修)で立ち枯れてしまう・・幾多の禅流が途絶えてしまう・・ような事例も多々ありました。さらに世界的に科学万能の時代に至って、なりわいとしての寺僧の継承、集団的修行で、一般人の社会的な参画が少なくなり、純粋な求道心が欠如した若者の台頭とあいまり、まるでスマホが信心の対象であるかのような現象が広まって来ています。禅の退廃化、絶滅です。

では、これからの宇宙時代にふさわしい「禅」は、どのようなTPOで復活、根付くのでしょうか。                  

私は、宗教や集団ではない・・個の「禅」・・それも、それぞれの人の生活に根差した暮らしの中で「独りポッチ禅=三分間ひとりイス禅」が発芽してくれるのでないか・・と考えています。

誰でも、何時でも出来る「三分間ひとりイス禅」が、キット「ZEN」の揺籃となってくれることだろう・・と思うのです。

(ここで雪竇の頌二題を掲示しておきます)

  • 葉落花開自有時(葉の落ちるにも花の開くにも自ずから時あり)第八十八則
  • 夜深誰共御街行(夜は深し誰と共に御街(ぎょがい)=神の御許・に行かん)第二十四則

 もともと、「禅」は、人の存在の目的、意義を問う者のある限り、その人の心に、自然に発芽、発酵されるよう仕組まれている不思議です。碧巌録や無門関など千年前の、禅者達の語録さえあれば、時に「?」と思う処に「独りポッチ禅=3分間ひとりイス禅」のタネが芽生え、その苗木は、好奇心という水やりで、何十年かかろうと、人それぞれ・・きっと大樹となってくれるだろう・・と思っています。

 

碧巌録 第八十四則 維摩不二法門 (ゆいま ふにほうもん)

【垂示】圓悟の垂示である。

この人間が住む宇宙の実態について、いろいろな見解があるが、要するに「是-ある」と「非=ない」に帰着する。

それを肯定して「是」としたところで、是とすべきものはなく「諸行無常」である。

あるいは「非」としたところで、別段、非とすべきものはなく、花あり月ありだ。

この一方的に執着する是非・得失を両忘してしまいさえすれば、本来無一物(即)無尽蔵となる。

人生すべては裸心で生きる、ありのまま(無依)ではないか。

サアて・・求道者たちよ・・君等の面前・背後にあるものはイッタイ何だろうか?

「ハイ・・面前には仏殿・三門。後ろには寢室、方丈(居間)があります」と、シャシャリ出てくる新参の求道者があるとすれば、はたして、この者は活眼を具備していると言えようか?(こいつを、達道の禅者と言えるか?)もし、その真偽を判定しようと思うなら、古人の行跡を点検するがよかろう。

 *垂示にいわく。是と道うも、是の是とすべきなく、

  非と言うも、非の非とすべきなし。

  是非すでに去り、得失ふたつながら忘ずれば、

  浄裸裸(じょう らら)赤灑灑(しゃく しゃしゃ)ならん。

  且らく道え、面前背後には、これ什麼(なんぞ)。

  あるいは この衲僧(のうそう)の出で来たって、面前には これ仏殿、三門あり、

  背後には これ寝堂、方丈ありということあらば、且らく道(い)わん、

  この人 また眼を具するやいなやと。

  もし この人を辦得せんとせば、なんじ親しく古人を見きたるべし。

 

【本則】菩薩三十二人を引き連れ、維摩(ゆいま)居士の病気見舞いにやってきた文殊(もんじゅ)菩薩(菩薩の最高位)に対して、維摩居士は「同行の皆さんのお見舞い(見解(けんげ))は、総て承りました。さて・・どうです?文殊さん、絶対そのもの=禅の第一義とは、どんなことをいうのでしょうか」と、病人らしからぬ問答をしかけた。

文殊「わたしの所信を申し上げれば・・萬法一切の葛藤(かっとう)を裁断して、無言、無説、無示、無識・・あらゆる問答を脱却して深き沈黙に入るのが、これ禅でありましょう」と答えて、言葉を継いだ「さあ維摩居士さん、私どもは所信を陳述しましたから、今度はあなたの番ですよ」と、その見解(けんげ)をもとめたのである。

