碧巌の歩記(あるき)NO55 真夏 太陽の香りがするトマトやキュウリが食べたい!

  碧巌の歩記(あるき) NO55   

田舎の悪ガキだった頃、畑のスイカやトマトをチョロマカシて、井戸で冷やして食べたもんだが、夏の香りがイッパイだった!

 

碧巌録 第五十五則 道吾漸源弔慰(どうご ざんげんとちょういす)

 

【垂示】圓悟が垂示した。

禅による生活の源泉は、坐禅時の静寂そのもの・・云えば云うだけ「ソノこと」から遊離してしまう。

瞬間、突発の出来事において、判断処置をあやまらない働きや、虎の頭とシッポをつかまえて、猫の如くならしてしまう行いとか・・

独立独歩、誰も寄りつけない境地に生活するようなことは、マァ、それはそれでよいとして、悩める求道者を相手に、達道の禅者たる者、意義ある指導ができたか・・どうか。

試みに挙す。看よ。

 【垂示】垂示に云く、隠密(おんみつ)全眞(ぜんしん)、當頭に取證(しゅしょう)し、

  涉流(しょうる)に轉物(てんもつ)し、直下(じきげ)に承當(じょうとう)せよ。

  撃石火(げきせっか)、閃電光中に向かって、訤訛(こうか)を坐断し、

  虎頭に據(よ)って虎尾をおさむる處において

  壁立千仞(へきりゅうせんじん)なることは、則ち(すなわ)且(しば)らく置く。

  一線道(いっせんどう)を放(はな)って、

  為人(いにん)の處 有りや、また、いなや。 試みに挙す看よ。

 

【本則】ここに死生に関する痛切な問答がある。

潭州・道吾山の禅院、道吾(どうご 圓智えんち)老師が、弟子の漸源(ぜんげん 仲興ちゅうこう)を連れての、葬儀の帰り道でのことである。

漸源「老師。私は葬儀の時、死人の入った棺桶を叩いて、この人は『生きているのか、それとも死んでいるのか』と訊ねました。

その時、老師は『生とも道(い)へないし、死とも道へない』と曖昧に答えられた。どうしてですか・・と問い詰めても『道(い)わじ、道わじ』の一点張り。(葬儀も終わり、ここは誰もいない野道です)どうか、棺桶の人は・・生か死か・・ハッキリ答えてください。この私の解くに解けない生死の問題に、さきほどのように、グズグズ、あいまいな答えをされるのなら、私はご老師と云えど打ちますよ」

道吾「打つなら打ってもよい。しかし、その死生のことは、何も道(い)いはしないぞ」と、かたくなに言い張った。

ので、いいががり上、漸源は老師をピシャリと打った。

その後・・よほどたってのこと・・道吾が遷化(せんげ)した。

師を失った漸源は当時、同じ潭州の石霜山に禅院を構えていた兄弟子の石霜慶諸(せきそう けいしょ)の元に寄寓する事となった。

ある日、かねてから気がかりでしようのなかった「棺桶の生死」問題と、道吾老師を叩いてしまった出来事を石霜に話しをした。

すると石霜・・「私だって道吾老師と同様、死とも生とも道わない。これを誰がが・・ナンのカノと云っても、それで問題がかたづくものではない」と答えた。

漸源は再び「どうして言ってくれないのか」と迫ると、石霜は「道(い)わじ、道わじ」とオウム返しで、突っ放した。

ところが漸源は、今回は・・どうゆう理由か・・は本人が知るのみで、おおいに納得するところ・・があったのである。

ある日、漸源は、畑の作務のついで、鍬(くわ)をかついで法堂の廊下を西へ・・東へ往ったり来たりした。これを見た石霜・・「何をしているのか」と、咎めた。

漸源「道吾老師の舎利(お骨)を探しているのです」

石霜「ナント・・先師は舎利なんぞになってはいない。この盡大地(じんだいち)に満ち満ちておわしますぞ」

(ここにオセッカイにも雪竇(せっちょう)・・この石霜の申し分に・・アア悲しいかナ哀しいカナ・・と着語(附言)した)

それでも漸源は、石霜の言い分を真面目に聞いて「どうあれ私は、先師のご恩に報いるため、衷心からこうしているのです」と、法堂を往復していた。

太原(たいげん)の孚上座(ふじょうざ)・・漸源の態度に感服して「本当ダネ・・神イマスガ如クニシテ祭ルトコロニ神ハイマスノダ」=「先師、道吾の霊骨、今、猶、在(いま)すが如しである」といった。

  【本則】擧す、道吾 漸源と一家に至って弔慰す。

    源 棺を拍(う)って云く、「生(しょう)か死(し)か」

    吾云く「生(しょう)とも也(また)道( い)わじ、死とも也 道わじ」

    源云く「什麼(なん)としてか道(い)わざる」吾云く「道わじ、道わじ」

    囘(かえ)って中路に至って、源云く

   「和尚、快(すみ)やかに某甲(それがし)が興(た)めに道(い)へ。

    もし道(いわ)ざれば、和尚を打ち去らん」

    吾云く「打つことは即ち打つに任(まか)す。道(い)うことは即ち道(い)わじ」

    源 すなわち打ちぬ。

    後、道吾 遷化せり。

    源、石霜に至って、前話(ぜんな)を擧似(こじ)す。

    霜 云く「生とも また 道わじ。死とも また 道わじ」

    源云く「なんとしてか道わざる」

    霜云く「道わじ、道わじ」

    源 言下(げんか)に於(お)いて省(しょう)あり。

    源 一日 鍬子(しゅうす)をもって 法堂上(はっとうじょう)に於いて

    東より西に過(す)ぎ、西より東に過ぐ。霜云く「なにおかなすや」

    源云く「先師の霊骨をもとむるなり」

    霜云く「洪波浩渺(こうはこうびょう)、白浪滔天(はくろうとうてん)なり。

    なんの先師の霊骨をかもとめん」

    (雪竇 着語して云く、蒼天(そうてん)蒼天)

    源云く「正に報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の行為、力をあらわすべきなり」

    太原(たいげん)の孚(ふ) 云く

   「先師の霊骨は、猶(なお) 在(い)ますがごとし」

【頌】もし、兎や馬に角がある・・と断定すれば、牛や羊には角がないと言わねばならなくなる。死生のことどもも、また、かくのごとし。道吾も石霜も、死かならずしも死にあらず、生かならずしも生にあらず・・と道っているが、そのとおりだ。

先師の霊骨は、在るにはあるが、この全宇宙の(素粒子)のどれにもいきわたっているのだから墓のような住所はない。(鍬をかついで探すので正解だ)

達磨さんだって、片足草履で、故郷に帰ったというではないか。

(注意すべきは、達磨はインドのどこかに止住しているのではないということだ)

  【頌】兎馬(とば)に角(つの)あれば、牛羊には角なし。

     毫(ごう)を絶し釐(り)を絶するも、山の如く、嶽(がく)のごとし。

     黄金の霊骨は、今なお、在(い)ますが如きも

     白浪滔天なれば、いずれにか處着(しょじゃく)せん。

     箸くるに處なし。

     隻履(せきり 達磨)は西に帰って曾(か)って失卻したり。

 

【附記】この則は、道吾圓智(769~835)の弟子、漸源(不明)、兄弟子、石霜(807~887)太原孚上座(雪峰の弟子、禅者)の四名が登場する棺桶の死者をめぐる「生死」問答である。

(昔の禅僧は、作務=生活の為に働いていた。この仕事上で禅機に触れて、悟道・見性する者が多くいた。坐禅は、煩悩即菩提・・の見えない土台、礎石にすぎない)

今時は葬式知らずで、ますます葬儀、死生に縁遠いことになりつつある。かわいがった犬猫ぐらいしか、直接の死を知らない・・こんな社会環境は、人を人とみなさない殺伐社会だといえよう。

殺人や戦争を、まるで別世界の出来事であるかのようにバーチャル映像で処理する・・おそろしいスマホ社会になったものだ。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO56 「平常心」~禅語の切り売り・・イランカネー!

碧巌の歩記(あるき) NO56 

碧巌録 第五十六則 欽山一鏃破三關きんざん いちぞくはさんかん)

【垂示】圓悟が垂示した。

今の世の中・・断捨離や平常心など、仏説や禅語の切り売りが大流行だが、釈尊・達磨が現れて、商売(なりわい)の仕方を教えなかったら、も少し暮らしも変わったろう。

達磨なんぞ、切り売り屋というより、以心伝心屋の名がふさわしい。ハロバロとインドから、無とか空とか、ナイものをアルようにみせかけて、中国でうまく一旗あげるべく、純朴な人を欺いてきたことが問題だ。

おかげで迷いに迷う求道者ばかりで、自分の財布の銭勘定を忘れて、いたずらに他人の財布を気にする奴ばかりに成り下がってしまった。

スマホやTVや電磁的ゲームに取りつかれて、足のない幽霊の如き振る舞い。いくら時間やゆとりがないからといって、せめて夜の食事は、母親の手作りぐらい、子供に食べさせてやってください。100円回転寿司で、養殖の鶏のエサやりのように、流れてくる寿司を食べさせるのは、ひどく情けないです。

さあ、どうだ。見れども見えず、聞けども聞かず、説かんとするも言えず、知れども知らず・・そんな自己本来の一大事を、どうすれば手中にできようか。ワシ(圓悟)の話で解からぬ奴は、この達道の禅者の問答で(爪のアカでも)煎じて飲めよ。

 【垂示】垂示に云く、諸仏かって出世せず、また一法の人にあたうるものなく、

  祖師かって西来せざりしならば、いまだかって心をもって伝授することなかりしぞ。

  これにより時人ともに了せず、外に向かって馳求(ちぐ)し、

  ことに自己の脚跟下(きゃくこんか)は、一段の大事因縁なるも、

  千聖もまた模索不着(もさくふじゃく)なるを知らざるなり。

  ただ、いま、見んとしても見えない、聞かんとしても聞こえない、

  説かんとするも説くこと能わず、知らんとするも知ること能わざるもの、

  いずれの處より得(え)きたらん。

  もし、いまだ洞達(どうたつ)することあたわずば、

  しばらく葛藤窟裏(かっとうくつり)に向かって会取(えしゅ)せよ。

  試みに挙す看よ。

 

【本則】ある日、良禅客という禅者が欽山文邃(きんざんぶんすい)を訪ねて問答した。

「たった1本の矢で三つの破りがたい関所を突破したらどうですか」

欽山云く「その敵中突破の偉いやつを、ワシの前に連れてこい。看てやる」

良禅客「私が、その關中(かんちゅう)の主(あるじ)をつれ出したら、貴方は自分の偉そうな言葉を恥じて謝りなさいよ」

欽山「ハテさて・・お前さんが、その主人公を何時になったら連れ出してくることやら・・」

良禅客「エエイ・・こんな間抜けな関守の所は、一本の矢とて要らない。ス抜けでアカンベーだ」と、サッサと出て行った。

すると欽山「チョット待ちなさい」と呼び止め、後ろをふり向く良禅客の首筋を引っ掴んで「ヒト矢で三關を破る、それはそれとして・・では、お前さん自慢のヒト矢を、ワシに放って見せてもらおうか」

良禅客、少し躊躇(ちゅうちょ)した。

欽山すかざず七回、ピシャッと打っておいて云く「これから三十年ほど行脚したら疑団も溶けて、本物のヒト矢を射る禅者となろう」

(その後、良禅客の退出が、どんな風だったか記録されていない)