(雪竇云く・・イヤハヤ、これからが見ものだぞ。だが、維摩居士がどう出るか、チャント腹の中はお見通しだよ・・と箸語した)

  *擧す。維摩詰(ゆいまきつ) 文殊師利(もんじゅしり)に問う。

  「何等(なんら)か これ菩薩の入不二(にゅう ふじ)の法門なるぞ」

   文殊曰く「我が意の如くんば、一切の法において、

   無言(むごん)無説(むせつ)、無示(むじ)無識(むしき)、

   もろもろの問答を離(はな)るる、これを入不二の法門となすなり」

   ここにおいて文殊師利、維摩詰に問う。「我ら各自に説(と)きおわれり。

   仁者まさに何等か これ菩薩の入不二の法門なるかを説くべし」

  (雪竇云く「維摩、什麼(なん)とか道(い)わんや」

   また云く「勘破(かんぱ)し了(おわ)れり」

【9/17 附記】この雪賓の勘破了に、白隠は「ネズミの浄土へ猫の一声」と着語された・・と、釋宗演「碧巌録講話」にある。   

 

【頌】なんと愚かな維摩居士だな。

頼みもしない衆生済度のためだと、世話焼きに明け暮れて、とうとう病気にかかり、毘耶離(びやり)の城下で痩せ衰えて・・哀れにもほどがあるぞ。

それでも文殊菩薩が金毛の獅子に乗り、病気見舞いに来ると聞いてヨロヨロ方丈を掃除して待つ,ナント殊勝な老人であることよ。

それにつけても、文殊が着席するかしないかに、せわしなく「入不二法門」とは何だ?と・・問いをしかける、あわてぶり。

不二(ふじ)法門(ほうもん)ナンテ・・そんな破れ門は・・トウの昔に倒壊して跡形もないのに、口達者な文殊なんかに、さらに無駄口を叩かせる、誠に大馬鹿の維摩老だわい。

(禅者「維摩の一黙」を誉めに褒める、禅独特の表現です)

  *咄(とつ)。この維摩老(ゆいまろう)、

   生まれしことを悲しんで、空(むな)しく懊悩(おうのう)し、

   疾(やまい)に毗耶離(びやり)に伏(ふ)して全身は はなはだ枯槁(ここう)せり。

   七佛の祖師きたりしに、一室まさに頻(しき)りに掃(はら)い、

   不二門(ふじもん)を請問(しんもん)したるは、

   當時すなわち靠倒(こうとう)したるなり。

   靠倒せざりしならんも、金毛の獅子は討(うつ)ぬるに處なかりしならん。

 

【附記】本則は雪竇が「維摩経」の中から最も有名な説話を、禅的に脚色し提唱した話である。

「時に維摩、黙然として言無し。文殊師利、歎じて云く、善哉善哉・・」の完結部分を、雪竇が、故意に削除しています。

有言・無言、共に自ら両忘して一句を為せ・・との意がありありと見てとれる。

方丈とは禅家、住職の居住するところをいい、後に、日本の茶室が十尺四方(一坪余り)方丈に仕立てられたのは、この維摩経の話(・・見舞いに訪れた3万2千の菩薩を、わずか一方丈に坐らせて、まだ余りあったという、維摩詰の神通力)にあやかっての由来である。

はてなブログ 禅のパスポート・・に、禅者の振る舞いについて、読者のご質問に答えています・・碧巌の歩記(あるき)NO85  

棚ボタは、すぐ食べて、誰にも見付からないようにせよ!

この碧巌録の意訳に携わって、辞書やPCで、漢字の語源を調べる機会が多くなった。浅学のあまり、不明の1文字に手こずって、数時間かかることも多くあり、つくづくと漢字(会意文字)の表現の豊かさ、微妙さ・・そして古人の表現の豊かさに脱帽する。

 

佛教学者であり禅者である故・鈴木大拙が、欧米で「禅=ZEN」を広めた時「人が単=ひとりいる」・・の禅を、ZとEとNのアルファベットの中に、どれだけ積み込めたのだろうか?

とりわけ「色即是空」・・この地球に生かされ、養われている生物が、そのまま=空であるとする「般若(空)」を、どのように解説理解させたものなのか?神佛の宗教と主義・論理を重宝する者に「禅=禅による生活」は、棚ボタで落ちてこないだろう。

底の抜けた桶で水を汲みだす、老禅者に敬意します。

 

私は「人生、裸(心)で生きるべし」を信条としているが、禅者として云えば「無依(ムエ)」・・何事にも依るべなし=依るの意は人が衣装を身につけている状態・・外見を装うことがなくなる生活・・を希求している。

ここに言葉や文字で言えない「役立たずの独りポッチ禅」の意義がある。どだい・・あるのでない・・と肯定しておきながら否定する・・文字、言葉が、アイマイ勝手きわまりない比較と分別の・・理正?利性?離聖?理惺?理性=思考なのである。

先達の言葉に「想いは、頭の分泌物・・アタマ手ばなし、アタマ手放なし」とある。何事か閃いたこと「棚ボタ」は、すぐに食べて、身の内につけて他人にはわからないようにするにかぎる。

 

碧巌録 第八十五則 桐峯庵主作虎聲 (とうほうあんしゅ こせいをなす)

【垂示】圓悟が垂語した。

禅者は奪い取る時は余すことなく取り尽くす。

世の人々を、ウンともスンとも反抗できなくさせる呪縛の能力をもつ・・。このような効果的な言動をとる人を・・こそ禅者と呼ぶ。

また頭頂に、光明を放つ隻眼(一つ目)を持ち、全宇宙を一見して、その真意を看破することができるのを、金剛の眼晴を持つ禅者という。そればかりか、鉄を変じて金となし、金を変じて鉄にする仙術・妙用をなし、把住(はじゅう=つかまえる)も、放行(ほうぎょう=捨て去るの)も自由自在だ。この四種のピチピチした禅行の主こそ、真の禅者である。

 

また天下の人の一言半句の口出しを許さず、遠く三千里外に撃退して、寄り付くことを許さない気迫(気宇きう)がある者・・見かけはヨボヨボで杖をつく老人だが・・(コンナ持ち上げ方で禅者を讃えるのが、山奥の禅庵の退屈しのぎか)この四類の禅者の外に、次のような、禅機を商量するべき一大事がある。ためしに例を出すから、よく看るがよい。

  *垂示に云く。世界を把定(ばじょう)して、

   繊毫(せんごう)をも漏(も)らさず、盡大地の人をして、

   鉾(ほこ)を亡(ぼう)し、舌を結ばしむることは、

   是れ衲僧(のうそう)の正令(しょうれい)なり

   頂門(ちょうもん)に光を放ちて、四天下を照破(しょうは)することは、

   是れ衲僧の金剛眼晴(こんごうがんせい)なり。

   鐵(てつ)を點(てん)じて金と為(な)し、金を點じて鐵と為し、

   忽(たちま)ち擒(とら)え、忽ち縦(はな)つことは、

   是れ衲僧の拄杖子(しゅじょうす)なり。

   天下の人の舌頭(ぜっとう)を坐断(ざだん)して、直に気をいだす處なく、

   倒退(とうたい)三千里ならしむことを得ることは、是れ衲僧の気宇(きう)なり。

   且(しば)らく道(い)え、総(そう)に不恁麼(ふいんも)なる時、

   畢竟(ひっきょう)、これ箇(こ)の什麼(なん)人(びと)ぞや。

   試みに挙す看よ。

 

【本則】擧す。

求道者が桐峰庵主(とうぼうあんじゅ)を訪ねてきて問うた。(庵主とは大寺に住せず、生涯を小庵に住し、専ら聖胎長養(せいたいちょうよう)をなす大徳の禅者をいう。

「ただ今、大虎に出逢ったらどうするべきでありましょうか」

桐峰庵主は、いきなり身構え、大きな口で唸り声を発した。

この求道者、その応対に、多少の禅機があったようで、ひどくたまげた様子をした。

その機敏さに釣られた様に、桐峰庵主は呵呵大笑(かかたいしょう)した。

求道者「この老いぼれドロボウ。ナニを笑うか」と毒舌をはいた。

桐峰庵主「いくら、お前さんが罵(ののし)ろうと、どうすることも出来ないだろうよ」 

高飛車(たかびしゃ)な庵主の言いぐさに、気がくじかれたのか、求道者はそそくさと退散してしまった。

(この問答に・・雪竇が着語した)