 【本則】挙す。良禅客(ろうぜんかく)、欽山に問う。

   「一鏃破三關(いちぞく はさんかん)の時、いかん」

   山云く「關中(かんちゅう)の主を放出せよ。看(み)ん」

   良(ろう)云く「恁麼(いんも)ならば、

   即ち、過(あやま)っては必ず改(あらた)むることを知れ」

   山云く「さらに いずれの時を待たん」

   良云く「好箭(こうせん)を放つも所在を着(つけ)ざらん」すなわち出(い)ず

   山云く「且来闍梨(しゃらい じゃり)」

   良 首(こうべ)をめぐらす。

   山 把住(はじゅう)して云く

  「一鏃破三關は即ち しばらく止(た)る。欽山がために箭(や)を放て。看ん」

   良 擬議(ぎぎ)す。山 打つこと七棒して云く

  「しばらく待たん。この漢、疑うこと三十年ならん」

 

【頌】欽山は良禅客に、關中の主(人公)を放なてよ、看ん・・と云ったが、うっかりするな。主人公のヒト矢、そう簡単に射れるものではない。目で狙えば耳が聞こえず、耳を捨てれば、両目が塞ぐ。いかにも自分が「主人公」であると、大悟のフリをして、七回も引っ叩かれて、更に三十年の坐禅を科せられた良禅客。

彼が、ヒト矢で三関所、破ったなら・・欽山どうするつもりか。

二人の禅機問答は、雷嚇一閃(箭)、活殺自在の応酬だ。

 【頌】君に關中の主を放出することをゆるす。

   放箭(ほうせん)の徒よ。莾鹵(ぽろ)なること莫(なか)れ。

   この眼(まなこ)を取れば、耳は必ず聾(ろう)し、

   この耳を捨てれば、目は二つながら瞽(こ)せん。

   憐れむべし一鏃破三關と。

   的々分明(てきてきぶんみょう)なり箭後(せんご)の路(みち)。

   君見ずや、玄沙(げんしゃ)の言えることあるを。

   「大丈夫よ。天に先立って心の祖たるべし」

 

【附記】欽山文邃(822年頃)雪峰義存と同郷、福建省で生まれ、共に行脚したと伝えられる。良禅客もまた詳細不明。釈宗演、加藤咄堂、井上秀天、朝比奈宗源などの著作を見比べると、良禅客を一枚上手の禅者と見る白隠の着語もあれば、欽山を達道の禅者であるとみる評もあり。

この問答は丁々発止の、龍虎相打つ禅機ハツラツの問答です。

 参考・・馬祖道一の弟子に歸宗智常(キスチジョウ)あり。後世に玄沙師備(ゲンサシビ)が「先天為心祖」=達道の禅者は永遠の自己の眞価値を自覚する・・の意⇒を換骨して頌とした。編集者の雪賓重顯は、これを愛誦の玄沙五言四句から漫然と引用したのであろう・・と「碧巌録新講話」井上秀天氏が第56則の新字解で述べておられます。

この手の問答は、禅境(地)から発動するモノとは違い、自己(主人公)の発火・爆発の瞬間を、独り一人で体験しなければ、ウーもスーも道えません。

私の場合・・釈迦、達磨、ヒタスラ・・禅の行商に汗するのをしり目に、三十年、3分間独りポッチのイス坐禅を続ければ、なんとかモノになるでしょう・・と確信、推奨しております。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO57 Country bumpkin!

                                 碧巌の歩記(あるき) NO57 

Country bumpkin・・

たかがオモチャの布太鼓で、雷門の太鼓と競おうとする・・!

 

碧巌録 第五十七則 趙州 田庫奴(じょうしゅう でんしゃぬ)

【垂示】圓悟の求道者への垂示。

至道の本体を会得しない者は、悟りの境地が、まるで、寄り付く術(すべ)のない、立ちはだかる鉄壁のように感じられるだろうが、一禅機、一瞬の悟了の後は、自己そのものが、鉄壁銀山であり至道であると自得する。もし、誰かが、禅はどうして銀山鉄壁のごとき難物なのか・・と問わば、それはその筈だ・・一機一境を悟得し、たとえ凡聖不通の境地に至ったところで、たいしたことはない。

ただ至道の一端に触れただけだから・・。

とは言うものの、迷妄の雲にさえぎられて、道を見失った者は、

次にあげる古人の様子を、とっくり看るがよい。

  【垂示】垂示に云く、いまだ透得(とうとく)せざる巳前(いぜん)には、

   一に銀山鉄壁に似たるも、透得しおわるにおよんでは、

   自己元来これ鉄壁銀山ならん。

   あるいは人ありて、しばらく作麼生(そもさん)と問わば、

   ただ他に向かって、もし、箇裏(しゃり)に向かって、一機を露得(ろとく)し

   一境を看得(かんとく)し、要津(ようしん)を坐断し、凡聖を通ぜざらんも、

   いまだ分外(ぶんげ)となさずと道(い)わん。

   いやしくも、いまだ然(しか)らざれば、

   古人(こじん)の様子を看取(かんしゅ)せよ。

 

【本則】趙州に求道者が問う。

ご老師は、折に触れて信心銘(第三祖 鑑智僧璨 かんちそうさん)の「至道無難 唯嫌揀擇」(しどうぶなん ゆいけんけんじゃく)の文句を切り取って言われます。

唯嫌揀擇(ただ分別・造作しない)は理解できますが、不嫌擇(相対的見解)をなさない・・とは、何のことですか?と切り込んだ。

趙州云く「それは天上天下 唯我独尊を自覚して、周囲の事相に支配されないことである」と答えた。

この求道者、思索(分別)の限りをつくして、さらに質問した。

「唯我独尊」なんか言っても、天上とか天下とか、唯我とか、他人とかの区分をして、彼我の二見に堕ちているではありませんか・・と詰め寄った。

趙州云く「天上天下唯我独尊・・いったいどこの何が揀擇(選別)であるのか」と雷嚇一閃の剣幕で叱りつけた。

求道者は、感電死したように無語となった。

 【本則】挙す。僧 趙州に問う。

  「至道無難 唯嫌揀擇(しどうぶなん ゆいけんけんじゃく)と、

   如何なるか、これ不揀擇(ふけんじゃく)」

   州云く「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」

   僧云く「此れ、なお是れ揀擇(けんじゃく)なるが如し」

   州云く「田庫奴(でんしゃぬ)、いずれの處か、是れ揀擇なるぞ」

   僧 無語。

【頌】さすがに老趙州。

その(禅)境地は海の如く深く、道風は山の如く堅固だ。

まるで蚊が台風に逆らって飛ぼうとしたり、蟻一匹が鉄柱を動かそうとしたりして、おのれ独り、もがき苦しんでいるようだ。

揀擇をアレコレ述べ立てるのは、洛陽の都中に響き渡る雷門の太鼓の前で、おもちゃの布太鼓を叩いたようなものだ。

老趙州の一喝で、求道者、語なし。

昔から布の太鼓で音が出たためしがないぞ。

  【頌】海の深きに似、山の固(かたき)きがごとし。

   蚊蝱(ぶんぼう)は空裏(くうり)の猛風を弄(ろう)し、

   螻蟻(ろうぎ)は鉄柱をうごかす。

   揀(けん)たり、擇(じゃく)たり、當軒の布鼓(ぶこ)。

 

【附記】この則は、次の第58則、第59則、前の第2則に関連した「信心銘」の公案です。趙州の禅機、禅境を感得する・・願ってもないチャンスです。

田庫奴・・田舎者メの意。彼は老趙州の一喝、食らっただけでも幸せ者だ。

碧巌の歩記(あるき)NO58 唇から光を放つ 趙州の一語

今に至って、禅を説明すらできない趙州の真意とは・・? 

碧巌録 第五十八則 趙州分疎不下(じょうしゅう ぶんそふげ)

【垂示】欠如・・(ありません)

【本則】ある日、求道者が趙州に問うた。

「三祖、鑑智僧璨(かんちそうさん)の信心銘に「至道無難、唯嫌揀擇」(禅による生活は難しくはない。ただ、好きの・・嫌いの・・分別がなければ・・)とあります。

今時の禅寺は、観光拝観が大流行になっているのは(坊さんにとって)結構?な話ですが、それの(・・至道無難 唯嫌嫌擇が、鳥の巣やウサギの隠れ穴をさがすように)真意を把握しがたい難事になってしまっているのではありませんか」

 

すると趙州、答えて云く「ワシに、その至道無難、唯嫌揀擇の問いを持ち掛けてきた者があったのは、もう五年も昔の事だった。

それから今にいたり、まだ、その釈明すら、できずにいるのだ」

  【本則】挙す、僧、趙州に問う

     「至道無難(しどうむなん)唯嫌揀擇(ゆいけんけんじゃく)」と、

      是れ時人の窠窟(かくつ)なりや、否や。

      州云く「かって人あり、我に問いしも、直に得たり五年分疎不下なりしことを」  

【頌】獅子は百獣の王、その吼え声。大象のあくび・・

仏典には96通りの外道問答を説破したという仏陀の表示語として、象王~獅子~の語が使われている。

この四言二句は趙州の応答にかけてある・・

趙州・・さすが禅者の一語は、獅子吼そのもの。

思慮分別、言句に拘泥するものではない。

ひとたび口を開けば、いかなる学者、求道者といえども舌先を切り取られたように、ウントモ・・スントモ・・言えなくなる。    

老子曰く「無名は天地の初め・・父であり、有名(名)は、万物の母である」との通り、至道は無相。いかなる文言でも表現しえない【それ】である。

求道者の問い・・【至道】これぞ【無難】の世界にくるまれてあることを知ることだ。

何処を見渡しても、空には空気を意識することなく鳥が飛びまわり、海では、水を意識することなく魚が泳ぎまわっている。

  【頌】象王の嚬呻(ひんしん)獅子の哮吼(こうく)

     無味の談なるも,人口を塞断(そくだん)す。

     南北東西、烏(う)飛び、兎(と)走る。

 

【附記】 碧巌百則の内、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)が登場する則は12ある。さらに、その内で、達磨より3代目、鑑智僧璨(かんちそうさん)の著作「信心銘」の文章についての問答は・・第2則、第57則、第58則、第59則・・計4則におよぶ。

この信心銘は、実に単的に「禅」を語る詩文である。と同時に、砂糖の甘さ、塩の苦みを語れないごとく、解かっていても、語るに語れない「禅」の極地があるから、志ある人は、まず、信心銘を参究してほしいと思います。

誰に頼ることなく、直に本に接して味読してください。

それが一番です。

 

碧巌の歩記(あるき)NO59  好きだ・嫌いだ・・さえなければ・・  

好きだ・嫌いだ・・さえ無ければ・・大道は足下にある!

 

碧巌録 第五十九則 趙州何不引盡(じょうしゅう かふいんじん)

            趙州只這の至道(じょうしゅう ただこのしどう)

【垂示】圓悟が座下の求道者に垂示した。

天地を一まとめにくくりこみ、凡聖を超越するとなれば、路傍の石ひとつ、草花一輪を通してでも自然の妙用を観賞できるのだ。

はたまた、世事の是非や善悪の争議の渦中にあっても、チャント正しい価値、判断ができる。

サテサテ・・このような対応は、とどのつまり、どのような加護、助力に基づくものであろうか。試みに挙す。看よ。

  【垂示】垂示に云く、天を該(か)ね、地を括(くく)り、

   聖(しょう)を超え凡を超ゆれば、百草頭上(ひゃくそうとうじょう)にては、

   涅槃妙心(ねはんみょうしん)を指出(ししゅつ)し、

   干戈叢裏(かんかそうり)にては、

   衲僧(のうそう)の命脈(めいみゃく)を點定(てんじょう)せん。

   しばらく道え、このなんびとの恩人(おんりき)をうけてか、

   すなわち恁麽(いんも)なることを得るぞ。

   試みに挙す看よ。

 【本則】ある求道者が、有名な「信心銘」の一語を担ぎ出して趙州に問うた。

ご老師は日頃・・【至道無難、唯嫌揀擇】(しどうぶなん ゆいけんけんじゃく)と言われます。しかし、文字言句をもって至道の何たるかを説明しようとすると、それは揀擇(けんじゃく)そのもの。ご老師といえども、やはり語言をもって、アレコレ提唱されておられるのですね・・と突っ込んだ。

趙州「ワシが常日頃、云うのはそれだけじゃない。お前さんは、両目両耳のまだ片方でしか見聞していない。人の説を正そうとするなら、ワシの道う もう半分の意見(続き)があるはずだ。どうしてそれを残らず道(い)わないのか」

求道者「私は、ご老師のお言葉を、これだけしか記憶しておりません。聞いた文句は【至道無難、唯嫌揀擇】ただ、それだけです」

州云く「至道は無難なり。ただ揀擇を嫌う。お前さん、ただこれだけなら、それでもうたくさんだ」

  【本則】挙す。僧 趙州に問う、

   「至道無難(しどうぶなん)唯嫌揀擇(ゆいけんけんじゃく)。

    わずかに語言あれば、是れ 嫌擇(けんじゃく)なりと。

    和尚、いかにしてか人の為にする」

    州云く「なんぞ この語を引盡(いんじん)せざる」

    僧云く「それがし ただ這裏(しゃり)を念到(ねんとう)するのみ」

    州云く「ただ この至道は無難。ただ嫌擇を嫌う」

【頌】趙州は、余計な理屈は要らないとばかり・・だが、その通り。至道とは、雨風にぬれても、ナンのその。現代の撥水、防風ガッパだ。

虎の如く歩み、龍の如く行き、鬼神の如く叫び、福禄寿の如き長命の趙州こそ、非凡な大人物だ。

ああだ・・こうだと絡みつかれても、いつの間にか手元を抜け出して、独り、つくねんと、ただ立っているだけだ。

  【頌】水 そそげども着(つ)かず、風吹けども入(い)らず。

   虎(のごとく)歩(あゆ)み 、龍(のごとく)行き、鬼(のごとく)さけび、 

   神(しんのごとく)泣く。頭(こうべ)の長きこと三尺、知りンぬ、これ誰ぞ。

   相対して無言。ひとり足立(そくりつ)せり。

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO60 大学受験、卒業が、人生の「登竜門」じゃないぞ!

昔・・白隠良寛の時代の禅者(求道者)は、出家と言っても作務(さむ)して働き、自給自足の貧しい生活でした。師のもとに参集した求道者は、各自で寝る場所を見つけ、托鉢で得た大根のキレッパシを味噌汁にして食べています。

良寛とて、インキンたむしの薬ほしさに、揮毫して村人に与えています。

托鉢で得た、腐りみそで汁を作っていたら、中からウジ虫がはい出てきたのでお箸で一匹ずつ外に逃がしてから飲んで飢えをしのいだ・・などの逸話もあり、求道参禅は命懸けでした。

日本は、海外に出ればよく分かりますが、生活の安定といい、所得格差といい、風紀保安と言い、教育介護と言い、多少の不平、不満足であってもおそらく世界に類のないほどの、安心安全の社会、文化の国でしょう。

ただし、それは、良寛の書(墨蹟)のように、私たちの祖々父母、50年前までの積年の祖先のなせる功績、オカゲであろうと思います。

いま、デジタル社会の空虚な孤独の中・・スマホに明け暮れ、自分本位で、しかも法に触れさえしなければ何をしても良い・・という社会的風潮に、日本民族の衰退、無気力さを感じます。

コレデハイケナイ・・と。

碧巌は、百則から逆にたどっているものですから、62則としてしまいました。ご指摘有(会)難うございました。 

 

碧巌録 第六十則 雲門拄杖化龍(うんもん しゅじょう かしてリュウとなる)

                    雲門拄杖子(うんもんしゅじょうす)

【垂示】達道の禅者と一般庶民とは、何の違いもない「人間」だ。

この大自然と、そこの住む動植物(人を含めて)に、いったい、どのような格差、差別があろう。

もし、この天地同根の由来を、迷悟共に断ち切れれば、釈迦、達磨、阿羅漢(あらかん)といえるが、文字、哲学、宗教上で解決したというのでは話にならない。

日常生活が、この大自然に溶け込むようであれば、何も小細工をすることはない。

さあて・・どのようにすれば、成道、円(まど)かなる「禅による生活」ができるのか・・試みに挙す。看よ。

【垂示】垂示に云く、諸仏と衆生とは 本来 異なることなし。

    山河と自己と なんぞ等差あらん。

    なんとしてか かえって両辺を渾成(こんせい)し去るや。

    もし、よく話頭を発展して要津(ようしん)を坐断するも、

    放過(ほうか)することは即わち不可なり。

    もし、放過せざれば 盡大地(じんだいち)一捏(いちねつ)をも消せざらん。

    しばらく作麼生(そもさん)か、これ話頭を発展する處ぞ。試みに挙す看よ。

 

【本則】クネクネと蔦(つた)が絡み合う杖・・拄杖を手に、雲門文偃(うんもん ぶんえん)が座下の求道者に云った。

「今、ワシが手にしている杖が、龍になって宇宙・・森羅万象(しんらばんしょう)を呑み込んだぞ。

さあ、一大事である。山河大地はいずれにあるか」

  【本則】雲門、拄杖をもって衆に示して云く、

      「拄杖子(しゅじょうす)は化(け)して龍となり、

       乾坤(けんこん)を呑却(とんきゃく)しおわれり。

       山河大地 いずれの處よりか得来(えきた)る」

 

【頌】ねじれた杖が、世界を呑んで龍となったという。大きな鯉が龍となって天にのぼる伝説を信じる大衆を相手に、(登)竜門の浪に浮沈する桃花を見て、雲門、大衆を化かしているぞ。

龍と化した大魚は、雷火で尾が焼き切れているといわれるが、尾のない鯉が、必ずしも雲を呼んで天に昇るとは限らない。また、水面で口をパクパクしている鯉の内には、龍になり損ねの間抜けもいれば、流木の杖に化けて溺れる者を救う奴もいる。

これにてワシ(雪賓)の話は終わるが、キクラゲのような耳のお前たち(座下の求道者)、ホントに聞いているのかい。

ボンクラ相手では、気付け薬に百五十回、ぶっ叩くのだが、打つ手も疲れるから、半分、七十二回の棒打で許してやろう。

・・と云うより早く、雪賓、傍らの杖を振り上げた。そこに集まっていた求道者たち、龍と化した拄杖子の働きが恐ろしくて、クモのコを散らすように逃げ散った・・とサ。

  【頌】拄杖子 乾坤(けんこん)を呑(の)めりと、

   いたずらに説く、桃花の浪に奔(はし)ることを。

   尾を焼きし者は雲をとらえ、霧をつかむにあらず。

   顎(あぎと)を曝曝(さら)す者、何んぞ必ずしも膽(たん)を喪(そう)し、

   魂(こん)を亡ぜん。拈んじ了(おわ)れり。聞けども聞こえざらん。

   直にすべからく灑々落々(しゃしゃらくらく)たるべし。

   さらに紛々紜々(ふんぷんうんうん)たることを休(や)めよ。

   七十二棒はしばらく軽恕(けいじょ)す。一百五十 君を放ちがたし。

  (師・・雪賓、まっしぐらに拄杖を拈じて下座したれば、大衆、一時に走散(そうさん)せり)

               

碧巌の歩記(あるき)NO61 Q:民を忘れて繁栄した国家はありますか?

Q:国民を蔑(ナイガシ)ろにした為政で繁栄した国家を教えてください?

碧巌録 第六十一則 風穴家国興盛 (ふけつ かこくこうせい)

【垂示】説法するぞと、告知の旗を立て、鐘や太鼓で人を集めて教導するのを宗師と呼ぼう。

また至道、未道の禅境(地)や、善悪さだかでない出来事を分別、裁定できる者を作家(さっけ)と呼ぼう。

また、火花散る刃(やいば)の間に立ち入って死活を論じ、求道者の境地を見計らって三十棒くらわすのも・・マア、それはそれとして・・ここに宇宙の森羅万象を総括する一句があるとスレバ・・どのように問答したものか。

試みに挙す、看よ。

 【垂示】垂示に云く、法幢(ほうどう)を建て、

     宗旨を立っするものは、また他は本分の宗師なり。

     龍蛇を定め、緇素(しそ)を分かつものは、

     すべからく是れ作家の知識なるべし。

     釼刃上(けんじんじょう)に殺活を論じ、

     棒頭上(ぼうとうじょう)に機宜(きぎ)を別つことは、

     則ちしばらく置く。

     且(しばら)く道(い)え、

     寰中(かんちゅう)の事を 獨據(どくきょ)するの一句、

     作麼生(そもさん)か商量せん。試みに挙す、看よ。

【本則】風穴延沼(ふけつえんしょう 第38則参照)が、座下の求道者に垂語(すいご)した。

この国家(社会)の出来事は、古今東西、政治と税金・・つまりは利権で成り立っている。

*殺人亡国兵器としか思えない原子力開発の、ホンのおこぼれのような平和利用とか、敵機を発見するレーダー変じて、便利なチンするレンジに化けたことを大喜びしたり、スマホ中毒の信号無視で交通事故が多発したり・・世のため人のためと称する国家の隆盛、文化の発達・・その大半は、ホントは無明の妄動、妄想の間違いではないのか・・

AI(人工知能)は、二十一世紀、第4次産業革命だろうが、はたして、人類の労働開放や幸福をもたらしてくれるものか・・どうか疑問だ。

だが、この一塵(いちじん・行政、司法、産業、軍備)を発揮しないと国家は衰亡する。そして、現代社会のトドノツマリハ・・原爆か大災害の停電一発で、総てが闇となる・・リセット社会であること・・が心配だ。

後の編者、雪賓重顯(せっちょう じゅうけん)・・風穴の垂語が偉く気に入って、杖をこねくり回して座下の求道者に云った。

ドウダ・・この風穴の国家、社会文化論。意見に共鳴する眼の冴えた禅者がいるかナ?