コリャ、いいも悪いも、双方ともコソ泥だね。

本当の泥棒なら、もう少し上手に盗んだらどうですか。まるで、鈴を盗むのに、自分の耳を覆うて、他人にはワカルマイと勝手に判断するような者たちだ。(中国の故事に、鈴を盗んだ泥棒が、リンリン鳴り渡る鈴の音にたまりかね、他人の耳はそっちのけにして、自分の耳を塞いで逃げ出した馬鹿な逸話があるという)

  *擧す。僧 桐峰庵主(とうぼうあんじゅ)の処に到って便(すなわ)ち問う。

  「這裏(しゃり) 忽(たちま)ち大蟲(だいちゅう)に逢(あ)わん時、

   また作麼生(そもさん)」

   庵主 便(すなわ)ち虎聲(こせい)を作(な)す。

   僧 すなわち怕(おそ)るる勢(いきお)いをなす。

   庵主 呵呵大笑(かかたいしょう)せり。

   僧云く「この老賊(ろうぞく)」

   庵主云く「いかでか老僧をいかんせんや」

   僧 休(きゅう)し去る。

  (雪竇(せっちょう)云く。

   是(ぜ)なることは即ち是なるも、両箇(りょうこ)とも悪賊(あくぞく)。

   ただ耳を掩(おお)うて鈴を盗むことを解(げ)するのみ)

   ◆この言に、後世、ある禅者は「真の泥棒にはカギを与えよ」と着語した。 

 

【頌】棚から牡丹餅は手に取って、すぐに食べるに限る。

食べ損ねると、いつまでも後悔するぞ。

桐峰庵主の虎退治の拙劣なこと。縞の模様が美しいだけの、活力のない虎モドキの求道者・・禅機ハツラツと言いたいが、まるで猫の喧嘩だな。

昔、大雄山下の百丈と、その弟子、黄檗との虎問答・・知らないのなら教えてやろう。

キノコ取りから帰ってきた黄檗に師の百丈が問いかけた。

「山中で大虎に出くわさなかったか?」

すると黄檗すかさず虎の唸り声。

百丈、それを見るや、腰の鉈を取って殺す仕草をした。

すると、いきなり黄檗は百丈を曳(ひ)き掴(つか)んで、思い切りピシャリと引っ叩いた。

 その夜のこと。百丈は坐下の大衆に向って、この大雄山に大虎が現れたぞ。見かけたら食われぬよう注意せよ。老僧、今日、出くわして危うく食われかけたぞ・・と、その黄檗の大虎ぶりを賞賛した。

 

暇をもてあました、達道の禅者たちは、こんな師弟の息の合った、何とも優れた振る舞いの活劇を演じて楽しんでいる。お前達に田舎芝居と歌舞伎座公演の違いがハッキリ解かるかナ・・?

あの百丈老師、さすがだな・・虎のシッポをつかむと同時に、ヒゲまで捕まえた手腕・・さっぱり身動きできない黄檗の哀れさよ。

  *之(これ)を見て取らざれば、之を思うとき千里ならん。

   好箇(こうこ)の斑々(はんはん)も、爪牙(そげ)いまだ備(そな)わらざりき。

   君見ずや、大雄山下、忽(たちま)ち相逢(あいお)うて、

   落々たる聲光、みな地を振るいしことを。

   大丈夫、見しや、また、いなや。

   虎尾(こび)を収めて虎髭(こしゅ)を捋(ひ)きたることを。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO86 ◆9/3=NO87奉魯愚に追記(附記)しました!