 【本則】挙す。

  風穴、垂語して云く「もし一塵(いちじん)を立(りつ)すれば、家国興盛し、

  一塵を立せざれば、家国衰亡せん。

 【雪賓、拄杖(しゅじょう)を拈(ねん)じて云く「また同生同死底の衲僧(のうそう)有りや」】

【頌】自分の身が安心、安全なら、他のことはどうでもよい・・という輩は無視するとして、まずは国家、文化の発達、進歩に協力、努力しなければならない・・。そんな眉をひそめて心配顔の田舎老人は放っておくとして・・イヤ・・チョット待てよ・・民を忘れた為政の国家は衰亡して、ことごとく歴史から消えてしまったぞ。

ただ荒野に吹く野風が、無常を奏でる術(すべ)を知っている。

  【頌】野老(やろう)には従教(ゆい)せよ、眉(まゆ)をのべざることを。

   しばらく家国に雄基を立することをはからん。謀臣猛将は今いずこにかにある。

   万里の清風ただ自治す。

【附記】この則は、政治、主義、利権、社会制度にまつわる時代背景を考慮しなければならないことがあり「禅者の一語」公案解説に適切でありません。他に38則風穴祖師心印・・ともに公案とするより、禅の大衆演劇化のハシリと見た方が適当でないか・・と思います。

・・まるで千年前の平安時代を、現代人が批評するような味気なさがつきまといます。

風穴延沼(フケツ エンショウ896~973)唐朝末~宋朝の禅は、看話(カンナ)禅が主流になる時期に当たる。師弟の商量が儀式化して、悪く言えば芝居じみてきた。達磨から六祖恵能までは、師と求道者の直接問答であつたが、この頃は、問答するが為の問答・・問者と答者の、表現技巧(禅機)を、参列する観客(求道者)に見せる・・演劇的効果を持たせるものになったようだ。

禅を戯曲化して演じて見せるような傾向は、現代日本の禅寺でも散見できる。

*この則に因んで、今のご時世を見れば・・隣国(中国、北朝鮮)の軍拡、恐喝外交、拉致、テロ騒動など、いったい千年後、どんな歴史的評価でいわれるのだろうと思います。

自裁死された西部邁先生ではないが、国民が拉致されても取り戻しに行けない自衛隊・・お仕着せの憲法にくるまれた、ふがいない日本社会と首相。放送を見たくない権利を認めない放送法(見ないのに受信料を取るNHK)など・・スマホポケモンを追っかけまわすノ~テンキな若者・・人と国家にまつわる本質的な問題を忘れて、それこそ・・うつつ(現)をぬかすバーチャル社会が心配です。

人とIT社会のこれからがバランスの取れたものになるための課題は山積みです。

はてなブログ・・禅のパスポート(素玄居士の無門関 意訳)・・禅・羅漢と真珠(江戸期、日本の庶民の言葉で、直指、不生禅を説かれた盤珪さんを紹介しています)どうぞ、おりにご覧ください。

 

碧巌の歩記(あるき)NO62

アレっ・・あの釣りしてるお爺さん・・ウキがピクピク、魚釣れてるのに雲を眺めて笑ってる・・キモイ!近寄らんトコ!

   碧巌録 第六十二則 門中有一寶 (うんもん ちゅうういっぽう)

              【雲門形山(ぎょうざん)に秘在す】

 

【垂示】圓悟の垂示である。師の教えやコピペでない自覚から、無心の施行をおこない、ただ、ひたすらな慈愛の献身をなすのは、禅による生活をする者の当然の行為である。

一言一句の上に活殺自在、一機一境(地)の活動を為す禅者とは・・いったい、どんな人物が、このような非凡で超人的な行いができるのか。試みに挙す看よ。

  【垂示】垂示に云く 

   無師(むし)の智をもって、無作(むさ)の妙有(みょうゆう)を発し、

   無縁(むえん)の慈をもって不請(ふしょう)の勝友(しょうゆう)となる。

   一句下(げ)に向かって、殺(せつ)あり活あり。

   一機中(いっきちゅう)において、縦(じゅう)あり擒(きん)あり。

   しばらく云え、什麼人(なんびと)か、かって什麼(いんも)にし来たりしぞ。

   試みに挙す看よ。

【本則】ある日、雲門文偃(うんもんぶんえん)が垂示した。

この広大無辺な宇宙いっぱいに、自己本有の覚心・・禅が満ち満ちている。すなわち、ワシも君たちも、本来具有の「禅」・・一宝があるのだが、その一宝によって生存(禅による生活を)している。日頃の、行住坐臥、すべてがその妙用のおかげなのに、誰も気が付かない有り様だ。

このことは・・禅者にとって、例えば、この禅院の門を持ち上げ、庭の燈篭の上に載せることだって、たやすいことなのだ。

サア・・誰か、山門を、燈籠の上に載せてみよ・・。

*映画「スターウオーズ」で、ジェダイの師、ヨーダが池に沈んだ戦闘機を、フォースの力で持ち上げるシーンがあった。スカイウオカーがフォースの力を知って、ヨーダに弟子入りする訳だが、どうやら、アメリカでのZENブームに、禅語録も一役かっているようだ。大変、面白く観たけれども、雲門の問いかけは、クレーンで山門を持ち上げて、燈籠の上に載せてみたり、ヨーダのように念力でやって見せたり・・するようなものとは、一切、関係ない問いかけだ。山本玄峰老師は、コノコトを「性根玉」と呼んでいる。(無門関 提唱・大法輪閣発行)

   【本則】挙す。雲門、衆に示して云く

   「乾坤(けんこん)の内、宇宙の間(あいだ)中に一寶(ほう)あり。

    形山(けいざん)に秘在(ひざい)す。

    燈籠(とうろう)を拈(ねん)じて、仏殿裏(ぶつでんり)に向かい、

    三門をもって、燈籠上(とうろうじょう)に来せよ」

【頌】ご覧なさい・・よくご覧なさいよ。

誰か・・人さみしい岸辺で、浮世ばなれの釣りをしていますね。

あの釣り人の風景・・一帯の美しいこと・・水は、満々とタユタイ、雲は、冉冉(ゼンゼン)と、遙るか大空を旅している。

名月は、水辺の蘆花と天地一白(天地同根・・)

さあ、この自然の内の妙用、一宝(ZEN)を看取するがよかろう。

  【頌】看よや看よ、

   古岸には何人(なんびと)か、釣竿(つりざお)を把(と)れり。

   雲は冉冉(ぜんぜん)たり。水は漫漫(まんまん)たり。

   名月蘆花(めいげつろか)、君 自(みずか)ら看よ。

 

【附記】この雪賓の頌は、碧巌録の中で、一番、私の好きな詩です。

趣味が釣りのせいか、釣れても釣れなくても、暑くても寒くても、時間を忘れてチヌ(クロダイ)の落とし込みを楽しんでいます。

もちろん、魚とのゲーム感覚で、釣れた時はPHOTOに記録するだけで、すべてリリースします。

提唱の「3分間独りポッチ禅」・・この場合は「釣りZEN」ですね・・

   

碧巌の歩記(あるき)NO63~NO64

碧巌の歩記(あるき)NO63  

碧巌録 第六十三則 南泉斬却猫児(なんせん ざんきゃくみょうじ・ねこをきる)

【垂示】圓悟が、座下の求道者たちに説示した。

いつも相対的な社会に生きる者にとって、絶対と言われる出来事を思索しようにも、意路不到(いろふとう・思索の及ばぬないところ)言詮不及(げんせんふきゅう・分別的表現できないところ)は禅者の狙いどころ・・着眼点であるから、しっかり目ン玉をひん剥いて、雷光の瞬間、流星の飛ぶ如きに、見事に対応できるか・・どうじゃ?

これが出来れば、琵琶湖の水も一飲みで飲み干せる訳だが、君たちの内に、こんな妙用(働き)をなせる者がいるか。試みに挙す。看よ。

  【垂示】垂示に云く、意路の到らざる(所は)正に提撕(ていぜい)すべし。

    言栓(ごんせん)の及ばざる(所は)よろしく急に眼(まなこ)をつくべし。

    もしまた電転(でんてん)し星飛(せいひ)せば、

    すなわち湫(しゅう)をかたむけ、嶽(がく)を倒すべし。

    衆中(しゅうちゅう)辯得(べんとく)する底(てい)、有ることなしや。

     試みに挙す 看よ

【本則】千人以上も求道者が修行する南泉山で、東西二つの宿舎に分かれて、一匹の猫の所有をめぐって取り合いの争いが生じた。

この「ネコ騒動」・・両堂の求道者たちの、次第に怒鳴りあい、殴り合いにエスカレートする、ラチもない激高ぶりに、南泉普願(なんせんふがん)老師、たまりかねて、包丁を隠し持ち、その場に割って入って、猫の首筋を高くかかげて云った。

「お前たち・・平常、悟り顔をして、この大げんかは何のざまか。実際、真の求道者なら何かヒトコトを道(い)うてみよ。さもなければ、この猫、切り殺してしまうぞ」と叱りつけた。・・けれども・・師の想い届かず、独りも「禪」を解かったものが出て来なかった。・・ので、南泉老師は、この猫を切り殺した。

*この話は、碧巌録(雪賓重顯)では、師、南泉普願と、弟子、趙州従諗次の、禅機禅境(地)を、別々に見ようとして、六十四則「趙州頭戴草鞋」との2回にわたる則となった。

無門関 第十四則や従容碌 第八則では、連続した一編の説話として記述してある。

  【本則】挙す。南泉(山において)一日、東西の両堂、猫児を争う。

   南泉これを見て、ついに提起して云く「道(い)いえば即ち斬らず」

   衆、對(たい)なし。

   泉、猫児をを斬って両断となせり。

【頌】両堂の求道者たち、イヤハヤどいつも拙劣きわまりないバカばかり。ジャンケンでもして決めれば済む話を、頭から湯気を立てて大喧嘩して間抜けな者達だ。こうした集団心理は恐ろしい事件を誘発するが、ただ、南泉の一刀両断の「禅機」が発揮されたことで問題が解決した。

南泉がいなければ、頭に血がのぼった群集心理で死者が出るような騒動だった(仏教寺院史上、初の猫斬り大騒動である)

   【頌】両堂ともに是れ杜禪和(ずせんな)

      煙塵を撥動(はつどう)せしもいかんともせず。

      さいわいに南泉のよく令を挙することを得て、

      一刀両断して偏頗(へんぽ)をままにせり。 

 *師、南泉の晩年・・弟子、趙州五十才頃の第六十四則に連続した話です。無門関 第14則では、この2則をまとめて1則にしてあります。

編集した禅者、雪賓重顯は、南泉と趙州それぞれの禅境(地)を、読者たちがどのように評価するか・・看てみたいと思ったのでしょう。

 

            碧巌の歩記(あるき) NO64 平成30年2月10

(師、南泉の晩年・・弟子、趙州五十才頃の第六十三則に連続した話です)

 

                            碧巌録 第六十四則     趙州頭戴草鞋

                            (じょうしゅう ずたいそうあい・こうべにワラジをいただく)

【垂示】ありません。

【本則】南泉山 猫騒動のあった、その夜のことである。

出かけていた弟子の趙州・・帰ってきたのを待ちかねたように、南泉は昼間の猫騒動のことを話した。

一匹の猫の取り合いに、大騒動を演じた求道者たちの振る舞いを聞いた趙州は、まだ脱ぎ終わったばかりのワラジを、自分のアタマに載せてスタスタとその場を去った。

(これが趙州の・・なにかヒトコトを道(い)うことだった)

この様子を見た南泉老師、思わず「お前が居てくれたら、猫を斬らずに済んだ」と、愚痴しきりのアリサマだった・・ソウナ。

   【本則】挙す、また南泉、前話を挙(こ)して趙州に問う。

     州、すなわち草鞋(そうあい)を脱して頭上に戴いて出でたり。

     泉云く「子(し)もし(その時)ありせば猫児(みょうじ)を救い得たりしものを」  

【頌】南泉老師は外出から帰ってきた趙州に、昼間の猫騒動の話をきかせた。師、南泉は、猫1匹の斬殺・成仏に、あれこれクヨクヨと思い悩むような出来損ないの禅者ではない。

(無門関 第19則 平常是道・・平常心是れ道・・と趙州に説き、不疑(うたがいなしと)なれば「太虚(たいきょ)の廓然(かくぜん)として洞豁(どうかつ)なるが如し」天地同根なれば、カラリと晴れた青空・・の禅境であるとして、趙州を頓悟に至らしめた禅者である)

履いていたワラジを頭にのせて、師の前を去った・・この趙州の所作が最大の難関である。(足下のワラジをアタマに載せる・・バカバカしいことの意思表示だ・・などというのは大間違いだぞ。趙州の所作が見えたら、南泉のネコ斬りの真意もみえてくる)だが・・南泉山、千人の求道者達・・その誰もが理解できないことだろう。

オイオイ、趙州さんよ・・南泉老師に30年もお付き合いしたのだから、もういい加減に故郷にかえって、思うままの禅境(地)に暮らされたらどうですか・・。

   【頌】公案を圓来(えんらい)して趙州に問う。

    長安城裏(ちょうあん じょうり)閑遊(かんゆう)をままにす。

    草鞋(そうあい)を頭(こうべ)に戴きしも人の會(え)することなからん。

    帰って家山(かざん)に到って、かえって休(きゅう)せよ。 

【附記】 この南泉斬猫の話は、古来、難透と言われる公案です(無門関 第14則 南泉斬猫・・と同じ)

しかし、包丁でネコ斬り・・どうしても納得できないので意見いたします。

当時・・8世紀頃、猫を飼うことは、愛玩というより、穀倉のネズミを追い払ってくれる(また、ペストなど病気予防の)貴重な動物でした。

南泉山の猫騒動は、そうした求道者たちの穀物蔵を守ってくれる猫の取り合い話です。南泉普願(748~834)は、馬祖道一に師事して、兄弟弟子、西堂智蔵、百丈懐海の禅境を抜く卓抜した商量を見せた・・経(教え)は蔵に入り、禅は海に帰す。ただ普願(南泉)のみ、独り佛外に超える・・と言わしめた人であり・・弟子に禪史上、唇に光を放つ120歳まで生きた禅者、趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)を打出した禅者でもあります。それが、たった1匹の猫の取り合いに、台所の包丁まで隠し持ち、誰か独りでいい、猫を助ける禅境の1句を道え・・は、達道の禅者、南泉の力量から見て、いささか腑に落ちない事件です。

まして殺生を嫌う仏教寺院の僧たちの集団であり、当時は仏心宗といった学問、知識を学んでいる修禅の求道者たちです。

もし、この事件を遠巻きに見ていた村人が、「お坊さんがた、あまりに無体なな仕打ちです。その猫を私に下さい」と涙ながらに訴えたら、南泉・・どうしたでしょうか?

こうした疑問を、後の世の禅宗の寺僧・・誰一人・・訴求していないのも疑問です。反対に「ネコは、南泉に切り殺されて、立派に大往生した」・・などと云う師家方、著作もあり、禅は宗教ではない・・と提唱する私ですら(現代流の動物愛護の精神だけで言うわけではありません)異議を唱えたい次第です。

では・・どのように意見するか・・

斬却(切り捨てる)の「ザン」の字に「竄=にがす、かくす」の意があります。この字は・・ネズミが穴に隠れるサマを表しています。南泉老師は、猫を高く掲げて「禅を求道する者なら、何か道うてみよ」・・言葉でなくとも、仕草・行動で示してみよ・・さもなくば、この猫を遠く逃がそう・・と、かくのごとく「竄流・ざんりゅう」するとして、山から追放したことを、後に禅者の伝聞として、切り殺した方が、ドラマチックで面白いとばかりに、大袈裟に脚色した・・のでないだろうか・・推察しています。

 この他にも、無門関 41則 達磨安心に、二祖慧可が、安心を求めて、雪中、肘を切って差し出したとあるが、インドから禅を伝えた達磨ともあろう禅者が、弟子の肘を断ってまでしないと「安心(あんじん)=ZEN」を伝えられない・・とは信じがたい。もともと禅は、教えてもらわないと悟れないようなものではないから、抗生物質のない、医学のない西暦500年ごろ・・わずか4~5人の中国人の弟子を相手に、切った貼った・・はないでしょうと云いたい。

もちろん、安心したい・・その禅機は、血なまぐさい肘キリ事件の、そんなところにある訳ではない。当時、刀を振りかざす強盗が横行していた時代だから、この問答の実際は、話を誇大に演出、潤色した逸話に仕立てたと断じます。

この意見は、禪のパスポート「無門関 素玄居士提唱」意訳で、詳しく記します。以上・・有(会)難うございました。

折に・・はてなブログ「禅のパスポート」「禅・羅漢と真珠」ご覧ください。 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO65「かくれんぼ・・ご飯ですよ・・の声かかり」

碧巌録 第六十五則 外道良馬鞭影(げどう りょうめべんえい)

           外道問佛(げどうもんぶつ)

【垂示】禅について、説明のできない禅機、禅境、禅による生活を、何とか求道者に解からせたくて、手を変え品を変えて、そのドンズマリを、圓悟は垂示している。

禅は、あらゆるところに充満していると云っても、まるでダークマターや量子のように、論理的、物理的に説明がつかないものだ。

「無」とか「空」は、無限の包容力で、花となり、月となり、山となり、海となる。一切、人や社会の生業(ナリワイ)の中でも、コセコセ、ズルガシコクしていない。ただし、一を聞いて十を知る者がいても、ナカナカ我執は離れがたく、この場合、禅者の痛棒を浴び、百雷のごとき喝の洗礼を受け、あるいは独りポッチ禅で鞭撻しなければ、真の達道の人にならないし、成れないのだ。

心得違いをするなよ。

ただの努力や学道では、向上の禅者にはなれない・・

その例を看よ。

  【垂示】垂示に云く、夢相にして形(あらわ)れ、

   十虚(じゅっこ)に充(み)つるも方廣(ほうこう)なり。

   無心にして応じ刹海(せいかい)に偏(あまね)くも煩(はん)ならず。

   挙一明三(こいつ みょうさん)、目機銖両(もっき しゅりょう)にして

   直(じき)に棒は雨點(うてん)のごとく、

   喝(かつ)は雷奔(らいほん)に似たるを得るも、

   また未だ向上人(こうじょうにん)の行履(あんり)のところに当得(とうとく)せず。

   しばらく道(い)え、作麼生(そもさん)か是れ向上人の事なるぞ。

   試みに挙(こ)す看(み)よ。  *向上人・・悟道の禅者の意。

 

【本則】ある時、外道(出家していない一般の求道者)が、釈尊の前に来て「有言の常見説、無言の断見説(言葉・文字による禅の説明)は求めません。私は自分で禅を解明できず煩悶しています。どうぞ釈尊よ・・二見対比でない禅=悟境(地)をお示しください」と、ギリギリに迫る問いを放った。

釈尊はジッと空(す)き透った目で何も言わず外道を見られた。

外道は、すべてが認められて在る・・生かされて在る、天地同根の禅境(地)に包まれている・・自分に気づきハラハラと涙していった。

「世尊よ。すべての迷いの雲が晴れ渡り、いま、ソノコトに包まれております」

・・外道が去って後、釈尊の傍らにいた阿難(アーナンダ)が「あの者は釈尊にジッと見られただけで、大変有難がって涙を流していましたが、いったい、どんなことがわかったのですか」と尋ねた。

釈尊は「ソウダネェ・・例えるなら、優れた馬は鞭の影をみただけで、御者の行かんとする道を走り出すのだよ」と答えられた。

  *これは中国の禅行の逸話ではなく、めずらしくインドの釈尊の行状である。

   現代・・もし路上に釈尊を見れば、私とてハラハラと泣き伏すことだろう。

  【本則】挙す。

   外道(げどう)佛に問う「有言(うごん)を問わず、無言(むごん)を問わず」

   世尊(せそん)良久(りょうきゅう)せり。

   外道、讃嘆して云く

  「世尊は大慈大悲にして、我が迷雲を開いて我を得入(とくにゅう)せしめたり」

   外道去って後、阿難、佛に問う

  「外道、何の所證(しょしょう)あってか得入せりと言いしぞ」

   佛云く「世の良馬(りょうめ)の如く鞭影(べんえい)をみて行けるなり」

【頌】釈尊は外道の問いに「黙然」としておられたが「絶対」について、何かヒトコトでも言えば、すでに相対比較。分別の世界だ。

外道は、徹底的に釈尊に見透かされ、オカゲで涙あふれる「廓然無聖(かくねんむしょう)カラリと晴れた青空の如く」の境地に入ることができた。(まるで長い便秘腹に下剤をかけられたように、さぞかしスッキリしたことであろう)

注意すべきは「無言」と「語黙」・・釈尊のコピペの語黙をして見せても泣き出すような求道者はいない。(泣き出すのは外道・・一般人ではなく、睨み据える顔におびえる子供だけだ)

サアテ・・この1日千里を走る駿馬とやらを・・今一度、喚び返してみせようか(悟境、さらに深くあるべし・・の意)

呼び戻すのに大声や追手は無用。

私(雪賓重顯)なら指を三回鳴らすだけで充分だ。

  【頌】機輪(きりん)かって未だ転ぜず。

   転ずれば必ず両頭(りょうとう)に走る(がゆえに)。

   明鏡(みょうきょう)たちまち台に臨(いど)み、

   当下(とうげ)に妍醜(けんしゅう)を分(わか)てり。

   妍醜(けんしゅう)は分(わか)れ、迷雲は開けたり。

   慈門いずれの處にか塵埃(じんあい)を生ぜん。

   よって憶(おも)う良馬の鞭影を窺(うかが)うことを。

   千里の追風(ついふう)喚(よ)びえて回(かえ)さん。

   指を鳴らすこと三下(さんげ)して。

 

【附記】無言と語黙は大違い・・もし釈尊やキリストの「語黙」に接することができれば、キット私は大泣きすることでしょう。

釈尊やキリストのお姿を見ただけで、その当時の人々は、思わずひざまずき合掌したことだろう・・と思います。

つまり、私が禅者の「語黙」に接して、泣けない状況なら、世に云う如何なる聖人でも、私の信ずるにたる聖人ではない・・と確信します)

 奉魯愚「禅のパスポート・・無門関 素玄居士提唱」「羅漢と真珠・・禅の心、禪の話」おりおりに、ご覧いただければ幸甚です。

 

 

碧巌の歩記(あるき) NO66「ひとつひとつ・・腹の底から吐き出せヨ!」 

 碧巌録 第六十六則 巌頭収黄巣釼 (がんとう しゅうこうそうけん)

                                              巌頭黄巣過ぎて後がんとう こうそうすぎてのち)

【垂示】圓悟が垂示した。どのような逆境になろうと、あるいは猛虎を落とし穴で捕獲する機敏な策略をもっていたり、正面攻撃であろうと側面攻撃であろうと、その攻防は臨機応変のたくましい勇者・・まるで毒蛇をも翻弄できるような、眞の禅者を紹介しよう。

    【垂示】垂示に云く。当機覿面(とうきてきめん)にして陥虎の機を提(ひっさ)げ    

       正按傍提(しょうあんぼうてい)にして擒賊(きんぞく)の略を布(し)き

  明合暗合(めいごうあんごう)雙放雙収(そうほうそうしゅう)にして

  死蛇(しじょう)を弄することを解(げ)せば、また他は作者なり。

 

【本則】後年60歳で賊刃に斃れた湖北省(卾州)巌頭全豁(がんとうぜんかつ828~887)は禪史上、最も数奇な運命の禅者である。

彼には、若き修行時代、同郷(福建省 泉州)の雪峰義存(せっぽうぎそん822~908)の悟達禅機を発火させた、有名な「鼇山成道」(ごうざんじょうどう)の話がある。

三度 投子に参じ、九回洞山に上る、長い年月の修行を重ねた雪峰の、真の師は巌頭である・・と思います。

(その由来については、この則の後に附記します)

この則は、唐末(880~887)の一大一揆、黄巣(こうそう)の乱で唐が滅びかけている頃、求道者が、巌頭の禅院にやってきたところから始まります。

巌頭「何処からおいでたのか」

求道者「長安より参りました」

巌頭「それじゃ、天より賜った宝剣で、西京を乗っ取った賊大将・・黄巣は捕まって首を刎ねられたそうだが、その無用の宝剣、いったい誰が手に入れたのだろう」

求道者「ほかでもない私でございます」と調子をあわせた。

すると巌頭はスッと首をのばし、その宝剣の切れ味、見せてみよとばかりに、求道者の前に差し出して「グァッ」と奇声を発した。

(黄巣が首を刎ねられたように、切り落としてみよ・・という風だった)