誤訳・誤解だらけの禅者の一語・・・雲門「日々是好日」

誰でも知っていて、その実、ひどく誤解している禅語に「日々是好日」とか「平常心是道」とか・・達道の禅者が、全生命をかけて発明した「一悟」がまるで、道徳倫理の一語に解釈され紹介されています。

その誤解、解釈を是正、指摘する処がありませんし、NHKや新聞、本にも、堂々と、常識的な誤訳を掲載する有り様です。

例えば、座禅・・昔から「坐禅」と書くのが正解です。

(坐の意味は、独り・・一人・・バラバラに土の上にスワルこと)

雲門や趙州の禅者の一悟は、順次、語録の意訳で紹介します。

 

この碧巌録には、必ず【垂示】圓悟克勤(えんご こくごん・雲門宗、中興の祖)による前置き解説・・まあ、いわばスポーツの前の準備体操のような、則=話ごとの取り組み方とか、受け止め方とか・・禅機(悟の発動)や禅境(地)の観点とか・・例えば、棒を振るスポーツでも、ホッケーとポロと野球とゴルフでは、同じような仕草でも、内容は大違いのことが、丁寧に解説されています。

実際、今、四冊の碧巌録(釋 宗演講話/井上秀天、新講話/加藤咄堂 講述/朝比奈宗源 訳注)を見返しつつ、意訳に挑戦しています・・が、提唱の作家(さっけ)、老師方は、私と較べ、まるで月とスッポンの禅定力、達道の方々ばかり。さらに、各則、この垂示(すいじ)のほかに、雪竇(せっちょう)重顕(じゅうけん・臨済禅、傑出の禅者)が【本則】と、これの大意を詩的(漢詩)表現にした【頌(じゅ)】で主構成され、加えて、文中一句ごとに着語(ちゃくご)=寸評がつけられてあり、ラストに評(ひょう)・評唱(ひょうしょう)=講評・・則全体のまとめ・・がある・・・ものすごい禅録全提、まるで一則で一冊の本になるような禅語録の集大成です。

ですから、この碧巌の散歩(歩き)では、古来の禅徳の着語(1句毎に、けなしたり褒めたたえたり、自得の感想を述べたり・・の部分と、評は、まるで生い茂る樹の枝葉であり、かえって初心の人たちには、禅の大樹を見通し難い・・と判断して略しています。

ので・・まず【垂示】で、禅の(木登り)注意書を読み【本則】で、実際、禅の大樹にしがみついて登り【頌】で、(はるか景観を望んでの)雪竇の詩を看るような段取りで、茂りすぎた枝葉を剪定(せんてい)した訳です。

 

この碧巌録は、千年にわたる、中国、日本(江戸期までの)写本の時代・・政治の迫害を受けながら、生き延びてきた禅録であり、写本から写本する過程で【垂示】の抜け落ちた語録が残ってきました。

あるいは、禅に語録不要と焼き捨てられた逸話もあり、この禅語録(写本)を引き継ぐ禅者が途絶えたことも影響したでしょう。

ただ「禅者の一悟」は、古今、変わりない・・トドノツマリの,云うに言えない「一悟」です。(雲門の日々是好日も、この厨庫三門【ずくさんもん】も、公案の透過、見性を自覚できない者には、提唱、解説する資格はありません)

 

どの様な、禅機禅境(地)を事例とする則(公案)であれ、その禅者の心境は、行き着く先の、行き尽くした「トドノツマリ」の、覚悟、心境なのです。

その「トドノツマリ・・無功徳な、言語を絶しての一悟の体験こそ、求道者にとって究極の目的ですから、悟境のトドノツマリを両忘した禅者から見れば、いつまでも準備体操をしてばかりいる初心の選手モドキにはウンザリもすることでしょう。

また、禅を畳の上の水練ばかりでなく、イキナリ、水の中に放り込み、犬掻きを体覚させるのも一手とばかり・・に、こうした思いで【垂示】がない則がある・・気がしています。

現に、同義の文句が、【垂示】で、そこかしこで散見されることがあり、圓悟老師、百則の前書き作業、お疲れのご様子である・・と言いたい垂語に時折、出くわします。

 

現代の文字離れした若者にとって、難しい漢字だらけの、何を言っているのか理解できない、棒喝の禅者たちの振る舞いは、無関心なこととなりました。

禅そのものも、戦前・戦中・戦後の、いつ死ぬか解からない、不安な時代に受け入れられた「覚悟」の手立て・・でしたが、そんな緊急事態の需要は廃れて、禅は、今や「観光的な禅」に代わりました。