求道者は自分の立場をわきまえていたようで、頭を差し出す巌頭に云った「やあ・・やあ、ご老師の首は落ちましたぞ」

この余りにも露骨な稚(痴)戯で振る舞う求道者にあきれて、巌頭は思わず大笑いした。

さて、その求道者、後日、同じく黄巣の乱で荒廃した福州(福建省)の雪峰(山)義存を訪ねた。

雪峰問う「何処から来られたのか」「巌頭の禅院から参りました」

雪峰「巌頭老師は、どんな風に提唱しておいでかな」

求道者は、巌頭と雪峰が、実の兄弟よりも深く、禅で結ばれていることを知らず、訳知り顔でトクトクと、黄巣の宝剣で巌頭の首を切り落とす真似をした話を語った。

すると雪峰は厳しく三十棒を与え、求道者を追い出したトサ

       【本則】挙す。巌頭 僧に問う「いずれの處より来たりしぞ」

   僧云く「西京より来る」

   頭云く「黄巣(こうそう)すぎて後 還って釼を収得するや」 

   僧云く「収得す」

   巌頭 頸(くび)を引(の)べ近前(きんぜん)して云く「グァッ」

   僧云く「師の頭(こうべ)落ちたり」

           巌、呵々大笑。

   僧のちに雪峰にいたる。

           峰 問う「いずれの處よりか来たるぞ」

          僧云く「巌頭より来たるなり」

          峰云く「何の言句かありしや」僧 前話を挙す。

          峰 打つこと三十棒にして追い出(い)だしたり。

*口の中にカタカナの<カ>の字を入れて「カ字」と読む。パソコンの手書きにも出てこないので、しかたなく、カ字一声を「グワッ」を発声させた。そんな感じです。

【頌】黄巣の乱が収まり、その宝剣の行方について、禅による生活の只中にある、巌頭の想いや大笑いを、求道者は理解していない。

だから、アチコチ行脚して、巌頭のことは巌頭より熟知している雪峰に立ち寄り、宝剣を手に演じた一件を自慢したものだからタマラナイ。雪峰の三十棒を食らって、追い出されてしまった。

イヤ、三十回のムチ打ちの刑で済んだからよかったものの、この狂言話、本当は三文の値打ちもない「禅機」の真似事をした・・コピペ求道者の末路話である。

禅宗の場合、寺僧の宗派集団や組織化された僧堂修行になると、必ず、このような、ガンモドキのような「禅」モドキが出現する。

巌頭にせよ、雪峰にせよ、達道の禅者たちは、ことごとく孤独な「禅による寂寥の生活者」である点に留意すべきである。

     【頌】黄巣すぎて、後かって釼をおさむ。大笑はかえって当に作者しるべし。

        三十の山藤しばらく軽恕(けいじょ)す、

               便宜(べんぎ)を得たるは、これ便宜に落ちたるなり。

 【附記】若き求道者、巌頭・雪峰が行脚、修行の途中、湖南省常徳府、鼇山(ごうざん)で、ひどい雪に閉じ込められて10日余り・・ヒタスラ坐禅三昧の雪峰をしり目に、兄貴分の巌頭は寝てばかり。やりきれぬ孤独感にさいなまれて、遂にたまりかねて文句をいう雪峰。どうして、こんな境遇なのに、今を想わず気楽に寝てばかりでいられるのか。

巌頭・・真面目な修行に励む雪峰を見かねて「お前の悟道の妨げとなる悩みを話してごらん」という。雪峰は、アチコチの著名な師家の参禅で得度した話頭をあげつらうが、ことごとく、コテンパンに否定されつくしてしまう。

その止めの一語が「無門関」冒頭の「門より入る是れ家珍にあらず」・・自分の心底からの「これ・このこと」を確信しなければ、己の真の宝物ではない・・「このこと」が未だワカランのか・・と詰め寄られて「それではいったいどうすればよいのか」と、追い詰められた虎の目で巌頭を睨み据えた。

巌頭「今後、禅の大旗を打ち立てようと思うなら、一つ一つ自分の腹の底から吐き出して、そいつを天地一杯に広げてゆくことだ」

雪峰は言下に大悟した。

思わず五体投地して巌頭を伏し拝む。そして起き上がるやいなや、繰り返し叫ぶのである。

「今こそ、まぎれもない鼇山成道(ごうざんじょうどう)だ」

*雪峰(義存)は雪峰山に住したのちの名前。巌頭(全豁)同じく巌頭山(岳州)に住した・・ので、義存・全豁より、わかりやすい後々の名で表現した。

*この鼇山成道は、祖堂集の訳出により、柳田聖山著「禅の山河」発行・禅文化研究所 昭和61年・・から紹介させていただいた。この項に前後して「途中善為」(とちゅうぜんい)・・道中、くれぐれもお気をつけて・・とか、「末後の句」など、禅者、雪峰の逸話が、詩的に、すぐれた禅文学として紹介されている。推奨したい1冊である。

 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO67 机をコツン・・禅の「始まりの終り⇔終りの始まり」

碧巌録 第六十七則 傅大士経講 (ふたいし きょうを こうず)

【垂示】ありません

【本則】仏教に帰依していた梁の武帝が「金剛般若波羅蜜多経」の講釈をしてもらおうと、誌公の紹介で、傅大士(497~?)を招待した。

呼ばれた傅大師は講座に上がると、手にした笏(しゃく)で、コツンとテーブルを一打して、サッサと講座から降り去ってしまった。

武帝は、禅のカナメといわれる金剛経・・その解かり易い話を聞きたいのに、いったいどうなったのか・・愕然(がくぜん)とした。(この「コツン」・・最も親切で解かりやすい・・禅による行い・・なのにサッパリ訳の解からない武帝であった)

誌公が茫然(ぼうぜん)模糊(もこ)としている武帝に「陛下、金剛経の神髄、理解なさいましたか」と尋ねると、武帝は「彼の行ないが一向に解せないのだが・・」と素直に答えた。

誌公は、同じくキョトンとしている居並ぶ百官たちに「サアサ・・大士の講演はモウ終わりました。これにて閉会いたします」と、その場を取り仕切った。

机をコツンが「始まりの終りで、終りの始まり」なのだ。

もうこれ以上、ZENを語ることはできない。

  【本則】擧す。梁の武帝、傅大士に、金剛経を講ぜんことを請(こ)いたり。

   大士、すなわち座上において、案(あん)を揮(う)つこと一下(いちげ)して、

   すなわち下座(げざ)せり。

   武帝愕然(がくぜん)。

   誌公(しこう)問う「陛下、また會(え)せりや」

   帝云く「不會(ふえ)」

   誌公云く「大士は講(こう)経(きょう)をおわりたるなり」

【頌】静寂と安心に満ちた禅庵に居れば良いものを、梁武帝の首都、金陵(現南京)まで、わざわざ出かけて御前講義をやるとは、傅大士の俗臭ぶり・・どうかと思います。

もし、あの場で、仙人じみた誌公が、閉会宣言をしてくれなかったら、達磨の二の舞。

(碧巌録、第一則 武帝問達磨=聖諦第一義=廓然無聖

きっと自尊心や野心のカタマリのような武帝と悶着が起こって、挨拶もせずコソコソ都を逃げ出す羽目になったことだろう・・。

  【頌】雙林(そうりん)に向かってこの身を寄せ(よ)ずして、

   かえって梁土(りょうど)において塵埃(じんあい)をひけり。

   當時(とうじ)、誌公老を得ざりしならんには、また是れ栖栖(せいせい)として   

   国を去りし人なりしならん。

 

【附記】傅太士(善慧大士497~514)と誌公(寶誌 不詳)は、住所不定。どこでも裸足で出入りした。頭髪モジャモジャの道行者。禅観、佛理を語ること、声聞(しょうもん)羅漢(らかん))以上といわれた。碧巌録の武帝問答にに混同される禅者である。堂々と宮中に入り、武帝(481~549)の庇護のもと、仙人の如き祖師禅の前駆者的な禅者に例えられる。

当時、宮廷では、盛んに佛教経典の解釈、講義が行われていて、その引用の一番は「維摩経」「涅槃経」「金剛経」などであった。(・・と、鈴木大拙は禅思想史 第三巻で記述)ただし、武帝は達磨との問答(第1則)でも明らかなように、きわめて自己顕示欲の強い目立ちたがり屋である。

仏教に篤いといっても、功徳、顕彰を求めてやまないハダカの王様であった。とまれ、中国・禅の創世期(初代・達磨から六祖・慧能にいたる)は、欣求的佛教にコンクリされてきた中にあり、無功徳、無心の禅行を、直ちに見せつけられても、禅者の言行への無理解、チグハグ差は避けがたいことだった。

禅のはじめは・・達磨の「不識(しらず)」と、この「コツンと机を叩く」ことからはじまった・・としておきます。

それが「純禅」・・というものです。

この碧巌の散策・・則を逆行して67則(平成30年1月3日~)・・役立たずのZEN・・散歩の地図なり、杖なり、靴なりの使い捨てで、ご参考ください。あわせて、はてなブログ「禅のパスポート」=無門関意訳や「羅漢と真珠」ご覧いただければ幸甚です。   有(会)難うございました。 

 

 

碧巌の歩記(あるき) NO68 「君の名は?」

臨済の「無位の真人」の名を、三聖に問うた仰山・・さて・・どう答えたものか。

 

碧巌録 第六十八則 仰山問三聖(きょうざん さんしょうにとう) 

               仰山汝名什麼(きょうざん なんじのななんぞ)

 

【垂語】圓悟が坐下の求道者に垂示した。

およそ禅者は、天地をひっくり返し、虎や犀牛(さいぎゅう)を捕まえたり、龍か蛇かを識別したりする、これには溌溂(はつらつ)たる禅機を要する。

このような非凡な人物は、如何なる問いかけにも明確な応答ができ、どのような場合にも、臨機即応(りんきそくおう)の働きができるのである。

さあて・・昔から今日まで、この禅門に、こんな禅者が、如何なる活動をなしたものか・・その例をあげるから、とくと看よ。

    *天關(てんかん)をかかげ、地軸(ちじく)を翻し(ひるがえ)、虎兕(こじ)をとらえ、                                    

    龍蛇を弁ずるには、須く(すべから)是れ、

    この活驋驋(かつぱつぱつ)の漢にして、初めて句句(くく)相投(あいとう)じ、

    機機相応(ききあい)応ずるを得(う)べし。

    且(しばら)く従上来(じゅうじょうらい)、

    什麼人(なんびと)か合(まさ)に恁麼(いんも)なるべかりしぞ。

    請う擧す看よ。

 

【本則】相手の名前を知っていながら、その名前を尋ねる奇妙な話を一つあげよう。

仰山慧寂(きょうさん えじゃく)が三聖慧然(さんしょう えねん)に、あなたの名前は何ですか・・とたずねた。

三聖は、真面目に「慧寂です」と答えた。

仰山は「慧寂とは、そりゃ、わしの名だ」

三聖「それなら・・私の名は慧然です」

仰山はこれを聞くなり、腹を抱えて笑った・・と・・さ。

   *擧す。仰山(きょうざん)、三(さん)聖(しょう)に問う。

   「汝 名はなんぞ」聖云く「慧(え)寂(じゃく)」

    仰山云く「慧寂はこれ我」

    聖云く「我が名は慧(え)然(ねん)」

    仰山 呵呵大笑(かかたいしょう)せり。

 

【頌】三聖が自分の名を問われて、相手(仰山)の名を答え、とがめられて、早速に自分の名を言い返す手際のよさ。まるで・・奪うも捨てるも、二つながらの自在の働きは、猛虎にうちまたがったような禅者である。