禅は、欧米にZENとして関心を持たれていますが、日本においては完全に「絶滅危惧種」いや、絶滅したか・・のありさまです。

 

しかし、スマホ万能時代に、心の静寂と安心の、眼前の(禅の)大樹に、登ってみたくなった木登り初心者のために、PC=奉魯愚で意訳しておくのも大事でしょう。

 次の則は、お寺で、雲門が、坐下の求道者を相手に、あまりにも明白な、トドノツマリをのべた・・禅者の教示です。

(以下、公案のHINTは・・集団修行の場や生活環境のTPOで起こりがちな、馴れあいや利権関係を否定する・・人なれば独立独歩たれ・・の公案です)

 

碧巌録 第八十六則 雲門厨庫三門 (うんもん づくさんもん)

【垂示】圓悟が垂示した。

禅者は、世の中の苦しみごとの、すべてを把握して、どんな悩みにもこたえられるような、そんな人物でなくてはならぬ。

また、その見識は極端に走らない、利害、感情のバランスのある判断して疑いを明らかにする卓越した人でなければならない。

よく世話焼きの人が、ああだ・・こうだと指図するが、云えば言うだけ、問題が複雑になって、大混乱になることがよくある。

サアサ、ぐずぐずせずに、ピシリと決める、達道の禅者の行いとは、どうしたものであるか・・言ってみなさい。その心境のほどを看てやろう。

 *垂示に云く。世界を把定(はじょう)しては、絲毫(しごう)も漏(も)らさざれ。

  衆流(しゅうる)を截断(さいだん)しては涓滴(けんてき)も存(そん)せざれ。

  口を開けば便(すなわ)ち錯(あや)まり、擬議(ぎぎ)すれば即(すなわ)ち差(たが)わん。

  且(しば)らく道(い)え。

  作麼生(そもさん)か、これ透關底(とうかんてい)の眼(まなこ)なるぞ。

  試みに道(い)え、看(み)ん。

【本則】雲門文偃が門下の求道者に垂誡(すいかい)した。

「人々はそれぞれに、禅による生活を、日々、為しているのだが、・・肝心の「禅によって為される」・・禅に包まれてあることに気付かず、無明の妄動にかられた生活をしている。もし、ここに、イヤ、それは違うと言う者がいたら、それじゃ、いったい、どんなことがどんな風に禅によるのか・・ここに出して見せてごらん」と見渡した。

しかし、一同、答えられなかった。

雲門は、毎度のごとく、親切に自分が代わって答えて見せた。

「それはこの禅庵,諸氏の脚下そのもの。どうだ解かったか」

それでも自覚しない、解からず屋の弟子たちに、言葉を継いで・・

「お前達・・経を読んだり、神仏に礼拝したり、サモサモに、何かを為しているような、そんなシタリ顔はやめることだ」と云った。

  *擧す。雲門、垂語して云く。

  「人々ことごとく光明を有してあるも、看る時見えずして、

   暗きこと昏々(こんこん)たり。作麼生か、これ諸人の光明なるや」

   自(みずか)ら代わって云く「厨庫(づく)三門」

   (禅庵、禅者の立脚するところ、総ての意)

   また云く「好事もなきに如かず」

   (看経(かんきん)礼拝など仏事一切も無い方がよい・・の意) 

【頌】雲門文偃は、諸人、禅による生活を営んでいる・・と言うが、坐下の求道者は、実感のない、常識に囚われた人ばかり。

蝶は樹(機)を見ず、花を看るばかり。看ていても見えていない者たちだ。看たければ、何時でも誰にでも、隠すことなく見えている「禅による生活」だ。

どうだい・・悠々と、のどかに牛に乗ったまま、禅庵を往来する雲門を見よ。

禅者の暮らしぶりは、行住坐臥・・もれなく「禅そのもの」だよ。

  *自照(じしょう)にして列(はな)はだ孤明(こみょう)。

   君がために一線を通(つう)ずるも、花は謝(しゃ)して樹に影なし。

   看る時 誰か見ざらん。見れども見えざるなり。

   倒(さかさま)に牛に騎(の)って仏殿に入(はい)れり。