三聖の答話を聞いた仰山、思わずの大笑いだが、その笑い声は風にのってどこかに消えた。

さあて・・さて・・この笑い声、千年万年、何時までも天下の求道者の謎となり、寂寥の虎落笛(もがりぶえ)となって、求道者にとりつくことであろう。

(仰山、大笑の落處=汝の真人は何処にありや・・)

   *雙収雙放(そうしゅうそうほう)なんたる宗ぞ。

    虎に騎(の)るには由来(ゆらい)絶功(ぜつこう)を要す。

    笑いやんで知らず、いずれの処にか去りしぞ。

    只(ただ)まさに千古悲風(せんこひふう)を動(どう)ずることになるべし。

【附記】相逢不相逢(あいおうて あわざる) 共語不知名(ともにかたりて なをしらず・・臨済

仰山慧寂(814~890)は、潙山霊祐の片腕として潙仰宗を創唱した穏健にして円熟の禅者である。

一方、三聖慧然(不詳)は臨済義玄の弟子。仰山、徳山、雪峰などと問答した記録があり、年齢的には、彼らより後輩であつたろうと推測されます。

彼は北方禅、臨済(866寂)宗祖・・「赤肉団上(しゃくにくだんじょう=君の顔から出入する)一無位(むい)の真人(しんじん)」を看よ・・と迫る、将軍禅の鞭撻を受けた禅機はつらつな禅者である。

臨済の弟子であり、彼の名は百も承知で、「無位=無依の真人」禅による生活をなす者・・の名をきく仰山。

(実に辛辣な、禅境(地)・・を尋ねる問答です)

自分は「名づけようもなき無位の真人=禅(による生活)者である」・・これも百も承知で、仰山を名乗る三聖。

相逢うて、語るも互いの名を知らず・・と、禅機まるだしの三聖。

無位(依)とは、露裸裸(ろらら)、赤灑灑(せき れいれい)、浄堂堂(じょうどうどう)と、この世で得た、あらゆるものをかなぐり捨てて、そのままに立つ(眞人)姿を言う。

臨済の「無位の真人」を、三聖に問うた仰山。「君の名は?」

素っ裸で道を歩く訳にもいかず、衣をまとい、衣の名を「慧寂」として仰山の名を騙(かた)る三聖の答え。

「そりゃ、わし(仰山=真人)の名だ(お前さんの真人の名は何だ」と詰め寄る仰山。あらゆる形骸を両忘して・・(ともに語りて名をしらず)答える三聖。それを、「得たり」とばかり・・腹の底から大笑いする仰山。

 

虚栄・虚識に満ちた現代より、千年も昔の出来事の方が、はるかに、露堂々、明歴々・・スガスガしい生き方をしている・・と言えましょう。

この問答、重箱の隅をつつくような解説になりましたが、論理的に解説できる話ではありません。禅の問答は、どれをとっても、その人、それぞれの禅機(はたらき)禅境(地・・行い、心がけ)そのものだからです。 その禅者の言動で、何か「気にさわる」・・「心惹かれること」が、導きとなって坐禅(禅境)を深めていってくれる・・はずです。

はてなブログ 禅のパスポート・・無門関意訳(素玄居士 野晒し評語)ご覧ください。

 

碧巌の歩き 第69則・・的は何処にあるのか・・?

碧巌録 第六十九則 南泉一円相 (なんせん いちえんそう)

【垂示】圓悟が垂示した。

禅者の心境を窺うのは、なまじの覚悟で挑んでも理解しがたく、ダイヤモンドで出来た菓子を食べるように、堅くて歯がたたない。

そのありさまは、まるで黄河の氾濫に備えて、ドンと河岸に据え付けられた巨大な鉄牛に例えられよう。

(第三十八則 本則中 「祖師心印 状似鐵牛之機」と同義)

破れ衣をまとった修行の足りた達道の禅者は、深山に小さな禅庵を構え、赤い囲炉裏の炭火に、一握りの白雪を振り舞いたような生活・・が似合っている。

また、戦いにおいて、四方八方から敵に襲いかかられようと、いささかも動じることなく非凡に立ち向かえるのは、それはそれでよいとして・・文字、言句の葛藤に囚われないこととは・・はたして、どんなことか・・試みに挙す看よ。

   *垂示に云く、啗(たん)琢(たく)なきの処は、祖師の心印にして、

    かたち鐵牛(てつぎゅう)の機に似たり。

    荊棘林(けいきょく りん)を透(とお)るものは、

    衲僧家(のうそうけ)にして紅炉上一点の雪のごとし。

    平地上に七穿八穴(しちせん はっけつ)なることは

    則(すなわ)ち且(しばら)く止(お)く。

    夤縁(いんえん)に落ちざること、また作麼生(そもさん)。

    試みに挙す看よ。

 【本則】馬祖の弟子たち・・南泉(なんせん)と歸宗(きす)と麻谷(まこく)の行脚(あんぎゃ)=若い修行時代の話をしょう。

三人は、江西、馬祖山を出発して、はるばる長安の都、忠国師のもとを目指して旅だった。

その道なかばにさしかかって、一休みのおり、南泉は、路上に「一円相」を描いて云った。

「これについて、誰か真理に触れた一句=「一語」を云えるなら、約束通り長安まで行くことにするが、そうでないなら、テクテク遠い長安まで行くのは、もうごめんだ」

すると・・歸宗は、南泉の描いた地上の一円相の中に入って坐禅をしたのだった。

麻谷は、それを見て早速、歸宗の前に行き女性が観音様を拝するように礼拝した。

二人が、どさまわりの芝居じみたことをするので、南泉は「ソンナ事なら、もう長安行は止めた。ヤメダ」と云った。

歸宗「ここまで来て何を言うか。いったいどんな腹ずもりで止めるのか」と詰め寄った。

(結局、三人はトボトボ、遠路の旅を止めて、親方のいる馬祖山にもどった)

   *擧す。南泉(なんせん)、歸宗(きす)、麻谷(まこく)、

    同じく去って、忠(ちゅう)国師(こくし)を礼拝せんとせり。

    中路(ちゅうろ)に至って、地上において、一圓相(いちえんそう)を書(えが)いて云く、

   「道(い)い得(え)ば即(すなわ)ち去(さ)らん」

    帰宗、円相の中において坐したれば、

    麻谷すなわち女人拝(にょにんはい)をなしたり。

    泉云く「恁麼(いんも)ならば則(すなわ)ち去(さ)らじ」

    帰宗云く「是れ、なんの心行(しんぎょう)ぞ」

 【頌】楚の恭王の為に、樹上の白猿を狩りする最中射手の矢のことごとくを、白猿が手で振り払い阻止したので、弓の名人、太夫の養(よう)由基(ゆうき)が、その手こずらせた白猿を、不思議な矢で射止めたという・・故事にもとづく。                               樹木をグルグル逃げ回る猿を、誘導弾のように追いかけまわす由基の矢は、不思議にも、樹木をかいくぐって旋回しながら(しかも、まっすぐに飛んで)見事に的中したことになる。

禅界で知らぬ人無き、著名な忠国師の「一円相」は、まさしく白猿のような怪物だが、はたして、養由基のように、見事に射止めて、その正体を見届けた禅者がいるか・・どうか・・

修行中の彼ら三人は途中で長安行きをやめて、馬祖山に帰ったそうだが、ソリャ間違いではなくて、マッコト正解だ。

もともと、中国ZENの大樹、その根元である曹渓慧能(そうけい えのう=山猿と呼ばれ・・焚き木拾いで生計を立てた髪を剃らない道者・・東山弘忍(ぐにん)の弟子、六代目祖師)の手元には、本来「無一物」・・何もないのが取り柄だからだ。

だが、何もないところを、何もないまま見て回って、文化とやらの咲乱れるサマを、円相トヤラに映し込んで、お土産にしたらよかったものを・・・。

どうも、何時の世であれ、手(て)・間(ま)=労力・時間を省くと、ろくなことにならないなぁ

    *由基(ゆき)が箭(や)は猿を射たり。樹(き)を遶(めぐ)ること何ぞ、

    はなはだ直(ちょく)なりしぞ。

    千箇(せんこ)と萬箇(ばんこ)。これ誰か、かって的にあてしや。

    相よび、あい呼んでかえりなんイザ。

    曹渓(そうけい)路上(ろじょう)には登陟(とうちょく)することを休(や)めたり  

   (また云く)曹渓の道は坦平(たんへい)なるに、なんとしてか豋陟をやめたるぞ

 

【附記】この則は、馬祖道一の弟子、南泉普願(なんせんふがん 748~834)麻谷寶徹(まこくほうてつ 南泉と法系上の兄弟弟子)歸宗智常(きすちじょう=蘆山(ろさん)歸宗寺(きすじ)の三人が忠国師南陽慧忠 なんようけいちゅう)のいる長安(西京・千福寺)に行脚する道中の話だが、三名とも、まだ、馬祖山にいたる間なしの、諸国遍歴時代の青年修行者(二十五歳前後)であった。

自分たちの師、馬祖道一(ばそどうどういつ)の師すじにあたる、南嶽慧譲(なんがくえじょう)の兄弟弟子・・南陽慧忠が・・(この二人は六祖、大鑑慧能(たいかんえのう)を祖師とする)飛ぶ鳥をおとす勢いの粛宗皇帝の国師であることを知って、有名な「一円相」の元祖・家元の禅境話も聞きたし、さらに良いコネ、ツテがあれば名山の住持に昇進・・との、生業(なりわい)のための、よからぬ動機もあり、いさんで馬祖山を旅立った道半ばの出来事だった

歸宗の「我は絶対の中心」にあり・・とする円相坐と、麻谷の茶目っ気たっぷりの観音礼拝の仕草に、真面目な南泉は、さぞかしガッカリしたことだろう。

この話は・・「的(円相)を道(い)いえれば即ち去らん」とする意を、領得できなかった二人の青年求道者・・その禅機上の遊戯を誘ってしまった南泉の失敗話である。

  • 遊びをせんとや生まれけむ

   戯(たわ)ぶれせんとや生まれけむ

    遊ぶ子供の声きけば

     わが身さえこそゆるがるれ(平安期 梁塵秘抄・今様)

 

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有(会)難うございました。 

 

 

碧巌の歩記(あるき)NO70  (NO70、71、72=3則)

この七十則、七十一則、七十二則の三則は、百丈懐海(ひゃくじょう えかい=720~814)を師とする、潙山霊祐(いさんれいゆう 771~853)五峰常観(ごほうじょうかん)筠州(きんしゅう)=江西省の人、不詳。雲巌と同期生)雲巌曇晟(うんがんどうせい 782~841 潭州=湖南省、雲巌禅院)の禅問答・・その三部作の第1話である。

編集者、雪竇は、百丈の問いかけに対して、弟子三人、それぞれの禅機をみるために分割した・・と考えます。

始めに潙山に、次いで五峰に、最後の雲巌に、まったく同じ問いをしかけたのは、多分、彼らの年齢順であり、次の二則に【垂示】が欠落しているのは、同義の公案。答えはそれぞれの答者のひとつだけ。

わざわざ「同じ問い」に解説不要としたか、または、大慧宗杲(たいえしゅうこう)による・・碧巌録は修行の邪魔として焼却した事件(1141頃?)により、遺失したものか・・いずれにせよ、欠落しています。

*圓悟克勤(えんごこくごん 1063~1135) 碧巌録撰述 1115頃? 刊行1128) 

内容・・雪竇【本則=公案】頌(じゅ)。圓悟【垂示】著語、評唱の五部門で成立。 

大慧 碧巌録焼却1141頃? 圓悟の弟子。曹洞の黙照禅に反して、臨済公案禅=看話禅を標榜(ひょうぼう)、提唱した。中国、臨済宗、中興の祖と称せられる傑出した禅者であったが、門下の求道者たちが、臨済のいう・・自己の面前に出入する一無位の「真人」・・参究の道を誤り、いたずらに文字・言句の解釈にうつつをぬかす口頭禅の様子に憤慨して、焚書狂言を演じて見せた。(現代日本の仏教界=禅宗の寺僧たちや、佛教学者たち、関心を持たぬ庶民、スマホ社会の風潮とまったく類似した生活風景です)

 ●私が意訳する「碧巌録」の骨子は昭和九年、京文社発行、井上秀天著「碧巌録新講話」が、重要参考本です。その前書き(歴史的研究)末尾の言葉を記しておきます。

「実を言えば、この碧巌録は、あまりむつかしい性質のものではない。禅の深遠なる玄旨を、造作なく俗耳にでも入るように、雪竇、圓悟が、当時(宋)の俗語をもって、面白おかしく提唱したものであるから、これを日本訳するには、現代の通俗語を使用して、なんびとの耳にでも、スラスラと入るようにすべきものであろう」

このように、一九三四年、漢文和訳された一千頁余の本ですが、それから八十有余年・・経過した今日・・解かりやすい日本語であつたはずが、すでに漢文古語になってしまっている次第です。

戦前、井上秀天は、原始仏教、東洋思想研究家。禅宗、佛教に根差した非戦・平和を提唱して、政局・宗教界・寺僧に憚らぬ方であつたと言われています。

残念ながら、終戦直前、神戸空襲の日、爆撃のB29を庭先で見上げておられた、その真上で爆弾がさく裂。爆死なさった・・(1945-3-17 六十六才 鳥取県出身)と聞きます。資料が大変、少ない方です。

 

碧巌録 第七十則 百丈併卻咽喉 (ひゃくじょう いんこうをへいきゃくして・・)

                                                潙山請和尚道(いさんおしょう こう いえ

【垂示】圓悟が垂示した。

一を聞いて十を知るような人には「一語」で充分・・駿馬を走らすには、たったのひとムチでことたりる。(三十八則 垂示と同義)

つまり一念は万年のなかにあり、万年は一念そのもの(色即是空=心経)だ。快人である禅者は、この世の事象、葛藤を、それが発生しない内に、判定、裁断しなければならない。いや、葛藤の起こる前に、裁断する機敏さが大事だ。

例えば、喉が渇いた・・と思う前に、茶が差し出されるように・・。例えば・・自然の四季は、冬にいて、春を待望する前に、白梅のつぼみがふくらんでいるように・・。

サテ・・この事象の発生する前に、いったい、どの様にして、その直截を行動できるのか・・次の事例を看よ。

   *垂示に云く。快人(かいじん)には一言。快馬には一鞭(べん)。

   萬年は一念。一念は萬年。

   直截(じきせつ)することを知らんと要せば、

   未(いま)だ挙(こ)せざる已前(いぜん)に於いてなるべし。

   且(しば)らく道(い)え、未だ挙せざる已前に、

   作麼生(そもさん)か模索(もさく)せん。請う擧す看よ。

【本則】百丈山の禅林であった一日の問答話をあげる・・擧す。

霊祐、常観、曇晟の三人が、師の前に起立した。

百丈が潙山に問う・・

「顔無し(口や舌や唇なし)で、如何に、禅を語れるか」

潙山云く「師よ、まず師が、その模範をお示しください」

百丈云く「ヤレと言われりゃ、やらぬでもないが・・やって見せれば、この世から「禅」が消滅。禅者が断絶してしまうので、やる訳にはいかないのだよ」

 *潙山。五峰・雲巌の名を、後の居住した山の名で記されているのは、碧巌録が、彼らの在世中の話ではなく編集、作成されたことを表わしている。

百丈懐海(当時35才)の社会は、唐の玄宗皇帝(70才)が・・(蜀の玄琰(げんえん)の娘、揚太眞を貴妃としたのは745年)・・楊貴妃(36才)と西安、華清宮で豪遊をかさねる・・白楽天の「長恨歌」にうたわれた「春さむく、浴を賜る華清池。温泉、水なめらかにして、凝脂を洗う」・・頽廃の時代だった。

禅林も僧侶たちは、何が「出家」か・・家出の間違いではないか・・と言うほど、倫理・道徳が乱れに乱れた中で、百丈は、禅寺(叢林)の団体生活の規律を定めた規矩(きく)制定=禅林清規(しんぎ)・・を制定して、いわば禅者のモラルを立て直した、たぐいまれな禅者でした。

「一日作(な)さざれば、一日食(しょく)せず」・・人の為に働けないのなら、食べないことにする・・この、己に向かって断言した勤労実行宣言。すごい「禅者の一語」です。

同じ中国の共産党・・習キンペイさん・・狐もハエも叩く・・正直に働かざる者、食うべからず・・と、えらい違いです。百丈山にお参りして、爪の垢でも煎じてのまれるとよいでしょう。

百丈の言い分は、そうしたドン図まりのどん詰まり・・「禅者の一語」は自らが体得して、禅による生活を行いなさい・・の意でもあります。

  *擧す。

   潙山(いさん)・五峰(ほごう)・雲巌(うんがん)、

   同じく百丈(ひゃくじょう)に侍立(じりつ)せり。

   百丈、潙山に問う「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

   作麼生(そもさん)か道(い)わん」

   潙山云く「却(かえっ)て請う、和尚 道(い)えよ」

   丈云く「我 汝に向かって道うことを辞(じ)せざるも、おそらくは巳後(いご)、

   わが児孫(じそん)を喪(うしな)わんことを」

 

【頌】潙山はナカナカの豪の者だ。まるで虎が犀の角をはやして草むらから飛び出したような出来事だ。

生徒が先生を試験するとは・・。

現実世界五州と理想郷五州、あわせて十州の、枯れ木に花を咲かせたような春爛漫の地も、過ぎれば真冬の枯山水

しかし、言語を絶した禅者は、まるで南洋の珊瑚のように、陽を浴びてキラキラと輝やいている。

  *却って請う、和尚 道えとは。

   虎頭(ことう)に角(つの)を生じて荒草(こうそう)を出でたるなり。

   十州(しゅう)には春盡(はるつ)きて、花は凋残するも

   珊瑚(さんご)樹林(じゅりん)には日杲杲(ひこうこう)たり。

【附記】クレオパトラと並び称せられた楊貴妃(27歳)が、玄宗皇帝(61才)に見初められたのは、紀元745年の事。中国7~8世紀へ、タイム・トラベルできたら、動乱、頽廃の世相の中、禅の勃興期、どうやら、この時期の宮廷、楊貴妃の容姿を、百丈老師とともに見られたかもしれない・・しかし、アシタに紅顔の美少年(少女を意味した)夕べに白骨となる・・ならば・・観光・就職コネ旅行は中止にして、退散するのが(百丈わずか26才の時ですから・・)正解でしょう。

*老師というのは、年老いた師の意味ではなくて、近しい先生の意

 

 碧巌の歩記(あるき) NO71  

碧巌録 第七十一則 五峰和尚併却 (ごほうおしょう へいきゃく)

                百丈問五峰(ひゃくじょう ごほうにとう)

【垂示】ありません・・ 前則に関連する、百丈の五峰(弟子)への問い(公案)ですから、圓悟の、ワザワザの垂示はありません。

 

【本則】百丈、今度は五峰に向かって「口で・・ではなく、禅者としての一語を云え」と迫った。

五峰云く「老師よ、まずは、貴方から口で・・ではなく、その禅者の一悟をお示し願います」

百丈云く「ようしヨシ・・お前さんの来るのを無人(尽)の境地で、手を額にあて遠く望んで、待ち受けよう」

(圓悟 箸語(ちゃくご)して「土曠(どこう=十万億土の地に)人稀相逢者少(ひとあいあうはまれなり・・やくそくはできないぞ)」・・ソンナ遠方で待ってるようなお人よしはイナイゾ・・の意)

  *擧す。百丈、復(また) 五峰に問う。

  「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

   作麼生(そもさん)か道(い)わん」

   峰云く「和尚、また、すべからく併却すべし」

   丈云く「無人の處(ところ)にて斫額(しゃくがく)して汝を望まん」

 

【頌】師、百丈に一切の媒体を除去して悟道の一語を云えとは。

まるで、不敗の龍蛇を布陣した百丈の手元をすり抜けて、斬り返した五峰のハカライ、見事である。この非凡な働きは、古の李将軍の逸話そのものだ。

万里の天空を飛翔する鶚(ミサゴ)に比すべき百丈を見事に射落とした手際は、李将軍以上の英雄と呼ぶべき者であろう。

  *和尚 また併却すべしとは。

   龍(りゅう)蛇陣上(だじんじょう)に謀略を看せしめたるなり。

   人をして長く李将軍を憶(おも)わしむ。

   萬里(ばんり)の天遍(てんぺん)には一鶚(いちがく)を飛ばせり。

 

【附記】潙山、五峰ともに、問答をしかけられた師、百丈から否認されてはいない。しかし、潙山は虎であるのに猫に見せかけて、五峰は龍であるのに蛇に見せかけて、その禅境を表わしたが、まだ百丈の口舌、言句の網の中に囚われている。趙州や臨済の如き悟境は、まだまだの若虎、土龍・・未だ天龍にいたらぬ時期であると言えましょう。

 

碧巌の歩記(あるき) NO72  

 碧巌録 第七十二則 雲巌和尚有也 (うんがんおしょう ありや)   

             (百丈問雲巌 ひゃくじょう うんがんにとう)

【垂示】ありません 

前則に連続する百丈の弟子、雲巌への問い(公案)ですから、圓悟のワザワザの垂示はありません。

【本則】擧す。百丈、また雲巌に問う。

「口や舌や発声なしで、禅者の一語を道(い)うて看よ」

雲巌云く「老師よ、さっき、五峰さんに、老師から先にどうぞ・・と言われて言語媒体を捨て果てた・・と思っていました。・・のに、まだ、こだわっておられるのですか」と逆ネジを喰らわせた。

百丈云く「ウーム・・お前さんの云う通り、親切の限りを尽くして聞かせてやったが、このような有様では、将来は口達者な者ばかりの、禅者絶滅種と成りはてよう・・な」

   *擧す。百丈、また雲巌(うんがん)に問う

   「咽喉唇吻(いんこうしんぷん)を併却(へいきゃく)して、

    作麼生(そもさん)か道(い)わん」

    巌云く「和尚 有りや、また、未(いま)だしや」

    丈云く「我が児孫を喪(そう)せん」

 【頌】口舌、言語を絶して「禅者の一語」を道(い)えと迫られて、雲巌「老師、いまだ自己の言語を絶しておられないのか」と返した。まるで文殊菩薩の乗られる、金毛の獅子の如き振る舞いだが、残念ながら、この場合は、眠れる獅子である。

潙山、五峰、雲巌の三人、まだ若く、修行中の身で、それぞれ、共に、先達の歩いた道のコピペ風の講釈ばかり。

獅子吼するような、機鋒するどい一語がでないので、さぞかし百丈、がっかり、歯がゆい弟子たちと思ったのに違いない。

大雄山、百丈の指鳴らし二十有余年。まあ、こうした禅者の寂寥の末路はよくあることだ・・これは百丈を讃えている言い方です)

   *和尚 有りや、また未だしやとは。

    金毛(きんもう)の獅子(しし)の踞地(こじ)せざりしなり。

    両々三々(りょうりょうさんさん)は舊路(きゅうろ)を行き、

    太雄山下(だいゆうさんか)には空(むな)しく弾指(だんし)。

 

はてなブログ「禅のパスポート」(無門関 素玄居士/意訳)ごらんください。